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2014.07.28

無事、帰宅する(奥日光2014)

 2014年7月27日(日)から1泊2日で、母と奥日光に行って来た。
 まるごと日光 東武フリーパスを購入し、ホテルを手配した、完全な個人旅行である。いつものことながら、こうした場合、私は母の専属添乗員となる。

 27日の雨の予報に「優雅なリゾートホテルライフ」を計画したものの、根が貧乏性な母と私は、ちょっと天気が回復すると「せっかくだから歩こうか」となり、結局、2日間とも結構ヘトヘトになるまで歩いてしまった。

 この1泊2日の旅行にかかった費用は、一人分約29500円だった。ここには、交通費、ホテル代、食事代、入館料等が含まれているが、お土産代は含まれていない。

 また、初日の万歩計は17809歩、2日目は10834歩で、疲れたなぁという割に歩数が伸びておらず、釈然としない。

 涼しい(下手をすると寒いくらい)清々しい空気の中を歩いて、リフレッシュできた、と思う。
 母と、次はいつ来ようかなどと帰る前から話していたくらいである。
 やっぱり日光はいい、と思う。

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奥日光旅行記(2014)2日目(引っ越しました)

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 奥日光旅行記(2014)は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

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 1日目その1 2014年7月27日(日曜日)

 1日目その2 2014年7月27日(日曜日)

 2日目 2014年7月28日(月曜日)

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2014.07.27

奥日光旅行記(2014)1日目その2(引っ越しました)

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 奥日光旅行記(2014)は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

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 1日目その1 2014年7月27日(日曜日)

 1日目その2 2014年7月27日(日曜日)

 2日目 2014年7月28日(月曜日)

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奥日光旅行記(2014)1日目その1(引っ越しました)

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 奥日光旅行記(2014)は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

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 1日目その1 2014年7月27日(日曜日)

 1日目その2 2014年7月27日(日曜日)

 2日目 2014年7月28日(月曜日)

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奥日光旅行(2014)に出発する

 今日(2014年7月27日)から1泊2日で母と奥日光に行ってくる。

 少々変わったけれど、持ち物リストは以下に。

続きを読む "奥日光旅行(2014)に出発する"

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2014.07.19

行きの足を確保する(奥日光2014)

 2014年7月27日から1泊2日で、母と奥日光に行くことになっている。
 三度目の奥日光である。
 これまで2回は日光湯元温泉に泊まったのだけれど、今回は中禅寺金谷ホテルである。若干緊張するなぁなどと思っている私はやはり小心者である。

 それはともかくとして、ホテルでは日光駅からの送迎バスが用意されており、そちらを利用するつもりだったのだけれど、行きはともかく帰りの時間がどうにも利用しづらい。
 それなら、気楽にどんどん路線バスを使える方がいいかもしれないと思い直し、まるごと日光東武フリーパスを購入することにした。発駅からの往復の電車賃(特急券は含まない)と、日光駅から日光湯元等までのバスに乗り放題という切符である。
 便利だ。
 しかも、かなりお得感が高くて、日光と中禅寺湖畔を結ぶバスを片道しか使わなくても十分元が取れそうである。

 今日(2014年7月19日)、池袋まで行く用事があったので、ついでに東武トラベルでフリーパスを購入し、併せて行きの特急券を押さえてもらった。

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2014.07.17

空港宅配の無料券が届く(香港&クルーズ)

 クレジットカードの特典で空港へのスーツケース宅配サービスを無料で使えるので、2014年7月13日にサイトからリクエストを出した。
 年間2回(行きと帰りの両方使うと、それで「2回」とカウントされる))までのサービスである。

 8月の香港クルーズ旅行では、帰りは朝早くに成田に着く予定なので、宅配を頼まずに帰宅して荷物整理をしたいような気もするけれど、雨かも知れないし、カードの有効期限の関係で、どうせ9月までしか使えないのだ。8月の使用予定で申し込めば9月一杯使えるので、手元に持っておくことにした。
 リクエストを出して4日で届いたから、急な予定にも対応できそうだ。

 せっかくなので、忘れずに使わなければと思っている。

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2014.07.13

中米3ヶ国旅行記7日目その2

2012年12月21日(金曜日)


 駐車場をもう1回抜けてティカル遺跡の中に入って行く。
 駐車場は、ティカルを最初に発掘しようとしたときにペンシルバニア大学のチームがまず滑走路を作った場所だ。米国人、恐るべしである。
 さらに、駐車場近くに沼があり、そこを水場にして、今ホテルが建っている辺りは、発掘のためのキャンプサイトとして使われていたらしい。まず兵站から、という感じがいかにも米国的である。
 ふと「この下に、実は貴重な遺跡が、なんてことはないんですか?」と尋ねてみたら、先生は一瞬詰まって「それはあるでしょうね。」と答えた。発掘開始時点で、どこまでがティカルの範囲だったのか判る筈もないのだから当たり前である。


 先生もガイドさんも「こんなにたくさんの人をティカル遺跡で見たことはない。」と言う。
 意外と、我々とすれ違いで帰ろうとする人が多い。彼らは一体何時頃から来ていたのだろうか。日の出の儀式を終えて(あるいは見終わって)、すでに遺跡見学も終えたのかも知れない。


 8時過ぎ、ティカル遺跡の内部に向けて歩き始めた。
 自分で取ったメモによると、まず最初にチコ・サポテの木を見た模様だ。
 チコ・サポテの木は、1立方メートルで1tあるというから、相当に重い。どなたかが「それじゃあ水に沈むんですね」とおっしゃって、おぉ! と思った。水に沈む木って何だかヘンである。
 カラクムル遺跡に行く途中ではあんなにがんばって見ようと思っていたのに、この辺りのやりとりを含めて全く覚えていない。我ながら移り気な話だ。


世界樹 その代わりに、世界樹の木を見上げたことは覚えている。パレンケ遺跡のレリーフに描かれていた世界樹(セイバの木)だ。
 この変わったフォルムを見て「世界樹」と呼びたくなった気持ちも判るような気がする。マヤの人たちにとっては、非常に「聖なる」木である。
 世界樹は、上下を引っ繰り返しても同じに見えるんじゃないかというような形をしている。この辺りは石灰岩質の土壌で、土はほんの数cmしかないため、根っこは地上を横に横にと伸びている。


 ティカル遺跡の中の道は、はっきりと「車道」である。
 いつもは車で入ることはできないけれど(先生たちは徒歩で遺跡に入ること自体が稀らしい)、今日はイベントがあるので若干の車の通行がある。
 「一度、4号神殿まで往復したら16000歩だった。」とおっしゃったくらい、歩かないらしい。
 先生の予測は「今日1日で30000歩」だけれど、果たしてどうだろうか。今日のコンセプトは「上れるところはできる限り上ってもらう」だと笑っていた。


コンポレッホQ 途中、ヤシャクトゥン遺跡に向かう分岐を経て、最初に現れたのはコンポレッホ(複合体)Qである。
 コンポレッホは、東西に双子のピラミッドが向かい合い、北と南に部屋が分かれている。石碑もある。
 そして、発掘されている東のピラミッドも背中は小山のままである。
 我々が最初に目にしたのは、このピラミッドの背中だし、ちなみに、ペンシルバニア大学のチームが最初に発見したのもこのコンプレッホQである。


東のピラミッドの正面西のピラミッド


 正面に回ると、それなりの高さのあるピラミッドである。
 先生は、表面が漆喰で塗られ、さらにそこに絵が描かれたりしていたのではないかと言う。猿なのか鳥なのか、甲高い泣き声が聞こえている。
 東と西のピラミッド、南と北の建物は、「双子」という名のとおり、同じに作られている。北の建物には中に石碑が作られ、神様と祖先と両方が祀られている。
 いつかの先生のお話にあったとおり、コンポレッホQでは二つあるピラミッドのうち、西の方はまだ全体が「小山」のままである。将来の発掘を待っているという感じだろうか。


ピラミッドの上から これまでに比べて、上りやすい段差である。
 「まずは足慣らし」と、ツアーメンバーのほぼ全員が上ったと思う。
 ティカルには8〜9のこうしたコンプレッホと呼ばれる建物群があったけれど、そのうちのいくつかは潰されてしまっているという。その上にサクベを作られ、ついでにそのサクベの材料にされてしまったらしい。
 こうしたコンプレッホはティカルに典型的なもので、ティカルから広がった、ティカルをマネしたと思われるコンプレッホが他でも発見されている。


 ピラミッドに上がると、一つだけ飛び出た石碑の向こうに丸い焼け跡のようなところが見える。そこは、政府が指定した「儀式を行う場所」だ。
 ガイドさんが言うには、キリグアで目にしたのはいわば「賑やかし」の方々であって、マヤの人が儀式を行うならあんなに賑やかなものにはならないそうだ。
 特に指定しないとどこででも儀式が行われてしまうので(それは、昔もそうだったということなのではないかと思う)、政府が場所を指定したらしい。


北の石碑 北の家の中にある石碑はレプリカで、本物は博物館だ。
 石碑は、マヤアーチの中に納められている。そういえば、屋内にある石碑というのは、かなり珍しいように思う。あまり見た記憶がない。
 カラクムルと同じように、この石碑の材料は石灰岩だ。割と綺麗なのはレプリカだからで、ティカルの石碑の保存状態が特に良い訳ではない。実際、西のピラミッドのすぐ側にある石碑は倒され放題で、刻まれている筈の文字などもあまり判別できなかった。


 8時半を回っても今日は青空が広がらない。
 明るいけれど、白い。朝日を望もうと思ったら、2月くらいがいいそうだ。覚えておこうと思う。
 ちょうどこの辺りを見学しているときに、ヘリコプターが上空を旋回し、去って行くのが見えた。大統領が帰ったんじゃないかしらと思う。


コンポレッホR コンポレッホQのすぐ隣にコンポレッホRがある。これは、北の建造物と石碑だ。
 コンポレッホRのピラミッドを見た覚えがないから、まだ発掘されずに小山のままなのかも知れない。ピラミッドがないとどうにも地味である。
 この石碑の前の丸いテーブルのようなものは祭壇で、ここに動物が捧げられたりしたのではないかということだ。
 そう考えるとちょっとぞっとしなくもない。


 要所要所で地図を示して「今どこを歩いているか」ということは教えてもらったにも関わらず、生来、方向音痴の私はティカル遺跡のどこをどう歩いていたのか、最後までよく判らなかった。
 コパン遺跡も現在地がよく判らなかったけれど、ティカル遺跡はそれ以上だ。
 コンポレッホRを過ぎてグランプラザに向かう途中、1号神殿の後ろ姿を望むことができた。
 グランプラザでは、マイクを使って何やらイベントをやっているらしい。人の声と音楽が聞こえる。


善と悪 グランプラザの中に入ると、やっと1号神殿を正面から拝むことができた。
 グランプラザは完全にイベント会場と化していて、木琴を使った音楽が流され(実際に演奏していがグループはガイドさんのお友達らしい)、先生は「鹿の踊りが行われている。」と言う。果たしてどれが「鹿の踊り」なのかよく判らない。 


 アナウンスは恐らくスペイン語で、何を言っているかさっぱり判らない。
 しかし、黒い衣装を着た子ども達のオペレッタがなかなか可愛かった。善と悪のお話、だったらしい。演じていた女の子に声をかけ、写真を撮らせてもらった。
 1号神殿を背景にした舞台で演じられるところが、「価値」だ。


 これはどう考えても「セレモニー」ではなく「イベント」だろうという気がする。
 子ども達の踊りも、キャンプファイヤーのように燃やされていた火も、何かの意味があるのだろうとは思う。しかし、伝統を守るとか古式に則りといった風情はあまり感じられない。
 何だかちょっと勿体ないような、ショックなような気もした。
 笛と木琴がベースになっている音楽はどこか懐かしく、マイクなしで聴いてみたい。


北のアクロポリス イベントの様子を眺め楽しんだ後、9時頃、北のアクロポリスに上った。いつもは静かだろうアクロポリスも、今日は観客席と化している。
 北のアクロポリスは先生たちのプロジェクトの対象となる地域で、この写真で左端にやっと写っている小山がその本命である35号神殿だ。
 北のアクロポリスは長期間にわたって増改築が行われた重層建築で、今残っているのは6世紀頃の建築だ。この上に大きなピラミッドがあったけれど、ペンシルバニア大学の調査で壊されてしまっている。それではまるで、調査じゃなくて破壊じゃないかと思う。


 33号神殿に残るマスク(仮面)は、神殿に上るために使われていた階段の両脇に飾られていたものだ。
 同様のものをコパンでも見ましたね、と先生は言うけれど、そうだったかしら? という感じだ。トンネルの中で見たらしいけれど、トンネルは湿度が滅茶苦茶高かったことと、その湿度でアクリルが曇ってしまって内部が見にくかったことしか覚えていない。
 コパンは6世紀、ティカルは5世紀、それぞれ、代表的な建築様式だという。


もう一つのマスク もう一つのマスクがこの写真である。正直、マスクの表情の見やすさは、黴に覆われた黒いマスクの方が上だと思う。
 しかし、保存状態としてはこちらの方が断然いい。
 先ほどの黒いマスクも、1968年に発掘されたときは白い状態だったという。真っ黒になってしまったマスクを、果たしてこの先どのように保存すればいいのか、一大問題だそうだ。


 1958年にペンシルバニア大学の調査チームが発掘を始めた頃は、遺跡修復のやり方を定めたヴェニス憲章はまだなく、もちろん「世界遺産」という制度もなかったため、セメントで固めてしまっている。
 そのセメントが、修復された遺跡に悪影響を及ぼしてしまっているらしい。
 遺跡の保存、修復、利用が一大研究テーマになる所以、なのだと思う。


 中米3ヶ国旅行記7日目その1 <- -> 中米3ヶ国旅行記7日目その3

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2014.07.08

600000アクセス達成!

 昨日(2014年7月7日)、どなたかが600000アクセス目を踏んでくださった。今回の10000アクセスは、ここのところよりも若干、時間がかかっている。
 相変わらずスパリゾートハワイアンズの旅行記と持ち物リストへのアクセスが多い。
 これまでの経過は以下のとおりである。

 スタート 2004年9月1日
 10000アクセス 2005年7月17日
 50000アクセス 2006年11月22日
100000アクセス 2008年6月15日
150000アクセス 2009年2月21日
200000アクセス 2009年11月30日
250000アクセス 2010年9月16日
300000アクセス 2011年5月26日
350000アクセス 2012年2月8日
400000アクセス 2012年9月3日
450000アクセス 2013年2月19日
500000アクセス 2013年8月14日
550000アクセス 2014年1月14日

560000アクセス 2014年2月10日
570000アクセス 2014年3月13日
580000アクセス 2014年4月21日
590000アクセス 2014年5月22日
600000アクセス 2014年7月7日

 こうして続けていられるのは、遊びに来て、読んでくださる方のおかげです。
 ありがとうございます。
 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

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2014.07.06

中米3ヶ国旅行記7日目その1

2012年12月21日(金曜日)


 新年である。
 マヤ暦13バクトゥンの新年が明けた。
 当然のことながら、世界は終わっていない。どちらかというと普通の朝である。
 4時に起き、荷造りをする。今日はティカル遺跡の見学後、そのままグアテマラシティに飛ぶので、朝のうちに荷造りを済ませなくてはならない。当初予定ではフローレスにもう1泊して、翌朝にグアテマラシティに飛ぶことになっていたけれど、飛行機のスケジュールの変更により旅程も変更を余儀なくされた。


朝食 5時過ぎにレストランで朝食をいただく。まだ夜も明けていないのに、ボックスではなく、レストランで朝ごはんを食べられるのは嬉しい。
 もっとも、流石の私もいつものように山盛りのお皿にすることはできず、控えめな朝食(のつもり)である。
 それにしても、フローレスは暑い。
 今回の旅行中で、フローレス(引いては、これから行くティカル遺跡)が一番暑くなりそうである。虫除けを万全にしようと心に決める。


 5時50分にホテルを出発した。
 昨日の駐車場まで皆して歩く。荷物は別に運んでくれるから楽なものだ。途中で、バックパッカーっぽい若い女性に「ティカルに行くの? だったら一緒に行きたいんだけど。」という感じで声をかけられ、添乗員さんが「我々はツアーなので。」と答えていた。
 行き当たりばったりというか、チャレンジャーな感じでこの日にティカルを訪れようという彼女に脱帽だ。彼女は、結局、ティカル遺跡にたどり着けただろうか。


 バスは6時にティカル遺跡に向けて出発した。
 ガイドさんが、「今年は特に、ガイドをしているときに、何かが起こるの? と聞かれることが多くて。」と、そうした質問を受けた際に読んでいるというナショナル・ジオグラフィック誌に掲載されていた記事を読んでくれた。
 要するに、「2012年に世界が終わる訳ではない」「そもそも2012年にマヤ暦が終わる訳ではない」という記事である。
 それとは別に、2012年の12月21日が、マヤの世界にとって重要な日付であることは間違いない。5000年を超える周期の最初の日に巡り会える機会などまず滅多にない。貴重なことであるに違いない。


 フローレスからティカル遺跡までは約60kmで、普通に走れば車で1時間くらいだ。しかし、ティカルは1979年に自然遺産+文化遺産の複合遺産として登録されており、その指定地域内では車は時速45km以下で走らなければならないため、遺跡入口までは大体1時間半くらいかかるでしょうと言う。
 時速制限があるのは、道路に飛び出してくる動物を轢いたりしないようにという配慮のためと言われて納得した。出てこないとは思うけれど、ジャガーを轢いてしまったりしたら後生が良くない。
 ガイドさんも、鹿やハナグマ、七面鳥は見たことはあるけど、ジャガーは見たことがないと言う。車の通行も激しくなり、あまり動物が出ることはないそうだ。


夜明け 走り始めて30分くらいたった頃、木々と湖の向こうに見える山の端が明るくなっていることに気がついた。
 添乗員さんは、今日と1月1日と、この冬は初日の出が2回見られますねと言う。しかし、やはりグアテマラでも朝は薄曇りというか霧がかかっていて、「日の出」は見ることができない。
 何となく白い視界の向こうが段々明るくなってくる、という感じの夜明けだ。
 「華やかな日の出は拝めなかったわね。」「賑やかな夜更けはあったけれどね。」と笑い合う。


 何故こんな何もない場所でバスを停めたんだろうと思っていたら、どうやら、護衛のポリスを置いて来てしまったらしい。「明日の6時にここでって約束したのに、来ていなくて、気付かずに出発してしまいました、ごめんなさい。」とガイドさんが言う。
 その置いて来てしまったポリスが追いついてくるのを待つつもりが、それでは時間がかかりすぎる。どういう交渉の結果か、この近くにいるポリスが代わりに護衛してくれることになった。
 そんなに適当に公務を離れていいのか、かなり謎だ。制服に着替えているのが見えたから、非番の方々だったのかも知れない。いずれにしても、何だか可笑しい。


ティカル遺跡入口 7時くらいに、ティカル国立公園の入口に到着した。20分くらいロスがあったから、正味40分なら順調に走ったといえるだろう。
 ここからは時速45km走行になる。
 ここで入場時刻がチェックされ、駐車場でも時刻がチェックされるシステムになっているという。自然遺産を守るため、制限速度を守ったかどうかを確認するという。


 ティカル自然公園は576平方キロで、23区と同じくらいの面積がある。
 動物を殺してはいけないのはもちろんのこと、植物も無闇に採取してはいけない。自然公園なのだから当然である。動物を轢いてしまった車があって、その人は3日間ほど刑務所に入れられたという。だから、ドライバーさんも制限速度も守って慎重に運転している。


 ティカルの地に人が住むようになったのは、紀元前600年頃と言われている。
 その後、テオティワカン(今回のツアーでは行かない)やカミナルフユ(明日行くことになっている)などと交易を行いながらアクロポリスを形成し、8世紀から11世紀頃にかけて最盛期を迎えている。しかし、その後、衰退が始まり、1575年にスペイン人により、1848年にグアテマラ人により「発見」され、現在は全体の8%弱が発掘されている。
 本格的な発掘調査の開始は1956年だ。


 駐車場に到着したら、もの凄い数の車が駐まっていた。ガイドさんも添乗員さんも「こんなに混んでいるのは初めて!」と驚いている。いつも使っている入口に近い駐車場は満車だという。
 今日は、グアテマラ人に限って入場無料で、そのせいもあるのだろう。
 駐車場にテントを張っている人もいて、昨日から泊まり込んでいたらしい。確かに、昨夜から儀式というかイベントというか、そういったものが行われていた筈である。


文化遺産保存研究センター 今日は、グアテマラの大統領がティカル遺跡に来ていたため(恐らく、少し前に聞いたヘリコプターの爆音は、大統領が帰ったときのものだろうという)、文化遺産保存研究センターはそのためのコントロールセンターとして使われ、一般客は入場禁止である。
 しかし、そこは先生の「顔」で、「なるべくさりげなく入ってください」と無茶な注文がありつつ見学させて貰えることになった。
 この庭は「禅」をイメージしている。先生は「なかなかグアテマラの人には判って貰えない。」と嘆いたけれど、私だって言われるまで判らなかったよ、と思う。


 文化遺産保存研究センターは、JICAの一般文化無償資金協力事業の一環として建てられており、いわば、先生のティカル遺跡における研究の拠点である。2010年に日本とグアテマラとの間で署名がなされ、2012年7月6日にオープンしたばかりだ。
 その寄付総額5億4820万円というから驚きである。


修復中分類整理中


 修復の様子や分類整理の様子はガラス越しに見えるようになっている。
 しかし、実はここは「観光客向け」に用意されたところであり、先生達の研究室はさらに奥にある。「ライブラボ」と呼ばれている。
 その他に、収蔵庫も用意されている。しかし、まだ全体の見学コースは「準備中」という感じだ。
 ティカル文化財の保存のために建設された場所で、これまで、安全かつ持続的に発掘物を保管する場所すらなかったということ自体、驚く。併せて、展示も行い、2013年に中米の研究者を集めて、金沢大学とここで研修も行う予定だという。
 正しく「拠点」という感じだ。


国際協力 グアテマラにはかなり日本からの経済協力が行われている。
 先生たちは、外務省に対して、経済と文化を分けて考えるのではなく、文化的な協力こそが(額は小さくとも)グアテマラの人たちの心に残ることも多いのだということを折にふれ主張しているという。
 その成果もあって、来年早々に外務省の視察が入る予定があり、また、文化遺産保存研究センターに関してはODA白書にも載ることが決まっている。
 建物を作ることが目的なのではなく、その建物ができたことはスタートであり、この先に何をやって行くのかが重要だという。


 例えば、データをスキャンして全てをサーバに収める活動もすでに始まっているという。
 こうした援助は「買っていいもの」と「買ってはいけないもの」が厳格に決められているらしい。先生が「これは買っていいと言われているので」と苦笑まじりに解説してくれる。どうやら、日本で調達できるものは日本で調達して運べ、というスタンスらしい。
 機動性に欠けるけれど、一定の制限は仕方がないということかも知れない。


 特別に倉庫も見学させてもらった。残念ながら(というか、当然のことながら)、写真撮影はご遠慮くださいと言われる。
 日本の援助で作られたということで、机にも、ケースにも、全て日本の国旗がマークとして入っている。そこまでしなくても・・・、という感じもするが、恐らくは「必要な主張」なんだろう。
 また、「いかにも日本らしい」と思ったのは、そのケースの蓋が何色か用意されていたことだ。「色で分類できるといい」と用意されたらしい。現状、色による分類はなされていないっぽかった。そういうことも「今後の課題」なんだろう。


アクセサリ陶器


 博物館ではないので、展示物はそれほど多くはない。展示スペース自体はそれほど広くなさそうで、拡大するというよりは、展示替えをして行く感じになるのだろう。
 アクセサリ類と、お皿や茶碗などの器がメインである。
 ツアーの方が「これ欲しい!」と、ネックレスに熱い視線を送っていた。


器 途中で、文化遺産保存研究センターのディレクター(責任者)である女性が来てくれた。意外と若い女性で、驚いた。彼女も、研修で来日する予定だという。
 この建物は、クリーンエネルギーの活用も試みられていて、地中に空気をくぐらせることによって、涼しい風を送ったり、太陽光エネルギーで発電して扇風機を回したりしているそうだ。エアコンはなくても大丈夫らしい。
 また、太陽光を集めることで電灯をつけなくても室内を明るくする工夫もなされている。


 その彼女に、ツアーメンバーの方が、例えば発掘されたアクセサリ類のレプリカを作ってお土産として売ったらいいんじゃないかと質問していた。「いいアイデアですね。」という反応だ。ただ、レプリカを作成するには許可が必要だし、レプリカを作れる技術のある人を育てる必要があるという。
 また、このセンターの維持管理するための財源をどうやって確保するかという問題とも繋がっており、会議でもそういうアイデアが出て、ビジターセンターのお土産物屋でレプリカを売り始めたそうだ。
 後になって、このときの会話が、金沢大とグアテマラ政府との新たな協定締結に繋がったのかしらと思ったりもした。


 文化遺産保存研究センターの見学も終了し、8時くらいにいよいよティカル遺跡に入った。


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