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2013.02.26

河津旅行記の入口を作る

MOA美術館外観 ここは、母と出かけた河津旅行記の入口である。

 以下の日程をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。

 この1泊2日の旅行にかかった費用は、一人分約30000円だった。ここには、交通費、宿泊費、食事代、入館料が含まれているが、お土産代は含まれていない。

1日目その1 2013年2月17日(日曜日)

1日目その2 2013年2月17日(日曜日)

2日目 2013年2月18日(月曜日)

 

持ち物リスト(河津編)

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2013.02.25

河津旅行記2日目

2013年2月18日(月曜日)


 5時くらいに目が覚めた。何となく寒い。伊豆とは思えない寒さだ。
 6時30分にかけていた目覚ましで起き出し、お茶を一杯飲んでから温泉に向かった。初めて温泉で他の方とお会いした。入れ替わりになったので、やっぱり温泉は独占状態である。
 結構な雨降りで、屋根なしの露天風呂は辛い。流石の私も内湯のみであがった。
 朝風呂はやっぱり気持ちがいい。


朝食 8時から朝食である。昨日の夕食はお座敷で、朝はテーブル席である。
 朝から豪華だ。昨夜食べ切れなかったキンメダイの煮付けを出していただいてぱくぱく食べる。鯵の開きとスクランブルエッグとソーセージとで迷ったけれど、ここは魚尽くしで行くべきだろうと鰺から先にいただいた。
 ごはんをお代わりして食べ、部屋に戻ってから、昨夜のデザートに出たみかんまで食べた。
 家にいるとトースト1〜2枚しか食べないのに、何故か旅先だと朝からたくさんごはんを食べられる。


 雨は普通に降り続き、激しくなることもない代わりに、止みそうになることもない。空は明るいけれど、雲が流れていて、雨雲は常にそこにあるという感じだ。
 この天気なので、当初予定どおり、稲取のつるし雛を見ようと相談がまとまった。ちょうど、もう一組の方が宿を出られるところで、そのご夫婦は今日は熱川に泊まるとおっしゃっていた。
 駅まで歩き、9時43分発の普通電車に乗って二駅行けば伊豆稲取である。雨も降っているので、コインロッカーに荷物を預ける。
 伊豆稲取駅の改札口横に地図が置いてあり、歩いて10分くらいという、メイン会場の一つである「むかい庵」に向かった。


つるし雛つるし雛 黒っぽい民芸調の建物で、それほど広くはない。「2箇所共通券なら100円引きになります。」と案内があり、もう1箇所のメイン会場も行くつもりだったので共通券を購入する。
 入口を開けたらそこはつるし雛の世界である。
 稲取では、いわゆるお雛様と一緒につるし雛も飾るようだ。畳にお雛様(建物に入っていたり、お内裏様とお雛様だけだったり、こちらも風情ある趣のものが多い)が置かれ、その周りを囲むようにつるし雛が飾られている。


 お雛様が女の子の節句のものだからか、紐や一番上のつるし雛をつるす部分が赤いからか、とにかく赤いというイメージがガンっとやってくる。
 その赤いイメージを突破してひとつひとつのつるされているものを見て行くと、それぞれ可愛い。


 テープで解説が流されていて、赤い目のうさぎには魔よけの力があるとか、沢山吊されていたさるぼぼには厄が「去る」という意味があるとか、三番叟はお祝いごとにつきものであるとか、座布団は座布団の周りで赤ちゃんが這って遊ぶことを願っているとか、色々いわれがあるようだ。
 テープが自認しているように「語呂合わせ」なものも多い。お節と一緒で、願いと祈りが込められていることは間違いない。


つるし雛つるし雛


男の子 むかい庵の中の一角だけ、「赤くない」場所があった。
 元々、つるし雛はその名のとおり女の子のお節句のものだけれど、最近は男の子のお節句用に作ることもあるようだ。ただしこちらは伝統がないので、吊されているのは鯉のぼりだったり、兜だったり、あまりバリエーションがない。逆にそれが質実剛健な感じを醸し出している。


 ふと気がつくと母が切符売り場兼売店のお姉さんと話している。お土産用に、つるし雛の飾りをモチーフにしたストラップ等々が販売されていて、自分用のを選んでいたらしい。あなたにも買ってあげるとおっしゃる。
 どれにしようか迷っていたら、「黄色い布を使ったほおずきはなかなか入って来ないんですよ。」「ほおずきは婦人病に効くということで女性のお守りになりました。」「こちらなど金糸も入っていて綺麗ですよ。」と二人がかりでお勧めされ、ほおずきのものを選んだ。


河津桜 つるし雛まつり期間中の土日月祝日には、まつり会場を巡る無料バスが運行されている。10時30分にむかい庵を出るバスに乗り(乗客は母と私の二人だった)、運転手さんに「徳造丸」や「なぶらとと」というお店に昨日は長蛇の列ができていたというお話を聞いたり、稲取のキンメダイの煮付けはやはり他とはひと味違うのだと強力に宣伝されたりしつつ、「文化公園 雛のやかた」に移動した。
 庭に河津よりも開花が進んでいる桜の木があったので、傘を差しつつ写真を撮る。
 花弁が開いてもピンクが濃くて綺麗だ。


もものつるし雛 中に入ると、むかい庵よりこちらの方がやや広いかな、というくらいの広さだった。
 まず、どどん! と目に入ってくるのは、ひたすら桃だけを集めたつるし雛だ。
 他のつるし雛よりも何重も密度濃くつるしてあって、とにかく凄い迫力である。こう、のしかかられているような圧迫感すら感じてしまう。
 これは絶対に家に飾られてあった形ではないに違いない。


鯛の鯛 あと面白いと思ったのは、「鯛の鯛」で作られたつるし雛(?)である。
 鯛の骨にはこうした「鯛の形」になっているものがあって、「鯛の鯛」などと呼ばれている。その「鯛の鯛」を使ってつるし雛を作っている。
 自然のものだし、重さのバランスを取るのが相当に難しいのではなかろうか。
 鯛の鯛で作ったつるし雛は壊れやすいようで、ガラスケースの中に展示されていた。


つるし雛つるし雛 こちらの会場に飾られていたつるし雛は、年を経ているものが多いように感じた。
 つるし飾りは、元々、7歳だったりお嫁入りだったり、節目節目でどんど焼きでおたきあげをしてしまうため、古いものはほとんど残っていない。だから、年代を経て残っているものは相当に貴重だ。
 色褪せているところが逆に落ち着きを醸し出していて、こういうのもいいなぁ、大切にされてきたんだろうなぁ、と思う。
 母のお友達が作ってくださったつるし雛が我が家にも二つあって、ずっと大切にしていけたらなぁと思う。母は、売店で売られていたキットやつるし雛を見て「一体、おいくらのものをいただいてしまったのか・・・。」と青くなっていた。


 一通り見終わると11時前だった。
 さて、これからどうしよう、あれだけ強力にお勧めされたし稲取でキンメダイを食べるべきだろうかと母と話したけれど、何しろ朝8時にたっぷりの朝食をいただいて、お腹が空いていない。
 お土産を買うならやっぱり熱海駅前がいいよねという話になり、交通整理をしていたおじさんに聞くと駅までは歩いて15分ほどだというし、11時29分に熱海行きの普通電車があることを確認し、上り坂をえっちらおっちら戻った。お天気が良ければ気持ち良く歩ける距離だと思う。
 上りの伊豆急は割と混んでいたけれど、何とか母と並んで座れた。伊豆急では、待ち合わせの際に車内保温のために1両につき一つを除いてドアを閉める。その「開けておく」方のドアの横に座ってしまい、やけに寒い思いをした。


 13時前に熱海駅に到着し、まだお腹が空いていなかったのでお土産を見て回った。
 アルパカのショールにもの凄く心惹かれたけれど、いきなり旅先で買うのに30000円超はかなり勇気のいる決断で、結局、買うところまで踏み切れなかった。いつか再び熱海に行くときのために課題として取っておこうと思う。
 饅頭総本山 源楽では試食にお饅頭を丸ごと1個渡してくれて、お腹が空いていない筈なのに二人してぺろりと平らげた。
 稲取で食べなかった分、徳造丸でキンメダイの干物などを購入する。


 熱海駅前にアンテナショップのようなものができていて、「ATAMI COLLECTION A-PLUS」として熱海の名品をピックアップしているらしい。
 その中から、甥っ子へのお土産にひらきパイを選び、我が家へのお土産に橙マーマレードを選んだ。


20130218_134748 熱海駅前だけとはいえウロウロ歩いてお腹もちょっとは空いてきた。アーケード入口近くにある成木屋というお蕎麦屋さんに入って、母は山菜そば、私は鴨南蛮そばをいただいた。
 お腹が空いていない、空いていないと言いながら、つるつると食べられる。
 普通に美味しいおそばだったけれど、お汁がちょっとしょっぱかったのが惜しかった。


 丁度いい時間の快速アクティーがなく、新幹線で帰ることにした。
 普通に券売機で買ってしまってから、熱海温泉ホテル旅館協同組合や熱海市観光協会で売られている熱海温泉割引切符を購入すれば、通常3570円のところ3150円で新幹線自由席に乗れたことに気がついた。
 金券ショップで購入したこの熱海温泉割引切符で来たというのに、私としたことがうっかりしてしまった。


駅弁 夕食は買って帰ろうと母が言う。
 最後に買い込んだお土産がずしりと肩に食い込み、こんな重いものをぶら下げて東京駅をうろつきたくないと強力に主張し、熱海駅で炙り金目鯛と小鯵押寿司(1300円)を購入した。


 東京駅に着いたら、何という寒さだろう。
 やはり伊豆は暖かい。
 母と二人「寒い寒い」と言いながら、16時半くらいに無事に帰宅した。


 河津旅行記1日目その2 <-

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2013.02.24

河津旅行記1日目その2

2013年2月17日(日曜日)


開花促進剤の桜 15時40分過ぎに河津駅に到着した。
 河津桜まつりが開催中で、駅前でピンクの法被を着た人が道案内をしている。おじさんに「あそこのガソリンスタンドの向こうに咲いている桜の木があるよ。と教えてもらい、「開花促進剤を使っている木ですね!」と、宿に入る前に見に行く。


 駐車場の一角に4〜5本の見ごろを迎えた桜の木が並んでいた。
 ピンクが濃い。そして、どれも小さい木だ。若い木でなければ開花促進剤が効かないのか、大きな木には使わないことにしているのか、どちらだろう。
 しかし、「見ごろだったらこんな感じ」ということがイメージできるのは、観光客としてはちょっと嬉しい。
 ピンクの法被を貸してもらって記念撮影している方も結構いらっしゃった。


川沿いの桜と菜の花 川沿いに戻ったところ、意外と河津桜のピンクが濃くなっている。
 ほとんど蕾もなく「枝」という状態なのかと思っていたので、ちらほらと咲いているのが嬉しい。菜の花は満開である。本当に一輪二輪といった咲き方かと思っていたら、近づいて見ると濃いピンクの花が咲いている様子が可愛らしい。
 風もなく、川沿いを歩いても冷えるという感じはしない。水仙もかなり強く香っている。、
 海に近い辺りまで行って帰ってきて、意外と満足し、これくらい咲いているならライトアップも見に来ようと母と言い合った。


河津桜河津桜と目白


 川に架かる赤い欄干のやかた橋を渡ったところに、今日の宿、旅師の宿 やかたがあった。
 16時30分頃にチェックインし、19時30分から花火があってお部屋から見られることは宿からのメールで知っていたし、かなりたっぷり出していただけることも知っていたので、夕食は母と私の旅行としてはかなり早めの18時からでお願いした。


 ライトアップを見に行くなら浴衣では行けない。そうすると着替えるのが面倒くさいし、そもそも先にお風呂に入ってしまうと風邪をひきそうだから夕食前に温泉に入らないでおくと言う母を置いて、温泉に向かった。
 温泉は、渡り廊下を通って別棟に行く。
 何となくシンとしている雰囲気のとおり、貸切状態だった。カランが四つあり、3〜4人で入るくらいの大きさの内湯と、露天風呂がある。
 髪を洗うのはライトアップから帰ってきてからにして、ゆっくり浸かる。無色透明、匂いもほとんどしない、穏やかなお湯である。少しぬるめに調節してあるというお話で、長く入るにはこれくらいが丁度いい。私にはもう少し温くてもいいくらいだ。


露天風呂 この宿の露天風呂は、船を改装している。船の中(つまりは湯船の中)にいると、船っぽい雰囲気があまりないのが惜しい。石造りの湯船に浸かり、冷たくなった夕方の風に吹かれているとかなり気持ちがいい。
 景色は見えないけれど(周りは住宅地だ)、空が広く開いているのが爽快である。
 結構ゆっくりしたつもりが、部屋に戻ったらまだ17時30分くらいだった。
 お湯に浸かっているときには判らなかったけれど、湯上りの自分から潮の匂いがする。


鮑の酒蒸し 夕食は18時から、1階のお座敷でいただいた。
 豪華魚介の宴、という感じである。
 あわびが出てきて「お刺身でも酒蒸しでもいただけますが、どちらがよろしいですか。」とおっしゃる。お勧めを聞いたところ、お刺身だとコリコリしていて、酒蒸しにすると柔らかくお召し上がりいただけるので、私は個人的には酒蒸しがお勧めですと言われ、二人ともお勧めに従った。
 寒い日だったし、母は温泉にも入っていない。「ビールなんてとても飲めない。」と言う。確かにそうねと思い、「伊豆の里」という日本酒を冷やでお願いする。母は味見をしたくらいで、300mlのほとんど全部私が飲んでしまった。


お刺身 何と言っても凄かったのはお刺身である。
 宿のご主人がいらしたときにお魚の名前を聞いて、慌ててメモしたので多分合っていると思う。
 左端が伊勢エビ、その隣は、一番上が鯛で、レモンに挟まれているのがヒラメである。鯛とヒラメの右側にあるのがムツで、一番右上は鰺、その下がカワハギだ。
 手前は左から鮪、ホーボー、鮪と並び、カワハギの下にあるたたきにしてあるお魚が鰆、その手前がメダイだ。
 カワハギとホーボーが珍しい&旬のものですね、という説明だ。


キンメダイの煮付け お刺身の他に、焼いた伊勢海老もあるし、南蛮漬けもあるし、そのほぼ全てがお魚だ。お肉系のものは、前菜にハムで巻いたチーズと何かがあったのと、鍋に鶏が入っていたくらいだ。
 キンメダイの煮付けは明日の朝食にお出しすることもできます、ダルマイカは火を入れすぎると固くなってしまうので今食べた方がいいですというご主人のアドバイスに従い、私はお酒をたくさんいただいたのでごはんとお味噌汁はパスし、デザートのみかんはお部屋に持ち帰ることにして、その他のお料理はほぼ全てを平らげた。
 誰かが見ていたら、90分一本勝負お魚食べつくし競争みたいだったと思う。


 何故90分一本勝負だったかというと、19時30分からの花火を見たかったからだ。
 河津桜花火大会は今回が初めてだという。そういえば「第*回」とも書いていなかったと思う。夏の花火大会では河津の浜ではなく今井浜で打ち上げるらしい。河津に新しくできたホテルがスポンサーとなって行われる花火大会だそうだ。
 母のブーイングを無視して部屋の窓を開け、ばっちり正面に見える花火を楽しんだ。
 割とシンプルな花火がほぼ休憩なしで連続で上がる花火を見ているのは楽しい。贅沢な気分になった。


花火花火


花火花火


花火花火


 30分間、窓を開け放して花火を見て寒くなってしまったのか、母が「ライトアップ行かなくてもいいわ。」と言い出した。「それじゃあ、ごはん前に温泉に行かなかった意味がないじゃん!」と言ったけれど、やっぱり行かないと言う。
 ライトアップは21時までだし、時間がたてばたつほど寒くなるに決まっているので、説得は諦めて防寒対策を万全に一人でカメラ片手に出かけた。
 出かけたと言っても、宿から1〜2分も歩けばライトアップ会場である。


夜桜夜桜


夜桜夜桜


水仙 夜のせいか、昼間より水仙の香りがさらに強くなっているように感じる。
 ライトアップの場所と、桜が開花している場所と、ちょうどよく重なっているところを探しつつ、そぞろ歩きする。花びらのピンクがより濃く、透明に感じられる。綺麗だ。
 見ごろの時期であれば物凄い人出だろうし、ちらほら咲いている花を探しながらゆっくり歩くのもいいものだ。
 満喫した。
 満喫した分、寒い。手袋をしていても手がかじかむようになってきたので、1時間弱で退散した。宿が近いのは有難い。


 お部屋に戻ってお茶を飲もうとしたら、ポットのお湯がぬるい。
 フロントに行ってお湯をもらい、ちょうど、宿のご主人が花火の写真をサイトにアップされているところだったのでカメラの話などお聞きする。やっぱり光学ズームの大きいカコンデジは便利だよなぁ、と再確認する。私もそっちを持ってくればよかったと思う反面、小さくて軽いカメラに慣れてしまうと重いカメラを持ち歩くのは面倒だし、どうせ重いカメラを持ち歩くならデジイチにしたい。


 桜の見頃をお聞きしたところ、昨年も相当に遅かったけれど、今年もかなり遅れているらしい。
 イベント等は20日以降に設定されているものの、例年であれば今頃であってもそれほど遜色ない見ごろの河津桜が見られるという。
 毎年こちらに河津桜を見に来ているお客さんがいらして、その方は、毎年2月の第3金曜日に来ると決めているそうだ。それくらいの時期であればまず外れることなく桜が見られるというお話だった。


 21時過ぎに母と温泉に向かった。
 今回も貸切状態である。こちらの宿の露天風呂は船に作られているということは母に言っていなかったらしい。「お部屋から見えた船がお風呂なの?」と驚いていた。
 夜になっても、やっぱり湯船に浸かってしまうと「船の中」という感じはしない。
 その代わり、頭上が綺麗に開けているので、雲がほとんどない空にオリオン座も見えるし北斗七星も見える。今はこんなにいいお天気なのにどうして明日の天気予報が雨なのか、納得がいかない。
 露天風呂で、冷たい風に吹かれつつのんびりした。


 こちらの宿には、「足用ドライヤー」が用意されている。足の水分を飛ばしてサラサラに乾かせば湯冷めもしにくいと張り紙があった。もちろん実行する。
 温度が低めにされているためか、こちらの温泉は、湯上りに汗が流れて止まらないということもなく、かといって、湯冷めするということもない。ちょうどいい感じの温かさが持続する。素晴らしい。
 22時30分くらいに部屋に戻り、何となくテレビを見ながらおしゃべりし、23時くらいにお布団にもぐりこんだ。


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河津旅行記1日目その1

2013年2月17日(日曜日)


 2月18日の天気予報がどんどん悪くなってきて、どうやら1日中雨になりそうだったので、出発を当初予定より早めた。といっても、自宅を出たのは8時少し前である。
 東京駅から新幹線に乗ってしまえば熱海は本当にすぐで、あっという間に到着した。
 熱海駅前はバスターミナルの工事中で、少し離れたところに臨時のバス乗り場が作られている。熱海梅園行きのバスに次々と人が乗り込んで行くのを見ながら、11時発のMOA美術館行きのバス停に並んだ。
 美術館は雨の翌日に行くことにしようかとも思ったけれど、母の「せっかく見晴らしがいい美術館なんだから、天気のいい日に行きたい。」という提案に乗った。


エスカレーター よっぽど尋ねられることが多いらしく、160円也のバスの運賃箱には大きく「PASMO SUICAは使用できません」と書いてあった。
 急勾配のくねくね道を走ること10分弱で、MOA美術館に到着した。
 バスを降りてすぐのところにあるコインロッカーに荷物を預け、予め購入しておいたチケット(2人で2500円)を記念入館券に替えてもらって、MOA美術館名物(?)のエスカレーターに乗った。
 節電のためにこのエスカレーターを止めたというニュースをどこかで読んだ記憶がある。今は再開したらしい。何年ぶりで来たか覚えていないけれども懐かしい。


 MOA美術館では「国宝”紅白梅図屏風”と所蔵琳派展」が開催されており、タイトルにも歌われている「紅白梅図屏風」が母のお目当てである。
 その前に、能舞台を拝見し、金の茶室を見る。母は「金ぴかということなら、やっぱり平泉の金色堂よ。」と言う。


 説明書きによると、現在、茶室は修復中で、今展示されている茶室は屋外持ち出し用の折りたたみ式の茶室だという。
 それにしたって、金箔を張り巡らせてあって侘びさびとは無縁な印象だし、ここでお茶をいただいても落ち着けなさそうだ。
 後日、テレビを見ていたら、黄金の茶室は今の照明の下では金ピカだけれど、安土桃山時代にはそもそも日本の家屋は全体に暗かったし、その中でさらに赤い紗を通して入ってくる弱い陽の光に浮かび上がる様は十分にわびさびの風情があったのではないかという話をしていて、なるほどと思った。


能舞台金の茶室


 そして、「国宝「紅白梅図屏風」と所蔵琳派展」である。
 本阿弥光悦光悦と俵屋宗達、尾形光琳と尾形乾山の兄弟、酒井抱一らと、三つの時代に分けて、それぞれの代表作が展示されている。
 琳派は、他の流派が主に家系で受け継がれたのとは異なり、作風に対する共感をベースに受け継がれている。琳派の始まりとその隆盛、そして再生を象徴する人々にフューチャーした構成になっている。
 これが、意外と楽しい。


 創始者の片割れである本阿弥光悦は、私には刀の鑑定をした人というイメージが強い。
 非常に美術センスの優れていて、制作もして、プロデューサーとしての才能も発揮した人だったらしい。刀剣の鑑定も、当時は美術品の鑑定に近かったのかも知れない。
 重要文化財である「樵夫蒔絵硯箱」は、「伝」本阿弥光悦、とされている。「何故硯箱に樵夫?」と思う。どうやら、その題材や構図の大胆さ、それを表す技法の選び方や組み合わせ方が、この硯箱の「味」であるらしい。


 俵屋宗達と聞いて「商売人?」と思う私は一体何に影響されているのだろう。単純に「**屋」という名字からの連想かも知れない。
 俵屋宗達の「軍鶏図」は、たらし込みという技法を用いた名品である。滲みだったりぼかしだったり、近づいて見ると単なる濃淡にしか見えないのに、離れたところから見ると羽の毛羽立った様子や艶に見えてくるから不思議である。輪郭線がない描き方も不思議だ。
 全面に虎の全身を描いた大きな掛け軸(タイトルを忘れた)も迫力があって、でも顔の表情などに親しみを感じられる絵で、楽しい。猫なんだか虎なんだかよく判らない、でも大画面の迫力に押される。


 家系ではなく「いいな」と思ったから継承したという「派」の性格か、単純に個人的親交があったということか、本阿弥光悦と俵屋宗達のコラボレーション作品も展示されていた。
 俵屋宗達が線画で鹿(に見えた)などを描き、その紙に本阿弥光悦が和歌を書き散らしている。流麗というよりは味のある文字で、配置も独特な感じである。巻物のような紙に書かれていて、何に用いるための紙なのかは謎だ。


 琳派の「琳」は尾形光琳の「琳」なのだろうし、この特別展の白眉はもちろん、尾形光琳の国宝「紅白梅図屏風」である。
 その白眉を、展覧会の割と最初の頃に持ってくるのが潔く、好感が持てる。
 パッと見て、「意外と小さい」というのが第一印象だ。
 もっと丈が高いと思っていたら、左右それぞれの屏風はほぼ正方形に近いように見える。そして、非常に美しい状態を保っている。


紅白梅図屏風 最近の調査の結果、中央の川に銀箔を張り、金地には金箔を張り、銀を硫化させて黒い川の流水模様を作ったと考えられるという。
 その調査結果に基いてCGで制作当時の状態を再現した作品が別途展示されていて、流水模様の銀色が美しく黒い川の水面に映えている。
 逆に言うと、その流水模様の色の違いが際立つくらいで、全体の色調はほぼ遜色なく残っているのが凄い。せっかくなので、その再現された屏風と記念撮影をした。


 屏風は左右一対で、左側には幹の一部だけを見せた大振りな白梅が描かれ、右側には紅梅が1本完全な姿で描かれている。そのど真ん中を黒い太い川が流れている。
 梅の花は、花弁を区切らない独特の描き方がされている。花びらの形とめしべの様子だけで、梅の花が咲いているように見える。
 母も私も左右どちらかと言われれば白梅の方に軍配を上げる。サイトに載っている屏風図の写真で見るよりも、本物の屏風図で見た紅梅の方が貧相な印象だった。


 梅といえば、尾形光琳の弟である尾形乾山が焼いた「銹絵梅花文蓋物」もなかなか可愛らしかった。四角い蓋物に、様々な色(と恐らくは素材)で梅の花がたくさん型抜きされているような、貼られているような感じに造形されている。
 尾形光琳と乾山の兄弟も、コラボレーションした作品を多く残しているらしい。家系による継承ではなく、共感による継承であるならば、もしかして、ご当人たちには「自分は琳派である」という意識はなかったのかもと思う。
 MOA美術館には、私も知っているくらい超有名な野々村仁清の色絵藤花文茶壺がある。尾形乾山はこの野々村仁清の弟子だ。


 「琳派再興」を為したという酒井抱一らはきっと「自分たちは琳派である」「琳派を再興したい」という意識を強く持っていたんだろう。
 雪月花図は、松に雪、おぼろ月、桜と3枚の絵がセットになっている。
 並び順も左から、雪・月・花で、描かれている位置も雪は上の方、月は真ん中、桜は下の方と並んでいる。私だったら、月を上の方にして、松を中央、桜を下方にして、オリンピックの表彰台みたいな感じにするなと思う。不遜の限りである。
 この朧月もやはり輪郭はなく、雲のかかっていないところを残すことで月を表していて、墨の色だけで月のかすむ感じを出していて格好良かった。


熱海の海 この特別展でかなりお腹いっぱいだったし、特別展の印象をそのまま持ち帰りたかったので、常設展示は割とさっさと見てしまった。
 ミュージアムショップに立ち寄って、お香とクリアファイル、紅白梅図の絵はがき、紅茶飴などを購入し、少しだけ晴れ間が見えてきた熱海の海を眺める。天気予報では寒くなると言っていたけれど、日射しがあるせいか、ぽかぽか陽気とは言わないまでも、結構暖かい。


熱海の梅 帰りのエスカレーターを乗り換える途中、子供達の絵が飾られている一角があった。何かのコンクールの入選作品のようだ。
 母が「あなた達が子供の頃は、こんなに鮮やかな色は使わなかった。」としきりと言っていた。絵心の全くない私は本当に自分でもイヤになるくらい下手でセンスがなかったけれど、上手い子は同じくらい上手く色鮮やかに描いていたと思う。
 入口まで戻るとバスが来るまで少し時間があったので、すぐそこの梅園で僅かに咲いている梅を眺めた。
 コインロッカーから荷物を取り出して(100円が戻って来た)、熱海駅に戻るバスに乗る。
 1時間もかからずに見て回れるだろうと思っていたら、1時間半くらいのんびり過ごしていた。


かさご定食 駅に戻ったら13時近かった。
 熱海桜を見がてら友人に教えてもらった来宮駅近くのお店に食べに行くか、あるいはお魚尽くしの夕食の予定なので、少し歩いてイタリアンか中華を食べに行こうかと思っていた。
 母が今ひとつ桜に乗り気でなかったし、何よりお腹が空いていたので、駅前の平和通り沿いにある海蔵というお店の列に並んだ。日曜日のこの時間、駅前のお店はどこも行列である。
 階段で並んでいると、通りから見上げた人達が何組も「こんなに並んでるよ。」と言いながら別のお店を探しに行っていた。私たちは3組目で、20分くらいで入れたと思う。


鰺のお刺身定食 かさごの煮付け定食と、鯵の刺身定食を頼んだ。「ごはん1杯まで無料でお代わりできます。」と言われたのが何だか可笑しい。かさごも鯵も2尾ずつあったので、途中で母とお皿を交換して両方を味わった。
 我が家では鯵のお刺身はしょうが醤油で頂く。こちらではわさびだったのが意外だ。
 鯵も新鮮だし、かさごもつやつやした煮汁の割りにあっさりした味わいで美味しい。
 ふと、腕時計とプリントアウトしてあった伊豆急の時刻表を見てみたら、ぎりぎりで14時14分発の電車に間に合いそうである。
 母を急かしてお勘定し(2人で2680円だった)、急ぎ足で駅に戻ってsuicaで改札を入った。


(推定)大島 乗った電車は、海際の座席はボックスシート、山側の座席は海に向いたロングシートになっていて、なかなか心憎い演出である。
 また少し晴れ間が覗いてきて、伊豆大島がかなり近く大きく見える。
 各駅停車なので、上り電車とのすれ違い待ちや、特急電車の通過待ちで、待ち時間が多いのが難点だけれど、桜やアロエのお花が咲いていたり、みかんが実っていたり、温泉の湯気が上がっていたり、車窓を眺めているだけでも楽しい。
 割とあっという間に1時間半の乗車時間が過ぎて行った。


 -> 河津旅行記1日目その2

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2013.02.21

450000アクセス達成!

 もう一昨日のことになってしまうけれど、2013年2月19日、どなたかが450000アクセス目を踏んでくださっていた。
 1ヶ月弱で10000アクセスいただいた最大の理由は、やはり、持ち物リスト(特にペルー編)にあるように思う。10000アクセスに要する期間が1ヶ月を切ったのは前回に続いて2回目である。

 これまでの経過は以下のとおりである。

 スタート 2004年9月1日
 10000アクセス 2005年7月17日
 50000アクセス 2006年11月22日
100000アクセス 2008年6月15日
150000アクセス 2009年2月21日
200000アクセス 2009年11月30日
250000アクセス 2010年9月16日
300000アクセス 2011年5月26日
350000アクセス 2012年2月8日
400000アクセス 2012年9月3日

410000アクセス 2012年10月7日
420000アクセス 2012年11月13日
430000アクセス 2012年12月21日
440000アクセス 2013年1月20日
450000アクセス 2013年2月19日

 こうして続けていられるのは、遊びに来て、読んでくださる方のおかげです。
 ありがとうございます。
 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

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2013.02.18

無事、帰宅する(河津)

 2013年2月17日(日)から1泊2日で母と河津に行って来た。

 そもそもの目的地は熱海で、母が「尾形光琳の紅白梅図を見たい」と言ったのがきっかけである。
 梅の時期に時期に熱海に行くなら梅園を見たいと思ったら、母が「行ったことがあるからいい」とおっしゃる。
 それで、河津桜に狙いを変えたのだけれど、2012年に続いて今年も開花が遅れていて、残念ながら1〜2分咲きといった辺りだった。それでも、全くつぼみしか見られないんじゃないかと思っていたので、結構満足して帰ってきたのだから、我ながらお得な性格である。
 宿のお食事が豪華だったこと、予定外の花火が見られたことも大きい。
 稲取のつるし雛もなかなか良かった。
 2日目の今日が雨だったのが残念である。かなり強く降っていたので観光は諦めて早めにあちらを出て、家には16時30分には帰ってきた。

 この1泊2日の旅行にかかった費用は、一人分約30000円だった。ここには、交通費、宿泊費、食事代、入館料が含まれているが、お土産代は含まれていない。

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河津旅行記2日目(引っ越しました)

*****

 河津旅行記は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

*****

 1日目その1 2013年2月17日(日曜日)

 1日目その2 2013年2月17日(日曜日)

 2日目 2013年2月18日(月曜日)

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2013.02.17

河津旅行記1日目その2(引っ越しました)

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 河津旅行記は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

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 1日目その1 2013年2月17日(日曜日)

 1日目その2 2013年2月17日(日曜日)

 2日目 2013年2月18日(月曜日)

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河津旅行記1日目その1(引っ越しました)

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 河津旅行記は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

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 1日目その1 2013年2月17日(日曜日)

 1日目その2 2013年2月17日(日曜日)

 2日目 2013年2月18日(月曜日)

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河津旅行に出発する

 「MOA美術館で尾形光琳を見たい」という母のリクエストに応え、当初は熱海にさくっと行ってさくっと泊まってさくっと帰ってくるつもりだったのだけれど、私の中での紆余曲折の末、「河津桜も見たい」ということで河津に泊まって、稲取のつるし雛も見るよう計画をたてた。
 実際、出発する直前になって、熱海桜は見ごろ、河津桜は咲き始めたばかりだし、旅行2日目の天気予報は雨で、これなら熱海に泊まってのんびりした方が良かったんじゃないかと思いつつ、出発である。

 一応作成した持ち物リストは以下に。

続きを読む "河津旅行に出発する"

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2013.02.16

メキシコで出した絵はがきが届く

 2012年末に行った中米3ヶ国のマヤ遺跡を巡る旅行中、メキシコのパレンケで友人宛に絵はがきを出した。
 正確に言うと、ホテルのフロントに切手を貼った絵はがきを渡して、ポストに入れてくれるよう頼んだのだ。

 それっきりすっかり忘れていたのだけれど、昨日(2013年2月15日)、友人から苦笑混じりの感じで「メリークリスマスっていう絵はがきが届いたよ」とメールが来た。
 2ヶ月近くかかったことになる。

 グアテマラからは郵便がなかなか届かない、届いても時間がかかる、だから絵はがきを出すのならメキシコからの方がよいという案内を添乗員さんからもらっていたのだけれど、メキシコからの絵はがきもなかなか気まぐれのようである。

 しかし、届いてよかった。

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2013.02.13

河津桜花火大会の開催を知る

 2013年の河津桜も、昨年に引き続き開花が遅れているようだ。
 例年、2月下旬が見頃(河津桜の見頃は満開時ではなく、5〜6分咲きの頃である)なのに、河津桜まつり公式サイトによると、まだ「開花した」「ほころんだ」という開花状況らしい。

 しかも、出発5日前の天気予報で雨を告げられ、さてどうしよう、元々が熱海のMOA美術館が目的だったのだから熱海近辺をさくっと回って帰って来ようかなどと考えていた。
 一時は、キャンセル料を払ってでも宿泊場所を変えようかと真剣に検討したくらいだ。

 しかし、母は「稲取のつるし雛を見る」という考えがすっかり定着しているらしく、「雨でもつるし雛を見るんだからいいじゃない」とおっしゃる。
 母がそう言うならまあいいか、宿のごはんも美味しそうだし温泉も良さそうだしと思っていた。

 そうしたら、今日(2013年1月13日)になって、宿から私たちが宿泊する当日に花火大会が開催されるというお知らせメールが届いた。
 宿のどのお部屋からも露天風呂からも花火が見られるという。

 よし、この日程で正解だった、やっぱり河津まで行こうじゃないかと心が決まったのだった。

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2013.02.10

ウズベキスタン旅行記4日目その2

2011年9月20日(火曜日)


メドレセのお土産物屋さんメドレセのお土産物屋さん ミナレットに上がっていた方達と合流し、中庭に面した「元・学生の部屋」で営業されているお土産物屋さんに入った。
 メゾネット形式で上の階は寝室として使い、1部屋2名なら、結構恵まれた環境に思える
 各部屋には暖炉もある。自炊のために必要だったらしい。
 せっかくなのでお店の奥にあった階段を上って屋根裏を見せてもらったら、本当に屋根裏っぽい部屋で、でも今は完全に物置のように使われて埃っぽかった。ちゃんと整えたら居心地良さそうなのにと思う。


メドレセ内部 ウルグベク・メドレセの一角だったかティラカリ・メドレセの一角だったか忘れてしまったのだけれど、ガイドさんが「ここの角が一番タイルが美しい」と教えてくれた。シャッターを切る位置の指定付きである。
 この後、全員が集まって、全員のカメラをガイドさんに預けて大記念写真大会になった。ガイドさんとしては、私たちの写真好きは常に予想外だったらしい。
 そして、日本人が集まって写真を撮っていると、ウズベキスタンの方々からカメラを向けられたり、少年が私たちの記念写真に混ざったり、ついでにお父さんまで混ざったり、さらに楽しいひとときになった。


ティラカリ・メドレセの中庭 ティラカリ・メドレセの内部に向かった。
 昨日に続いて2回目の「金ピカの間」だったので、流石にインパクトは減っている。その証拠に、金ピカのドーム内部の写真は今回はほとんど撮っていない。
 その代わり、昨日は全く写真を撮らなかった中庭が気になった。


 ティラカリ・メドレセは17世紀からモスクとして使われ、1970年代に修復されている。
 ドーム屋根のためか声が響き、ガイドさんの説明が聞き取りづらい。
 ここでコーランなど詠んだら荘厳な響きになって宗教的効果バッチリだろうと思う。


3つのメドレセ 私が持っていたカメラはあまり広角ではなく、レギスタン広場を正面から撮って三つのメドレセを写真に納めることが難しかった。
 しかし、ティラカリメドレセを出てそのまま左に向かって歩いているとき、三つのメドレセを1枚の写真に納められる場所があった。
 試行錯誤の末、何とか撮ったのがこの写真である。
 今から考えればパノラマ撮影すれば簡単である。しかし、ほとんど初めて使ったカメラだったし、ほとんど初めてデジイチを使ったので、そこまで頭が働かなかった。情けない。


 レギスタン広場を出ると、だだっ広い石畳の道だった。歩行者天国っぽいけれど、それほど人が歩いている訳ではなくガランとしている。
 トロッコというかトロリーバスというか、素通しのトロッコ電車のような車体のとにかくゆっくりしか走らないバスのようなものが走っていて、それに乗ってビビハニム・モスクに行った。
 だだっ広いだけに日陰ひとつなく、屋根があって涼しい風が起きて気持ちのいいこの乗り物は有り難い。
 道の両脇に覗いてみたくなるようなお店が結構あって、私たちを歩かせたらいつまでもたどり着けないだろうというガイドさんの判断だったのかも知れない。


ビビハニム・モスク 11時30分過ぎにビビハニム・モスクに到着した。
 このモスクは、とにかくデカイ。幅127m、高さは169mだという。
 建造された当時、世界で一番大きなモスクだったという説明もむべなるかなという感じである。この写真が一番全景に「近い」けれど、決して全景ではない。
 表玄関の高さだけでも38mある。15世紀にはさらに高く60mも高さがあったという。確かに表玄関もミナレットも途中でばっさりと切られたようになっている。この上に22mもさらに塔なり玄関なりがあったなら、さらに荘厳かつ迫力の姿だったろう。


 内部にも入れるようになっている。このモスクも、カメラ代は3000スムである。
 往時は中庭もタイルで飾られていたそうだ。
 中央アジアの大きなモスクには必ず中庭とその周りに回廊があった。ビビハニム・モスクの回廊には大理石の柱があったけれど、今は基礎部分を残すのみで失われてしまっている。柱に使われた大理石はウルグットの近くの山から象で運んできたとガイドさんは言う。何だか嘘っぽい話である。
 17世紀の初めの大地震で壊れてしまい、それ以来、使われないままになっている。現在も修復はされているものの、モスクとしては使われていない。割と不遇なモスクである。


モスク内部モスクの表玄関とドーム このモスクにももちろんドームがある。表玄関が大きいので中庭からは見ることができない。
 現在、モスクの表玄関の高さは44m、往時は50mを超えていたという。
 外回りは修復されたけれど、モスク内部は放ったらかしだったようで、コンクリートむき出しといった感じである。もしかしてタイルなどの美観のみ修復され、補強工事はされていないんじゃないかと疑ってしまう。


大理石の本台 モスクの中庭にある、大理石の本台は有名だ。
 1401年にバグダッドを征服したティムールが持ち帰った古いコーランは2m×1mという大きさで、この本台の上に置かれ、そしてこの本台はもちろんモスクの中に置かれていた。そのコーランは今はタシケントの大学で展示されている。ちょっと見てみたい。


 しかし、この本台はそのコーランを載せたことで有名になっているのではない。この本台の足の間を3回周ると妊娠できるという言い伝えで有名である。あるいはまた、本台の周りを3周歩くと願いごとが叶うということでも有名だ。
 この辺りの逸話は、ビビハニム・モスクが、ティムール本人というよりはティムールの第一夫人の命令で作られたという話から生まれたものらしい。


 


 ティムールの第一夫人は、ティムールがインド遠征しているとき、サマルカンドで一番の建築家を呼んで世界で一番大きなモスクを建設するよう命じた。
 しかし、この建築家が夫人に惚れてしまったために建設は順調に進まなくなった。さらに建築家は、「キスしてくれれば、ティムールの凱旋前にモスクを完成させる。」と夫人に迫ったというから大胆だ。夫人は2個の玉子のように女性は誰も一緒だと言って女中を差し向けたけれど、建築家はワインの入ったコップと水の入ったコップを示してワインを飲めば喉を焼かれるけれど水を飲んでそうなることはないと反論した。
 夫人が仕方なく彼にキスしようとしたところ、建築家が逆に夫人の頬にキスして跡を残したというから始末が悪い。
 この二人、はっきり言ってどっちもどっちである。


 凱旋したティムールはモスクに驚き、夫人の頬を見て真相を知ってしまう。ティムールが建築家を殺そうとしたら、この建築家はミナレットから飛んで逃げたという。
 一方の夫人は、ティムールが支配者になれたのは彼女がチンギス・ハンの子孫という血筋の持ち主だったからなので、お咎めなしになった。
 ティムールも含めてこの3人、もはやどうでもいい気がする。


 この言い伝えのどうでも良さはともかく、我々ツアーメンバーの多くがこの本台の周りを回り、お二人が足もとをくぐった。私も周りを回ったけれど、何をお願いしたかはすっかり忘れ果ててしまった。
 回る方向は時計回りである。
 この本台の周りに、何だかもの凄くいい音のする鳥笛を売っているおじさんがいて、凄く気になった。


バザール ビビハニム・モスクを出てすぐのところにシャブ・バザールがあった。
 お手洗いを借り、屋根が付けられた生鮮市場っぽいところに突入した。野放しにしたら危険だと学習したらしいガイドさんから「30分」と時間を切られ、集合は入口のところと言われる。
 しかし、私たちはロシア語もウズベク語もしゃべれないし、市場で英語をしゃべる人は少ないので、買い物は全てガイドさん頼みだ。買いたい物があれば、ガイドさんにくっついていた方が効率的である。
 ガイドさんお勧めのナッツやドライフルーツをたくさん買いたいけれど、私のスーツケースはこの時点でスザニとコニャックで重量オーバー状態である。厳選せねばならない。


おかず売場ナッツ売りの少年


 おかず売場のお皿も美味しそうだし、ザクロを綺麗にカットして並べているお兄さんもいる。この「綺麗に並べる」「飾り切りをする」というのはどこの市場でもやっていて、なかなか見応えがある。
 ウズベキスタンではお買い物するときには基本的に試食オッケーだ。
 熟考の末、ウズベキスタンで買ったコニャックにドライフルーツを漬けナッツを入れてケーキを焼けるように、黄色い干しぶどう200g(3000スム)と殻付きのアーモンド300g(10000スム)を購入した。


ビビハニム・モスク 流石にバザールの喧噪は凄い。それほど混雑している訳ではないけれど、屋根があるので声が反響する。
 ちょっと一休みと思って外に出ると、目の前にビビハニム・モスクが見えた。しかも、どうしたって判らなかった建物の並びがこちらからだとよく判る。
 この写真を撮った時点で約束の30分はとっくに回っていた。しかし、まだまだお買い物は続いているようだ。ガイドさんを引っ張り回して一つずつ欲しいものを買って行くしかないのだから時間がかかるのも当たり前である。


ビビハニム・モスク全景 昼食のレストランに向けて歩いている途中、ふと振り返ると、ビビハニム・モスクの全景が見えた。これは写真に撮らなくてはと張り切る。
 大きいだけあって、近くで観光しているときよりも、少し離れてからの方がたくさん写真を撮った、不思議な観光場所となった。


 大きな通りに出ようというところで、学校帰りらしい、制服姿の少女たちと行き会った。
 レギスタン広場からビビハニム・モスクに至る道で学校を見かけたから、この辺りは文教地区なのかも知れない。
 あまりにも可愛い少女たちだったので、いきなり道ばたで写真を撮らせてもらった。
 ウズベキスタンの女性は美人揃いだ。


レストラン入口プロフ


 レストランでガイドさんに「プロフを食べますか?」と聞かれた。即答できなかったのは、この辺りで既に胃腸をやられる人が続出していたからだ。
 ウズベキスタンで料理に使われる綿実油が日本人に合わないらしい。しかし、どう考えてもプロフにはオイルがたっぷり使われているだろう。プロフは要するにピラフである。
 この後はブハラに向けて長い移動ということもあって逡巡する。しかし、ガイドさんから「プロフは夜には食べられません。」と言われ、チャレンジすることになった。


 ナン、グリーンサラダ、コールスローは定番である。茄子の薄切りにトマトを載せた前菜のような料理が加わり、そしてプロフが出てきた。大皿に盛られていて取り分けるようになっている。
 ガイドさんが真っ先に手を付けたのを見て、ツアーの女の子が「ねぇ、レディファーストって知ってる?」とツッコミを入れているのが可笑しかった。ガイドさんの返事は「知っています。」で、彼女がさらに「本当に〜?」と懐疑の気持ちをたっぷり表現しているのにガイドさんがどこ吹く風の様子で食べているのがさらに可笑しかった。


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2013.02.04

ウズベキスタン旅行記4日目その1

2011年9月20日(火曜日)

朝食 朝3時半くらいに目が覚めてしまった。何となくお腹の調子が良くない。昨夜冷えたせいかも知れない。
 6時半くらいには落ち着いた。普通にお腹も空いてきた。我ながら頑丈な胃腸である。
 7時半に朝食である。一応、控えめにした。朝食の席でお話ししたところ、みなさん、多かれ少なかれ不調があるらしい。何となく逆に安心する。

食堂中庭の縁台

 今日は午前中に観光し、午後、ブハラに向かう。このツアー中、唯一連泊したこのホテルともお別れである。
 お散歩兼観光に気軽に出かけにくい立地が難点だけれど、雰囲気のいいホテルで、居心地が良かった。
 中庭の縁台も、ずっとお昼寝をしていたい感じの気持ちのよい場所だった。

 朝食後、キャリーケースに荷物を詰めたら、大きなスザニと自分で模様を付けたナンを詰めても意外と余裕があった。重さは判らないけれど、容積としてはまだ大丈夫そうだ。
 9時頃、観光に出発した。
 昨日の午後は何チームかに分かれて行動したので、バスの中はその報告大会になる。
 レギスタン広場に行ったチームは、スーパーに寄ってもの凄い色をしたアイスクリームを食べたり、ホテルまでのタクシーで適正価格を目指して値段交渉をしたり、なかなかアクティブに楽しんだようだ。

 バスはサマルカンドの新市街を通って進む。新市街の公園なのにあっさり「19世紀に造られました。」という説明が入るところが凄い。プラタナスの並木もあって、なかなか涼しげである。比較的雲が多いためかも知れない。
 私たちが泊まったホテルの系列ホテルであるマリカ・プライムホテルを過ぎ、本日最初の観光場所であるグリ・アミール廟に到着した。

グリ・アミール廟 グリ・アミール廟は1404年に完成した、ティムールらが眠るお墓である。
 この中に、ティムールだけでなく、その子供達、孫達が埋葬されている。
 霊廟には、建物、中庭がある。左側のメドレセと、右側のハナカ(巡礼者のための宿)は、地震で崩れてしまって今はない。
 また、中庭は高さ10mの壁で囲まれ、ミナレットのような塔もあったらしい。今は開けた感じになっている。

 霊廟は高さが32mあり、ドームの高さは12m、直径が25mだ。相当に大きい。
 ミナレットは、遠目に幾何学的な模様で飾られているように見える。実は、アラビア語でコーランの詩が書かれ、装飾にもなっている。

 ティムールは、1402年にトルコを征服したものの、一番好きだった(とガイドさんは説明してくれたけれど、期待していた、というニュアンスだと思う)孫をその戦いで亡くし、このグリ・アムール廟を彼のために建設するよう命じている。
 ティムール本人は、シャフリサブスに埋葬されることを望んでいた。しかし、1405年に中国との戦いで亡くなった際、遺体はサマルカンドまで帰って来たものの、雪のためシャフリサブスに運ぶことができず、孫のために建設したグリ・アミール廟に一緒に埋葬されることになった。

表玄関 グリ・アミール廟の表玄関はモザイクで覆われている。
 モザイクには、15世紀の建造当時のものも60%くらい残っている。しかも、色の濃い、より美しいタイルが古いものだというから驚く。20世紀の始めに釉薬の技術が失われてしまい、今も取り戻すことができていない。何と勿体ない、惜しいことだろう。
 さらに、霊廟はたった10日間で造られたと説明され、口々に「この姿に?」「タイルの飾りも?」と質問が重なる。何人がかりで造ったのか尋ねると、1500人くらいと書かれている歴史書もあるという回答だった。本当だろうか。

中庭のタンク 中庭にはティムールが手足を清めるのに使っていたという水のタンクがある。
 戦の前にはこのタンクにざくろのジュースを絞り、戦の前後に兵士に配ることで戦死者の数を知り、戦死者を思い出すよすがとしていたという。ジュースがないときには小石を代わりに使ったと聞いて、「数」の問題だけなら小石の方が確実なんじゃないかと思った私は情緒に欠ける。
 いずれにしろ、戦意を鼓舞するための儀式だ。

霊廟内部 外から見た霊廟は、タイルの飾りが美しいものの、決して「絢爛豪華」という感じではない。
 しかし、一歩中に入れば金をふんだんに使った装飾が施されている。
 多分、この内部に入るところでカメラ代3000スムを払ったと思う。

 アーチやドームのおかげで内部はより広く感じられるようになっている。装飾は全て金箔が使われ、1930年代に色を入れ、金箔をさらに上から施したけれど、一部は当時のまま残してある。
 この左の写真の中央部に見える、凸型に金箔が光っていない部分がオリジナルの部分だ。
 修復には4kgの金箔が使われたらしい。

 アーチやドームには植物紋様が施され、下の方の壁にも幾何学的模様に見える文字でコーランの詩が書かれている。
 ガイドさんに「読む人が読めば読める?」と聞いたところ、昔の特殊な字体なので現在アラビア語ができる人でも読むことは難しいだろうという返事だった。

墓石 私の目には棺のように見えたこれらは墓石で、1427年に造られた大理石の塀で囲われている。それを命じたのはティムールだと説明されたけれど、年代が合わないような気もする。
 墓石は翡翠で造られている。当時、翡翠は相当に高いものだったらしい。
 真ん中にあるのがティムールの墓石である。

 お墓は地上と地下の2層になっていて、今見ているのが地上の層、地下の層では同じ配置で遺体が並んでいるという。過去にはお墓を開けて、顔の修復が行われたこともある。
 ティムールの父親や祖父はウズベク人だけれど、長くシャフリサブスで暮らしていたティムールは、タジク人のような顔をしていたという。

 ティムールの墓石には「この墓を開けたら流血の事態になる」と書いてある。実際、墓を開けようとした歴史家に、僧侶が忠告したこともあったらしい。
 結局、ティムールのお墓は、1941年6月21日午前4時に開けられた。そして、まさにその時期にドイツとロシアは戦争を始めたとガイドさんは言う。
 ティムールの遺体は1942年までロシアで研究され、発掘の様子を撮影したカメラマンはこの呪いの話をスターリンに伝えたというから、話の展開がデカイ。スターリンは、その後、ティムールの遺体を埋葬し直し、そのための費用として100万ルーブルを出したという。

霊廟内部 支配者は聖人のお墓の近くに霊廟を造ろうとするものだそうだ。ティムールも例外ではない。
 聖人オマール(と聞こえたけれど、発音が違っているかも知れない)という陶器師の庇護者である牧師のお墓がここにある。
 聖人のお墓の近くには柱が立てられ、馬の尻尾がその先端に付けられている。これは今も続いている習慣である。

1404年のドア 霊廟入口のドアは1404年の建造当時のものが残っている。
 木で造られ、そこにさらに金と陶器が象嵌されている。
 霊廟の中には、ティムールの宝も集められている。シャンデリア(重さ240kg!)もあると教えてもらったけれど、何故か他にどんなお宝が集められていたのかという点については話が続かなかった。

正面のアーチから 1時間弱で、グリ・アミール廟の見学を終了し、写真撮影タイムとなった。やはり、フォトジェニックである。
 写真を撮りまくっていると、旅行で来ていたらしいウズベキスタンの一家と一緒に写真を撮ってもらうことになった。
 ウズベキスタンの方々は、みな、人なつっこいし、写真にも快く応じてくれる。嬉しい。

 再びマイクロバスに乗り込むと、来るときは全く作動しなかった自動ドアが復活していた。ドライバーさんが直してくれたらしい。
 自動ドアに感動しているうちに割とすぐ、レギスタン広場に到着した。
 ガイドさんの説明を拝聴する。

 レギスタン広場はサマルカンドの中心である。
 15世紀に建造されたウルグベク・メドレセ、17世紀に建造されたティラカリ・メドレセ、シェルドル・メドレセという三つのメドレセに囲まれたサマルカンドの象徴のような広場だ。
 レギスタンとは「砂の場所」という意味だ。川の流れがなくなって砂だけが残ったことから、そう呼ばれるようになったらしい。
 サマルカンドは13世紀初めにモンゴル軍に破壊され、元の街の西の場所で建て直された。その中心がレギスタン広場である。
 中央アジアの人々は、サマルカンドの再建後、街の中心の広場のことを「レギスタン広場」と呼ぶようになったという。

 サマルカンドが14世紀半ばにティムール帝国の首都となった当時は、レギスタン広場は街の六つの目抜き通りが集まる市場だった。
 ティムールはこの場所で閲兵も行ったし、敵軍の兵士の首を槍の先につけて掲げたり、罪人の処刑を行ったりもしていた。
 随分と血なまぐさい広場である。

ウルグベク・メドレセ この場所に最初に建設されたメドレセは、ウルグベクの命により建てられたウルグベク・メドレセである。中央アジアの古典的な様式に従い、左側にモスク、右側に講堂が置かれている。
 ウルグベク・メドレセだけでなく、全てのメドレセには中庭があり、その周りに2階建ての学生寮が造られている。
 ウルグベク・メドレセは51m×81mの広さがある。
 ミナレットは、昔は55mの高さがあったけれど、地震等の被害で今は低くなってしまった。20世紀初めの2回の地震でドームも落ちてしまい、現在、そのドームは下の部分だけが修復されている。建造当時の姿は失われたままだ。
 メドレセの正面にはファサードが造られ、モザイクで飾られている。アーチの上に星模様が見られるのは、ウルグベクが優秀な天文学者だったからだ。

 当時の建物は、通常、表玄関だけが飾られていたが、ウルグベク・メドレセは、正面だけでなく全ての面が、釉薬がかけられたタイルで飾られている。タイルにはコーランが書かれている。
 1918年にミナレットがどんどん傾いていることが明らかになったとき、ミナレットを囲むようにあった古本屋さん達は、倒壊を防ごうと寄付をしたという。そのお金を元に、当初は木造のコルセットで応急処置され、次に、中央に木造のアンカーが造られ、24本のワイヤーでアンカーにくくりつけるようにして修復が行われた。
 さらに傾いても大丈夫なように、多少、傾く方向とは逆の方向に引っ張ってあるため、修復後の今も傾いて見える。
 1931年から始まった工事は、重機でミナレット自体を持ち上げて行われた。このような工事を行った例は、今に至るも世界中のどこにもない。

 ウルグベクの時代には、ウルグベク・メドレセには聖人のお墓があったため、その周りにハナカがあった。
 ウルグベク・メドレセに埋葬されていた聖人は、ハジスという、イスラム教でコーランに次いで重要とされているものを集めた人だ。
 時代が下ると、ハナカはキャラバン・サライとして使用されていたという。

 イスラムでは左右対称の建物はよくないとされているため、ウルグベク・メドレセと向かい合っているシェルドル・メドレセとは似ているけれど、同じではない。例えば、ウルグベク・メドレセには各面に玄関があるけれど、シェルドル・メドレセにはない。
 また、模様も左右対称ではない。
 しかし、サイズはほとんど同じだ。

シェルドル・メドレセ シェルドル・メドレセは、ウルグベク・メドレセが造られてから200年後、ハナカのあった場所に建てられた。シェルドルとは「ライオンの」という意味だ。
 イスラムでは生き物を描くことは禁止されているけれど、想像の生き物を描くことは許されているらしい。シェルドル・メドレセに描かれているものは、ライオンでも虎でもない、この世に存在していないものだ。
 ライオンや虎は支配者を表し、その後ろから太陽が出ている図案はやはり支配の意味があるらしい。
 こちらのメドレセもコーランの詩で飾られている点は同じである。

 広場の正面に当たる位置にあるティラカリ・メドレセも、シェルドル・メドレセと同時期に同じ支配者の命によって建設された。ティラカリとは「金」という意味である。
 このメドレセは、17世紀に崩れてしまったビビハニム・モスクの代わりのモスクとしても機能していた。
 ドームの下にモスクがあり、その内装にはふんだんに金が使われている。モスクがそんなにも金ピカでいいのかと思う。

はりぼてのおじさん 「今はウルグベク・メドレセの各部屋にはお土産物屋さんが入っているのでお買い物ができます。」という台詞で説明が終わったのが可笑しい。
 まず、ウルグベク・メドレセに向かった。
 希望者は、ミナレットに上り、残った私たちはお土産物屋さんを覗いて歩いたり、写真撮影タイムにしたり、のんびりしていた。

ティラカリメドレセ

シェルドルメドレセウルグベクメドレセ

 それぞれのアーチ上の意匠をアップで撮ろうとうろうろしていたら、3人くらいのおまわりさんから「ミナレット?」と聞かれた。サマルカンドの見晴らしがとてもいいのだと(英語で)誘ってくる。
 いいお小遣い稼ぎになっているのだろう。
 日本語で「もう上った。」と答えた。多分、ちゃんと通じていた、と思う。

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2013.02.02

「その国の旅を終えて100の質問(ホンジュラス編)」に答える

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 「その国の旅を終えて100の質問」は 旅して~世界206ヶ国&旅と暮らし からいただきました。
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tabibanner.gif

1.ハンドルネーム、性別、星座、血液型をどうぞ。
 姫林檎 女 さそり座 A型

2.行った国はどこですか?
 ホンジュラス

3.日程(年月日)と日数を教えて下さい。
 2012年12月20日〜21日 2日間
 (ツアー自体は、2012年12月15日から24日までの10日間)

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