中米3ヶ国旅行記7日目その2
2012年12月21日(金曜日)
駐車場をもう1回抜けてティカル遺跡の中に入って行く。
駐車場は、ティカルを最初に発掘しようとしたときにペンシルバニア大学のチームがまず滑走路を作った場所だ。米国人、恐るべしである。
さらに、駐車場近くに沼があり、そこを水場にして、今ホテルが建っている辺りは、発掘のためのキャンプサイトとして使われていたらしい。まず兵站から、という感じがいかにも米国的である。
ふと「この下に、実は貴重な遺跡が、なんてことはないんですか?」と尋ねてみたら、先生は一瞬詰まって「それはあるでしょうね。」と答えた。発掘開始時点で、どこまでがティカルの範囲だったのか判る筈もないのだから当たり前である。
先生もガイドさんも「こんなにたくさんの人をティカル遺跡で見たことはない。」と言う。
意外と、我々とすれ違いで帰ろうとする人が多い。彼らは一体何時頃から来ていたのだろうか。日の出の儀式を終えて(あるいは見終わって)、すでに遺跡見学も終えたのかも知れない。
8時過ぎ、ティカル遺跡の内部に向けて歩き始めた。
自分で取ったメモによると、まず最初にチコ・サポテの木を見た模様だ。
チコ・サポテの木は、1立方メートルで1tあるというから、相当に重い。どなたかが「それじゃあ水に沈むんですね」とおっしゃって、おぉ! と思った。水に沈む木って何だかヘンである。
カラクムル遺跡に行く途中ではあんなにがんばって見ようと思っていたのに、この辺りのやりとりを含めて全く覚えていない。我ながら移り気な話だ。
その代わりに、世界樹の木を見上げたことは覚えている。パレンケ遺跡のレリーフに描かれていた世界樹(セイバの木)だ。
この変わったフォルムを見て「世界樹」と呼びたくなった気持ちも判るような気がする。マヤの人たちにとっては、非常に「聖なる」木である。
世界樹は、上下を引っ繰り返しても同じに見えるんじゃないかというような形をしている。この辺りは石灰岩質の土壌で、土はほんの数cmしかないため、根っこは地上を横に横にと伸びている。
ティカル遺跡の中の道は、はっきりと「車道」である。
いつもは車で入ることはできないけれど(先生たちは徒歩で遺跡に入ること自体が稀らしい)、今日はイベントがあるので若干の車の通行がある。
「一度、4号神殿まで往復したら16000歩だった。」とおっしゃったくらい、歩かないらしい。
先生の予測は「今日1日で30000歩」だけれど、果たしてどうだろうか。今日のコンセプトは「上れるところはできる限り上ってもらう」だと笑っていた。
途中、ヤシャクトゥン遺跡に向かう分岐を経て、最初に現れたのはコンポレッホ(複合体)Qである。
コンポレッホは、東西に双子のピラミッドが向かい合い、北と南に部屋が分かれている。石碑もある。
そして、発掘されている東のピラミッドも背中は小山のままである。
我々が最初に目にしたのは、このピラミッドの背中だし、ちなみに、ペンシルバニア大学のチームが最初に発見したのもこのコンプレッホQである。
正面に回ると、それなりの高さのあるピラミッドである。
先生は、表面が漆喰で塗られ、さらにそこに絵が描かれたりしていたのではないかと言う。猿なのか鳥なのか、甲高い泣き声が聞こえている。
東と西のピラミッド、南と北の建物は、「双子」という名のとおり、同じに作られている。北の建物には中に石碑が作られ、神様と祖先と両方が祀られている。
いつかの先生のお話にあったとおり、コンポレッホQでは二つあるピラミッドのうち、西の方はまだ全体が「小山」のままである。将来の発掘を待っているという感じだろうか。
これまでに比べて、上りやすい段差である。
「まずは足慣らし」と、ツアーメンバーのほぼ全員が上ったと思う。
ティカルには8〜9のこうしたコンプレッホと呼ばれる建物群があったけれど、そのうちのいくつかは潰されてしまっているという。その上にサクベを作られ、ついでにそのサクベの材料にされてしまったらしい。
こうしたコンプレッホはティカルに典型的なもので、ティカルから広がった、ティカルをマネしたと思われるコンプレッホが他でも発見されている。
ピラミッドに上がると、一つだけ飛び出た石碑の向こうに丸い焼け跡のようなところが見える。そこは、政府が指定した「儀式を行う場所」だ。
ガイドさんが言うには、キリグアで目にしたのはいわば「賑やかし」の方々であって、マヤの人が儀式を行うならあんなに賑やかなものにはならないそうだ。
特に指定しないとどこででも儀式が行われてしまうので(それは、昔もそうだったということなのではないかと思う)、政府が場所を指定したらしい。
北の家の中にある石碑はレプリカで、本物は博物館だ。
石碑は、マヤアーチの中に納められている。そういえば、屋内にある石碑というのは、かなり珍しいように思う。あまり見た記憶がない。
カラクムルと同じように、この石碑の材料は石灰岩だ。割と綺麗なのはレプリカだからで、ティカルの石碑の保存状態が特に良い訳ではない。実際、西のピラミッドのすぐ側にある石碑は倒され放題で、刻まれている筈の文字などもあまり判別できなかった。
8時半を回っても今日は青空が広がらない。
明るいけれど、白い。朝日を望もうと思ったら、2月くらいがいいそうだ。覚えておこうと思う。
ちょうどこの辺りを見学しているときに、ヘリコプターが上空を旋回し、去って行くのが見えた。大統領が帰ったんじゃないかしらと思う。
コンポレッホQのすぐ隣にコンポレッホRがある。これは、北の建造物と石碑だ。
コンポレッホRのピラミッドを見た覚えがないから、まだ発掘されずに小山のままなのかも知れない。ピラミッドがないとどうにも地味である。
この石碑の前の丸いテーブルのようなものは祭壇で、ここに動物が捧げられたりしたのではないかということだ。
そう考えるとちょっとぞっとしなくもない。
要所要所で地図を示して「今どこを歩いているか」ということは教えてもらったにも関わらず、生来、方向音痴の私はティカル遺跡のどこをどう歩いていたのか、最後までよく判らなかった。
コパン遺跡も現在地がよく判らなかったけれど、ティカル遺跡はそれ以上だ。
コンポレッホRを過ぎてグランプラザに向かう途中、1号神殿の後ろ姿を望むことができた。
グランプラザでは、マイクを使って何やらイベントをやっているらしい。人の声と音楽が聞こえる。
グランプラザの中に入ると、やっと1号神殿を正面から拝むことができた。
グランプラザは完全にイベント会場と化していて、木琴を使った音楽が流され(実際に演奏していがグループはガイドさんのお友達らしい)、先生は「鹿の踊りが行われている。」と言う。果たしてどれが「鹿の踊り」なのかよく判らない。
アナウンスは恐らくスペイン語で、何を言っているかさっぱり判らない。
しかし、黒い衣装を着た子ども達のオペレッタがなかなか可愛かった。善と悪のお話、だったらしい。演じていた女の子に声をかけ、写真を撮らせてもらった。
1号神殿を背景にした舞台で演じられるところが、「価値」だ。
これはどう考えても「セレモニー」ではなく「イベント」だろうという気がする。
子ども達の踊りも、キャンプファイヤーのように燃やされていた火も、何かの意味があるのだろうとは思う。しかし、伝統を守るとか古式に則りといった風情はあまり感じられない。
何だかちょっと勿体ないような、ショックなような気もした。
笛と木琴がベースになっている音楽はどこか懐かしく、マイクなしで聴いてみたい。
イベントの様子を眺め楽しんだ後、9時頃、北のアクロポリスに上った。いつもは静かだろうアクロポリスも、今日は観客席と化している。
北のアクロポリスは先生たちのプロジェクトの対象となる地域で、この写真で左端にやっと写っている小山がその本命である35号神殿だ。
北のアクロポリスは長期間にわたって増改築が行われた重層建築で、今残っているのは6世紀頃の建築だ。この上に大きなピラミッドがあったけれど、ペンシルバニア大学の調査で壊されてしまっている。それではまるで、調査じゃなくて破壊じゃないかと思う。
33号神殿に残るマスク(仮面)は、神殿に上るために使われていた階段の両脇に飾られていたものだ。
同様のものをコパンでも見ましたね、と先生は言うけれど、そうだったかしら? という感じだ。トンネルの中で見たらしいけれど、トンネルは湿度が滅茶苦茶高かったことと、その湿度でアクリルが曇ってしまって内部が見にくかったことしか覚えていない。
コパンは6世紀、ティカルは5世紀、それぞれ、代表的な建築様式だという。
もう一つのマスクがこの写真である。正直、マスクの表情の見やすさは、黴に覆われた黒いマスクの方が上だと思う。
しかし、保存状態としてはこちらの方が断然いい。
先ほどの黒いマスクも、1968年に発掘されたときは白い状態だったという。真っ黒になってしまったマスクを、果たしてこの先どのように保存すればいいのか、一大問題だそうだ。
1958年にペンシルバニア大学の調査チームが発掘を始めた頃は、遺跡修復のやり方を定めたヴェニス憲章はまだなく、もちろん「世界遺産」という制度もなかったため、セメントで固めてしまっている。
そのセメントが、修復された遺跡に悪影響を及ぼしてしまっているらしい。
遺跡の保存、修復、利用が一大研究テーマになる所以、なのだと思う。
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