吉野山旅行記1日目
2013年4月14日(日曜日)
朝4時半起きは辛い。
母と朝食を食べ、最後の最後に「お守り代わり」に折りたたみ傘を荷物に突っ込んで、6時過ぎの始発バスに間に合うように家を出る。
久々にデジイチを持ち出したので重い。しかも、これまた最後の最後にコンデジも荷物に突っ込んだのでさらに重い。
7時20分くらいに品川駅に到着し、SUICAの清算が面倒くさいような気がしたので一旦改札から出て、入場券を買って新幹線改札口から入り直した。歩く距離は変わらないかも知れないけれど、人が少ない分、東京駅よりも乗換えが楽な気がする。
7時40分発の新幹線に乗り込んで指定された座席に着くと、添乗員さんがいらした。今回のツアー参加者は37名である。その車両はほとんどツアー客で占めていたようで、黒いパンツスーツを制服のように着こなした添乗員さんが何人か行ったり来たりしていた。
名古屋に近づくにつれてどんどん雲が多くなって行くような気がする。
お隣の席からは「今朝の天気予報では、奈良県の今日の天気は晴れ後雨だった。」なんていう声も聞こえてくる。母が一喜一憂しているので、雨女の自覚著しい私は「私と一緒なんだから、天気は諦めて。」と言っておく。
それでも、富士山がこれだけ見えたから、私にしては上出来だ。
名古屋駅に9時19分に到着し、総勢37人はとりあえず近鉄特急の改札口を目指した。そこで集合場所と集合時間を確認し、一度、解散となる。
お昼ごはんのお弁当を旅行社に頼んでいなかったので、買いに行った。少しだけ迷って、母はだるまの抹茶ひつまぶし日本一弁当、私はだるまのみそかつヒレ重を選んだ。二つで2200円くらいだ。
再集合の10時20分までどうすればいいのか、デパートも開いていないし、名古屋駅構内はほとんどベンチがなく座っていることもできない。今から思えば30分以上あったのだから、カフェにでも入ってしまえばよかったと思う。
その代わり、「こころにあまい あんぱん屋」でさくらアンパンとヨモギアンパンを購入した。
10時20分にホームに行くと、賢島行きの特急が停まっていた。席も横3列で余裕があり、車高も高く、新しく、格好いいし快適そうだ。確か、伊勢神宮の遷宮に合わせて新たに導入した車両だったように思う。
しかし、残念ながら私たちが乗車したのは、大阪行きのアーバンライナーで、ごく普通の車両である。
朝が早かったから、10時30分に発車したときにはすでにお腹が空いていた。周りの方も食べ始めたのにつられて、早めのお昼をいただく。
みそかつは多分初めて食べたと思う。からめた温泉玉子でマイルドになり、美味しかった。でも、やはり、揚げ物は揚げたてを食べたい。
正午少し前に名張駅に到着した。
ここで観光バスに乗り換え、長谷寺に向かう。長谷寺といえば牡丹だけれど、残念ながら牡丹の時期には早く、桜はもうほとんど散ってしまっている。
長谷寺は、徳道上人が聖武天皇の勅願によってご本尊をお祀りになったことから始まっている。この徳道上人は西国三十三所観音霊場を開かれた方で、だから長谷寺がその根本道場と呼ばれているという。
13時から14時半まで90分の自由時間を利用し、息を切らせて登廊を上る。何しろ399段である。
上がったところで、ご朱印をいただいた。御朱印は3種類あり、「観音様のものでよろしいですね」と言われたので、思わず釣られて「はい」と答える。
本堂でまず普通にお参りした後、特別拝観料1000円を払ってご本尊を拝んだ。入口で、お守りのような紐を手首に結んでもらって入る。
ご本尊は、重要文化財となっている十一面観世音菩薩だ。高さ10m余りで、右手に錫杖と数珠を持ち、平らな石の上に建つのは珍しいらしい。全国の長谷観音像の根本像であるそうだ。
普通にお参りしたときでも、腰から上くらいはちゃんと拝むことができる。そして、特別拝観は、観音様の足元に行き、足だけは触ってというか撫でてお願いごとをしてよいことになっている、らしい。左足だけ黒光りしていた。
長谷寺の本堂は平成16年に国宝に指定されている。何度も焼失し、現存の建物は徳川家光の寄進により建立されている。
斜面に建てられており、その前面に清水の舞台とまでは行かないまでも、かなり立派な舞台がある。
風が吹き抜けて、舞台からの眺めが気持ちいい。桜の時期であればさぞや、という風景である。しばらくぼんやり休憩していたら、そのうち10人くらいのグループが現れて真言を唱え始めた。長谷寺は西国三十三所観音霊場の第八番札所だから、お遍路の方々だったのかも知れない。少しだけ、厳粛な気持ちになった。
順路沿いに、ときどき、しだれ桜が花を残していた。残っているお花もかなり白くなっていて、やはり終わりかけである。、
途中、品揃え豊富な御札授与所があり、母が吸い込まれるように入って行った。出発前から「お土産(というのもどうかと思う)はお線香」と言っていた。その言葉どおりにお線香を購入し、また干支をモチーフにした起き上がりこぼしのような木のお人形に目を留め「お父さんにどう?」「だったら兎でしょう。」と、兎の人形も併せて購入した。
母の買い物に釣られ、私もご本尊が持っている数珠を模したというストラップを購入した。
母は何年か前に長谷寺に来たことがあり、そのときはこの門を見て階段を上ったことしか覚えていないと言う。
せっかくなので門前町もうろうろしたい。けれど、たっぷりあった筈の時間がギリギリになっている。
ここは、「門前町で焼きくさ餅を食べる」というのも今回の旅の目標の一つだし、目の前にあった総本舗 白酒屋の店先で焼かれていたくさ餅(一つ100円)を二つ購入した。焼き目がついてぱりぱり、くさ餅もほうれん草ではない本物の蓬の香りがして、美味しかった。
長谷寺を後にし、吉野山に一直線に向かった。
もう中千本・下千本は葉桜になってしまっている割に車の列が凄い。日曜日の午後だし、特に帰りの車が大渋滞だ。吉野川には観光バスが渡れる吉野山に通じる橋が1本しかないこと、その先の道も狭く交互通行せざるを得ない場所があることから、帰りの道が混むと行きの道も混むことになる。
吉野川を渡ったのは15時30分過ぎで、渡った後、車の動きがピタッと止まってしまった。ほとんど動かない。吉野駅の横を通過し、ロープウエーを横目に眺め、「あともう少しで中千本にあるバス操車場」という場所に着く頃には16時30分近くなっていた。
バス操車場の前に短いトンネルがあって、しかも片側交互通行をしなくてはならないくらい狭い。
操車場も決して広いわけではなく、1台が入って、お客さんを乗せるか降ろすかし、出てくるまで次の1台は入ることができない。結果、大渋滞である。
添乗員さんが「荷物は、宿坊の方が車で運んでくださるそうなので歩きましょう。」とおっしゃって、そこでバスを降り、操車場脇の崖につけられた急な階段を上り、そこから5分くらいのところにある今夜の宿、宿坊の喜蔵院へ向かった。
部屋割りは既に終わっていて、鍵をもらって案内してもらう。私たちの部屋は201号で、玄関を入った目の前にあるけれど、何故か鍵がない。ほとんどの方が案内されていなくなったところでお聞きしたところ、「201号室は鍵はありません。お部屋はそこです。」と言われた。
ふすまを開けるとそこは畳のお部屋、その奥にふすまを隔ててもう一室あり、その先は板張りの廊下である。混雑しているときは、手前の部屋と奥の部屋と別々に使って客を泊めることもあるのだろう。喜蔵院は吉野山で唯一ユースホステルの指定も受けている。
お部屋にお茶セットもあったし、タオルや歯磨きセット、浴衣に丹前が用意され、浴室の前にはバスタオルが用意されていた。
鍵がない、お隣とはふすま一枚(正確には、畳敷きの廊下があってその先にもう一枚ふすまがある)隔てているだけというのは落ち着かず、声も全く筒抜けだ。お部屋自体も決して綺麗とはいえない。
でも、その廊下からの眺めがとにかく気持ちよかった。ガラス戸が開かないのが惜しい。中千本の景色一望である。
「これで桜が咲いていれば」と思う。吉野山の桜は葉っぱが赤いし、ガクはかなり残っているので、花が落ちていてもカラフルではある。
お茶を入れて一休みしてからお散歩に出かけた。
17時を過ぎており、吉水神社も閉まりかけているし、蔵王堂も参拝はできない。吉水神社の一目千本から、またしても「桜が咲いていれば」という景色を少しだけ眺め、蔵王堂では少しばかり強引にご朱印をいただく。
門前町といえばいいのか、蔵王堂に向かう道筋には、吉野葛や奈良漬、柿の葉寿司など私でも知っている名物を扱うお店が並んでいてそぞろ歩きも楽しい。
吉水神社は、醍醐天皇、源義経、豊臣秀吉縁の場所らしく、縁の品も残っているようで、母と明日来ようと言い合った。
夕食は18時からである。
お魚もあるし、お鍋には肉団子も入っていたし、いわゆる「精進料理」ではない。何というか、普通に美味しいごはんである。
このお膳にあとお汁がついて、最後には羊羹と麩饅頭のデザートが供された。
お食事の後半くらいから、ご住職のお話があった。法話というようなカタイお話ではない。
ご住職のつけている日誌によると、2012年の今日は中千本は満開、上千本が五分咲きというところだったらしい。ご住職曰く「あぁ、それなのに、それなのに。」とまさにその通りで、思わずツアーメンバーも揃って苦笑するしかない。
吉野の歴史は意外と古くないといえばいいのか、実は万葉集に吉野は出てこないという。吉野が有名になったのは西行法師が「願わくば」の歌を詠んでからだという。
その吉野の桜は、2011年には30000本、24年に2000本を新たに植え、今は32000本になっているでしょうという。2011年の30000本は誰が数えたのかといえば、麓にある高校の生徒さんたちが全校総出で数えたそうだ。もの凄く大変そうである。
吉野にこれだけ桜が多いのは、役の行者が発見した蔵王権現の元の姿は桜だったと伝わっていることなどから、桜を寄進する人が途絶えなかったためだ。
吉野の桜はシロヤマザクラが多い。シロヤマザクラはソメイヨシノとは違って、花と葉が同時に出る。そして、その葉は赤っぽいというか茶色っぽい。だからこそ、桜の終わったお山を見て「紅葉だ。」などと冗談を言い合うことになる。
ご住職曰く「ソメイヨシノよりも趣がある。」「余韻がある。」とのことだった。
京都御所の左近の桜も吉野から運んだというお話で、だとすると、あの桜はソメイヨシノではないことにある。ちょっと意外だった。
食事が終わっても、まだ19時過ぎである。お部屋に戻るとお布団が敷いてあった。
桜が咲いていないしとは思いつつ、腹ごなしも兼ねて散歩に出かけた。母は「桜も咲いていないからいいわ。」と部屋でごろごろする心積もりらしい。
八重桜が咲いていて、ライトアップなのか単なる街灯なのか、微妙な感じで照らされていた様子にカメラを向ける。
宿坊の部屋からも五重塔らしき建物がグリーンにライトアップされていたのが見えており、そちらに向かって歩く。しかし、どんどん暗い山道風になり、街灯もなくなってしまったところで流石に諦めた。懐中電灯を持っていたら行ったかどうか、微妙なところである。
ちらほら開いているお店があったことに力を得て、再び、蔵王堂に向かった。蔵王堂の前には桜の木が植えられており、またしても「咲いていればさぞや」と思うが、残念ながら完全な葉桜だ。
蔵王堂がライトアップされていた。
先ほど見えた五重塔(らしき建物)がグリーンだったのと対照的に、自然色といえばいいのか、茶色っぽい感じに見せている。
意外なくらい暖かく、1時間くらいお散歩した。
散歩から戻って女湯を覗くと、スリッパが二つだけあった。空いている。チャンスだ。
部屋に戻って母を急かし、お風呂に向かった。行ってみるとちょうど入れ替わるタイミングで、ガランが六つある広さのお風呂を二人で独占できた。ラッキーである。
長谷寺の階段と、喜蔵院に上がってくる階段と坂道とで、すでにふくらはぎは筋肉痛の予感がしている。丁寧にマッサージした。
天気予報を見ると、明日の最高気温は今日よりも高く、雨は大丈夫そうだ。そういえば、今日も結局、雨に降られずに済んでいる。雨女の私としては上々だ。
テレビでフィギュアスケートの国別対抗戦エキシビションを見ていても、音が気になる。
朝早かったこともあり、母の携帯電話で目覚ましを6時にセットしてもらい、早々にお布団に入った。
-> 吉野山旅行記2日目その1
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