ウズベキスタン旅行記4日目その2
2011年9月20日(火曜日)
ミナレットに上がっていた方達と合流し、中庭に面した「元・学生の部屋」で営業されているお土産物屋さんに入った。
メゾネット形式で上の階は寝室として使い、1部屋2名なら、結構恵まれた環境に思える
各部屋には暖炉もある。自炊のために必要だったらしい。
せっかくなのでお店の奥にあった階段を上って屋根裏を見せてもらったら、本当に屋根裏っぽい部屋で、でも今は完全に物置のように使われて埃っぽかった。ちゃんと整えたら居心地良さそうなのにと思う。
ウルグベク・メドレセの一角だったかティラカリ・メドレセの一角だったか忘れてしまったのだけれど、ガイドさんが「ここの角が一番タイルが美しい」と教えてくれた。シャッターを切る位置の指定付きである。
この後、全員が集まって、全員のカメラをガイドさんに預けて大記念写真大会になった。ガイドさんとしては、私たちの写真好きは常に予想外だったらしい。
そして、日本人が集まって写真を撮っていると、ウズベキスタンの方々からカメラを向けられたり、少年が私たちの記念写真に混ざったり、ついでにお父さんまで混ざったり、さらに楽しいひとときになった。
ティラカリ・メドレセの内部に向かった。
昨日に続いて2回目の「金ピカの間」だったので、流石にインパクトは減っている。その証拠に、金ピカのドーム内部の写真は今回はほとんど撮っていない。
その代わり、昨日は全く写真を撮らなかった中庭が気になった。
ティラカリ・メドレセは17世紀からモスクとして使われ、1970年代に修復されている。
ドーム屋根のためか声が響き、ガイドさんの説明が聞き取りづらい。
ここでコーランなど詠んだら荘厳な響きになって宗教的効果バッチリだろうと思う。
私が持っていたカメラはあまり広角ではなく、レギスタン広場を正面から撮って三つのメドレセを写真に納めることが難しかった。
しかし、ティラカリメドレセを出てそのまま左に向かって歩いているとき、三つのメドレセを1枚の写真に納められる場所があった。
試行錯誤の末、何とか撮ったのがこの写真である。
今から考えればパノラマ撮影すれば簡単である。しかし、ほとんど初めて使ったカメラだったし、ほとんど初めてデジイチを使ったので、そこまで頭が働かなかった。情けない。
レギスタン広場を出ると、だだっ広い石畳の道だった。歩行者天国っぽいけれど、それほど人が歩いている訳ではなくガランとしている。
トロッコというかトロリーバスというか、素通しのトロッコ電車のような車体のとにかくゆっくりしか走らないバスのようなものが走っていて、それに乗ってビビハニム・モスクに行った。
だだっ広いだけに日陰ひとつなく、屋根があって涼しい風が起きて気持ちのいいこの乗り物は有り難い。
道の両脇に覗いてみたくなるようなお店が結構あって、私たちを歩かせたらいつまでもたどり着けないだろうというガイドさんの判断だったのかも知れない。
11時30分過ぎにビビハニム・モスクに到着した。
このモスクは、とにかくデカイ。幅127m、高さは169mだという。
建造された当時、世界で一番大きなモスクだったという説明もむべなるかなという感じである。この写真が一番全景に「近い」けれど、決して全景ではない。
表玄関の高さだけでも38mある。15世紀にはさらに高く60mも高さがあったという。確かに表玄関もミナレットも途中でばっさりと切られたようになっている。この上に22mもさらに塔なり玄関なりがあったなら、さらに荘厳かつ迫力の姿だったろう。
内部にも入れるようになっている。このモスクも、カメラ代は3000スムである。
往時は中庭もタイルで飾られていたそうだ。
中央アジアの大きなモスクには必ず中庭とその周りに回廊があった。ビビハニム・モスクの回廊には大理石の柱があったけれど、今は基礎部分を残すのみで失われてしまっている。柱に使われた大理石はウルグットの近くの山から象で運んできたとガイドさんは言う。何だか嘘っぽい話である。
17世紀の初めの大地震で壊れてしまい、それ以来、使われないままになっている。現在も修復はされているものの、モスクとしては使われていない。割と不遇なモスクである。
このモスクにももちろんドームがある。表玄関が大きいので中庭からは見ることができない。
現在、モスクの表玄関の高さは44m、往時は50mを超えていたという。
外回りは修復されたけれど、モスク内部は放ったらかしだったようで、コンクリートむき出しといった感じである。もしかしてタイルなどの美観のみ修復され、補強工事はされていないんじゃないかと疑ってしまう。
モスクの中庭にある、大理石の本台は有名だ。
1401年にバグダッドを征服したティムールが持ち帰った古いコーランは2m×1mという大きさで、この本台の上に置かれ、そしてこの本台はもちろんモスクの中に置かれていた。そのコーランは今はタシケントの大学で展示されている。ちょっと見てみたい。
しかし、この本台はそのコーランを載せたことで有名になっているのではない。この本台の足の間を3回周ると妊娠できるという言い伝えで有名である。あるいはまた、本台の周りを3周歩くと願いごとが叶うということでも有名だ。
この辺りの逸話は、ビビハニム・モスクが、ティムール本人というよりはティムールの第一夫人の命令で作られたという話から生まれたものらしい。
ティムールの第一夫人は、ティムールがインド遠征しているとき、サマルカンドで一番の建築家を呼んで世界で一番大きなモスクを建設するよう命じた。
しかし、この建築家が夫人に惚れてしまったために建設は順調に進まなくなった。さらに建築家は、「キスしてくれれば、ティムールの凱旋前にモスクを完成させる。」と夫人に迫ったというから大胆だ。夫人は2個の玉子のように女性は誰も一緒だと言って女中を差し向けたけれど、建築家はワインの入ったコップと水の入ったコップを示してワインを飲めば喉を焼かれるけれど水を飲んでそうなることはないと反論した。
夫人が仕方なく彼にキスしようとしたところ、建築家が逆に夫人の頬にキスして跡を残したというから始末が悪い。
この二人、はっきり言ってどっちもどっちである。
凱旋したティムールはモスクに驚き、夫人の頬を見て真相を知ってしまう。ティムールが建築家を殺そうとしたら、この建築家はミナレットから飛んで逃げたという。
一方の夫人は、ティムールが支配者になれたのは彼女がチンギス・ハンの子孫という血筋の持ち主だったからなので、お咎めなしになった。
ティムールも含めてこの3人、もはやどうでもいい気がする。
この言い伝えのどうでも良さはともかく、我々ツアーメンバーの多くがこの本台の周りを回り、お二人が足もとをくぐった。私も周りを回ったけれど、何をお願いしたかはすっかり忘れ果ててしまった。
回る方向は時計回りである。
この本台の周りに、何だかもの凄くいい音のする鳥笛を売っているおじさんがいて、凄く気になった。
ビビハニム・モスクを出てすぐのところにシャブ・バザールがあった。
お手洗いを借り、屋根が付けられた生鮮市場っぽいところに突入した。野放しにしたら危険だと学習したらしいガイドさんから「30分」と時間を切られ、集合は入口のところと言われる。
しかし、私たちはロシア語もウズベク語もしゃべれないし、市場で英語をしゃべる人は少ないので、買い物は全てガイドさん頼みだ。買いたい物があれば、ガイドさんにくっついていた方が効率的である。
ガイドさんお勧めのナッツやドライフルーツをたくさん買いたいけれど、私のスーツケースはこの時点でスザニとコニャックで重量オーバー状態である。厳選せねばならない。
おかず売場のお皿も美味しそうだし、ザクロを綺麗にカットして並べているお兄さんもいる。この「綺麗に並べる」「飾り切りをする」というのはどこの市場でもやっていて、なかなか見応えがある。
ウズベキスタンではお買い物するときには基本的に試食オッケーだ。
熟考の末、ウズベキスタンで買ったコニャックにドライフルーツを漬けナッツを入れてケーキを焼けるように、黄色い干しぶどう200g(3000スム)と殻付きのアーモンド300g(10000スム)を購入した。
流石にバザールの喧噪は凄い。それほど混雑している訳ではないけれど、屋根があるので声が反響する。
ちょっと一休みと思って外に出ると、目の前にビビハニム・モスクが見えた。しかも、どうしたって判らなかった建物の並びがこちらからだとよく判る。
この写真を撮った時点で約束の30分はとっくに回っていた。しかし、まだまだお買い物は続いているようだ。ガイドさんを引っ張り回して一つずつ欲しいものを買って行くしかないのだから時間がかかるのも当たり前である。
昼食のレストランに向けて歩いている途中、ふと振り返ると、ビビハニム・モスクの全景が見えた。これは写真に撮らなくてはと張り切る。
大きいだけあって、近くで観光しているときよりも、少し離れてからの方がたくさん写真を撮った、不思議な観光場所となった。
大きな通りに出ようというところで、学校帰りらしい、制服姿の少女たちと行き会った。
レギスタン広場からビビハニム・モスクに至る道で学校を見かけたから、この辺りは文教地区なのかも知れない。
あまりにも可愛い少女たちだったので、いきなり道ばたで写真を撮らせてもらった。
ウズベキスタンの女性は美人揃いだ。
レストランでガイドさんに「プロフを食べますか?」と聞かれた。即答できなかったのは、この辺りで既に胃腸をやられる人が続出していたからだ。
ウズベキスタンで料理に使われる綿実油が日本人に合わないらしい。しかし、どう考えてもプロフにはオイルがたっぷり使われているだろう。プロフは要するにピラフである。
この後はブハラに向けて長い移動ということもあって逡巡する。しかし、ガイドさんから「プロフは夜には食べられません。」と言われ、チャレンジすることになった。
ナン、グリーンサラダ、コールスローは定番である。茄子の薄切りにトマトを載せた前菜のような料理が加わり、そしてプロフが出てきた。大皿に盛られていて取り分けるようになっている。
ガイドさんが真っ先に手を付けたのを見て、ツアーの女の子が「ねぇ、レディファーストって知ってる?」とツッコミを入れているのが可笑しかった。ガイドさんの返事は「知っています。」で、彼女がさらに「本当に〜?」と懐疑の気持ちをたっぷり表現しているのにガイドさんがどこ吹く風の様子で食べているのがさらに可笑しかった。
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