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2013.10.27

行きの足を確保する(那須)

 2013年11月の那須旅行は妹一家と行くことになっている。
 妹たちは、家から車で行くと言うので、母と私は新幹線で那須塩原まで行き、ホテルの送迎バスを利用することにして、ホテルで合流しましょうということになった。

 その話がやっと決まった今日(2013年10月27日)、えきねっとを見たら、15%引きの「とくだ値」が残っている。
 指定席は必要ないのではないかとか、45分しか乗らないのに乗車券と指定席特急券で4400円もするのは高すぎるんじゃないかとか、色々思うところはあったのだけれど、母と私の2人分、購入した。

 いつもであれば、帰りの足も押さえるところだけれど、妹が帰りは私たちと一緒に家(妹からすると実家)に新幹線で帰りたいと言い、でもダンナ様が一人で那須から自宅まで帰るのは気が進まないと言っている、らしい。
 どうなることか、妹たちの行動パターンがまるで読めないし、何より甥っ子のペースに合わせるのは了解済みなので、帰りの足は自由度を最優先に押さえないでおこうかと思っている。

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2013.10.22

無事、帰国する(台湾)

 2013年10月19日から21日まで、2泊3日で職場のお姉さんと台湾に行ってきた。
 ツアーに一人参加するか、母をお客に添乗員のように旅行計画を立てるところから当日の移動まで完全に自分主導で動くか、ここしばらくどちらかのパターンが多かったので、かなり新鮮だった。

 2泊3日と短い日程だったけれど、かなり詰め込んで満喫してきた。
 行きも13時過ぎには到着、帰りは16時発の便にしたし、私にしては宿と食で「贅沢」をしたし、変身もしたし、少し遠出もしたし、ハードかつ充実した3日間だった。
 ちなみに、持ち歩いている歩数計は、19日が16172歩、20日が10935歩、21日が15516歩だった。

 天気予報が雨だったり、見るサイトによって最高気温に23度から28度くらいまで5度の差があったりして、僅か2泊3日、しかも行き先は台湾だというのに、荷物は増え、家を出るギリギリまで持ち物の入れ替えをしてしまった。
 その、下手な荷造りの結果の持ち物リストは以下に。

続きを読む "無事、帰国する(台湾)"

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2013.10.21

台湾旅行記3日目

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 台湾旅行記は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

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 1日目 2013年10月19日(土曜日)

 2日目その1 2013年10月20日(日曜日)

 2日目その2 2013年10月20日(日曜日)

 3日目 2013年10月21日(月曜日)

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2013.10.20

台湾旅行記2日目その2(引っ越しました)

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 台湾旅行記は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

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 1日目 2013年10月19日(土曜日)

 2日目その1 2013年10月20日(日曜日)

 2日目その2 2013年10月20日(日曜日)

 3日目 2013年10月21日(月曜日)

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台湾旅行記2日目その1(引っ越しました)

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 台湾旅行記は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

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 1日目 2013年10月19日(土曜日)

 2日目その1 2013年10月20日(日曜日)

 2日目その2 2013年10月20日(日曜日)

 3日目 2013年10月21日(月曜日)

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2013.10.19

台湾旅行記1日目(引っ越しました)

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 台湾旅行記は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

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 1日目 2013年10月19日(土曜日)

 2日目その1 2013年10月20日(日曜日)

 2日目その2 2013年10月20日(日曜日)

 3日目 2013年10月21日(月曜日)

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2013.10.16

ハイダ・グアイ旅行記4日目その2

2013年6月16日(日曜日)

飛行機雲 ホットスプリング島に向かう途中、ほとんど水平線から垂直に上がっているような飛行機雲が見えて、しばし見とれた。
 添乗員さんに「太陽の周りに虹が見えていますよ。」と言われてじっと目をこらしてみたけれど、眩しすぎる。偏光グラスのサングラスを借りて見上げ、やっと確認することができた。
 試しにカメラを向けて撮っておいたところ、かろうじて太陽の周りに丸く虹が写った。

昼食 14時半くらいにホットスプリング島に上陸し、まずお昼ごはんを食べた。
 上陸してすぐのところにある岩場と枯れ木(流木)が椅子とテーブルである。
 ローズハーバーゲストハウスで作って持たせてくれたお昼ごはんは、グリーンサラダにツナのサラダ、ヌードルのサラダにパンケーキがいくつかあって、ヘルシーである。お腹も空いていたし、もの凄い勢いで平らげた。

 上陸地点から少し海岸線を回り込んだところに湯船があった。
 空っぽである。
 「温泉は湧いているけれど湯船が壊れた」とか「温泉が出なくなってしまった」とか事前情報が錯綜していたけれど、2012年10月のクィーンシャーロット島沖を震源地とするM7.7の地震以降、それまで湧いていた温泉が全く出なくなってしまったらしい。
 みんなして空っぽの湯船に入り、温泉に入った「つもり」で記念写真を撮った。

 ホットスプリング島には、あと2ヶ所、温泉がある。そちらの様子を見るのと、ウォッチマンハウスに立ち寄るため、さらに奥に進んだ。
 ホットスプリング島は温泉に入りに来る人が多いためか、スカン・グアイ並みに遊歩道が整備され、綺麗なシャワールームも作られている。
 本当に惜しかったなぁ、でもこの暑さでは温泉に入っても長湯はできなかったなぁ、などと考えていると、新しく温泉が湧き出しているところの様子を見に行くというウォッチマンと出会った。もちろん、後をくっついて行く。

温泉 かなり波打ち際に近いところで温泉が湧いていた。この写真は、その温泉の湧き口である。
 砂(砂利)を掘り、周りに石を並べて湯船が作ってある。湯船は深さ15cmくらいで、温泉がなみなみと張られている。
 広さは、2〜3畳分くらいだろうか。
 お湯に触ってみると、かなり熱い。温度計を持っているウォッチマンの彼が何故か測ろうとしないので正確なところは判らないけれど、湯温は50度弱くらいじゃないかというのがツアーメンバーの見立てだ。

足湯 水深15cmだろうと温泉が溜まっているなら、入るしかない。
 日射しも強くて暑い日だったので、レインウエアの上着やフリースは脱いでしまい、レインウエアとその下に履いているアウトドア用パンツをたくし上げ、靴と靴下を脱げば準備万端である。ハンカチ代わりに手ぬぐいを持ち歩いていたので、湯上がりも大丈夫だ。

 2日ぶりの「湯浴み」は気持ちいい。
 しかし、熱い。お湯に浸っている部分があっという間に真っ赤になった。湯船の底の砂利が当たると痛い。とにかく熱い。
 「写真撮影のモデルだ」などと言われてじっと入っていたら、その後、絶対にこれは低温やけどだと思い込みたくなるようなヒリヒリした傷みをしばらく足の裏に感じることになった。我ながら本当にマヌケだ。

 16時半過ぎにホットスプリング島を出発し、ウィンディ湾に向かった。
 その名のとおり風の強い場所で、風が吹いていると近づけないので日程表にも載せていないという話だ。この日は快晴の天気で波も穏やか、17時過ぎにスムーズに上陸できた。
 上陸した波打ち際近くの岩に名前の判らない黒い鳥がいた。何だかやたらとフォトジェニックだと思う。

カヌーとエリン ゾディアックを少し沖合いの決められた場所に留め直したエリンが、カヌーを漕いでやってきた。
 それにしても、本当に何でもできるお嬢さんである。「彼女にしたい。」と思わず言ったら「何をオジサンみたいなことを言っているんだ。」とツアーメンバーの誰かにツッコまれた。
 エリン先導で、ハイキングに出発である。
 川沿いのトレイルに沿って歩いて行く。木洩れ日が射してきて、とても気持ちのいいトレイルだ。
 苔の森が奥深くまで広がっている。

米スギ トレイルを歩くこと20分くらいで、大きな米スギに到着した。
 この米スギは、エリンが知る中でも最も大きな米スギで、樹齢1000年近いという。
 みんなでのんびり見上げ、代わる代わるこの木と記念写真を撮る。
 この木を上まで全部写真に収めようとするとなかなか大変で、ついにはカメラマンを買って出てくれた添乗員さんは地面に寝転ぶようにして撮り始めた。それでもなかなか撮るのは大変だったらしい。

 そうして寛いでいたところ、ふと気がつくとツアーメンバーのお一方がいらっしゃらない。ご高齢だけれど山岳ガイドもされていた(いる)という方だし、そもそも危ない場所でもないので、皆で代わる代わる名前を呼んだりしつつ、最初にうちはのんびりモードで探す。
 しかし、お返事もなく、その辺りからひょっこり顔を出すということもなくて、段々、添乗員さんたちの雰囲気が慌ただしくなり始める。

 「多分、先に戻られたんだと思います。」と言っていた添乗員さんの姿も見えなくなり、うーん、えー! と思っていると、今度はエリンから「**はどこ?」と添乗員さんの所在を聞かれた。「多分、探しに戻って行ったよ。」と答えると、エリンまでぴゅっといなくなってしまった。

 ツアーメンバーの方々が何故か私に「どうすればいいの?」と聞くので、添乗員さんもエリンも特に残されたメンバーについて指示出しして行った訳じゃないんだけどなぁと思いつつ、「二人が探しに行ってますから、私たちはここでのんびり待っていましょう。大丈夫ですよ。」とお答えした。
 他に言い様もない。

 実際、添乗員さんが戻って来た頃、森の奥からエリンの声が聞こえてきた。発見したらしい。
 そこから数分で全員が揃い、のんびり出発地点に向けて歩き始めた。私は全く気がつかなかったけれどこのトレイルはこの先もずっと島を半周できるくらい続いており、きっと休憩後は先に進むのだろうと先取りして歩き始めていたそうだ。
 何ごともなく、何よりだった。

ウォッチマンハウス 帰りは川沿いを戻った。
 川の向こうにウォッチマンハウスがあり、重機があって、煙も出ている。この8月に新しくトーテムポールを建てることになっていて、その準備中だという。できれば新しくトーテムポールを立てる過程を見てみたかった。残念だ。
 そのまま海岸に出て、砂浜を歩いてボートを留めたところまで戻った。
 19時前にウィンディ湾を出発し、2日目に宿泊したフローティングキャビンに19時半くらいに戻った。

 この日は暑かったし、お天気も良かったので、ニット帽は止めて、つばの広い日焼け防止用の帽子を被っていた。サングラスは元々好きじゃないので今回も持って来ていない。目玉がまぶしさに負けた感じはしないけれど、潮風に負けた感じはするので、持ってきた方が良かったかなと思う。
 いつもは手袋をしていたけれど、この日は寒くなかったし、カメラを操作するのに邪魔なので、そのうち手袋を嵌めるのを止めてしまった。その分、日焼けしたような気がする。

エリス罠とエビ 私たちをキャビンに降ろすと、エリンはそのまますぐ、一昨日仕掛けた罠を見に行った。
 戻って来るのを待ちかねて篭の中を見ると、エビが入っている!
 ピチピチ動くエビをタッパーに取り出すと、ちょうど10匹のエビがかかっていた。もちろん、コイツたちは今日の夕食にいただくのだ。
 エリスが外に置いてあるバーベキューセットでお肉を焼き始めた。このバーベキューセットは、流石に炭を使っている訳ではなくてガスだ。

 2日前と同じ部屋割りとなり、皆、手慣れたものでそれぞれお部屋に入り、ベッドの用意をし、夕食を待つ。お部屋でこっそり酒盛りを始めた方もいる。
 私はエビの頭を取ってお皿に並べたり(エビの頭は添乗員さんが翌朝の朝食のお味噌汁にしてくれた)、バーベキューのお肉を引っ繰り返したり、エビのお供にとツアーの方が提供してくださった佃煮をお部屋でこっそり酒盛りを始めた方々に差し入れしてビールをご馳走になったりしていた。

夕食 21時近く、夕食が始まった。
 まだ外は明るいし「遅い夕ごはんだ〜」という感じはない。お腹はぺこぺこでばくばく食べられる。
 デザートに辿り着いた22時過ぎには外も暗くなっていて、盛り上がったまま酒盛りに突入した。それぞれ持参のお酒を持ち寄り、お茶に切り替え、23時過ぎまで一体何を話していたのか、謎である。

 ベリーズのATM洞窟を添乗員さんが強力にプッシュしていたことは覚えているし、このメンバーで長野に行こうと話が盛り上がったことも覚えている。
 そういえば、こうして飲んでいるときに、私の職業をピタリと当てた方がいらして驚いた。そんなに判りやすかっただろうか・・・。
 23時過ぎにお開きとなった。

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ハイダ・グアイ旅行記4日目その1

2013年6月16日(日曜日)


 この日が一番「眠れなかった日」だったかも知れない。
 2時半くらいに目が覚めてしまい、できるだけそっとお手洗いに行く。ハシゴのような階段を降りなくてはいけないし、ドアを開けて外に出なければならないし、なかなか静かに歩くのが難しい。
 外に出ると真っ暗で、満点の星空が望めた。一瞬。カメラを取りに戻って写真を撮ろうかと思ったけれど、三脚を持ってなかったので諦める。
 その代わり、しばらく夜空を見上げる。満天の星空過ぎて、北斗七星は判ったけれどカシオペアがどこにあるのかどうしても判らなかった。


 お手洗いに行く途中、本当に目の前2mくらいのところに鹿がいて驚いた。鹿は夜行性なんだろうか。ごく普通に草を食べている。
 LEDのヘッドライトで照らしてしまったけれど、全くこちらを恐れる様子はない。我関せずという感じだ。
 LEDに照らされて目が光るのがちょっと怖い。
 鹿を押しのけてお手洗いに行くこともできず、彼(彼女だったかも知れない)がゆっくりと草を食べながら移動するのを待った。


ローズハーバーゲストハウスのお部屋 今日の朝食はゆっくりめの8時からだけれど、ツアーメンバーのみなさんは始動が早い。5時半とか6時には身支度を始める気配がしていた。
 私も5時半に起きて、昨日の夜に部屋に戻ってきたときには暗くて何もかも放りっぱなしで寝てしまったので、片付けをしたり、日記を書いたり、ぼーっと窓の外を眺めたりしていた。
 このお部屋は、海に向いた窓の他に天窓がある。流石に星は見えなかったけれど、明るい光が差し込んできてなかなか居心地が良かった。


朝食スーザン 朝食はフルーツパンケーキだった。
 昨夜見せてもらった、自転車を改造した粉ひき機で碾いた粉で焼いたパンケーキは、少しぽそぽそしているのにしっとりしていて美味しい。スーザンが焼いてくれるパンケーキにフルーツを載せ、ヨーグルトをかけて頂く。
 美味しかったので、この半分のサイズのパンケーキをもう1枚焼いて貰っておかわりをした。


 朝食をいただいているときに、スーザンに頼んで、ゴッヅさんが出しているCDを買った。
 確か、昨日の夕食のときにもかけられていたと思う。ゴッヅさんの自宅を兼ねたゲストハウスに泊まった男性陣によると、コンピューターや楽器などが装備されていたらしい。
 2枚あってどっちにしようか迷った末、「新しい方」にした。新しいといっても2005年に出されたCDで、タイトルはTouching the Place of Wonder、20ドルである。
 ボートでローズハーバーを出発した後で、「ゴッヅさんにサインして貰えばよかった!」と思いついた。後の祭りである。


 ところで、この日の朝、起きたら全身筋肉痛だった。
 筋肉痛になるようなことは何もしていないのにどうしてだろう。多少は歩いているけれど、大した距離でも時間でもないし、上り下りがあった訳でもない。そもそも「足」ではなく「全身」だ。しかも、他の方々は全く筋肉痛になどなっていないとおっしゃる。
 朝食の後、あーでもないこーでもないと言い合って、やっと原因らしきものが判明した。
 昨日、ボートの乗り降りの際に何となくボートを引っ張って動かないようにがんばってしまった結果に違いない。そう叫んだせいか、この日も次の日も、男性陣が様々にサポートしてくれるようになり、私が一番若いのにすみませんと思った。


 ボートで出発する前、ローズハーバーの森を散策した。エリンは「長靴を履いた方がいい。」と言い、スーザンは「普通の靴で大丈夫!」と太鼓判を押す。歩きやすさを優先し、ツアーメンバーはみな、ハイキングシューズで出発した。
 近くだし、森の中だし、お天気はいいし、レインウエアを装着する必要はないけれど、何故か全員がレインウエアを着ているのが可笑しい。
 9時過ぎ、エリンの先導でゲストハウスの裏手の森に出発した。


深い森 出発して5分も歩かないうちにこんなに深い森に入っていることに驚く。
 ローズハーバーは元々が捕鯨基地だったためか、この場所は国立公園ではなく、人が唯一住める場所となっている。ゴッヅやスーザンが拓いたり手入れをしたりしていない場所は、こうしてすぐ森になってしまうのだと思う。
 豊か、かつハードな暮らしだ。


 森の中をのんびりと歩いた。
 今までで一番「道がない」森のような気がする。これまでは、結構はっきりと「ここが道だ」という場所を歩いたけれど、ここは「何となくここが道っぽいけど、コケも生えているし木が塞いでいるところもある」という感じだ。
 10分くらいで、作りかけのカヌーが置き去りにされた場所に到着した。


作りかけのカヌー こういうものを見ると、つい上の方に登りたくなってしまう。説明もそこそこにぐるっと回り、作りかけのカヌーの上の突端まで行ってみた。
 どうして森の中でカヌーを作っているかといえば、まず倒してくりぬくところまで作業をしてから運べば軽いからだという。海辺まで運んだら水を入れ、焼け石を入れて水蒸気を発生させることで、くりぬいた部分がさらに開かれ、さらに密になった外側から水がしみ込まなくなる。
 何だかお祖母ちゃんの知恵袋みたいな話である。
 ハイダの人々が、このただくりぬいただけのカヌーとオールだけでペルーにまで行ったという記録も残っているそうだ。驚きである。


 帰り道が判らなくなって、乾いていると思い込んだ苔の中に入ったら靴が泥まみれになったりしながら、10時前にゲストハウス前に戻った。
 身支度をして荷物を積み込んだら出発である。


お花畑 ボートを待つ間、ツアーメンバーのお一方が「この花は綺麗だね。」とスーザンに声をかけたら、スーザンが食堂の奥にあるお花畑に案内してくれた。
 ボートの様子を見て、準備に時間がかかりそうなことを見定めて、私も一緒にお邪魔させていただく。
 食堂の奥は畑になっていて、お花ももちろん咲いているし、野菜も育てられている。ビニルハウスを作って、イチゴの苗やトウモロコシも育てていると言う。
 昨日の夕食でいただいたミントティーのミントも、この畑で栽培したそうだ。
 もっとここでゆっくりしたかった。


凪いだ海 10時半、ローズハーバーを出発した。
 今日もいいお天気だ。
 レンタルのレインウエアを着てスーザンのお花畑を見せてもらっているとき、暑くて暑くて汗をだらだら流していたら、「あと少しの辛抱だ、ボートに乗ったら寒いんだから。」と半袖のゴッヅとスーザンに言われたくらいの気候だ。
 これだけのお天気でこんなに凪いだ海を進んでいるのに、確かにボートが動き出した途端、涼しくなって汗が止まった。
 慣れてきたつもりでも、生身に時速60kmの風は相当にキツイ。


ガルシン・ロック 20分くらい走ったところでエリンがボートを止めた。
 ガルシン・ロックと呼ばれる岩場で、アザラシやアシカ(私には相変わらず区別がつかない)が生息している場所だという。一昨日に立ち寄ったリーフ島周辺は波が荒く、なかなか観察も難しかったので、今日はこちらにボートを向けてくれた。
 何というか、「獣の臭い」がする。
 そして、威嚇しようというのか、唸り声のような何ともいえない音を立てている。
 いかにも野生動物の住処という感じがした。


イケダ湾 随分と深く入り江に入って行くなぁと思っていたら、そこは「イケダ湾」と日本人の名前のついた入り江だった。イケダアリチカという日本人がここで銅を発見し、採掘をしていたことからその名がついたという。
 1906年に開かれた銅山では、180人の日本人が働いていたという記録も残っている。1912年にカナダ人にその権利を譲って、イケダさんはどこへ行ってしまったのだろう。
 他にもハイダ・グアイに鉱山を探しに来た人がいたけれど、イケダ氏はその中でも最初の「成功者」だという。
 何だか凄い。


お墓瀬戸物のカケラ 12時半くらいに到着したガジェッドウェイ湾で上陸した。
 1910年、ここで日本資本の鮑の缶詰工場が作られ、100人もの日本人が働いていたという。エリンも私たちが日本人だからここへ連れて来てくれたのだろう。
 日本的な瀬戸物のカケラがたくさん波打ち際に落ちていて、いかにも生活の跡という感じだ。


 1915年、経営者はカナダ人でなければならないと決めたカナダ政府の命令で工場が閉鎖され、日本人は立ち去る。
 しかし、1913年に亡くなった工場主の奥様のお墓が残されていて、エリンは少し森を入ったところにある彼女のお墓に案内してくれた。


 鮑工場が撤退した跡もこの地ではサーモンの工場が建てられるなどしていたのでその方々がお墓を建てたのではないか、この奥様が鮑工場撤退後お一人だけ残ったからお墓も残されているのではないかなどと、添乗員さんの通訳も錯綜していて、工場主の奥様のお墓だけがここに遺された理由はよく判らない。
 ツアーメンバーのうちお三方が、それぞれ故人の冥福を祈ってお経をあげていた。


 余りにもしっかりしていてタフなのですっかり忘れていたけれど、エリンは若い女の子で、お経をあげている様子を見守りながら泣きそうになっているのを見て、純真なんだなぁとオバサンの感想が浮かんだ。
 エリンは、あとで、「ここには何度か来ているけれど、こうやって彼女の冥福を祈ってくれた人は初めてで、自分はずっと彼女がここに一人で遺されてしまったことが気になっていたので、こうやってお祈りをしてもらえて嬉しい。」と語っていた。


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2013.10.09

ハイダ・グアイ旅行記3日目その2

2013年6月15日(土曜日)


 添乗員さん曰く「もうハイライトですよ!」という、世界遺産スカン・グアイに上陸した。
 上陸した浜から木道が森の中を整備されており、森の奥にウォッチマンハウスがある。
 何というか、深い森で、苔の森である。
 とにかく急いでトーテムポールに向かいたい気持ちと、こんなに気持ちのいい場所なのに足早に過ぎることのもったいないという気持ちとのせめぎ合いだ。


レイブンハクトウワシ


 ウォッチマンハウスに到着して、中に入れていただくと頭上にワタリガラスとハクトウワシの紋章というか意匠を刻んだ梁が飾られていた。
 左側がワタリガラス(レイブン)で、右側がハクトウワシ(イーグル)だ。見分け方としては、くちばしの先が分かれている(離れている)のがハクトウワシで、くちばしの先までぴったりくっついているのがワタリガラスだ。
 ハイダ族は、ワタリガラスの家系とハクトウワシの家系(クラン)に分かれている。


ウォッチマンのお二人 スカン・グアイにいたウォッチマンは、息子(といっても40代後半)のジョルダンと、お母さんのお二人だ。昨日行ったスケダンス島でウォッチマンをしていたアイリーンとこのお母さんは姉妹だという。
 それだけ残されたハイダの人々は少ないということか、ジョルダンの一族が多くウォッチマンを務めているということか、よく判らなかった。
 この掲げられているお魚はオヒョウで20ポンドくらいあるという。後で持たせてもらったら本当に重かった。彼らが釣ったり捕まえたりしたのではなく、漁師がここまで売りに来ると言っていた。


苔の森岩から生える木 スカン・グアイでもウォッチマンのジョルダンが案内してくれた。
 彼の先導で、ちょうど潮が引いていた海辺に向かう。再び、苔の森を歩く。両側に岩が迫るような道で、夕方17時くらいになって、雲も出ていたので、ちょっと暗い森の道を歩く。
 上陸したのとは反対側の海辺にトーテムポールがあるようだ。


海から見るスカン・グアイ のんびり苔やお花を眺めたり、写真を撮ったりしながら30分くらい歩いて、村のあった場所に到着した。
 ちょうど引き潮だったようで、海からトーテムポール達を見ることができる。ボートに乗らず、正面からトーテムポールの立つ全体の様子を見られることはなかなかないので、これは嬉しい。 
 ここは1880年代に放棄された村で、一部には焼かれた跡も残っている。


 完全な姿で残っているトーテムポールはなく、弱っているので落ちてきたりする可能性もあるから近づいてはいけないと注意を受けた。ウォッチマンでも近寄ることは禁止されていると言っていたから、相当弱っているのだろう。
 1957年に、フロントポールのうち状態のよかったものは博物館に収めるために持ち出されてしまっている。
 ハイダの人々は「朽ちてゆくまま」にすべしと考えているので、スカン・グアイが世界遺産に登録されるに当たって「保存」ということについて議論が起き、ここでも、最終的に最低限の支えを施してあるのみとなっている。


昔の様子 ここでは17軒の家に300人くらいが住んでいたそうだ。族長の家はポトラッチのときなど50人もの人が入ったけれど、平均すると1軒の家に10〜15人が暮らしていたという。
 トーテムポールと家々はこの入り江を囲むように建てられており、向かって左側にハクトウワシのクランの人々が、右側にワタリガラスのクランの人々が住んでいたという。


 昔といっても150年くらい前のことだ。カニなどの海の幸を獲り、ベリーを摘み、ジャガイモ畑を作って暮らしていた。ハイダ・グアイ南部には、17の国(村)があり交易も行われていたという話の一方で、「よその国(村)と関係が生じるのは戦争のときくらいだった。」という説明もあり、その辺りの関係がどうなっていたのかよく判らなかった。
 戦争になると女性は子ども達は家々の後ろにある山(森)に逃げ込み、海辺には砦も築かれたという。


トーテムポール 現在残っているトーテムポールは、そのほとんどが墓棺柱だ。家の前に立っていたフロント・ポールと呼ばれるトーテムポールのほとんどは博物館に持って行かれてしまっている。
 スカン・グアイには、他の場所に通じる道はない。博物館に納める際には、トーテムポールを海に浮かべ、漁船で引っ張って運んだそうだ。合理的なのか、適当なのか、よく判らない。


家の柱とトウヒの木 トーテムポールの後ろに回ると、家の跡を見ることができる。
 家の四隅に建てられていた柱を割って木が育ってきているところも見られる。こうして、この家々の跡も森に帰って行くということなんだろう。
 家の後ろから見ると、ハイダの家もトーテムポールも海に向かって建てられていることがよく判る。


 レイブンクランの族長の家は6beam、ハクトウワシの族長の家は2beamだというから、梁の数で家の立派さが決まる訳ではないということは、ここスカン・グアイでも同じようだ。
 族長の家には奴隷がいた(奴隷はこの辺りで寝ていた、という説明がさらっとあった)と言われて驚いく。本土にいたクリンギット族と戦争し、連れて来た捕虜だったらしい。
 家々を構成している木もトーテムポールを造った木もいずれも米スギで、だからこそこうして今も辛うじてその跡を残している。


ハクトウワシシャチ トーテムポールの意匠は動物であることは分かりつつ、結構抽象化されていて見分けるのは難しい。
 左側の写真のようにギザギザした歯はシャチの象徴で、右側の写真のような羽の模様はハクトウワシの特徴をよく表していると説明を受けたことはよく覚えている。


スカン・グアイ全景 この入り江もとにかく気持ちのいい場所で、ジョルダンさんの説明を受けているうちに、青空も覗き、日も射し、再び海の水が満ちてきたのが嬉しい。
 「19時15分には出発します。」と言われたのも何のその、ダッシュすれば間に合うだろうとその場にできる限り長く残り、黄色く小さいお花畑に立っているトーテムポールや、傾き始めた日の光を浴びるトーテムポールたち横一列に並ぶトーテムポールを斜めから捉えたり、とにかく写真小僧となってパシャパシャと写真を撮りまくった。
 それでも、やっぱり、あの気持ちの良さを写真に残すことはできないのが悔しい。


 スカン・グアイに来て、一番最初に近づき一番最後に別れるのは、グリズリーベアが人間の子供を抱えた意匠のトーテムポールである。
 このトーテムポールは、ちょうど目の前に海からの風を避けるように木々が立ち並んでいることもあって保存状態がよく、最後まで残るだろうと言われている。
 このトーテムポールも墓棺柱で、その棺が非常に美しく彫刻されたものだったので150〜200年前に持ち去られてしまっている。
 棺は通常2m近くあり、それだけ重いものを頭に載せて安定して立たせるのは大変だろう。1mくらいも堀り、大きな石(岩)を回りに置いて支えるようにしているという話だった。


 本当に本当に名残惜しかったけれど、ウォッチマンハウスでゲストブックにサインし、お手洗いを借り、何故か見学前に見せていただいたオヒョウまでいただいて、19時30分過ぎ、スカン・グアイを後にした。
 添乗員さん曰く、「あとは帰り道」である。


 スカン・グアイから本日の宿であるローズハーバーゲストハウスまでは近く、20分ほどで到着した。桟橋があってボートからの乗り降りが楽なのが有り難い。
 部屋割りなどのために添乗員さんが走り回っている間、エリンがボートを少し沖に留めてくると言うのでくっついて行くと、「ボートを置いてくるだけよ?」と彼女が不思議そうにしている。「エリンが乗ってからボートを私が押せば楽にスタートできるでしょ。」と言ったら、彼女の返事は「来年はここで助手になれるわ!」だった。
 いやいや、私にはエリンのタフさも賢さも可愛らしさも(これはガイドに必須ではない)ありません、と思う。ちょっと可笑しいやりとりだった。


ゲストハウス このゲストハウスは(多分)2棟に分かれていて、男性陣はグッヅさんも暮らす母屋へ、女性陣はゲストルームのみのもう1棟に泊まることになった。
 外観は「大丈夫か?」という感じだけれど、中に入ると、真ん中にロビーがあって、左右に1部屋ずつ(2段ベッドとシングルベッドの部屋と、ダブルベッドの部屋)、急なはしごのような階段を上がるとツインベッドのお部屋が二つあり、なかなか居心地がいい。


 水道は部屋の中に、お手洗いは徒歩20秒の外にある。
 私たちは、家の中で土足は落ち着かないと玄関口でハイキングシューズは脱いでしまい、それぞれスリッパやビーチサンダルで過ごすことにした。
 レインウエアを脱いでゲストハウスの外、屋根がついている場所にかけて干し、それぞれの部屋にはLEDの小さなスタンドしかないので「暗くなったら大変!」と食事の前にベッドメーキングに取りかかる。


オードブル 21時くらいから夕食をいただいた。
 男性陣はとっとと身支度や荷物整理を済ませて先に始めていたらしい。女性陣は別のテーブルに固まった。そうなると、関西の方5人の中に私が一人いる格好で、ちょっと肩身が狭い。
 オードブルだというウニのお寿司にびっくりした。確かにオードブル扱いで、一緒にテーブルに置かれていたのはグリーンサラダだ。
 流石にごはんは寿司飯ではなく普通のごはんで、でも海苔が巻いてあるところが凄い。醤油も山葵ももちろんある。
 今日のごはんは、昼も夜もウニが溢れんばかりだ。


メインディッシュ ウニはオードブルで、もちろんメインディッシュがある。
 焼きそば風のパスタに、アブラメという白身のお魚のソテーが用意されていた。あっさりした白身のお魚に、中華風の味付けのソースが美味しい。そういえば、スカン・グアイでもらったオヒョウはどこにいったのだろう。謎だ。
 パスタは、添乗員さん持参のしょうゆでちょっと味を足すと丁度いい加減になって、みなさん、おかわりをしていた。


 ココナツのケーキと、自家製だというミントティーが供された辺りで、エリンから「サンセットよ。」と声がかかった。
 スカン・グアイを出発するとき、私が添乗員さんに「今日、夕陽が見られるといいですね。」と言ったことを覚えてくれていたらしい。
 コンデジは持ってきていたけれどデジイチは部屋に置いて来てしまっていたので、慌ててダッシュして取りに戻った。時刻は22時だ。


最初の1枚 エリンに声をかけてもらって部屋に戻り、ちょうど部屋の前辺りから撮った最初の1枚を撮る。
 次々に写真を撮っていたら、ついにデジイチの電池がなくなってしまい、もう一度慌てて部屋に戻って電池を替える。どうしてこういうときに限って電池切れになるのかと思う。


 ふと気がつくと、添乗員さん含めツアーメンバーがポツポツと海岸線に出て写真を撮っていた。
 グッヅさんまで出て来て写真撮影をしているのが可笑しい。可笑しいけれど、本当にここが、特にこの夕焼けが好きなんだろうなと思う。
 ローズハーバーは元々は捕鯨基地があった場所で、グッヅさん夫妻は捕鯨会社がこの場所から撤退するときにその敷地を買い、住み続けている。


夕陽母屋の窓に映る夕日 グッヅさんに「僕の撮った写真の方が赤く撮れている。」と自慢されて、だってグッヅさんは毎日見て毎日写真の工夫ができるんじゃん! と思ったけれど、それを英語に直す語学力がない。仕方がないので膨れて見せ、そのまま撮り続ける。


 「色々なアングルで撮っておくといいんだよ。」と言われ、グッヅさんのマネをしたり、母屋の窓に映る夕日を撮ったり、アングルだけでなくホワイトバランスを変えたり試行錯誤していると、日が沈むのなんてあっという間だ。
 そうした試行錯誤の中、いかにも「ローズハーバー」な色に撮れた写真がこれである。
 ローズハーバーの名前の由来は絶対にこの空の色にあると思う。


 日が落ちきって真っ暗になり、食堂に戻った。お料理はグッヅさんの奥さんのマリアさんが担当だ。
 食べかけになっていたケーキとミントティーをいただき、23時前に解散した。
 ローズハーバーゲストハウスでは、薪で沸かしたお湯のシャワーを浴びることができる。汗もかいていないし、ツアーメンバーはみなさん回避したようだ。添乗員さんは、「レポートを書かなくちゃいけないので。」とチャレンジしていた。
 風邪をひいたら大変なので私もパスし、シャワーシートと「水のいらないシャンプー」で済ませた。


 リビングに陣取って、持参したLEDのヘッドランプで足もとを照らして差し上げつつみなさんがお手洗いを済ませるのを見届けた後、海に向かって窓が開きしかも便座が二つ並んでいるお手洗いを使った。返す返すも、この超絶ロケーションの二人用トイレの写真を撮らなかったことが悔やまれる。
 発電機を回しているのだろうに申し訳ないと思いつつ、夜中に誰かが起きて何かにぶつかってコケても大変なので、水場にあったLEDのスタンドはつけっぱなしにさせてもらった。


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宿を予約する(那須)

 2013年9月に妹母子が我が家に滞在していた際、母は妹に「11月に那須に行かない?」と声をかけたらしい。
 その前に、テレビで藤城清治美術館が新しく那須に開館した様子が流されており、それで行きたいね、那須だったら妹たちも行きやすいんじゃない? と言い出したのだ。

 声はかけたものの、相変わらず我が妹の意向ははっきりせず、そうこうするうちに今度は母が「那須はどうせなら紅葉の時期に行きたいから、11月は西伊豆に行って夕陽を見ましょう」と言い出した。
 いや、まだ妹の返事を聞いていないんでしょ? 結構行く気になっている可能性も高いよと言ったのだけれど、母は「どうせ行くって言わないわよ」とおっしゃる。だったら「行こう」とそもそも言わなければいいものを、どうしてわざわざ話をややこしい方向に持って行くのか、本当に謎である。

 そういうことならと西伊豆の宿を予約して2、3日たったところで、案の定、母が「電話があって、那須に行くって。宿は予約しておいてくれるらしいわ」と言い出した。
 そんなことだろうと思っていたので腹も立たない。我ながら、オトナの対応である。

 さらに1週間ほどがたった今日、妹から電話があって「宿が取れない」と言う。甥っ子がいるのでお子様連れ歓迎の宿がいい、藤城清治美術館からも近いし、とホテルサンバレー那須にしようと言う。しかし、予約しようとしたところ、和室が一杯なのだそうだ。甥っ子がいるので、ベッドよりも落ちる心配のないお布団の和室がいいらしい。
 妹はホテルのサイトで探したというので、楽天トラベルで探したところ、和室が2室空いていたので、早速押さえた。楽天イーグルスが優勝したときに押さえておいたクーポンも使え、お得なプランを予約できて満足である。

 妹たちは車で行くと言っているので、あとは新幹線を押さえればいいだろう。

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2013.10.06

ハイダ・グアイ旅行記3日目その1

2013年6月15日(土曜日)


フローティングキャビンから 5時前、誰かがベッドから落ちた音(推定)で目が覚め、5時過ぎ、誰かの目覚まし時計が鳴って本格的に覚醒した。
 両隣のお部屋ではすでにみなさん完全に起きていたようで、二度寝は無理と諦め、せっかく目が覚めたので、1階に降りてキャビンの外に出た。
 いい朝だ。


星野道夫の本 昨日は人気でなかなか見られなかった星野道夫の本と、昨日行ったスケダンス島のトーテムポールについて解説した本を眺めた。前者は写真がメインだし、後者は英語の本だから、本当に「眺めた」だけだ。でも、面白い。
 星野道夫がクィーンシャーロット島に来たときにもこのキャビンに泊まったそうで、この本にはサインも残されている。


 スケダンス島でディヴィッドさんが説明のときに使っていた本がこのキャビンにもあって嬉しい。どれくらい前に撮ったのか、今とは全く様子の違う、まだ家が建ち、人が暮らしていた頃の写真も載っている。
 本当に今の様子は「朽ちている」状態なのだなと思う。まだきちんとトーテムポールが立っているうちに、彫刻がはっきりと見えるうちに来たかったと思う一方で、保存しておけばよかったのにとは思わないのが我ながら不思議だ。


朝食 ポットのお湯をもらって今日持って行く水筒のお茶を作ったりしているうちに、朝食となった。8時である。
 パン、野菜入りのスクランブルエッグ、ジャーマンポテト、果物、ジュースが出される、温かい飲み物はセルフサービスで、私はコーヒーをいただいた。
 美味しい。
 そして、エリスも「いい朝ね。」と言ったほど、今日は上天気、波も穏やかだ。


 9時くらいから出発の準備を始めた。
 今日の宿であるローズハーバーにはリネン類が揃っていないので、今朝まで使っていたシーツ2枚と枕カバー1枚を枕カバーに納めて一人分、名前を書いたテープを貼って、それをビニル袋を入れた大きなバケツに詰め込んで持って行くという。
 こんな上天気だけれど、持参したレインウエアを着込んだに上にさらにレンタルのレインウエアを着て長靴を履くという身支度もなかなか大変で、出発したのは9時30分近かった。 


罠をセット ゾディアックボートを出発させてすぐ、まだフローティングキャビンも見えるところで、エリンがボートを止めた。
 何? と思っていると、エリンが縦横高さ40cm×30cm×15cmくらいの篭を放り投げていた。その篭の真ん中にはエビが好むエサが仕込まれていて、これでエビを捕まえ、明日、このキャビンに戻ってきたら夕食にそれをいただく計画だそうだ。それは楽しみである。
 エリンは次々と篭についたロープを繰り出していて、この海の深さが知れる。


 今日は、昨日とは打って変わって波も静かで、ボートも滑るように海面を進む。
 席替えして前から2番目の席に座っているので、前方もよく見える。出発して15分もしないうちに、正面に雪をいただいた山々が見えてきた。
 フォトジェニックである。
 標高は1000mそこそこの山だそうだ。それでも、ここまで緯度が高いと6月でも雪が残っているらしい。もしかしたら、根雪なのかも知れない。


あざらし 岩なのか島なのか、呼称に迷う大きさの岩に寝そべるアザラシを見たり、帆船が優雅に浮かんでいる(ただし残念ながら帆は畳まれていた)様子を見たりしながらゾディアックは進む。
 昨日に比べたらピクニックのようなものだ。


 服装は昨日とほとんど変わっていない。上半身は、長袖Tシャツに長袖シャツ、フリースにレインウエアを2枚重ね、下半身はアウトドア用パンツにレインパンツを2枚重ねている。
 ウールの帽子がうっとうしかったし日射しも強そうだったので、つばのある日よけ用の帽子に変えた。
 風を切ってボートが進んでいるときに足首が冷たかったのと長靴に水が沁みてきているような気がして、靴下を2枚重ねにする。 


トウヒの木 10時半くらいにリチャードソン・ポイントにトイレ休憩を兼ねて上陸した。
 早速、森に入った方が「そこでハクトウワシが死んでいるわよ。」とおっしゃる。私はできれば見たくないと思って近づかないことにする。ツアーメンバーの多くの方はご覧になったらしい。
 大きな米スギの木がそこかしこにある森の中に入って行く。樹齢300〜1000年と説明に幅があるのは、ゆっくり育つ木なので推測するのが難しいためらしい。
 1960年代にあった、森を伐採して木材を輸出しようという動きにハイダの人々が反対したことを契機として、ここは国立公園として指定されている。この森は「野生林」なのだ。
 また、周辺の海にはあわびもたくさんいる。残念ながら食べることは禁止されている。


試しに切ってみる リチャードソン・ポイントも、かつて人々が暮らしていた場所だ。
 木の皮が剥がされているのは、皮の内側の繊維を取りだし、布を織っていた跡である。以前に糸作り体験をしたときに、もちろん直径2cm程度のもっと細い草を使ってのことだけれど、同じように皮の内側にある繊維を取り出したことを思い出した。
 これらの木は、皮の一部を剥ぐだけならそのまま生き続けることができるというから安心である。
 また、トーテムポールを作るのに相応しい木かどうか確認するために中をくりぬいて確認した跡も残っている。スが入っていると、その木は止めて他の木を探したそうだ。
 この「検査」に合格した木の根元を焼いて、切り倒したという。


 リチャードソン・ポイント周辺の海は潮の干満の差が激しく、10mほどもあるという。
 おかげで、磯の様子が観察できて楽しい。
 カラス貝のような黒い貝は毒があって食べることはできない。説明がなかったら、ちょっと試しに食べてみたくなるような風情である。
 1時間ほども滞在し、リチャードソン・ポイントを後にした。


 20分ほどボートを走らせ、エリンがやけに磯に近づいて行くなと思っていたら、彼女はおもむろにエンジンを止め、手製だと思われる銛のようなものを取り上げた。
 ここでウニを獲るという。
 ウニ? と思って海中をじーっと見ると、ヒトデなのかウニなのか他のものなのか判然としないながら、確かにそれっぽいものが岩にへばりついている。事前の案内では「潮の引いた浅瀬でウニを獲る」かもと書いてあったけれど、随分とワイルドな方向に舵を切ったようだ。
 エリンも「初めてだから上手く行くか判らない。」と言っている。


ウニ漁 レインウエアを脱ぎ捨てた添乗員さんが参戦し、エリンがボートの操縦に専念すると俄然効率が上がった。
 「どなたか、やってみたい方はいらっしゃいますか?」と言われたけれど、ここで海中に落ちたくはないのでお任せする。大きなウニが次々と獲れてウソみたいだ。添乗員さんの腕も見る間に上がって行って、30分ほどでかなりの「大漁」となった。
 「これはお昼ごはんにいただきましょう。」と言う。凄い。
 我々のボートがウニ漁に夢中になっている間、近くの岩場には狸っぽい動物が遊びに来ていた。狸もウニやその他の海の幸を食べるのだろうか。


ヒッピーのおうちバーナビーナロー


 14時前、昼食のためにバーナビーナローに上陸した。
 国立公園に指定されるまで、ここにヒッピーの人々が住み着いていたそうで、家の跡も残っている。
 美しい場所だし、海の幸も豊富、鹿もいて食料に困らないというのが大きなポイントだったらしい。
 もちろん国立公園となった今では、漁は禁止されている。
 大きな木の下に小さな木(しかも綺麗な円錐形だ)があるのは、その鹿たちが葉を食べてしまったからだそうだ。よくも綺麗な形に食べたものである。


 ウニはボートの乗降に使っているステップを引っ繰り返して入れ物にして運んで来た。最初は、お鍋に海の水を汲んできて洗っていたけれど、それではまだるっこしい。何人かで波打ち際に行き、直接海の水で洗いながら中味を取り出した。
 添乗員さんがナイフの柄で割ってくれた殻から中味を取り出す。如何せん、慣れない作業なのでなかなか上手く行かない。「ちぎれちゃったから食べちゃおう。」とやっていたら、「わざとやってない?」と一緒にウニに取り組んでいたツアーメンバーの方に呆れ半分ニラまれてしまった。
 ウニは苦手だけれど、まさに採れたてのウニを海水の潮の味でいただくなんて極上の贅沢だ。美味しい。いくらでも食べられる。


昼食 ウニの処理も何とか終わり、昼食開始である。
 エリスが作ってくれたサンドイッチ、ポテトサラダ、クッキー、りんごジュースもあるし、私は水筒に麦茶を詰めてきている。そして、もちろん、ウニがある。
 美味しい。
 芝生の思い思いの場所に座って、景色を眺めながら美味しくいただいた。


鹿 出発前、「鹿の群れがいるよ。」と教えてもらって行ってみると、確かに遠くの方に鹿の群れがいて、そしてふと近くの林を見たらそこに鹿がぽつんといたので驚いた。
 鹿は元々この地にいたのではなく、ヨーロッパの人々が連れて来たらしい。そう聞いても、動物を近くで見られると嬉しい。
 そーっと近づき、かつ望遠レンズを使って、写真を撮る。何ともフォトジェニックな鹿だった。


 15時くらいに出発し、一路、世界遺産スカン・グアイを目指した。
 今日の宿であるローズハーバーの沖合で一旦ボートを止め、エリンが誰かと交信している。世界遺産スカン・グアイでは、一度に上陸できる人数に制限があり、その確認をしているようだ。
 ゴーサインが出て、再びエリンはボートを飛ばす。
 16時半過ぎに、上陸した。


 「ハイダ・グアイ」は、1980年代に付けられた呼称だそ。どちらかというと「クィーンシャーロット(諸)島」の方が通りがいいような気がする。星野道夫の「旅をする木」にも「クィーンシャーロット」と書かれている。
 Wikiによると、「ハイダ族の歴史を尊重し、植民地的な名称であるクイーンシャーロット諸島の代替として1980年代初期に作られた造語が「ハイダ・グワイ」という名称である」そうだ。2010年にブリティッシュ・コロンビア州政府が公式に改名する法律を成立させたという。
 ということで、旅行社のツアー名は「太古の森が息づく神秘の島 クィーンシャーロット」だけれど、この旅行記では「ハイダ・グアイ」で統一した。
 ハイダ・グアイとは「人々の島」という意味である。


上陸 ハイダ・グアイは、南北の大きな島を始めとする大小150余の島で構成されている。
 その南端にある島がスカン・グアイ(アンソニー島)である。
 スカン・グアイは1981年にユネスコ世界遺産に登録されている。その登録理由は「現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。」だ。


 その世界遺産の島に、いよいよ、上陸である。


 ハイダ・グアイ旅行記2日目その2 <- -> ハイダ・グアイ旅行記3日目その2

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旅行社から最終案内が届く(台湾)

 2013年10月4日、旅行社から旅程表等一式が届いた。

 同封されていたものは、以下のとおりである。

 旅行日程表
 羽田空港集合場所変更のお知らせ
 出入国カードの書き方
 空港宅配サービスの案内&割引券
 空港周辺駐車場の案内
 台湾まるごとガイド
 機内への液体物持ち込み制限について(袋とメモ)
 旅行条件書
 MRTカード
 お土産の案内
 ネームタグと荷物用シール

 今のところ、荷物はミラコロで持って行って、機内に持ち込もうかと思っている。そうすると、化粧水等々の液体物を別にしておかなければならないのが面倒なのと、よく持ち込んでいるハサミを今回は置いて行こうかという辺りが迷うところだ。

 行きの集合時間は書かれているけれど、帰りについては何もないので、それは現地で指示されるということだろう。最終日の予定が立てにくいのが困る。
 2泊3日の台湾だし、気楽に行ってこようと思う。

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2013.10.04

520000アクセス達成!

 昨日(2013年10月3日)、どなたかが520000アクセス目を踏んでくださった。
 持ち物リストと、スパリゾートハワイアンズ関係へのアクセスが多い。2回連続で、1ヶ月かからずに10000アクセスに達して驚いた。

 これまでの経過は以下のとおりである。

 スタート 2004年9月1日
 10000アクセス 2005年7月17日
 50000アクセス 2006年11月22日
100000アクセス 2008年6月15日
150000アクセス 2009年2月21日
200000アクセス 2009年11月30日
250000アクセス 2010年9月16日
300000アクセス 2011年5月26日
350000アクセス 2012年2月8日
400000アクセス 2012年9月3日
450000アクセス 2013年2月19日

460000アクセス 2013年3月27日
470000アクセス 2013年5月3日
480000アクセス 2013年6月11日
490000アクセス 2013年7月18日
500000アクセス 2013年8月14日

510000アクセス 2013年9月7日
520000アクセス 2013年10月3日

 こうして続けていられるのは、遊びに来て、読んでくださる方のおかげです。
 ありがとうございます。
 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

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