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2014.05.05

中米3ヶ国旅行記5日目その5

2012年12月19日(水曜日)


 


グランプラサ コパン遺跡で、本物のロサ・リラを見学できるトンネルを出て、もう一つのトンネルに入ってしまうともう東の広場には戻ってこられないと言われ、最後の見納めに建造物の何かに登って、グランプラサを見下ろした。右手前に神聖文字の階段を覆う屋根が見える。
 いい眺めである。
 昔の誰かもこの眺めを楽しんだんだろうか。そう思うとちょっと不思議である。


大きな顔のレリーフ踊るジャガー 屋根に覆われた大きな顔のレリーフがあった。屋根に覆われている以上、大切なものだと思うけれど、正体は不明である。
 この広場でもう一つ面白いレリーフがあった。踊るジャガーのレリーフで、左右一対になっている。
 本当に踊っているのかどうかはともかく、なかなか茶目っ気のあるポーズをしている。向かって左にいるジャガーの方が茶目っ気度が一段高いと思う。
 今ひとつ角度というか高さが悪くて顔がよく見えないけれど、結構いかつい顔をしているのにこのポーズというところが可笑しい。


トンネルの通路 そして、今度はアクロポリスの中に突入した。
 天井が低くて頭をぶつけそうだ。
 このトンネルの一部は、先生が「作った」らしい。研究用のトンネルを観光用に転用したということだろうか。
 この通路の片側は下半分が斜めになっていて、この斜めの部分は、元々この建造物の中に埋まっていた建物の外周部分である。
 普通に触れてしまえるなんて、何だか凄い。


トンネル内部の漆喰の仮面 まず対面したのが、やたらと大きな漆喰の仮面だった。もちろん、流石にこのレリーフには触れるようにはなっていない。
 この顔を見て「巨神兵だ」と思ったのは私だけではない筈だ。
 このレリーフも、上から被せるように覆うように増築されたため、今は建物の中に埋まっている昔の建物の一部である。
 この建物を巡るように通路があって、別の角度からも見ることができる。ロサ・リラのトンネルよりも快適だし、よく見ることができて嬉しい。


マヤ文字 レリーフなのかステラの一部なのか判らないけれど、このマヤ文字は何か重要な意味があると聞いたように思う。「どう重要なのか」を覚えていない自分が非常に悲しい。
 本来はこういう状態ではなかったんだろうと思いつつも、上から落ちてくる日光に照らされて綺麗である。
 このマヤ文字がある場所が建物の正面で、ほぼ一周できるようになっている。
 その後は、暗い階段を上がって行く。もはや、方向感覚は皆無である。


水洗トイレ水路


 階段を上がったところにトイレがあった。ちょっと脱力する。
 どこをどう使ったのかは今ひとつ想像できないけれど、「水洗トイレ」である。
 溝のようなところに水を流したとすると、その流された水はどこに行ってしまったのか、非常に気になる。そもそも、この水洗トイレが使われていた時代には、外側の壁はなく、外に流されていたというのが一番可能性が高そうだ。
 そんなことを思っていたら、階段を降りた先に、水路の続きがあった。ほっとするような、人が通るような場所に水路を作って欲しくないような、微妙な気分である。
 パレンケの宮殿では「水洗トイレ」説に懐疑的だった先生も、ここでは割と確定的にしゃべっていた。


漆喰の仮面漆喰の仮面


 こちらにも漆喰の仮面がいくつも残っている。何を表しているのかは判らないけれど、少なくとも、先ほど見たロサ・リラよりは保存状態もいいように見える。
 暗さと天井の低さにくらくらしていたら、やっと外に出ることができた。空気が美味しい。


建造物外観 マヤの建造物はどんどん上に被せるように作られていて、まずは漆喰で床を作るところから始まるという。
 だから、床もどんどん上に上がって行くことになる。最初の建物は、10mくらい下を流れる川と同じくらいの高さに床があったらしい。
 そして、これらの建物は川に浸食されてしまっていたところを、先生が修復を手がけたそうだ。ネットのようなものが被されている。


 この時点で15時半を過ぎていて、先生曰く「とんでもなく時間が押している」状況だったらしい。16時までに石彫博物館に行かなくてはならないと言う。
 もう戻れないと言われたような気がするのに、グランプラサの横を通るので、写真を撮り忘れた人はダッシュで行って来てくださいと言う。平均年齢の高いこのグループに「ダッシュ」を求めるのはどうなのか。
 結局、一緒に回ってくれていた学生さんを押さえ兼交渉のために先行させてくださっていたらしい。


石彫博物館のロサ・リラ神殿さっき見た筈


 何とか16時ぎりぎりにコパン石彫博物館の入口に到着した。
 入口を入ると、何故か暗いトンネルが続く。
 先が見通せないトンネルを抜けると、そこにはどどーんとロサ・リラ神殿の復元模型が鎮座していた。全体が赤く塗られて彩色も施され、これまでの石の色と緑だけの世界から来ると、もの凄いインパクトである。
 ガイドさんによると、さっき「本物」を見たのは、右側の写真の辺りだという。全く判らない。そもそも、私はトンネルの中で、ロサ・リラ神殿の1階部分を見ているとばかり思っていたら、違っていたらしい。ロサ・リラ神殿も、マヤの世界を表すために三層に別れて作られているからややこしい。
 実は未だに「この辺」というのがどこのことを差しているのか、判っていない。


 ロサ・リラ神殿も、強い風が吹くと音を出すようになっている。
 儀式の場でもあったロサ・リラ神殿では香を焚くことも多く、その煙が出るように窓も開けられている。
 ロサ・リラ神殿は初代の王であるヤシャ・クック・モに捧げられた神殿である。
 コパンの石彫博物館には、このロサ・リラ神殿のように、遺跡では一部しか復元されていなかったものを完全な形に復元したレプリカも多く展示されている。


本物の祭壇Q 本物の祭壇Qも展示されている。遺跡にあったものはレプリカだ。
 祭壇Qの最大のポイントは左側の初代王(ヤシュ・クック・モ)から右側の16代王に錫杖を渡している側面部分だ。16代王が王権の正統性をアピールするために造らせたものである。
 上面にはマヤ文字が彫られている。向きとしては、建造物から見て読めるように書かれているそうだ。


 その上面に刻まれているのも正統性アピールで、太陽神ヤシュ・クック・モだとか、クック・モという人が即位することでヤシュ(最初の)クック・モと名乗るようになったとか、そういったことが刻まれている。
 このクック・モという名前が同時代のティカルでも刻まれていたり、クック・モが住んでいた神殿等の様式がティカルのものに似ていたりといった傍証があり、クック・モのお墓が見つかったのでナントカ分析にかけたらその出身地がペテン地方(ティカルがあるところ)であると判明している。それらのことから、このマヤ文字達が書き表していることは事実ではないかとされているそうだ。
 回りくどい話である。


髑髏のレリーフ 頭蓋骨のレリーフは、ここで生け贄として人が捧げられ、皮を剥いだ髑髏をマヤの人々が持っていたことを表しているという。
 16号神殿にもいくつか頭蓋骨のレプリカがあったらしい。観光客にアピールするために置くようになったそうだ。アピールするならもっと判りやすいアピールをお願いしたい。少なくとも、頭蓋骨がいくつかあるだけでは、私にアピールしなかったことは確かである。
 石彫博物館は自由見学だったけれど、ツアーメンバー2〜3人で先生にくっついて説明してもらいながら見学した。


意味ありげな展示物 早速「これは何ですか? 意味ありげですけど。」と質問すると、シャーマンのお墓だという答えだった。この形は死後の世界を表していて、ここでどんな儀礼が行われたかが表面に書かれている。
 左側が初代王、右側が2代目王で、2代目王が死後の世界に行き、初代王と共に儀礼を行った、というところがアピールポイントだという。
 左右どちらが上位かというと、必ずしも全てに当てはまる訳ではないけれどという注釈付きで、主人公は大抵の場合は右側にいるというお答えだった。
 また、この中には、シャーマンやその道具、生け贄が入れられていたらしい。ここで鹿の足を縛って燃やして捧げたという記録も残っていて、そうした儀礼が行われたことが判るという。


 


こうもり コパンの紋章文字の主字はこうもりの頭だそうだ。
 「可愛い」とか言いながら素通りしてはいけない。
 これは殺人コウモリで、マヤの神話であるポポル・ヴフに出てくる。
 やっぱり「可愛い」とか言っている場合ではなかった。


 頭の上に魚を銜えた水鳥がいる彫刻は、「神聖文字の階段の中に埋まっていた」そうだ。説明書きによると、10号建造物の内部を飾っていたらしい。
 掘り当てた人がビックリして思わず言った言葉が、そのままこの彫刻の名前として流通してしまったという話だけれど、本当なんだろうか。ちょっと可笑しい。
 水鳥の彫刻は、この博物館の中で私が一番気に入った彫刻である。「一つ差し上げますから、好きなものを選んでください」ともし万が一言ってもらえたら、迷わずこれを選ぶ。


 コパンは高浮き彫りが有名だし美しいけれど、もちろん常にその水準のものが作られ続けた訳ではない。
 コパンの場合は、10世紀に王朝が崩壊し、その後は、「石彫どころではない」時代が続き、見るべき彫刻も残っていない。
 石彫博物館には、そうした展示物ももちろんある。


鉢巻きをしたおじさん 水鳥以外に私が気に入った(でも、これは欲しくはない)のが、「鉢巻きをしたおじさん」に見える石彫である。おじさんというよりは「老人」らしい。
 絶対に鉢巻きではないと思うけれど、全体として、昔の日本人のおじいさんにいたような、何だか親しみやすさを感じる顔だ。
 実際は、世界の四角を支えている神様の一人で、古い神様らしい。村の博物館にあった手と同じ石彫の頭部分だという。一緒に展示してくれればいいのにと思う。


20121219_162041 ガラスケースに入っていると「すわ、重要なものか」と考えてしまう。だいぶミーハーだけれど、そんなに間違った判断基準ではないと思う。
 この像は、書記の神様である。
 右手に筆を持ち、左手にインク入れになっている二枚貝を持っている。マヤ文字は意匠が複雑だし、文字を書ける書くことは特殊技術で、それだけで崇められていたんだろうなと思う。
 それにしても、さっきの「鉢巻きのおじさん」と言い、この書記の神様と言い、どことなく顔がアジア人っぽい。
 少なくとも、ラ・ベンダ遺跡公園にいたオルメカ・ヘッドとは系統の違う顔のような気がする。


貴族の家壁飾りのアップ


 石彫博物館の2階は、広めのキャットウォークのようになっていて、これから行くセプルトゥーラスのものが多く展示されている。この二つもセプルトゥーラスのものだ。
 パレンケでは建物全体に漆喰が塗られていたけれど、コパンでは、モザイク状に組み合わせて飾る方法も採られていたそうだ。石の一つ一つに異なる色調の漆喰が塗られていたという。
 王家ではなく貴族の家だから、ということではなさそうだった。


 30分を少しオーバーするくらいの時間で石彫博物館を堪能し、バスに乗ってセプルトゥーラスに向かった。
 駐車場に行く途中、イベント用のステージが組まれ、リハーサルが行われている様子が見えた。


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