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2014.02.16

中米3ヶ国旅行記5日目その1

2012年12月19日(水曜日)


 今日の出発も早い。朝食はボックスである。
 5時半にバゲージダウンだったのに、目覚まし時計をセットしそびれてしまい、ホテルのモーニングコールで目を覚ました。やはり、数時間では洗濯物は乾かなかったようだ。仕方がない。
 体調も今ひとつな感じがするし、昨日泊まったホテルに忘れ物もしてしまったし、どうも連日の早起きと暑さと長距離移動に疲れが出てきているようだ。


朝焼け バスは6時にホテルを出発した。
 出発してすぐ、車窓から朝焼けが見えた。綺麗だ。
 ガイドさんによると、今日は、グアテマラシティからリオ・オンドという町まで3時間、リオ・オンドから国境まで1時間、約240kmのバス移動である。相変わらず、長い陸路移動だ。長いよと思っていたら、明日はその倍の530kmを移動すると聞いてくらくらした。
 しかし、早起きの甲斐あって、あと1時間もすると大渋滞になるという地区もスムーズに抜けることができた。


20121219_061443 崖にたくさんの家が密集している様子がインセント橋の上から見えた。インセントという名前は、霧が多く発生するところから来ているという。
 この辺りは、1976年に大地震があり、地方も壊滅状態になった際、「首都へ行けば仕事があるのではないか」と出てきた人々が建てた場所だという。
 ガイドさんが「電気は来ているようだ」と言っていたから、ライフラインも不十分な地域だと思う。


 バスは旧市街を抜けて行く。昨晩泊まったホテルはグアテマラシティの新市街というよりも、さらにその外、「近郊」という場所で、元々はたくさんのマウント(つまりは、遺跡)があった場所を全部平らにし、そして開発した場所だという。
 何て勿体ない! と思う。


鉄道の跡 どう考えてもこの上を電車が走るとは考えられない華奢さ加減だけれど、これは鉄道の跡である。
 もちろん、もうずーっと使われていない。
 2000年頃、米国人が既に廃線になったこの鉄道を観光列車に仕立てようとしたことがあり、ガイドさんの友人もその招待列車に乗ったところ「もう絶対に乗りたくない」というくらい怖かったらしい。そりゃそうだろうと思う。
 結局、この鉄橋も含め、線路沿いに既に多くの家々が建っていて危険だということでその計画は中止になっている。


 ガイドさんが資料を回してくれて、グアテマラ基礎知識講座が始まった。
 グアテマラの国旗は、外側の水色部分が大西洋と太平洋、真ん中の白い部分は平和を表している。その平和の白い部分の中央に銃が描かれているところが不可解といえば不可解だ。これは、独立のためには戦争も辞さないという決意表明であり、加えて平和の象徴であるオリーブの葉と自由の象徴であるケツァルという鳥が描かれている。
 様々な意味が込められた国旗だ。
 ケツァルは国鳥でもあって、何故自由の象徴とされているかというと、飼うことができないからだ。飼うと死んでしまうという。


 道路には「**km」という表示がずっと出ている。これは、グアテマラシティの国家宮殿にある賓客用のお部屋にある国旗形の碑からの距離を表しているという。何というか、芸の細かい話である。
 今日は、この標識が83kmの地点コバンに向かい、136km地点でコパンに向かう道に入る。
 ・・・という説明を受けたのが18km地点のことだ。先の長い話である。


 グアテマラは、日本の四国と九州を合わせたくらいの国土を持つ小さな国である。
 人口は1476万人、その人口の多くは中央高原地帯(標高1500mくらい)といわれるグアテマラシティやアンティグアなどの都市がある地域に集まっている。ティカルがある地域はもの凄く蒸し暑いので、やはり、過ごしやすい地域に集中しているのだろう。
 グアテマラには重工業がなく、失業率も高い。統計的な数字では4.1%、ガイドさんの体感ではもっとずっと高いという。
 重工業がないグアテマラの主要な輸出品はコーヒーだ。その他、カルダモン、バナナ、砂糖など農産物がほとんどである。
 コーヒー輸出の3倍くらいの外貨を観光で稼いでいるというから、メキシコよりも、観光への依存度が高い。出稼ぎの人の送金も多いのは、メキシコと同じである。


黒曜石採掘黒曜石


 こういった説明を受けている途中、バスが停まった。
 ガイドさんが、ここで黒曜石が採れると言う。壁は危ないので触らないでくださいという注意があり、少しだけなら拾っていいですよと言われてバスを降りた。
 大きいのを探している人が多い中、持ち帰るのも大変だし荷物もすでにかなり重くなっているしとなるべく黒の濃い小さいものを探した。
 5分ほどの採取時間で、結構みなさん収穫を得ていたようだ。
 ガイドさんから「絶対にスーツケースにしまってくださいね。前にバッグに入れていて、空港で取られてしまったお客様がいらっしゃいますから。」という注意があった。
 カミナルフユ遺跡でもよくよく見ると落ちていることがあるというから、最終日に行ったときに探してみようと思う。


朝食 ガイドさんがマリンバのCDをかけてくれた。
 お腹も空いてきたので、7時過ぎ、朝食をいただく。
 国は違えど、朝食用お弁当の中味は全く変わらない。ハムとチーズのサンドイッチにオレンジジュース、そしてりんごとバナナが付く。
 何となく調子がよくなかったので、バナナとオレンジジュースだけにする。とにかく食べていれば何とかなると思っている私にしては珍しいことである。


護衛のパトカー 7時半くらいに、最初のトイレ休憩があった。正確にいうと、最初に停まったガソリンスタンドのお手洗いは壊れていたので、別のガソリンスタンドに停まり直した。
 このツアーでは、我々一行をパトカーがずっと護衛してくれている。


 添乗員さんによると、旅行社経由で何かをどうにかして、グアテマラでは毎回、警察の護衛を頼んでいるという。それなら安心と考えるか、そんなに危険なのかと思うか、微妙なところだ。
 添乗員さんは「襲われるようなことはまずありません。」と言うし、そんなことがそうそうあっては困る。「交通整理もしてもらえますしね。」というノリだし、実際、私など腕を組んで記念写真を撮ってもらったし、それほど緊張感に溢れている訳でもないと言えると思う。


 再びバスが走り始めたところで、ガイドさんがカカオの豆を配ってくれた。
 少しだけ囓ってみると、苦い。そして、ほんの少し、チョコレートの香りがする。カカオ豆を囓ったのなんて生まれて初めてだ。
 この豆は、ガイドさんがアンティグア郊外にあるチョコレート工場に行って買い求めたものだという。市場で売っているときもある、らしい。
 カフェなどでホットチョコレートを飲むと、とんでもなく甘いという。きっとグアテマラの人は超絶な甘党なんだろう。


村境 ガイドさんが「道ばたを見てください。ごみがたくさん捨ててあるでしょう。」と言うので目を懲らすと、確かに道路脇にごみが点々と捨ててある。
 何かと思ったら、ごみがある場所は「村境」だそうだ。それぞれ、村の人々が自分達の居住場所から一番遠いところに捨てた結果、村境にゴミが集まるという。
 ガイドさんは「最近は少なくなりましたけどね。」とこともなげに言う。
 アンティグアなどではごみ収集も行われているけれど、焼却場がある訳ではなく、ごみは全部山に埋められているそうだ。


川 その後、州都(名前は忘れてしまった)などを通り過ぎ、マヤの時代から流れ通商に使われていたというモダグワ川を渡り、北に向かっていたアトランティック街道を9時くらいに右折して、バスは東に向けて走り始めた。
 この道筋は、グアテマラがスペインから独立した後、イギリス人たちが自由にグアテマラ国内を旅できるようになったときに通った道である。
 パレンケ遺跡でも名前の挙がったイギリス人外交官のキャサウッドなどは、ほとんどマヤ遺跡を探ねるためだけに外交官になったというから、割と極端な人だ。
 そのキャサウッドたちと今ほとんど同じ行程を辿っている。他に道を作りやすい場所がなかったんじゃないかという気がする。


 マヤ遺跡がテーマの我々ツアーでは立ち寄らないけれど、この道筋の近くには、黒いキリスト像があるエスキプーラスという町がある。
 グアテマラだけでなく、中米各国から巡礼に来る人がいるくらい、有名な像だ。
 「黒い」のは元々黒い木に彫った訳ではなく、長い間蝋燭の炎で燻されたり、信者の方々が触ったりした結果として黒くなったというから、どれだけ信仰を集めているか判ろうというものだ。


 10時過ぎにもう1回トイレ休憩が入った。
 「売店で何か買ってくださいね」と案内があり、迷った挙げ句、ハーシーのチョコレートを買った。2ドル出したら、お釣りが5ケツァルきた。1ケツァルが11円くらいだから、150円だ。輸入品だからか、決して安くはない。
 グアテマラのお札にはマヤ文字でもいくらかということが書かれている。ガイドさんによると、特にスペイン人との混血の人々にとっては全く興味もないことであるらしい。「やはり差別が残っているんですね。」とおっしゃる。
 添乗員さんがフライドバナナのスナック菓子を買って配ってくれた。甘しょっぱくて美味しい。そういうグアテマラっぽいものを買うべきだった! と思う。


 トイレ休憩を2回挟んで5時間近く走り、10時45分にグアテマラとホンジュラスとの国境に到着した。ガイドさんの目算よりももうちょっと余計に時間がかかっている。
 ガイドさんが入国手続きに行ってくれる。「ホンジュラスの入国スタンプが欲しい人はパスポートを出してください。」と言う。欲しくなければ(もちろん、この国境にすぐに戻って来るのであればという条件の下での話だ)、別に出入国のスタンプは必要ないし押していないらしい。
 ツアーメンバーはもちろん、全員がパスポートを差し出した。
 この国境は、踏切のようなゲートのみ、あとは手続きをする小さな建物があるきりで非常に地味である。


ホンジュラスの道筋 ホンジュラスに入ると、少し道が良くなったような気がした。グアテマラ国内を走っているときよりも揺れが少ない。
 そう言ってみたら、ガイドさんは「でも、グアテマラ側の道もアスファルトになって随分と楽になったんですよ。」と言っていた。
 ホンジュラスに入ってバスはスピードアップし、30分ほどでコパンの街に到着した。
 お昼ごはんの前に、今日の夜か明日の朝開館予定の博物館を特別に見学させてもらえるという。バスを降りて、コパンの街を歩き始めた。


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