ハイダ・グアイ旅行記2日目その1
2013年6月14日(金曜日)
移動の連続で流石に疲れていたらしく、前日は22時過ぎにバタンと寝てしまった。3時半過ぎに一度目が覚めたものの5時半まで眠れたから、海外旅行初日としては上出来の睡眠だ。
身支度をして、今日から始まるボートツアー用の荷物を作る。どうも小さくならない。40cm四方くらいでと言われていて、衣類圧縮袋なども活用したけれど、なかなか厳しいサイズである。
途中で諦めてお湯を沸かし、お茶を飲んで気分を落ち着かせる。
7時過ぎから朝食だ。
やっぱり、The Inn at Sandspit のごはんは美味しい。
この日の朝食メニューはフルーツヨーグルト、エッグベネディクト(ハムとサーモンから選べて、もちろんサーモンをお願いした)、ジュースも3〜4種類から選べ(このジュースはクランベリーである)、温かい飲み物がつく。
エッグベネディクトなんて初めて食べたかもと思いながら、もちろん完食した。
ホテルに預ける荷物とボートツアーに持って行く荷物とをどうにか仕分けし、8時にロビーに集合した。
ガイドのエリンさん(以後、敬称略)がジープっぽい、とにかくゴツイ車で迎えに来てくれた。エリンは若い(後で25歳だと教えてくれた)女性で、高校生のときに日本にいたことがあり、日本語も少し知っているという。今年の4月にも日本を旅行したそうだ。
対岸のスキットゲートの街に行くフェリーがつく港までは舗装道路、その先、モレズビーキャンプまでは未舗装のガタガタ道を行く。ゴツい車に納得だ。
途中で、仔鹿が道ばたの草むらにいるのを見つけ、みんなで色めき立っていると、エリンが車を駐めてくれた。突然、大撮影会となる。
可愛い。
再び車を走らせている途中、ツアーメンバーのお一人が、気分が悪くなってしまった。
朝食後、割とすぐ出発だったし、未舗装の道路はかなり揺れたし、私が忘れ物をして部屋に駆け戻ったせいで前の方の席を譲っていただき、彼女が後方の席になってしまったことも理由としてあったと思う。申し訳ないことをしてしまった。
車を駐めて空気を入れ換え、しかし「あと少しで着くならこのままで」ということで、若干の休憩後、再び車を走らせた。「今回のツアーはお年を召した方がいるので、もっと自分が気を配らなければいけなかった。」というのは添乗員さんがエリンに語った反省の弁で、「ancient」はないだろうと心の中でツッコむ。
未舗装道路は結構狭く、エリンはしょっちゅう無線でやりとりしながら対向車を確認する。
当初予定通りの1時間半くらいで、車はモレズビーキャンプに到着した。
お手洗いを済ませ、レインウエア上下と長靴、救命胴衣を借りた。一応サイズがあって、だけれど、日本人にとっては概ね「大きい!」というサイズである。
私は身長があるし寒さ対策でだいぶ着込んでいるし、レインコートの中にウエストバックを付けたかったから、明らかに大きいのは長靴のサイズだけだったけれど、小柄な女性は特に難儀していたようだ。パンツの裾を折ったり、「コート」というよりは「上っぱり」という感じの短めの上着を借りたりされていた。
この日はお天気も悪くて肌寒かったし、そもそも時速60kmも出るゾディアックに乗って、生身の体で風を切ることになるから相当に寒い。
このボートツアー中、私は、上は長袖Tシャツ、長袖シャツ、フリース、レインウエア、下は薄手のアウトドア用パンツに、自前のレインウエアのパンツを重ねていた。ここに借りた分厚いレインパンツ(サスペンダーになっている)とレインコート(文字通り「コート」である)を重ね、頭にはニットの帽子(日射しが強い日は、日よけの帽子)を被った。そして、手袋も概ね装着していた。ボートに乗っている間は、指先など相当に冷たくなる。
借り物のレインウエアには左右に大きなポケットが付いているけれど、水しぶきや雨の心配があるので濡れては困るものは入れられない。ウエストバッグをレインパンツの上、レインウエアの下に付け、ポケットには防水のコンデジのみを入れた。
全員のレインウエア装着が終わってボートに乗る桟橋に向かったのは到着45分後だった。
海辺には、四阿のような椅子とベンチと屋根と若干の説明板がある場所が用意されていて、そこに座ってエリンとゾディアックの到着を待つ。虫が多くてどうしようかと思ったけれど、後になってみれば、この出発地点が一番虫が多く、他ではほとんど見かけなかったように思う。
四阿のちょうど梁のところに鳥が巣を作っていて、親鳥が餌を持って帰ってくるのを待つ雛の様子が可愛い。
少し待つと、ゾディアックを引いたエリンの車がやってきて、結構長い海辺までの坂道をずっとバックで(しかも、そうなるとボートが先に行くことになる)進み、その場で大量の食料をボートに積もうと待ち構えていた方々の手助けもあって、あっという間にボートを進水させてしまった。
11時、いよいよボートツアーに出発である。
ゾディアックの座席の下が荷物入れになっており、そこに着替え等の入った荷物を入れる。私は上陸したときに使うもの(水筒や防寒着やカメラ)などを入れたリュックを一緒に入れて貰った。また、ボートに乗っているときは長靴なので、それぞれが履いてきた靴も納める。
桟橋があるのはモレズビーキャンプのみで、各島に上陸するときは基本的に砂浜で乗り降りするため、長靴は必携だ。
エリンが説明してくれた(そして、それを添乗員さんが通訳してくれた)ところによると、このゾディアックは海難救助にも使われる丈夫なもので、船体はグラスファイバー製、操縦席には無線や非常用の通信装置も備えられているそうだ。
ゾディアックに乗り込み、荷物入れをまたぐようにして座る。
この「またいで座る」という動作が年配の女性にとってはかなり大変なことだったようだ。最終的には座席に載せられた厚さ5cmくらいのクッションを外してまたぐ、というやり方になった。
一番前に男性二人組が座っていて、「特等席だ、いいなぁ。」と思っていたら、ボートが走り出してすぐ、最前列はとんでもないということが判った。
一番前の席に座るということは、つまり全身で何ら遮るもののないまま風を受けるということで、寒いだけではなくほとんど「風圧」で顔が歪まんばかりの状況だったらしい。
出発して割とすぐ、10分くらいでエリンがボートを止めたときには皆(特に一番前に座っていた方お二人)はほっとしていたと思う。
残念ながらこのアエロ・キャンプでは上陸せず、海の上からの見学のみだ。
空軍の飛行機を作るための木材をここで調達していたそうで、木材を運ぶ鉄道などもあったらしい。そう聞いて、この木組みが鉄道跡かと思ったら、もちろんこんな場所にわざわざ鉄道を通す訳もなく、これらは桟橋の跡である。
1940年代くらいから木材の輸出が行われていて、人も多く、郵便局などもあったらしい。
今はそんな賑やかな風情はかけらもなく、ただ、この桟橋跡が砂浜に立っている。
ボートはまた素晴らしい勢いで走り始め、11時30分くらいに最初の上陸地であるルイーズ島に到着した。
ビールケースを三つ組み合わせたステップは、添乗員さんが事前に連絡し、今回初めて用意してもらった秘密兵器である。そういえば、出発前の電話では「ガイドの膝を借りて乗り降りする。」と説明をされた記憶がある。
確かにこのステップは秀逸で、楽にボートに乗り降りすることができた。
このときはとっとと降りて写真撮影などしたけれど、この後は流石に良心が咎めて他のツアーメンバーが乗り降りするお手伝いさせてもらった。
ボートは波で揺れるし、ステップも押さえていないと波で持って行かれるし、水深15cmくらいのところまでボートを寄せてもらっているものの、この深さでも波があるとお一人で歩くのは辛いかなという感じの方もいらっしゃる。ストックや荷物などを持っていれば尚更だ。
3泊4日のツアー中、一番乗り降りが大変だったのが一番最初の上陸地であるルイーズ島だったのも不運だった。
砂浜と森との境目あたりに何本かの乾いた倒木があり、そこをベンチ代わりに重いレインウエアを脱ぐ。長靴を脱いで、持参したハイキングシューズに履き替える。このレインウエアの脱ぎ着に結構手間がかかる。分厚いゴム製のレインウエアは重くて動きにくく、とてもこれらを着たまま歩き回ることはできない。
どんよりした曇り空が、いつの間にか日も射すようになってきたし、鹿も歓迎するかのように砂浜に飛び出して来た。
気をよくして、見学兼ハイキングに出発である。
ルイーズ島のマザーズクリークは、アエロ・キャンプと同様、木材の切り出し基地として使われていた場所だ。大体、1940年代くらいのことらしい。
この場所を放棄するとき、作業に使っていたあれこれもほとんど置きっぱなしにされており、革靴が苔に埋もれる様子などを見ることもできる。
苔に埋もれているのは革靴だけではなく、倒れたトウヒの木も苔に覆われているし、その苔からは、高山植物のような花も咲いている。
ツアーには山岳ガイドをされている方もいらしたのだから、今思えばその方にお花のことなどお聞きしてみれば良かったと思う。
木材の切り出し基地として使われていた名残は、もちろん革靴だけではない。
木材を運ぶのに使ったのだろう線路跡や、トロッコと思しき乗り物も、苔に覆われつつ残されている。
しばらく森の中を歩くと、いくつもの墓標が残された場所に出た。
ニュー・クルーと呼ばれた街の跡で、19世紀半ばにハイダの人々が強制的に移住させられた際、スキットゲート(サンドスピットの対岸の街)に行くことを嫌ったタヌー島の人々が一時的に住んだ場所だという。
しかし、結局少人数では街を維持することができず、最終的にはスキットゲートに移って行っている。
墓標のある一角を通り過ぎ、森の中の道に戻った。
トウヒの木が高々とそびえ、足もとにはお花が咲いている。アップダウンがある訳ではなく、一応の道も付いているので、気軽かつ手軽なハイキングコースといった感じだ。
それでも「日が射しているのは今だけかも知れない」と少し歩いては立ち止まって写真を撮っていると、あっという間に皆から遅れてしまう。
森を出て、砂浜を歩いてボートまで戻ったから迷子になる心配はない。
さらにのんびり歩き、のんびり写真を撮る。
実は添乗員さんも写真小僧のようだし、もうお一方、デジイチを持参されている方が同じように写真を撮りまくっていたから、置いてけぼりになることはなさそうだ。
それに、長靴とレンタルのレインウエアは着るのがかなり大変で、みなさんが四苦八苦している間に追いつけるだろうという目算もあったし、実際にその通りだった。
14時過ぎに上陸地点に戻った。
添乗員さんはここでお昼ごはんにしようと考えていらしいけれど、エリンの「これから風がどんどん強くなるので、これ以上ここにいると出航が難しくなる。」という判断で、まず次の目的地であるスケダンス島に向かうことになった。
確かに、到着したときよりも波が高い。
ゾディアックをあまり砂浜に近づけることができないようで、荷物を預かって手ぶらになってもらい、手を引いてボートまでお連れし、ステップに上がるまでお手伝いした。その後、ゾディアックに乗り込むところは、私の体力と筋力ではちょっと支えきれないだろうとお手伝いを自粛する。もろともひっくり返ったりしたら大変なことになってしまう。
一番前の席は一番厳しいということが判明し、「乗り物が好きだ。」とおっしゃる男性はそのまま一番前にいらしたけれど、もう一つの最前列は添乗員さんが買って出てくれた。それに伴ってボート内の席替えが行われ、私は一番後ろの席に移動する。
操縦席の隣だからエリンが何をしているか見られるし、前方の視界も開けている。最後列の椅子はベンチ式で、背もたれが固くてボートが飛び跳ねると背骨が痛いことを除けば快適だ。
それに、またがって座っていると完全には膝を覆えないレインコートで膝を覆うことができるので、足(特に膝と足首)が冷えずに済むのも有り難い。
乗船にも手間取ったし、ゾディアック自体のの出発も大変だった。
エンジンを何度も上げ下げしたり、エリンが海に入って沖にボートを押したりしていたから、恐らくは波風に対抗して出発するには水深が浅すぎ、しかし波が結構高くなっていたので、あまり深いところまでゾディアックを押してしまうとエリンが乗り込むのが難しくなる、という感じだったようだ。
何度も何度もやり直して、無事に出航できたときにはみんなで大拍手となった。
次の目的地であるスケダンス島までは1時間くらいだったと思う。
お天気がよく、波は高い。
ゾディアックはバウンドするように進み、「これでカメラを落としたらシャレにならない」と思いつつ、その飛び跳ねている感じが面白くて動画を撮る。結構、楽しい。
15時くらいにスケダンス島に到着した。
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