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2013.04.07

ウズベキスタン旅行記7・8日目その2

2011年9月23日(金曜日)


 14時過ぎに木彫工房を出発した。
 もう後はタシケントに戻って、夕食を食べて、出国するだけだ。非常に寂しい。
 そして、疲れも溜まっている。どうやらうとうとしていた時間が長かったらしい。2時間くらい走り、道ばたに湧き水があって露店が並んでいるところで車が駐まったときには、どうして停まったのかよく判らなかった。
 そういえば、少し前にドライバーさんが携帯電話でやりとりしていたような気がする。


 停まったので車を降り、露店をひやかす。流石に湧き水を飲んでみるのは冒険過ぎるだろう。
 しかし、ガイドさんが乗った車が来ない。そういえば、このすぐ前に通り抜けたトンネルのところでガイドさんが乗った車が停まっているのを見たように思う。
 日本語を話せるのはガイドさんだけだし、私たちは誰もウズベク語もロシア語もしゃべれないので、ドライバーさん達と意思疎通することができない。とにかく、ここでは写真を撮ってはいけないということだけは判った。


 そのうちドライバーさんに「車に乗って」と身振り手振りで促され、今度は10分くらい走ったところで降ろされた。
 景色はいい。
 全く自信はないけれど、この辺りは恐らく、3ヶ国の国境が集まっている筈だ。
 「どうしてここに移動したんでしょうね?」とツアーの方にお聞きしてみたら、「さっきの場所だと写真を撮れないからみたいだよ。」というお返事だ。


 状況が判らないまま放っておかれるというのは、帰国日ということもあるし、心配なものである。
 ツアーの方々がみなさん落ち着いていらしたのが有り難い。
 何となく集まって、ガイドさんが乗った車には、ツアー中、体調を崩された方が乗っていらしたので、具合が悪くなっちゃったのかな等と話していた。
 いざとなったらドライバーさんの誰かにガイドさんに電話かけてもらって状況確認しようなどと思っていた私はとことん落ち着きがない。


 30分くらいでガイドさんが乗った車が追いついて来て、そのまま出発した。
 そこから1時間ほど走った次のお手洗い休憩のときに事情が判明した。
 ツアーメンバーの方がトンネルを抜けているときに何の気なしに写真を撮ってしまい、それを見とがめられたという。普通のトンネルに見えたその場所は、実は検問だったそうだ。
 事務所のようなところに行き、ガイドさんから全く悪意はなかったのだということを釈明し、簡単な書類を作成しただけで事なきを得たという。
 ガイドさんが同乗していてよかった。不幸中の幸いである。


 何でも、トンネルの入口に、自動で写真撮影が行われたかどうかチェックできる機械が設置されているそうだ。
 私など、今日は疲れていたから写真を撮ろうという気力もなかっただけで、昨日逆方向に進んでいたときはトンネル内で動画まで撮っていたくらいだ。誰にも起こり得ることなのに、1号車に乗っていたツアーメンバーの方は謝罪までしてくださって、何てきちんとしているんだろう、自分に同じことができるだろうかと反省した。逆に申し訳ないくらいだった。


 ここは(と言ってもどこだかは判らない訳だけれど)、お手洗いの数が少なく、また二つあるうち片方は扉がなくて片方は水が流れないという状況で、ドライバーさん達に「タシケント! タシケント!」と促されるくらい時間がかかってしまった。
 飛行機の時間があるから、彼らも多少焦っていたのだろうと思う。


 このツアーではお手洗いの話題には事欠かなかった。
 この期に及んでも、止瀉薬の話や、出発前に整腸剤を飲んだら湿疹が出た話、とにかくお手洗い休憩の間隔が最重要情報である話など、車内の話題が集中した。
 しかし、そう考えると、エジプトに行ったときもモンゴルに行ったときも、整腸剤も飲まず止瀉薬も持たずに出かけた私が、今回に限って飲んで持っていたのは、我ながら勘のいいことだ。


夕景 段々と陽も落ちて来る。
 17時40分くらいに、昨日も通った工場の側にさしかかった。何というか、無骨な建物だけれど、もう帰国だというセンチメンタルな気分と、オレンジ色になりつつある太陽と、その二つの条件が揃うと何故かもの悲しくみえるのが不思議である。
 この工場が何の工場だったのか、未だに判っていない。
 でも、いい夕陽だった。


 21時タシケント発の大韓航空に乗るので、これは夕食は空港でということになるかなと思っていたら、ドライバーさん達のテクニックとガイドさんの執念で、18時30分過ぎにタシケントのBEKというレストランに入れた。
 どこかで聞いたような名前のレストランである。


夕食 屋外のテーブルに陣取る。流石にメインディッシュは時間がかかるので難しいという話で、前菜のサラダとナン、チキンのスープをいただいた。このスープはさっぱりして香草の香りがして美味しかった。
 夕食の席で、ガイドさんからウズベキスタンっぽいおじさんのマグネットをいただいたのに、その後、どう探しても私のバッグから出てこなかった。どうやら呆けていてレストランに忘れてきてしまったらしい。後になってかなり悔やんだ。


 夕食の席でガイドさんに再両替をお願いした。
 ウズベキスタン到着時に「再両替可能なので多めにスムに両替しておいても大丈夫。」とガイドさんが言ったので安心していたら、何だかややこしいことになった。9000スムが5ドルという計算で、足りない分を1ドル札で足そうとすると「1ドル札はほとんど流通していません。」と受け取ってくれない。
 再両替できずに損をするだけなら諦めもするけれど、スムの海外持出は禁止という情報を事前に旅行社からもらっていたので、こちらも必死だ。


 でも、ガイドさんに「余ったスムは空港でお菓子などを買ってください。」とも言われたし、実際は、私みたいに鬼の形相で必死になる必要はなかったようだ。
 レストランの支払いも再両替も済ませたガイドさんが、お財布代わりにしていた鞄を引っ繰り返して空っぽになったことを示し、「この鞄も、お財布から鞄に戻りました。」と言ったのが可笑しかった。


 19時半前にレストランを出て、空港までは車で15分だった。近い。
 車を降りたところで、ガイドさんに「私はこの先には行けません。」とあっさり言われ、ツアーメンバーは全員が戦いた。まさかここでそんなうっちゃりが来ようとは誰も予測していない。
 空港ビル内にガイドさんが入ることは禁じられているらしい。航空券を渡され、「個別にチェックインしてください。」と言われる。
 何とも慌ただしくガイドさんと別れ、キャリーケースを持って空港ビル手前に立ちはだかる階段を上がった。


 空港ビルに入ったところで、できるだけこっそりとバザールでもらった果物をキャリーケースにしまい、チェックインに向かう。
 重量チェックのときは戦々恐々だった。昨夜ホテルで必要なくなったものを捨てたこともあって、17.6kgだった。スザニを3枚買って出発時よりプラス800gは上出来だ。


 出国審査やセキュリティチェックはそれなりに列ができている。空港到着が離陸の1時間前だから余裕は全くない。
 セキュリティチェック後、全力疾走とは言わないまでも走る羽目になった。
 機内に入って席に着いたのは離陸予定である21時のほんの少し前である。その後も人が乗ってきて、離陸したのは21時20分くらいだったけれど、飛行機が遅れなければ間に合っていないタイミングなのではなかろうか。
 空港でお菓子を買っている暇などなく手元にスムが残っていたものの、外貨持ち出しの検査は全く一切行われず、あれだけ焦った私って一体・・・、と思う。


 22時30分くらいに出た機内食は食欲がなかったのでパスし、ひたすら爆睡した。
 その後、サンドイッチなどの軽食を配ったり、韓国の入国カードを配ったりしていたらしいけれど、全く気がつかず、着陸45分前まで寝てしまった。


 


2013年9月24日(土曜日)


 KE954便が何時に仁川空港に到着したのかは覚えていない。
 あとは成田空港行きのゲートに行くだけ、という状況になったのは現地時間の8時だった。
 成田に向かうKE701便は9時10分発予定である。
 職場で配るお土産をウズベキスタンで買いそびれてしまったので、仁川空港でチョコレートを購入した。ツアーの方が「女の子にお土産。」とシートパックを大量購入しているのを見て、私も真似する。
 仁川空港で外貨寄付を受け付ける箱を発見し、みんなで次々とスムを寄付した。


 セントレアからいらした方もいたので、全員が揃うのは仁川空港が最後である。
 住所とメアドを交換し、もの凄く名残惜しくお別れする。
 KE701便は定刻に出発し、お腹以外は無事に成田空港に到着した。


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