吉野山旅行記の入口を作る
ここは、母と出かけた吉野山旅行記の入口である。
この1泊2日の旅行にかかった費用は、一人分約58200円だった。ここには、交通費、宿泊費、食事代、拝観料が含まれているが、お土産代や御朱印は含まれていない。
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2013年4月15日(月曜日)
余裕があるつもりが、竹林院前に戻った時点で10時半だった。あと1時間しかない。
お昼ごはんは柿の葉寿司を買ってバスの中で食べることにし、この1時間で吉水神社と蔵王堂の見学をすることにした。
まずは、吉水神社である。ここも世界遺産に登録されている。拝観料400円を支払って中に入る。
吉野山は日本史のあちこちで舞台になり、有名人がいた場所なんだなと、ミーハーな感想を持つ。
後醍醐天皇が鎮座していたのも吉野山だし、義経と静御前も吉野山に逃げ込んでいる(そういえば、義経千本桜という歌舞伎の演目があったような気がする)。秀吉といえば「醍醐の花見」が有名な一方で、吉野山でもお花見をしたらしい。
吉水神社にはこれらの方々縁の品々が多数伝わっていて、普通に展示されているのに驚いてしまった。贅沢この上ない。
義経と静御前の衣装とか、蝉丸が持っていた琵琶とか、狩野派の屏風とか、水戸光圀直筆の書とか、何というか、アイドルが目の前にいるのと同じくらいのお宝だ。
後醍醐天皇の玉座とか、義経潜居の間とか、「あの有名人がここにいた」というお部屋のしつらえもある。それが、こんな地味な(というのも失礼だけれど)神社に山とある。本当に侮れない。
また、吉水神社からは「一目千本」と中千本と下千本を一望である。また、お庭から望む蔵王堂の眺めがなかなか良い。
もう何度も何度も何度でもしつこく書く。桜が満開であればさぞや、という景色である。
また、蔵王堂を望む場所には、邪気祓所がある。後醍醐天皇も朝夕必ずこの北闕門に立ち京都の空を仰ぎながら「九字」を切ったそうだ。五芒星等が刻まれた石の上に乗って九字を切るよう説明書きもあった。結構複雑で、私はあっという間に挫折した。
ご朱印をお願いすると、現在、こちらには勝手神社のご神体もいらしているので二つで600円ですと言われる。行っていない(というか、不審火で焼け落ちてしまいまだ再建されていない)勝手神社のご朱印をいただいても・・・と思ったけれど、再建費用の一部になるのならと思い直した。
この宮司さんがなかなか楽しい方で、ご朱印帳の話になり「伊勢神宮で買い求め、お寺さんも神社さんもまぜこぜに頂いてます。」と言うと、「それでいいんです。それでこそ日本の(和の、だったかも)心です。」とおっしゃっていた。
吉水神社を後にして、蔵王堂に向かう。正式には、金峯山寺蔵王堂である。この1泊2日の中で、蔵王堂はもう3回目だ。
宿坊のお姉さんに、蔵王堂を通り過ぎて少し行ったところにあるお店のお餅が美味しいと教えてもらったけれど、すでに筋肉痛の兆しバッチリの私の足には辛い距離で、行くのは諦めた。ちょっと心残りである。
お餅はパスし、蔵王堂の秘仏本尊蔵王権現の特別公開に向かった。こちらは1000円で、日本でも珍しいという青い権現様を間近に見ることができる。さらに間近に、一人ひとり障子の衝立で区切られた場所で拝むこともできるようだ。しかし、なかなか列が進まず、集合時刻に遅刻しそうになって諦めた。
それにしても凄い。
色が塗られていると、単純な私などはそれだけで安っぽいようにも思えてしまうけれど、その思い込みを破壊して余りある迫力だ。
ここで母と二手に別れ、母にはお昼ごはんとお土産を買うよう頼み、私は宿坊に荷物を取りに向かった。蔵王堂から集合場所の操車場までは平らな道を歩いて行けばいいけれど、宿坊に寄るには急坂を上らなくてはならない。これがかなりキツイ。
急いで坂を上がると、息は切れるし筋肉痛には響くし大汗をかくし、もう大変である。宿坊に戻ったときには11時30分くらいで、まずお手洗いをお借りし、ストッキングとボディウォーマーを脱いで薄着になった。奥千本ならともかく、この周辺を急いで歩き回るには暑すぎだ。
二人分の荷物を持って、操車場に向かう。
その途中で「でんでん」という葛のお店に寄り、賞味期限は今日中だという葛餅を購入した。試食に出ていた葛餅が冷たくてつるんとしていて美味しかったのだ。
購入したのはカップに入った食べ切りサイズである。「常温で大丈夫ですか?」と聞くと、冷蔵庫に入れると白くなり固くなってしまうので、常温保存が鉄則だとおっしゃる。今日の帰り道でのおやつである。
操車場に着くとバスが待っていた。すでに「長くここに居すぎる」と注意を受けていたそうで、慌ててみなで乗り込み、大野寺に向けて出発する。
昨日とはバスも運転手さんもバスガイドさんも異なっている。それで、みな、このバスではないのではないかと乗るのを躊躇していたらしい。
ちょっと驚いたのは、バスの中でお昼を食べている人が他にほとんどいなかったことだ。みなさん、この短時間にお昼ごはんまで済ませていらしたらしい。
申し訳ないことながら、母と私は、バスの車内で柿の葉寿司をいただいた。
吉水神社に曲がる角にある醍予というお店の柿の葉寿司である。柿の葉っぱが本物で、ごはんも美味しく、鯖と鮭の塩加減も丁度良く、なかなかのヒットだった。
お寿司と一緒にいただくには、朝、水筒に作った熱いほうじ茶もいい感じである。
1時間くらいで大野寺に到着した。今日の山くだりは順調である。
大野寺は、伝承では681年に役小角によって草創され、824年に空海が堂を建立して「慈尊院弥勒寺」と称したらしい。吉野山の帰りに立ち寄るに相応しいお寺だ。
お寺の川を挟んだ反対側には、磨崖仏が刻まれている。線を彫った感じで、それにしても川原から垂直に立つ崖によく刻んだものである。1207年から制作が開始され、足かけ3年で後鳥羽上皇臨席のもと開眼供養が行われたというから相当に由緒正しい仏様である。
もっとも、このお寺に立ち寄ったのは、桜を見るためである。近くにある又兵衛桜はもう完全に葉桜になってしまっているそうだけれど、こちらのお寺の枝垂桜はまだちらほらと花が残っている。
45分の自由時間となったものの、お寺の周りには駐車場とお手洗い以外、何もない。私はその時間を利用して御朱印をいただいたけれど、母など時間を持て余していたようだ。水を買いたいと聞いたところ、5分くらい離れたところにある駅の近くまで行かないとないと言われたという。
そのためか、バスガイドさんが車内で冷たい水を配ってくれて、かなり生き返った思いがした。
吉野山からこちら、本当に意外なくらい、飲み物を買う機会・場所がない。
13時半くらいに大野寺を後にし、一路名古屋駅に向かった。
高速に乗る手前、関ドライブインで45分の休憩&お土産買い物タイムがあった。
まずは母と店内のカフェに行き、コーヒーフロートで一息つく。それでも足りなくて、350mlのペットボトルを二人で一気飲みして、やっと喉の渇きを癒せた気分になった。
松坂ハムの生ハムと真珠漬本舗のはまぐりふっくら煮を買い求め、あとはドライブインの前にあったベンチというよりは縁台のような場所に陣取って、焼きたてのおせんべいをおやつ代わりにいただいた。
順調にバスは走り、予定より早く16時半くらいに名古屋駅に到着した。
帰りの新幹線の時間まで1時間半もある。
名古屋駅構内にベンチがないことは学習していたので、帰りはどこかその辺のカフェにでも入って時間を潰そうと思ったけれど、関ドライブインを出発してから1時間もたっていないので、お腹はかぽかぽである。
重い荷物を持ってうろうろするのは辛いので、できる限りの荷物をコインロッカーに預け、夕食にするお弁当を物色しに高島屋の地下に向かった。
夕ごはんは地雷也の天むす弁当にしようと決め、でもまだ時間は激しく余る。高島屋で開催されているキルト展にでも行こうとしたら、最終日だったらしく早めに終わってしまっている。
結局、デパートの中をうろうろし、母がスカーフを購入した。名古屋でわざわざ買わなくても良かったのではと思うけど、でも、明るい色目の結構いい感じのスカーフだ。
時間ギリギリだったり新幹線に乗れなかったりするのは大問題だけれど、ここまで時間が余っても困ってしまう。ツアーの他の方々はどうやって時間を潰していたのだろう。
新幹線に乗り込んで19時過ぎに天むす弁当を食べ、吉野山で買った葛もちをデザートにいただく。
天むすには、黒米はあまり合わないようだ。
葛もちは美味しくて、葛もちを作るセット(のようなもの)も購入してくればよかったと思う。
新横浜、品川とツアーの方々が次々と降りて行き、私たちは帰りは東京駅まで乗って、流れ解散となった。
吉野山旅行記2日目その1 <-
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2013年4月15日(月曜日)
珍しく熟睡し、母が6時にセットした目覚ましで起き出した。
窓から外を見ると、もうすっかり日は上っている。そして、谷の向こうを散歩している人の姿が見える。昨夜、私が途中まで歩いた五郎茶屋の脇を抜けて如意輪寺に続く道だろう。
桜が咲いているならともかく、そうでないならそこまで遠出をするのはちょっと億劫だ。かといって、朝はお風呂に入れる訳ではないし、7時半の朝食時間まで時間がある。近場に散歩に出た。
お隣の桜本坊では、枝垂桜(夢桜という美しい名前がついている)はもう終わってしまっていたけれど、八重桜が濃いピンクの花を咲かせている。
丁度朝のお勤めの時間だったらしい。真言なのか声明なのか、とにかく朗々とした声が響いている。まるで合唱のようだ。
桜本坊は天武天皇により建立され、現在は修験の根本道場であるという。その場合は、あの声は何に当たるのだろう。
次に、竹林院に向かった。
先ほどの桜本坊と同様、竹林院も宿坊を併設している。聖徳太子が開き、空海が入ったという縁起にあふれる寺院だ。
回遊式庭園の群芳園が大和三庭園の一つに数えられるからか、「お寺」という印象が薄い。
人はいないものの庭園の入口は開かれ、「入園料300円」と箱が用意されていたので、お庭を散歩させてもらうことにした。
群芳園は千利休が造園したと伝えられている。
もう散ってしまった桜の花びらが池に浮かんでいる。もう本当にしつこいようだけれど、これが満開の桜に彩られていればさぞや、という感じである。
池の後ろに築山があり、東屋がある。遠くには、どこだか判らない町並みまで見える見晴らしのよさだ。
お庭としての良さというのは今ひとつよく判らなかいなりに、なかなかの気持ち良さだった。
そういえば、西行の歌碑があったらしい。完全に見落としていた。どこにあったのだろう。
宿坊に戻ると、ちょうど、朝ごはんの時間だった。何となく、みなさん、前日の夕食のときと同じ場所に座っている。
奥千本まで上がろうという方も多かったようで、そそくさと頂く。
添乗員さんから、使わない荷物は宿坊に預けられること、11時40分までに宿坊に荷物を各自取りに来て、バス操車場に11時50分には集まるよう、念を押された。確かにこれから4時間も野放しでは、添乗員さんとしても心配なんだろうなと思う。
8時過ぎには宿坊を出て、お庭に回ってご住職にご朱印をいただく。
「住職の方ってやっぱりお習字をされたりするんですか?」とお聞きしたところ、「いやぁ。」と笑っていらした。自然に身につくものということなんだろう。
「今の人は筆なんか使わないでしょう。」とおっしゃる。そのとおりである。私など、筆ペンすら満足に使えた試したない。
私がご朱印をいただいている間、玄関前で孔雀が羽を広げていたらしく、盛り上がっていた。
ご住職のお話では、屋根の修理を頼んだ人に「飼わないか?」と言われて、それで飼い始めてもう15年くらいになるそうだ。専用の小屋を作ったりしなければならないけれど、餌は鶏の餌で大丈夫、というお話だった。
奥千本に行くバスの発着場まで行くと、すでに2台のマイクロバスが待っていた。始発は8時30分だ。宿坊の方がおっしゃっていたように、満員になれば早めに出発させてしまうらしい。
料金400円を窓口で支払っている間に1台目が出発し、2台目に乗ることができた。補助席も含めてあっという間に満席になって8時15分に出発する。
くねくねとした山道を上がるにつれて、1本2本と桜の咲いている木が見え隠れする。
15分くらいで奥千本に到着した。バスを降りると、何本かの桜に囲まれるのが嬉しい。咲いているではないか。
バスを降りたところから、真っ直ぐ急坂が伸びていて、そのとっつきに金峯神社がある。
この坂がキツイ。滅茶苦茶にキツイ。タクシーが横を上って行くのが恨めしい。
金峯神社は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部だ。こう言っては何だけれど、パッと見た感じは、とても世界遺産とは思えない廃屋と見まがうような建物である。
そして、この金峯神社を左に回りこんで行ったところに、「義経の蹴抜けの塔」がある。
「すぐそこ」とわざわざ看板に書いてあるところが心憎い。確かに、下り坂に回り込んでいく感じになるし、ここまでの急坂でヘトヘトだし、そう書いてなかったら私は間違いなく行かなかったと思う。
こちらは大正年間に再建されたものらしい。
ここに隠れていた源義経が、屋根を蹴破って逃げたという伝説を持つ。吉野は確かに義経に縁の深い地ではあるけれど、ここまで来ると、一体どこまでが事実でどこからが伝承なのか、見当もつかない。
金峯神社にもう一度戻り、周りの方が今度は右脇から伸びる坂道を上がり始めるのにつられて、母と私もそちらに向けて歩き始めた。30分弱くらい歩いたところに西行が庵を結んだという西行庵がある。
しかし、これまた結構な坂道である。
どれくらいの坂道かというと、脇に階段が作られているくらいの急坂だ。
昨日の夜に筋肉痛の兆しを感じてお風呂でかなり一生懸命マッサージをしたものの、そんな予防措置は既に何の意味も持たなくなっている感じがする。
それでもがんばって歩いたのは、すれ違う人に「奥の桜は満開ですよ!」と言ってもらえたからだ。
15分くらい歩くと、崖に九十九折の道というか階段というかを無理やりにつけた(でも崖側に手すりもついている)ところに出た。
そこから下は、満開の桜である。
奥千本は桜の本数が少なく、かつ、今現在、谷の片側が禿山状態になっているので「一面の」という訳にはなかなか行かないけれど、でも、満開の桜だ。
西行庵のある、少し広場の様になっているところが「奥千本」だった。
思わずあっちを向いたりこっちを向いたり、写真を撮りまくる。
パノラマ機能を使いすぎたのか、替え電池を持ってこなかったコンデジの電池がなくなる。デジイチの電池もなくなり、こちらは替えの電池を持ってきていたので交換する。
そして、更に桜の写真を撮る。昨日からの欲求不満解消! である。
桜にばかり気を取られ、うっかり、西行庵そのものを見るのをすっかり忘れてしまった。
見た母によると、庵の中には西行の像が安置されていたそうだ。母は「お隣の人が、こんなに狭いところにいて、お手洗いはどうしたのかしらと言っているのが可笑しかった。」と笑っていた。それくらいの狭さだったらしい。
今降りてきた崖を再び上って帰るか、反対側に続く崖沿いの道を帰るか迷いつつ、とりあえず坂の途中にあった泉を目指した。西行が「とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすほどもなき住居かな」と詠んだことからとくとくの泉とも呼ばれている苔清水がある。
順番に並んで飲むと、冷たくて美味しいお水だった。うっかり、水筒には熱いお茶を入れてきてしまったので、水の冷たさがありがたい。流石に奥千本といえど、坂道を上り下りしていれば薄手のダウンを着ていては暑いし、汗も流れる。
苔清水から少し上がれば反対側の崖の桜が綺麗に見えそうだったので、写真を撮るべくもう少し上ってみる。すると、やっぱりこれは見ておかなくてはという景色だったので、母を呼んで二人並んで堪能する。
ここまで上がったらこっちから帰ろうと、少し遠回りになることは判っていたけれど、そのまま進む。
上りきった広場のようなところには、背の高い桜(だと思うけれど違うだろうか)が何本かあり、また、反対側の斜面を埋める満開の桜が美しい。やはりこちらに回ってきて良かったと思う。
この後は、アップダウンはあるものの、木々の中の土の道だったので結構気持ちよく30分弱歩き、10時くらいに金峯神社下のバス乗り場に着いた。
様子から推すに、30分に1本という時刻表は有名無実化しているらしい。
歩いて下っても良かったけれど、1時間かかるというし、上千本の桜も期待できない感じだったし、吉水神社や蔵王堂の見学をしたかったので、バスで降りてしまうことにした。
あとで添乗員さんにお聞きしたところでは、上千本の桜も思ったよりも綺麗に見られたというお話だった。
吉野山旅行記1日目 <- -> 吉野山旅行記2日目その2
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2013年4月14日(日曜日)
朝4時半起きは辛い。
母と朝食を食べ、最後の最後に「お守り代わり」に折りたたみ傘を荷物に突っ込んで、6時過ぎの始発バスに間に合うように家を出る。
久々にデジイチを持ち出したので重い。しかも、これまた最後の最後にコンデジも荷物に突っ込んだのでさらに重い。
7時20分くらいに品川駅に到着し、SUICAの清算が面倒くさいような気がしたので一旦改札から出て、入場券を買って新幹線改札口から入り直した。歩く距離は変わらないかも知れないけれど、人が少ない分、東京駅よりも乗換えが楽な気がする。
7時40分発の新幹線に乗り込んで指定された座席に着くと、添乗員さんがいらした。今回のツアー参加者は37名である。その車両はほとんどツアー客で占めていたようで、黒いパンツスーツを制服のように着こなした添乗員さんが何人か行ったり来たりしていた。
名古屋に近づくにつれてどんどん雲が多くなって行くような気がする。
お隣の席からは「今朝の天気予報では、奈良県の今日の天気は晴れ後雨だった。」なんていう声も聞こえてくる。母が一喜一憂しているので、雨女の自覚著しい私は「私と一緒なんだから、天気は諦めて。」と言っておく。
それでも、富士山がこれだけ見えたから、私にしては上出来だ。
名古屋駅に9時19分に到着し、総勢37人はとりあえず近鉄特急の改札口を目指した。そこで集合場所と集合時間を確認し、一度、解散となる。
お昼ごはんのお弁当を旅行社に頼んでいなかったので、買いに行った。少しだけ迷って、母はだるまの抹茶ひつまぶし日本一弁当、私はだるまのみそかつヒレ重を選んだ。二つで2200円くらいだ。
再集合の10時20分までどうすればいいのか、デパートも開いていないし、名古屋駅構内はほとんどベンチがなく座っていることもできない。今から思えば30分以上あったのだから、カフェにでも入ってしまえばよかったと思う。
その代わり、「こころにあまい あんぱん屋」でさくらアンパンとヨモギアンパンを購入した。
10時20分にホームに行くと、賢島行きの特急が停まっていた。席も横3列で余裕があり、車高も高く、新しく、格好いいし快適そうだ。確か、伊勢神宮の遷宮に合わせて新たに導入した車両だったように思う。
しかし、残念ながら私たちが乗車したのは、大阪行きのアーバンライナーで、ごく普通の車両である。
朝が早かったから、10時30分に発車したときにはすでにお腹が空いていた。周りの方も食べ始めたのにつられて、早めのお昼をいただく。
みそかつは多分初めて食べたと思う。からめた温泉玉子でマイルドになり、美味しかった。でも、やはり、揚げ物は揚げたてを食べたい。
正午少し前に名張駅に到着した。
ここで観光バスに乗り換え、長谷寺に向かう。長谷寺といえば牡丹だけれど、残念ながら牡丹の時期には早く、桜はもうほとんど散ってしまっている。
長谷寺は、徳道上人が聖武天皇の勅願によってご本尊をお祀りになったことから始まっている。この徳道上人は西国三十三所観音霊場を開かれた方で、だから長谷寺がその根本道場と呼ばれているという。
13時から14時半まで90分の自由時間を利用し、息を切らせて登廊を上る。何しろ399段である。
上がったところで、ご朱印をいただいた。御朱印は3種類あり、「観音様のものでよろしいですね」と言われたので、思わず釣られて「はい」と答える。
本堂でまず普通にお参りした後、特別拝観料1000円を払ってご本尊を拝んだ。入口で、お守りのような紐を手首に結んでもらって入る。
ご本尊は、重要文化財となっている十一面観世音菩薩だ。高さ10m余りで、右手に錫杖と数珠を持ち、平らな石の上に建つのは珍しいらしい。全国の長谷観音像の根本像であるそうだ。
普通にお参りしたときでも、腰から上くらいはちゃんと拝むことができる。そして、特別拝観は、観音様の足元に行き、足だけは触ってというか撫でてお願いごとをしてよいことになっている、らしい。左足だけ黒光りしていた。
長谷寺の本堂は平成16年に国宝に指定されている。何度も焼失し、現存の建物は徳川家光の寄進により建立されている。
斜面に建てられており、その前面に清水の舞台とまでは行かないまでも、かなり立派な舞台がある。
風が吹き抜けて、舞台からの眺めが気持ちいい。桜の時期であればさぞや、という風景である。しばらくぼんやり休憩していたら、そのうち10人くらいのグループが現れて真言を唱え始めた。長谷寺は西国三十三所観音霊場の第八番札所だから、お遍路の方々だったのかも知れない。少しだけ、厳粛な気持ちになった。
順路沿いに、ときどき、しだれ桜が花を残していた。残っているお花もかなり白くなっていて、やはり終わりかけである。、
途中、品揃え豊富な御札授与所があり、母が吸い込まれるように入って行った。出発前から「お土産(というのもどうかと思う)はお線香」と言っていた。その言葉どおりにお線香を購入し、また干支をモチーフにした起き上がりこぼしのような木のお人形に目を留め「お父さんにどう?」「だったら兎でしょう。」と、兎の人形も併せて購入した。
母の買い物に釣られ、私もご本尊が持っている数珠を模したというストラップを購入した。
母は何年か前に長谷寺に来たことがあり、そのときはこの門を見て階段を上ったことしか覚えていないと言う。
せっかくなので門前町もうろうろしたい。けれど、たっぷりあった筈の時間がギリギリになっている。
ここは、「門前町で焼きくさ餅を食べる」というのも今回の旅の目標の一つだし、目の前にあった総本舗 白酒屋の店先で焼かれていたくさ餅(一つ100円)を二つ購入した。焼き目がついてぱりぱり、くさ餅もほうれん草ではない本物の蓬の香りがして、美味しかった。
長谷寺を後にし、吉野山に一直線に向かった。
もう中千本・下千本は葉桜になってしまっている割に車の列が凄い。日曜日の午後だし、特に帰りの車が大渋滞だ。吉野川には観光バスが渡れる吉野山に通じる橋が1本しかないこと、その先の道も狭く交互通行せざるを得ない場所があることから、帰りの道が混むと行きの道も混むことになる。
吉野川を渡ったのは15時30分過ぎで、渡った後、車の動きがピタッと止まってしまった。ほとんど動かない。吉野駅の横を通過し、ロープウエーを横目に眺め、「あともう少しで中千本にあるバス操車場」という場所に着く頃には16時30分近くなっていた。
バス操車場の前に短いトンネルがあって、しかも片側交互通行をしなくてはならないくらい狭い。
操車場も決して広いわけではなく、1台が入って、お客さんを乗せるか降ろすかし、出てくるまで次の1台は入ることができない。結果、大渋滞である。
添乗員さんが「荷物は、宿坊の方が車で運んでくださるそうなので歩きましょう。」とおっしゃって、そこでバスを降り、操車場脇の崖につけられた急な階段を上り、そこから5分くらいのところにある今夜の宿、宿坊の喜蔵院へ向かった。
部屋割りは既に終わっていて、鍵をもらって案内してもらう。私たちの部屋は201号で、玄関を入った目の前にあるけれど、何故か鍵がない。ほとんどの方が案内されていなくなったところでお聞きしたところ、「201号室は鍵はありません。お部屋はそこです。」と言われた。
ふすまを開けるとそこは畳のお部屋、その奥にふすまを隔ててもう一室あり、その先は板張りの廊下である。混雑しているときは、手前の部屋と奥の部屋と別々に使って客を泊めることもあるのだろう。喜蔵院は吉野山で唯一ユースホステルの指定も受けている。
お部屋にお茶セットもあったし、タオルや歯磨きセット、浴衣に丹前が用意され、浴室の前にはバスタオルが用意されていた。
鍵がない、お隣とはふすま一枚(正確には、畳敷きの廊下があってその先にもう一枚ふすまがある)隔てているだけというのは落ち着かず、声も全く筒抜けだ。お部屋自体も決して綺麗とはいえない。
でも、その廊下からの眺めがとにかく気持ちよかった。ガラス戸が開かないのが惜しい。中千本の景色一望である。
「これで桜が咲いていれば」と思う。吉野山の桜は葉っぱが赤いし、ガクはかなり残っているので、花が落ちていてもカラフルではある。
お茶を入れて一休みしてからお散歩に出かけた。
17時を過ぎており、吉水神社も閉まりかけているし、蔵王堂も参拝はできない。吉水神社の一目千本から、またしても「桜が咲いていれば」という景色を少しだけ眺め、蔵王堂では少しばかり強引にご朱印をいただく。
門前町といえばいいのか、蔵王堂に向かう道筋には、吉野葛や奈良漬、柿の葉寿司など私でも知っている名物を扱うお店が並んでいてそぞろ歩きも楽しい。
吉水神社は、醍醐天皇、源義経、豊臣秀吉縁の場所らしく、縁の品も残っているようで、母と明日来ようと言い合った。
夕食は18時からである。
お魚もあるし、お鍋には肉団子も入っていたし、いわゆる「精進料理」ではない。何というか、普通に美味しいごはんである。
このお膳にあとお汁がついて、最後には羊羹と麩饅頭のデザートが供された。
お食事の後半くらいから、ご住職のお話があった。法話というようなカタイお話ではない。
ご住職のつけている日誌によると、2012年の今日は中千本は満開、上千本が五分咲きというところだったらしい。ご住職曰く「あぁ、それなのに、それなのに。」とまさにその通りで、思わずツアーメンバーも揃って苦笑するしかない。
吉野の歴史は意外と古くないといえばいいのか、実は万葉集に吉野は出てこないという。吉野が有名になったのは西行法師が「願わくば」の歌を詠んでからだという。
その吉野の桜は、2011年には30000本、24年に2000本を新たに植え、今は32000本になっているでしょうという。2011年の30000本は誰が数えたのかといえば、麓にある高校の生徒さんたちが全校総出で数えたそうだ。もの凄く大変そうである。
吉野にこれだけ桜が多いのは、役の行者が発見した蔵王権現の元の姿は桜だったと伝わっていることなどから、桜を寄進する人が途絶えなかったためだ。
吉野の桜はシロヤマザクラが多い。シロヤマザクラはソメイヨシノとは違って、花と葉が同時に出る。そして、その葉は赤っぽいというか茶色っぽい。だからこそ、桜の終わったお山を見て「紅葉だ。」などと冗談を言い合うことになる。
ご住職曰く「ソメイヨシノよりも趣がある。」「余韻がある。」とのことだった。
京都御所の左近の桜も吉野から運んだというお話で、だとすると、あの桜はソメイヨシノではないことにある。ちょっと意外だった。
食事が終わっても、まだ19時過ぎである。お部屋に戻るとお布団が敷いてあった。
桜が咲いていないしとは思いつつ、腹ごなしも兼ねて散歩に出かけた。母は「桜も咲いていないからいいわ。」と部屋でごろごろする心積もりらしい。
八重桜が咲いていて、ライトアップなのか単なる街灯なのか、微妙な感じで照らされていた様子にカメラを向ける。
宿坊の部屋からも五重塔らしき建物がグリーンにライトアップされていたのが見えており、そちらに向かって歩く。しかし、どんどん暗い山道風になり、街灯もなくなってしまったところで流石に諦めた。懐中電灯を持っていたら行ったかどうか、微妙なところである。
ちらほら開いているお店があったことに力を得て、再び、蔵王堂に向かった。蔵王堂の前には桜の木が植えられており、またしても「咲いていればさぞや」と思うが、残念ながら完全な葉桜だ。
蔵王堂がライトアップされていた。
先ほど見えた五重塔(らしき建物)がグリーンだったのと対照的に、自然色といえばいいのか、茶色っぽい感じに見せている。
意外なくらい暖かく、1時間くらいお散歩した。
散歩から戻って女湯を覗くと、スリッパが二つだけあった。空いている。チャンスだ。
部屋に戻って母を急かし、お風呂に向かった。行ってみるとちょうど入れ替わるタイミングで、ガランが六つある広さのお風呂を二人で独占できた。ラッキーである。
長谷寺の階段と、喜蔵院に上がってくる階段と坂道とで、すでにふくらはぎは筋肉痛の予感がしている。丁寧にマッサージした。
天気予報を見ると、明日の最高気温は今日よりも高く、雨は大丈夫そうだ。そういえば、今日も結局、雨に降られずに済んでいる。雨女の私としては上々だ。
テレビでフィギュアスケートの国別対抗戦エキシビションを見ていても、音が気になる。
朝早かったこともあり、母の携帯電話で目覚ましを6時にセットしてもらい、早々にお布団に入った。
-> 吉野山旅行記2日目その1
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2013年4月14日(日)から1泊2日で母と吉野山に桜を見に行って来た。
吉野山に18時間滞在し、中千本にある宿坊に泊まるというツアー選びは我ながら完璧だったのだけれど、中千本、下千本の桜はすでに完全な葉桜だった。
宿泊した宿坊の住職によると、昨年の今日は、中千本は満開、上千本が五分咲きだったそうなので、今年は日本全国こぞって桜が狂い咲きしたらしい。
でも、奥千本まで上がったら満開の桜が見られたので満足だ。
この1泊2日の旅行にかかった費用は、一人分約58200円だった。ここには、交通費、宿泊費、食事代、拝観料が含まれているが、お土産代と御朱印やお賽銭については含まれていない。
また、初日の万歩計は17661歩、2日目は21012歩だった。
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