中米3ヶ国旅行記2日目その3
2012年12月16日(日曜日)
非常に曖昧なことを書いて申し訳ないけれど、ちょうど、10号神殿と15号神殿がある角に立って説明を聞いていたのは覚えている。なので、どちらかの神殿について語られていたのは確かだと思う。
しかし、果たして、10号神殿についての説明だったのか、15号神殿についての説明だったのか、そこが判然としない。この写真が10号神殿なのか15号神殿なのかも今ひとつ微妙である。
話の流れからすると10号神殿っぽいけれど、あちこち当たるとどうも15号神殿が正解な気がする。
なので、10号か15号かどちらかの話であるということで、話を進めたい。
前置きが長くなったけれど、この神殿は内部に(推定)王妃のお墓があり、その人物に翡翠の仮面がかけられていたことで有名である。
カラクムルでは、この神殿だけでなく、あちこちの建造物からお墓や翡翠で作られた物が発見されている。
この神殿で発見された仮面は、カンペチェの博物館に所蔵されている。しかし、19日間ツアーの方々が昨日博物館に行ってみたところ、フランスに貸出中で見られなかったそうだ。
その翡翠の仮面は、意外と浅いところで(あまり掘らずに)発見されている。探していて見つけた訳ではなく、修復の過程でたまたま見つかったものである。
マヤの建造物は、上に被せるように建て増しされていることが多く、一番最初にあった建造物などもう何重もの建造物で包み込まれている状態である。初期の建造物を調査しようとすれば、建造物にトンネルを掘るしかない。
トンネルを掘れば見つかるというものではないけれど、そういう調査発掘をしたら新たな発見がある可能性が高いということだろう。勿体ないけれど、先の楽しみがあるということでもある。
「浅いところで」と書いたけれど、地下1mの地点で発見されたという意味ではない。根掘り葉掘り質問してやっと理解したところによると、いわばこの「ピラミッド」最上部にある建物の床下から発見されているのだ。
日本では住居と墓地は完全に分かれている一方、マヤでは、生活している場所のすぐ近くにお墓を設け、祖先の魂とともに生活する習慣だという。そして、カラクムルでは、床下からお墓が発見されている。それって近すぎないかと思うけれど、祖先を敬う気持ちが強かったということなのかも知れない。
お墓の主が王妃だろうと推定される根拠としては、翡翠の仮面の存在がやはり大きいらしい。
翡翠は非常に貴重なもので、その翡翠を用いた仮面を使えるのは、王と王妃などいわゆる王に近い人物に限られていた。
しかし、マヤのお墓には「**の墓」といった墓碑銘がなく、あるいは、あったとしても既に消えてしまって確認できないため、誰のお墓、とは言えないらしい。だから、王妃ではなく王の母のお墓という説もある。
カラクムルとティカルはライバル関係にあり、ティカルはカラクムルの侵攻を受けて石碑が建てられなくなったというのが定説とされている。しかし、先生によると、今後のティカルの発掘ではこの説の真偽を考古学的に確認することも大きな目的だという。
562年頃、カラクムルがティカル王を捕まえて殺し、695年頃、逆にティカルがカラクムルの王を捕まえて大逆転するまで、ティカルは衰退し混乱していたとされている。しかし、先生は、ティカルの北のアクロポリスにある大きな神殿が、このいわゆる「暗黒時代」の建造物であると見立てており、この説の真偽は北のアクロポリスの発掘である程度はっきりするのではないかと言う。
12時半頃、7号神殿の前まで来た。
「上れば2号神殿が綺麗に見えます。」という誘い文句を聞き、ガイドさんが見張っていてくれるという言葉に甘えてカメラ以外の全ての荷物は置き去りにして、急階段を上り始めた。
19日間ツアーの方々は「これまでのピラミッドよりも楽だわ。」とおっしゃる。聞けば、ウシュマルやコバーでは、ここよりも更に段差が大きく階段の幅が小さいという悪条件だったらしい。タフな感想である。
しかし、初めて上っている私には十分、この7号神殿の階段も厳しい。
怖い、息が切れる、足が上がらないと思いつつ、しかし実際にはそれほどの時間はかからずに頂上に辿り着いた。
目に飛び込んできた絶景がこれである。正面が2号神殿、左に見えるのが1号神殿だ。
皆して大興奮し、記念写真を撮りまくる。何だか、このピラミッド(と上り始めると呼びたくなる)に上ったときから、急にツアーメンバー同士が打ち解けたように思う。
この後、2号神殿と1号神殿という、今見たばかりの真打ちが「どうぞ上ってください」と待ち受けている。こ
んないい景色を見られたのだし、風も涼しくて気持ちいいし、ここでメゲている訳にはいいかない。
もっとも、後になってみると、高さはともかく角度という点では7号神殿の階段が一番きつかったと思う。
地味だけど羽根の綺麗な鳥がいるなと思っていたら、ガイドさんが七面鳥だと教えてくれた。クリスマスのご馳走がこんな鳥だと初めて知った。
正面に2号神殿を見ながら5号神殿でランチボックスを食べるもよし、2号神殿と1号神殿の両方に上るもよし、再集合は14時10分という案内とともに、12時50分に解散・自由時間となった。
「お腹が重くなるよりは」、「時間が足りなくなるよりは」と先に2号神殿に行く人が多い中、7号神殿で既にエネルギー切れを起こしていた私は、ランチボックスの写真を撮る余裕もなくサンドイッチを食べ始めた。
世界遺産のど真ん中の5号神殿に腰掛けてランチだなんて、考えようによってはもの凄い贅沢である。
ランチボックスの中味は、サンドイッチの他に、りんご、バナナ、チョコチップクッキー、チーズクラッカー、炭酸飲料、お水だった。お水は、朝もらったときに水筒に入れ替えておいたら、多少は冷たさを保っていた。有り難い。
先生によると、2号神殿を途中まで上ったところに神殿(のような建物)があり、その中央の建物の下から、カラクムルで一番豪華なお墓が発見されている。もちろん、残念ながら見ることはできない。
また、2号神殿は、メキシコではテオティワカンの太陽のピラミッドに次ぐ高さ45mを誇り、底辺は1辺140mもある。このように、もの凄く大きな基壇の上に建物を三つ作るのは、紀元前、マヤでいう先古典期における大都市の形である。グアテマラ周辺では、紀元前に栄えた都市が200年くらいには放棄されてしまったけれど、カラクムルは放棄されずに古典期まで残った珍しい例だという。
もっとも、今見ているこの形は、2号神殿の最終形の一つ前の形に修復されたものだという。どうして最後のバージョンにしなかったのか謎だ。こっちの方が格好いいとかそういう理由ではないことを祈る。
集合時間もあることだし、目安が知りたくて、ガイドさんに「ガイドさんだったら2号神殿のてっぺんまで行って戻ってどれくらいかかります?」と尋ねたところ、「私はいつも荷物番をしてるので、ほとんど行かないんですよ。」というお答えだった。ごもっともである。
2号神殿は、地面から見上げた角度では実はてっぺんは見えていない。7号神殿から見えた2号神殿のてっぺんは、この裏というか奥に隠れている。
既に上って降りて来た添乗員さんに「奥の建物に上るには、真ん中から行って今見えている一番上に行くのではなく、途中から左右どちらかに回り込んだ方が良い。」というアドバイスをいただき、覚悟して上り始めた。
7号神殿から目一杯望遠を効かせて撮った2号神殿の最上部の写真がこれである。
この手前のでこぼこして見える部分が、2号神殿を下から見上げたときに「てっぺん」のように見える部分である。さらにその上があることが判る。
そして、添乗員さんに予め注意されていたにも関わらず、ひたすら足もとを見て階段を上っていた私は、気がついたときには「ここが回り込むポイント」と言われた高さを過ぎてしまっていた。
しかし、せっかくこんな急階段を上って来たからにはすぐ降りるのは勿体ない。先生の言っていた「一番立派なお墓」のある場所を探そうと歩き始めた。
しかし、上下から見たときは「あそこが真ん中」と一目瞭然でも、その場にいると「どこが真ん中か」ということは意外と判りにくい。
結局、「中央の建物」自体を特定できず、お墓があるという場所を見つけることはできなかった。お墓の内部を見ることはできないにしても、入口くらいは確認したいと目論んでいたのに残念である。
石組みもマヤアーチも、あまり精密でない感じがする。
誰もいないこうした場所を歩き回るのは楽しい。
カラクムルで暮らしていた人は、この高さまで軽々と上っていたんだろうか、たまのことだから我慢していたんだろうか、そもそもここまで来られるのは一握りの特権階級に限られていて苦労ではなく栄誉だったんだろうか、お墓と生活が近接していたということはここも誰かの家だったんだろうか、だとしたらこの家の子供は足腰が丈夫だな等々、妄想は尽きない。
強烈な日射しと涼しい風、一面の緑が、妄想を加速させる。
階段を降りずに奥の「本物の頂上」を目指せないものかと歩き回り、何とか後ろに回り込む道を見つけた。
そうして辿り着いた頂上から見えたのがこの景色である。
上から見れば判る。手前に写っているのが「お墓が発見された建造物」だろう。
ジャングルが広がり、その中にてっぺんだけ見えているのが先ほど上った7号神殿だ。
何というか、こういう景色を見ると、達成感というよりも征服感を感じる。
頂上に同じツアーの方がいらして、現地の方とスペイン語で何やらお話しされていた。お聞きしたところ、スペイン語教室にずっと通っていらして、来夏は通っているスペイン語の先生のご実家にホームステイする予定だという。
私が息を切らしているのを見て笑いながら尋ねてきたスペイン語に首を傾げていると「疲れたか、って聞いているよ。」と通訳してくださったので、もちろん! と大きく頷いた。
「登頂記念」の写真も撮っていただき、しばし、のんびりする。
2号神殿のてっぺんからは、1号神殿も見える。
遮るものが何もないからか、1号神殿の上でしゃべっていることの中味まで聞き取れそうな音響の良さだ。もしかして、マヤの建造物間にはそういう仕組みが予め用意されていたんだろうか。望遠レンズで見ると、結構何人もが上っていて楽しそうだ。
40分あれば行って帰って来られるだろうと、急いで2号神殿を降り始めた。2号神殿の頂上を満喫することにされたらしい先ほどのツアーの方に「1号神殿まで行って来ます!」と手を振ると、笑って(多分、かなり呆れて)手を振ってくださった。
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