ハイダ・グアイ旅行記6日目その1
2013年6月18日(火曜日)
前日の夜に調子に乗ってガンガン飲んでしまったためか、また1時間ごとに目が覚めて熟睡できなかった。
この日の予定は、軽いハイキングの後でバンクーバーに移動、軽く観光という感じだから問題はないだろう。
6時半頃に起き出して荷物整理を始めてみたものの、これからレインウエア等々を使うし、なかなか進まない。
8時に朝食のためレストランに行くと、添乗員さんだけがいない。お部屋のドアをノックしてみたけれど返事はなく、昨日潰しちゃったかしらとちょっと心配になる。
レストランのお姉さんがジュースの注文を取り始めたので、みなさんのご希望を確認し、お願いしたところで添乗員さんがやってきた。朝一番でランニングに出て、うっかりコース取りを間違えて思ったよりも時間がかかってしまったと言う。
「添乗に出て寝坊したことはないですから。」と胸を張られたけれど、寝坊はしていないかも知れないが自分が指定した朝食時間に間に合ってないじゃん! と思う。
フルーツヨーグルトとハムエッグ、トーストにコーヒーの朝食を終えて、今日はスケジュールに余裕があるので、9時半に希望者のみトレイルに出発と決まった。
この日も雨模様で、しかも寒い。かなり短いトレイルという話で、歩いて暖かくなるということもなさそうだ。上は、長袖Tシャツに長袖シャツ、フリースを重ねた。下もヒートテックのスパッツにナイロンパンツを重ね、この上から持参のレインウエア上下を着て出かけた。
トレイルの入口まではホテルの車で送ってくれる。参加者7名+添乗員さんの全員は1回では乗り切れず、問答無用で一人参加の3人は後発にされて置いてけぼりだ。
ホテルの車が戻って来たと思ったら、何故か添乗員さんともうお一方が乗っている。忘れ物をしてしまったらしい。
出発直前に「双眼鏡があったら持って行ってください。」と言われたから、うっかりしてしまったのだろう。
再び5人で出発し、エリンお勧めのトレイル入口に全員が揃ったのは、10時半近かった。このトレイルは1周400mくらいだそうで、楽勝だ。
逆に言うと、こんな何でもないコースのトレイルが整備され、入口にこんな表示まであるというのが凄い。カナダの人は自然や歩くことが好きなんだなと思う。
ポツポツと降っている雨は、木々が遮ってくれる。のんびり出発した。
土の道が整備され、ところどころ階段などもあって、ちゃんと手入れされているという感じだ。
これまであまり気がつかなかったけれど、この森の中は小鳥のさえずる声がたくさん聞こえて来る。
少し離れたところで、ハクトウワシが飛んでいる姿も目に入った。
ちょうど半周歩いた辺りにベンチと四阿があり、海を望めるようになっていた。
双眼鏡の出番だ。ここから「鯨が見られるかも知れない」らしい。
鯨は、北島と南島の間の水道を通って大陸側と大洋とを行き来する。エリンは「今年はslowだから。」と言っていて、ボートツアー中に鯨に出会うことはできなかった。果たしてこの場所ではどうだろうか。
本当か? と半信半疑でしばらく目を凝らしたけれど、曇天でもあり、残念ながら鯨の姿を拝むことはできなかった。
その代わり、お花がちらほら咲いているところを見ることができた。
アップダウンも少ない400mのトレイルはあっという間に終わってしまい、1時間もかからずに一周できた。
トレイル入口に戻ると、添乗員さんがホテルに電話してくれ、お迎えを待つ。
添乗員さんはこちらに「先に戻りたいですか? 決めていいですよ。」と言うけれど、ホテルのオーナーと添乗員さんが何やら交渉しているのは丸分かりで、判ってしまったら譲らない訳に行かない。それを「選んでいい。」ってどういうこと? と私はかなりお冠である。
一緒に残されるハメになった一人参加の方は、そちらはそちらで「これまでの利用回数で差別するのは許せない。」と言い始めるし、どちらかというと利用回数よりは敬老精神によるのではないかと思いつつ、「当然のように」譲らされることに釈然としないのはこちらも同様である。
思ったよりもお迎えの車が早く来てくれて、12時前にホテル戻ることができた。
部屋に戻ろうと廊下を歩いていたら、一人参加の女性から「私の部屋を空けなくちゃいけないから、そちらの部屋に入れて。」と言われて思わず体ごと引いてしまった。
「ちょっと待って! ひと様に見せられるような状態じゃないの!」と慌てて押しとどめていると、添乗員さんが部屋のドアから顔を出した。曰く「新しいお客さんが来るので部屋が足りなくなったということで、ご協力いただくことになったんですが、まだしばらくはお部屋にいていただいて大丈夫ですから。」という説明で、事なきを得た。
どうやら、添乗員さんはその手配のために早く戻りたかったらしい。
雨に濡れたのでシャワーを浴び、13時からの昼食の前に何とか荷造りを終えることができた。
メニューは、クラブハウスサンドに山盛りのポテト、、キャベツのサラダ、紅茶である。
空港から歩いてすぐということもあって、近くのテーブルには空港職員らしい方の姿も見える。
ゆっくり昼食をいただいて、ホテルの売店でしばしお買い物タイムとなった。姉妹で参加されていた方々のお買い物っぷりが凄くて「この棚のここからここまで全部いただくわ。」という買い方に近い。初めてこの目でそのシーンを目撃してしまった。
バンクーバーに向かうエアカナダ8503便は、15時20分発予定である。つい最近まで午前中に飛んでいたこの便が午後に変更になったおかげで、今日の午前中をゆっくりサンドスピットで過ごせた代わりに、バンクーバーでの観光の予定がギチギチになっている
14時過ぎに荷物と数人の方が第一便として空港に向かい、第二便が来るのを待っていたら「歩いてでもいいですよね?」と言われて、小雨が降る中、傘をキャリーケースに入れてしまったし足もともスポーツサンダルに履き替えてしまっていたから、水たまりのない場所を選んでダッシュで空港に向かった。
スーツケースの重量がオーバーした方がいらして、さくっと終わると思われたチェックインが延々と終わらない。
その間、空港のお土産物屋に何度も行き来して、ハイダの意匠がデザインされた腕時計を買うかどうかかなり迷う。デザインは好きだったけれど、4ヶ所に嵌められた石にどうにも納得が行かなかったのと、UBC人類学博物館のミュージアムショップに期待して、購入は見送った。
何とか全員分のチェックインが終わったときには、もうセキュリティチェックを抜けるにはギリギリの時間になっていた。
しかし、今度は、ホテルの売店でお一人が買われて早速着ていらしたシープスキンのジャンパーを気に入った方が「妻へのお土産に買いたい。」とおっしゃる。
添乗員さんが汗びっしょりになってX線の機械に荷物を通す我々を見張りつつ、時計を気にしている。こちらが「行っちゃっていいよ。」と言ったところで、(考えてみれば当たり前だけれど)はいそうですかという訳には行かないらしい。
しかし、添乗員さんがホテルにダッシュして往復するだけならともかく、80代の方と一緒に往復するのだから、そうそう急がせる訳にも行かない筈である。
あとは私自身がセキュリティチェックを抜けるだけというタイミングで添乗員さん達はホテルに向かった。
最後尾で私が待合室に入ったときには15時近かった。
待合室の壁に、スケダンスの村の様子を写した昔の写真が飾られていた。これはいいと写真に撮る。
添乗員さん達お二人が戻ってきたときには既に搭乗が始まり、ツアーメンバーの大方を送り出したところだった。「パスポートを用意してくださいって言ってましたよ〜。」と言いつつ私が立ち上がろうとしないので、不審のまなざしである。
「私はまだパスポート用意していないんで、お先にどうぞ。」と言って笑われる。ツアーメンバーが問題なく飛行機に向かうかどうか一応見ていたから自分は後回しになったんだよ! 座席番号を見て今呼ばれましたとかまだですとか一人一人調整もしてたんだよ! と心の中で少々憤慨する。
17時半近く、バンクーバーに到着した。バンクーバーが雨かも知れないなどとは全く考えず、雨具の類を全てキャリーケースに入れてしまっていたから、お天気が良くて有り難い。
空港内の分かれ道で、添乗員さんが「みなさんいますね!」と振り返ったものの人数をチェックせずにそのまま行こうとするのでストップをかけた。お一人、お手洗いに行かれたのにずんずん進んでしまうのが気になっていたのだ。分かれ道で待っていなかったら迷子確定である。
心の中で「数えろ〜! 振り向いたんだから数えろ〜!」と憤る。どうも堪え性がなくなってきている。
迎えに来てくださったドライバー兼ガイドの日本人の方と合流し、UBC人類学博物館に向かった。
この日のバンクーバーには雨の予報が出ていたそうだけれど、空は晴れ渡っていて、我々は今回、天気に関する限りかなり恵まれていると言える。
少々渋滞もしている。自転車レーンを増やして車が通りにくくなっているため、渋滞が起きやすくなったという。恐らく、世界で最も住みやすい街と言われているこの街をさらに「環境に優しい」街にしようということなのだろう。
18時半くらいにUBC人類学博物館に到着すると、専門ガイドの宮田さんが待っていてくださった。
早速、中庭に向かう。
「ここに見覚えはありませんか?」と聞かれて皆で首を傾げたら、トーテムポールや家が建ち、池が配されたこの場所は、スカン・グアイの村を模していると説明があった。しかし、そう言われてもやっぱりピンと来なかった。申し訳ない限りである。
スカン・グアイは星野道夫氏が何度も訪れており、シャチを彫ったポールの前に何時間もいたらしい。
トーテムポールには、大きく3種類あり、墓棺柱、家の一部として建てられたポール(この場合は、その家に住む人々の出自やご先祖を表していることが多い)、家から離れて建てられたポール(概ね、争いごとなどを記録するためのもの)である。
ハイダの人々は、この「ポール」を拝んだ訳ではなく、もちろん大切に扱っていたけれど、あくまでも記録として使っていたのであって、永久に保存しようという発想は持っていなかったという。世界遺産に登録されようというときも、ハイダの長達は、トーテムポールに保存処理を施すことに強く反対し、結局「倒れないように支える」ことだけ了解したという。
トーテムポールの材料に使われた杉の木には自然の保存液のようなものが木材自体に含まれているけれど、しかし、倒れてしまえばどんどん朽ちて行く素材だそうだ。
UBC人類学博物館では、1970年代から研究が始まっていて、博物館自体の建物にも先住民(宮田さんは「この言葉自体にも違和感がある、英語のFirst Nationsという言葉に相応しい日本語訳がないものか。」とおっしゃっていた)の家の構造が取り入れられている。
ちなみに、設計者はアーサー・エリクソン氏である。
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