中米3ヶ国旅行記4日目その3
2012年12月18日(火曜日)
ラ・ベンダ遺跡公園でも添乗員さん同士が電話でやりとりをしており、どうしたのかなと思っていたら、バスに戻ったところでメキシコシティが濃霧に覆われたためフライトキャンセルが相次ぎ、フライトスケジュールも滅茶苦茶になっているという説明があった。
元々は13時47分発アエロメヒコ506便でメキシコシティに向かう予定が、遅れまくっているので、その1本前の便に振り替えるという。
ツアーの人数が少ないからこその荒技だ。
11時にラ・ベンダ遺跡公園を出発し、11時15分には空港に到着してチェックイン開始である。
チェックインカウンターで測った私のスーツケースの重量が19.2kgで、やはり瓶ものを買いまくったせいだろうと反省する。この先、お買い物をする機会がそうあるとは思えないものの、自粛しようと心に決めた。
チェックインしたら、何故かボーディングパスを交換された。色々と混乱しているだろう現場で、振替の詳細を知らないまま、そういうことをされると焦る。
不安になって添乗員さんに訴えたところ、「今まとめて確認します!」と言われ、問題ないということが判明した。合わせて、グアテマラシティの空港では荷物タグのチェックをするので絶対に失くさなように注意を受ける。
セキュリティチェックを抜け、朝もらったランチボックスでお昼ごはんである。
うっかり写真を撮るのを忘れてしまったけれど、これまでとそう変わり映えする内容ではない。ハムとチーズのサンドイッチ、ゆで卵、炭酸のアップルジュース、バナナ、デニッシュ、ヨーグルトというメニューだ。
このうち、ジュースとヨーグルトはセキュリティを抜けられなかったような気がする。あるいは「抜けられないかも」と、先に食べてしまったのだったろうか。覚えていない。
デザート代わりに、添乗員さんがチリをまぶしたドライチェリーを配ってくれた。後でピリッと来るものの、辛いものが苦手な私でも大丈夫なレベルの辛さである。珍しいし、これで個包装してあったら職場で配りやすいのにと贅沢なことを考える。
12時発のアエロメヒコ502便に振り替えた筈が、ボーディングパス記載通りの12時55分搭乗開始という表示が出て、結局、飛行機は13時30分過ぎにやっと動き出した。
乗ってみたら、私の席はEXIT SEATで足もとが広く、ラッキーである。もっとも、バッグを前の座席の下に入れるなと怒られたので、それは不便だ。
それにしても、わざわざ私を狙ってEXIT SEATに切り替えた理由は今もって謎である。
スチュワーデスさんにスペイン語が話せるかと聞かれたのでもちろんNoと答え、英語で非常扉の開け方を説明してもらう。とりあえず、ふんふんと頷いて判った振りをしたけれど、いざというときに非常扉を開けられた自信はない。
メキシコシティの空港は今回を入れて3回乗り継ぎをする。それなのに、今回のツアーにメキシコシティ市内観光は含まれていない。
せめて上空から確認できそうな、ルイス・バラガンが手がけたというラス・トーレス・デ・サテリテが見られないものかと今回も目を皿のようにして見たけれど、残念ながら発見することはできなかった。
ガイドさんも言っていたとおり、メキシコシティのスモッグというか排気ガスによる大気汚染はかなり強烈のようだ。
この写真のときだって、空は晴れ渡っていたのである。
15時にメキシコシティ国際空港に到着した。ここでグアテマラシティに向かうアエロメヒコ678便に乗り換える。
元々は、16時22分発予定だったけれど、もちろん濃霧の影響は国際線にも出ており、私たちがメキシコシティ国際空港に到着した時点では、確か離陸予定は不明だったと思う。
70便近くが押し合いへし合いしていたらしく、アエロメヒコのカウンターのお姉さんも「判らないのよねー」という風情だ。
とにかく長い待ち時間があることは確かなので、10日間ツアーの面々は再びアエロメヒコのラウンジに行った。
飲みそびれていた黒ビール、NEGRO MODEROがあったので、早速いただく。
ラウンジで座ってお酒を飲んでいるばかりでも退屈なので、暇に任せて売店を覗いていると、パレンケ遺跡で話題に上がった「中米・チアパス・ユカタンの旅」が画集っぽい体裁で売られているのを発見した。
英語版である。
重いし、英語なんて読まないし、私は最初から買う気はなかったけれど、ツアーの方が「私も英語なんて読まないけれど、絵を見るだけでも楽しいわ。」と購入した。
確かにカラーの図版が綺麗で豊富に入っている。
パレンケの王位継承のレリーフがカラーで載っていたり、宮殿にあった捕虜のレリーフが森に呑み込まれそうになって描かれていたり、なかなか見ごたえがある。
太陽の神殿のレリーフもカラーで描かれていて、両脇のマヤ文字部分にも彩色が施されていることが判る。この状態で私も見たかったなぁと思う。
パレンケだけでなく、これから行くコパンの絵もあって楽しい。
しかし、本当にナナメ読みに本文を読んでみたら、「ガールフレンドができて」みたいなことが書かれていて、別に歴史的考察が書かれている訳じゃないんだなと可笑しかった。
何度もフライト予定の表示が変わり、しかも、最後には国際線なのにドメスティックのゲートが指定されて、19時15分、やっとゲートオープンとなった。
この時点で、19時22分離陸は無理である。
飛行機に乗り込んでビジネスクラスを通り抜けるとき、グリーンの地に花柄の細かい刺繍をしたとても綺麗なウィピルを着ている女性がいた。
思わず、数少ない知っているスペイン語である「ボニート!」と言ったら、にっこり笑って「グラッシャス」と言ってくれたその女性は、グアテマラで初めてノーベル賞(平和賞)を受賞した、人権活動家であり実業家でもあるリゴベルタ・メンチュウ・トゥム氏だったそうだ。
添乗員さんにそう聞かされて、もう大びっくりだった。握手して貰えば良かった! と悔しい。
19時40分に離陸したアエロメヒコ678便は、21時20分にグアテマラシティに到着した。
グアテマラのガイドさんも長時間待ちぼうけで大変だったろうと思う。
そういえば、グアテマラでは2台目以降のカメラには税金がかかるという話だったけれど、特にチェックを行っている様子はなかった。
無事に荷物のピックアップもできて、混乱しているメキシコシティ国際空港で乗り継いだ割にロストバゲージもなかったのが有り難い。
空港からホテルまでは近く、22時前にホテルに到着できた。
お部屋に入る前にホテルのレストランに直行して夕食だ。この時刻の夕食というのもなかなか厳しい。機内食で出たサンドイッチとポテトチップを全部平らげてしまったので尚さらである。しかし、それなら何も食べなくて大丈夫かと聞かれると、夜中にお腹が空きそうな気がする。
夕食は、トマトとモツァレラチーズのサラダ、鱸のオーブン焼き、ティラミス、コーヒーというメニューである。もう夕食をいただいたら寝るだけだし、白ワイン(6ドル)をいただく。
流石にこの時刻に全部食べるのもどうかと思い、半分くらいずつをいただいた。
グアテマラの貨幣単位はケツァルだけれど、今回のツアーで行く範囲ではドルで用は足りるでしょうという。
1ドルが大体7.5ケツァルだから、1ケツァルが11〜12円くらいだ。
添乗員さんから「グアテマラの郵便事情が悪くなっている」という話は聞いていたけれど、グアテマラ在住のガイドさんは「グアテマラでは現在、切手を印刷していません。」と言う。切手の代わりに、ちょうど日本の料金別納郵便のようなスタンプが使われているらしい。そうなると、オフィスアワーに郵便局に行かなければ手紙は出せないことになる。
そんなお話も聞きつつ食事が終了し、お部屋のカードキーをもらって移動した。
ところが、このカードキーが全く反応しない。この手のものと相性が悪いことが多いので、何度も何度も試してみたけれど、やっぱり反応しない。
ちょうど吹き抜けから添乗員さんの姿が見えたので、エレベータで移動して窮状を訴える。添乗員さんも試してくれたけれどやっぱりカードキーは反応せず、「これってよく壊れるんですよ。」ということで、フロントでカードキーを作り直してもらった。
そんなこんなで、お部屋に入れたのは23時を過ぎていた。
しかし、このツアー中、恐らくバスタブがあるのはこのホテルが最初で最後である(最終日にもう一度泊まることになっている)。
折角なので、お風呂に入り、洗濯もし(これは大失敗で、当然のことながら、早朝出発の翌朝までに乾かなかった)、日付の変わった0時30分頃に就寝した。
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