ハイダ・グアイ旅行記2日目その2
2013年6月14日(金曜日)
15時過ぎにスケダンス島に到着した。スケダンス島の上陸地点は入り江の奥で、波は静かである。いきなり水深が深くなっているので、海水浴には向かないものの、かなり陸の近くまでボートを乗り付けることができる。
ルイーズ島よりもずっと楽に上陸することができた。
まず、重いレインウエアを脱ぎ、ウォッチマン・キャビンの隣の芝生でお昼ごはんをいただく。
エリンがクーラーボックスに入れて持ってきてくれたお料理の数々が並べられた。パン、スモークサーモンのディップ、豆のサラダ、野菜とオリーブのキッシュ、ケーキ、マフィン、そしてミックスジュースである。
ビュッフェ式で、それぞれお皿に好きなものを好きなだけ取り分けていただく。美味しい。
「エリンが作ったの?」と聞いたら、「とんでもない。」と笑って、会社にいるコックが作ったのだと説明してくれた。
スケダンス島に到着する際、すでにトーテムポールが見えていたらしいのに、お腹が空きすぎた私の目には全く入っていなかった。「どこかにありましたっけ?」などと聞いて、星野道夫の大ファンで著作は全て集めたという方に「おまえは何をしに来たんだ。」と呆れられてしまう。
昼食後、ウォッチマンであるディヴィッドさんの案内でトーテムポールと家の跡を見学した。
確か30歳だというディヴィッドさんは、ハイダの長の家系で、レイブン・クランに属する。伯母さんと二人でスケダンス島のウォッチマンを務めているという。
ウォッチマンは、夏のシーズンのみ各島にいわば「駐在」しており、お給料はカナダ政府とハイダの政府の両方から支払われているそうだ
そうしたら、オフシーズンはどうしているのだろう。エリンは、オンシーズンはガイドでずっと働いて、オフシーズンには旅行していたと言っていたから、同じような感じなのかも知れない。
トーテムポールがあるところには白い貝で境界線が描かれており、そのラインより中には行かないようにという説明があった。
トーテムポールは「朽ちていくまま」にしておくという考えがある一方、蹂躙されてしまうこととは全く別ということだろう。それはよく判る。
苔むしたトーテムポールは、何の意匠が彫られてたいたか、すでにほとんど判らなくなっているものも多い。
木の根元に横たわっているトーテムポールは、倒れた訳ではなくて元々がこういう態勢であったらしい。ディヴィッドさんが見せてくれた本にはWolfと書いてあるけれどそれは間違いで、実は熊なのだと教えてくれた。
さらに、ディヴィッドさんは、「熊とシャチの違いは耳があるかないかだ。」と言う。うーん、今ひとつイメージできない。本当だろうか。
トーテムポールにはいくつか種類があって、家の一部として家の中または外に建てられるもの、記念(例えばポトラッチという大宴会の開催記念)に建てられるもの、墓棺柱といって棺をトーテムポールの一部として建てられるものなどがある。
記憶が不確かだけれど、スケダンス島に残っているトーテムポールは墓棺柱だったと思う。ハイダ族の墓棺柱は、トーテムポールの一番上に棺が載せられるような形になっていることが多い。もう棺は落ちてしまい、柱からも新たな命が芽吹いて元々のトーテムポールは割れ、その役目を終えようとしている。
けれど、そこに悲惨とか陰惨とかいった感じは全くない。
ハイダの人々の家は、通常、海に向かって建てられている。したがって、トーテムポールも、家の前に海に向かって建てられていることが多い。
トーテムポールは海風を浴びてどんどん家の方に向かって倒れて行く。彫刻がある側は海に向いていて、その海に向いた方を上にして倒れて行くので、倒れたトーテムポールの彫刻部分は見えている。
このトーテムポールもまさにそうして倒れた1本だろう。
ハイダの人々は、トーテムポールが倒れるなら倒れるがままにするという考えなので、スカン・グアイが世界遺産に登録される際も、「保存」ということが問題になっている。
実際、多くのトーテムポールは、海風に負けて倒れつつあるように見える。
議論の結果、最低限、倒れないように支えは作る、しかしそれ以上の保存はしないという形に落ち着いたそうだ。
トーテムポールは、アメリカ杉で作られている。湿気に強く、また、彫刻がしやすい木で、まさにうってつけだ。
このトーテムポールに刻まれた線は、このハイダの長が開催したポトラッチの回数を表している。
ポトラッチが何かという説明は何度となく受けたものの、どうも一言で言い表すことができない感じがある。
宴会なのか集会なのかも私にはピンと来ていない。とにかく一族の人々の集いで、どれだけの人が集まるかということが、そのまま主催者の人徳や人気を表すことになるらしい。
それだけの人を集めることのできる人徳のある人しか開催できないというべきかも知れない。1回のポトラッチに財産の半分を費やすこともあったという。
このトーテムポールが一人の人が開催したポトラッチのみを刻んでいるのだとすると、13回というのは相当の数である。
トーテムポールの後ろに、ハイダの人々が住んでいた家の跡も残っている。
「跡」で、家が建っている訳ではない。土台というか、ハイダの家は広くするために地面を掘り下げており、その掘った跡と、落ちてしまった梁が残っている。
梁が2本の家と6本の家があり、梁が6本の家は、ヨーロッパから人が入って来て以降に伝わった工法で建てられている
梁の数は、その家の裕福さとは関係がない一方、家の土台は1日で掘らなければならないとされていたので、深ければ深いほど、その段差が多ければ多いほど、その家が人を集められる、つまり裕福であったことを物語る。
度台が4層に掘られた立派な家は、ディヴィッドさん(つまり、族長)の家系の家だという。
島々に電気は来ていないけれど、太陽光発電が出来るようになっている。ウォッチマンハウスをちょっと覗かせてもらったら、冷蔵庫もあった。結構小さな太陽光発電のパネルだったけれど、意外と発電量は多いのかも知れない。
ウォッチマンハウスの隣に、訪問客用のお手洗いも用意されていた。クィーンシャーロット島では、大抵、用を足した後でおがくずをかけておく方式のエコ・トイレだ。
ハイダ族では大きく、レイブン(わたりがらす)の家系と、イーグル(はくとうわし)の家系があり、同じ家系の人同士での結婚は行われない。そして、ハイダ族は女系であると説明があって驚いた。
もっとも、説明を聞き、添乗員さんは図解までしてくれたけれど、未だに「それって女系なの?」と頭がついていけていない。
例えば、レイブン・クランの族長Aの奥さんは、イーグル・クランである。女系であるが故に、族長Aの子ども達は、みな、母親と同じクランになるので、イーグル・クランとなる。そうすると、当然のことながら、父親の後を継いでレイブン・クランの族長になることはできない。
Aの姉妹の生んだ男の子(Aから見ると血の繋がった甥っ子)がAの跡継ぎとなってレイブン・クランの族長になる、ようだ。
そんなこんなのややこしい説明などを聞きつつゆっくり見て回り、17時半過ぎにスケダンス島を出発した。
ゾディアックから、海に向いてトーテムポールが立っている写真を撮る。トーテムポールの見送りを受けているようだ。
そして、到着時にも同じ景色を見ている筈なのに、全くトーテムポールを見ていなかった自分を大いに反省した。
添乗員さんとしては何としても今日のスケジュールをこなしたかったらしい。
モレズビーキャンプ出発が遅い分スケダンス島を出発する時間も遅かったし、波も相変わらず高い中、リーフ島に行くと言う。それならと、デジイチをジップロックに入れて水から守るようにして手元に持つ。
波が結構高いので、ゾディアックがスピードを出すと海面で跳ねるようになり、水しぶきがかなりかかってくる。袖口をちゃんと留めていなかったせいで、水が入り込んで来た。
冷たい。そして、寒い。
有り難いことに30分もかからずにリーフ島に到着した。
到着したといってももちろん上陸できる訳ではない。ゾディアックのエンジンを止め、波に大きく揺られながら、アシカを観察する。
というか、この動物がアシカなのかアザラシなのか、全く判らないまま写真を撮る。
添乗員さんに聞いたら、「知ってますか? アシカとアザラシって見分けるのがもの凄く難しいんですよ!」と返され、結局、その場では教えてもらえず仕舞いだった。
臭い。
かなり離れたところから観察しているのに、海臭いというか、糞の臭いというか、ちょっと言いがたい臭いがしている。
デジイチで望遠を目一杯にしてシャッターを押し続けていたら、一点を見つめ続けたのがいけなかったらしく、段々船酔い状態になって来た。10分くらい留まってすぐに出発でちょっと残念に思っていたけれど、それ以上留まっていたら多分完全に船酔いしていたと思う。
今夜の宿であるフローティングキャビンまでの1時間弱は、このボートツアー中で一番辛い船旅だった。
ボートは跳ねるし、船酔いのなりかけで胃がむかむかするし、海水の水しぶきを浴びて顔がどんどんしょっぱく、そして突っ張るようになり、一番後ろに座っている私の顔は誰からも見えないんだからもう泣いちゃおうかと思ったくらいだ。
しかし、エリンの宣言通り、30分強でゾディアックは穏やかな入り江に入って行き、19時過ぎにフローティングキャビンに到着した。
レンタルのレインウエアと長靴を脱いで、所定の場所にかけ、置く。
ゾディアックから荷物を降ろす。
フローティングキャビンは土足禁止だ。靴を脱いで中に入ると、そこは居心地の良い居間になっていて、暖炉に見立てたガスストーブの火がついているのが嬉しい。
暖炉の前には、濡れたものを乾かせるよう木の枠が作られていて、みんなが濡れたものを載せるとヒモで引っ張って上にあげることができる。便利だ。
また、テーブルには歓迎のケーキが置かれ、飲み物も自由に飲めるようお湯のポットとティーバッグ、コーヒーのポットなどが用意されている。
至れり尽くせりだ。
事前にボートツアー中は相部屋になりますという案内があったけれど、今回は上手く割り振りができたそうで、一人部屋をキープすることができた。有り難い。
このフローティングキャビンは大きくて、1階にリビングダイニングとキッチン、個室が3部屋(うち1部屋はエリンとエリスの部屋で、ちらっと見えた感じだと、ストックされた生活雑貨や食料が山と積まれていた)にお手洗いがあり、2階には、2段ベッドやツインベッドの部屋が合わせて5部屋とお手洗いがある。
個室ではヘッドランプ装着を覚悟していたら、個室にはLEDのスタンドも一つ置かれていたし、かなり快適だ。
フローティングキャビンのスタッフは2週間交替で泊まり込んでいるそうだ。エリンの彼氏もスタッフの一人だけれど残念ながら今回は滞在しておらず、私たちの夕食を作ってくれたのはエリスという女の子だ。
名前の綴りが、エリンはr、エリスはlだと説明してくれつつ「でも、日本人は区別がつけられないのよね。」とおっしゃる。その通りなので、勘弁してもらうことにした。
20時くらいから夕食をいただいた。
マッシュポテトににんじんのグラッセ、アスパラのごま炒め、グリーンサラダにサーモンのグリルという豪華版だ。美味しい。
お酒を買い込んでいた人も多かった筈なのに、夕食のときにはみなさんお飲みにならないのが謎である。どうやら、夕食時にというよりは、ナイトキャップというイメージらしい。
デザートにチョコレートケーキが出て、何だか寒気がしているような気がして暖まりたかったので、アールグレイに持参したコニャックを落として頂いた。
デジカメ等の充電をするなら発電機を回しますと言ってもらい、添乗員さんがパソコンを充電したいと言うので、だったら私もとお願いしてデジカメの電池を充電させてもらった。
今日は寒かったし、スケダンスからこっちはずっとデジカメを風にさらしてきたから電池の消耗も激しかったようだ。
22時半くらいに流れ解散となって、各自、部屋に引き取った。
しばらくLEDの電気を頼りにメモを書いたり、荷物を整理したりする。
このフローティングキャビンの唯一の弱点は壁が薄いことだと思う。
お隣の部屋で話していることが全てくっきりと激しくクリヤーに聞こえる。それがまた、名前は間違えていたけれど、私のことを言っているなと判る内容であるところが困る。
「エリンが何と言っているか通訳してくれればいいのにね。」という不満が聞こえて来る。私に通訳業務を期待されても能力的に不可能だからそこは諦めていただき、諦めていただくためにも今回はちょっとリキ入れて働くか、と思う。
少しばかり戦々恐々としているうちに夜も更けて、0時になる前に就寝した。
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