吉野山旅行記2日目その1
2013年4月15日(月曜日)
珍しく熟睡し、母が6時にセットした目覚ましで起き出した。
窓から外を見ると、もうすっかり日は上っている。そして、谷の向こうを散歩している人の姿が見える。昨夜、私が途中まで歩いた五郎茶屋の脇を抜けて如意輪寺に続く道だろう。
桜が咲いているならともかく、そうでないならそこまで遠出をするのはちょっと億劫だ。かといって、朝はお風呂に入れる訳ではないし、7時半の朝食時間まで時間がある。近場に散歩に出た。
お隣の桜本坊では、枝垂桜(夢桜という美しい名前がついている)はもう終わってしまっていたけれど、八重桜が濃いピンクの花を咲かせている。
丁度朝のお勤めの時間だったらしい。真言なのか声明なのか、とにかく朗々とした声が響いている。まるで合唱のようだ。
桜本坊は天武天皇により建立され、現在は修験の根本道場であるという。その場合は、あの声は何に当たるのだろう。
次に、竹林院に向かった。
先ほどの桜本坊と同様、竹林院も宿坊を併設している。聖徳太子が開き、空海が入ったという縁起にあふれる寺院だ。
回遊式庭園の群芳園が大和三庭園の一つに数えられるからか、「お寺」という印象が薄い。
人はいないものの庭園の入口は開かれ、「入園料300円」と箱が用意されていたので、お庭を散歩させてもらうことにした。
群芳園は千利休が造園したと伝えられている。
もう散ってしまった桜の花びらが池に浮かんでいる。もう本当にしつこいようだけれど、これが満開の桜に彩られていればさぞや、という感じである。
池の後ろに築山があり、東屋がある。遠くには、どこだか判らない町並みまで見える見晴らしのよさだ。
お庭としての良さというのは今ひとつよく判らなかいなりに、なかなかの気持ち良さだった。
そういえば、西行の歌碑があったらしい。完全に見落としていた。どこにあったのだろう。
宿坊に戻ると、ちょうど、朝ごはんの時間だった。何となく、みなさん、前日の夕食のときと同じ場所に座っている。
奥千本まで上がろうという方も多かったようで、そそくさと頂く。
添乗員さんから、使わない荷物は宿坊に預けられること、11時40分までに宿坊に荷物を各自取りに来て、バス操車場に11時50分には集まるよう、念を押された。確かにこれから4時間も野放しでは、添乗員さんとしても心配なんだろうなと思う。
8時過ぎには宿坊を出て、お庭に回ってご住職にご朱印をいただく。
「住職の方ってやっぱりお習字をされたりするんですか?」とお聞きしたところ、「いやぁ。」と笑っていらした。自然に身につくものということなんだろう。
「今の人は筆なんか使わないでしょう。」とおっしゃる。そのとおりである。私など、筆ペンすら満足に使えた試したない。
私がご朱印をいただいている間、玄関前で孔雀が羽を広げていたらしく、盛り上がっていた。
ご住職のお話では、屋根の修理を頼んだ人に「飼わないか?」と言われて、それで飼い始めてもう15年くらいになるそうだ。専用の小屋を作ったりしなければならないけれど、餌は鶏の餌で大丈夫、というお話だった。
奥千本に行くバスの発着場まで行くと、すでに2台のマイクロバスが待っていた。始発は8時30分だ。宿坊の方がおっしゃっていたように、満員になれば早めに出発させてしまうらしい。
料金400円を窓口で支払っている間に1台目が出発し、2台目に乗ることができた。補助席も含めてあっという間に満席になって8時15分に出発する。
くねくねとした山道を上がるにつれて、1本2本と桜の咲いている木が見え隠れする。
15分くらいで奥千本に到着した。バスを降りると、何本かの桜に囲まれるのが嬉しい。咲いているではないか。
バスを降りたところから、真っ直ぐ急坂が伸びていて、そのとっつきに金峯神社がある。
この坂がキツイ。滅茶苦茶にキツイ。タクシーが横を上って行くのが恨めしい。
金峯神社は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部だ。こう言っては何だけれど、パッと見た感じは、とても世界遺産とは思えない廃屋と見まがうような建物である。
そして、この金峯神社を左に回りこんで行ったところに、「義経の蹴抜けの塔」がある。
「すぐそこ」とわざわざ看板に書いてあるところが心憎い。確かに、下り坂に回り込んでいく感じになるし、ここまでの急坂でヘトヘトだし、そう書いてなかったら私は間違いなく行かなかったと思う。
こちらは大正年間に再建されたものらしい。
ここに隠れていた源義経が、屋根を蹴破って逃げたという伝説を持つ。吉野は確かに義経に縁の深い地ではあるけれど、ここまで来ると、一体どこまでが事実でどこからが伝承なのか、見当もつかない。
金峯神社にもう一度戻り、周りの方が今度は右脇から伸びる坂道を上がり始めるのにつられて、母と私もそちらに向けて歩き始めた。30分弱くらい歩いたところに西行が庵を結んだという西行庵がある。
しかし、これまた結構な坂道である。
どれくらいの坂道かというと、脇に階段が作られているくらいの急坂だ。
昨日の夜に筋肉痛の兆しを感じてお風呂でかなり一生懸命マッサージをしたものの、そんな予防措置は既に何の意味も持たなくなっている感じがする。
それでもがんばって歩いたのは、すれ違う人に「奥の桜は満開ですよ!」と言ってもらえたからだ。
15分くらい歩くと、崖に九十九折の道というか階段というかを無理やりにつけた(でも崖側に手すりもついている)ところに出た。
そこから下は、満開の桜である。
奥千本は桜の本数が少なく、かつ、今現在、谷の片側が禿山状態になっているので「一面の」という訳にはなかなか行かないけれど、でも、満開の桜だ。
西行庵のある、少し広場の様になっているところが「奥千本」だった。
思わずあっちを向いたりこっちを向いたり、写真を撮りまくる。
パノラマ機能を使いすぎたのか、替え電池を持ってこなかったコンデジの電池がなくなる。デジイチの電池もなくなり、こちらは替えの電池を持ってきていたので交換する。
そして、更に桜の写真を撮る。昨日からの欲求不満解消! である。
桜にばかり気を取られ、うっかり、西行庵そのものを見るのをすっかり忘れてしまった。
見た母によると、庵の中には西行の像が安置されていたそうだ。母は「お隣の人が、こんなに狭いところにいて、お手洗いはどうしたのかしらと言っているのが可笑しかった。」と笑っていた。それくらいの狭さだったらしい。
今降りてきた崖を再び上って帰るか、反対側に続く崖沿いの道を帰るか迷いつつ、とりあえず坂の途中にあった泉を目指した。西行が「とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすほどもなき住居かな」と詠んだことからとくとくの泉とも呼ばれている苔清水がある。
順番に並んで飲むと、冷たくて美味しいお水だった。うっかり、水筒には熱いお茶を入れてきてしまったので、水の冷たさがありがたい。流石に奥千本といえど、坂道を上り下りしていれば薄手のダウンを着ていては暑いし、汗も流れる。
苔清水から少し上がれば反対側の崖の桜が綺麗に見えそうだったので、写真を撮るべくもう少し上ってみる。すると、やっぱりこれは見ておかなくてはという景色だったので、母を呼んで二人並んで堪能する。
ここまで上がったらこっちから帰ろうと、少し遠回りになることは判っていたけれど、そのまま進む。
上りきった広場のようなところには、背の高い桜(だと思うけれど違うだろうか)が何本かあり、また、反対側の斜面を埋める満開の桜が美しい。やはりこちらに回ってきて良かったと思う。
この後は、アップダウンはあるものの、木々の中の土の道だったので結構気持ちよく30分弱歩き、10時くらいに金峯神社下のバス乗り場に着いた。
様子から推すに、30分に1本という時刻表は有名無実化しているらしい。
歩いて下っても良かったけれど、1時間かかるというし、上千本の桜も期待できない感じだったし、吉水神社や蔵王堂の見学をしたかったので、バスで降りてしまうことにした。
あとで添乗員さんにお聞きしたところでは、上千本の桜も思ったよりも綺麗に見られたというお話だった。
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