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2014.07.06

中米3ヶ国旅行記7日目その1

2012年12月21日(金曜日)


 新年である。
 マヤ暦13バクトゥンの新年が明けた。
 当然のことながら、世界は終わっていない。どちらかというと普通の朝である。
 4時に起き、荷造りをする。今日はティカル遺跡の見学後、そのままグアテマラシティに飛ぶので、朝のうちに荷造りを済ませなくてはならない。当初予定ではフローレスにもう1泊して、翌朝にグアテマラシティに飛ぶことになっていたけれど、飛行機のスケジュールの変更により旅程も変更を余儀なくされた。


朝食 5時過ぎにレストランで朝食をいただく。まだ夜も明けていないのに、ボックスではなく、レストランで朝ごはんを食べられるのは嬉しい。
 もっとも、流石の私もいつものように山盛りのお皿にすることはできず、控えめな朝食(のつもり)である。
 それにしても、フローレスは暑い。
 今回の旅行中で、フローレス(引いては、これから行くティカル遺跡)が一番暑くなりそうである。虫除けを万全にしようと心に決める。


 5時50分にホテルを出発した。
 昨日の駐車場まで皆して歩く。荷物は別に運んでくれるから楽なものだ。途中で、バックパッカーっぽい若い女性に「ティカルに行くの? だったら一緒に行きたいんだけど。」という感じで声をかけられ、添乗員さんが「我々はツアーなので。」と答えていた。
 行き当たりばったりというか、チャレンジャーな感じでこの日にティカルを訪れようという彼女に脱帽だ。彼女は、結局、ティカル遺跡にたどり着けただろうか。


 バスは6時にティカル遺跡に向けて出発した。
 ガイドさんが、「今年は特に、ガイドをしているときに、何かが起こるの? と聞かれることが多くて。」と、そうした質問を受けた際に読んでいるというナショナル・ジオグラフィック誌に掲載されていた記事を読んでくれた。
 要するに、「2012年に世界が終わる訳ではない」「そもそも2012年にマヤ暦が終わる訳ではない」という記事である。
 それとは別に、2012年の12月21日が、マヤの世界にとって重要な日付であることは間違いない。5000年を超える周期の最初の日に巡り会える機会などまず滅多にない。貴重なことであるに違いない。


 フローレスからティカル遺跡までは約60kmで、普通に走れば車で1時間くらいだ。しかし、ティカルは1979年に自然遺産+文化遺産の複合遺産として登録されており、その指定地域内では車は時速45km以下で走らなければならないため、遺跡入口までは大体1時間半くらいかかるでしょうと言う。
 時速制限があるのは、道路に飛び出してくる動物を轢いたりしないようにという配慮のためと言われて納得した。出てこないとは思うけれど、ジャガーを轢いてしまったりしたら後生が良くない。
 ガイドさんも、鹿やハナグマ、七面鳥は見たことはあるけど、ジャガーは見たことがないと言う。車の通行も激しくなり、あまり動物が出ることはないそうだ。


夜明け 走り始めて30分くらいたった頃、木々と湖の向こうに見える山の端が明るくなっていることに気がついた。
 添乗員さんは、今日と1月1日と、この冬は初日の出が2回見られますねと言う。しかし、やはりグアテマラでも朝は薄曇りというか霧がかかっていて、「日の出」は見ることができない。
 何となく白い視界の向こうが段々明るくなってくる、という感じの夜明けだ。
 「華やかな日の出は拝めなかったわね。」「賑やかな夜更けはあったけれどね。」と笑い合う。


 何故こんな何もない場所でバスを停めたんだろうと思っていたら、どうやら、護衛のポリスを置いて来てしまったらしい。「明日の6時にここでって約束したのに、来ていなくて、気付かずに出発してしまいました、ごめんなさい。」とガイドさんが言う。
 その置いて来てしまったポリスが追いついてくるのを待つつもりが、それでは時間がかかりすぎる。どういう交渉の結果か、この近くにいるポリスが代わりに護衛してくれることになった。
 そんなに適当に公務を離れていいのか、かなり謎だ。制服に着替えているのが見えたから、非番の方々だったのかも知れない。いずれにしても、何だか可笑しい。


ティカル遺跡入口 7時くらいに、ティカル国立公園の入口に到着した。20分くらいロスがあったから、正味40分なら順調に走ったといえるだろう。
 ここからは時速45km走行になる。
 ここで入場時刻がチェックされ、駐車場でも時刻がチェックされるシステムになっているという。自然遺産を守るため、制限速度を守ったかどうかを確認するという。


 ティカル自然公園は576平方キロで、23区と同じくらいの面積がある。
 動物を殺してはいけないのはもちろんのこと、植物も無闇に採取してはいけない。自然公園なのだから当然である。動物を轢いてしまった車があって、その人は3日間ほど刑務所に入れられたという。だから、ドライバーさんも制限速度も守って慎重に運転している。


 ティカルの地に人が住むようになったのは、紀元前600年頃と言われている。
 その後、テオティワカン(今回のツアーでは行かない)やカミナルフユ(明日行くことになっている)などと交易を行いながらアクロポリスを形成し、8世紀から11世紀頃にかけて最盛期を迎えている。しかし、その後、衰退が始まり、1575年にスペイン人により、1848年にグアテマラ人により「発見」され、現在は全体の8%弱が発掘されている。
 本格的な発掘調査の開始は1956年だ。


 駐車場に到着したら、もの凄い数の車が駐まっていた。ガイドさんも添乗員さんも「こんなに混んでいるのは初めて!」と驚いている。いつも使っている入口に近い駐車場は満車だという。
 今日は、グアテマラ人に限って入場無料で、そのせいもあるのだろう。
 駐車場にテントを張っている人もいて、昨日から泊まり込んでいたらしい。確かに、昨夜から儀式というかイベントというか、そういったものが行われていた筈である。


文化遺産保存研究センター 今日は、グアテマラの大統領がティカル遺跡に来ていたため(恐らく、少し前に聞いたヘリコプターの爆音は、大統領が帰ったときのものだろうという)、文化遺産保存研究センターはそのためのコントロールセンターとして使われ、一般客は入場禁止である。
 しかし、そこは先生の「顔」で、「なるべくさりげなく入ってください」と無茶な注文がありつつ見学させて貰えることになった。
 この庭は「禅」をイメージしている。先生は「なかなかグアテマラの人には判って貰えない。」と嘆いたけれど、私だって言われるまで判らなかったよ、と思う。


 文化遺産保存研究センターは、JICAの一般文化無償資金協力事業の一環として建てられており、いわば、先生のティカル遺跡における研究の拠点である。2010年に日本とグアテマラとの間で署名がなされ、2012年7月6日にオープンしたばかりだ。
 その寄付総額5億4820万円というから驚きである。


修復中分類整理中


 修復の様子や分類整理の様子はガラス越しに見えるようになっている。
 しかし、実はここは「観光客向け」に用意されたところであり、先生達の研究室はさらに奥にある。「ライブラボ」と呼ばれている。
 その他に、収蔵庫も用意されている。しかし、まだ全体の見学コースは「準備中」という感じだ。
 ティカル文化財の保存のために建設された場所で、これまで、安全かつ持続的に発掘物を保管する場所すらなかったということ自体、驚く。併せて、展示も行い、2013年に中米の研究者を集めて、金沢大学とここで研修も行う予定だという。
 正しく「拠点」という感じだ。


国際協力 グアテマラにはかなり日本からの経済協力が行われている。
 先生たちは、外務省に対して、経済と文化を分けて考えるのではなく、文化的な協力こそが(額は小さくとも)グアテマラの人たちの心に残ることも多いのだということを折にふれ主張しているという。
 その成果もあって、来年早々に外務省の視察が入る予定があり、また、文化遺産保存研究センターに関してはODA白書にも載ることが決まっている。
 建物を作ることが目的なのではなく、その建物ができたことはスタートであり、この先に何をやって行くのかが重要だという。


 例えば、データをスキャンして全てをサーバに収める活動もすでに始まっているという。
 こうした援助は「買っていいもの」と「買ってはいけないもの」が厳格に決められているらしい。先生が「これは買っていいと言われているので」と苦笑まじりに解説してくれる。どうやら、日本で調達できるものは日本で調達して運べ、というスタンスらしい。
 機動性に欠けるけれど、一定の制限は仕方がないということかも知れない。


 特別に倉庫も見学させてもらった。残念ながら(というか、当然のことながら)、写真撮影はご遠慮くださいと言われる。
 日本の援助で作られたということで、机にも、ケースにも、全て日本の国旗がマークとして入っている。そこまでしなくても・・・、という感じもするが、恐らくは「必要な主張」なんだろう。
 また、「いかにも日本らしい」と思ったのは、そのケースの蓋が何色か用意されていたことだ。「色で分類できるといい」と用意されたらしい。現状、色による分類はなされていないっぽかった。そういうことも「今後の課題」なんだろう。


アクセサリ陶器


 博物館ではないので、展示物はそれほど多くはない。展示スペース自体はそれほど広くなさそうで、拡大するというよりは、展示替えをして行く感じになるのだろう。
 アクセサリ類と、お皿や茶碗などの器がメインである。
 ツアーの方が「これ欲しい!」と、ネックレスに熱い視線を送っていた。


器 途中で、文化遺産保存研究センターのディレクター(責任者)である女性が来てくれた。意外と若い女性で、驚いた。彼女も、研修で来日する予定だという。
 この建物は、クリーンエネルギーの活用も試みられていて、地中に空気をくぐらせることによって、涼しい風を送ったり、太陽光エネルギーで発電して扇風機を回したりしているそうだ。エアコンはなくても大丈夫らしい。
 また、太陽光を集めることで電灯をつけなくても室内を明るくする工夫もなされている。


 その彼女に、ツアーメンバーの方が、例えば発掘されたアクセサリ類のレプリカを作ってお土産として売ったらいいんじゃないかと質問していた。「いいアイデアですね。」という反応だ。ただ、レプリカを作成するには許可が必要だし、レプリカを作れる技術のある人を育てる必要があるという。
 また、このセンターの維持管理するための財源をどうやって確保するかという問題とも繋がっており、会議でもそういうアイデアが出て、ビジターセンターのお土産物屋でレプリカを売り始めたそうだ。
 後になって、このときの会話が、金沢大とグアテマラ政府との新たな協定締結に繋がったのかしらと思ったりもした。


 文化遺産保存研究センターの見学も終了し、8時くらいにいよいよティカル遺跡に入った。


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