中米3ヶ国旅行記6日目その3
2012年12月20日(木曜日)
昼食をいただくリオ・ドゥルセという街まで1時間くらいかかるという説明で、再びお手洗いを済ませておく。
リオは川、ドゥルセは甘い、という意味だ。つまりドルチェだなと納得する。ドゥルセ川は、その街から40kmくらいでカリブ海に注ぎ込む。
お手洗いでちょうど、もう一方のツアーの添乗員さんと入れ違いになったところ、ふとみると、個室内にバインダーノートが置いてある。悪いかなと思いつつめくってみると、どう見ても日本語である。恐らく先ほどの添乗員さんのノートだろう。
お手洗いから出たところで周りを見回してみたけれど、彼女がこちらに向かっている様子はない。どうやら気がついていないようだ。ちょっと不安になりつつ、「このノート、違いますか?」と聞いてみたところ、「バインダーだけでした? カメラありませんでした?」と泡を食ってバッグをかき回している。幸い、カメラは元々バッグの中に入っていた。
「このノート、命より大切なんです。」とおっしゃるので、いつもは「命の次に大切なパスポートです」って強調しているのになぁと可笑しくなって、「そうですね〜、パスポートは再発行できますけど、ノートはできませんからね〜。」と返した。
昼食をいただくレストランはRANCHON MARYという、川に面した、リゾートっぽいなかなか素敵なところである。今回のツアーで行ったレストランの中で一番素敵だったと思う。
メニューは、グリーンサラダ、タパードスというガリフナ料理、これにライスがつき、フルーツとコーヒーである。
タパードスは、ココナツミルク風味の海鮮スープで、ブイヤベースよりもこってりしている。魚介の味がしみ出ていて美味しい。えびや蟹も入っている。バナナも入っているところがポイントだ。
美味しかったのに、これがもの凄いボリュームで、とても飲みきれなかったのが申し訳ない。
昨夜のお酒もご一緒した方に「飲まない?」と誘っていただき、「この辺りっぽいカクテルはない?」とお店の方に聞いて一緒に注文してくださった。
7米ドルだから、お安くはない。
味の方は、「うーん、ジュース? にお酒が入っていることは判る? かな?」というのが二人の共通した感想である。ラム酒が入っていたと思うけれど、如何せん、野外レストランで風は吹いているものの暑いし、お腹は空いているし、喉は渇いているし、今ひとつ「味わう」という感じに行かなかったのが申し訳ない。
15時過ぎにレストランを出発し、5分も走らないうちに写真ストップとなった。
リオ・ドゥルセである。
この橋は、1980年に完成した全長500mの橋だ。橋ができる前は渡し船を使っていたという。
橋を挟んだ反対側は、イザバル湖で、グアテマラで一番の大きい湖だという。一番大きいのに深さが10mくらいしかないというのが驚きだ。
川の上は風が吹き抜けていて、涼しい。帽子が飛ばされそうになった。
ここは天然の港で、スペインが物資を運び出す基地になっていたため、それを狙った海賊などを防ぐために要塞が築かれていたという。今は、見学もできるように整備されているそうだ。
午前中は日陰が少なく暑いキリグア遺跡をたっぷりと見学したし、オープンエアの気持ちのいいレストランで美味しい昼食を食べてお酒も飲んだし、あとは、夜までひたすらバス移動となれば眠気が差してくるに決まっている。
キリグアから今夜の宿のあるフローレスまでは約5時間だという。
昼食のときに添乗員さんから聞いた話では、この旅行社では通常ミラ・フローレス側(フローレス島の対岸)のホテルを押さえるけれど、今回は、マヤ暦が一巡するそのイベントのために大統領等々政府要人まで集まってくるため、フローレス島内のホテルになったそうだ。
そもそも明日、ティカル遺跡に入れるのかどうかも実は確かではないらしい。
それを売りにしたツアーを設定したのにそれでいいのかという気がしなくもないけれど、実際にそうだったのだから仕方がない。
添乗員さん自ら、バス車内でマイクを持ち「実は私たちも明日のティカル遺跡見学に関しては確かな情報を全く持っていません。ここからは、先生とガイドさんとがお持ちの、現地の情報網や人脈が頼りです。」とキッパリ宣言していた。
その「人脈」の一環ということなのか、もし一般の人の入場が制限されていても何とか特別許可が貰えるよう、宛先はどこだったか聞いて忘れたけれど、全員分のパスポート情報も送ってあります、と言う。
大事業だ。
16時前にベリーズ国境を掠めるモデスト・メンデスという場所を通過した。
山の上にはベリーズ軍が見張り台を築き、陣取っている。旗が翻っているのですぐ判る。グアテマラとベリーズでは、圧倒的にベリーズの方が軍事力が大きいそうだ。
ガイドさんは「歩いたら別にどこからでも入っちゃえそうですよね。」と笑う。確かに、面ではなく、線でもなく、点で国境を守っている訳だから、それほど厳重という感じではない。
16時45分にお手洗い休憩となった。
ずっとバスに乗りっぱなしだからか、15分という結構余裕のある時間設定である。ガソリンスタンドだから、お手洗いの数が多い訳ではないということもあるだろう。
トイレ・チップ代わりにコーヒー味のキャンディを買う。
外に5歳くらいの女の子がいて、写真を撮ってデジカメの画像を見せるとやっと笑ってくれた。スペイン語をしゃべれる方が彼女に話しかけ、キティちゃんのシールをあげていた。なるほど、コミュニケーションツールとしてキティちゃんやポケモンはかなり優秀なのだ。
バスが出発すると、添乗員さんが今仕入れがおやつを配ってくれた。コンデンスミルクを固めたお菓子で、激甘だ。
トイレ休憩後、割とすぐに果物検疫所に到着した。日によって検査の方法が違うそうで、ガイドさんも「今日はどんな検査でしょう。」などと言う。
結局、貴重品だけ持って全員が下車し、車内の検査が行われることになった。
どうしてこんなところで、国境でもないのに検査をするのかと思っていたら、高地からの果物は持ち込みが禁止されているという。
前にガイドさんが「写真を撮っていい?」と聞いたらダメだと言われたということだったので諦めたけれど、ここには10代かしらというような若い兵隊さんがいて、みんなの注目の的だった。
検査自体は3〜4分であっという間に終わった。
ガイドさんがエル・ミラドールに徒歩で行き、泊まりがけで見学したときの話をしてくれる。
徒歩である。63歳のときだそうである。驚きだ。ヘリコプターで行くツアーは徐々に出てきているけれど、徒歩は私には絶対無理だよなぁ、と思う。しかし、ヘリコプターで行くと、朝8時くらいに到着し、14時過ぎには出ないといけないので、見学できる範囲がかなり少なくなってしまうという話だ。
グアテマラ政府としては、エル・ミラドールも世界遺産に指定したいけれど、如何せん、発掘されている遺跡が少ない。ガイドさんにしてみると、その「発掘途上」の感じが良かったという。
聞けば彼女が行った前の晩にはジャガーが遺跡内に出没したりしていたそうだから、やはり、観光地として整備されるまでには結構な時間がかかりそうである。
17時15分過ぎ頃、窓外に夕陽が傾いているのが見えた。
マヤ長期暦の区切りの日の夕焼けである。
バスが大きくカーブを切って、もう使われていない飛行場を迂回するように走っていたので、何とか夕日が見られる角度になり、「これが最後の夕日ということではない」と判ってはいるけれど、でもやっぱり必死になって狙った。
先生も日が沈んでから「今のがマヤ暦今期最後の夕日でした。」とおっしゃっていた。
日が沈んでからかなり強いスコールに見舞われたりしつつ、バスは1時間半走り続けて、19時頃、フローレス島に到着した。
当初、「バスはフローレス島に入れず、荷物はミニバンに運んでもらって我々は橋を歩いて渡ってフローレス島に入ります。」と言われていたけれど、ルールが変わったのか、特別サービスなのか、フローレス島までバスで乗り入れることができた。
歩く距離が短くなるのは有り難い。
ホテルの前までバスで入ることはできないので、広場のような場所で下車する。
今夜の宿は、ホテル・ペテンである。ペテン師のペテンではなく、ペテン県にちなんだか、フローレス島が浮かぶペテンイツァ湖にちなんだか、どちらかだろう。
ホテルはコロニアルな感じの建物で、部屋ごとにタイプが違うらしい。鍵でくじ引きになった。
何でもいいだろうと思って最後に残った鍵をもらったら、男性お二方でしかしお二人とも一人参加というコンビが、「これじゃ、隣の部屋じゃない」とおっしゃる。大人同士なんだし、こんなに小さいホテルなのだし、隣じゃなくてもいいのでは・・・、と思わなくもなかったけれど、何だか視線を感じてお部屋の交換に応じた。
そうしたら、何と、交換後のお部屋は内側の窓のないお部屋で、ちょっとショックだった。
正確に言うと、窓はあるけれど、その窓は廊下に向いているので開ける訳にいかない。恐らくは今後の参考のためだろう、添乗員さんがわざわざ見に来たくらいだ。
本日の夕食は、ホテルのレストランである。20時前には食べ始めることができて有り難い。
メニューは、野菜スープ、自家製ソースがけ牛ステーキ、ケーキ、コーヒーだ。
マヤ暦の大晦日だからか、フローレス島全体がお祭り騒ぎをしているし、湖の対岸で花火が上がっているのが見える。やはり「お祭り」なんだなぁと思う。
galoというグアテマラのビール(5ドル)をいただきつつ食事をしていたら、突然、ブツンという感じで電気が消えた。停電らしい。
ホテルスタッフの方々は、何ら動じることなくテキパキと立ち働いている。
少しして、とりあえずレストランの照明は復活した。自家発電のようだ。どうやら、ホテルだけでなく、この一角は軒並み停電している様子である。
夕食後も半分かそれ以上のお部屋で電気が点かなかったようだ。
それなら早く戻っても仕方がないとホテルの玄関を出てみたけれど、島全体がわさわさしていて、観光客が気軽にふらふらできる雰囲気でもない。ツアーの方とホテルの看板の前で記念撮影をして、それで満足した。
ホテルの中に戻ると、添乗員さんたちは、懐中電灯を持ってきたり、ろうそくを配ったり、てんやわんやである。
怪我の功名というべきか、私のお部屋は何故か電気が点き、テレビも見られたし、コンセントも通電している。ただし、若干の不安を抱きつつ変圧器をつないでカメラの電池の充電を試みたところ、割とすぐ、変圧器の安全装置が作動して電気が切れていたから、かなり電圧が不安定だったようだ。
多分、今貯まっているお湯がなくなったらシャワーを浴びることもできないだろうと、まずは手早くシャワーを浴びた。ぬるま湯よりもぬるいという感じの温度だけれど、風邪はひかずに済みそうである。
テレビをつけると、ティカル遺跡からの生中継なのか、暗い中、火を焚いて儀式が行われているらしい映像を見ることができた。恐らくは、マヤ暦の新年を迎えるための儀式だろう。
しかし、画面全体が暗い上、ナレーションは何語なのかも判らない。
ずっと見ている集中力もないし、翌日も朝食が5時、ホテル出発は5時50分というハードスケジュールである。体力温存が大切と自分に言い聞かせ、22時半に就寝した。
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