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2013.06.02

中米3ヶ国旅行記1日目その2

2012年12月15日(土曜日)


 カンペチェ空港に到着したのが19時45分頃で、20時過ぎにはメキシコでお世話になるドライバーさんと、日本人のガイドさんが迎えに来てくれたバスに乗り込んだ。
 30分弱で、本日の宿であるデルマルホテルに到着する。


 カンペチェの街自体も「歴史的要塞都市カンペチェ」として世界遺産に登録されているし、デルマルホテルの目の前はリゾートな海が広がっている筈だ。しかし、残念ながらすでに外は真っ暗でほぼ何も見えない。バスからちらりと城壁のライトアップを見ただけで、カンペチェの町は素通りである。
 ホテル到着後に散策に出たいところだけれど、今回のツアーはマヤを専門とする大学教授が同行して解説をしてくださることが売りになっていて、到着当日の今日、第1回目のレクチャーの予定が組まれている。


 ホテルに到着し、部屋に荷物を置いてすぐ、ホテルの会議室に集合となった。
 私が参加したツアーは10日間でメキシコ、グアテマラ、ホンジュラスのマヤ遺跡を巡る。
 この他に、同じ時期にメキシコを中心に回るツアー、グアテマラとホンジュラスを中心に回るツアー、3ヶ国を15日間かけて回るツアー、3ヶ国を19日間かけて回るツアーと五つのラインアップが用意され、私が参加したツアーと19日間のツアーの二つが催行されている。


 19日間ツアーは、カンクンに入り、その後チチェンイツァーやウシュマルなどの遺跡を回ってやはり今日カンペチェに到着したらしい。
 これから6日間、二つのツアーは合体して動くことになり、その最初のイベントがこのレクチャーである。


 長時間の飛行機移動でヘトヘトになっている我々に比べると、今日の早い時間にカンペチェ入りした19日間ツアーの方々総勢5名は元気はつらつといった感じである。
 私たちのツアー6人のうち男性お二人が友人同士で参加されているけれど、お部屋は別々(一人参加として参加している)で、合体したこのツアーは参加者全員が一人参加である。流石にそんなツアーは初めてだ。


 用意されていた冷たいミネラルウォーターが嬉しい。ごくごく飲んでいるうちに、パワーポイントを使用してレクチャーが始まった。
 以下はその概要である。


**********


 2012年12月21日、マヤ長期暦で5125年ぶりの新年を祝おうということで、ティカル遺跡ではグアテマラ大統領も参加しての式典が予定されている。
 このツアーでも、同じ日にティカル遺跡に行くことになっている。


 マヤ文明は、紀元前4世紀から16世紀まで続いた文明で(ただし、マヤ地域にはもっと前から人が住んでいた)、つまり、僅か500年前まで存在していた文明である。
 この歴史のうち、「マヤ」と言われて私たちがイメージするような文明が発達したのは「古典紀」と呼ばれる時代で、年代でいうと3世紀から10世紀くらいに当たる。


 マヤ文明の特徴はいくつかあって、例えば統一王朝が存在せず王国が乱立していたことが挙げられる。こうした王国のうち中心的であったところが世界遺産に登録されている。
 「謎の文明マヤ」的に取り上げられることが多いが、実はマヤ文明は手がかりの多い文明である。碑文にマヤ文字が残っているし、スペイン人がこの地域を征服したときにマヤの習俗等を書き残しているし、何よりマヤの人々が今もいるということが一番大きい。
 マヤ文明は、碑文から、考古学から、言語学から、文化人類学からなど様々なアプローチが可能である。


 マヤに統一王朝が存在しなかった理由は色々考えられる。
 統一王朝の成立は戦争がきっかけになることが多いが、マヤ文明は、鉄がなく家畜がなく車輪の実用化をしていない。これらは「長期の戦争がしにくい」ことに繋がる。合わせて地域的に高低差が大きかったことも影響しているかもしれない。


 いわゆるマヤ遺跡の世界遺産は現在8箇所ある。
 グアテマラのティカルは複合遺産だが、他は全て文化遺産としての登録である。しかし、例えばカラクムルやパレンケ周辺の自然も貴重なものである。


 メキシコ
 古代都市パレンケと国立公園 1987年 文化遺産
 古代都市チチェン・イッツァ 1988年 文化遺産
 古代都市ウシュマル 1996年 文化遺産
 カンペチェ州、カラクムルの古代マヤ都市 2002年 文化遺産


 グアテマラ
 ティカル国立公園 1979年 複合遺産
 キリグアの遺跡公園と遺跡群 1981年 文化遺産


 ホンジュラス
 コパンのマヤ遺跡 1982年 文化遺産


 エルサルバドル
 ホヤ・デ・セレンの古代遺跡 1993年 文化遺産


 今回のツアーで訪れる中でラ・ベンダ遺跡公園だけは、マヤ文明ではなくオルメカ文明の遺物が展示されている。
 オルメカ文明については、「マヤ文明の母である」という説と「マヤ文明の姉妹である」という説がある。


 長期暦は13バクトゥンで一巡りする。13は神聖な数字で、カレンダーはここから始まる。
 今使っている長期暦の始まりの日は紀元前3114年8月11日で、次の長期暦の始まりの日が2012年12月21日になる。
 (私は、「長期暦が終わる」ということがクローズアップされているので、12月21日で「終わる」のかと思っていた。実際は12月21日は「始まる」日らしい。これは全くの私の感想だけれど、新年とか始まりとか完了とかの考えがいわゆる西洋とマヤとは違うように思う。先生も、西暦0年はないが、マヤ暦には0年があるとおっしゃっていた。)


 この「記念の日」がいつになるのか、12月21日から23日の間で諸説ある。それは、スペイン人がユリウス暦とマヤ暦との対照について複数の記録を残したためで、どの記録を採用するかで変わる。しかし、自分は「中米の人々が12月21日だと決めたのだからそれでいいじゃないか」と思っている。
 マヤでは、1日の始まりは夜中の0時ではなく、日の出の時刻である。だからこそ、12月21日も日の出に合わせたイベントが予定されている。


**********


 いわば入門編というべきレクチャーは40分ほどで終了した。
 明日からはこのメンバー(先生、添乗員さん二人、ガイドさん一人、ツアー参加者11名)で観光する。
 レクチャー終了後、明日の予定を説明してもらって驚いた。4時にモーニングコール、4時半にバゲージダウン、5時に出発、ホテル出発時にもらうランチボックスはその名のとおりお昼ごはん用で、朝食は途中のレストランでいただくという。いきなりの強行軍である。
 明日行くカラクムル遺跡は、途中でツアーバスから小型のバンに乗り換える必要があるが、荷物はその小型バンに残せるだろうという。多分、雨具もいらないということだ。


ホテルのお部屋 部屋に戻った(というか、入った)のは21時半くらいだった。
 早速シャワーを浴び、お洗濯をする。
 何となく小腹が空いてしまい、今回の旅行で初めて持参したトラベルケトルでお湯を沸かして紅茶を淹れ、機内食で食べきれなかったマフィンを食べる。やはり温かい飲み物をいただくと落ち着く。トラベルケトルを持ってきて良かった。
 お部屋に500mlのペットボトルが2本あるのも嬉しい。


 23時くらいに就寝した。


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