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2013.05.03

吉野山旅行記2日目その2

2013年4月15日(月曜日)


 余裕があるつもりが、竹林院前に戻った時点で10時半だった。あと1時間しかない。
 お昼ごはんは柿の葉寿司を買ってバスの中で食べることにし、この1時間で吉水神社と蔵王堂の見学をすることにした。
 まずは、吉水神社である。ここも世界遺産に登録されている。拝観料400円を支払って中に入る。


 吉野山は日本史のあちこちで舞台になり、有名人がいた場所なんだなと、ミーハーな感想を持つ。
 後醍醐天皇が鎮座していたのも吉野山だし、義経と静御前も吉野山に逃げ込んでいる(そういえば、義経千本桜という歌舞伎の演目があったような気がする)。秀吉といえば「醍醐の花見」が有名な一方で、吉野山でもお花見をしたらしい。
 吉水神社にはこれらの方々縁の品々が多数伝わっていて、普通に展示されているのに驚いてしまった。贅沢この上ない。


 義経と静御前の衣装とか、蝉丸が持っていた琵琶とか、狩野派の屏風とか、水戸光圀直筆の書とか、何というか、アイドルが目の前にいるのと同じくらいのお宝だ。
 後醍醐天皇の玉座とか、義経潜居の間とか、「あの有名人がここにいた」というお部屋のしつらえもある。それが、こんな地味な(というのも失礼だけれど)神社に山とある。本当に侮れない。


蔵王堂 また、吉水神社からは「一目千本」と中千本と下千本を一望である。また、お庭から望む蔵王堂の眺めがなかなか良い。
 もう何度も何度も何度でもしつこく書く。桜が満開であればさぞや、という景色である。
 また、蔵王堂を望む場所には、邪気祓所がある。後醍醐天皇も朝夕必ずこの北闕門に立ち京都の空を仰ぎながら「九字」を切ったそうだ。五芒星等が刻まれた石の上に乗って九字を切るよう説明書きもあった。結構複雑で、私はあっという間に挫折した。


 ご朱印をお願いすると、現在、こちらには勝手神社のご神体もいらしているので二つで600円ですと言われる。行っていない(というか、不審火で焼け落ちてしまいまだ再建されていない)勝手神社のご朱印をいただいても・・・と思ったけれど、再建費用の一部になるのならと思い直した。
 この宮司さんがなかなか楽しい方で、ご朱印帳の話になり「伊勢神宮で買い求め、お寺さんも神社さんもまぜこぜに頂いてます。」と言うと、「それでいいんです。それでこそ日本の(和の、だったかも)心です。」とおっしゃっていた。


 吉水神社を後にして、蔵王堂に向かう。正式には、金峯山寺蔵王堂である。この1泊2日の中で、蔵王堂はもう3回目だ。
 宿坊のお姉さんに、蔵王堂を通り過ぎて少し行ったところにあるお店のお餅が美味しいと教えてもらったけれど、すでに筋肉痛の兆しバッチリの私の足には辛い距離で、行くのは諦めた。ちょっと心残りである。


 お餅はパスし、蔵王堂の秘仏本尊蔵王権現の特別公開に向かった。こちらは1000円で、日本でも珍しいという青い権現様を間近に見ることができる。さらに間近に、一人ひとり障子の衝立で区切られた場所で拝むこともできるようだ。しかし、なかなか列が進まず、集合時刻に遅刻しそうになって諦めた。
 それにしても凄い。
 色が塗られていると、単純な私などはそれだけで安っぽいようにも思えてしまうけれど、その思い込みを破壊して余りある迫力だ。


 ここで母と二手に別れ、母にはお昼ごはんとお土産を買うよう頼み、私は宿坊に荷物を取りに向かった。蔵王堂から集合場所の操車場までは平らな道を歩いて行けばいいけれど、宿坊に寄るには急坂を上らなくてはならない。これがかなりキツイ。
 急いで坂を上がると、息は切れるし筋肉痛には響くし大汗をかくし、もう大変である。宿坊に戻ったときには11時30分くらいで、まずお手洗いをお借りし、ストッキングとボディウォーマーを脱いで薄着になった。奥千本ならともかく、この周辺を急いで歩き回るには暑すぎだ。


 二人分の荷物を持って、操車場に向かう。
 その途中で「でんでん」という葛のお店に寄り、賞味期限は今日中だという葛餅を購入した。試食に出ていた葛餅が冷たくてつるんとしていて美味しかったのだ。
 購入したのはカップに入った食べ切りサイズである。「常温で大丈夫ですか?」と聞くと、冷蔵庫に入れると白くなり固くなってしまうので、常温保存が鉄則だとおっしゃる。今日の帰り道でのおやつである。


 操車場に着くとバスが待っていた。すでに「長くここに居すぎる」と注意を受けていたそうで、慌ててみなで乗り込み、大野寺に向けて出発する。
 昨日とはバスも運転手さんもバスガイドさんも異なっている。それで、みな、このバスではないのではないかと乗るのを躊躇していたらしい。
 ちょっと驚いたのは、バスの中でお昼を食べている人が他にほとんどいなかったことだ。みなさん、この短時間にお昼ごはんまで済ませていらしたらしい。


柿の葉寿司 申し訳ないことながら、母と私は、バスの車内で柿の葉寿司をいただいた。
 吉水神社に曲がる角にある醍予というお店の柿の葉寿司である。柿の葉っぱが本物で、ごはんも美味しく、鯖と鮭の塩加減も丁度良く、なかなかのヒットだった。
 お寿司と一緒にいただくには、朝、水筒に作った熱いほうじ茶もいい感じである。


磨崖仏 1時間くらいで大野寺に到着した。今日の山くだりは順調である。
 大野寺は、伝承では681年に役小角によって草創され、824年に空海が堂を建立して「慈尊院弥勒寺」と称したらしい。吉野山の帰りに立ち寄るに相応しいお寺だ。
 お寺の川を挟んだ反対側には、磨崖仏が刻まれている。線を彫った感じで、それにしても川原から垂直に立つ崖によく刻んだものである。1207年から制作が開始され、足かけ3年で後鳥羽上皇臨席のもと開眼供養が行われたというから相当に由緒正しい仏様である。


大野寺の桜 もっとも、このお寺に立ち寄ったのは、桜を見るためである。近くにある又兵衛桜はもう完全に葉桜になってしまっているそうだけれど、こちらのお寺の枝垂桜はまだちらほらと花が残っている。
 45分の自由時間となったものの、お寺の周りには駐車場とお手洗い以外、何もない。私はその時間を利用して御朱印をいただいたけれど、母など時間を持て余していたようだ。水を買いたいと聞いたところ、5分くらい離れたところにある駅の近くまで行かないとないと言われたという。
 そのためか、バスガイドさんが車内で冷たい水を配ってくれて、かなり生き返った思いがした。
 吉野山からこちら、本当に意外なくらい、飲み物を買う機会・場所がない。


 13時半くらいに大野寺を後にし、一路名古屋駅に向かった。
 高速に乗る手前、関ドライブインで45分の休憩&お土産買い物タイムがあった。
 まずは母と店内のカフェに行き、コーヒーフロートで一息つく。それでも足りなくて、350mlのペットボトルを二人で一気飲みして、やっと喉の渇きを癒せた気分になった。
 松坂ハムの生ハムと真珠漬本舗のはまぐりふっくら煮を買い求め、あとはドライブインの前にあったベンチというよりは縁台のような場所に陣取って、焼きたてのおせんべいをおやつ代わりにいただいた。


 順調にバスは走り、予定より早く16時半くらいに名古屋駅に到着した。
 帰りの新幹線の時間まで1時間半もある。
 名古屋駅構内にベンチがないことは学習していたので、帰りはどこかその辺のカフェにでも入って時間を潰そうと思ったけれど、関ドライブインを出発してから1時間もたっていないので、お腹はかぽかぽである。
 重い荷物を持ってうろうろするのは辛いので、できる限りの荷物をコインロッカーに預け、夕食にするお弁当を物色しに高島屋の地下に向かった。


 夕ごはんは地雷也の天むす弁当にしようと決め、でもまだ時間は激しく余る。高島屋で開催されているキルト展にでも行こうとしたら、最終日だったらしく早めに終わってしまっている。
 結局、デパートの中をうろうろし、母がスカーフを購入した。名古屋でわざわざ買わなくても良かったのではと思うけど、でも、明るい色目の結構いい感じのスカーフだ。
 時間ギリギリだったり新幹線に乗れなかったりするのは大問題だけれど、ここまで時間が余っても困ってしまう。ツアーの他の方々はどうやって時間を潰していたのだろう。


天むす弁当 新幹線に乗り込んで19時過ぎに天むす弁当を食べ、吉野山で買った葛もちをデザートにいただく。
 天むすには、黒米はあまり合わないようだ。
 葛もちは美味しくて、葛もちを作るセット(のようなもの)も購入してくればよかったと思う。
 新横浜、品川とツアーの方々が次々と降りて行き、私たちは帰りは東京駅まで乗って、流れ解散となった。


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