台湾旅行記の入口を作る
ここは、職場のお姉様と出かけた台湾旅行記の入口である。
この2泊3日の旅行にかかった費用は、一人分約120000円だった。ここには、交通費、宿泊費、食事代、入館料、写真館、散財しすぎたお土産代等、全て含まれている。
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2013年10月21日(月曜日)
私が6時過ぎに起き出したときには、すでにお姉さんが朝シャンしていた。早い。
一昨日の猫空の茶芸館からお持ち帰りした烏龍茶と、昨日の故宮晶華でテイクアウトしたデザートでおめざをいただく。朝から優雅だ。
外を見ると雨がかなり降っている。写真館にはタクシーで行っちゃおうかと話しつつ、まずは朝食、腹ごしらえである。
昨日はフォーのような麺をいただいたので、今日はおかゆにした。もちろんこの一皿だけということはなくて、もう一皿、点心類をたっぷり持ってきた。我ながら朝から旺盛な食欲である。
圓山大飯店は街中から外れていてちょっと近くに朝食を食べにという訳に行かない。朝食メニューが充実しているのは嬉しい。
宋美齢氏のミニ展覧会が開催されている筈が、どうも見当たらない。2階をうろうろしていたら、お茶屋さんが開店準備をしていた。「こんなに早くから?」とおっしゃりつつ招き入れてくれ、ついふらふらと入り込む。
千江月という名前のそのお店のお母さんは、日本で暮らしたことがあるそうで、流ちょうな日本語で説明してくれる。
こちらのお店では、阿里山にお茶畑を持ち、工場を持ち、お店はその工場併設のところと圓山大飯店の中のここと2ヶ所しかない。自分の畑で有機栽培し、発酵させたお茶だけを売っているという。
「どれを飲んでみたい?」と聞かれ、もちろん、阿里山高山茶をリクエストする。
飲んでみると、猫空の「発酵のよく効いた」という感じとはまた違い、青っぽいというか、爽やかで若い感じのお茶だ。
お母さん曰く「街中で売られている阿里山烏龍茶は偽物が多い。阿里山は高山で、こんなにあちこちで売られるほどの生産量がある訳がない。ベトナムなどから輸入した烏龍茶を混ぜているものもある。」とおっしゃる。
その様子にやたらと説得力を感じる。
ジャスミンティは後から香りを付けているので、お茶自体はそんなに良くないものを使っていることが多いともおっしゃる。
台湾のお茶は、専用の茶器で入れるのが美味しく入れるコツだという。
茶葉を小さな急須の1/3くらい入れ、こちらのお母さんはそれほど蒸らし時間を取らない。割とすぐ茶壺に入れ替え、小さいお茶碗に注いでくれる。
見ると、茶葉は小さな急須の蓋を持ち上げそうな感じにまで開いている。これで7〜8煎は入れられるというから、それだけお茶をゆっくり飲む機会が果たしてどれだけあるかという問題は置いておくと、お得である。
プーアール茶も飲ませてもらうと、こちらもかび臭さのない美味しいお茶だ。
迷った末、初志貫徹で最初に気に入った阿里山烏龍茶150gを1200元で購入した。
チェックアウトして荷物を預け、8時半過ぎにタクシーで薇閣数位影像館に向かった。9時前に到着したら、すでにお店の中には10人くらいの「日本人女性」がいて驚いた。
日本語で受付してもらえるのは有り難い。
一番簡単な衣裳1着に写真1枚という本当にシンプルなコースを希望したところ、それは選べないらしい。
ガイドさんを通して予約するとコースが限られるようで、「これが一番簡単。」「1着だけ。」と言われ、写真5枚とCDが付くコース(日本円で12000円)になった。
帰国日だったので郵送となり、受付の女性に「どちらかのおうちに2組まとめて送れば送料が半分になる。」と言われ、お姉さんの家に送ってもらうことにする。郵送料は、日本円で1000円(一人500円)だ。
荷物をロッカーに預け、衣装を選ぶ。
お姉さんは「中国の後宮の女性の衣装」と決めていたし、私はチャイナドレスを着るというのがテーマだから、迷う余地はない。
こんなにボロボロで大丈夫なのか、ほつれまくっているぞと思いながら、黒地に紅白で牡丹の花が描かれているフレンチスリーブ、長めの丈のチャイナドレスを選んだ。
ここからが長い。
3ヶ所くらい用意されているデパートの試着室のような場所で着替え、赤いエナメルでヒールが10cmくらいもありそうなハイヒールを選ぶ。ピンヒールではないので、普段ヒールの靴を履かない私でもとりあえずコケずにいられそうだ。
「膨大な衣装の中から選ぶ」という楽しみを味わいたいなら、別の写真館に行った方がいいかも知れない。
ヘアメイクとお化粧の順番待ちがまた長い。実際にお化粧して髪を結い、アクセサリをつけてもらうまでの時間は20分もなかったと思う。
準備が整った後、カメラマン&スタジオの空き待ちがまた長い。
周りを見ると、何着もドレスを替えて撮っている方々もいる。若い女の子よりは、私たちよりも年配かなといった年代の女性が多い。
撮影は、結構大変だった。
履き慣れないヒールの靴を履いているし、私を撮ってくれたカメラマンのお兄さんはなかなか厳しくてカラダの硬い私にはかなり無理のあるポーズを指定する。手の置き方等々が気に入らないらしく何度も直し、扇子を持たせ、視線を指定し、つい可笑しくなって笑うと怒られ、どんどん自分が不機嫌な顔になってくるのが判る。
実際、撮られた写真を見たら、本気で不機嫌な顔ばかりで笑ってしまった。
好意的に解釈すると、「アンニュイ」な感じの写真にしたかったようだ。
背景を変えて2ヶ所、撮影は31枚と決まっているらしい。
背景もカメラマンのお兄さんが指定するようで、洋風のソファがあるセットと、見るからに安っぽい中華風のセットとの2ヶ所を指定された。
衣装やアクセサリも含め、実物はチープなのに、写真で見るとそれなりに見えるから不思議である。ライトを存分に当てていたから、その効果なのかも知れない。
ずっとお兄さんに怒られながら、撮影は割とすぐに終了した。
髪を元に戻してもらうのにまた順番待ちがある。メイクを落としたい場合は、小さな洗面台が用意されて、セルフサービスである。着替えて元の服に戻ると、次はパソコンの前に座らされた。今撮った写真の中からアルバムに入れる5枚を選ぶように言われる。
「こっち側に残す写真、こっち側にいらない写真。」と言われ、クリック一つで振り分けができるから簡単である。
私よりずっと進行の早かったお姉さんはすでに元の姿に戻って写真選びも終わっており、一緒に選んでもらう。
もっとも、あまりにも不機嫌顔の写真ばかりで、「比較的不機嫌ではない顔で写っている写真」という選定基準であっという間に選び終えた。
「写真全部の入ったCDは1000元」と言われ、遊んでやろうと、お姉さんに呆れられながらそれも購入する。写真館を出たのは多分11時半くらいだったと思う。
ホテルに迎えが来るのが13時だから、ごはんを食べてから帰ろうと中山駅に向かって歩き始めた。繁華街である中山駅周辺ならごはんを食べるところもたくさんあるだろうし、MRTを使うにも便利だ。
「小籠包が食べたい」と目的ははっきりしているけれど、これが意外となかなかいい感じのお店がない。三越のイートインコーナーにも行ってみたけれど、何故かメニューに小籠包がない。
時間も迫ってきたのでMRTで圓山駅まで戻り、悠々カードにチャージしたお金を払い戻ししてもらい、ホテルまでタクシーで戻った。
ちょっとメニューを見てみたホテルのレストランも今ひとつピンと来ない。お腹が空いている訳じゃないし、空港で食べようと決める。
後でお姉さんが「変身写真館からすぐタクシーに乗ってぴゅっと鼎泰豐に行っちゃえば良かったね。」と言っていてなるほどと思った。まだまだ修業が足りない。
ホテル内をうろうろしたおかげで、宋美齢氏に関する展示を見つけることができた。思っていたよりも地味かつ小規模で、廊下に彼女の写真のパネルを並べ、小さな飾り棚に愛用の品がいくつか並べて、それで全部、という感じだ。
全体的に落ち着いた感じで、展示されていたものも高いものではあるのだろうけれど、派手とか金ピカという感じではない。意外と言ったら失礼だろうか。
ホテルに迎えに来てくれた女性とともに松山空港に向かう。車に乗っているのは我々だけだ。道も空いていたし、30分もかからずに到着した。
チェックイン手続きをしてもらい、荷物を預け、「中に入ったら何もありません。出国する前の方がお店も食べるところもあります。」と教えてもらってお別れした。
しかし、その「外の方があります。」というお店がない。台湾で最後に食べたものがサブウエイでは寂しい気がするし、台湾料理っぽいお店のメニューに小籠包はなさそうである。2階のセキュリティチェック入口前の春水堂のタピオカミルクティにはちょっと惹かれたけれど、とりあえずゴハンを食べたい。
「外にないことは確実だからもう入っちゃおうか。」と相談し、試食したら餡にパイナップルを刻んだものが入っていて瑞々しく美味しかった何とか賞受賞という、パイナップルケーキをお土産に購入した後、セキュリティチェック、出国審査を抜けた。
嘘じゃん! 中の方がお店があるじゃん! と思う。
桃園空港よりは狭いだろうけれど、必要十分なお店が揃っている。
お姉さんが、真ん中辺りにあったお土産物屋さんの売り子の女の子に、2軒あったレストランのうちどっちが好き? と尋ねている。
教えてもらった、出国審査から遠い方のお店で水餃子等々を食べる。これがなかなか美味しい。ビールも飲めば良かったなと思う。
台湾ドルを使い切るべく、国立台湾歴史博物館のミュージアムショップでマグカップを買ったり、、機会があったら飲んでみたいと思っていた阿里山珈琲を発見して買ったり、もの凄い勢いでお買い物をした。
散財もいいところである。
エバー航空190便は多分、定刻通りの16時に離陸した。もちろん帰りもキティジェットである。
離陸して1時間くらいで機内食が出た。直前に水餃子など食べていたからとても入らない。ただ、水餃子を食べたときに思い出したのと、甘くない炭酸が飲みたくなったので、ビールをいただいた。
20時前に羽田空港に到着した。
キャリーケースもあるし、明日は出勤だし、リムジンバスに乗ったお姉さんを見送り、満員電車に揺られるよりは楽だろうと1時間以上も待って地元行きのバスに乗り、無事に帰宅した。
台湾旅行記2日目その2 <-
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2013年10月20日(日曜日)
12時半過ぎに故宮博物院に到着した。
チケット(100元)を購入し、日本語のイヤホンガイド(100元)を借りる。イヤホンガイドを借りるときには、パスポートか一定以上の金額を預ける必要があって驚く。
いざ入場しようとしたら、警備員さんに止められた。リュックを持っての入場は禁止らしい。手振りで「入口を出たところに手荷物預かり所がある。」と教えてもらう。
しかし、手ぶらで入場する訳にもいかない。たまたまエコバッグがリュックに入れっぱなしになっていたので、必要なものをそちらに移してリュックを預けた。
大きさとしてはエコバッグもリュックも同じくらいでも、エコバッグは特に見とがめられなかった。どうやら「リュック型のバッグ」がいけないらしい。
それにしてももの凄い混雑である。入口を抜けたところの階段も「人、人、人」だ。
3階に上がり、ルートどおり301を目指した。入口前に行列ができている。入場制限を行っているらしい。他に入場制限を行っていた部屋があと二つあった。
しかし、少なくとも見た目、301の展示物は地味である。
毛公鼎という、お鍋のような食器のような器は青銅器で、三本足の上に半球の入れ物が載っている感じだ。内側に銘文が彫られていて、その銘文が壁にあって見ることができるようになっている。
もう一つ置かれていたのが宗周鐘という、鐘というか楽器というか、とにかく音を鳴らすものだ。現存する天子が製作した器物の中で最も重要なものとされている、らしい。
どちらも彩色されていないし、黒っぽいし、銘文なんて読めない。古いものだということは判るけれど、今ひとつその「有り難さ」が判らなかった。これほど「馬の耳に念仏」とか「豚に真珠」とかいうことわざが似合うシーンも他にあるまいという感じである。
次の302の展示物の目玉は、これはもう私でも知っている。豚の角煮と白菜である。
豚の角煮、正式名称「肉形石」が「加工」された石だと説明書きで読んで滅茶苦茶驚いた。
もちろん加工されているに決まっているけれど、私はそれを彫ったりなど「形を作る」ことに対してだけ行われたと思い込んでいた。ところが、石を染めたり、「皮」の質感を出すために表面に細かい穴を開けたりしているという。
白菜、正式名称「翠玉白菜」は、意外と大きくてびっくりした。
一緒に行ったお姉さんは、初めて見に行ったときにその「小ささ」にショックを受けたそうで、ずっと「小さいよ。」と牽制されていた。だからという訳ではなく、私の中では、角煮も白菜も、両方とも5cmくらいというイメージだった。
それが、実物の「翠玉白菜」が、高さ20cmくらいだったことに驚き、「大きいじゃん!」と思わず言ってしまった。
考えてみたら、全体で5cmという大きさだったら、キリギリスやイナゴはどれほどの大きさなんだという話である。
「石」としては実はあまり良くないとされている、この白から緑への色が変化する石を白菜に見立て、こうした「芸術品」に仕上げたという解説になるほどと頷く。
「翠玉白菜」は、今は斜めに木の台に立てかけるような感じの姿が有名だし、そうして飾られているけれど、当初は、植木鉢に植わっているような感じで真っ直ぐに立てて飾られていたらしい。その植木鉢みたいな台座が同じ展示ケースに展示されていて何だか可笑しかった。
その「直立した”翠玉白菜”」も見てみたかったと思う。
故宮博物院で「これだけは見なくちゃ!」と決めていたものがあと二つある。
その一つが304展示室にある「清乾隆2年 陳祖章 雕橄欖核舟」だ。旅行前に台湾通の友人に「故宮博物院では、これだけは見て来て!」と言われていたものである。
オリーブの種に細工をして一艘の小さな船を彫り上げたもので、中に人は乗っているし、扉は開閉するし、その精巧さと来たらない。
あまりにも小さすぎて、見学者用に拡大鏡が設置され、あまりにも足を止めてじっくり見入る人が多いためか、かつての上野動物園のパンダのように「立ち止まらないでください。」と係員さんが張り付きで人を流している。
もっとじっくり見たかったよ、というものの一つだ。
304の部屋には、こうした超絶技巧を凝らしたものがたくさん展示されている。
「清 象牙鏤彫提食盒」という、食べ物を保管する箱と言われている観賞用の箱など、象牙で作られていて、箱の壁部分はもの凄く細かい間隔で直線が透かし彫りされている。鳥かごの網をもの凄く細かくしてかつその1本1本が象牙という感じで、この書き方で伝わらないだろうことがもどかしい。かつ、そこに意匠も彫り込まれているという手のかかり方だ。
これ、網をうっかり1本折っちゃったら最初からやり直しだよなぁ、と変なことを考えてしまう。
もう一つ、どうしても見たかったものが304にはあって、それが、「清晩期 彫象牙透花人物套球」だ。用途としては飾りとしか言い様がない。象牙の珠が何重にも入れ子になっていて、その一つ一つが別々に動くようになっている。
何かで十七層になっていると読んだ記憶もある。本当だろうか。
一体どうやって彫ったのか、これまた超絶技巧の逸品だ。展示ケースの周りをぐるぐる回ってじーっと見入った。
たくさんの「お宝」があり過ぎて、何を見たのか記憶がごっちゃになっている。
中で印象に残っているのは、「清朝 翡翠の屏風」だ。
文字通り、格子状に木枠が作られ(もちろんこの木枠自体にも精巧な木彫が施されている)、そこに彫刻を施された翡翠の板がたくさん埋め込まれている。屏風だから表裏どちらから見ても美しい。
翡翠だよ、翡翠をこれだけたっぷり使った屏風だよ、倒れかかってきたら潰れちゃうよと阿呆なことを考えながら、これまた展示ケースの周りをぐるぐる回って見た。
あとよく覚えているのは、たくさんの「鼻煙壺」が集められた部屋だ。あとでサイトを見たら、「通嚏軽揚-鼻煙壺文化特別展」が開催されていたらしい。
よく覚えていると書いた割に部屋番号も何も覚えていないけれど、小さな香水瓶のような、嗅ぎ煙草入れがこれでもかという感じで並んでいた。
本当に次から次へと出てきて、女性のアクセサリ代わり、実用品兼アクセサリだったんだろうなと思う。洋服やシーンに合わせて変えていたのだろう。
ヨーロッパから伝わったものもあれば、後に中国で作られるようになったものもある。陶器製やガラス製のものもあるし、石をくりぬいたようなものもある。
こうしたものがあれだけたくさん次から次へと並んでいると、「どれが欲しい」という話になるに決まっていて、お姉さんと二人で、「私はこれがいい。」「あっちのが綺麗だ。」などと真剣に選ぶ。私は、紺地に桃色のグラデーションで大きな牡丹が描かれたものが欲しかった。
その他、3階ではひたすら青銅器を見ていたような気がする。
ちょうど、305と307で「古代青銅器の輝き-中国歴代銅器展」が開催されていて、301で見た毛公鼎や宗周鐘のお仲間のような展示物がひしめくように並んでいた。
時々、動物を模したような器が混ざっていて、無骨でカラフルさの一切ない展示品の中で、一服の清涼剤的に嬉しかった。
紀元前17世紀からあったといい、殷の時代のものが今に伝えられてきているというから、中国三千年の歴史ほど恐ろしいものはない。
15時半も回って流石にお腹が空いてきた。しかし、今日は18時から豪華ディナーが待っている。
故宮博物院の4階にある三希堂で軽くお茶をした。
清の乾隆帝の書斎名から名付けられたという三希堂は、非常にシックな空間が広がっていて、軽い食事もできるようになっていた。
もう既に何を頼んで何を食べたのかすら忘れてしまっているけれど、こちらのお菓子(中に果物のジャムが入っていたと思う)と、烏龍茶(お店のお兄さんのお勧めに従った。)、そして、写真は撮らなかったけれど、あと、叉焼饅頭みたいなものを食べた。
歩き疲れ、休憩も兼ねてのんびりいただく。
ふと外を見ると、青空も見えつつ雨が降っていて、この時期の台北は結構天候不順なのかもと思った。
お茶とお菓子でのんびりし、歩く元気を取り戻して、今度は1階で開催されている「十全乾隆:清高宗の芸術品味特別展」に向かった。
たった今お茶とお菓子をいただいた三希堂の店名の由来にもなった皇帝である。
イヤホンガイドもちゃんと用意され、乾隆帝が「お祖父さまに可愛がられた、父親よりも優秀な孫」という育ちであることが繰り返し強調されていて、何だか乾隆帝もそのお父さんも気の毒な感じがしてしまう。
一流の文物に囲まれて育ち、本人も芸術的な素質に恵まれ、古今の作品をコレクションし、長く皇帝の地位にあった彼の治世の間に、清の文化は隆盛を極める。
そのほんの少しのおこぼれが展示されている。
多分、書画の展示が多かったと思う。もう、この頃になると、カーディガンではなく薄手のストールしか防寒着を持たないまま冷房の中にずっといたことで寒くなり、あまりにもたくさんのお宝を見過ぎてもう前後も何も判らなくなっている。
ただ、乾隆帝の書斎を再現した展示があったことは覚えている。
紫檀か黒檀かの重厚な家具が据えられ、重々しい雰囲気のお部屋だ。ガラス越しだったのが残念だ。居心地は悪くなさそうだけれど、椅子の座り心地はあんまり良くなさそうだなとか、冬は寒そうだなとか、お宝が山とあってお掃除の係の人は大変だったろうなとか、どうでもいい感想が浮かんだ。
「書に興味がない。」とキッパリと私が言い切ってしまったせいで2階はパスする結果となり、1階でまだ見ていなかったお部屋を回る。「乾隆潮ニューメディア・アート展」は正直、よく判らなくて、二人とも早足で通り過ぎた。
あと、マルチメディアを駆使して、書体や様々な漢字の書き方を見せてくれる体感型の展示があった。訳が判らないままハマり、しばらく遊んだ。
気がついたら18時になっていた。故宮博物院見学はタイムアップ、慌ててミュージアムショップに行った。
展示室を出て左手にあるミュージアムショップは結構広い。そして、お隣に郵便局が併設されているところが上手い。
ところが、意外と「欲しい!」というものが見当たらない。隅々まで見て回り、お菓子も売っているなぁとか、翠玉白菜のキーホルダーもあるなぁとか、絵はがきはどうしようとか、ちょっと迷ったものの何となく決め手に欠け、結局、何も買わず仕舞いだった。
荷物を受け取って夕食に行こうと外に出たら、手荷物預かりの窓口が閉まっている!
まだ開館時間中なのに何故? と半ばパニックで、大事なものは手元にあるとはいえ、明日取りに来てくださいとか言われたらどうしようと思う。
館内に引き返してその辺りにいた警備の方に引き換え用のタグを見せると、何も言わないうちに言いたいことが伝わったらしい。イヤホンガイドを借りたのとは反対側にあるカウンターが指さされた。そちらに窓口か何かがあるらしい。
カウンターでタグを見せると、中に入って来いと身振りで示された。不安になりつつ中に入ると、目の前のテーブルにぽつんと私のリュックが置かれていた。あー、良かった。
案内のお姉さんもほっとしている感じだったから、「持ち主不明だったらどうしよう」とかウワサになっていたのかも知れない。
ご迷惑をおかけして申し訳ない。
故宮博物院に来るときはタクシーでピュッと入口まで連れて来てもらったから、まだ外観を見ていない。
故宮晶華に向かう途中、ライトアップされている建物の全景を写真に撮った。
故宮晶華は、「晶華」の名前のとおり、リージェントホテルプロデュースのレストランである。
予約時間に行くと、席の予約はできていたけれど、「国宝宴」コースの予約は通っていなかったらしい。普通にメニューを渡される。圓山大飯店のコンシェルジュのお姉さんに、よく確認するべきだった! と思う。
こういうときに交渉力を発揮するのがお姉さんで、私があわあわしている間に、「こういうときは、上の方の人と直談判!」と宣言し、国宝宴が紹介された記事をコピーした紙を見せ、「これが食べたい!」と言うとあっさりOKが出た。
前日までの予約が必要と聞いていたけれど何とかなるらしい。
流石に2階の個室に変更はできなかったけれど、最初よりもテーブルの広い余裕のある席に変えてもらい、「国宝宴」コースが始まった。
立派なメニューをいただけるのが嬉しい。紺色の布張りの表紙がつき、日本語と中国語でメニューの説明、そしてメニューの元になった故宮博物院のお宝の説明が書かれている。お姉さんなど「これが一番いいお土産だわ!」と喜んでいる。
3800元の中華フルコースのお料理など、今後、食べることはない気がするので、いただいたお料理を一挙大公開する。
前菜
翠玉白菜
台湾中部で採れた白菜の中心部を、ハムとチキンのスープで煮たお料理である。
あっさり味で美味しい。
どうやって食べたらいいのか、最初、相当に迷った・・・。
白玉錦茘枝
このお料理は、メニューに載っているお料理とは変わっていた。
でも、元になったお宝が「白玉錦茘枝」であることは確かだと思う。
甘みの強い苦瓜を使っているらしく、優しいお味だった。
肉形石
言わずと知れた、豚の角煮だ。
何というか、普通に美味しい角煮である。
弦紋鼎
弦紋鼎とは、蓋のついた円形の青銅器のことで、両側についた立て耳や、蹄のついた三本足、三つの飾りが付いた半球形の蓋などが特徴である。
その弦紋鼎を模した器に、佛跳牆がたっぷり入っている。
佛跳牆はいわば五目煮で、和尚さんも香りにつられて垣根を跳び越えたというエピソードから名付けられている。この佛跳牆はとにかくその「五目」が贅沢極まりない。
しかし、この時点でかなりお腹がいっぱいになっていたし、高級食材に慣れていない私は、滋味溢れるという言葉がこれほど似合うスープもないだろうと、スープだけをいただいて満足した。
元朝雲林鵝
お姉さんが「ハンバーグみたいのが来る!」と言って戦々恐々としていたところに供されたお料理である。
「雲林堂飲食制度集」というレシピ本のような書物があり、そのレシピ本を描いた画家からこの料理を紹介された詩人が、雲林鵝という名前をつけたと言われている。
蒸したガチョウ肉版の北京ダック、という感じだった。意外とサッパリしている。
香苗蔵凰袖
鶏の手羽に蒸した餅米やハム、香菜、干した貝柱とエビを炒めたものを詰め、黄金色になるまで揚げてある。
外側はパリッとし、内側はジューシーで、美味しい。
出されたお料理の中では、これが一番好きだった。
ここで、工芸茶が供され、あとはデザートである。
このタイミングで、今日はこれから足つぼマッサージに行って帰ろうと相談し、昨日、ガイドさんから「好きなところに迎えに来てくれて、ホテルまで送ってくれるから便利だよ。」と教わったお店にお姉さんが予約してくれた。携帯電話はやはりつながらず、お店のスタッフがメモを見てサクサクと予約の電話を入れてくれたそうだ。
多宝閣甜点集・鮮果毛公鼎
いくつもの棚に様々なお菓子が載せられた多宝閣甜点集と、氷職人が毛公鼎の形に作り上げた器に果物が盛られた鮮果毛公鼎でフィニッシュだ。
流石にこのお菓子全部は食べきれず、いくつかはテイクアウトにさせてもらった。
私たちがこのコースをいただいていたら、周りのテーブルにいた方々が次々と興味を持ったようで、お店の人がメニューを見せて説明していたのがちょっと嬉しかった。我ながら単純だ。
高級料理を食べ付けていない私には、3800元の価値は今ひとつ判らないけれど、見て楽しく、食べて美味しく、2時間半をかけた優雅な夕食だった。
約束の時間より少し前にお迎えの車が来てくれ、そのまま、温莎堡視廳理容名店(ウィンザーマッサージ)に向かった。
到着すると、店内のお客さんはほとんど日本の方のように見えた。繁盛しているらしく、それほどの売り込みもない。足裏マッサージ(30分コース 700元)と、明日は変身写真を撮りに行くから少しでも写真写りが良くなるよう美顔マッサージ(800元)の二つをお願いした。
美顔マッサージは、生まれて初めて受けたと思う。夜市などでよくある、糸を巻いてピッと吹き出物などを取る感じで2〜3ヶ所、あとはスチームを当てたり、マッサージをしたり、ひんやりして気持ちのいいクリームを塗ってそのまましばらく放置されたりした。
お姉さん曰く「何となく調子がいいように感じるのは、お店の人のテクニックじゃなくて、クリームのおかげだと思う!」ということだ。確かに「手をかけてもらった」という感じではない。
それでも、栄養分を足しました、という感じはある。すっきりした。
足つぼマッサージはかなりソフトだった。胃のツボを押されて「痛いっ。」と思わず言ったらおじさんに笑われ、「やさしくね。」とそれ以降はさらにソフトな感じになった。ツボを押しているというよりは、マッサージしているという感じだ。
なかなか気持ち良かった。
マッサージを終え、お店の車でホテルに戻ったら、やっぱりライトアップは終了していた。23時になっていたのだから仕方がない。
結局、圓山大飯店のライトアップは、泊まっていながら(泊まっていたからこそ)見逃した。残念である。
荷物の整理や、お風呂や、何やかやで、寝たのは0時を回っていたと思う。
明日は、10時までに変身写真のお店に行く。今日よりも少し早起きする予定である。
台湾旅行記2日目その1 <- -> 台湾旅行記3日目
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2013年10月20日(日曜日)
7時に目覚ましをかけてもらったところ、お姉さんの携帯は「休日設定」で目覚ましが鳴らなかった。最近の携帯電話はそんな機能も持っているのねと思う。
カーテンを開けるといいお天気である。
早速、ロビーに朝食を食べに行く。
朝食チケットを渡すと、「この席で食事しています」というカードを手渡された。日本の大型ホテルのようである。
ビュッフェ形式の朝食には、和洋中が揃っている。和食はごはんとお味噌汁、冷奴(他にもあったかも知れない)くらいのラインアップとは言え豊富なメニューである。
折角台湾に来ていることだし、中華を中心に選んだ。
シェフのお姉さんが作ってくれる麺類のコーナーで米粉を使った麺を頼むと、塩味のあっさりスープにお魚のすり身の団子を入れたスープ麺を作ってくれた。他に点心や野菜炒めにゆで卵の烏龍茶煮、スープをお皿に取り分ける。飲み物として烏龍茶が普通に用意されていて嬉しい。
最後はフルーツとコーヒーにして、洋風で締めた
控えめに取ったつもりが、お腹が一杯である。
腹ごなしも兼ねてホテルの周りの散歩に出ようとしたところ、ホテルの裏側に出られるドアに向かう途中、「ちょっとちょっと。」とキオスクのようなお土産物屋さんの中にいたおばさんに呼び止められた。正しく日本語である。
このおばさんが商売上手で、白菜のストラップを勧められた。六つで500円と、日本円でOKだし、二人で買って分ければいいとアドバイスしてくるところも上手い。また明日来ると言うと「一日交代だから、明日は私じゃない。」とおっしゃる。
あと二つオマケしてもらい、二人で8個500円で購入した。
そのお店は焼き物の置物がたくさん揃っていて、十二支を紐に連ねたものなども勧められる。
妹の誕生日プレゼントを探しているところだし、出産を控えた妹に台湾で買った干支の置物というのは霊験あらたかっぽい。
見せてもらうと、牛の置物はなかなかファニーフェースで可愛い。
二つ買うからと値切り、ついでなので自分の干支のものと合わせて二つ3400円で購入した。
改めてホテルの裏側に出てお散歩開始である。このホテルはとても巨大で、半周するだけでも結構かかる。工事中の案内があったとおり、上階の一部のベランダの手すりに汚れ避けのシートがかけてあるのが見えた。
また、裏側には、テープを張られて立入り禁止になっている、古びた建物もあった。もともと、圓山大飯店は宋美麗が外交のために建てたホテルで、脱出のための地下道も用意されているという話だ。1953年にオープンしたということだから、当時の建物だったのかも知れない。
改めて見上げると、ホテルの外観もホテルのロビーも豪華そのものだ。迎賓館のような役割を果たしてきたホテルならではだ。観光スポットとなるのも納得である。
部屋に戻る途中、最上階である10階まで上がった。
最上階には客室はなく、宴会場というかパーティ会場として使われているようだ。まだ準備中らしい会場にちょっとお邪魔し、窓からの眺めを楽しんだ。
私たちの泊まっている部屋は3階で、高台に建っているホテルとはいえあまり「高さ」は感じない。最上階からの眺めはやはり高さの違いを感じる。でも、ホテルの門が間近に見える3階の部屋からの眺めもなかなか良いと二人で結論した。
9時過ぎに部屋に戻って、明日の午前中に変身写真を撮りに行こうと、ガイドのリョウさんに電話した。お姉さんの携帯電話は元々海外使用可能な設定になっている筈が、何故か通じないと言う。ホテルの部屋の電話で連絡を取ることができた。
変身写真を撮りたいと話すと、予約手配するからちょっと待ってくれと言われ、すぐに折り返しの電話がかかってきて、手配した結果はフロントに連絡しておいたからフロントでメモを受け取ってくれと言われる。
フロントに行くと、お店と担当スタッフの名前、住所電話番号等が書かれたメモを渡された。
ホテルと駅を往復するシャトルバスに乗り、MRTで龍山寺に向かった。龍山寺駅で降り、地下通路を少し歩いて上がった出口の目の前が龍山寺である。
意外と小さい。
お線香を買い求める。みなさん、火のついたお線香の束を掲げ、前後に振ってお参りしている。お作法があるとらしいけれど、よく判らない。周りの方の真似をして自分の前でお線香を捧げもち、よく判らないながら、本堂に向かって右側から奥に入り、そのまま半時計周りで順番にお参りした。
本堂の裏手にもお参りする廟のような建物が並んでいる。
お天気もいいし、火もあちこちにあるし、お線香が炎上しているところもあったりして、熱く暑い。
一通りお参りし、日本人観光客のグループを連れたガイドさんが来たので、つい「私もグループの人です」という風情で説明に聞き入った。もっとも、聞き入ったけどすでに忘れてしまっている。
商売繁盛の神様と、縁結びの神様が近いところにいらしたことと、三国志の登場人物が神様になっているんだなぁと思ったことは覚えている。
おみくじを引こうと言うお姉さんについて行くと、赤い三日月形の木の牌を二つ渡された。この牌を振って上向きがひとつ、下向きがひとつという組み合わせになれば、おみくじを引いてもいいそうだ。
赤い木牌を振るのは3回までで、かく言うお姉さんは、1回もおみくじを引けたことがないらしい。赤い三日月形の木の牌が揃わないのは、予め唱えたお願いごとについて「まだ占う時期ではない」というメッセージらしい。
私は1回目で表裏が出た。お姉さんは今回も3回とも揃ってしまい、おみくじは私一人が引くことになった。
1mくらいもありそうな棒を引くと先っぽに漢数字が書いてある。九十九だ。いいんだか悪いんだか、意味ありげな数字である。
棒を戻して、すぐ近くにあるおみくじの箱を探す。引き出しがたくさん並んでいて、99までしかない。一番最後の数字を引いたらしい。
きょろきょろ探しても、「おみくじ代」を入れるような箱もなければ集金している感じの人もいない。勝手にお賽銭でいいことにしてもらい、おみくじを見る。
漢字である。日本人の私にも判る漢字が並んでいる。台湾はあまり漢字を簡略化していないという話を聞いたことがあるから、それで私にも読めるのだろう。
漢字一文字一文字は判る。そして、どうも不幸を連想させる漢字が並んでいるような気がする。
お姉さんは、別の建物にある窓口のようなところで読み解いてくれると言う。読み解いてもらったら悪いことを言われるような予感がして、激しく気が進まない。
しかし、周りを見回してもおみくじを結ぶような場所が見当たらず、一縷の望みを託し、10人弱が並んでいる最後尾に並んだ。
並んでいると本堂で賑やかな音曲が始まった。
覗きに行ってみると、お坊さん達が集まり、笛や太鼓を演奏し、マイクを持って歌っているのかお経を上げているのか、とにかく何らかの「儀式」が行われている様子だ。
周りにいる台湾の人たちは別に動じたり珍しがったりしていないから、日常的なことなのかも知れない。
おかげで待ち時間が短く感じられて有難かった。
そして、私の順番である。
「英語での案内になる。」と言われ、それじゃあ判らないと思っていたら、窓口のお姉さんは日本語まじりで話してくれた。嬉しい。
もの凄く雑にまとめると、「色々なことがあって頭に血が上ったようなパニックするような状況になるけれど、その状況は沈静化する」と書かれているらしい。お姉さんは「これは”普通”のおみくじよ。」と強調する。よっぽど私が不安そうな顔をしていたらしい。
もっと悪いことを想像していたので、ちょっとほっとする。こっそり目立たないところに結んで帰ろうかと思っていたおみくじを、お守り代わりに持ち帰ることにした。
しかし、である。
帰り際にふと見上げると、そこには「おみくじの引き方」の説明日本語バージョンが貼られていた。
そうすると、どうも私はまだ「おみくじを引いてよろしい」という状況にはなっていなかったらしい。
次回の台北旅行まで忘れないよう、ここに「おみくじの引き方」を簡単に書いておくことにする。
**********
おみくじを引くときは1本のおみくじに1つの願いごとをする
神筥をを両手で旨の前で持ち、氏名、住所、生年月日、願いごとを唱え、神筥を落とし、聖杯(片方は上向き、片方は下向き)が出ればおみくじを引くことができる
笑杯(両方裏)は願いごとが意味不明だったりあるいは縁がないというお告げであるので、もう一度お願いする
凶杯(両方表)は神様がお許しにならないあるいは怒っているということなので、もう一度お願いする
聖杯が出たらおみくじを引く
仏前に戻り、おみくじが正しいかどうかお伺いを立てる。聖杯が3回続けて出ればそれは正確ということ
(私はこの手順をすっ飛ばした・・・。)
お神籤解説所に行き、内容を解説してもらう
**********
私が引いたおみくじをどう考えるべきか微妙なところだけれど、気にしていても仕方がない。龍山寺を後にした。
まだ11時を過ぎたばかりだし、朝ごはんをたくさんいただいてお腹は空いていない。腹ごなしも兼ねて、西門町に向けて歩き始めた。
暑い。天気がいい割に、じめっとしている感じがする。しかし、歩道にはアーケードのように屋根があって、日差しが遮られると涼しい、ような気もする。
15分くらい歩くと、ちょっと雰囲気のいい場所に出た。
「何かの跡」という感じだ。しかし、扉も窓も閉まっていて、中に入ることはできそうもない。カーテンの隙間からは、何かの機械のようなものが見える。家内制手工業、という感じだ。
何となく横目で見ながら歩いて行くと、扉が開いてWelcomeな感じの場所があり、入ってみる。
一言で言うと、表参道にあった同潤会アパートのイメージだ。昔は人が住んでいたけれど、今はリノベーションし、ワークショップを行ったり、展示を行ったり、文化発信のスペースとして活用されています、という感じだ。同潤会アパートは自然発生的なものだったと思うけれど、こちらは「そうしようと思ってそうした」という雰囲気がある。
帰国後に調べたら、ここは剥皮寮という場所だったらしい。
最近よく読ませていただいている方の旅行記にバッチリ写真つきで紹介されており、台湾に行く前ももちろん見ていたのに、帰ってきてしばらくするまで全く気がつかなかった。阿呆である。
行く前にあちこち見ていた台北ナビというサイトにももちろん紹介されていた。ますますマヌケである。
台北ナビの記事を私の独断と偏見でまるめると、剥皮寮は日本統治時代に、老松小学校の敷地の一部だった場所だ。小学校としては広すぎて土地が余ってしまい、余った場所に商店などが立ち並んだのが始まりである。
1980年代までほとんど完璧な形で残っていたものの、老松小学校とともに剥皮寮にも改築の話が出た。その後、台北市が1988年から歴史的町並みの保存をはじめ、2009年に修復が完了している。
展示内容は色々変わるらしく、私たちが行ったときは、人間国宝といった雰囲気の方々の写真と説明パネル、作品などが展示されていた。
これらの展示も含めて入場無料である。
私たちが「一続き」と思っていた台北市郷土教育センターは、単にお隣の別の施設だったらしい。
こちらは、「昔の学校」を再現してみました、という感じの展示が多かったと思う。
小さい机と椅子が並んでいたり、子供たちが体験コーナーのようなところで遊んでいたりして、なかなか長閑な空間だ。
そして、何よりも、建物の雰囲気がよい。もっと気合いを入れて写真を撮れば良かったなぁと思う。
12時過ぎくらいに台北市郷土教育センターを後にし、再び西門町を目指して歩き始めた。
途中、公園のように整備されつつある西本願寺跡の前を通ったり、店頭でニラのたっぷり入った饅頭を茹で、中には小皿の料理がいくつも用意されて自分で定食を作れるようになっているやけに美味しそうな定食屋さんに心惹かれつつも「ニラだけじゃ嫌だ」と通り過ぎる。
余りにも喉が渇いて休憩しようとショッピングビルのようなところに入った。
ビルに入ってすぐのところにお茶スタンドがあり、試飲もさせてくれた。レシートを見ると、日出茶太というお店だったらしい。
試飲したお茶「桂花鳥梅汁」が美味しくて、お砂糖は30%に氷は0%に減らして作ってもらった。かなり大きなカップに氷なしでもなみなみと入れてくれて60元はお買い得だと思う。
お砂糖を減らして正解で、さらに飲みやすくなった。
昨日の士林夜市でもお砂糖の量と氷の量を調整してくれたから、台湾ではこのカスタマイズは普通のことなんだろう。
水分補給して元気回復し、再び歩き始める。それでも、やっぱり西門町は遠い。
ちょっと疲れたし、MRTに乗ったとしても博物院までは駅からタクシーかバスに乗る必要がある。「だったら」とこの辺からタクシーに乗ることにした。
タクシーの中でお姉さんが地図を広げていたのは、趣味というよりは「回り道なんてしたら許さないわよ」という牽制のつもりだったそうだ。単純に、車窓観光を楽しため、台北の街の地理を頭に入れるためかと思っていたから驚いた。
タクシーの中で、運転手さんがiPodを駆使して流していた音楽は、「津軽海峡冬景色」や「銀河鉄道999」などの日本の音楽をシンセサイザーの様々な音色で演奏したものだった。ハンドルを握る手を見ると、音楽に合わせて指が動いていたから、ご本人も楽器をやっている人だったのだと思う。
日本の懐メロシリーズかと思っていたら、ちょうど故宮博物院の敷地内に入った辺りでかかった曲は最近の曲だったらしい。お姉さんが「アニメのテーマだよ。私、知ってる。」と言って思い出すべく煩悶し、ちょうど入口前に到着する寸前、「思い出した!」と叫んだその曲は、「ワンピース」のテーマだった。
何だか可笑しい。
タクシー代約300元で、故宮博物院に到着した。
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2013年10月19日(土曜日)
ご一緒するお姉さんとは、8時50分羽田空港国際線ターミナル集合の約束だ。改札を抜けてターミナルビルに入ったところでばったり会えた。空港税等々3000円強を支払い、eチケットの控えを貰えば手続は終了である。
お姉さんは私と同じくらいの大きさのキャリーケースを持っていて、機内持込みにすると言う。持たせてもらうと、確かに中味は空っぽなんじゃないかというくらい軽い。そこからさらに必要ないものをコインロッカーに預けていて、毎度のことながら、自分の荷造りの手際の悪さにクラクラする。
私は羽田の国際線ターミナルが初めてで、江戸小路にも連れて行ってもらった。思っていたよりも狭くて、この時間では全てのお店が開店している訳ではなく、人も少なくて閑散としている。
早々にセキュリティチェックを抜け、出国審査を終えた。
お姉さんはカフェで小さなケーキとコーヒーを頼んで朝ごはんにしていた。私もアイスコーヒーでお相伴する。
エバー航空059便は、定刻(10:50)どおりに出発した。
私たちが乗った飛行機は「キティジェット」だ。
外観に大きくキティちゃんが描いてあるのはもちろん、機内はクッションやヘッドレストのカバーもキティ柄、お手洗いにある化粧水等のアメニティもキティのボトル入り、トイレットペーパーもキティ柄だ。キャビンアテンダントさん達ががつけているエプロンにもキティがつき、このエプロンは機内販売もされている。
キティ・ファンではないけれど、意外と気分が上がった。
キティ柄のついたコロンは、メロンの香りで、なかなか爽やかだった。
日本と台湾の時差は1時間である。
台湾時間の12時少し前、機内食が配られた。チキンかビーフか選べてチキンにしたところ、鶏のから揚げのあんかけ丼のような感じだった。
ピンク色をした素麺は紫蘇の香りがしてなかなか美味しい。キティの絵のかまぼこが載っている。紙コップ、お箸の袋、スプーンにもキティが付いている。
朝早くにパンとコーヒーで軽く食べただけだったし、ほぼ完食した。
13時30分くらいに台北の松山空港に到着した。羽田発着の便は全て、台北では松山発着になるようだ。両方で街から近い空港を利用できるのは大きなメリットである。
私が預けた荷物が出てくるのが意外と遅くて、これなら機内持ち込みにしてしまえば良かったかなと思う。
きっと私達の他にも寄せ集めのツアーの人がいて、一まとめにして送迎されるんだろうと思っていたら、出迎えのリョウさんよると私達だけの送迎だった。ちょっと驚く。
「手数料は取らない。」と言うリョウさんに10000円を2900台湾ドルに両替してもらい(1元=3.45円)、圓山大飯店に送ってもらった。空港からホテルまで20分くらいだ。道も渋滞していなかったし、ホテルは滑走路に下りた飛行機からも見えたくらいで近い。
私が2回目、お姉さんはもう何回も台湾に来ているので、「水道水は飲めません。」くらいの注意で話が済んでしまう。
その他、マッサージ店の紹介があり、「送迎付きでどこにでも迎えに来てくれるから、夜、出先に迎えに来てもらってホテルに送ってもらえばよい。」と利用法を伝授された。
「猫空に行きたい。」と言ってみると、「天気によってはゴンドラが止まってしまう、それは誰にも判らないことだ。」とあまり気乗りしない様子である。
しかし、今日から3日間の天気予報的には今日が一番「大丈夫そう」であることは間違いないらしい。それだけ情報を聞ければよしとする。
リョウさんは、ホテルのチェックイン手続きをし、携帯電話が海外でも使えるようにしてあるかと尋ね(持っていない私には何のことやらである)、お姉さんがyesと答えると、自分の携帯番号を教えてくれて「夜中でもOKだよ。」と言って帰って行った。
圓山大飯店では改装工事をしており、7〜9階は閉鎖されている。そのためもあってか、お部屋は3階だった。ちょっと低いけれど、そもそも圓山大飯店は高台に建っているので眺めはいい。
部屋に荷物を置き、ホテルのコンシェルジェのお姉さんに、明日の昼、故宮博物院にある故宮晶華というレストランでの国宝宴を予約してくれるようにお願いする。日本語と英語のちゃんぽんで、故宮晶華のHPの国宝宴のページをプリントアウトしたものを示したら笑顔になった。通じたらしい。
朝一番で行って見学後にお昼を食べ、満足していたらそのまま次に向かうし、まだ見たかったら再入場すればいいと思っていたら、同じことを考える人が多いのか、昼の予約はいっぱいで夜なら可能だと言う。
博物院が閉館となる18時30分からで予約してもらった。
明日の準備もでき、猫空に向かった。まだ14時過ぎだ。
ホテルから20分おきに最寄の圓山駅までシャトルバスが出ている。これを利用してMRTの駅に行き、悠々カードにチャージした。やり方が今ひとつよく判らなくてマゴマゴする。券売機の近くにあった悠々カードのマークのある機械にカードをかざし、お金を入れればいいようだ。何かの本に猫空のゴンドラは180元とあった記憶があり、とりあえず500元をチャージした。
MRTの料金は安い。最低料金が20元だったような気がする。約70円である。
猫空までは、2回乗り換えてまずMRT動物園駅まで行く。乗り換え時間を含めて30分以上乗って35元だった。やっぱり安い。
忠孝復興駅で乗り換えた後はずっと地上(高架)を走る。「郊外」という感じの窓外の景色だ。大学があったり、団地(らしきもの)があったり、緑の中を走ったりする。
終点の動物園駅で降りると、人の流れはそのままゴンドラ乗り場に向かっている。
週末だし、台北在住の人にも手ごろなお出かけスポットになっているのだろう。
ゴンドラ乗り場に行くと、水晶車と名付けられた、床が透明になっているゴンドラに乗りたい人は別に並ばねばならず、椅子に座って待っている人が20人くらいいる。二人してちょっと迷った後、時間優先で普通のゴンドラ乗り場に向かった。
エスカレータで上がって行くと、普通のゴンドラ乗り場もディズニーランドのような行列になっていて、一方の「床が透明」なゴンドラの方はある程度人がはけてから呼んでいるらしくほとんど行列していない。もしかしたら、待ち時間はほとんど変わらなかったかも知れない。
悠々カードをかざして改札を通過し、乗り場に入る。ホテルを出発してから1時間というところだ。
やってきたゴンドラの外側に水滴がついているのを見て「上は降りだしたか?」と思いつつ乗り込む。1台に6〜8人を乗せているようだ。そういえば、入口のところに「一人の人は早く乗れます」列も用意されていた。相当に効率はいい。
ゴンドラは緑の中を進み、なかなか気持ちがいい。
振り返ると、台北の町並みも見える。残念ながら、今日は霞んでいる。
目の前のかごが「補修用」という本当に単なる「かご」で、ゆらゆら揺れているのを見ているとかなりコワい。あれには乗れない・・・と思う。
終点の猫空までの間に二つの乗降可能な駅がある。その途中駅で待っている人もいたけれど、途中下車する人はほとんどいないし、出発駅の動物園駅で効率よく詰め込んでいるので、なかなか乗れない。途中から乗ろうというのはかなり無謀な試みといえると思う。
床が透明になっていない方に乗ったにもかかわらず、このゴンドラは怖い。かなり、コワい。
乗車時間25分とまず相当に長いし、山と山との繋ぎ方が大胆だ。
山肌に沿って急激なアップダウンをするのも怖いし、山頂同士を長くつないで物凄い高さのところを行くのも怖い。ゴンドラで味わう怖さフルコースという感じである。これだけで、相当のアトラクションだと思う。
これだけ楽しんで片道50元(約175円)は激安である。休日に若者や家族連れが次々にやってくるのも納得だ。
このゴンドラだけ延々往復していても良かったくらいだけれど、猫空駅では帰りのゴンドラを待つ人が長い行列を作っていた。
「猫空」は茶畑地帯であり、茶芸館が点在する「お茶の里」である。
ゴンドラを降りた通路の右手にインフォメーションがあり、そこに地図も置かれている。散策する前に寄れば良かったけれど行きには気付かず、ガイドブックにも猫空の地図は載っておらず、どこに何があるのか判らないまま適当に歩き始めた。
賑やかな通りを選ぶ。駅の近くには屋台が並び、人で溢れている。
そちらに行くと、「台北市鉄観音・包種茶研発推廣中心」という道案内があり、そこに行ってみることにした。腹ごなし兼お散歩である。
ゆるやかな傾斜の道は、歩道が整備されている訳ではないものの、それほど車が多いということもなく歩きやすい。
整備されてる? されてない? といった感じの茶畑や、眺めのいい場所に並んだ茶芸館、美味しそうなスイーツを出すお店や、お茶の里である猫空で果敢にコーヒーを供しているお店などが並んでいて、そぞろ歩きもなかなか楽しい。
どれくらい歩けば台北市鉄観音・包種茶研発推廣中心に辿り着くのか判らなくて少し不安になる。人を満載したマイクロバス(猫空を巡回しているバスだと思われる)がびゅんびゅん走っていればなおさらだ。
遊歩道も整備されているけれど、雨の降りそうな夕方にはちょっとチャレンジはできない。次は1日かけるつもりで来てもいいなと思う。
のんびり20分くらい歩いて、台北市鉄観音・包種茶研発推廣中心に到着した。16時半過ぎの市の施設は、17時の閉館に向けて準備万端という感じである。
流石にお茶の里にある「茶研発推廣中心」だけあって、大きなマグカップが用意され、蛇口から烏龍茶が飲み放題になっている。お茶を収穫してからの作業に必要な道具が展示され、 美加茶園というお茶屋さんがテーブルを出して出店している。テラスに出てみると、微妙に不ぞろいなお茶畑を見ることができる。
どうしてもわざわざ行くほどの場所ではないけれど、行ってみても悪くない、という感じだ。
飲み放題烏龍茶の片付けが始まったのを潮に、私たちも引き返した。
来る途中で気になっていた、天恩宮というお寺の隣にあるお土産物屋さんに立ち寄る。地元の方々も次々に吸い込まれている。干し梅やパイナップルケーキ、ゼリーなど、様々なお茶請けがばら売りされている。
妹に「パイナップルケーキをお土産に買ってきて。」と言われたのを思い出し、パイナップルケーキ等々を300元分買い求めた。これで、家へのお土産は完了である。
お土産物屋を出ると、雨が降っていた。
もう扉が閉められてしまったお寺の前で少し雨宿りしたけれど、どうも止む気配がなく、傘を差して歩き始めた。目的の茶芸館までそれほど距離はない筈である。
行きがけにはガラガラだった茶芸館も、段々賑わってきている。流石に夕日は無理だけれど、台北の街の夜景を見ようという人が増えてきているのだろう。
ゴンドラの猫空駅近くにある縁続縁茶芸という茶芸館に行った。猫空の茶芸館は24時間営業のところも多い。
通りがかりに見たところ、ゴンドラ待ちの人がかなりまだ並んでいる。雨が降り出したから早めに退散という人も多いらしい。
縁続縁茶芸は建物の2階にあって、入口で「お茶か? 食事か?」と聞かれた。ここで「食事」と答えると、茶葉料理を供する3階に案内されるようだ。私たちは「お茶」と答え、2階の夜景の見える窓際の席に案内された。
席に向かう途中に池があり、池の中に配置された飛び石を伝って行った。風情だ。
席は個室風かつ板敷きの座敷風で、内装は全体的に古民家風だった。なかなか趣がある。
メニューに日本語で注意事項のようなものが書いてある。人数が5人以下の場合は席料が発生しますとか、ミニマムチャージがありますとか、3時間までですとか、そういう内容だ。
割と愛想のないお店の女の子にお勧めのお茶を聞くと鉄観音烏龍茶だと言う。お茶請けをお盆一杯に並べて持って来てくれたものの、特に説明するでもなく持って帰られてしまい、結局頼んだのはお茶だけだ。
お店の人が間違えたらしく、私たちの席に、烏龍茶セットとは別に、ごはんセットが運ばれてきた。もちろん苦笑いしたお店の女の子がすぐに持って行ってしまう。しかし、そのとき見たごはんセットがかなり美味しそうで、ここでごはんを食べることにした。18時過ぎといい時間である。
もう一度メニューをもらい、ついでに「お茶の飲み方を教えて。」と頼むと、はいはいと二つ返事で教えてくれた。愛想はないけれど、頼めばちゃんと答えてくれるらしい。さっさと教えてもらえばよかった。
急須や茶壷をぐらぐら沸かしている熱湯で温め、茶葉を急須に入れてお湯を注ぐ。1杯目のお湯は、茶葉についている埃等を洗い、すぐに流してしまう。
もう一度。急須に熱湯を満たし、割と時間をおかずに茶壷に移す。
茶壷から聞香杯に注ぎ、すぐに丈の低いお茶碗に入れ替える。聞香杯の香りをかぐと、焙煎しているかのような香ばしい香りがする。
これで、ワンセットだ。
お茶をいただきながら(そして、窓外に広がる台北の街の夜景など写真を撮りながら)待っていると、注文した食事が運ばれてきた。
愛想のないお店の女の子曰く「セットメニュー」は、ごはん、スープ、前菜3種盛り、メイン、烏龍茶のゼリーである。お姉さんは、牛肉の煮込みを選び、私は鶏肉のレモングラス焼きを選んだ。
鶏肉のレモングラス焼きは、外側はぱりぱり、お肉はジューシーでなかなか美味しい。レモングラスの香りや味よりもピリ辛が際立っている。辛い!
牛肉の煮込みは、甘いようなアニス独特の香りがして、お肉の塊がゴロゴロ入っている。どちらも美味しい。
サッパリ系のお茶のゼリーまで、美味しくいただいた。
流石に3時間とまで行かずとも、かなり長居してしまったようだ。
お茶を頼むと、75g入りのお茶を持ってきてくれて、余った分は持ち帰ることができる。それで350元だから、台北市内よりもお安いのではなかろうか。
この鉄観音は「焙煎したのか?」と思ったくらい香ばしい、ちょっと強い感じの烏龍茶で美味しい。
トータル1000元ちょっとだった。カードが使えたら、お茶をいくつか買っていたのに残念だ。レジの後ろにお茶の缶というか箱が並んでいたから、購入もできたように思う。
19時過ぎ、ゴンドラ待ちの列はなくなっており、すんなり乗ることができた。
しかも、来るときに見送った、底が透明になっているゴンドラである。もうすでに真っ暗になっているし、ゴンドラの中には灯りがついているので、下はほとんど何も見えない。道路の上を通るときに、街灯があれば目を凝らして道路を確認できるという感じだ。
底が透明になっているゴンドラを指定して乗れるのは17時までで、それも納得である。
ゴンドラから見えた夜景も、ほぼ満月だったお月様も、とても綺麗だった。
動物園駅まで降りてくると、MRT駅とは反対の方に池があり、看板によるとどうやら噴水のショーを15分ごとに行っているらしい。あと数分だったので、正面の席に陣取って開始を待った。
案内のアナウンスが入り、音楽とともに、噴水のショーが始まった。
水も豊富、電気も豊富ということよね〜、というせちがらい感想が浮かぶ。
5分くらいの噴水ショーはなかなか楽しかった。
雨に降られないのは今日くらいかも知れないし、明日の夜は超豪華ディナーなのでその後で食べ歩きは無理だろうと、士林夜市に向かった。
士林夜市に向かう車内で「永楽帝」の話になり、いつの時代の皇帝だったっけ?という話から始まって何故か日本に話が飛び、百人一首に女性天皇の歌が入っているはずだけどそれは誰だっけ? 天智天皇? それは男だよ、推古天皇の歌は入っていないし・・・と話していたら、うっかり乗り換え駅を過ぎて松山空港まで行ってしまった。
かなり行き過ぎである。
松山空港駅から引き返し、2回乗り換えて、剣潭駅まで行けばその目の前が夜市である。
独特のアニスの匂いが濃く流れている。腸詰もフルーツも美味しそうだ。しかし、今ひとつ胃腸に自信が持てないし、すでにお腹はいっぱいで諦める。
喉が渇いていたので、私は健康茶(60元)、お姉さんはフルーツのスムージーのようなものを買い、飲み飲み歩く。
晴れ女のお姉さんが「強気に持ってこなかった!」と言う折りたたみ傘を買っていた。お店で働いていた男の子がなかなか可愛く、「これ。」と指差すと全部開いてくれて親切だった。あのお店はきっと彼で相当に売り上げているに違いない。
凄い人混みのなかをぶらぶら歩くのはなかなか難しい。
物凄い勢いで食べ物の屋台を引っ張っている人がいて、「何???」と思わず言ったら、お姉さんにあっさり「きっと警察が来たんだよ。」と言われて納得した。なるほど。
1時間近くもうろうろしたのに何も買わなかった私もかなりマヌケである。
そぞろ歩きは結構疲れるし、ホテルはここから近い。タクシーでさくっとホテルに戻った。
ホテルに戻ったら23時近かった。
リョウさんがホテルのライトアップもきれいですよ教えてくれたけれど、流石にもう終わっている。門のライトアップはまだ続いていたので、テラスに出て写真を撮る。
テレビで天気予報を探すけれど「日本の天気予報(NHKが見られた)」か「台湾の今の天気」しか見つからない。
1時過ぎに就寝した。
-> 台湾旅行記2日目その1
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「その国の旅を終えて100の質問」は 旅して~世界206ヶ国&旅と暮らし からいただきました。
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1.ハンドルネーム、性別、星座、血液型をどうぞ。
姫林檎 女 蠍座 A型
2.行った国はどこですか?
台湾
3.日程(年月日)と日数を教えて下さい。
2013年10月19日〜10月21日 3日間
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2013年10月19日から21日まで、2泊3日で職場のお姉さんと台湾に行ってきた。
ツアーに一人参加するか、母をお客に添乗員のように旅行計画を立てるところから当日の移動まで完全に自分主導で動くか、ここしばらくどちらかのパターンが多かったので、かなり新鮮だった。
2泊3日と短い日程だったけれど、かなり詰め込んで満喫してきた。
行きも13時過ぎには到着、帰りは16時発の便にしたし、私にしては宿と食で「贅沢」をしたし、変身もしたし、少し遠出もしたし、ハードかつ充実した3日間だった。
ちなみに、持ち歩いている歩数計は、19日が16172歩、20日が10935歩、21日が15516歩だった。
天気予報が雨だったり、見るサイトによって最高気温に23度から28度くらいまで5度の差があったりして、僅か2泊3日、しかも行き先は台湾だというのに、荷物は増え、家を出るギリギリまで持ち物の入れ替えをしてしまった。
その、下手な荷造りの結果の持ち物リストは以下に。
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