« 2013年8月 | トップページ | 2013年10月 »

2013.09.28

ハイダ・グアイ旅行記2日目その2

2013年6月14日(金曜日)


 15時過ぎにスケダンス島に到着した。スケダンス島の上陸地点は入り江の奥で、波は静かである。いきなり水深が深くなっているので、海水浴には向かないものの、かなり陸の近くまでボートを乗り付けることができる。
 ルイーズ島よりもずっと楽に上陸することができた。


昼食 まず、重いレインウエアを脱ぎ、ウォッチマン・キャビンの隣の芝生でお昼ごはんをいただく。
 エリンがクーラーボックスに入れて持ってきてくれたお料理の数々が並べられた。パン、スモークサーモンのディップ、豆のサラダ、野菜とオリーブのキッシュ、ケーキ、マフィン、そしてミックスジュースである。
 ビュッフェ式で、それぞれお皿に好きなものを好きなだけ取り分けていただく。美味しい。
 「エリンが作ったの?」と聞いたら、「とんでもない。」と笑って、会社にいるコックが作ったのだと説明してくれた。


 スケダンス島に到着する際、すでにトーテムポールが見えていたらしいのに、お腹が空きすぎた私の目には全く入っていなかった。「どこかにありましたっけ?」などと聞いて、星野道夫の大ファンで著作は全て集めたという方に「おまえは何をしに来たんだ。」と呆れられてしまう。
 昼食後、ウォッチマンであるディヴィッドさんの案内でトーテムポールと家の跡を見学した。
 確か30歳だというディヴィッドさんは、ハイダの長の家系で、レイブン・クランに属する。伯母さんと二人でスケダンス島のウォッチマンを務めているという。


 ウォッチマンは、夏のシーズンのみ各島にいわば「駐在」しており、お給料はカナダ政府とハイダの政府の両方から支払われているそうだ
 そうしたら、オフシーズンはどうしているのだろう。エリンは、オンシーズンはガイドでずっと働いて、オフシーズンには旅行していたと言っていたから、同じような感じなのかも知れない。


 トーテムポールがあるところには白い貝で境界線が描かれており、そのラインより中には行かないようにという説明があった。
 トーテムポールは「朽ちていくまま」にしておくという考えがある一方、蹂躙されてしまうこととは全く別ということだろう。それはよく判る。
 苔むしたトーテムポールは、何の意匠が彫られてたいたか、すでにほとんど判らなくなっているものも多い。


 木の根元に横たわっているトーテムポールは、倒れた訳ではなくて元々がこういう態勢であったらしい。ディヴィッドさんが見せてくれた本にはWolfと書いてあるけれどそれは間違いで、実は熊なのだと教えてくれた。
 さらに、ディヴィッドさんは、「熊とシャチの違いは耳があるかないかだ。」と言う。うーん、今ひとつイメージできない。本当だろうか。


トーテムポール トーテムポールにはいくつか種類があって、家の一部として家の中または外に建てられるもの、記念(例えばポトラッチという大宴会の開催記念)に建てられるもの、墓棺柱といって棺をトーテムポールの一部として建てられるものなどがある。
 記憶が不確かだけれど、スケダンス島に残っているトーテムポールは墓棺柱だったと思う。ハイダ族の墓棺柱は、トーテムポールの一番上に棺が載せられるような形になっていることが多い。もう棺は落ちてしまい、柱からも新たな命が芽吹いて元々のトーテムポールは割れ、その役目を終えようとしている。
 けれど、そこに悲惨とか陰惨とかいった感じは全くない。


 ハイダの人々の家は、通常、海に向かって建てられている。したがって、トーテムポールも、家の前に海に向かって建てられていることが多い。
 トーテムポールは海風を浴びてどんどん家の方に向かって倒れて行く。彫刻がある側は海に向いていて、その海に向いた方を上にして倒れて行くので、倒れたトーテムポールの彫刻部分は見えている。
 このトーテムポールもまさにそうして倒れた1本だろう。


トーテムポール ハイダの人々は、トーテムポールが倒れるなら倒れるがままにするという考えなので、スカン・グアイが世界遺産に登録される際も、「保存」ということが問題になっている。
 実際、多くのトーテムポールは、海風に負けて倒れつつあるように見える。
 議論の結果、最低限、倒れないように支えは作る、しかしそれ以上の保存はしないという形に落ち着いたそうだ。
 トーテムポールは、アメリカ杉で作られている。湿気に強く、また、彫刻がしやすい木で、まさにうってつけだ。


 このトーテムポールに刻まれた線は、このハイダの長が開催したポトラッチの回数を表している。
 ポトラッチが何かという説明は何度となく受けたものの、どうも一言で言い表すことができない感じがある。
 宴会なのか集会なのかも私にはピンと来ていない。とにかく一族の人々の集いで、どれだけの人が集まるかということが、そのまま主催者の人徳や人気を表すことになるらしい。
 それだけの人を集めることのできる人徳のある人しか開催できないというべきかも知れない。1回のポトラッチに財産の半分を費やすこともあったという。
 このトーテムポールが一人の人が開催したポトラッチのみを刻んでいるのだとすると、13回というのは相当の数である。


ハイダの人々の家 トーテムポールの後ろに、ハイダの人々が住んでいた家の跡も残っている。
 「跡」で、家が建っている訳ではない。土台というか、ハイダの家は広くするために地面を掘り下げており、その掘った跡と、落ちてしまった梁が残っている。
 梁が2本の家と6本の家があり、梁が6本の家は、ヨーロッパから人が入って来て以降に伝わった工法で建てられている
 梁の数は、その家の裕福さとは関係がない一方、家の土台は1日で掘らなければならないとされていたので、深ければ深いほど、その段差が多ければ多いほど、その家が人を集められる、つまり裕福であったことを物語る。
 度台が4層に掘られた立派な家は、ディヴィッドさん(つまり、族長)の家系の家だという。


 島々に電気は来ていないけれど、太陽光発電が出来るようになっている。ウォッチマンハウスをちょっと覗かせてもらったら、冷蔵庫もあった。結構小さな太陽光発電のパネルだったけれど、意外と発電量は多いのかも知れない。
 ウォッチマンハウスの隣に、訪問客用のお手洗いも用意されていた。クィーンシャーロット島では、大抵、用を足した後でおがくずをかけておく方式のエコ・トイレだ。


 ハイダ族では大きく、レイブン(わたりがらす)の家系と、イーグル(はくとうわし)の家系があり、同じ家系の人同士での結婚は行われない。そして、ハイダ族は女系であると説明があって驚いた。
 もっとも、説明を聞き、添乗員さんは図解までしてくれたけれど、未だに「それって女系なの?」と頭がついていけていない。
 例えば、レイブン・クランの族長Aの奥さんは、イーグル・クランである。女系であるが故に、族長Aの子ども達は、みな、母親と同じクランになるので、イーグル・クランとなる。そうすると、当然のことながら、父親の後を継いでレイブン・クランの族長になることはできない。
 Aの姉妹の生んだ男の子(Aから見ると血の繋がった甥っ子)がAの跡継ぎとなってレイブン・クランの族長になる、ようだ。


海から見たトーテムポール そんなこんなのややこしい説明などを聞きつつゆっくり見て回り、17時半過ぎにスケダンス島を出発した。
 ゾディアックから、海に向いてトーテムポールが立っている写真を撮る。トーテムポールの見送りを受けているようだ。
 そして、到着時にも同じ景色を見ている筈なのに、全くトーテムポールを見ていなかった自分を大いに反省した。


 添乗員さんとしては何としても今日のスケジュールをこなしたかったらしい。
 モレズビーキャンプ出発が遅い分スケダンス島を出発する時間も遅かったし、波も相変わらず高い中、リーフ島に行くと言う。それならと、デジイチをジップロックに入れて水から守るようにして手元に持つ。
 波が結構高いので、ゾディアックがスピードを出すと海面で跳ねるようになり、水しぶきがかなりかかってくる。袖口をちゃんと留めていなかったせいで、水が入り込んで来た。
 冷たい。そして、寒い。


リーフ島 有り難いことに30分もかからずにリーフ島に到着した。
 到着したといってももちろん上陸できる訳ではない。ゾディアックのエンジンを止め、波に大きく揺られながら、アシカを観察する。
 というか、この動物がアシカなのかアザラシなのか、全く判らないまま写真を撮る。
 添乗員さんに聞いたら、「知ってますか? アシカとアザラシって見分けるのがもの凄く難しいんですよ!」と返され、結局、その場では教えてもらえず仕舞いだった。


 臭い。
 かなり離れたところから観察しているのに、海臭いというか、糞の臭いというか、ちょっと言いがたい臭いがしている。
 デジイチで望遠を目一杯にしてシャッターを押し続けていたら、一点を見つめ続けたのがいけなかったらしく、段々船酔い状態になって来た。10分くらい留まってすぐに出発でちょっと残念に思っていたけれど、それ以上留まっていたら多分完全に船酔いしていたと思う。


 今夜の宿であるフローティングキャビンまでの1時間弱は、このボートツアー中で一番辛い船旅だった。
 ボートは跳ねるし、船酔いのなりかけで胃がむかむかするし、海水の水しぶきを浴びて顔がどんどんしょっぱく、そして突っ張るようになり、一番後ろに座っている私の顔は誰からも見えないんだからもう泣いちゃおうかと思ったくらいだ。
 しかし、エリンの宣言通り、30分強でゾディアックは穏やかな入り江に入って行き、19時過ぎにフローティングキャビンに到着した。


フローティングキャビン レンタルのレインウエアと長靴を脱いで、所定の場所にかけ、置く。
 ゾディアックから荷物を降ろす。
 フローティングキャビンは土足禁止だ。靴を脱いで中に入ると、そこは居心地の良い居間になっていて、暖炉に見立てたガスストーブの火がついているのが嬉しい。


 暖炉の前には、濡れたものを乾かせるよう木の枠が作られていて、みんなが濡れたものを載せるとヒモで引っ張って上にあげることができる。便利だ。
 また、テーブルには歓迎のケーキが置かれ、飲み物も自由に飲めるようお湯のポットとティーバッグ、コーヒーのポットなどが用意されている。
 至れり尽くせりだ。


 事前にボートツアー中は相部屋になりますという案内があったけれど、今回は上手く割り振りができたそうで、一人部屋をキープすることができた。有り難い。
 このフローティングキャビンは大きくて、1階にリビングダイニングとキッチン、個室が3部屋(うち1部屋はエリンとエリスの部屋で、ちらっと見えた感じだと、ストックされた生活雑貨や食料が山と積まれていた)にお手洗いがあり、2階には、2段ベッドやツインベッドの部屋が合わせて5部屋とお手洗いがある。
 個室ではヘッドランプ装着を覚悟していたら、個室にはLEDのスタンドも一つ置かれていたし、かなり快適だ。


 フローティングキャビンのスタッフは2週間交替で泊まり込んでいるそうだ。エリンの彼氏もスタッフの一人だけれど残念ながら今回は滞在しておらず、私たちの夕食を作ってくれたのはエリスという女の子だ。
 名前の綴りが、エリンはr、エリスはlだと説明してくれつつ「でも、日本人は区別がつけられないのよね。」とおっしゃる。その通りなので、勘弁してもらうことにした。


夕食 20時くらいから夕食をいただいた。
 マッシュポテトににんじんのグラッセ、アスパラのごま炒め、グリーンサラダにサーモンのグリルという豪華版だ。美味しい。
 お酒を買い込んでいた人も多かった筈なのに、夕食のときにはみなさんお飲みにならないのが謎である。どうやら、夕食時にというよりは、ナイトキャップというイメージらしい。
 デザートにチョコレートケーキが出て、何だか寒気がしているような気がして暖まりたかったので、アールグレイに持参したコニャックを落として頂いた。


 デジカメ等の充電をするなら発電機を回しますと言ってもらい、添乗員さんがパソコンを充電したいと言うので、だったら私もとお願いしてデジカメの電池を充電させてもらった。
 今日は寒かったし、スケダンスからこっちはずっとデジカメを風にさらしてきたから電池の消耗も激しかったようだ。
 22時半くらいに流れ解散となって、各自、部屋に引き取った。


 しばらくLEDの電気を頼りにメモを書いたり、荷物を整理したりする。
 このフローティングキャビンの唯一の弱点は壁が薄いことだと思う。
 お隣の部屋で話していることが全てくっきりと激しくクリヤーに聞こえる。それがまた、名前は間違えていたけれど、私のことを言っているなと判る内容であるところが困る。
 「エリンが何と言っているか通訳してくれればいいのにね。」という不満が聞こえて来る。私に通訳業務を期待されても能力的に不可能だからそこは諦めていただき、諦めていただくためにも今回はちょっとリキ入れて働くか、と思う。


 少しばかり戦々恐々としているうちに夜も更けて、0時になる前に就寝した。


 ハイダ・グアイ旅行記2日目その1 <- -> ハイダ・グアイ旅行記3日目その1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ハイダ・グアイ旅行記2日目その1

2013年6月14日(金曜日)


 移動の連続で流石に疲れていたらしく、前日は22時過ぎにバタンと寝てしまった。3時半過ぎに一度目が覚めたものの5時半まで眠れたから、海外旅行初日としては上出来の睡眠だ。
 身支度をして、今日から始まるボートツアー用の荷物を作る。どうも小さくならない。40cm四方くらいでと言われていて、衣類圧縮袋なども活用したけれど、なかなか厳しいサイズである。
 途中で諦めてお湯を沸かし、お茶を飲んで気分を落ち着かせる。


朝食 7時過ぎから朝食だ。
 やっぱり、The Inn at Sandspit のごはんは美味しい。
 この日の朝食メニューはフルーツヨーグルト、エッグベネディクト(ハムとサーモンから選べて、もちろんサーモンをお願いした)、ジュースも3〜4種類から選べ(このジュースはクランベリーである)、温かい飲み物がつく。
 エッグベネディクトなんて初めて食べたかもと思いながら、もちろん完食した。


 ホテルに預ける荷物とボートツアーに持って行く荷物とをどうにか仕分けし、8時にロビーに集合した。
 ガイドのエリンさん(以後、敬称略)がジープっぽい、とにかくゴツイ車で迎えに来てくれた。エリンは若い(後で25歳だと教えてくれた)女性で、高校生のときに日本にいたことがあり、日本語も少し知っているという。今年の4月にも日本を旅行したそうだ。


 対岸のスキットゲートの街に行くフェリーがつく港までは舗装道路、その先、モレズビーキャンプまでは未舗装のガタガタ道を行く。ゴツい車に納得だ。
 途中で、仔鹿が道ばたの草むらにいるのを見つけ、みんなで色めき立っていると、エリンが車を駐めてくれた。突然、大撮影会となる。
 可愛い。


 再び車を走らせている途中、ツアーメンバーのお一人が、気分が悪くなってしまった。
 朝食後、割とすぐ出発だったし、未舗装の道路はかなり揺れたし、私が忘れ物をして部屋に駆け戻ったせいで前の方の席を譲っていただき、彼女が後方の席になってしまったことも理由としてあったと思う。申し訳ないことをしてしまった。
 車を駐めて空気を入れ換え、しかし「あと少しで着くならこのままで」ということで、若干の休憩後、再び車を走らせた。「今回のツアーはお年を召した方がいるので、もっと自分が気を配らなければいけなかった。」というのは添乗員さんがエリンに語った反省の弁で、「ancient」はないだろうと心の中でツッコむ。
 未舗装道路は結構狭く、エリンはしょっちゅう無線でやりとりしながら対向車を確認する。
 当初予定通りの1時間半くらいで、車はモレズビーキャンプに到着した。


ゾディアックと私 お手洗いを済ませ、レインウエア上下と長靴、救命胴衣を借りた。一応サイズがあって、だけれど、日本人にとっては概ね「大きい!」というサイズである。
 私は身長があるし寒さ対策でだいぶ着込んでいるし、レインコートの中にウエストバックを付けたかったから、明らかに大きいのは長靴のサイズだけだったけれど、小柄な女性は特に難儀していたようだ。パンツの裾を折ったり、「コート」というよりは「上っぱり」という感じの短めの上着を借りたりされていた。


 この日はお天気も悪くて肌寒かったし、そもそも時速60kmも出るゾディアックに乗って、生身の体で風を切ることになるから相当に寒い。
 このボートツアー中、私は、上は長袖Tシャツ、長袖シャツ、フリース、レインウエア、下は薄手のアウトドア用パンツに、自前のレインウエアのパンツを重ねていた。ここに借りた分厚いレインパンツ(サスペンダーになっている)とレインコート(文字通り「コート」である)を重ね、頭にはニットの帽子(日射しが強い日は、日よけの帽子)を被った。そして、手袋も概ね装着していた。ボートに乗っている間は、指先など相当に冷たくなる。
 借り物のレインウエアには左右に大きなポケットが付いているけれど、水しぶきや雨の心配があるので濡れては困るものは入れられない。ウエストバッグをレインパンツの上、レインウエアの下に付け、ポケットには防水のコンデジのみを入れた。


四阿 全員のレインウエア装着が終わってボートに乗る桟橋に向かったのは到着45分後だった。
 海辺には、四阿のような椅子とベンチと屋根と若干の説明板がある場所が用意されていて、そこに座ってエリンとゾディアックの到着を待つ。虫が多くてどうしようかと思ったけれど、後になってみれば、この出発地点が一番虫が多く、他ではほとんど見かけなかったように思う。


 四阿のちょうど梁のところに鳥が巣を作っていて、親鳥が餌を持って帰ってくるのを待つ雛の様子が可愛い。
 少し待つと、ゾディアックを引いたエリンの車がやってきて、結構長い海辺までの坂道をずっとバックで(しかも、そうなるとボートが先に行くことになる)進み、その場で大量の食料をボートに積もうと待ち構えていた方々の手助けもあって、あっという間にボートを進水させてしまった。


 11時、いよいよボートツアーに出発である。
 ゾディアックの座席の下が荷物入れになっており、そこに着替え等の入った荷物を入れる。私は上陸したときに使うもの(水筒や防寒着やカメラ)などを入れたリュックを一緒に入れて貰った。また、ボートに乗っているときは長靴なので、それぞれが履いてきた靴も納める。
 桟橋があるのはモレズビーキャンプのみで、各島に上陸するときは基本的に砂浜で乗り降りするため、長靴は必携だ。
 エリンが説明してくれた(そして、それを添乗員さんが通訳してくれた)ところによると、このゾディアックは海難救助にも使われる丈夫なもので、船体はグラスファイバー製、操縦席には無線や非常用の通信装置も備えられているそうだ。


 ゾディアックに乗り込み、荷物入れをまたぐようにして座る。
 この「またいで座る」という動作が年配の女性にとってはかなり大変なことだったようだ。最終的には座席に載せられた厚さ5cmくらいのクッションを外してまたぐ、というやり方になった。
 一番前に男性二人組が座っていて、「特等席だ、いいなぁ。」と思っていたら、ボートが走り出してすぐ、最前列はとんでもないということが判った。
 一番前の席に座るということは、つまり全身で何ら遮るもののないまま風を受けるということで、寒いだけではなくほとんど「風圧」で顔が歪まんばかりの状況だったらしい。


アエロ・キャンプ 出発して割とすぐ、10分くらいでエリンがボートを止めたときには皆(特に一番前に座っていた方お二人)はほっとしていたと思う。
 残念ながらこのアエロ・キャンプでは上陸せず、海の上からの見学のみだ。
 空軍の飛行機を作るための木材をここで調達していたそうで、木材を運ぶ鉄道などもあったらしい。そう聞いて、この木組みが鉄道跡かと思ったら、もちろんこんな場所にわざわざ鉄道を通す訳もなく、これらは桟橋の跡である。
 1940年代くらいから木材の輸出が行われていて、人も多く、郵便局などもあったらしい。
 今はそんな賑やかな風情はかけらもなく、ただ、この桟橋跡が砂浜に立っている。


初上陸 ボートはまた素晴らしい勢いで走り始め、11時30分くらいに最初の上陸地であるルイーズ島に到着した。
 ビールケースを三つ組み合わせたステップは、添乗員さんが事前に連絡し、今回初めて用意してもらった秘密兵器である。そういえば、出発前の電話では「ガイドの膝を借りて乗り降りする。」と説明をされた記憶がある。
 確かにこのステップは秀逸で、楽にボートに乗り降りすることができた。


 このときはとっとと降りて写真撮影などしたけれど、この後は流石に良心が咎めて他のツアーメンバーが乗り降りするお手伝いさせてもらった。
 ボートは波で揺れるし、ステップも押さえていないと波で持って行かれるし、水深15cmくらいのところまでボートを寄せてもらっているものの、この深さでも波があるとお一人で歩くのは辛いかなという感じの方もいらっしゃる。ストックや荷物などを持っていれば尚更だ。
 3泊4日のツアー中、一番乗り降りが大変だったのが一番最初の上陸地であるルイーズ島だったのも不運だった。


ルイーズ島 砂浜と森との境目あたりに何本かの乾いた倒木があり、そこをベンチ代わりに重いレインウエアを脱ぐ。長靴を脱いで、持参したハイキングシューズに履き替える。このレインウエアの脱ぎ着に結構手間がかかる。分厚いゴム製のレインウエアは重くて動きにくく、とてもこれらを着たまま歩き回ることはできない。
 どんよりした曇り空が、いつの間にか日も射すようになってきたし、鹿も歓迎するかのように砂浜に飛び出して来た。
 気をよくして、見学兼ハイキングに出発である。


 ルイーズ島のマザーズクリークは、アエロ・キャンプと同様、木材の切り出し基地として使われていた場所だ。大体、1940年代くらいのことらしい。
 この場所を放棄するとき、作業に使っていたあれこれもほとんど置きっぱなしにされており、革靴が苔に埋もれる様子などを見ることもできる。
 苔に埋もれているのは革靴だけではなく、倒れたトウヒの木も苔に覆われているし、その苔からは、高山植物のような花も咲いている。
 ツアーには山岳ガイドをされている方もいらしたのだから、今思えばその方にお花のことなどお聞きしてみれば良かったと思う。


線路跡トロッコ 木材の切り出し基地として使われていた名残は、もちろん革靴だけではない。
 木材を運ぶのに使ったのだろう線路跡や、トロッコと思しき乗り物も、苔に覆われつつ残されている。


墓標 しばらく森の中を歩くと、いくつもの墓標が残された場所に出た。
 ニュー・クルーと呼ばれた街の跡で、19世紀半ばにハイダの人々が強制的に移住させられた際、スキットゲート(サンドスピットの対岸の街)に行くことを嫌ったタヌー島の人々が一時的に住んだ場所だという。
 しかし、結局少人数では街を維持することができず、最終的にはスキットゲートに移って行っている。


双子のトウヒの木花 墓標のある一角を通り過ぎ、森の中の道に戻った。
 トウヒの木が高々とそびえ、足もとにはお花が咲いている。アップダウンがある訳ではなく、一応の道も付いているので、気軽かつ手軽なハイキングコースといった感じだ。
 それでも「日が射しているのは今だけかも知れない」と少し歩いては立ち止まって写真を撮っていると、あっという間に皆から遅れてしまう。


砂浜に残された車砂浜に咲く花 森を出て、砂浜を歩いてボートまで戻ったから迷子になる心配はない。
 さらにのんびり歩き、のんびり写真を撮る。
 実は添乗員さんも写真小僧のようだし、もうお一方、デジイチを持参されている方が同じように写真を撮りまくっていたから、置いてけぼりになることはなさそうだ。
 それに、長靴とレンタルのレインウエアは着るのがかなり大変で、みなさんが四苦八苦している間に追いつけるだろうという目算もあったし、実際にその通りだった。


 14時過ぎに上陸地点に戻った。
 添乗員さんはここでお昼ごはんにしようと考えていらしいけれど、エリンの「これから風がどんどん強くなるので、これ以上ここにいると出航が難しくなる。」という判断で、まず次の目的地であるスケダンス島に向かうことになった。
 確かに、到着したときよりも波が高い。
 ゾディアックをあまり砂浜に近づけることができないようで、荷物を預かって手ぶらになってもらい、手を引いてボートまでお連れし、ステップに上がるまでお手伝いした。その後、ゾディアックに乗り込むところは、私の体力と筋力ではちょっと支えきれないだろうとお手伝いを自粛する。もろともひっくり返ったりしたら大変なことになってしまう。


ルイーズ島出発 一番前の席は一番厳しいということが判明し、「乗り物が好きだ。」とおっしゃる男性はそのまま一番前にいらしたけれど、もう一つの最前列は添乗員さんが買って出てくれた。それに伴ってボート内の席替えが行われ、私は一番後ろの席に移動する。
 操縦席の隣だからエリンが何をしているか見られるし、前方の視界も開けている。最後列の椅子はベンチ式で、背もたれが固くてボートが飛び跳ねると背骨が痛いことを除けば快適だ。
 それに、またがって座っていると完全には膝を覆えないレインコートで膝を覆うことができるので、足(特に膝と足首)が冷えずに済むのも有り難い。


 乗船にも手間取ったし、ゾディアック自体のの出発も大変だった。
 エンジンを何度も上げ下げしたり、エリンが海に入って沖にボートを押したりしていたから、恐らくは波風に対抗して出発するには水深が浅すぎ、しかし波が結構高くなっていたので、あまり深いところまでゾディアックを押してしまうとエリンが乗り込むのが難しくなる、という感じだったようだ。
 何度も何度もやり直して、無事に出航できたときにはみんなで大拍手となった。


ゾディアック 次の目的地であるスケダンス島までは1時間くらいだったと思う。
 お天気がよく、波は高い。
 ゾディアックはバウンドするように進み、「これでカメラを落としたらシャレにならない」と思いつつ、その飛び跳ねている感じが面白くて動画を撮る。結構、楽しい。
 15時くらいにスケダンス島に到着した。


 ハイダ・グアイ旅行記1日目 <- -> ハイダ・グアイ旅行記2日目その2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.09.24

旅行代金を支払う&悠遊カードをもらう(台湾)

 2013年9月24日、今月中に残金を支払うよう言われていたので、お姉さんと2人、旅行会社に行って残金を支払ってきた。
 しめて、68020円。
 意外と高い。

 合わせて、お姉さんがどこかで先着何名様にプレゼント、というものに応募したそうで、めでたく悠遊カードをいただいた。悠遊カードはチャージ式で、台北のMRTやバスに乗れたり、コンビニでお買い物したり、日本のsuicaやpasmoと同様の機能を持ったカードである。

 故宮博物院にある故宮晶華でお食事をしましょうと計画も立ったし、少しずつ「行くぞ!」という気分になってきた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.09.21

出没!アド街ック天国「伊勢神宮」を見る

 毎週土曜の21時からテレビ東京で放映されている「出没!アド街ック天国」」で2013年9月21日に放映された「伊勢神宮」の回を見た。

 今年は遷宮が行われるということで、随分前からあちこちで特集されていた「伊勢神宮」だけれど、アド街は相変わらずアド街で、もちろん「伊勢神宮」が1位になるところは譲れないものの、美味しいものだったり、その昔からあった遊郭の風情を残す宿だったり、王道ではないところを丁寧に拾って行くところが好ましい。

 5年前に伊勢神宮に行ったときには調べた記憶すらないのだけれど、伊勢はフレンチやイタリアンのレストランがひしめきあっているそうだし、恐らくは遷宮をきっかけに新しい宿がいくつも生まれているようである。

 その代わり、「伊勢神宮」そのものについては5年前の私はなかなかがんばっていたということも確信した。

 いずれにしても、近いうちにまた行きたいと改めて思ったのだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.09.16

ハイダ・グアイ旅行記1日目

2013年6月13日(木曜日)


 旅行社から送られて来た日程表には13時30分集合と書かれていた。
 16時出発のエアカナダ4便を利用するから、かなり余裕を持った設定である。ギリギリで間に合うように行くつもりだったけれど、添乗員さんからの事前の電話で「席指定をするなら、(集合時刻よりも)もう少し早めの方がいい。」と言われ、さらに1時間くらい早く成田空港に行った。
 空港宅配で頼んだ荷物をピックアップして多少の入れ替えをし、集合場所として指定された場所(カウンター等ではなく、本当に通路の一点を指定されていた)へ行ったら、誰もいない。
 早く来るよう指示したのに、自分で「ここにいます」と言った場所にいないなんて酷い! と思いつつ周辺をうろうろしていたら、20分くらいしてやっと添乗員さんに会うことができた。


 ツアーメンバー9人が集まったところで一通りの説明を受け、エアカナダのチェックインカウンターが開くまで一度解散となった。
 ここで初めてツアーメンバー全員が顔を合わせた。関西の女性4人のグループ、長野の男性二人組、一人参加が私を含めて3人(男性一人、女性二人)という構成である。
 事前の電話で「年配の方が多いです、驚かないでください。」と言われていて、言われていたって驚いた。どう見てもうちの母よりもさらに年配だろうという方ばかりである。
 その同じ電話で「ボートの乗り降りは基本的に wet landing になるので、ガイドさんの膝を借りるなどしてよじ登っていただきます。」と言われていたから驚きは倍加しようというものだ。大丈夫なんだろうか。


 個人チェックインの際、念のため通路側席の希望を伝えたところ、「今日は満席なので変更は難しいです。」と言っていたカウンターの女性が端末を叩き、「通路側でお席が取れています。」と言った。席指定のために早く来た方がいいという添乗員さんの発言はやはり方便で、単に早くメンバーを集めたかっただけだなと確信した。
 ツアーメンバーのうち7人は関東在住ではなく、新幹線や国内線の都合でかなり早い時間に成田空港に到着していたらしい。恐らくそちらとのバランスを取ろうという意図だったと推測する。それならそうと正直に言ってくれた方がいいのにと思う。
 チェックインのとき、私の荷物は16kgだった。ボートツアーでは荷物を厳選せざるを得ないのでかなり絞ったつもりなのに、それでも重い。しかし、結構しっかりしたハイキングシューズも荷物に入っているから、私にしては上出来だ。


 カナダ国内線のボーディングパスとクレームタグを添乗員さんに回収され、13時55分に解散した。次の集合はバンクーバー到着後である。
 海外旅行保険はカード付帯のもので行こうと思いつつ最後まで「追加が必要か?」と迷い、やはり必要なかろうと結論した。ゾディアックのボートが揺れるだろうから酔い止め代わりに生姜のチューブでも買おうかと思いつつ、それも面倒臭くなってパスし、14時15分に出国した。
 流石にこの中途半端な季節ではセキュリティチェックも出国審査もガラガラである。


kalラウンジ お昼ごはんを食べていなかったので、プライオリティパスを利用してKALラウンジに入り、おにぎりと赤いきつねとお茶をいただいた。前回利用したときは大混雑で落ち着かなかったラウンジも今日はガラガラで、のんびり寛いだ。
 成田空港第1ターミナルで出国後にプライオリティパスで使えるラウンジはもう一つユナイテッド航空のものがあり、そちらの方が広くて快適そうだ。ネットで見たところ、食べ物はKALラウンジの方が充実しているようだ。


 成田空港の第1ターミナルビルは改装が終わったようで、前回来たときとは雲泥の差である。通路も広くなり、お店もかなり充実している。これなら早めに来てウィンドウショッピングも楽しいかも知れないと思う。
 新しいターミナルビルをきょろきょろしながら移動したら、ラウンジから47番ゲートまで10分くらいかかった。早めの行動が良さそうだ。
 エアカナダ4便は16時発予定のところ、30分くらい遅れて離陸した。


機内食 17時40分くらいに機内食が出た。
 鶏の照り焼き丼、春雨サラダ、ロールパン、チョコケーキというメニューである。お酒を飲んで寝てしまおうと白ワインをお願いしたら、何故かおまけでもう1本くれた。そんなに呑み助に見えたということか、複雑な気分である。
 もちろん、複雑な気分は気分として、白ワインは有り難くいただく。
 飛行機が苦手で、機内でちゃんと眠れた例しがない。白ワインの力を借りても眠気は全くやってこず、映画を見たり、空港で買った本を読んだりして過ごした。


朝焼け 今回の飛行機は2-4-2という並びの席で(2-3-2だったかも知れない)、私は窓際席のお隣の通路側席だった。
 お隣は、日本人の若いお嬢さんである。その彼女が席を立ったときに、窓から朝焼けが見えたので写真を撮った。カナダ時間で2時半過ぎ、到着までまだ7時間もある。
 先は長い。機内で眠るためだけに睡眠薬を処方して貰おうかと毎回迷うくらい、私は飛行機で眠れない。


機内食 カナダ時間の7時くらいに、機内が明るくなり、朝食が配られた。
 ロールパン、オムレツ、フルーツというメニューにコーヒーをもらう。周りを見ていると、「クリームが欲しい」と言うとポーションのものがもらえ、「ミルクが欲しい」と言うと牛乳をカップに入れてもらえるようだ。エアカナダ、芸が細かいぞと思う。


 お隣のお嬢さんにも先ほどのフライトアテンダントさんがワインの小瓶をくれたけれど、彼女はグレープフルーツジュースが飲みたかったそうで、「どうしてジュースをくれないんだろう・・・。」と嘆いている。
 このワインは液体物ですがカナダに持ち込めますか? と聞かれ、液体物のチェックは出国のときだけだよと思って話を聞いたら、彼女は2度目の海外だそうだ。しかも、今回は海外「旅行」ではなく、8月一杯バンクーバーでホームステイしつつ語学学校に通い、9月からトロントに行くという。
 トロントはフランス語圏なのでは? と聞くと「そうですね。」と笑っている。


 私から見るとかなり大胆なことをしているのに、スーツケース二つに収めた荷物の多くはシャンプーとリンスだと言っていたり、「飛行機が遅れたから迎えに来てくれている筈のホストファミリーと会えないかも。」と心配したり、入国審査で使われる英会話集を真剣な顔で眺めていたりする。
 何だか愉快な気分になって、入国するまで適当な日本人団体ツアーの後ろにくっついて行けば大丈夫! とアドバイスした。


 9時25分にバンクーバー空港に到着した。私たちはそのまま国内線に乗り継いでサンドスピットに向かう。
 バンクーバーで乗り継ぎするときは、預けたスーツケースをピックアップして預け直す必要がある。添乗員さんに一声かけ、機内で飲みきれなかったワインの小瓶をスーツケースに放り込んだ。折角だからボートツアーに持って行こうという心算である。
 そこから再度セキュリティチェックを抜ける。男性はベルトを外させられていたし、前に来たときよりも厳しくなっている印象だ。


 「両替したい方はここでどうぞ。」と案内され、セキュリティチェックを抜けたところにあった銀行でカナダドルのトラベラーズチェック200ドル分を現金に換えた。ボートツアーメインの今回のカナダ旅行でそれほどお金を使う予定はないけれど、カナダドルのトラベラーズチェックを後生大事に持っていても仕方がない。
 10時40分に解散となり、gate25に12時15分再集合と告げられた。1時間半あるし、今日の昼食はツアーについていないから、ここでごはんを食べておいた方がいいだろう。


昼食 バンクーバー空港ではプラザプレミアラウンジがプライオリティパスで使えることを事前に調べてあった。ラウンジの場所が分からずインフォメーションで尋ねると「long walk」と言われ、案内通り歩いて行き着くまでに10分くらいかかった。
 ここのラウンジは狭いけれど、ホットミールも食べられるし、落ち着く空間である。
 ハムとチーズのホットサンド、チキンヌードルスープ、カフェラテにオレンジジュースをいただいた。


プロペラ機 13時発エアカナダ8504便でサンドスピットに向かった。
 歩いて乗ったし、可動式の棚が置かれていてそこに持ち込めない荷物は置いて行ってねという感じだし、50人乗りくらいのこの国内線はお気軽な感じである。
 しかし、驚いたことに満席だ。
 飲み物を聞かれて、「お隣と同じ。」と言ってみたら、そのお隣のおばさまが目を丸くして「これはclam tomatoよ。」とおっしゃる。???という顔をしていたらしく、親切にも一口飲ませてくれた。塩と出汁で味を付けたような、スープのようなジュースだった。


 飲み物をきっかけにこのお隣のカナダ人女性とちょこっとお話ししたら、カナダ中部のウイニーペグ(と聞こえたけど違うかも)という街から来た11人グループで、ハイダ・グアイのボートツアーに行くとおっしゃる。私たち日本人グループも同じよと言うと、明日からの天気予報はずっと晴れか曇りだと教えてくれた。雨の予報が出ていないと聞いてほっとする。
 「クィーンシャーロット島以外にどこに行くの?」と聞かれて、「クィーンシャーロット島だけよ。」と答えたら目を丸くして、呆れたように首を振っていた。割とよくある会話で、割とよくあるリアクションである。


 1時間くらいで、サンドスピットに到着した。
 もちろん、ここでも歩いて空港の建物まで移動する。高曇りで、今すぐ雨が落ちそうという感じでないのが有り難い。
 しかし、寒い。
 タンクトップにノースリーブのワンピース、長袖シャツにフリース、スパッツという格好で、凍えるほどではないにせよ、早く建物に入りたくて小走りになった。


天気予報 サンドスピットの空港にはインフォメーションがあって、ツアーの面々は皆してそこに吸い込まれた。
 地図も置かれているし、売店も兼ねていて絵はがきなども売っている。ハイダの意匠をモチーフにしたペンダントがあってかなり惹かれた。帰りまで迷おうと決める。
 添乗員さんが後で切手を買って来てくれると言ってくださり、今回、友人の住所録を持って来なかったのについ絵はがきを買って切手をお願いした。
 インフォメーション前には今後1週間の天気予報が張り出されていて、カナダ人のおばさまのおっしゃった通り、ずっと晴れの予報だった。嬉しい。


ホテル外観ホテルのお部屋


 本日の宿である「The inn at Sandspit」は、空港ビルを出た目の前にあった。15時40分にはホテルの部屋に入ることができてほっとする。バスタブもあるし、湯沸かしポットもあるし、快適なホテルである。
 スーパーマーケットに行く人は17時集合にしましょうと言われている。とりあえず、お湯を沸かしてお茶を飲んだ。水道水が飲めますが、お腹に自信がない人はミネラルウォーターを買ってくださいと添乗員さんに言われている。自信のある私は「沸騰させるし」と水道水を使う。全く問題ないようだ。硬水なのか緑茶向きではないようで、美味しいお茶を入れるのは難しい。


 集合時刻より少し早めに部屋を出て、ホテルの売店を覗いた。もう閉店していたところを、ホテルのオーナーのミシェルさんが無理矢理に自動ドアを開けて入れてくれる。親切だ。
 ハイダのデザインが描かれたぬりえと、ハミングバードの物語(民話っぽい感じ)が書かれた本を買う。おじさんが「値段が判らないんだよな」とぶつぶつ言いながらPCで探している。「値段が判らないんだったら無料ね!」と言ってみると、「それはいいアイデアだけど、ここは僕の店じゃないんだよ。」と言われ、やっと判明したお値段26ドルを支払った。


 鮭のオブジェ 17時に全員が集まった。途中、何故ここにあるのか判らない(しかし、名産ではあるのだろう)、サーモンのオブジェを見学してから、スーパーマーケットに向かう。
 買い出しといっても、自炊するわけではなくごはんがきちんと用意されるボートツアーだから、添乗員さん曰く「ビールを買っていただくくらいですね。」とのことだ。私は、機内でもらったワインで十分かなとも思ったし、ビールが6缶セットでしか売っていなかったので購入を見送る。おじさま方は結構大量に買っていらしたようだ。
 このスーパーマーケットには日本酒も売っていたらしい。
 何も買わないのもつまらない気がして、非常食代わりにハーシーのチョコレートを買った。


海辺の赤い花 スーパーへの往復の途中、海に沈む夕陽を見ることはできなかったけれど、海辺に咲いていた赤い花がやけに鮮やかである。
 今日のお天気があまり良くなくても、明日以降のお天気さえよければいい。サンドスピットでも「夕焼けの翌日は晴れ」という日本古来の(?)天気予報が使えるのかしらなどと思いつつ、海を眺める。
 この色鮮やかなお花は、海辺だけでなく、近くの民家の庭にも結構咲いていたから、この辺りではポピュラーなお花なのかも知れない。


 ホテルに戻って、18時から夕食をいただいた。
 ちゃんとメニューカードが作ってあり、恐らく私たち用に用意してくれたと思われる日本酒がサービスで付いた。至れり尽くせりだ。
 そして、何といってもお料理が美味しい。


ビーツのスープオヒョウのグリル


 前菜はビーツのスープ、メインは3種類から選べて、サーモンのグリル、オヒョウのグリル、ビーフステーキ(100オンス)の中から、オヒョウって食べたことがないからチャレンジ! とオヒョウのグリルを選んだ。
 ビーツのスープはポタージュよりもさらに濃い感じで、ほとんどすり下ろしたままのようだ。オヒョウのグリルは見た目どおりのさっぱり味で、付け合わせのライスや野菜も美味しい。
 これに、チョコ・ブリュレのデザートとコーヒーなどの飲み物が付く。飲み物として緑茶も選ぶことができた。完璧である。


 お食事しながら自己紹介タイムがあり、みなさん、やはり「強者」な迫力溢れる方々で、微妙に一触即発な雰囲気も漂い、油断ならない感じである。
 食後、添乗員さんが買って来てくれた切手を貰い(日本までのはがきの切手代は1枚1.85ドルだった)、20時前に部屋に戻った。


 今日は長い1日だったし、明日にはもう3泊4日のボートツアーに出発である。
 スーツケースは置いて小さなバッグに荷物を詰めて行かなくてはならない。
 ボートツアー2泊目のローズハーバーにシャワーがあることは知っているけれど、この寒さでは使うかどうかかなり微妙なところだ。
 ゆっくりお風呂に浸かり、お茶を飲みつつ絵はがきを書き、流石に22時くらいに眠くなって就寝した。


 -> ハイダ/グアイ旅行記2日目その1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.09.08

510000アクセス達成!

 昨日(2013年9月7日)、どなたかが510000アクセス目を踏んでくださった。
 引き続き、夏休み中だったからか、持ち物リストへのアクセスが多い。1ヶ月かからずに10000アクセスに達したのは初めてのことだ。びっくりしてしまった。

 これまでの経過は以下のとおりである。

 スタート 2004年9月1日
 10000アクセス 2005年7月17日
 50000アクセス 2006年11月22日
100000アクセス 2008年6月15日
150000アクセス 2009年2月21日
200000アクセス 2009年11月30日
250000アクセス 2010年9月16日
300000アクセス 2011年5月26日
350000アクセス 2012年2月8日
400000アクセス 2012年9月3日
450000アクセス 2013年2月19日

460000アクセス 2013年3月27日
470000アクセス 2013年5月3日
480000アクセス 2013年6月11日
490000アクセス 2013年7月18日
500000アクセス 2013年8月14日

510000アクセス 2013年9月7日

 こうして続けていられるのは、遊びに来て、読んでくださる方のおかげです。
 ありがとうございます。
 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年8月 | トップページ | 2013年10月 »