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2014.02.08

中米3ヶ国旅行記3日目その4

2012年12月17日(月曜日)

 ガイドさんが「パレンケ博物館を開けてくれ」という交渉に行っている間、先生がマヤ文字の話をしてくれた。遊歩道で話していた「マヤ文字解読」の続きといったところである。
 マヤ文字は、ある意味で日本語と似ていて、表音文字と表意文字を持っている。
 スペイン人がこの辺りに来たばかりの頃は、マヤ文字を書く人もマヤ語をしゃべる人もたくさんいたし、マヤ文字の書物もたくさん残っていたのに、「これは悪魔の業だ」と言って、スペイン人がユカタン半島のマニというところで燃やしてしまったそうだ。しかも、読み書きを一切禁止し、スペイン語を強要したという。
 この焚書を免れたマヤの文書は4冊だけで、ドレスデン等の博物館に納められている。

 1797年にマヤで最後の国が征服されている。逆に言えば僅か200年前まではマヤ語の読み書きができる人がいたのに、現在、碑文の解読は非常に難しいことになっている。
 碑文には天文学的なことや数字等々しか書かれていないだろうと思われていたそうだ。
 エジプトの象形文字を解読したシャンポリオンに触発されて解読を始め、1952年になってやっとソビエトの学者がマヤ文字を表音文字的に解読することに成功している。

 しかし、冷戦のためソビエトの学者の言うことをアメリカなどの学者は取り上げようとしなかったというから、学問の世界もきな臭い。1975年にそれまでマヤ学の世界を牛耳っていたイギリスの学者が亡くなったことで、やっと、ソビエトの学者と同じアプローチが広まって行ったというから、さらにきな臭い。
 それはともかく、マヤ文字解読の契機となったのは、1976年にパレンケで開催された会議である。
 マヤ文字解読に功績があった人に、リンダ・シーリ氏という女性がいて、彼女は元々は美術史を研究する人だったという。レリーフに感銘を受け、そこからマヤ文字の解読に入ったらしい。
 マヤ学の世界はアマチュアの人たちの情熱で支えられていた面が大きいという。

 そうこうしているうちに、ミサンガをたくさん手にした女の子が来た。
 彼女が可愛かったし、暇を持て余してもいたので、女性陣が色々見せてもらい始める。私は「使わないなぁ」と思って遠目に眺めて満足した。3本10ペソで売られていたようだ。
 何人かの方がミサンガを買ったので、彼女は商機と思ったらしく、同じく民芸品を売っている仲間を何人か連れて来た。可愛らしくも強かな彼女に苦笑の輪が広がる。

 ガイドさんの交渉は実らず、博物館の見学はできなかった。遺跡見学の間も「ここのレリーフは博物館で見ることができます。」という説明を受けて楽しみにしていたので残念である。
 今回のツアーにはメキシコ人類学博物館が含まれていないこともあって、パカル王の墓のレプリカをここでぜひ見てみたかった。しかし、元々、月曜にパレンケに来ることは決まっていたのだし、博物館が休館ということであれば是非もない。
 ツアーメンバーにミュージアムショップでパレンケ遺跡に関する書籍を買いたいと思っていた方が結構いて、とても残念そうにしていた。その後、街中の本屋さんを探しても見つからず、明朝の出発前にミュージアムショップに立ち寄ることもできず、チャンスがあるとすればメキシコシティの空港だという話になったようだ。

ホエザル それではバスに向かいましょうかと歩き始めたら、何だか物凄い声というか叫びというか鳴き声が聞こえてきた。
 低い、怪獣のような声である。ゴジラの声はここから取ったんじゃないかと思ったくらいだ。昔の探検家はこの声をジャガーの声と勘違いしたこともあったらしい。そういう獰猛そうな声である。
 何だ何だとキョロキョロしていたら、博物館の建物の向こうの木立に動く黒い影が見えた。ホエザルである。我々を「テリトリーを侵しに来た敵」と認識して威嚇していたらしい。
 カラクムルで見逃したホエザルを見られて満足である。

 博物館に行く筈の時間が余り、「お買い物がしたい」という要望があったようで、ホテルに戻る前にスーパーマーケットに寄った。
 その移動途中、バスの中で明日の注意がある。
 明日は、今回の旅で初めてホテルで朝食が食べられる。
 出発は7時くらいで、ラ・ベンダ遺跡公園までノンストップで2時間半、見学後にビジャエルモッサの空港に向かう。昼食はランチボックスだから、多分、ハムとチーズのサンドイッチだろう。
 もう、この旅行で一番たくさん食べた物はハムとチーズのサンドイッチに決定である。
 そして、13時47分発の飛行機でメキシコシティに向かい、国際線に乗り継いでグアテマラシティに移動だ。

 「飛行機移動があるので”武器になりそうなもの”はスーツケースに入れてください。」と添乗員さんが言う。「武器になりそうなもの」の例として「ガムテープ」とか「チリソース」が挙がるのが可笑しい。
 アエロメヒコは、スーツケースについて「調べたくなったら勝手に開けます」と公式発表で宣言している。一方、現地のスタッフに聞くと「(調べたりしないから)大丈夫だよ」と言われるらしい。添乗員さんのお勧めは、スーツケースに貴重品を入れずに鍵はかけない、というやり方だった。

スーパーマーケット それにしてもパレンケ遺跡は本当に暑くて、汗びっしょりになった。バスの座席の背もたれに背中をつけると濡れたTシャツが気持ち悪く、背筋を伸ばして真っ直ぐに座っていた。
 スーパーマーケットにはリュックなどの大きな荷物は持ち込めない。写真撮影も禁止というから、意外なところで厳格である。
 ガイドさんから「ペソとカードは使用可、ドルは多分だめ。」と案内があった。また、「レジではアルバイトの子供がレジ袋に買った物を入れてくれるので、チップをあげてもOKです。」と言われた。
 ドライフルーツに唐辛子をかけたものが結構人気らしい。

 CHEDRAUIというスーパーマーケットで16時から30分1本勝負のお買い物タイムになった。
 かなり大きなスーパーマーケットで、品揃えも豊富、なかなか楽しい。
 真っ先に、甥っ子へのお土産になるようなものはないかと子供服やおもちゃのコーナーを見たけれど、どうもピンと来ない。
 職場のお土産に、メキシコでお勧めだとリサーチしていたハーブティを買い込む。カモミールにレモングラス、ミントなどのハーブティがかなりお得なお値段で買えた。ハーブティがかさばって両手に抱える感じになってしまい、添乗員さんが超巨大なカートを持って来てくれ、有り難く使わせてもらう。

サルサソース ガイドさんにサルサソースの売場で「なるべく辛くないのはどれ?」と聞いたら、「それは難しいリクエストです。」と笑われてしまった。それはそうだろう。
 メキシコの人もできあいのサルサソースを買うことが増えていて、売られているのは大型の瓶や缶に入っているものが多い。ガイドさんは、「サルサソースよりもハバネロをタバスコ代わりにお土産にしたらいいんじゃないですか。」と言う。
 添乗員さんは、ハバネロとレモン入りのメキシコオリジナルの日清カップヌードルが気に入ったらしい。軽いし、楽しめるお土産になりそうだけれど、かさばるので断念した。

ラム酒 ガイドさんに教えてもらってラム酒も選ぶ。お菓子づくりに使うので、テキーラよりもラム酒の方が使い勝手がいい。
 バカルディは元々はキューバのメーカーで、しかしメキシコで売られているものはメキシコで作られているという。
 このスーパーでは、ガイドさんお勧めの「中くらい」のレポサードが売られていない。ちょっと迷い、熟成させたものの方がアルコールが飛んでまろやかになっていると説明され、anejo(調べたら、スペイン語で「古い」という意味だった)を選んだ。
 お買い物はトータル220ペソだった。

 バスに戻ると、それぞれの戦利品自慢が始まった。
 添乗員さんが、サルサつきのスナックなどを味見に配ってくれる。これは、最終的にお酒好きのおじさま方がつまみに引き取ったようだ。
 それにしても、瓶入りのものばかり買ってしまい、一体どうやって荷造りすればいいのだろう。

ホテルのお部屋 16時40分頃、今夜の宿である、ミシオン・パレンケホテルに到着した。
 添乗員さんたちがチェックイン手続きや部屋割りをしてくれている間、ウエルカムドリンクをいただきながらおしゃべりに興じる。
 お部屋に入ると、ブルーを基調にしたというか、真っ青な内装である。部屋によってテーマカラーが違うらしく、真っ赤なお部屋の方もいらしたようだ。バスタブはなくてシャワーのみ、綺麗で快適だ。
 17時過ぎにお部屋に入れたので、早速シャワーを浴び、何とか洗濯だけはして、19時の夕食まで瀑睡した。相当暑さに参っていたらしい。

 ロビーに行くと、私と同じようにメキシコペソを余らせていたらしいツアーメンバーの方がホテルのお土産物屋さんでお買い物をしていた。メキシコでよく見る、真っ白なコットンに透かしの刺繍をした可愛らしいブラウスに一目惚れしたらしい。
 同じくお店で買い物をされていたツアーの方が浴衣を着ていて驚いた。「浴衣を持ってきたんですか?」と目を丸くしていたら、「もう一枚持ってきてるから、着せてあげられるわよ。」とおっしゃる。19日間ツアーに参加している方で、そんなに極端に大きなスーツケースを持っているようにも見えなかったのに、一体どんな荷造りをしているのか、ぜひコツを教えていただきたい。

スープと前菜 夕食は、ホテルのレストランでビュッフェ形式だ。
 今日も暑かったし、もちろんビールを頼む。テーブルにはマルガリータを頼んでいる方もいらして、メキシコでテキーラを飲みそびれたことに気がついて惜しい気がしたけれど仕方がない。この暑さでは、カクテルよりもビールである。
 ビュッフェにガイドさんがお勧めしていたサボテンのサラダがあった。とろっとしたというか、ねばっとしたというか、そういう何かがまとわり付いている感じだ。思っていたよりも癖はない。というか、味もない。

 お料理が並んだテーブルと往復しながら、今回のツアーの話で盛り上がる。
 私は元々申し込んでいたツアーが催行された形だけれど、ご友人同士で参加された男性お二方は、グアテマラとホンジュラスを巡る別のツアーに申し込んでいたとおっしゃる。しかし、人数が集まらず、旅行社から「こちらなら催行します」と勧められたのという。そこまでしないと催行できなかったのか、マヤというのはそんなにマイナーな存在なのか、と意外だった。
 もっとも、旅行に出かける前、友人に今回のツアーのことをしゃべっても、次の日に「ダンナは知ってたわ。」と言われたのが最大限に好意的な反応ではあった。

プリンとケーキとフルーツポンチ 迷いに迷って豊富にあるデザートから選んで来た頃、添乗員さんから「このホテルにはスパもあるので、ご利用されたい方は私が予約しますよ。」と案内があり、メキシコペソが余っていたのでお願いすることにした。
 「Tired exective massage」という30分のコースで400ペソである。
 20時30分からの予約ができたので一足早く失礼し、一旦お部屋に戻ってから、ホテル内のスパに向かった。
 スパはちょっと離れた場所にあり、道しるべは出ているものの暗い。「よく覚えておかないと部屋に戻れない」とキョロキョロしながら歩く。

 この日はよっぽど疲れていたらしく、歩いて行く途中に、プールがあったり、池があったり、石の階段があったり、いかにもリゾートホテルの風情だったのに、全く写真を撮っていない。しかも「階段を降りて行くということは、帰りは上らなくちゃならないじゃないか」と思ったのを覚えている。

 スパに到着すると、プールサイドに個室がいくつも並んでいて、お姉さんがスタンバイして待っていてくれた。
 お部屋に入ると、身振り手振りで服を脱ぐよう言われ、そのままスパベッドにうつ伏せで寝るよう言われる。肩と首、背中を中心とするコースをお願いしたところ、ほぼ全身、オイルマッサージをしてくれた。
 気持ちいい。
 うとうとしながら30分を過ごした。

 着替えて外に出ると、「もう一人は仲間か?」と聞かれた。同じツアーの方がお一人スパを予約していたので多分そうだろうと頷くと、「じゃあ、ここで待っていなさい。」とデッキチェアを勧められる。
 「二人なら道に迷わなくて済みますね。」とのんびり歩いてロビーまで戻った。
 ロビー前のロータリーのようなところにお土産物屋さんが出ていると聞いていたので、ちょっと外を覗いてみたら、1店舗だけ何だか寂しい感じで明かりを灯していて、他にお客さんもいない様子だったので気後れしてしまい、見に行かなかったのが少し心残りである。

 昨日と今日、カラクムルとパレンケという二つのマヤ遺跡を見学した。
 今のところ、何だか「行った、見た、登った」という感じなのが不本意だなぁと思う。何というか、もっと「特別な感じ」があるのではないかと思っていた。何故か「感動」とか「感銘」とかがない。
 遺跡が拓けた感じ、明るい感じだからだろうか。
 予習のしすぎかとも思ったけれど、ツアーメンバーにはスペイン語のみならずマヤ語まで勉強して臨んでいる方がいらっしゃるし、それも違うような気がする。
 そんなことをつらつら考えているうちに眠気に対抗できなくなり、21時30分には寝入った。
 1時間後くらいに目は覚ましたものの、その後は、翌朝まで爆睡できた。スパ様様である。

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