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2014.04.29

三春旅行記の入口を作る

乙姫桜 ここは、2014年4月に母と2人でツアーに乗って行った、三春旅行記の入口である。(と書きながら、この写真は白河にある乙姫桜である。)
 この1泊2日の旅行にかかった費用は、一人分約41000円だった。ここには、ツアー代、食事代等が含まれているが、お土産代は含まれていない。

 以下の日程をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。

1日目その1 2014年4月20日(日曜日)

1日目その2 2014年4月20日(日曜日)

2日目 2014年4月21日(月曜日)

 

持ち物リスト(三春編)

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三春旅行記2日目

2014年4月21日(月曜日)


 2日目の朝は早い。昨日、「明日の出発は7時40分です」と言われて驚いた。何故にそんなに早いのか。
 「朝食は7時からなので、チェックアウトを済ませて荷物をフロントに預け、それから朝食がいいと思います。」と添乗員さんが言う。
 それならと、5時半に目覚ましをかけ、夜中に男女入れ替えが行われた「鹿のぞきの寝湯」に出かけた。
 名前の通り、崖が迫っていてそこから鹿が降りて来そうな感じの露天風呂である。まだ雨が落ちてくる気配はなく、のんびりとお湯に浸かった。


 サロンの飲み物は持ち出さないでくださいと張り紙があったのに従い、お部屋にあったインスタントコーヒーをいただいて携帯マグに詰める。出発前に歯磨きをすべく手荷物に歯磨きセットを移したり、折りたたみ傘を用意したり、出かける準備をしているうちに時間となりチェックアウトに向かった。
 みなが同じことをするなら7時前のフロントはもの凄く混雑するのではないかと思ったら、それほど並ばずに済んだ。有り難い。


 一方、7時前に朝食会場に向かったら大行列していた。少し早めに開くことを期待したけれど、同じツアーの方がホテルの方にお聞きしたら「7時ちょうどにオープンです。」というお答えだったらしい。
 他にも団体ツアーの方が泊まっていて、そちらの出発は我々よりも2時間くらい遅いらしい。しかし、そちらのツアーでは「8時から8時半くらいまでは非常に混みます。」という案内があったそうで、早めに朝食会場に来た方が多く、結果として大混雑になったようだ。


朝食 昨日の夕食でも「つや姫」というお米が売りの一つになっていたし、朝食も和食のメニューの方が豊富だ。
 それなのに、ホテルや旅館に泊まった朝は洋食が食べたくなるのは母と私の定番で、二人とも洋食メニューである。
 オープン直後はもちろんビュッフェは大混雑で、食べ始めることができたのは7時を10分も過ぎた頃だった。
 あと30分で出発と思うと、なかなか「ゆっくりいただく」という感じでもない。こんなにたくさん取ってきたのに、どれも一口ずつくらいしか食べられなかったのが申し訳ない。
 蒸し野菜のバーニャカウダソースが美味しかった。


 朝食をいただいてロビーのお手洗いで歯磨きをしていたら、その間に母が7時オープンのホテルの売店をチェックし、「やっぱり買いたい。」と、つや姫の2合キューブパックを購入していた。昨日の夕食でいただいたお酒も「父に」とそこに加わる。
 やはり、母の世代の女性には、旅行にお土産はつきものらしい。毎回、その情熱には恐れ入る。
 流石にこのスケジュールだと7時40分出発は無理があって、遅れる人がちらほらいらっしゃりつつ50分にはホテルを出発した。
 すでにポツポツと雨が降り出している。今日はなかなかお天気が厳しそうである。


 ツアーの元々の予定では、この後、置賜桜回廊の一本桜を巡ることになっていた。しかし、この日現在、一本桜は開花したばかりといった状況である。こういったことも予め想定されていて、最初から「置賜の桜が咲いていない場合は」と、別の旅程が用意されていた。
 今回はその「置賜の佐倉が咲いていない場合バージョン」である。


 最初に松島に向かった。作並温泉はあとちょっとで山形県という場所だから、宮城県を横断するような格好だ。
 松島湾は、東日本大震災の際、水深が浅いことと島々が緩衝材となったことで比較的被害が少なかったとニュースで報じていた。しかし、中には真っ二つに割れてしまった島もあるという。
 2011年のうちにクルーズなども再開されている。しかし、我々が向かうのは松島湾そのものではない。何と言っても今回のツアーは「桜巡り」である。


西行戻しの松公園 バスは1時間強走り、松島海岸を一望する桜の公園、西行戻しの松公園に到着した。
 この公園には260本の桜の木が植えられていて、その桜の向こうに松島の島々が見えている。お天気が良ければなぁと思う。桜が満開だから尚更だ。
 この公園は、西行法師が松の大木の下で出会った子供と禅問答をして敗れ、子供に敵わないなら大人に敵う訳がないと松島行きをあきらめたという由来を持つ。
 ガイドさんにその話を聞いて、西行法師は随分と諦めの早い人だったんだなと思う。


 20分ほど桜と松島の眺めを堪能し、9時半前にバスに戻った途端に雨が降り出した。ツイている。
 次に向かったのは盬竃神社である。西行戻しの松公園から20分ほどで到着し、到着したら雨が止んで日も射してきたので驚いた。
 やっぱり、我々はツイている。


盬竃神社 神社に至る石段がもの凄く急で長いので今日はそちらではなく緩やかな階段を使いましょう、と案内された。
 盬竃神社は創建がいつか明確には判っておらず、神代の昔にここに留まった神が人々に塩づくりを教えたことに始まるとされている。塩づくりのための釜も展示されている。
 そうした塩づくりの伝統や松島湾がいい漁場だということもあって、武運長久、塩業や漁業の守護などの神様がいらっしゃる。また、安産守護の神として信仰されている。


 今年が午年だからか、「うまくいくお守り」というお守りがあったので、午年生まれの甥っ子に買い求めた。本当にうまくいくものなら、私も欲しいくらいである。
 盬竃神社に来ることは判っていたのに、うっかり、ご朱印帳を持って来るのを忘れてしまったのが悔しい。


境内の桜境内の桜 盬竃神社とお隣の志波彦神社の境内は花盛りである。
 盬竃神社の境内には、一人一人の名前がついた結構立派な桜の木が植えられていて、寄進したということなのかなと思う。
 芝生の広場の様なところもあって、ご近所にお住まいらしい方々が、ビニールシートを持ち出してお花見を楽しんでいらっしゃった。


盬竃桜 ガイドさんが「ぜひ見てください」と強調していたのが、天然記念物の盬竃桜である。
 堀河天皇が「あけくれにさぞな愛で見む盬竃の桜の本に海人のかくれや」と詠んだことなどで知られる有名な桜で、こちらは5月初旬に満開となるらしい。
 残念ながらこの日は一輪二輪咲いているだけだった。
 白い八重桜は、満開になると数輪が寄り添って咲くので毬の様にも見えるという。
 少し高いところで咲いていた一輪を写真に撮ったのでかなりボケボケながら、これがその天然記念物の桜である。


みやぎ黄金海道 盬竃神社を10時半頃に出発し、高速道路をひた走って福島県に向かった。
 次の目的地は花見山公園である。
 途中、菅生パーキングエリアで昨日注文したお弁当の積み込みを兼ねてお手洗い休憩を取る。11時半くらいに出発するときには再び雨が降り出していた。
 1時間から1時間半くらいで花見山公園に到着しますと案内があり、高速道路を走っているときの方が揺れが少ないので、少し早めのお昼ごはんにする。
 みやぎ黄金海道というこのお弁当は、魚介がたっぷりで、炊いた蛸や貝も柔らかくて美味しかった。


 花見山公園は、福島市内にある。てっきり、その名のとおりの「公園」なのだと思っていたら、どうやらそれは少し違ったらしい。
 公園と言っているし、近年は行政による整備も行われているけれど、そもそもは花木生産農家の阿部一郎氏と伊勢次郎氏の父子が丹精した花木畑を無償で一般公開したのが始まりで、今では周辺の花木農家の方々も加わり、里山の景色とともに、写真家の秋山庄太郎氏が「福島に桃源郷あり」と称えて紹介したことから、全国的に有名になったという。


 観光バスの駐車場代が1台1万円と聞いて驚いたけれど、案内板や駐車場、トイレの整備、警備員の方も結構立っていたし、それは必要経費というものだろう。
 添乗員さんから指定された自由時間は1時間とちょっと、駐車場から花見山公園入口まで少し歩いたし、山頂展望場まで行くのは難しそうだ。雨も結構な降りになっている。30分、45分、60分の3コースが用意されていたうち、30分コースを選んで歩き始めた。


花見山公園花見山公園


花見山公園花見山公園


 ガイドさんも添乗員さんも「色々なお花が次々と咲いて、本当に綺麗なところなんです。」と強調していた理由がよく判る。
 雨が降っていて、ついつい足もとばかりを見てしまうのが本当に惜しいくらい、綺麗な場所だった。
 お天気のいい日に、ゆっくりと時間無制限でお散歩したい。なるほど、桃源郷である。


乙姫桜 最後の観光場所は、白河市にある妙覚寺の乙姫桜である。
 ガイドさんが「三春の滝桜よりも若いので、お花の色が濃いです。」と言う。
 すぐ近くの白河市役所の駐車場をお借りし、そこから歩いてすぐである。
 雨がまだ降り止まず、傘を差して見上げる桜の木はかなり高い。「伊達政宗公お手植え」という通り、樹齢400年ほどだという。
 ここが最後の観光場所ということもあり、皆してゆっくり堪能した。


 乙姫桜から新幹線に乗車する新白河駅までは20分ほどで到着した。
 16時51分発のやまびこに乗る。元々の予定ではもう少し遅い新幹線に乗る予定で、しかし指定席が確保できずに少し早まったという経過がある。
 当初予定通りだったらもう少し花見山公園でゆっくり歩けたかな、でも雨も降っていたし「また来たい」と思うくらいでちょうどいいのかなと思う。


 母と私は上野駅で途中下車した。
 これまでのツアーでは、途中下車した場合、乗車券は都内どこまででも行けたような気がするけれど、今回は乗車区間が短かったため山手線内まで有効の乗車券になった。そういう仕組みになっているとは知らなかったなぁと思う。
 上野駅の売店で夕食用に駅弁を購入し、帰宅した。
 2日間で駅弁を三つ食べるってどうなんだろう、絶対に野菜不足だと思う。


 お天気にはやや恵まれなかった点を補って余りある、満開の桜を満喫しゆっくり温泉を堪能した、いい旅行だった。


 三春旅行記1日目その2 <-

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2014.04.27

ツアー料金を問い合わせる(香港&クルーズ)

 ここ2回のツアー旅行にも若干疲労感を覚えているのだけれど、語学力に全く欠ける私に完全個人旅行は荷が重い。それに色々と調べたり準備をする気力体力もないし、ひたすらのんびりしたい。
 それで思いついたのがクルーズだ。
 アジアで短いクルーズなら、ある程度日本語が通じそうだし、それほど緊張せずに済みそうだし、バルコニーのお部屋を選んでも料金がもの凄く高くなることはなさそうである。
 そして、できればドレスコードなどがうるさくないところにしておきたい。私の辞書に「ドレスアップ」という単語は存在しないのだ。

 シンガポール発着でペナンとランカウイに停まるコースと、香港発着で海南島とハロン湾に停まるコースと、さてどちらにしようかと迷った。
 前者は、シンガポールでマリーナベイサンズに泊まるツアーがあってそこがかなり魅力的だったし、後者は、海南島にもハロン湾にも行ったことがないので気になる。
 結局、「ペナンとランカウイに行ってもなぁ」というところが勝り、香港発着3泊4日クルーズを含む6日間のツアーを探すことにした。

 しかし、何度も言うけれど、ツアーには疲労感を覚えているので、ツアーは避けたい。
 香港の乗船はかなり街中から近いようなので、日本からの往復の飛行機とクルーズとホテルを別々に手配してもいいのだけれど、一人で行くならいざというときの連絡先は確保したい。
 クルーズプラネットというHIS系列のクルーズ専門旅行社に、一人から催行する「飛行機と宿泊とクルーズと各種送迎」がセットになったプランがあった。こういうスケルトンのツアーが気軽でいいのではなかろうか。

 ところが、「一人から催行」を歌っている割に、サイトには一人参加の追加料金が載っていない。
 メールで問い合わせを出し、何回かやりとりをした結果、「7月、8月、9月に催行するコースのうち、それぞれの月の最安料金となる出発日の費用をご案内します」ということになった。
 全部教えてね、とリクエストしたのだけれど、それは手間がかかりすぎるということらしい。

 結局、7月5日、8月16日、9月6日の料金がそれぞれ示された。
 9月はハロン湾の台風シーズンらしいので外すとして、7月と8月とどちらにしようか迷っているところである。

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2014.04.26

三春旅行記1日目その2

2014年4月20日(日曜日)


 本日最後の「観桜」となる船岡城趾公園までは、白石川河川敷公園からバスで10分ほどと近い。
 船岡城趾公園と白石川は、宮城県で唯一「日本さくら名所100選」に入った桜の名所である。
 しかし、どちらかというと、船岡城趾公園はNHK大河ドラマ「樅の木は残った」で有名だと思う。私はこの大河ドラマを見ていないけれど、この「残った」樅の木の何代目かがこの船岡城趾公園にある。


船岡城趾公園


 我々の目的はもちろん「桜」である。船岡城趾公園には1000本もの桜があり、かなり急な山肌に植えられていることから、300mの標高差を一気に(というにはかなりゆっくりと)上がるスロープカーがある。
 このスロープカーが40人乗りで、往復で15分くらいかかるため、順番を待つ間、管理をしているおじさん達とおしゃべりした。何でも、昨日は気温が10度くらいまでしか上がらず、上は更に寒いので、お客さんはほとんど一瞬で降りて来てしまったと笑っている。
 もっとも、4月7日に開花した桜が今も咲いているのは、この低い気温と雨が降らなかったおかげである。


桜と観音像 川べりよりも少し標高があるためか、こちらの桜はまだ辛うじて「満開」と言って良さそうな様子を保っていた。嬉しい。
 さっきまで歩いていた白石川一目千本を見渡すことができる。なかなか気持ちのいい景色だ。連翹の黄色が明るさ、春らしさを倍加させている。
 「昨日はもうこの時間には人がいなかったので店じまいしていました。」という大道芸(パフォーマー)のお兄さんが、観音像のある広場でバルーンアートを見せている。


スロープカーベニシダレ 帰りは、時間に余裕もあったことから、ゆっくりと坂道を歩いた。
 ふと気がつくと晴れて青空が広がっている。びっくりだ。
 連翹と桜とスロープカーが見渡せるポイントを発見して写真を撮ったり、駐車場で一際目立っていた(推定)ベニシダレザクラを見に行ったりしているうちに集合時間となり、バスは16時20分に出発した。


 本日のお宿のある作並温泉まで一直線に向かう。
 少しお腹が空いたので先ほどの三春のお菓子をいただき、あとはもう瀑睡した。
 ふと気がつくと横を仙山線の線路が走っており、「もうすぐニッカウィスキーの工場が見えます。」というガイドさんの声が聞こえた。
 ニッカウィスキー 宮城峡蒸留所である。ちょっと日本ぽくない、赤れんが造りの建物が見える。コースによっては、ここで「試飲」してから宿に入るということもあるらしい。


 ところが「あと少しで到着です。」というアナウンスが入った途端、道が渋滞し始めた。
 反対車線を来る車はほとんどなく、こちら側は「詰まっている」と言いたくなるような渋滞である。「事故かも知れませんね。」というガイドさんの推測通り、しばらく行くと、反対車線に3台(4台だったかも)の玉突き事故があったらしい現場が見えた。
 かなりの潰れ方である。驚いた。


 1時間くらい前には満開の桜を見ていたのに、作並温泉の桜は全く咲いていない。蕾の状態である。
 「桜が咲くとここはトンネルになって綺麗なんですよ。」というガイドさんの説明を聞きつつ、事故渋滞の影響を受けたものの、17時45分にゆづくしsalon一の坊に到着した。
 昨年の同じ時期には、同じコース、同じ日程で宿到着が20時半を過ぎていたというから、何と順調だったことだろう。運転手さんに大感謝である。


お部屋 お部屋は温泉倶楽部という建物にあり、ベッドがあって畳のコーナーもあるという作りである。これは有り難い。
 ゆづくしsalon一の坊では、お茶等のおもてなしはサロンで行うことになっていて、色々と揃っている。加えて、お部屋にもお宿オリジナルのお菓子とお茶セットがある。まずはゆっくりとお部屋で寛いだ。
 夕食は19時からである。
 「でも、今すぐ行ったらお風呂は混んでるよね。」と母と言い合い、18時半近くになってから温泉に向かった。お部屋は6階、お風呂は地下2階と遠く、内風呂と露天風呂が離れているのが難点だ。しかし、お風呂に行くための篭が用意されていたり、スリッパに部屋番号の札を付けることができたり、お部屋の鍵が2本用意されていたり、「人手を使わずに快適に過ごしてもらう」工夫があちこちに施されたお宿である。


 露天風呂に洗い場はなく、石鹸等の使用も禁止である。
 添乗員さんには「明るい内にぜひ露天風呂を楽しんでください。」と言われていたけれど、まずは身体を洗ってサッパリしたいと母と意見が一致し、内風呂に向かった。
 露天風呂に行った方が多かったのか、ガラガラである。有り難い。
 熱めの湯とぬるめの湯があり、両方のお湯を堪能した。お湯は無色無臭のさっぱりとした温泉だった。


夕食 夕食は、ツアー一行は大きな和室に集められ、グループごとにテーブルと椅子が用意されているという有り難い配置だった。
 ガイドさんに「宮城には美味しい日本酒が沢山ありますからね。」「ビールは邪道ですよ。」「日本酒を飲んで明日のお天気を祈ってくださいね。」と強調されたので、お宿オリジナルの日本酒を頼み、早速いただいた。
 地酒を少量で注文できて、もっと色々と選べるといいなぁと思う。


 夕食の「お献立」はこんな感じである。


お酒お食事前に
 はちみつと黒酢の健康酢
春の前菜
 寄せ筍木の芽味噌掛け 海老チーズ真丈 蕨白和へ 小鯛菜種焼き 山くらげ梅鰹和へ
温物(小鍋仕立)
 栗駒高原カテキン豚のしゃぶしゃぶ テールスープ 春野菜 きしめん添え
お造り
 旬のお造り三点盛り
煮物
 新じゃが芋万頭
焼物
 森林鶏と春野菜のグラタン
サラダ
 蛸と春野菜のサラダ バジルソース
蒸物
 よもぎ豆腐と湯葉の茶碗蒸し 蟹餡
山形のつや姫お食事
 白飯(山形のつや姫) 香の物 味噌汁
水菓子
 苺のババロア


 胃が痛いと散々騒いでいたくせに、1時間以上かけているとはいえ、ほぼ完食した。我ながらいい加減である。
 しかも、この後、1階のサロンでセルフサービスのコーヒーとアイスキャンデーまでいただいた。


 サロンにはマッサージチェアがあった。
 母と二人で「全身コース」を堪能し、テレビで明日の天気予報を見る。
 お土産物屋さんに寄ると、母が、夕食でもいただいた「つや姫」の2合入りパックに吸い寄せられている。サイコロ状になっていてお土産として可愛いし、今回のツアーにはミラコロで来たので、重いものもそれほど苦にはならない。


 そんなに気になるなら買えばいいのにと言ったら、母は「明日にする。」と言う。明日の朝は、7時から朝食、7時40分出発で、売店の開店も7時だから時間の余裕はほとんどない。買えても買えなくてもそれがご縁だろうと思うことにする。
 お部屋に戻ってもまだお腹はいっぱいで、とても温泉に行けるような状態ではない。テレビでフィギュアスケートの佐藤信夫氏のインタビューを見て、22時過ぎに露天風呂に行った。


廊下 露天風呂の写真はないので、代わりに、内湯と露天風呂とを結ぶ廊下の写真をここに出してみた。段差があるので、年配の方などはちょっと大変かも知れない。
 広瀬川源流露天風呂は、その名のとおり、川に面していて、お風呂からあふれ出たお湯がそのまま川に流れて行くようになっている。確かにこれでは石鹸の使用が制限されても仕方がない。
 そして、暗めながらもライトアップされて、川が蛇行しているのが見える。
 熱めの湯とぬるめの湯とがあり、立ち湯もある。この立ち湯が深さ130cmくらいで、なかなか気持ちが良い。しばらく立ち湯が独占できたのをいいことにストレッチなどした。


 広瀬川源流露天風呂にはよもぎ蒸し風呂というか、サウナが併設されている。
 のぼせやすいので滅多にサウナには入らないけれど、スパリゾートハワイアンズでもよもぎ蒸し風呂がありなかなかそれが快適だったので、ここでも入ってみた。
 山で育ったよもぎと、従業員の方が育てたよもぎがミックスして使われており、4月はまだ乾燥よもぎで、時期になると摘み立てのよもぎを使うと書いてある。
 よもぎの香りが気持ちよく、「身体にいいことをしている」という気分になれるのがいい。


 湯上がりにもう一度サロンによって冷緑茶をいただき、お部屋に戻って23時前に就寝した。


 三春旅行記1日目その1 <- -> 三春旅行記2日目

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三春旅行記1日目その1

2014年4月20日(日曜日)


 1週間くらい前から天気予報に一喜一憂し、しかし最近雨女の称号を返上したし、何とかなるだろうと思っていた。
 お天気もだけれど、さらに気になるのは三春の滝桜の開花状況で、火曜日辺りに咲いてすぐに満開になったもの、少し寒くなったこともあって満開が続いているらしい。それならば、お天気が少し悪いくらいの方が、道が空いていていいのじゃないかと思っていた。


 上野駅8時34分発の新幹線なすのに途中乗車してツアーに合流する。
 毎回、上野駅までの運賃精算と入場券の購入に時間がかかるので、この日も8時過ぎに上野に着くように家を出た。
 少し余裕があるつもりでおやつを買おうと構内のお店を冷やかし、シレトコドーナツを購入した。一口サイズの焼きドーナツがプラスチックのカップに入っていて、食べやすそうだ。


 入場券を購入して、長い長いエスカレーターで地下深くにもぐり、発車時刻ぎりぎりに新幹線ホームに到着した。
 指定された6号車に乗車して席に着くと、添乗員さんがすぐにやってきた。母の旅行保険証書を手渡してもらい、今日のお昼のお弁当の確認、明日のお昼もお弁当になるようでその注文の確認、それから「この辺りの車両は全て団体客のようなので、郡山到着前に必ずお手洗いを済ませて置いてください。」と念を押された。
 もっとも、前後の車両の団体の方々は、どうやら郡山のひとつ手前の新白河で降りたようだった。お手洗いはそれほど待たずに済んだのが有り難い。


 10時過ぎ、郡山駅で観光バスに乗り換える。結構な台数が駅前に停まっていた上、バスガイドさん曰く「ここに残っている観光バスの2倍以上の台数がもう出発して行きました。」という話だった。
 もちろん、みな、目指すは三春の滝桜だろう。
 我々も急いで出発である。バスは満席だ。
 ガイドさんは福島の方で、福島弁を織り交ぜながらガイドしてくれる。年配のガイドさんは流石に話題が豊富で、次々と「地元の話」が出てくる。


 これから向かう三春の滝桜は、日本三大桜の一つである。
 あと二つは、岐阜の淡墨桜と山梨の神代桜だ。私はまだどれも見たことがない。今回が初めての「日本三大桜」との邂逅である。
 三春の滝桜は、推定樹齢1000年超だ。ソメイヨシノなどの人工的に作られた品種は大体樹命が60年くらいと言われているらしい。三春の滝桜は原種であるエドヒガン系のシダレザクラで、交配品種ではないため、樹齢1000年超に至っても元気だ。
 もっとも、数年前の雪で正面に枝垂れていた枝が折れてしまい、元の姿に戻るまで7〜8年かかるという。そして、この「折れてしまった枝」は、許可をもらい、接ぎ木をしている。


 現在は天然記念物に指定されていて、枝を折ったりひこばえを取ったりすることは禁じられている。それまでは株分けのようなことが結構盛んに行われていたという。道々、そうした「三春の滝桜の子供」であるという桜も何本か見ることができた。
 三春は、桜と桃と梅が一斉に咲く、三つの春が同時に来るから「三春」という名前になったと、NHKの大河ドラマ「独眼竜正宗」で知った。現在は、道中、桃や梅ももちろんありつつ、何といっても桜の木が本当にあちこちに植えられている。
 そういった地元の桜を車窓から眺めるのも楽しい。


 駐車場まであと1kmという一本道に入ってしまうと流石に渋滞に捕まり、遅々として進まなくなった。
 その間に、ガイドさんから、日本の桜はヒマラヤが原産であること、「桜のお花見」は平安時代から行われていたこと、福島の野菜などは全て収穫・出荷・袋詰めの3回の放射能検査が行われて少しでも数値が出れば動かないので、逆に市場に出回っている福島産の生鮮食品は日本で一番安全であることなどのお話を聞く。
 今日は、滝桜のすぐそばにあるお宮(祠)のお祭りの日に当たっていて、だからより混雑しているのかも知れないという。
 渋滞がなければ郡山駅から所要30分のところ、今回、我々は運転手さんの地の利を活かした機転により、駅から1時間で三春の滝桜駐車場に到着した。


 1時間後に集合と案内があった後、まず集合写真を撮った。
 集合写真と、雪の中で咲いている滝桜の写真とをセットにして1200円である。
 「うーん、雪の中の写真だけ欲しい。」などと言って我々は購入しなかったけれど、ツアーの方々は結構お買い求めになっていたようだ。


三春の滝桜 バックが青空でないのが何とも惜しい、満開の桜である。
 「ベニシダレザクラ」という名前や、写真で見ていたイメージよりも、お花の色が薄く感じられるのは、どうやら樹齢も関係しているらしい。やはり若い木の方が、花びらの色が濃いという。この写真でも、自分の目で見た滝桜よりも随分ピンクが濃く写っているなぁという印象である。
 三春の滝桜は、高さが13.5m、幹回りが8.1m、根回りが11.3mである。しかし、枝が東西25m、南北に20m張っているから、近くで見ても「幹が太い」という印象は受けない。
 とにかく「うわぁ!」という感じだ。


 根元は保護のために近づけなくなっているものの、ソメイヨシノが立ち並ぶ崖を背負った三春の滝桜の周りを一周することができる。
 少し離れたところにそのソメイヨシノをバックにした三春の滝桜を見られるポイントがあるらしい。しかし、今回は残念ながら行くことができなかった。
 その分、色々な方向から三春の滝桜を堪能する。


正面足もとから正面足もとから


向かって右の坂道から後ろ姿


後ろ姿向かって左の階段から


向かって右の坂道から 1時間はあっという間だった。
 色々な方向から三春の滝桜を見られて満足だ。
 帰ろうと元来た道に向かったら、我々が到着したときよりもさらに一段と混雑が激しくなっていて驚いた。今日はこれからどれだけのお客さんを迎えるのだろう。


 駐車場までの道に「さくらソフトクリーム」のお店があって、常に人が並んでいる。かなり気になったけれど、ダウンコートまで着込んでいる気候だし、集合時間も迫っていたので、残念ながら見送った。
 残念ながらといえば、三春の滝桜のライトアップも見てみたかったなぁと思う。母も「この近くで泊まるとしたらどこになるのかしら。」などとブツブツ呟いていた。


福島牛 牛めし お昼どきも過ぎ、バスに乗り込んで移動の間にお昼ごはんのお弁当を食べる。
 2種類から選ぶことができて、母も私も福豆屋の「福島牛 牛めし」というお弁当を選んだ。パックのお茶もついて1090円だ。
 用意よく携帯マグにほうじ茶を作って持参していたので、そちらと一緒にいただいた。やはり温かいものが嬉しい。
 胃痛があるので、ごはんを少なめにおかず中心に食べる。お弁当のおかずは、ごはんが欲しくなる味付けだなぁと思う。


おやつ 今回利用したクラブツーリズムが三春町と組んで滝桜の保護に一役買っているそうで、詳細は不明ながら、バス車内で説明があり、さらに三春のお店のおやつが配られた。
 「花詩 さくら湖」は、チェリーを入れたフルーツあんをバターケーキに入れたお菓子で、なかなか美味しい。製造元等々をチェックすれば良かったと思う。


 東北自動車道の国見サービスエリアでトイレ休憩を取り、バスは宮城県に入って、白石川一目千本桜を目指す。
 東北自動車道からは、太平洋まで見渡すことができる場所もあり、瓦礫等を見ることはなかった。しかし、まだまだ復興の途中という状況なのがよく判る。ガイドさんも、丁寧に説明してくれる。
 田植えの準備がされている田と、すっかり乾ききっている田とがあり、少しずつ土を入れ替えて、稲作ができるようにしているというお話だった。
 震災後に建てられたというショッピングモールが本当にぽつんという感じであったりもする。


白石川一目千本


 宮城県大河原町の白石川河川敷公園で開催されている桜まつり会場に14時過ぎに到着した。
 白石川河川敷公園では、ソメイヨシノの樹命を何とか100年に伸ばせないかと様々な試みが行われている。


白石川 全長8kmにわたり、川の両岸に1200本のソメイヨシノが植えられている。お天気が良ければ、雪を頂いた蔵王連峰をバックに桜を「一目千本」と見渡せる場所である。
 しかし、時期からすると少しく遅かったらしい。桜はかなり散ってしまっていた。
 そして、お天気も曇りがちで、うっすらと蔵王連峰が見える、ような気がする、といった感じだ。
 桜まつり会場を川に沿って少しだけ歩き、川風がちょっと冷たかったので、早めに近くのセブンイレブンの駐車場に停められたバスに戻った。


-> 三春旅行記1日目その2

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2014.04.23

580000アクセス達成!

 昨日(2014年4月21日)、どなたかが580000アクセス目を踏んでくださっていた。
 やはりスパリゾートハワイアンズの旅行記へのアクセスが多いようだ。
 これまでの経過は以下のとおりである。

 スタート 2004年9月1日
 10000アクセス 2005年7月17日
 50000アクセス 2006年11月22日
100000アクセス 2008年6月15日
150000アクセス 2009年2月21日
200000アクセス 2009年11月30日
250000アクセス 2010年9月16日
300000アクセス 2011年5月26日
350000アクセス 2012年2月8日
400000アクセス 2012年9月3日
450000アクセス 2013年2月19日
500000アクセス 2013年8月14日

510000アクセス 2013年9月7日
520000アクセス 2013年10月3日
530000アクセス 2013年11月4日
540000アクセス 2013年12月12日
550000アクセス 2014年1月14日

560000アクセス 2014年2月10日
570000アクセス 2014年3月13日
580000アクセス 2014年4月21日

 こうして続けていられるのは、遊びに来て、読んでくださる方のおかげです。
 ありがとうございます。
 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

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2014.04.21

無事、帰宅する(三春)

 2014年4月20日(日)から1泊2日で、母と南東北の桜を見に行って来た。
 ツアーに参加したら、バス一台が満員の46人の参加者で、三春の滝桜、白石川千本桜、船岡城趾公園、作並温泉に泊まり、翌日は桜越しに松島を眺め、塩竃神社に立ち寄り、花見山公園からは雨に降られてしまったけれど、最後の乙姫桜まで、何だかんだで見頃の桜を満喫してきた。

 この1泊2日の旅行にかかった費用は、一人分約41000円だった。ここには、ツアー代、食事代等が含まれているが、お土産代は含まれていない。

 また、初日の万歩計は12648歩、2日目は12149歩で、歩いたという実感がない割に歩いているなぁという感想だ。

 どうしようか迷ったけれど、ダウンコートとレインパンツは正解だったと思う。
 そして、青空は拝めなかったけれど、でも、この出発日を選んだのは正解で、桜を堪能してきた。

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2014.04.20

三春旅行に出発する

 桜の開花時期の予想はほぼ完璧だったと思うのだけれど、お天気が少々怪しい。
 しかし、それも風情である。

 2014年1月に行く筈だった新潟旅行を、私のインフルエンザでキャンセルしたので、今年初の母娘旅行は、三春の滝桜を目指すことになった。
 もっとも、1泊2日のツアーに参加なので、気楽なものである。朝がそれほど(昨年の吉野山旅行ほど)早くないのも有り難い。

 1泊2日で、ひたすら吉野山の桜を見るためのツアーに出発である。

 一応作成した持ち物リストは以下に。

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2014.04.15

旅行社から最終案内が届く(三春)

 2014年4月14日、旅行社からツアーの最終案内が届いた。
 入っていたのは、確定版の日程表、当初案内から帰りの新幹線が早くなったことのお詫び(しかし、観光場所や観光時間への影響はないと書かれていた)、1日目の昼食用お弁当の案内である。

 東京駅集合だけれど、上野駅または大宮駅での途中乗車も可能である。ただし、途中乗車の場合は出発の4日前までに要連絡だ。
 また、お弁当の注文は3日前の15時までとなっている。

 1日目の昼食は新幹線に乗る前に自力で調達するという方法もあるけれど、それは結構忙しないし、荷物も増える。どちらにしてもバス車内で食べるのだったら頼んでしまおうかということで母と相談がまとまった。
 しかし、お茶込み1090円という値段は、便乗値上げなのかどうか微妙なところでだと思う。

 そんな訳で、今日(4月15日)、旅行社に電話して、途中乗車を申し出、お弁当の注文をお願いした。

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2014.04.13

中米3ヶ国旅行記5日目その4

2012年12月19日(水曜日)


球技場と建造物26全景 コパン遺跡で、球技場のすぐ横にある建造物26、神聖文字の階段に辿り着いたのは15時前だった。
 この写真は、唯一撮ってあった、建造物26と球技場の全景である。この屋根が惜しい。
 アメリカの研究所が1997年から2007年にかけて保存研究を行い、この階段の上にテントというか屋根が張られているのもその成果だという。雨や直射日光、温度差によるひび割れ等から守るために設置されている。
 フォトジェニックかといえば絶対に違うけれど、1940年代に撮られた写真を見ると、今よりもずっと鮮明にマヤ文字が残っていて、保存をしなければ劣化することは明らかだ。


 神聖文字の階段は、2200文字のマヤ文字が彫られた全部で1000を超える石のブロックで形作られており、アメリカ大陸に現存する16世紀以前のものの中では最長の文字碑文記録である。
 これが最長かと思うと、短いような気もする。
 この碑文記録には、歴代コパン王朝史が刻まれていることが明らかになっている。
 足りないというか抜けてる段の部分は、ペンシルバニアの博物館に保管されている。返してくれればいいのにと思ってしまう。


下15段 神聖文字の階段は、コパン遺跡の中でも最も早く、19世紀末に発見されている。
 発見されたときには下の15段以外は崩れており、しかもマヤ文字自体の解読も進んでいなかったので、もの凄く適当に組み直して固めてしまったらしい。おかげで、マヤ文字の文章の意味が通るように復元するために、ただ散らばっているよりもさらに困難さが増してしまったという。それはそうだろう。
 そうした中で、ここまで復元し、かつ内容も明らかにしたという方々の執念と忍耐強さを思うとクラクラする。固有名詞(王の名前とか)や年代から解読を始めたというのも納得だ。ヒエログリフも確かカルトゥーシュの中に書かれた王の名前から解読されたのではなかったろうか。


 また、この神聖文字の階段は内部の調査もされていて、詰められた土等々、構造上の問題が発見されている。どうやら大急ぎで慌てて作られたらしいという。その結果、コパン遺跡にある建造物の中で一番最初に崩れたのはこの神聖文字の階段(というか、階段がある建物そのもの)ではないかと言われている。
 そんな訳で、もちろん、この階段を上ることはできない。
 登れば、上には「建造物26」と呼ばれる神殿がある。


神聖文字の階段の前の祭壇 神聖文字の階段の前には石碑Mが立ち、その更に前には祭壇が置かれている。
 コパンしては珍しい「様式に則った」形といえる。
 祭壇は756年に作られたもので、キリグアにもある「獣形祭壇」のひとつだ。その両側に口があり、それぞれから神が顔を覗かせてる意匠になっている。
 こういう、凝った、モンスター風の祭壇がコパンの流行りというか様式だったんだろうか。しかも、これらが全部赤で塗られていたと思うとちょっとぞっとする。


 神聖文字の階段がある建物も、他の建造物と同様に重層構造になっていて、内部にたくさんの建造物を抱えている。695年に非常に大きな石室が作られており、18ウサギ王の父王である煙イミシュ王の墓所であるらしい。
 ご先祖様のお墓の上に建物を建てちゃうとか、神殿を作っちゃうという感覚はよく判らない。
 この神聖文字の階段の見学に10分くらいしか時間を割いていない我々はどうなのか。何だかもの凄く勿体ないことをしたという気がして仕方がない。


11号神殿石碑N title=


 コパン遺跡はまだまだ広く、予定は詰まっている。早々に神聖文字の階段を後にして、11号神殿に向かう。
 さりげなさすぎる感じでそこにあった建造物11は、ちょうど光が当たらない時間帯だったこともあって、非常に地味な印象である。景色に溶け込んでいる。
 建造物11は、先ほどの神聖文字の階段を完成させた第15代煙リス王の墓所ではないかと言われている。結構重要だと思うけれど、未発掘である。
 その建造物11の前に立つ石碑Nも、ほとんど素通りだったのが勿体ないくらいの見事な透かし彫りが施されている。こちらも煙リス王の姿と言われている。


 この辺りから写真と説明との整合性がつかなくなっている。はっきり言って、次々と石碑や建造物を見ているので、私の脳みそではとてもついて行けない。
 先ほどの石碑を前に持つ建物と、西広場に面して建つ建物と、両方とも建造物11(の表と裏)だったように思うけれど、あまり自信がない。
 (ので、全く違っていたらすみません。私はそう思って見学していた、ということでお許しください。)


西広場から見た建造物11 突然アドベンチャーになって山道風の場所を登り、足もとにある髑髏の石に驚いたりしつつ、アクロポリス西広場に向かう。
 建造物11には、「ここに彫刻を置いてください」と言わんばかりの窪みが等間隔に13個造られている。
 マヤの世界は、天上界、地上、地下と三つに分かれていると考えられていて、13が天上界であり神の世界を表す数字である。だから、13バクトゥンという数字も「神に繋がる数字」として意味がある。
 窪みの中に木で造られた13体の神像が納められていたのではないかと考えられている。


 また、向かって左から三つめと四つめの窪みの間に、「とど」っぽい、単なる石のようなものが横たわって置かれている。
 これは、巻き貝だそうだ。見えない。絶対にとどである。
 巻き貝は水の世界を表し、水の世界イコール地上の世界である。
 その下は地下の世界、つまりは死の世界である。死の世界の9層に分かれていて、それぞれの世界を9人の神が支配している。


死の神 屋根のかかった場所にある石彫は、だから、地下の世界、死の世界にいることになる。
 つまりは、死の神だ。
 伝令の首を掲げている図だというから恐ろしい。しかし、後日、別の本を読んでいたら、左手に掲げているのはガラガラのような楽器だと書かれており、一気にこの像の印象が変わった。実際のところは何なのか、気になる。
 先生が強調したかったのは、マヤの建物やその配置は、こうした石彫・神像が表しているのと同じように、マヤの世界観を表していることだったらしい。


建造物16 段々、どこがコパン遺跡の白眉なのか判らなくなってきたけれど、とにかく、建造物16がコパンで最も高い建造物であることは間違いない。高さが約30mある。
 そして、この建造物16の中には、ロサ・リラと呼ばれている神殿が文字通り「埋められて」おり、そのレプリカがコパン遺跡博物館に復元されている。
 建造物16には、ロサ・リラだけではなく、400年くらいにわたって増改築が行われたことが判っている。マヤ遺跡の建造物はミルフィーユのようになっているものが多いようだ。


祭壇Qと16号神殿 コパン遺跡で最も有名かも知れない祭壇が、16号神殿の前に置かれている。祭壇Qである。ただし、これはレプリカで、本物は、ロサ・リラのレプリカのあるコパン遺跡博物館に保管されている。
 レプリカのくせに、何故か柵で囲われているのが謎だ。だから本物だと思ってパシャパシャと写真を撮っていたら、先生に「それはレプリカですよ。」と指摘されて驚いた。
 祭壇Qの正面には、左側にいるコパン王朝の始祖ヤシュ・クック・モから、右側にいるコパン王朝第16代王に王権の象徴である儀仗を渡そうとしている様子が彫られている。


 祭壇Qの側面には時計回りに、他の歴代王の姿がぐるりと彫られているというから、念が入っている。第16代の王は、よっぽど「正統性」を欲していたのだろう。
 王たちは、それぞれ自分の名前の上に座っていて、初代王のヤシュ・クック・モだけは、コンゴウインコの頭飾りで名前とその存在を表し、「支配者」という文字の上に座っている。
 本当に念の入った話である。


墓地のグループ 次は「トンネル」の見学である。
 ロサ・リラ神殿の一部などを、発掘・研究用に彫ったトンネルから見ることができるという。
 添乗員さんも入れて10名前後のツアーなのに「トンネルには一度に全員は入れません。」と言われた。厳格である。20人とか30人のツアーで来たらどうなっちゃうんだろうと思う。
 先生に「ここからの眺めは撮っておいた方がいい。」と言われた場所を上から撮った。後で調べたところでは、そこは「墓地のグループ」と呼ばれる場所のようだ。しかし、そう呼ばれているけれど、実際には居住区だったらしいから、ややこしすぎる。


建造物18の墓室踊る王 建造物16の奥にある建造物18からは、コパン最後の王ヤシュ・パサウの墓が見つかっている。これがその石室である。
 発見されたときには、すでに盗掘されて空っぽだったそうだ。
 また、この建造物18には、ヤシュ・パサウ王が戦争の儀式のために踊っているレリーフがある。これがまた、半端に残っていて判りにくい。ガイドさんによると、足が上がっているのが「踊っている」ことになるらしいけれど、私には足が上がっているということすらよく判らなかった。
 このレリーフには、珍しくブルーが残っている。


ロサ・リラ 本当に「いよいよ!」という気分でロサ・リラが見られるというトンネルに突入した。
 ロサ・リラのトンネルは考古学者が掘ったトンネルである。調査用だ。
 意気込んでトンネルに入ったものの、ロサ・リラは、プラスチックの壁越しにあって、しかも、このプラスチックの壁が曇っているのか傷ついているのか、透明度が低い。よく見えない。
 プラスチックが曇っているのは、湿度が高いせいでもあるようだ。トンネルのこちら側も蒸し暑かったし、きっと、ロサ・リラ側も相当に湿度が高いのだろう。


オリジナルの壁 ロサ・リラは、遠いし曇っているし暗いし、トンネルは短いし、控えめに言ってかなり拍子抜けという感じである。
 ツアーで行ったので、このトンネルの料金(遺跡見学とは別に料金がかかる)がいくらだったのか知らないけれど、個人で次に行くことがあったら絶対に入らないと思う。
 しかし、トンネルの壁が、いつの時代のものかは判らないけれどオリジナルの壁だというのは興味深かった。その当時から、こういう赤い色だったんだろうか。
 ロサ・リラのトンネルは出入り口の場所が同じなので、再び、アクロポリス東広場に戻ってきた。


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2014.04.06

中米3ヶ国旅行記5日目その3

2012年12月19日(水曜日)

パティオ10 コパン遺跡で最初に出会った「遺跡っぽい遺跡」は、PATIO10と呼ばれる場所である。
 階段のすぐ左下に、辛うじて残っているといった風情で穴がある。そこで翡翠の奉納品が発見されている。もちろん、今覗き込めば単なる「穴」である。
 PATIO10は、飛行場建設の際にきっぱりと真っ二つに割られてしまったという過去を持つ。どこまでも祟る飛行場建設という感じだ。しかし、「瓢箪から駒」というべきか、その真っ二つに割られてしまった遺跡を修復する過程で、奉納抗が発見されている。

 階段の左側にあったのだから右側にもあるだろうと探してみても、片方にしかなかったという。
 併せて、もの凄く豪華な子供のお墓も修復の過程で発見されている。真剣に掘った訳ではなく、修復のついでのように発見されるのは、コパンでは、お墓は壁のすぐそばとか、中庭のど真ん中とかいった場所に造られていることが多いためらしい。
 様々な要素から考えて、その子供は王家の息子の一人なのではないかという。この建物自体、方角をきちんと考慮して建てられているし、そもそもこのエリアが王家の人々が住んでいたエリアだということもある。

屈葬 やや唐突な感じで屈葬のレプリカがあった。
 すでに場所の記憶と説明のメモとのリンクが壊れてきているけれど、9L-22、9L-23と呼ばれているこの場所は飛行場建設の際に激しく壊されてしまい、「全面的に調査した」訳ではないので、この屈葬の跡の他に「発見!」というような発見はなかったらしい。
 しかし、調査を進めるうちに埋葬跡が多く発見されており、この場所にも他にもまだ墓所がある可能性が非常に高いという。
 経験的に「この辺りにありそうだ」と掘るというお話で、考古学ってギャンブルだなぁと思う。

歪んだベンチ 例えば、ベンチが大きく歪んでいるのは、その下に空間があり、そこに大きな石室(お墓)があるためではないかと考えられている。
 あるとしたら、多分、地面と同じ高さくらいの場所だろうという。
 ただ、調査費用が尽きてしまい、途中まででとりあえず放っておかれているというから何とも勿体ない話である。でも、お陰で、失礼ながら、どなたかの墓所だろう場所の上に登ることができた。

 先生がこの場所の発掘を担当したのは、特にアメリカの研究者などは、こういう「滑走路建設のために壊されてしまったアクロポリス」などという場所をやりたがらないためである。
 いわば貧乏くじを引かされたような格好だったけれど、その結果、翡翠の奉納品や、豪華な子供のお墓を発見しているのだから、考古学というのは判らないものだなぁと思う。

グランプラザ 少し歩いて、14時過ぎにグランプラザに到着した。
 この広場の真ん中にある石舞台で王家の人々が踊り、その舞をコパンの人々は周りの観覧席から見ていたと推測されている。我々も、その観覧席からまずグランプラザにお目にかかることになった。なかなかドラマティックである。
 カラクムルがそうだったように、マヤでは多くの場合、石碑は建物の前に置かれている。コパンでは異なっていて、広場に独立して配置されている。建物よりも石碑を集中して見てもらいたかったのかしら、何しろ「芸術は王の領分」だったみたいだし、と思う。

 今は、芝生の緑の広場に、少し緑がかった凝灰岩の石碑等が建てられていて、何というか落ち着いた寛げる場所といったイメージのグランプラザになっている。当時は、石碑は漆喰がかけられてさらに赤く塗られ、床面も漆喰が敷かれてこちらは真っ白だったという。
 想像がつかない。
 大体、床一面が白かったら眩しくて仕方がないじゃないかと思う。
 しかし、そうした白と赤の世界に、何色かは判らないけれど、白でも赤でもない色彩を身につけた王が立ち、踊ったら、それはかなりの「見世物」だったろうと思う。

石碑Dと祭壇 グランプラザにある石碑は9本で、コパン最盛期の13代目の王である通称「18ウサギ王」により建てられた石碑がそのうち7本を占める。
 ・・・と説明を受けたと思うけれど、今、本を色々と当たると書いてあることが時々違っている。とりあえず、18ウサギ王が建てた石碑が一番多い、ということだけは間違いない。

 コパン遺跡を有名にしているのは、石碑の彫りの見事さだ。高浮き彫りと言われ、とにかく深く立体的だ。
 石碑は概ね祭壇と対になっていて、その祭壇も例えばカラクムルにあったものとは違い、非常に複雑な造りになっている。確かに、何というか、装飾的だ。
 石碑Dは珍しく建物を背負った石碑で、その石碑Dの前に置かれた祭壇はジャガーの骸骨がモチーフである。そう言われてみればなるほどと思う。

 最初に見たのは、石碑Bだ。コンゴウインコが住む山を支配する神に扮した18ウサギ王が彫られている。数いる18ウサギ王の彫刻の中で、私はこの18ウサギ王が一番ハンサムだと思った。
 石碑Bのように、王は象徴的に必ず儀仗を両手で胸のところに抱えている。そして、石碑Bでは、儀仗から伸びた先が蛇の頭に変わっていて、そこからさらに神が生まれてきている、らしい。

石碑Bの側面 また、「彫りが見事だ」というのは芸術的な面だけのことではなく、例えば石碑Bの側面のマヤ文字は綺麗に彫られ、残っている。
 コパンはマヤでいえば「僻地」で、だからこそカラクムルなどとは産出する石が異なっていて、カラクムルとは異なる凝灰岩に彫られていることも、今に至るまで残っていることの理由の一つだ。そして、歴史を研究する上で「文字が残っている」ことは大きな意味を持つ。
 なるほど、と思う。

 グランプラザの石碑は多くがオリジナルだ。いくつかレプリカも置かれていて、レプリカに置き換わっているもののオリジナルは、石像彫刻博物館にある。
 先生曰く、コパン遺跡のいいところは、レプリカはレプリカ、オリジナルはオリジナルときちんと表示がされていることだという。確かに、私など、言われなくてはオリジナルとレプリカの見分けなどつかない。それどころか、ちゃんと書いてあっても、区別はほとんどつかない。

石碑Aのマヤ文字 その数少ないレプリカのひとつが、石碑Aだ。
 ピラミッド側に、731年当時、コパンの人が「マヤの4大都市」と考えていた、カラクムル・パレンケ・コパン・ティカルの紋章文字が彫られている。コパンの人々は、当時から、我々が飛行機とバスで延々移動してこなくてはならないくらい遠くにあった都市を知っていたことになる。
 この写真で右上がコパン、真ん中の段が左からティカル、カラクムル、左下がパレンケである。
 何度も教えてもらって、でも、結局覚えられずにメモ帳に配置図を書いた。

 そして、他のマヤ遺跡の石碑には、王の業績として「いつ即位した」「戦争に勝った」「捕虜を**人捕まえた」というような記述が多いのに対し、コパン遺跡にある石碑には「こういう儀式が行われた」といった平和的な業績が刻まれている。
 当時のコパンが戦争とは縁遠かったことの証明だろうという。
 いずれにしても、マヤの石碑や碑文には、そういう「歴史的事実」が刻まれていることが特徴的だ。

石碑C左向き石碑C右向き 確かこの石碑Cだけは、何故だか赤い色が残っていた。パレンケ遺跡で話に出た「中米・チアパス・ユカタンの旅」には、この石碑Cが真っ二つに折れている絵が描かれているそうで、逆にいうと、それで空気に触れずに色が残ったのかも知れないと思う。
 そしてまた珍しいことに、この石碑Cには前と後ろの両方に18ウサギ王が彫られている。他の石碑はみな、顔というか人の姿が彫られているのは一面だけで、後ろ側はいかにも「裏」というような平面の地味目の模様しか彫られていない。
 右を向いている方が「若い18ウサギ王」、左を向いている方が「年老いた18ウサギ王」である。髭があるのはオトナの印だ。

 グランプラザにあるオリジナルの石碑には大抵、このような屋根が取り付けられている。もちろん、雨や日光から守るためだ。コパンは遺跡の保存という意味でも進んでいる。それは、先生たちが遺跡の発掘や研究とともに保存にも力を入れてきた証しである。
 それでも、全体をカバーするには遠い。写真を撮ることを考えると屋根などない方がいい。観光と保存の共存というのは難しい問題なんだろうと思う。

石碑F この辺りまで説明を聞いたところで、15分程度の自由時間となった。「グランプラザからは出ないでください。」と厳重に念を押される。
 自由時間になった途端、何故か先生を囲んで記念写真大会になっているのが可笑しい。
 先生に「ベストワンはどれですか?」と尋ねると、あまりにも俗な質問に苦笑しつつ、先ほどの石碑Bや「今の光なら石碑Fも綺麗に撮れますよ。」という回答が返って来た。うーん、ちょっと趣旨は違うんだけどと思う。
 この石碑Fの太ももの盛り上がり方は凄い。

 グランプラザを歩き回っているうちに集合時間になった。
 それにしても、これらの石碑は一体どうしてずっと立っていられるのだろう。
 それほど安定が良さそうには見えないし、置いておくだけでは、地震がないわけではない中米でずっと立ってはいられない筈である。
 先生に聞いてみると、現在はコンクリか何かで固めてあるという。マヤの時代には、少し地面を掘って埋めるような感じで立たせていたらしい。コパンの石碑は、それでも「凄く高い」訳ではないからいいけれど、明日行くキリグア遺跡などでは、4mくらい埋めて立たせてあったそうだ。

観覧席 次の見学場所に歩いて行く途中、観覧席の一角だけ、緑色のタープが張られている場所があった。
 他の観覧席は全く野ざらし状態なのに、1箇所だけ屋根があるなんて、意味があるに違いない。
 先生によると、そこは18ウサギ王の前の王が造ったもの(というか場所)だそうだ。その後、18ウサギ王が観覧席を造ったときに、何故かそこだけ避けるように残したという。何故残したのかは長い間議論になっていたけれど、現在では、どうやらコパン王家の創始に関する伝説に関係があるらしいことが判っている。
 ロマンだ。

緑の屋根の下 ダッシュして行ってみると、緑の屋根の下にはこの石碑がぽつねんと淋しく立っていた。
 12代王である煙ジャガー王の石碑Iである。
 残念ながら、煙ジャガー王の時代はそれほど優秀な彫刻家がいなかったのか、あるいは芸術に蕩尽するだけの財力がなかったのか、彫りの出来としては「見事!」という感じではない。でも、他の石碑が表に出て行っているのに、これだけ壁に守られてひっそりと立っているところを見ると、特別感がなくもない。
 そういう印象だ。

10号建造物コンゴウインコ

 次に向かったのは建造物10で、芝生を挟んだ反対側に同じ構造の建物である建造物9がある。建造物9と建造物10が向かい合って立っているところを想像すれば判る。球技場である。
 今見られる球技場は8世紀のもので、元々5世紀に造られた球技場に増改築を重ねた後の姿である。
 そして、その5世紀の球技場跡からは、貴族達が賭けに使っていたと思われる「図形」が発見されているという。5世紀当時の、球技は「負けた方が生け贄になる」命がけの戦いであった可能性があるというから、なかなかにおどろおどろしい話だ。

 8世紀には、球技はトウモロコシの豊穣祈願と結びついていただろうという。
 その証拠のひとつが、高いところにあるコンゴウインコの頭の彫刻だ。
 マヤでは、特に赤く塗られたコンゴウインコは太陽の象徴で、そのコンゴウインコが暗闇の世界を破ってトウモロコシを生育させると考えられていた。だからこそ、球技においてコンゴウインコの像にゴムのボールを当てることで、五穀豊穣(いや、マヤには五穀という概念はなかったと思うけど)を祈る儀式にもなっていたのだろうという。

祭壇L また、この近くにコパンの最後の日付が刻まれた祭壇Lがある。
 向かい合っている人物は左側が16代の王、右側が17代の王だ。
 祭壇Lは、正面だけができあがっていて、側面は何も彫られておらず、後ろ側は彫りかけである。作りかけで放棄されたとみられ、果たして17代王がいたのかどうかは不明だ。17代王位を巡って争いがあったと考えられているという。
 19世紀の写真などを見ると、この祭壇Lはこの場所にはないらしい。これはそもそもレプリカだし、ますます17代王の実在は疑われる。

 そして、次はいよいよ、コパン遺跡の白眉のひとつと言っていいだろう、神聖文字の階段である。

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2014.04.01

テルムラン・パシフィークから資料が届く

 ここのところストレスと疲れが溜まっていて、それを解消するにはどうすればいいかと考えていたところ、千葉県勝浦にあるタラソテラピーの施設、テルムラン・パシフィークに行くのはどうだろうと思いついた。

 もちろん私が読んだ記事はこちら。公式Webサイトがあるけれど、なかなか仕組みや各スパメニューが難しかったので、資料請求した。

 2014年4月1日にその資料一式が届いた。
 正直に言うと、サイトの方が情報量が多いし判りやすいような気がする。わざわざ紙での資料を請求しなくても良かったかも知れない。

 いずれにしても、本格的に検討しようと思っているところだ。

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