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2014.01.26

中米3ヶ国旅行記2日目その4

2012年12月16日(日曜日)


3号神殿 誤算は、カラクム遺跡の2号神殿から1号神殿までが結構遠かったことだ。
 道中、3号神殿の横を通り、つい素通りできずにカメラを向けたりしたものだからさらに時間がかかる。漆喰が残っていた建造物は3号神殿だけだったような気がする。
 後で確認したら、割と地味な感じの3号神殿が実は宮殿と推定されており、翡翠のマスクをつけた男の遺体も見つかっている。素通りしなくて良かったけれど、ほぼ素通りで本当に申し訳なく、そして悔しい。


 1号神殿から戻って来る同じツアーの方に「大丈夫、間に合うよ。」と励ましていただきながら急ぎ、何とか1号神殿の麓に辿り着いた
 体力がないくせにペース配分ができず、このピラミッドを1分くらいで上ってしまい、本当に本当に疲労困憊した。阿呆である。上で待っていてくださった同じツアーの方に大笑いされる。
 1号神殿はてっぺんが意外と狭く、自分がその場でぐるっと一回転するだけで360度の眺めを堪能できる。
 しかも、このときは、ツアーでご一緒した女性と二人で独り占め(二人占め)できた。


1号神殿の頂上より 1号神殿からは、2号神殿、7号神殿、13号神殿が一気に見ることができる。
 ガイドさんが「見えるかも」と言っていたエル・ミラドールを探そうと思っていたのに、余りの疲労にすっかり忘れ果てていた。しかし、この360度一面の緑という眺めを喜んで撮りまくった写真を必死に探しても見つけられなかったから、もの凄くいい視力の持ち主のみの特権か、あるいは、樹木の生長に伴って見えなくなってしまったか、どちらかだと思う。
 添乗員さんも「私も目を凝らしましたが見えませんでしたよ。」とおっしゃっていた。


 10分弱くらい眺めを楽しんで、それからダッシュで集合場所に向かった。
 2号神殿の足もとからてっぺんに上り、降りて来て1号神殿に移動し(途中3号神殿に少しだけ寄り道し)、一気に上って眺めを楽しんでから降り、集合場所の5号神殿の辺りまで戻るのに要した時間は25分だった。
 何とか集合時刻には間に合ったものの、あまりに疲労困憊していたためか集合場所のすぐ側にいたらしいクモザルを見逃してしまった。後で「いたじゃない!」とツアーの方に言われても全く覚えがないという体たらくだ。


4号神殿 私たち二人が到着して全員が揃い、4号神殿経由で入口に戻った。
 4号神殿は両脇に付属物のような建物を持っており、ちょうど真向かいにある6号神殿から見て、中央の建物から日が昇るときが春分及び秋分の日、北寄りの建物から日が昇るときが夏至、南寄りの建物から日が昇るときが冬至と、天体観測のための機能を有している。
 今は間にある樹木が生長したし、建物が崩れているから、残念ながら現在では実際に目にすることはできない。
 都市建設ではまず天文学関連の施設から作られたというから、もしかするとカラクムルで最初に作られた建物はここなのかも知れない。


 14時30分くらいに入口に戻り、再びミニバンに分乗して博物館に戻った。
 遺跡入口ではハガキサイズのカラクムルの簡単なパンフレットが販売されていて、ツアーメンバーの多くが購入していた。スペイン語が全く判らない私は見送ったけれど、2号神殿の全体像の写真だけでも手に入れる価値はあったかなと少し後悔している。5ペソをケチるんじゃなかった! という感じだ。
 この時期、メキシコ国内だけか、グアテマラやホンジュラスも含まれていたか定かでないけれど、マヤ遺跡スタンプラリーが開催されていたらしい。その宣伝幟も飾られていた。
 19日間ツアーの方々が「最初に知っていたらやってたのに!」と嘆いていたから、19日間ツアーはそのスタンプラリー対象遺跡をほぼ網羅していたのだと思う。


自然保護区内の道 行きのミニバンはガイドさんが一緒で、帰りは先生が一緒だ。この辺りの「公平感」への気遣いは大変だなと思う。
 走り出したところで、初めて、カラクムル遺跡内で対向車に出会った。しかし、この時間から遺跡に何をしに行くのだろう。観光客ではなくてスタッフの車だったのかも知れない。
 ミニバン車中のレクチャーのテーマは「マヤの暦」だった。先生としても「行きの車内で話したことを、帰りのメンバーに話さない訳にはいかない」という使命感があるらしい。もっとも「何を話しましたっけ?」と言っていたから、もしかすると行き帰りで違う話だった可能性もある。


 マヤ長期暦が終わる(正しくは、一巡する)ことをテーマにこのツアーも企画されている訳だけれど、実はこの長期暦は、マヤの人々も10世紀くらいまでしか使っていなかったという。拍子抜けする話である。
 16世紀にスペイン人が来たときに使われていたのは、256年で一巡する短い暦だ。しかし、これでは256年分の出来事しか特定できない。256年前の出来事は同じ日付になってしまい、歴史をひもとくことは難しい。


 マヤの人々は複数の暦を平行して使っていて、もう一つ使っていた暦がいわゆる太陽暦である。マヤの1ヶ月は20日なので、1年が18ヶ月になる太陽暦だ。
 さらに、この他にもマヤには260日で一周する暦もあって、この260日暦と365日暦をちょうど干支のように組み合わせたものを「カレンダーラウンド」という。これは52年で一巡する。
 カレンダーラウンドは今でもかなり日常的に使われていて、グアテマラでは、国営放送のニュースで西暦と同時にこの260日暦で**の日ですと毎日アナウンスされている。


 また、マヤ文字は、昔は読むのも書くのも職人芸であったらしい。あの精巧かつ複雑な文字を書くのは相当に手間暇がかかったんだろうと思ったら、例えば、どんなに下手でもあるいは上手に崩してあっても漢字が読めるように、マヤ文字にも「ここが押さえてあれば」というポイントがあって、意外と早く書けたのではないかという。
 マヤ語の発音は、これは条件としてかなり恵まれていて、マヤの人たちに、例えば「犬」のことを何と言うかと聞き、答えが「つる」だったとしたら、犬の絵が文字に入っていたらその文字は「つる」と発音することが判る。そうすると、同じ文字が使われているここも発音は同じではないか、という風に追って行けるそうだ。
 実際はそうトントンと行く訳ではないだろうけれど、「実際にその言葉を使っている人がいる」ことは言語学的には相当の強みらしい。


 先生のお話が一段落した後、添乗員さんを含む女性陣でおしゃべりに興じているうちに博物館に戻った。
 記憶に残っているのは、ツアー参加者は女性が多いという話だ。今回のツアーは、男性4名、女性2名、19日間ツアーの方々を足しても、男性6名、女性5名と男性の方が多い。これはかなり珍しい部類に入るらしい。
 どちらのコースも割と直前にキャンセルが出たそうだ。私が参加した10日間コースの場合は、1ヶ月以上前の時点では13名の申込みがあり、12月10日時点で9名、その後、ノロウィルスに感染してしまった方がいらして最終的に6人になったらしい。よくぞ催行されたものだと思う。


セイバの木チクレの木 博物館では、トイレ休憩兼お茶碗や壁画を確認したいところだったけれど、残念ながら、どちらも果たせなかった。
 博物館は、すでに閉まっている。
 まだ15時半すぎなのに、早過ぎである。
 しかし、博物館の庭のようなところで、チューインガムの元でありカラクムル発見の契機となったチクレの木(左)と、マヤで聖なる木とされているセイバの木(右)を見られたから良しとしようと思う。


 元の大型バスに乗り換え、本日の宿に向かう。
 この旅行社の通常のメキシコツアーでは、カンペチェを出発してカラクムル遺跡を見学、その日のうちにパレンケまで移動するそうだ。そうすると、宿から遺跡まで、遺跡から宿まで、どちらも4〜5時間かかる。
 しかし、今回のこのツアーは遺跡見学がメインなので、カラクムル遺跡では通常の倍近い見学時間を確保し、宿泊もカラクムル遺跡から車で1時間半ほどのチカナ・エコ・ビレッジが確保されている。


 私たちが爆睡している間にドライバーさんが相当飛ばしてくれたようで、1時間くらいで宿に到着した。
 チカナ・エコ・ビレッジのちょうど真向かいにチカナ遺跡があり、あわよくばそちらも行ってみたいと思っていた。しかし、ロッジ到着が16時40分、遺跡の閉門が17時では如何ともしがたい。それならあと30分、カラクムルで時間を取ってくれればもうちょっとゆっくり3号神殿も見られたのにと勝手なことを思う。
 添乗員さんたちが部屋割りや夕食の手配等々をしてくださっている間、レセプション周辺でだけ使用可能なwi-fiを活用し、特に男性陣が衆議院議員選挙の結果に一喜一憂していた。


チカナ・エコビレッジ 外観チカナ・エコビレッジ お部屋


 17時にはお部屋に入ることができ、夕食は18時半からになった。
 暑かったし埃まみれだったので、真っ先にシャワーを浴び、洗濯をし、今晩と明日用のお茶を作る。
 自動販売機で気軽に飲み物を買う訳にも行かず、昨晩作った紅茶と朝もらったランチボックスに入っていたお水はすでに飲みきってしまっている。アエロメヒコのラウンジでいただいたお水が大活躍だ。
 エコビレッジという名前に相応しく、非常にシンプルなお部屋である。テレビなし、電話なし、wi-fiもレセプション周辺だけである。明日はモーニングコールではなくモーニングノックだという。
 しかし、必要十分なものは揃っているし、緑が多いためか、昨夜と違ってクーラーも必要ない快適さだ。


SOLビール メキシコといえば、ビールである。夕食のときに頼んだら、solという銘柄のさっぱり系のビールが出てきた。
 夕食のメニューは、マッシュルームのクリームスープ、ファヒータのミクスト(要するに野菜とお肉の炒め物)、フルーツサラダ、そしてコーヒーか紅茶だった。
 食卓の話題で、メキシコとグアテマラではメキシコの方が治安がいいと添乗員さんもガイドさんも先生も口を揃えて言うのが意外だった。しかも、添乗員さんが「例えば」と教えてくれた話が凄い。


 12月初旬にグアテマラに来たツアーでは、グアテマラシティでホテルに隣接するショッピングアーケードに行ったお客さんが、見知らぬ人に「やぁやぁ」と親しげに声をかけられ、ハグされ、訳も判らないままにハグを返して別れ、ふと気がついたらピアスが両方なくなっていたそうだ。
 イヤリングなら判らなくもない。しかし、ピアスである。一体どういう超絶技巧を駆使したのだろう。


 賑やかな夕食の後、明日のスケジュールの連絡があった。
 モーニング「ノック」5時、バゲージダウン5時半、集合6時である。早い。
 明日の朝食はボックスで、パレンケ到着後に昼食、午後はパレンケ遺跡の見学というスケジュールは、聞くだけでもハードそうである。
 また、旅行社のサービスで、絵はがきと切手が3通分配られた。グアテマラからの郵便事情が昨今かなり悪化しているのでメキシコから出しましょうと言われる。絵はがきの写真はティカルである。微妙だ。
 微妙だと思いつつ、部屋に戻ってから友人に絵はがきを書いた。明後日にはメキシコを出国するので、メキシコから絵はがきを出す機会もそう多く残されている訳ではない。


 時差ぼけなのか、23時を回っても全く眠くなかったけれど、明日も早い。強引に就寝した。


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