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2013.04.27

吉野山旅行記1日目

2013年4月14日(日曜日)


 朝4時半起きは辛い。
 母と朝食を食べ、最後の最後に「お守り代わり」に折りたたみ傘を荷物に突っ込んで、6時過ぎの始発バスに間に合うように家を出る。
 久々にデジイチを持ち出したので重い。しかも、これまた最後の最後にコンデジも荷物に突っ込んだのでさらに重い。


 7時20分くらいに品川駅に到着し、SUICAの清算が面倒くさいような気がしたので一旦改札から出て、入場券を買って新幹線改札口から入り直した。歩く距離は変わらないかも知れないけれど、人が少ない分、東京駅よりも乗換えが楽な気がする。
 7時40分発の新幹線に乗り込んで指定された座席に着くと、添乗員さんがいらした。今回のツアー参加者は37名である。その車両はほとんどツアー客で占めていたようで、黒いパンツスーツを制服のように着こなした添乗員さんが何人か行ったり来たりしていた。


富士山 名古屋に近づくにつれてどんどん雲が多くなって行くような気がする。
 お隣の席からは「今朝の天気予報では、奈良県の今日の天気は晴れ後雨だった。」なんていう声も聞こえてくる。母が一喜一憂しているので、雨女の自覚著しい私は「私と一緒なんだから、天気は諦めて。」と言っておく。
 それでも、富士山がこれだけ見えたから、私にしては上出来だ。


 名古屋駅に9時19分に到着し、総勢37人はとりあえず近鉄特急の改札口を目指した。そこで集合場所と集合時間を確認し、一度、解散となる。
 お昼ごはんのお弁当を旅行社に頼んでいなかったので、買いに行った。少しだけ迷って、母はだるまの抹茶ひつまぶし日本一弁当、私はだるまのみそかつヒレ重を選んだ。二つで2200円くらいだ。


 再集合の10時20分までどうすればいいのか、デパートも開いていないし、名古屋駅構内はほとんどベンチがなく座っていることもできない。今から思えば30分以上あったのだから、カフェにでも入ってしまえばよかったと思う。
 その代わり、「こころにあまい あんぱん屋」でさくらアンパンとヨモギアンパンを購入した。


しまかぜ 10時20分にホームに行くと、賢島行きの特急が停まっていた。席も横3列で余裕があり、車高も高く、新しく、格好いいし快適そうだ。確か、伊勢神宮の遷宮に合わせて新たに導入した車両だったように思う。
 しかし、残念ながら私たちが乗車したのは、大阪行きのアーバンライナーで、ごく普通の車両である。
 朝が早かったから、10時30分に発車したときにはすでにお腹が空いていた。周りの方も食べ始めたのにつられて、早めのお昼をいただく。
 みそかつは多分初めて食べたと思う。からめた温泉玉子でマイルドになり、美味しかった。でも、やはり、揚げ物は揚げたてを食べたい。


みそかつ弁当ひつまぶし


登廊長谷寺の桜 正午少し前に名張駅に到着した。
 ここで観光バスに乗り換え、長谷寺に向かう。長谷寺といえば牡丹だけれど、残念ながら牡丹の時期には早く、桜はもうほとんど散ってしまっている。
 長谷寺は、徳道上人が聖武天皇の勅願によってご本尊をお祀りになったことから始まっている。この徳道上人は西国三十三所観音霊場を開かれた方で、だから長谷寺がその根本道場と呼ばれているという。
 13時から14時半まで90分の自由時間を利用し、息を切らせて登廊を上る。何しろ399段である。
 上がったところで、ご朱印をいただいた。御朱印は3種類あり、「観音様のものでよろしいですね」と言われたので、思わず釣られて「はい」と答える。


ご本尊 本堂でまず普通にお参りした後、特別拝観料1000円を払ってご本尊を拝んだ。入口で、お守りのような紐を手首に結んでもらって入る。
 ご本尊は、重要文化財となっている十一面観世音菩薩だ。高さ10m余りで、右手に錫杖と数珠を持ち、平らな石の上に建つのは珍しいらしい。全国の長谷観音像の根本像であるそうだ。
 普通にお参りしたときでも、腰から上くらいはちゃんと拝むことができる。そして、特別拝観は、観音様の足元に行き、足だけは触ってというか撫でてお願いごとをしてよいことになっている、らしい。左足だけ黒光りしていた。


本堂 長谷寺の本堂は平成16年に国宝に指定されている。何度も焼失し、現存の建物は徳川家光の寄進により建立されている。
 斜面に建てられており、その前面に清水の舞台とまでは行かないまでも、かなり立派な舞台がある。
 風が吹き抜けて、舞台からの眺めが気持ちいい。桜の時期であればさぞや、という風景である。しばらくぼんやり休憩していたら、そのうち10人くらいのグループが現れて真言を唱え始めた。長谷寺は西国三十三所観音霊場の第八番札所だから、お遍路の方々だったのかも知れない。少しだけ、厳粛な気持ちになった。


お坊さん 順路沿いに、ときどき、しだれ桜が花を残していた。残っているお花もかなり白くなっていて、やはり終わりかけである。、
 途中、品揃え豊富な御札授与所があり、母が吸い込まれるように入って行った。出発前から「お土産(というのもどうかと思う)はお線香」と言っていた。その言葉どおりにお線香を購入し、また干支をモチーフにした起き上がりこぼしのような木のお人形に目を留め「お父さんにどう?」「だったら兎でしょう。」と、兎の人形も併せて購入した。
 母の買い物に釣られ、私もご本尊が持っている数珠を模したというストラップを購入した。


門前町に続く門 母は何年か前に長谷寺に来たことがあり、そのときはこの門を見て階段を上ったことしか覚えていないと言う。
 せっかくなので門前町もうろうろしたい。けれど、たっぷりあった筈の時間がギリギリになっている。
 ここは、「門前町で焼きくさ餅を食べる」というのも今回の旅の目標の一つだし、目の前にあった総本舗 白酒屋の店先で焼かれていたくさ餅(一つ100円)を二つ購入した。焼き目がついてぱりぱり、くさ餅もほうれん草ではない本物の蓬の香りがして、美味しかった。


吉野川 長谷寺を後にし、吉野山に一直線に向かった。
 もう中千本・下千本は葉桜になってしまっている割に車の列が凄い。日曜日の午後だし、特に帰りの車が大渋滞だ。吉野川には観光バスが渡れる吉野山に通じる橋が1本しかないこと、その先の道も狭く交互通行せざるを得ない場所があることから、帰りの道が混むと行きの道も混むことになる。
 吉野川を渡ったのは15時30分過ぎで、渡った後、車の動きがピタッと止まってしまった。ほとんど動かない。吉野駅の横を通過し、ロープウエーを横目に眺め、「あともう少しで中千本にあるバス操車場」という場所に着く頃には16時30分近くなっていた。


 バス操車場の前に短いトンネルがあって、しかも片側交互通行をしなくてはならないくらい狭い。
 操車場も決して広いわけではなく、1台が入って、お客さんを乗せるか降ろすかし、出てくるまで次の1台は入ることができない。結果、大渋滞である。
 添乗員さんが「荷物は、宿坊の方が車で運んでくださるそうなので歩きましょう。」とおっしゃって、そこでバスを降り、操車場脇の崖につけられた急な階段を上り、そこから5分くらいのところにある今夜の宿、宿坊の喜蔵院へ向かった。


 部屋割りは既に終わっていて、鍵をもらって案内してもらう。私たちの部屋は201号で、玄関を入った目の前にあるけれど、何故か鍵がない。ほとんどの方が案内されていなくなったところでお聞きしたところ、「201号室は鍵はありません。お部屋はそこです。」と言われた。
 ふすまを開けるとそこは畳のお部屋、その奥にふすまを隔ててもう一室あり、その先は板張りの廊下である。混雑しているときは、手前の部屋と奥の部屋と別々に使って客を泊めることもあるのだろう。喜蔵院は吉野山で唯一ユースホステルの指定も受けている。
 お部屋にお茶セットもあったし、タオルや歯磨きセット、浴衣に丹前が用意され、浴室の前にはバスタオルが用意されていた。


喜蔵院からの眺め


 鍵がない、お隣とはふすま一枚(正確には、畳敷きの廊下があってその先にもう一枚ふすまがある)隔てているだけというのは落ち着かず、声も全く筒抜けだ。お部屋自体も決して綺麗とはいえない。
 でも、その廊下からの眺めがとにかく気持ちよかった。ガラス戸が開かないのが惜しい。中千本の景色一望である。
 「これで桜が咲いていれば」と思う。吉野山の桜は葉っぱが赤いし、ガクはかなり残っているので、花が落ちていてもカラフルではある。
 お茶を入れて一休みしてからお散歩に出かけた。


一目千本より 17時を過ぎており、吉水神社も閉まりかけているし、蔵王堂も参拝はできない。吉水神社の一目千本から、またしても「桜が咲いていれば」という景色を少しだけ眺め、蔵王堂では少しばかり強引にご朱印をいただく。
 門前町といえばいいのか、蔵王堂に向かう道筋には、吉野葛や奈良漬、柿の葉寿司など私でも知っている名物を扱うお店が並んでいてそぞろ歩きも楽しい。
 吉水神社は、醍醐天皇、源義経、豊臣秀吉縁の場所らしく、縁の品も残っているようで、母と明日来ようと言い合った。


夕食 夕食は18時からである。
 お魚もあるし、お鍋には肉団子も入っていたし、いわゆる「精進料理」ではない。何というか、普通に美味しいごはんである。
 このお膳にあとお汁がついて、最後には羊羹と麩饅頭のデザートが供された。


 お食事の後半くらいから、ご住職のお話があった。法話というようなカタイお話ではない。
 ご住職のつけている日誌によると、2012年の今日は中千本は満開、上千本が五分咲きというところだったらしい。ご住職曰く「あぁ、それなのに、それなのに。」とまさにその通りで、思わずツアーメンバーも揃って苦笑するしかない。


 吉野の歴史は意外と古くないといえばいいのか、実は万葉集に吉野は出てこないという。吉野が有名になったのは西行法師が「願わくば」の歌を詠んでからだという。
 その吉野の桜は、2011年には30000本、24年に2000本を新たに植え、今は32000本になっているでしょうという。2011年の30000本は誰が数えたのかといえば、麓にある高校の生徒さんたちが全校総出で数えたそうだ。もの凄く大変そうである。
 吉野にこれだけ桜が多いのは、役の行者が発見した蔵王権現の元の姿は桜だったと伝わっていることなどから、桜を寄進する人が途絶えなかったためだ。


 吉野の桜はシロヤマザクラが多い。シロヤマザクラはソメイヨシノとは違って、花と葉が同時に出る。そして、その葉は赤っぽいというか茶色っぽい。だからこそ、桜の終わったお山を見て「紅葉だ。」などと冗談を言い合うことになる。
 ご住職曰く「ソメイヨシノよりも趣がある。」「余韻がある。」とのことだった。
 京都御所の左近の桜も吉野から運んだというお話で、だとすると、あの桜はソメイヨシノではないことにある。ちょっと意外だった。


如意輪寺 食事が終わっても、まだ19時過ぎである。お部屋に戻るとお布団が敷いてあった。
 桜が咲いていないしとは思いつつ、腹ごなしも兼ねて散歩に出かけた。母は「桜も咲いていないからいいわ。」と部屋でごろごろする心積もりらしい。


 八重桜が咲いていて、ライトアップなのか単なる街灯なのか、微妙な感じで照らされていた様子にカメラを向ける。
 宿坊の部屋からも五重塔らしき建物がグリーンにライトアップされていたのが見えており、そちらに向かって歩く。しかし、どんどん暗い山道風になり、街灯もなくなってしまったところで流石に諦めた。懐中電灯を持っていたら行ったかどうか、微妙なところである。


蔵王堂 ちらほら開いているお店があったことに力を得て、再び、蔵王堂に向かった。蔵王堂の前には桜の木が植えられており、またしても「咲いていればさぞや」と思うが、残念ながら完全な葉桜だ。
 蔵王堂がライトアップされていた。
 先ほど見えた五重塔(らしき建物)がグリーンだったのと対照的に、自然色といえばいいのか、茶色っぽい感じに見せている。
 意外なくらい暖かく、1時間くらいお散歩した。


宿坊のお風呂 散歩から戻って女湯を覗くと、スリッパが二つだけあった。空いている。チャンスだ。
 部屋に戻って母を急かし、お風呂に向かった。行ってみるとちょうど入れ替わるタイミングで、ガランが六つある広さのお風呂を二人で独占できた。ラッキーである。
 長谷寺の階段と、喜蔵院に上がってくる階段と坂道とで、すでにふくらはぎは筋肉痛の予感がしている。丁寧にマッサージした。


 天気予報を見ると、明日の最高気温は今日よりも高く、雨は大丈夫そうだ。そういえば、今日も結局、雨に降られずに済んでいる。雨女の私としては上々だ。
 テレビでフィギュアスケートの国別対抗戦エキシビションを見ていても、音が気になる。
 朝早かったこともあり、母の携帯電話で目覚ましを6時にセットしてもらい、早々にお布団に入った。


 -> 吉野山旅行記2日目その1

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2013.04.22

旅行社に申込書を送付する&申込金を振り込む(ハイダ・グアイ)

 2013年4月16日、旅行会社から、ツアーの申込書等々が届いた。

 仕事が立て込んでいたので、週末(4月20日)になってから開封したところ、申込金の振り込み期限が週明け22日になっていた。ギリギリである。せめて開封くらいはしておくべきだと反省した。間に合って良かった。

 日程変更のお知らせが入っていて、エアカナダのスケジュールが変更になり、サンドスピリットからバンクーバーへの移動が午前から午後に変わるという。バンクーバー到着が17時になり、その日に予定していた観光のうちグランビルアイランドとスタンレーパークは翌日に回すというのだけれど、その翌日は12時過ぎの飛行機で出国の予定である。グランビルアイランドにお店が開く前に行っても仕方がないと思うのだけれどどうなんだろう。

 また、ホットスプリング島の温泉が今現在修理中で、旅行時期までに修理が終わるかどうか判らないというのも、不安な要素である。

 前回、この旅行会社のツアーに申込みをした(結局、催行されなかったのでツアーには参加していない)ときも気になったのだけれど、申込書に本籍地記入欄があるのだ。しかも「番地まで記載してください」という注意書きまで付いている。
 今どき、特に必要もないのに本籍地を番地まで申告するよう求めるなんてあり得ないと思うのだけれど、どうなんだろう。どう考えても「必要な範囲での」個人情報収集だとは思えない。個人情報保護全般、きちんと取り扱われるのか非常に気になる。
 しかも、私は前回もその点について疑義を申し述べているのだ。
 もちろん、今回も特に必要があれば連絡してくれるようメモを付けて、本籍地については記入しなかった。

 その他の事項を記載して申込書を作成し、出発2週間前に開催する(最終日程表もそこで配布する)という説明会の申込書も記入し、パスポートのコピーを同封して投函した。

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スパリゾートハワイアンズ旅行記の入口を作る

フラのショー ここは、お姉様方とスパリゾートハワイアンズ旅行記の入口である。
 この1泊2日の旅行にかかった費用は、一人分約25500円だった。ここには、交通費、宿泊費、食事代、入館料が含まれているが、お土産代は含まれていない。

 以下の日程をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。

1日目 2013年3月23日(土曜日)

2日目 2013年3月24日(日曜日)

 

持ち物リスト(スパリゾートハワイアンズ編)

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2013.04.21

スパリゾートハワイアンズ旅行記2日目

2013年3月24日(日曜日)


南2号館大浴場 6時に起床した。外を見たら、かなりどんよりとした曇り空である。
 お姉さまのお一人は「睡眠時間を取る」とおっしゃる。残り二人で、近場の南2号館大浴場に向かった。小さい分、わざわざ選ぶ人もいないのか、貸切状態である。
 熱めのお湯で、そのうちメンテナンスの方がやってきて「熱いですね。」と言い、きゅきゅっと蛇口をはめて水を少し太めに出して去っていった。
 起き抜けだし、30分くらいでさくっと上がった。ぽかぽかしている。


朝食 お部屋に戻ってごろごろうだうだし、7時15分くらいに朝食会場に向かった。
 朝食会場が少し奥まった場所にあり、よく判らなくてあやうく引き返してしまうところだった。
 ちょうど人が少ない時間だったようで、私たちが食べ始める頃、ビュッフェのテーブルの周りの列が結構長くなっていた。
 ビュッフェは和食の方が充実していたし、お姉さま方は和食を選んでいたけれど、私は相変わらずホテルの朝食ビュッフェでは洋食を選びたくなる。
 普通のビュッフェの朝食で、少なくとも洋食を選んだ場合には特記事項なし、という感じだ。


 チェックアウトは10時である。
 無料送迎バスの出発まで5時間近くあるので、お部屋で作戦会議をする。
 ムームーにサンダル、タオルはチェックアウト後も借りられる。チェックアウトの際にフロントでその旨を申告すれば、返却用(持ち歩き用)のバッグも貸してもらえる。なかなか便利なシステムである。
 昨日と同じクロークに大きな荷物を預け、まずはどんな感じなのか覗いてみようと温泉のあるスプリングパークに向かった。


 スプリングパークにある温泉大浴場パレスを覗いたらなかなかいい感じである。
 江戸情話与市とは違ってこちらは洗い場もあるし、それほどたくさんではないもののシャンプーやリンスなどのアメニティも揃っている。ここでお風呂に入ろうか、と相談がまとまった。作戦会議をした割に、行き当たりばったりである。
 ロッカーのスペースが混雑していたのは、お風呂に入ろうという人だけでなく、水着着用の施設を利用しようという人も一緒に着替えるかららしい。


 雰囲気としては「機能的なお風呂」という感じで、打たせ湯や寝湯があり、(行ったことはないけれど)スーパー銭湯風である。江戸情緒とか、ローマ風呂風とか、そういう作り物っぽいイメージはなく、さっぱりした感じで逆に好ましい。
 内湯と露天の浴槽は繋がっていて、ガラスの一部が区切られてくぐり戸のようになり、ビニルのカーテンが下がっている。ここしか出入り口はないのかと思っていたら、後で、普通に出入りできるところもあることに気がついた。


 内湯の「ぬるめの湯」と札が出ている浴槽もちょっと熱めだったので、早々に露天風呂に移った。
 空気がキンと冷えていて、露天風呂日和である。これならいくらでも温泉を堪能できそうだ。
 そのとおり、1時間以上も粘った。
 最後に、内湯のヒノキ風呂にざぶんと入ってお湯が溢れる感じを満喫して上がった。


 昨日から、お昼は江戸情話与市にあるお蕎麦屋さんに行こうと言い合っていた。
 11時半過ぎでは少し出遅れだったようで、店頭のウエイティングリストが結構長くなっている。
 リストの最後に名前を書き、地下にある「揉み処」に行くと、今日はスタッフが一人急遽お休みになってしまったのでと言われてしまった。そういった事情がなくても、事前に予約をしておいた方が無難なようだ。
 一人分なら何とかということだったので、その旨をお蕎麦屋さんのスタッフさんに告げて了解をもらい、お姉さまのお一方がマッサージを受け、彼女を待ちがてら残った二人でおしゃべりに興じた。


 お姉さま方は、専門職のお仕事を持ち、趣味も玄人はだし、というお二人である。
 私から見ると何の不足があろうかという感じだけれど、「何でもできる」というのは逆に悩みが深いようで、今後の人生の歩み方、みたいなお話になった。
 何も考えていなくてすみません、と思ってしまう。
 このときの私の最大の関心事は、4月に職場で配転があるかどうかで、我ながらスケールの小さいことである。


昼食 30分ほどの「揉み処」メニューはなかなか快適だったらしい。
 お蕎麦屋さんに戻り、3人とも「与市セット」というもりそば(ざるそばだったかも知れない。未だに区別がつかない・・・。)とミニ丼のセット(1000円)を頼んだ。
 ミニ丼は3種類から選ぶことができ、私はねぎとろ丼を選んだ。美味しいお蕎麦で満足である。


 昼のフラ・ショーを見ようと思ったら、結構、時間も押している。
 この後はムームーから帰りの服に着替え、お土産を見ようという話になった。さっきの更衣スペースはあまりにも混雑していたので、江戸情話与市のロッカーを借りて着替え、お土産を見に行く。
 スパリゾートハワイアンズのあちこちにお土産物屋さんがあって、結局、足を全く踏み入れなかったお店もあったくらいの充実ぶりだ。


 昨日、お姉さまに推奨されたかんの屋の家伝ゆべしは、残念ながら大きな箱しか残っていない。売り場の方に聞くと、今日の入荷は14時前後になる(予定)と言う。私はそこで断念し、お姉さまは大きな箱で購入していた。聞けば、東京ではまず手に入らないそうだ。
 私はハワイの手作りチョコレートなど購入した。土日で来たし、職場へのお土産は割愛である。
 もうお一人のお姉さまは、お父上へのお土産に日本酒を購入していた。東京駅まではバスで連れ帰ってもらえるから、重いお土産はこういうときに買うべきだ。合理的である。


 14時40分にロビーに集合した。
 帰りのバスは少し余裕があり、3人横並びの席で一席は空いている。風邪気味だったお姉さまは出発前から爆睡の態勢だ。
 来るときは休憩1回、帰りは2回の予定である。
 最初に寄ったのは、来るときにも寄った友部のサービスエリアだ。昨日お姉さまから紹介していただいた、総本家・水戸納豆の経木納豆を購入する。しかし、既にどのメーカーの何という名の納豆だったか思い出せないのが情けない。何しろ「本舗」とか「本家」とか似たような名前が多くてとても覚えきれない。
 スパリゾートハワイアンズのお店には入荷のなかった3個入りのゆべしを見つけ、こちらも購入した。


 守谷サービスエリアで2回目の休憩を取った後は、一路、東京駅に向かった。
 と書きたいところだけれど、常磐道は事故渋滞していたようだ。段々、車の流れが悪くなってくる。
 予定時刻を30分近くオーバーして、18時30分に東京駅日本橋口に到着した。


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スパリゾートハワイアンズ旅行記1日目

2013年3月23日(土曜日)

 今日から1泊2日で、お姉様方お二人とスパリゾートハワイアンズで大人の春休みである。
 朝、起きて外に出てみたら意外と寒くなかったので、ダウンジャケットで出かける予定をGジャンに変更した。
 お姉様方お二人とは、東京駅八重洲南口から徒歩5分くらいのところにある鍛冶橋駐車場に9時50分に待ち合わせしている。

 スパリゾートハワイアンズでは、宿泊客のために都内近辺各地から無料の送迎バスを出している。とても便利だ。
 東京駅に到着したのは9時30分くらいで余裕だと思っていたら、駅構内のお手洗いが大混雑している。仕方なく、改札を抜けた地下街でお手洗いを探し、結構いい時間になってしまった。
 久しぶりに行った東京駅周辺は随分と変わっている。

 鍛冶橋駐車場に着くと、バスが都合4台もいて驚いた。しかも満席である。
 定刻10時に出発となり、首都高に乗る。首都高から見える隅田川沿いの桜は見事に満開で、その桜の下にいる人混みも凄い。
 常磐道を北上するにつれ、桜の木にどんどんつぼみが増えていき、休憩を取った友部SAの桜は、ちらほらとしか咲いていなかった。

 バスはその後も順調に走り、12時30分過ぎに常磐自動車道いわき湯本インターチェンジを降りた。スパリゾートハワイアンズはインターチェンジのすぐ目の前だ。予定通りの到着である。
 この到着直前まで、スパリゾートハワイアンズは海沿いにあると思っていた。だって、「ハワイ」である。よく考えたら「元・炭鉱」でもあるけれど、そこはすっぽりと忘れてしまっていた。

 到着後、まず宿泊するホテル・ハワイアンズでチェックインする。お部屋に入れるのは14時からで、宿泊カードを書き、食事等の説明を受けて手続き完了である。
 その後、フロント近くにあるクロークに大きな荷物を預け、お昼ごはんにしようとウォーターパークに向かった。

 常に28度に設定されているというウォーターパーク内は思ったよりも暑くない。
 13時前というランチタイム、かつ、昨日から宿泊している人と今日から宿泊する人と両方が滞在する時間帯であるため、レストランや屋台の行列は長い。
 プールサイドが靴及びビーサン禁止である一方、屋台が並んでいるスペースは土足の人と裸足の人が入り混じっていて、ちょっと気になった。

昼食昼食 折角だからハワイっぽいものを食べようと相談がまとまり、ロコモコのお店に並んだ。ダブルサイズのロコモコ、フライドチキンとポテト、パイナップルジュースを3人でシェアする(1人1000円くらい)。

 お昼をさくっと食べて、ウォーターパーク内のステージで13時30分から行われるフラのショーを見ようと計画していたけれど、どうも無理そうだ。
 ステージに向いた席はもちろんのこと、その周辺の席はほぼ満席である。フラのショーは諦め、ステージから外れた休憩所でのんびりお昼ごはんをいただいた。
 このロコモコは結構美味しい。パイナップルジュースもこの容器は容器として、紙パックから注いでいるところが見えたらしいけれども、何故か美味しく感じる。

フラのショー お昼を食べ終わり、そろそろチェックインしようとホテルハワイアンズに戻る途中、フラ・ショーが見えたので、立ち止まって終わりまで見物した。
 初めて見た。これがなかなか楽しい。しかも、ダンサーのお姉さん方は美人ぞろいだ。
 そう言ったら、お姉さま方に「お姉さんって、あなたよりもずっと年下よ。」「美人に見えるのははつけまつげの効果だよ。」と口々に諭された。前者はそのとおり、後者はそんなに違うものかと思う。

 お部屋は南2号館7階の和洋室だ。
 和洋室になったのは嬉しいけれど、これが、かなり遠い。エレベーターで5階に上がり、南1号館を通り抜け、さらにエレベーターで7階に上がった一番奥である。
 ベッドが2台置かれ、椅子2客とテーブルがあり、四畳半ほどの畳スペースがある。
 まずは作戦会議だ。お茶を入れ、お茶菓子をいただく。
 先ほど物凄い混雑振りを目撃していたプールは避け、水着着用のスパ施設スプリングパークとスパガーデンパレオに行ってみようということになった。スパガーデンパレオは屋外施設なので、夕方になる前の方がいいだろうと意見が一致する。

 水着に着替え、部屋に備え付けの(私はロビーで大きいサイズのものをもらった)ムームーを着て、これまた備え付けの上着を羽織る。
 最後はお風呂に入ろうと、着替えも持つ。お部屋のタオルを持ち、お部屋備え付けのスリッパ(というかサンダル)を履いて出発である。
 宿泊する場合、チェックインしてしまえば、必要なものは(水着以外)ほとんどお部屋に揃っている。
 ホテルハワイアンズのチェックインは14時で、その前にプールや温泉を利用したいという希望がないなら、今回私たちが持参したタオルやビーチサンダルは必要ない。
 ウィルポートやモノリスタワーは無料送迎バスの到着時間とチェックイン時間が近接しているので、そちらに宿泊すればさらに問題はなくなる。

 ムームーは宿泊施設によって柄が違う。
 私の好みでいうと、ムームーの色柄はホテルハワイアンズの強烈なオレンジがそれらしくて一番いいと思う。その代わり、上着(どのホテルもクリーム色というか黄色である)のデザインがハッピみたいでどうもカッコよくない。

 ホテルハワイアンズのロビーに戻り、そこからウォーターパークを通り抜け、スプリングパークに向かった。
 スプリングパークに着いて、3人揃ってうーんと唸ってしまった。混雑しているし、何というか「ぜひ利用しよう!」という気持ちが今ひとつ湧いてこない。
 そのままさらにスパガーデンパレオに行くと、流石に外は寒い。何しろ3月下旬の福島県である。
 一際混雑している一角は、どうやら「温度高め」のジャグジーのようだ。
 「どうしようか?」と顔を見合わせ、「別にいいかな?」と言い合い、結局、水着に着替えたものの、水着を濡らすことはないまま、「江戸情話与市」という露天風呂に向かった。

 この露天風呂は世界最大で、ギネスブックにも載っている。
 しかし、何というか「世界最大」という感じがしない。これくらいの大きさの露天風呂は結構あるんじゃなかろうか。ちょっと謎である。
 「江戸時代の雰囲気を味わってください」ということで、洗い場はなく、掛け湯をしてお風呂に入る。
 江戸情話与市にあるロッカーは無料で、そのためか「ロッカーの鍵を外に持ち出さないでください」という注意書きが張り出されていた。
 また、「必ずタオルを持って入ってください」と注意がある。湯上りに体を拭いてからロッカーのある辺りに戻ってもらいたいという趣旨のようだ。

 世界一かどうかはともかく、露天風呂は広くて、お湯もよく、そしてウォーターパークやスプリングパークほど混雑していなくて、かなり気持ちいい。
 春休み期間だから家族連れが多く、その家族連れは、みんな一緒に楽しめて子供の満足度の高い水着ゾーンに集中したのだろう。露天風呂には、子供はほとんどいなかったと思う。

 ここで私が一番気に入ったのは蒸し風呂である。
 私は長湯好きだけれどサウナは苦手でほとんど利用することはない。けれど、この蒸し風呂は呼吸も楽だし、人の出入りが割とあるので温度もそれほど高くないし、季節ごとに体によい植物を蒸している。いい感じである。
 春はよもぎ蒸しで、蒸気の吹き出し口の上にざるが置かれ、ざるの中にかなり蒸されて茶色くなったよもぎが盛られていた。
 いかにも効きそうである。

 露天風呂とよもぎの蒸し風呂を堪能して、上がったのは17時くらいだった。
 お部屋に戻りがてら、あちこちにあるお土産物屋さんを冷やかす。露天風呂の前には和風小物が並んでいたり、お土産物屋さんはあちこちにあるので、見て歩くのも楽しい。
 お酒のコーナーもあれば、お酒のつまみにしたいような乾き物のコーナーもあるところが商売上手である。東北一円のお土産を集めた一角もある。
 もちろん、ハワイ直送(?)のお土産を集めたコーナーもあって、とにかく手広い。気がついたら1時間以上もうろうろしていた。

 18時過ぎに部屋に一旦戻り、夜になって少し冷えてきたのでそれぞれスパッツを履いたり、ボディウォーマー(つまりは腹巻である)を装着したり、靴下を履いたり防寒対策をして、ぱっと見たところ季節感があるのかないのか判らない格好で夕食に出かけた。
 夕食はビュッフェレストランで、18時30分からと時間指定されている。夜のフラ・ショーに間に合うスケジュールになっているのだろう。

 この時期は「あわびとイチゴのフェア」が開催され、レストランに入ると一人一枚のあわびステーキ交換用のチケットが手渡された。
 部屋番号を伝え、席に案内してもらう。
 まずは、私はアロハな感じ(笑)のカクテルを、お姉さま方二人は健康に良さそうなトロピカルジュースを頼み、「最初にあわびだよね。」とシェフがその場で焼いてくれるコーナーに向かった。

鮑苺

 ビュッフェはなかなか充実していて、それぞれに食べたいものを捕獲して、乾杯した。
 あわびは、柔らかくてなかなか美味しかった。これは空腹だけが為せるワザではないと思う。
 その他、天ぷらも揚げたてが食べられるし、デザートもかなり充実していて、お腹が一杯になるまで何往復もした。まるで子供である。

 昼間の反省を活かし、20時30分から始まるフラ・ショーを目がけ、20時には席を確保すべくウォーターパークに向かった。
 少なくとも無料送迎バスの人の分、昼間よりは観客が少ないはずなのに、30分前でも結構な席の埋まり方である。
 以前に来たことがあるというお姉さまによると、このステージはかなり小さくなっているし、客席もだいぶ狭くなった印象だという。東日本大震災の後、規模縮小して再スタートしたのかも知れない。そう思って見ると、2階を支える柱が増やされているようにも見える。

夜のフラショー夜のフラショー

 やっぱり目玉は目玉で、このフラ・ショーはとても楽しかった。
 迫力である。
 昼間の明るい光の下でのフラも良かったけれど、夜にスポットライトを浴びてのショーも素敵だ。
 映画「フラガール」で見覚えのある衣装や踊りもあるし、被災地支援の歌と踊りもあり、男性のダンサーによる火を用いた踊りもあって、そちらも迫力満点だ。
 1時間以上のステージを食いつかんばかりにして楽しんだ。
 大満足である。

 お部屋に戻って、何故かテレビを見てしまい、23時過ぎになってから、本館にあるお風呂に行った。南2号館にもお風呂はあるけれど、先ほど覗いたところ、小さかったし、外も見えなかったので遠出する。
 子供たちはもう眠い時間だろうし空いているだろうと思ったら、これがとんでもない。意外と混んでいて驚いた。もちろん、ここのお湯も温泉である。
 露天風呂がない代わりに大きなガラス窓があって、開放感がある。

 日付も変わった頃、自販機でチューハイを買い、持ち込んだお菓子を少しだけ開けて宴会だ。
 そういえばクチコミで「隣の部屋の話し声が筒抜け」等々と書いてあって不安だったけれど、ドアの開け閉めの音や廊下での話し声はそこそこ聞こえたけれど、お隣の部屋の音はほとんど気にならない。

 NHKの爆笑オンエアバトルという番組のスペシャルバージョンが放送されていて、3人してそれを見る。
 トーナメント方式で、年間だか半期だかのチャンピオンを決めるという回だ。今ひとつ納得のゆかない結果で(3人がイチ押しだったコンビが優勝しなかった)、二人してテレビに文句を言いまくる。文句を言っていたのが二人だったのは、もうお一方はすでに就寝の体制に入っていたからだ。

 そんなこんなで、テレビと電気を消したときには1時を回っていた。

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2013.04.15

無事、帰宅する(吉野山)

 2013年4月14日(日)から1泊2日で母と吉野山に桜を見に行って来た。

 吉野山に18時間滞在し、中千本にある宿坊に泊まるというツアー選びは我ながら完璧だったのだけれど、中千本、下千本の桜はすでに完全な葉桜だった。
 宿泊した宿坊の住職によると、昨年の今日は、中千本は満開、上千本が五分咲きだったそうなので、今年は日本全国こぞって桜が狂い咲きしたらしい。
 でも、奥千本まで上がったら満開の桜が見られたので満足だ。

 この1泊2日の旅行にかかった費用は、一人分約58200円だった。ここには、交通費、宿泊費、食事代、拝観料が含まれているが、お土産代と御朱印やお賽銭については含まれていない。

 また、初日の万歩計は17661歩、2日目は21012歩だった。

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吉野山旅行記2日目その2(引っ越しました)

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 吉野山旅行記は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

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 1日目 2013年4月14日(日曜日)

 2日目その1 2013年4月15日(月曜日)

 2日目その2 2013年4月15日(月曜日)

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吉野山旅行記2日目その1(引っ越しました)

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 吉野山旅行記は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

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 1日目 2013年4月14日(日曜日)

 2日目その1 2013年4月15日(月曜日)

 2日目その2 2013年4月15日(月曜日)

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2013.04.14

吉野山旅行記1日目(引っ越しました)

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 吉野山旅行記は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

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 1日目 2013年4月14日(日曜日)

 2日目その1 2013年4月15日(月曜日)

 2日目その2 2013年4月15日(月曜日)

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吉野山旅行に出発する

 久々の4時台起床・5時台出発は眠い。そして、4月といえど寒い。

 河津桜にふられてしまったことだったか、吉野山に桜を見に行こうと母が言い出したのが吉野山旅行の最初のきっかけだ。どうやら、河津は早すぎ、吉野山は遅すぎということになりそうだけれど、さてどうだろう。
 こうした「季節もの」はなかなかベストシーズンに見るというのも難しい。
 でも、桜を眺めてリフレッシュしてきたいと思っている。

 1泊2日で、ひたすら吉野山の桜を見るためのツアーに出発である。

 一応作成した持ち物リストは以下に。

続きを読む "吉野山旅行に出発する"

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2013.04.12

乗車駅を変更する(吉野山)

 今回の吉野山ツアーでは、当初、東京駅発着で申し込んでいた。
 しかし、届いた旅程表を見たところ、東京駅7時10分集合である。バスと電車の時間を調べたところ、時間ギリギリに東京駅の山手線ホームには到着できそうなのだけれど、そこから集合場所の日本橋口までは相当遠い。朝からダッシュするのはぜひとも避けたいし、ツアーの初っぱなに遅刻するのも是非とも避けたい。

 ところで、東京駅集合の場合は電車の発車時刻より20分以上前に集合時間が設定されているけれど、途中駅から乗車する分には、発車時刻までに駅の新幹線ホームにいればいいことになる。
 今回も、品川駅7時40分発を目指した方が、自宅出発時刻に余裕があることが判った。

 旅程表には「乗車駅を変更する場合は4日前までに」と書いてあったのだけれど、ダメ元と思い、出発2日前の今日(2013年4月12日)旅行社に電話したところ、あっさり了解の返事が貰えた。
 全くの推測だけれど、まだ添乗員さんからの確認電話も入っていなかったし、打ち合わせ前だったから融通が利いたのではなかろうか。

 母によると、夕方になって添乗員さんから電話が入り、そのときには品川乗車に変更した旨の話が通っていたそうだ。
 山の上の方は寒いので、上着を1枚持ってきてくださいということだった。

 明日の夜は外出の予定があるので、昼間のうちに荷造りをしておこうと思っている。

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2013.04.09

ダーウィンが来た!「アフリカ象300頭! 謎の大集合」

 毎週日曜の19時30分からNHKで放映されている「ダーウィンが来た!」「アフリカ象300頭! 謎の大集合」を見た。

 先週の放送でヌーの親子を見た際、予告編でアフリカ象を次に取り上げると知って、これは見てやろうと思っていたのだ。
 予想通り、アフリカ象300頭が集合するのは、ケニアのアンボセリ国立公園だった。
 キリマンジャロがくっきり見え、その手間をゾウの一家が横切る映像は、かなり待って撮ったんだろうななどと感慨深い。私がケニアにサファリをしに行ったのは、もう10年も前の話だ。

 乾季の始め、アフリカ象の大集団が湿地帯に集まるのだという。
 さて、その理由は? というのがこの回のテーマだ。

 アフリカ象は1頭だけでももの凄い量の草等々を食べるので、そもそも300頭の大集団というだけで食糧危機勃発である。
 それでも集まってくるのは、この場所に生きて行くには欠かせない「カンダリ」という薬草として人間も活用している草が生えており、その草を食べるためには「数が力」という状況だからだという。
 この時期だけは、普通は家族(といってもメスと子どもだけ)で暮らしているゾウが、親類縁者で繋がって大集団を作り、この地にやってくるのだそうだ。ただし、食糧危機を招かないように(?)ほぼ3週間くらいで解散するらしい。

 ゾウが30種類以上の草や果実を食べなければ健康を維持できないということも初めて知った。
 しかし、この時期だけカンダリを食べているということは、1年周期くらいで30種類を食べられればオッケーということなんだろう。
 ちょっと不思議な感じがしたのだった。

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2013.04.08

ウズベキスタン旅行記の入口を作る

マルギランの絹織物 ここは2011年9月に旅した、ウズベキスタン旅行記の入口である。
 ツアーメンバーに恵まれ、色々ドタバタありつつもとても楽しい8日間になった。

 以下の日程をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。

0・1日目 2011年9月16・17日 成田 -> タシケント

2日目その1 2011年9月18日 タシケント -> ウルグット

2日目その2 2011年9月18日 ウルグット -> サマルカンド

2日目その3 2011年9月18日 サマルカンド(泊)

3日目その1 2011年9月19日 サマルカンド

3日目その2 2011年9月19日 サマルカンド

3日目その3 2011年9月19日 サマルカンド(泊)

4日目その1 2011年9月20日 サマルカンド

4日目その2 2011年9月20日 サマルカンド

4日目その3 2011年9月20日 サマルカンド -> ギジュドバン -> ブハラ(泊)

5日目その1 2011年9月21日 ブハラ

5日目その2 2011年9月21日 ブハラ

5日目その3 2011年9月21日 ブハラ -> タシケント(泊)

6日目 2011年9月22日 タシケント -> コーカンド -> リシュタン -> フェルガナ(泊)

7・8日目その1 2011年9月23・24日 フェルガナ -> マルギラン -> ダンガラ

7・8日目その2 2011年9月23・24日 ダンガラ -> タシケント -> 成田

 

その国の旅を終えて 100の質問 (ウズベキスタン編)

持ち物リスト (ウズベキスタン編)

2011年9月 「ウズベキスタンの笑顔と青空」の写真

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2013.04.07

ウズベキスタン旅行記7・8日目その2

2011年9月23日(金曜日)


 14時過ぎに木彫工房を出発した。
 もう後はタシケントに戻って、夕食を食べて、出国するだけだ。非常に寂しい。
 そして、疲れも溜まっている。どうやらうとうとしていた時間が長かったらしい。2時間くらい走り、道ばたに湧き水があって露店が並んでいるところで車が駐まったときには、どうして停まったのかよく判らなかった。
 そういえば、少し前にドライバーさんが携帯電話でやりとりしていたような気がする。


 停まったので車を降り、露店をひやかす。流石に湧き水を飲んでみるのは冒険過ぎるだろう。
 しかし、ガイドさんが乗った車が来ない。そういえば、このすぐ前に通り抜けたトンネルのところでガイドさんが乗った車が停まっているのを見たように思う。
 日本語を話せるのはガイドさんだけだし、私たちは誰もウズベク語もロシア語もしゃべれないので、ドライバーさん達と意思疎通することができない。とにかく、ここでは写真を撮ってはいけないということだけは判った。


 そのうちドライバーさんに「車に乗って」と身振り手振りで促され、今度は10分くらい走ったところで降ろされた。
 景色はいい。
 全く自信はないけれど、この辺りは恐らく、3ヶ国の国境が集まっている筈だ。
 「どうしてここに移動したんでしょうね?」とツアーの方にお聞きしてみたら、「さっきの場所だと写真を撮れないからみたいだよ。」というお返事だ。


 状況が判らないまま放っておかれるというのは、帰国日ということもあるし、心配なものである。
 ツアーの方々がみなさん落ち着いていらしたのが有り難い。
 何となく集まって、ガイドさんが乗った車には、ツアー中、体調を崩された方が乗っていらしたので、具合が悪くなっちゃったのかな等と話していた。
 いざとなったらドライバーさんの誰かにガイドさんに電話かけてもらって状況確認しようなどと思っていた私はとことん落ち着きがない。


 30分くらいでガイドさんが乗った車が追いついて来て、そのまま出発した。
 そこから1時間ほど走った次のお手洗い休憩のときに事情が判明した。
 ツアーメンバーの方がトンネルを抜けているときに何の気なしに写真を撮ってしまい、それを見とがめられたという。普通のトンネルに見えたその場所は、実は検問だったそうだ。
 事務所のようなところに行き、ガイドさんから全く悪意はなかったのだということを釈明し、簡単な書類を作成しただけで事なきを得たという。
 ガイドさんが同乗していてよかった。不幸中の幸いである。


 何でも、トンネルの入口に、自動で写真撮影が行われたかどうかチェックできる機械が設置されているそうだ。
 私など、今日は疲れていたから写真を撮ろうという気力もなかっただけで、昨日逆方向に進んでいたときはトンネル内で動画まで撮っていたくらいだ。誰にも起こり得ることなのに、1号車に乗っていたツアーメンバーの方は謝罪までしてくださって、何てきちんとしているんだろう、自分に同じことができるだろうかと反省した。逆に申し訳ないくらいだった。


 ここは(と言ってもどこだかは判らない訳だけれど)、お手洗いの数が少なく、また二つあるうち片方は扉がなくて片方は水が流れないという状況で、ドライバーさん達に「タシケント! タシケント!」と促されるくらい時間がかかってしまった。
 飛行機の時間があるから、彼らも多少焦っていたのだろうと思う。


 このツアーではお手洗いの話題には事欠かなかった。
 この期に及んでも、止瀉薬の話や、出発前に整腸剤を飲んだら湿疹が出た話、とにかくお手洗い休憩の間隔が最重要情報である話など、車内の話題が集中した。
 しかし、そう考えると、エジプトに行ったときもモンゴルに行ったときも、整腸剤も飲まず止瀉薬も持たずに出かけた私が、今回に限って飲んで持っていたのは、我ながら勘のいいことだ。


夕景 段々と陽も落ちて来る。
 17時40分くらいに、昨日も通った工場の側にさしかかった。何というか、無骨な建物だけれど、もう帰国だというセンチメンタルな気分と、オレンジ色になりつつある太陽と、その二つの条件が揃うと何故かもの悲しくみえるのが不思議である。
 この工場が何の工場だったのか、未だに判っていない。
 でも、いい夕陽だった。


 21時タシケント発の大韓航空に乗るので、これは夕食は空港でということになるかなと思っていたら、ドライバーさん達のテクニックとガイドさんの執念で、18時30分過ぎにタシケントのBEKというレストランに入れた。
 どこかで聞いたような名前のレストランである。


夕食 屋外のテーブルに陣取る。流石にメインディッシュは時間がかかるので難しいという話で、前菜のサラダとナン、チキンのスープをいただいた。このスープはさっぱりして香草の香りがして美味しかった。
 夕食の席で、ガイドさんからウズベキスタンっぽいおじさんのマグネットをいただいたのに、その後、どう探しても私のバッグから出てこなかった。どうやら呆けていてレストランに忘れてきてしまったらしい。後になってかなり悔やんだ。


 夕食の席でガイドさんに再両替をお願いした。
 ウズベキスタン到着時に「再両替可能なので多めにスムに両替しておいても大丈夫。」とガイドさんが言ったので安心していたら、何だかややこしいことになった。9000スムが5ドルという計算で、足りない分を1ドル札で足そうとすると「1ドル札はほとんど流通していません。」と受け取ってくれない。
 再両替できずに損をするだけなら諦めもするけれど、スムの海外持出は禁止という情報を事前に旅行社からもらっていたので、こちらも必死だ。


 でも、ガイドさんに「余ったスムは空港でお菓子などを買ってください。」とも言われたし、実際は、私みたいに鬼の形相で必死になる必要はなかったようだ。
 レストランの支払いも再両替も済ませたガイドさんが、お財布代わりにしていた鞄を引っ繰り返して空っぽになったことを示し、「この鞄も、お財布から鞄に戻りました。」と言ったのが可笑しかった。


 19時半前にレストランを出て、空港までは車で15分だった。近い。
 車を降りたところで、ガイドさんに「私はこの先には行けません。」とあっさり言われ、ツアーメンバーは全員が戦いた。まさかここでそんなうっちゃりが来ようとは誰も予測していない。
 空港ビル内にガイドさんが入ることは禁じられているらしい。航空券を渡され、「個別にチェックインしてください。」と言われる。
 何とも慌ただしくガイドさんと別れ、キャリーケースを持って空港ビル手前に立ちはだかる階段を上がった。


 空港ビルに入ったところで、できるだけこっそりとバザールでもらった果物をキャリーケースにしまい、チェックインに向かう。
 重量チェックのときは戦々恐々だった。昨夜ホテルで必要なくなったものを捨てたこともあって、17.6kgだった。スザニを3枚買って出発時よりプラス800gは上出来だ。


 出国審査やセキュリティチェックはそれなりに列ができている。空港到着が離陸の1時間前だから余裕は全くない。
 セキュリティチェック後、全力疾走とは言わないまでも走る羽目になった。
 機内に入って席に着いたのは離陸予定である21時のほんの少し前である。その後も人が乗ってきて、離陸したのは21時20分くらいだったけれど、飛行機が遅れなければ間に合っていないタイミングなのではなかろうか。
 空港でお菓子を買っている暇などなく手元にスムが残っていたものの、外貨持ち出しの検査は全く一切行われず、あれだけ焦った私って一体・・・、と思う。


 22時30分くらいに出た機内食は食欲がなかったのでパスし、ひたすら爆睡した。
 その後、サンドイッチなどの軽食を配ったり、韓国の入国カードを配ったりしていたらしいけれど、全く気がつかず、着陸45分前まで寝てしまった。


 


2013年9月24日(土曜日)


 KE954便が何時に仁川空港に到着したのかは覚えていない。
 あとは成田空港行きのゲートに行くだけ、という状況になったのは現地時間の8時だった。
 成田に向かうKE701便は9時10分発予定である。
 職場で配るお土産をウズベキスタンで買いそびれてしまったので、仁川空港でチョコレートを購入した。ツアーの方が「女の子にお土産。」とシートパックを大量購入しているのを見て、私も真似する。
 仁川空港で外貨寄付を受け付ける箱を発見し、みんなで次々とスムを寄付した。


 セントレアからいらした方もいたので、全員が揃うのは仁川空港が最後である。
 住所とメアドを交換し、もの凄く名残惜しくお別れする。
 KE701便は定刻に出発し、お腹以外は無事に成田空港に到着した。


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ウズベキスタン旅行記7・8日目その1

2011年9月23日(金曜日)


 この日もやはり3時頃に目が覚めてトイレに通ってしまった。
 朝方になって冷え込むのと、夕食後に飲むビオフェルミンの効果が薄れ始める時間とが重なっているのではないかと思う。
 フェルガナ地方はこの時期でもかなり涼しい。涼しいというよりは寒い。
 この日も、お部屋のクローゼットから毛布を取り出して2枚重ねてかけた。
 朝食に向かうときも、ノースリーブのワンピースにTシャツ、パーカを重ねてもちょっと寒いと思ったくらいだ。


朝食 7時半過ぎから朝食をいただいた。
 このホテルの朝食が一番洋食っぽかったと思う。逆にいうとウズベキスタンらしいものは余りなかったのが残念だ。
 ジャムがちょっと変わっていて、りんごと梨を足したような味の果物を小さなさいの目に切ってジャムにしてあり、なかなか美味しかった。


 再び乗用車4台に分乗し、9時にホテルを出発してまずバザールに向かった。
 ガイドさんは相変わらず出発時にどこにまず行ってどれくらいの時間がかかるのか教えてくれない。
 サマルカンドのバザールは観光客目当てっぽい商品も多かったけれど、ここ(フェルガナかマルギランかどちらかだと思う)のバザールは食べ物専門・地元専用という感じである。


市場市場


 ナンを積んだ一輪車のような車もたくさんあったし、お米やナッツ類も売られていた。
 しかし、メインはやっぱり青果だ。
 ガイドさんが「こいつらにスキを見せたらいつまでも出発できないに違いない」という決意溢れる調子で歩くのでお買い物は諦め、タマネギを売っているおじさんの写真を撮ったりするのが精一杯で、このバザールの見学時間は10分くらいだった。


 もうあとちょっとでバザールの出口というところに、果物を売っているおじさんがいた。
 とても愛想のいいおじさんで、カメラを向けるとポーズを取ってくれる。そして、この果物を1個くれた。
 この果物はマルメロという名前で、朝食のときに出たジャムはマルメロのジャムだと教えてもらった。(本当はいけないのかも知れないけれど)キャリーケースに入れて持ち帰り、ジャムを作った。シャリシャリした食感が残って美味しかった。


繭を煮る 10時前にマルギランのシルク工房に到着した。
 まずは、絹織物を作る過程を見せてもらう。
 蚕もここで飼っており、そこで作られた繭を使っている。だから、外には桑畑もある。
 割と大胆にざばっと繭をすくってぐつぐつ沸いている大きな鍋に入れる。辺りには蚕の匂いが漂っている。小学生の頃、理科の授業の一環で蚕を飼っていたことを思い出す。
 10分ほど繭を煮る。


糸を紡ぐ用意 繭の中にいる虫は、茹でる前に蒸気にかけて退治してしまうと聞いてちょっとほっとする。
 その後で繭を煮て、煮上がった繭の塊から素手で糸の端を取り出し、紡ぎ車にセットして糸を紡ぐ。
 1つの繭からは1kmほどの絹糸が取れるそうだ。
 紡ぎ車も回させて貰った。これが結構重い。
 重いから、一度調子に乗れば勢いで回せてしまうのではないかと思い、調子よく回せたつもりで満足しておばあさんに席を返したところ、私の5倍くらいのスピードで回していた。
 こうして紡がれた絹糸はまだ硬い。この後、1時間も糸を茹でて柔らかくする。


染色の準備 次に見学したのは、糸を染める準備をする工程だ。
 縦糸にする糸を並べ、染料を入れたくない部分に印をつけて、糸でくくっている。絞り染めと同じ理屈だろう。長さは40mで、模様は2mごとに繰り返される。
 こうして模様に合わせて糸でくくっては染めて干し、またくくって染めて干し、という作業を繰り返す。平均して7回くらいは繰り返すという。
 ツアーメンバーにアパレル関係のお仕事をされている方がいらして、ここの過程で一番熱心に質問していた。


染色の過程 次に向かったのは、布を染めるための釜が並んだ場所だ。
 一色一釜で、交替したり混ぜたりすることはないらしい。使う染料は普通は8色、特別なものは11色を使うこともあるという。
 染料には、触媒として塩と石鹸と、その他いくつかの材料を混ぜる。「その他」が何かは企業秘密らしく、教えてもらえなかった。
 染め上がった糸を干す場所もすぐ側にある。


染料 この工房では染料には自然のものを用いている。
 アカシアの花は黄色だろう。
 タマネギの皮も黄色っぽい茶色っぽい色に染まる。
 ざくろで赤く染めることができるというのが意外だ。
 緑から黒に染めることができる葉の名前が聞き取れなかったのが残念。フスワとかウツワとか聞こえたけれどよく判らなかった。女性は髪を染めるにも使うらしい。
 染料としてサクラもあって驚いた。


織機の調整 その次に向かったのは、シルク工房の花形(?)とでも言うべき織りの工程である。
 体育館のようなイメージの建物に何台も何台も織機が並び、調整したり、縦糸を張ったり、実際に織ったりしている。働いているのは若い女性が多い。歌謡曲っぽい音楽が流れているのもそれらしい感じである。
 その音楽に負けないくらいの勢いで、機織りの音が響いている。
 随分たくさんの織機が並んでいたけれど、そのうち動いていたのは4〜5台だ。


機織り しばらく、一人のお姉さんに張り付いてじーっと観察した。
 足もとに7〜8本のペダルがあって、踏むペダルを変えることで、どの縦糸が上下するかが変わって、元々縦糸に施されている染めと相まって模様を生み出して行くことができる仕組みのようだ。
 大体、1時間で5m織れると言っていたから、1日8時間で先ほど教わった「40m」の布が織り上がる計算だ。
 本当に側に張り付いていたら、お姉さんが私の方をちょいちょいと突く。その指し示す方向を見たら、ガイドさん始めツアー一行が建物から出て行くところだった。危うく置き去りにされてしまうところだ。


 絨毯を織っている工房も見学した。機織りよりもさらに細かい手作業だ。
 働いているのはやっぱり若い女の子が多く、みな、絵を見ながら(というか絵を見るだけで)絨毯を織っているらしい。あまりの細かさにクラクラした。
 そして、ここにも歌謡曲っぽい音楽がかかっていることに気がついて、何だか微笑ましい気分になった。


 最後に併設されたショップに辿り着いた。
 様々な色合いと柄のシルクがあって、本当に迷う。シルクとコットンとで織ったアトラス織りも売られている。女の人が多いツアーだから、見立てっこも始まる。
 自分用とも母用とも決めないまま、少し落ち着いたピンクのストール(25ドル)を購入した。
 出発したのは11時半近かったと思う。


シャシリク マルギランのシルク工房から1時間くらい走ったところで昼食になった。
 野外レストランのようなところで、冷蔵ケースに入ったシャシリクを見て選ぶ。私はトマトが刺してあるところに惹かれて牛の串を選んだ。ウズベキスタン最終日ということもあって、ラムを選ぶ人が多い。
 シャシリクとナン、オニオンスライスがついて、お茶が出てきて、いつものウズベキスタンらしい昼食だった。


 食事の話の直後に何だけれど、食後にお手洗いに行ったにもかかわらず、ここから10分もかからずに到着した木彫り工房でもいきなりお手洗いに行きたくなった。
 危険である。
 ギリギリ間に合ったけれどこれはもう緊急事態だと判断し、持参した止瀉役を飲んだ。これが驚くほど即効性があって、こんなにすぐに楽になるのなら、どうして今まで飲まずに来てしまったんだろうと後悔したくらいだ。
 ちなみに、ライオンのストッパという薬である。


細工中細工中


 到着するなりトイレに駆け込んでしまったのは、ダンガラの木彫り工房だ。
 薬も飲んで落ち着いたところで、見学に合流する。工房の中に入れてもらい、ご夫婦と息子さんが作業している様子をみんなで取り囲む。
 とても細かく板一面に施された模様を、かなり細い彫刻刀を用いて彫って行く。相当の手間と時間がかかっていそうだ。


書見台 また、お土産物屋さんで見かけたコーランの書見台もここで作っていた。見た目は一枚板、組み立てるとあっという間に書見台になるというスグレモノである。
 ちょっと欲しかったけれど、「買って何に使うのか?」という客観が購入を押しとどめた。


 その他にも、例えば柱の飾りなどもここで作っているという。ご主人は30年くらい前にサマルカンドで働いていたそうで、サマルカンドにご主人の彫った柱(を使った建物)がまだあるという話だった。
 また、この工房では、ウズベキスタンの古い模様などを探して(図面やデザイン画のようなものがあるらしい)、それを復刻する取組も行っているというお話だった。


テーブルの天板 自宅の廊下の端っこにグッズ売り場を設けてみました、といった感じで即売所も設けられていた。
 直径50cmくらいのテーブルの天板に一面彫り込まれているのは圧巻だ。そこまで大物ではなくても、木彫りをやっている母にお土産に買おうかと思ったけれど、板があまり良くないように思えて、しかも継ぎ目がすでにずれていたりしている。湿度のある日本に持って帰って大丈夫かな? という感じがしたので断念した。


 ウズベキスタン旅行記6日目 <- -> ウズベキスタン旅行記7・8日目その2

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2013.04.06

ツアーの仮予約を申し込む(ハイダ・グアイ)

 今日(2013年4月6日)、旅行会社のサイトを見たら、2013年6月13日出発の8日間ツアー、「太古の森が息づく神秘の島 クィーンシャーロット」の催行が決定していた。
 8名催行、最大10名だから、満員までもうあとほんの一息である。
 慌ててサイトから仮予約を申し込んだ。

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2013.04.04

ツアーの日程表が届く(吉野山)

 出発の10日前になる2013年4月4日、旅行会社から、ツアーの日程表が到着した。
 しかし、申し込んだ保険の証書のようなものが同封されていない。明日にでも電話して確認しておかねばと思う。

 出発時の集合が7時10分と早い。しかも、東京駅日本橋口の改札外である。山手線ホームからだと10分くらいかかってしまうのではないだろうか。
 バスの時間を考えると、間に合うかどうかギリギリである。そうすると、いっそのこと途中乗車にして品川から乗った方が家を出る時間は(10分程度だけれど)余裕が生まれる。こちらも確認しておこうと思う。

 初日の昼食の案内も同封されていた。
 昼食が付いていないので、10時30分から11時56分まで乗車する近鉄特急で食べるようにお弁当を用意しますと書かれている。しかし、旅程を見ると、名古屋駅の乗り換えに1時間以上の余裕があるので、ここは自力で調達しようという話になった。

 2日目の昼食も付いていないけれど、こちらは出発後に案内があるのだろう。

 桜はまだ残っているだろうか。そして、咲いているだろうか。
 少々、不安である。

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2013.04.01

ウズベキスタン旅行記6日目

2011年9月22日(木曜日)


 前の晩、空港で迎えのバス待ちで冷えたのがいけなかったのか、3時半頃に目が覚めて、トイレに通う羽目になった。サマルカンド最終日の朝も結構キツかったし、この日はそれ以上という感じである。
 これまで、旅先でお腹を壊したことなどほとんどなかったので、自分でも意外だ。
 ツアーのみなさんが言うように、綿実油は日本人の胃とは徹底的に合わないのかも知れない。


朝食 今日はフェルガナに向けて長時間の移動だし、お腹の調子も悪いので、朝食は控えめにした。もっとも、控えめにしてこれだけ食べているのだから、やっぱり私の胃腸は丈夫である。
 7時に朝食、8時出発だ。
 これまでの移動とは異なり、タシケントからフェルガナ地方に行くには峠越えの道しかないため、普通サイズの乗用車4台が用意されていた。適当に荷物を積み込み、ほぼ部屋割り通りの感じで分乗し、出発である。


1時間後の車窓 ガイドさんとは別の車になったので、ドライバーさんと意思疎通することは難しい。車内では他愛ないおしゃべりに興じた。
 ドライバーさん達はみな親切で、あまりの日射しの強さにストール等々を窓にかけて日避けにしていたら、ドアを外から閉め直して上手くストールが固定できるようにしてくれた。
 1時間も走ると、車窓から一面の畑が見られるようになった。
 道は、タシケントーサマルカンドーブハラ間よりも整っている感じがするけれど、乗用車でも結構揺れる。


 10時くらいに一度トイレ休憩が入った。
 タシケントからフェルガナ地方に抜ける際にタジキスタンとキルギスタンと3国が国境を接している場所を通るため、国内移動にも関わらずパスポートコントロールを通る必要がある。また、この道は麻薬を運ぶルートにもなっていて、警備が非常に厳しい。
 ガイドさんから「湖が見えてきたら、もうすぐ国境です。」という説明を受け、再び車に乗り込んだ。
 カムチク峠は標高が2267mもある峠だし、この辺りまで来ると、周りは荒涼とした岩山という感じである。道もカーブを描きながら上り、そして下って行く。


国境越え後 国境を越えた後も1時間弱は、岩山沿いの道が続いた。
 フェルガナ地方は四国とほぼ同じ面積で、ウズベキスタンの人口の15%が住み、日本と同じくらいの人口密度を持つ農業地帯だという。しかし、少なくとも国境近くには「農業地帯」の風情はみじんもない。
 ひたすら、荒涼とした景色が続く。


 フェルガナ盆地には1世紀からゾロアスター教徒が住んでいた。
 8世紀にアラブ軍に征服され、イスラム教が広がった。13世紀始めにモンゴル軍に征服され、ティムールのおかげで中央アジアは独立している。
 ティムールの死後、国は子どもや孫に分けられ、1501年まで続いている。16世紀はサマニ朝が続いていたが、17世紀の始めにシルクロードが衰退するのと同時にサマニ朝も弱体化し、コーカンド・ハン国がそれに代わっている。


 17世紀、コーカンドに要塞が造られ、1845年から1876年まで、コーカンド・ハン国の首都であった。
 コーカンドには家具工房が多くあり、18世紀から20世紀まで中央アジアの家具の90%はコーカンドで作られていたという。
 コーカンドは「風の街」という意味で、サマルカンドは「豊かな街」という意味だ。どちらも美しい名前である。


昼食ラグメン


 12時を過ぎ、コーカンドの街に入ったところで昼食になった。屋根はあるけれどオープンエアの、ちょっと洒落た感じのレストランである。
 ナンや野菜の前菜が出てくるのはいつも通りで、その他に今回はラグメン(日本のうどんのような麺がトマトベースのスープに入っている)と、ハンバーグのようなメインディッシュがついた。
 なかなか美味しい。胃腸の調子を探り探りしながら食べざるを得ないのが残念だ。


フダヤル・ハンの宮殿 14時前に、フダヤル・ハンの宮殿に到着した。
 コーカンド・ハン国最後の王であるフダヤル・ハンは、1863年から1873年にかけてこの宮殿を建設した。当初は114の部屋から成っていたけれど、1876年の民主運動に伴ってその多くが破壊されてしまった。
 宮殿が壊された一方で、王自身は20世紀初頭までロシアで暮らしていたらしい。
 現在は、表玄関、王座の間、受付の間、寝室しか残っておらず、内部は博物館になっている。


宮殿表玄関 破壊されずに残された表玄関はタイルで覆われている。やはり美しい。
 中に入って、2000スムのカメラ代を払う。
 内部のタイル装飾も美しい。ただし、内部の装飾は、タイルで飾られているというよりは、イメージとしてはウエッジウッドのジャスパーの感じだ。その地色は濃いブルーである。


 木造の天井は、受付の間のものだ。天井板は、彩色され、細工されてから天井に付けられた。彩色の基調は赤と青と黄色の三原色である。
 当時も今も木材は貴重な資源の筈で、少なくとも建設当時、王の権威と財力は相当なものだったのだろう。
 ドアですら、一般の家屋では非常に小さいものしか付けられず、大きなドアは豊かさの象徴であり、実用品というよりは装飾であったという。
 ポプラの木は柔らかいのでドアを作ることはできず、ドアになったのは楡の木だ。細工がしやすいポプラは天井等の装飾に使われている。


 幌馬車(当時は非常に高価なものだったらしい)などが中庭に並べられ、お皿などの陶磁器やアクセサリー類がケースに入って陳列されている。中国や日本に由来する品も展示されていて驚いた。
 驚いたといえば、宮殿を見学しているとき、大きなビデオカメラを抱えた集団がいた。日本のテレビ局のカメラで、レポーターがいたから、もしかしたら生中継していたのかも知れない。
 「さりげなくカメラの前を横切っちゃおうか。」などと言い合ったけれど、もちろん、自重した。


女子高生? 1時間くらいで宮殿の見学を終え、歩いている途中、またもや可愛らしい女の子たちに遭遇した。
 中学生か高校生かどちらだろう。制服を着ている。
 みんなで写真を撮らせてもらい、一緒に撮ったり、大騒ぎになった。ガイドさんは私たちのこんな写真好きが今ひとつ理解出来なかったようだ。
 「みんなが写真撮ってるから待って。」と声をかけると、諦めたように呆れたように首を振っていた。


モスクのミナレットテラス 次に、金曜モスクを見学した。カメラ代2000スムを支払って入場する。
 1812年に建設され、中庭の真ん中に高さ22mのミナレットが建っている。
 幅100mのテラスで飾られており、テラスの天井を支えている多数の柱を作るための木はインドから運んで来たという。その当時、フェルガナ地方にはこれほど丈の高い木は存在しなかったのだ。
 お手洗いを借り、15時過ぎに次の目的地であるリシュタンに向けて出発した。ガイドさんに聞くと、目的地まで1時間だと言う。聞くたびに所要時間が変わるので、その後、ひとしきり笑い話になった。


陶器工房中庭 16時近くになってリシュタンの陶器工房に到着した。
 外観は大きな農家、一歩中に入ると素敵な邸宅である。どちらにしても、やはり陶器工房っぽくない。
 まず、工房のご主人に陶器づくりの工程を説明してもらった。


陶器づくり陶器づくり 機械に土をセットして型を取ることによって、お皿を同じ大きさ・形に整えることができる。
 土は、リシュタンの地元の土を使っている。土を整えるのに1ヶ月から2ヶ月かかる。
 実際に土をこねて、機械に土を置き、プレス(というよりは、回転させて少しずつ伸ばしていたからろくろかも知れない)して型取りをする様子を見せてくれた。
 成形した皿は2日間外に置き、水分を飛ばす。


 その後、釉薬をかけて600度くらいで焼いてから模様を描き、もう一度釉薬をかけて今度は1200度で焼く。
 「九谷など、日本の染付けと同じ方法です。」と説明されてもピンと来ない自分が悲しい。
 釉薬にはコバルトや銅、マンガンを混ぜて色を出しているようだ。
 この絵柄を描いていたのは若い男の子たちだった。


イシクール 釉薬は、キルギスタンに生える草を燃やして残った灰を使って作る「イシクール」とだ。
 この釉薬はウズベキスタンでもこの工房でしか作ることができず、使われていないという。サマルカンドなどで売られていたリシュタンの陶器には、イシクールは使われていない。
 貴重な釉薬であり、貴重な陶器である。
 イシクールという釉薬の品質はとても高いという。工房に飾られている数々の作品を見て、確かに、と思う。


200年前のお皿 工房の2階はミニ博物館になっていて、展示されている作品のいくつかもご主人が説明してくれた。
 ご主人が手に持っているのは、200年以上前の陶器で、これだけの色を残しているのは、イシクールの力によるらしい。
 イシクールはメドレセ等を飾ったタイルにも使われていたことが確認されており、その作り方を知っているのはこの一家だけであることから、補修のプロジェクトに参加したこともあるという。


 一通りの説明をしてもらった後、お買い物に突入した。
 ギジュドゥバンで買わなかった分、私も購入する気満々で並べられたお皿を見る。私だけでなく、みなさん、結構熱心かつ真剣に見ている。
 この工房は「NORIKO学級」という日本語学校を併設していて、卒業生なのか先ほど絵付けをしていた男の子が日本語で対応してくれる。お買い物熱も高まろうというものだ。
 売り物として並んでいる物ではなく、こちらのお宅で塩入れとして使っていた壺を交渉の末に手に入れた方もいらした。流石である。


魚の皿 自分が買うと、周りの人にも買って貰いたくなるらしい。
 ここまでほとんどお買い物をしていなかった男性がターゲットになり、女性陣が束になって「買いなよ!」「買ったところが見たい!」コールとなった。可笑しい。
 その間隙を縫って工房のご主人に相談し、手が込んだ模様で綺麗に発色していると推薦してもらった魚のお皿を購入した。2枚で15ドルだ。安くはないけれど、いい色の可愛いお皿を買えて満足だ。


 17時半過ぎに陶器工房を出て、リシタン・ジャパンセンターに行った。
 次にどこへ行くとも説明されずに車に乗り込み、到着して入るよう促された建物は、何というか、近代的な感じである。
 中に入ると子どもたちがたくさんいて、並んだ椅子に促され、女の子が二人現れてラジカセを操作すると、いきなり「マル・マル・モリ・モリ!」が流れてきたのには驚いた。
 歌詞も振りも完璧である。


 そして、次に始まったのが「アルゴリズム体操」だ。
 さらに、びっくりする。どうしてこの子達はそんなリアルタイムで日本で流行っているものを知っていて、かつマスターしているのか。もう、大拍手だ。
 ソーラン節の歌と踊り、日本の曲の楽器演奏と続く。


smile さらに、子ども達が並んで、smileを歌われては、ツアーメンバーの涙腺直撃である。
 曲は「smile」だけれど、こちらはもう鼻をすする音の大合唱だ。
 これ以上「健気」という言葉がしっくりくることも他にないだろうと思う。そう思いながらずっとカメラを構えて動画で撮っていた私自身についてはどうかと思わなくもない。
 このときが、この旅行で一番印象的な場面だったことに異論のあるツアーメンバーはいないと思う。


 そのうち、あちこちで車座になっておしゃべりが始まった。
 「マル・マル・モリ・モリ!」を踊ってくれた女の子たちとおしゃべりを始めたら、歌はCDで覚えたと言われてびっくりした。ここにはカラオケがあると聞いてさらにびっくりだ。
 彼女たちは、日本人がつけたという日本の名前も持っていると言う。3人はそれぞれはなちゃんにいずみちゃんにまいこちゃんだそうだ。
 日本語を勉強して、日本の大学に行きたいと言う。日本でウズベキスタンのことを教えたいという子もいる。


 日本のどこを知っている? と聞くと、富士山、京都はいいとして、「別府」という答えが来てのけぞった。
 そんなシブイ場所に何故行きたい? と思ったら、ここに通っている20歳の男の子が別府の大学に合格して留学することが決まったのだと教えてくれた。
 ガイドさんも会話に入りたくてうずうずしていたらしく、彼が何年間日本語を勉強していますかと尋ねたら、3年という答えが口々に返ってきた。12年英語を勉強した自分が・・・、というのは考えないことにしようと思う。


 漢字も書けると言われて見せてもらったら「必勝」だった。何でも、ゴルフの大会があるので、応援をするために作っているという。
 アリメさんに教わっていると言われて???と思ったら、JICAから派遣されている方のお名前だった。このときはいらっしゃらず、ボランティアで来ているという日本の学生さんがいた。


 ウズベキスタンの学校は午前と午後の二部制で、彼女たちは、午前の学校が終わった後で毎日14時から来ているそうだ。今日は特別に私たちのために残ってくれていて、早めに帰った子もいるという。
 7歳から24歳まで、様々な年齢の人が40人ほど集まっていると言う。遠くから来るまで通っている子もいるらしい。タクシーで30分という子もいると聞いて驚いた。


 日本の遊びをしていると言うので「何?」と聞いたら、ドッジボールの他に、「鞄持ち」という答えが来て笑ってしまった。「smile」の曲を教えてくれた人が鞄持ちも教えてくれたそうだ。可笑しい。
 また、以前に日本人が来たときに、トトロとサツキとメイがネコバスを待っているシーンを演じて、「アニメのどのシーンでしょう?」というクイズをやったという。
 日本語コンテストの話も出て、「言葉の大切さ」をスピーチをしたと聞いてさらにのけぞった。日本語コンテストというよりは弁論大会らしい。ガイドさんも弁論大会に出て3位になったと自慢気に語っていたのが可笑しい。
 私が彼女たちと話しているのを聞いていたガイドさんが学生時代の英語の先生を思い出したと言うので笑ってしまった。ツアーの方からは「幼稚園の先生をしているの?」と聞かれた。どちらも不正解である。


 突然、停電になったりしつつ、学校の勉強の話も聞いた。
 どの科目が好きかという話から、ウズベキスタンの学校は、ウズベク語のクラスにいるとロシア語が必須で、ロシア語のクラスにいるとウズベク語が必須で2時間ずつ、その他に英語が3時間あることを教えてもらった。誰でもトリリンガルに育つということだ。
 日本語能力試験の話も出て、2級を取ると留学の資格が得られるらしい。


 そんな話をしていたらあっという間で、そろそろ時間ですとガイドさんから声がかかった。
 サイン帳が回り、記念撮影をして、メールアドレスを交換する。「日本語で書いてね!」と懇願したら、「ローマ字じゃないと読めないよ。」と留学生からツッコミが入った。流石に日本語OSは入っていないので、文字化けしてしまうらしい。確かにそのとおりだ。
 とても名残惜しかった。
 このときおしゃべりしたいずみちゃんとは、今もときどきメールのやりとりをしている。


夕食 リシュタンからフェルガナのクラブホテル777までは1時間弱だった。
 クラブホテル777はやけにリゾートの風情のホテルで、お部屋が無駄に広い。
 到着後15分ほどの時間をみて、すぐにホテル内のオープンエア・レストランで夕食になった。希望者で赤ワインをシェアする。私も「お腹を壊しているのにいいの?」と言われつついただいた。
 この夕食のとき、何故かガイドさんがいじりたおされていた。スイカにウォッカを注射して飲むとか言い出せば、それはいじられるに決まっている。


 ゆっくり夕食をいただき、流石に長距離移動で疲れたようで、22時30分には就寝した。


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