中米3ヶ国旅行記6日目その1
2012年12月20日(木曜日)
昨夜のお酒のせいか、夜中に何度か目が覚め、4時に起き出した。
何にもしないで寝てしまったので、シートパックをして、コーヒーを飲んで酒気を抜く。湿布も貼らずに寝てしまったので若干筋肉痛が残っている。不思議と二日酔いはない。多分、相当にいいお酒だったんだろうと思う。
何とかしゃんとしたところで荷造りし、それでも時間が余ったのでホテルの写真を撮る。私の部屋は塔のような建物の最上階にあり、ホテルやコパンの街を見渡すことができた。その後、広場まで行くと「夢の跡」という風情だった。
朝の内は霧なのか靄なのか、青空が望めないのは毎日のことだ。
毎日ホテルが変わって毎日長距離バス移動はやっぱり体力的に辛い。今日は、朝食がボックスではなくホテルでいただけるのが嬉しい。
6時半から朝食だ。
1時間後にはバスで出発することを考え、パンケーキとコーヒー、フルーツにヨーグルトと軽めの朝食に抑えておいた。
7時半にホテルを出てバスが待つ坂道の下まで歩く。バスは7時40分にコパン村を出発した。
本日の予定について説明がある。国境を越えてグアテマラに戻ってまずキリグア遺跡の見学、その後は湖畔でお昼ごはんを食べ、あとはひたすら北上してティカルを目指す。「順調にいって4時間15分くらい。大型バスはあまりスピードが出せないので・・・。」というガイドさんの談だ。19時半くらいにはフローレスに着きたい、という行程だという。
「国境を越える際には果物の検疫所があるので、持っている人は隠しておいてくださいね。」と言われる。たまに、国境を越える際に、貴重品だけ持って客はバスを降り、荷物検査をされることがあるそうだ。
コパンは標高600mくらいで多少涼しかったけれど、これから行くキリグアは標高65〜100mくらいでかなり暑いし、虫も出やすいという。また、ティカルやコパンでは木陰を歩けるけれど、キリグアは芝生の広場をひたすら見学するので、直射日光を遮るものがない。余計に暑く感じるという寸法だ。
ホンジュラスは、本当に国境からちょっと入ってコパン遺跡を見学しそのままトンボ帰りしてしまったので実感がないけれど、グアテマラとホンジュラスでは、ほんの少しだけホンジュラスの方が国土面積が広い。でも、人口は、グアテマラがホンジュラスの倍ほどいるという。
主要な農産物はグアテマラがコーヒー、ホンジュラスはバナナだ。最近はホンジュラスもコーヒーに力を入れている。
グアテマラのコーヒーは有名だ。
ガイドさんは、美味しいコーヒーを買いたいなら、空港の免税店にアナカフェ(Association Nacional del Caféの略称)と呼ばれるグアテマラ全国コーヒー協会が出店していて、そこの「アンティグア」という銘柄がお勧めだと言う。また、「ウエウエテナンゴ」という銘柄もお勧めだけれど、こちらは若干酸味が強いそうだ。
この写真は、ガイドさんのお勧めに半分従ってグアテマラシティの空港で購入した、アナカフェのウエウエテナンゴである。
コーヒーは、アラビカ種とロブスタ種があって、アラビカ種は熟す時期がバラバラなので手摘みが必須、ロブスタ種は一気に機械での収穫が可能だ。
しかも、アラビカ種はとても弱くて栽培も難しい。
ベトナムなどがロブスタ種のコーヒー豆の産地として近年伸びて来ているけれど、でも「あまり美味しくない」というのが定説で、ほとんどがインスタントコーヒー用になっているという。
ガイドさんはこのコーヒー摘みから飲めるようにするまでの一通りを体験したことがあるという。
コーヒー豆摘みは乾季の11月ころに行うので、埃が凄い。そして、手で摘むためにコーヒー豆の果汁が手などにつき、その果汁に埃がついて、1日終わる頃にはもう真っ黒になってしまう。
コーヒー豆の皮を剥くのに手でやっていたら腱鞘炎になりそうだったから足で踏んだり、お肉をミンチにする機械にかけたりして何とかむき終わり、その後は数日干して乾燥させ、さらに薄皮を剥く。お米をつくのと同じように瓶に入れて棒で突くのが一番効率的だったそうだ。
そこで皮が剥けたコーヒー豆は緑色をしている。輸出するのはこの状態の豆だ。
飲む場合には、25分くらい焙煎する。
待ち時間にガイドさんが回してくれたこのお金は、コーヒー農園の中だけで流通していたお金である。
1700年代頃まで、農園の中だけで生活が完結するようになっていて、農園主がお金を作り、働いている人たちへの給料もこのお金で払い、生活に必要なものを農園の中で売っていたらしい。
農園主はいくらでもお金を作れるということになって、これでは、農園主だけが丸儲けである。ガイドさんは割とあっさりと説明していたけれど、ちょっとぞっとした。
現在も、原住民の方をコーヒー実摘みの労働力として安く使えるからこそグアテマラのコーヒーは国際競争力を維持できているというから、構造としてはほとんど変わらないのかも知れない。
道ばたにトラクターの列が見えてきた。
国境越えのための荷物検査を待つ車だそうだ。コパンを出発してから15分くらいである。
ついでに、闇両替商も商売に励んでいる。我々は出入国手続きはガイドさんにお任せして、バス内で待機だ。
また、グアテマラに入ると再び観光警察の方に護衛して貰うので、その手続きと支払いも行ったらしい。警察が護衛に付くって凄いよなぁとも思うし、護衛がいないと不安って相当に治安が悪いんだろうなぁとも思う。
再び出発し、車窓風景を楽しみながら、バスはキリグア遺跡に向かう。8時過ぎになると、霧が晴れ、青空が広がるのはいつものことだ。
9時前に、ガソリンスタンドでトイレ休憩になった。
しかし、ここで気になったのは、ガソリンスタンドでもトイレでもなく、そのお隣でコーヒー豆を天日干ししていたところだ。
カメラを向けるとポーズを取ってくれたこのお兄さんたちが、甲子園球場みたいな道具でコーヒー豆を平らにし、まんべんなく日光が当たるようにしている。
「少しならOK」と言ってもらい、このうちの何粒かをお土産にいただいた。
9時40分くらいに、モタグア川を渡った。そこからすぐのところに昨日も通った分岐点があり、アトランティック街道に入る。
カリブ海側のプエルト・バリオスから太平洋側のプエルトケツアルへ抜けるこの街道の交通量は相当多い。パナマ運河を通ると通行料が激しく高くなるからだという。
この渋滞解消のために鉄道を通すという計画もあるけれど、ガイドさん曰く「この国の事情から考えて、私がガイドをやっている間に鉄道が通ることはないでしょうね。」ということだ。
長距離バス移動中、ガイドさんからグアテマラの織物の話を聞くことができた。布とか織物とか好きだし、グアテマラのウィピルもかなり興味があるけれど、残念ながらマヤ遺跡に特化したこのツアーでは織物や民族衣装に触れる機会はほぼないと言っていい。だからガイドさんの話は楽しかった。
しかも、今回案内して貰ったガイドさんは、ご自身でも織物を集めたり、織ったりされていて、その作品を回して見せてくださる。
見せて頂いたグアテマラの織物は、どこか地方特有のもので、藍とコチニール(サボテンにくっつく虫で赤い色を出す)で染めたものが多いらしい。
そして、裏表どちらからでも綺麗な模様を見せるのがポイントだ。
その村に行って、1ヶ月くらい滞在して習ったそうで「今、織れと言われても織れません。」と言う。だから、ご自分で習って織ったものは全て手元に残してあって、今後、再び織るときのお手本とするつもりだと言う。
グアテマラの織物はいわゆる織機というようなものは使わず、棒と自分の腰とで縦糸を作り、そこに織り込んでいく。
ホームステイして習っているときに、家の前を行く小学生に「一段織るのにどれくらいかかる?」と聞かれて、「30分くらいかな。」と答えたら、その子に「うちのお姉ちゃんは3分くらいで織るよ。」と言われたらしい。
グアテマラでは、早い子だと5歳くらいから織物を習い始め、もう柄などは身体にしみ込んでいて、一々確認したりしていないみたいだったとはガイドさんの話だ。
しかし、グアテマラでもお母さんが外で働くようになって、段々「母から娘へ」教え継がれることが難しくなってきているというから、勿体ないよなぁと思う。
着る方にも「時代の波」は押し寄せてきていて、これまでは村々で特有の織物があり、その村の人はその村の織物で作ったウィピルを身につけていたけれど、今は違ってきているという。
交通機関の発達で隣の村に簡単に行けるようになったり、テレビが普及して情報も沢山入るようになったりして、「自分の村の織物」を身につけるのではなく、「自分の気に入った」洋服を着るようになっているらしい。
それはそうだよなという気持ちと、やっぱり勿体ないよという気持ちとが両方浮かぶ。
今、流行っているのはレースだそうで、そうなると既に織物ですらない。
茶綿という、お茶の色をしている綿がある。それは繊維が短いため、機械で紡ぐことはできず手で紡ぐしか糸にする方法がない。
そうなると、もちろん、製品のお値段は跳ね上がる。ガイドさんがついた少し前の同じ旅行社さん主催のツアーで、茶綿を藍で染めた糸で織られたテーブルセンターをお買い求めになった方がいらして「とても高価でしたね。」としみじみとおっしゃっていたのが何となく可笑しい。
私がグアテマラシティの空港で購入したこちらなどはまさしく「お土産用」だ。やはりお土産用で凄くいいもの、というのはなかなかないらしい。
キリグアが近づいてきたためか、ガイドさんは、この地で宿を経営している日本人女性のお話を始めた。
その方は、この場所が気に入って山を買い、地元の人に頼んで宿を建て、土地の食材を使ってグアテマラならではのお料理や日本料理でおもてなしをしているそうだ。
後で調べたら、その宿は、ポサダ・デ・キリグアというお宿だった。
もちろん、今回のツアーで訪れることはできないけれど、泊まってみたいなぁと思った。
バスは1時間以上も走り続け、周りがいきなり整った畑状態になったと思ったらそこはアメリカ資本のバナナのプランテーションでだった。11時近くになってキリグア遺跡に到着である。
キリグア遺跡の周りは、丸ごと全て、バナナのプランテーションである。
だから、一時期はキリグアには大きな病院があったり、グアテマラ一番のホテルがあったり、ガイドさん曰く「アメリカの飛び地」のような感じだったらしい。現在、そういう片鱗はない、ような気がする。
暑いので水、タオル、帽子を持って行きましょうという注意があった。バスを降りて遺跡入口に向けて歩き始める。
これまで訪れた遺跡のなかでキリグア遺跡が一番混雑しているような気がする。混雑といってもたかが知れているけれど、しかし、一番人が多いのは確かだ。
ガイドさんにそう言うと「パレンケよりもこちらの方が多いんですか?」と驚いていた。なるほど、パレンケ遺跡というのはマヤ遺跡の中でもスターなんだなと思う。
まずはお手洗いを済ませて落ち着いてから、遺跡に向かう。
キリグアは1981年にユネスコ世界遺産に登録されている。単純な私などからすると、「キリグアって何だか存在感が薄い。建物ないし。」ということになるけれど、そうブツブツ言うたびに、先生から「世界遺産なんですよ!」という悲鳴のような訂正が入っていた。
しかし、このツアーで見学する中から「マヤの四大遺跡」を選ぶとすれば、それは、パレンケ、カラクムル、コパン、ティカルの四つに軍配が上がると思う。
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