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2014.02.09

中米3ヶ国旅行記4日目その2

2012年12月18日(火曜日)


創設者の銅像 9時半、ラ・ベンダ遺跡公園に入場した。
 銅像も飾られているカルロス・ベジセル・カマラ氏の提唱により、ラ・ベンダ(これは地名である)で石油開発の際に壊されそうになったオルメカ文明の石造物をこの場所に移し、ラ・ベンダ遺跡公園として整備されたという由来を持つ。
 この公園にはオルメカに特徴的な動植物も集められ、木々の間に配置された石造物を遊歩道に沿って歩きながら見学することができる。ミニ動物園の檻にはジャガーがいるし、遊歩道からはカカオの木も見かけたし、鳥や動物の声が響いていて気持ちのよい場所である。


 オルメカ文明は、紀元前1250年から紀元後という長い期間に栄えた文明で、メキシコ最古の文明と考えられている。オルメカ文明はその後の文明に大きな影響を与えており、そこから「母なる文明」とも言われている。
 中でも有名なのが、入口にもあったオルメカ・ヘッドである。
 私は実は、ラ・ベンダ遺跡公園にはこのオルメカ・ヘッドがごろごろとたくさんあると思い込んでいたので、なかなか現れなくて???と思ってしまった。


 解説書などでおばあさんとされている像は、何だか不思議なフォルムである。
 果たして何なのかは正直判らないというところらしい。言われてみれば、縁側でお茶を飲んでいるおばあちゃんの風情ではある。
 顔の表情というか作りは、オルメカの特徴を表していて、動物と人間の中間を追求したような造形である。そんなもんかなぁと思う私は、あまり美的センスに恵まれていないと言えよう。


ハナグマ 遊歩道を歩いている途中、森の中にたくさんのハナグマを見かけた。
 ここに住んでいる野生のハナグマで、食べ物にする虫を探しているところだったらしい。可愛らしい容姿をして、肉食動物なのだ。
 人間を怖がるような様子は全くなく、私たちが歩いていても平気で遊歩道に飛び出して来て、追いかけっこをしたり、喧嘩したりしている。ツアーメンバーのおじさま方は「やってしまえ!」と大喜びだ。
 さらに、添乗員さんの足を障害物代わりにしているのを見たときには笑ってしまった。
 なかなか可愛い。


墓所墓所の内側 墓所と言われている場所の、中に入っているのは棺だろうか。単なるテーブルのようにも見える。
 この不安定な石組みがそのまま(土中に埋められていたとはいえ)残っていたとすると凄いことである。
 柱は玄武岩でできており、内部には、翡翠などの副葬品が多数納められていたという。相当の身分の人のお墓であることは間違いないだろう。


年老いた戦士若い戦士 入口にあったものを除くと、この左側の大きな頭が、ラ・ベンダ遺跡公園で最初に出会ったオルメカ・ヘッドである。
 左が「若い戦士」、右が「年老いた戦士」と称されている。その若さをどこで見分けているのかよく判らない。大体、「若い戦士」の方はほとんど表情も判らないくらい造作が崩れてしまっている。


 コンセプトは素晴らしいけれど、こうした展示方法では展示物は雨ざらしだし、雨季にかなり雨が降る気候らしいので、どんどん崩れてしまうだろうなと思う。勿体ない気もするし、しかし、ここで例えばオルメカヘッドに屋根がついていたら興ざめかも知れないとも思う。
 よく見ると(この写真では判りにくいかも知れない)、私の指がちょうど突っ込めそうな穴がたくさん空いていて、これも雨のせいか? と思ったらそうではなく、人工的に穴を空けてその像の持つ力を失わせようという意思が働いた結果だという。


 年老いた戦士の顔だと判りやすいように、オルメカ・ヘッドは額にバンドを着けている。
 マヤの時代になると、こうした頭像がたくさん出てきていて、そのルーツかも知れないという話だ。
 オルメカの顔は、団子鼻が特徴だそうだ。ハンサムとは言えないと思う。
 オルメカ・ヘッドを作った玄武岩は、ラ・ベンダから結構離れたところの産で、一体、何のために「トン」のレベルの岩を遠路はるばる運んでこんな大きな頭を作らなければなかったのか、本当に謎である。


子供の祭壇子供の祭壇


 穴から上半身を出した人が子供を抱えていることから、「子供の祭壇」と呼ばれている。単純なネーミングである。
 この子供がジャガー人間だとも言われているらしい。こうもデコボコが丸くなっていると、正直に言うと、子供かどうかすら微妙、という感じだ。
 そして、側面の彫刻から推理して、この子供は生け贄ではないかとも言われている。
 そういう話を聞いてしまうと、例えば雨降りの暗い日に一人でここを歩いているときにこの祭壇がぬーっと現れたら怖かっただろうなと思う。


支配者 次に登場した支配者の像は、割と珍しいことではないかと思うけれど、しっかり後ろ側にも彫刻がされていた。
 支配者と言われているだけのことがあって、このマントも裏側なのに、立派な彫刻が施されている。
 正直言って、真正面から見るよりも、後ろから見る方が立派だ。


 この順路の途中にジャガーの檻を配置しているのは、ジャガーは、オルメカ文明当時、中南米で最強の存在だったため、その力を宿そうと信仰を集めていたということのアピール、なのかも知れない。
 ジャガーはマヤ語で「バラム」というと教えてもらった。


サメ この角度が一番サメらしく見えると思う。ガイドブックには「イルカ」とあったけれど、先生は終始一貫「サメ」で説明していた。
 この像は、上から見ると線で何やら模様が彫られていて、その模様も興味深い。
 他の展示物とは石の色が違っていることも気になる。これだけ時代が違うのか、石の産地が違うのか、魚らしく見えるようにこの色の石を探したのか、そもそも本当は「サメ」なのか「イルカ」なのか。色々と気になる像である。


空を見上げる猿 このやけにキャッチーな像は、「空を見上げる猿」だ。同じポーズで写真を撮る人が続出した。
 ところで、これは何なんだろう。
 何故空を見上げているのか、そもそも猿なのか、もしかして人間なのか、思索している姿なら人間の可能性の方が高いよなぁと色々なことを考えた。


 「空を見上げる猿」の近くにため池があり、鰐と亀がいた。
 鰐と亀もオルメカ縁の動物なのか、それとも、たまたま棲み着いていたのか、どちらなのかは不明である。聞いてみれば良かった。


子供のジャガー やけに頭でっかちの像は「ジャガー」だと主張していたけれど、どうにもジャガーに見えないということで、ツアーの皆の意見が一致する。
 大体、頭が丸すぎるし、ポーズが可愛らし過ぎる。ジャガーというよりは猫みたいだ。だから「子供の」とわざわざ特定しているんだろうか。


 どちらかというと、この後に現れた、「曲芸師」という像の方が禍々しかった。
 頭が大きくてその下で腕を組み、足は頭の上に上げているというとんでもないポーズで、顔が崩れてきていることもあって、オバケっぽいフォルムだ。


勝利者の祭壇 ラ・ベンダ遺跡公園の代表的な展示物として紹介されることの多い、勝利者の祭壇である。
 これも赤っぽく見えるけれど、朱がかけてあったんだろうか。
 穴から出てきている人の頭の上にジャガーの顔が彫られており、その人は縄を掴んでいる。縄はそのまま祭壇の横に回り込み、さらにその縄を支えている人がいる。


 先ほどの「子供の祭壇」のときにも思ったけれど、「穴から人が上半身を出している」というフォルムがそもそも怖い。
 洞窟は死の国に直結すると考えられていたそうで、この穴はその洞窟を表しているともいえるらしい。穴というのは「その奥に何があるか」が判らないことが恐怖を誘うのかも知れない。


 この次にあったモザイクが修理中だったのが惜しい。
 やはり雨ざらしでは補修が必須ということだろう。


オルメカ・ヘッド 久々に登場したオルメカヘッドは、戦士1である。
 ラ・ベンダで見つかったオルメカ・ヘッドの中で一番大きく、高さは2.41mだという。
 ここでも、再び、写真撮影大会が開催された。私も撮ってもらう。本当はすぐ横に立って大きさを強調したいところだけれど、周りに低いながらも柵が作ってあって「入るべからず」という雰囲気を存分に醸し出しているので仕方がない。


若い女神 「若い女神」まで、修理中のものも含めると全33品の展示物を全て見学した。
 この女神も、女の人には見えるけれど、「若い」かどうかは謎な感じである。はっきりしないなら、わざわざ「若い」なんて付けなくてもいいと思うけれど、発見された当時は「若い」ことを特徴付ける何かが残っていたということなのか。
 お天気は良かったけれど木々の間から木洩れ日が落ちるという感じだったし、何より平らな道筋で、思ったよりも快適に巡ることができた。


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