中米3ヶ国旅行記7日目その3
2012年12月21日(金曜日)
マヤ暦が一巡するこの日までにティカル遺跡2号神殿の階段を修理するという話もあったそうだけれど、残念ながら、まだ修理が終わっておらず、こちらも上ることはできなかった。残念である。
この日現在、上ることのできるピラミッドは4号神殿だけだ。
「6号神殿は?」と尋ねたら、「発掘もしていないので、登ろうと思えば登れるけど小さいし。」というお答えだった。「地球の歩き方」には復元作業が終了して公開されていると書いてあったんだけどなと思う。
グランプラザにある北のアクロポリスは、大きな基壇にピラミッドがいくつも乗っかっている、いわば歴代王の霊廟群である。
そして、北のアクロポリスにある22号神殿がティカル遺跡で一番高い建物だという。てっきり、1号神殿か4号神殿が一番高いと思っていた。
北のアクロポリスからは、グランプラザと1号神殿、2号神殿、そして奥に5号神殿という景色を見ることができる。
がんばって登った22号神殿の上からは、4号神殿がジャングルの向こうに霞んで見えていた。こちらから見えているから、逆に、4号神殿に登れば22号神殿を辛うじて見ることができるだろう。
まだまだ霞んでいるけれど、かなり視界は開けてきている。「ティカル遺跡で日の出」を見るのは結構難しいらしいと了解した。
昔はもっと拓けていて色々とばっちり見えていたんだろうなと思うし、そうしてぴょこぴょことジャングルから見えているところがティカル遺跡のいいところ、という気もする。
今いる北のアクロポリスは、ティカル遺跡における先生のメイン・フィールドになり、ペンシルバニア大学の調査で全体の65%くらいがセメントで固められてしまっており、それは「よろしくない」ので、土を入れて芝生を植える計画もあるという。
未発掘部分の調査も合わせ。全体で10年計画というスパンになるそうだ。
気の遠くなるような話である。
22号神殿から降りる途中で見かけ、「これは何かですか?」と質問をしたところ、「そうですね、座面の名残ですね。」という回答だった。
右側は発掘の途中らしい。わらぶき屋根が一応付けられているものの、全く役に立っていないということがよく判る。また、側面から見ると、雨にやられて石灰岩がかなり溶けてきてしまっている。
早急かつ効果的な保護が必要とされている所以だ。
下を覗き込むと、そこは王家の貯水池だった場所だ。
貯水池はいくつもあったけれど、中でも王家のものはかなり大きい部類になる。
覗き込んでもただのジャングルにしか見えない。言われなかったら絶対にここが貯水池だったなんて思いもしないに違いない。
この近くには、ペンシルバニア大学が調査のために穴を開けたものの放置されたままになっている神殿があり、先生はそこをさらに掘り進めて調査をしてみようかと思っているとおっしゃっていた。
本当に気の遠くなるような話である。
北のアクロポリス見学中もずっとマリンバの演奏が聞こえていた。
降りてくるとより鮮やかに聞こえる。
マリンバの周りでは踊っている人達もいる。スクールメイツみたいな簡単な踊りに見える。
マリンバを演奏しているうちのお一人は、ガイドさんの織物の先生のダンナ様で、ガイドさんも「こんなところで会えるなんて!」とびっくりしていた。
織物にしても、マリンバにしても、伝統を守ろう伝えようとしている人は限られているのかも知れない。
左の写真の建物は中央アクロポリスのうちのどれかじゃないかと思うけれど確信はない。
中央アクロポリスは貴族の住居や政治を行う場所だったらしい。だから、ベッドやベンチらしきものも残っている。
真ん中の入口に人が集まっているのは、有名な(といってももちろん私は知らない)探検家である、テオベルト・マーラーが住んでいたことがあり、サインが残っているからだ。
もちろん、後でしっかり覗き込んで、サインの写真も撮った。
しかし、先生は「冒険家」と説明したけれど、考古学者でもあった筈で、それなのに遺跡に落書きしていいのか、と思ってしまう。
実際、このサインがある壁は、マネした観光客のいたずら書きで一面が埋まっていた。嘆かわしい話である。
ティカル遺跡では、ほぼずっと、一体自分がどこを歩いているのか全く判っていなかった。ガイドさんについて歩いていただけである。
先生に「階段があるところは登ってよし。」と言われたので、中央アクロポリスの中を登れるだけ登って、グランプラザ側を見て1枚(左)、振り返って反対方向ににょきっと見える5号神殿を1枚(右)撮った。
5号神殿の左側に階段というよりははしごが付けられているのが見える。しかし、現在は、先ほども書いたように、残念ながら登ることはできない。
建造物の中に入ると、天井や壁に木材(と思われる)が張られて残っている。
マヤアーチを支える梁も見えている。梁にしては細すぎるような気がするけれど、位置的には梁だ。
まさかオリジナルではあるまいと聞いてみたところ、テオベルト・マーラーが撮った写真にもこうした壁や天井が写っているそうだ。マーラー氏もいたずら書きだけしていた訳ではないらしい。
先生曰く「ペンシルバニアがやったにしては・・・。」ということなので、難しいところだけどオリジナルの可能性が高いらしい。
相変わらず自分がどこにいるのか判らないまま歩いていた。これは多分、中央アクロポリスの建造物53である。
左側のちょっと独立しているっぽい建物を合わせると、4階建てになっている。
中央アクロポリスと、正面に見える5号神殿とその隣の南のアクロポリスとの間には、貯水池があったそうだ。
ちょっと低くて木々が多い場所は、元貯水池と思っていいのかも知れない。
残っている建物と残っていない建物との違いがどこにあるのかと質問してみたら、「接着剤の違いですね。」という回答だった。
意外といえば意外だし、当然な気もする。何というか、基盤がしっかりしているからとか、もうちょっと土木っぽいというか、大本のところの問題のような気がしたけれど、そうではないようだ。
トイレ休憩しているときに、「汗びっしょりだねぇ。」としみじみ言われ、洗濯の話になった。
ティカル遺跡を歩いている間、ガイドさんからも添乗員さんからも「今日は過ごしやすいですよ。」「ラッキーですよ。」と言われていて、確かにパレンケ遺跡ほどは蒸し暑くないけれど、それにしたって大汗である。
10日間の我々のツアーは連泊がない一方で、19日間ツアーは連泊が何回かあるそうで、その方は連泊したホテルでランドリーサービスを使っているとおっしゃっていた。
なかなか、そういう意味でもハードなツアーである。
再びざくざくと歩いていると、ぽっかり、3号神殿の裏側が見えた。
3号神殿の裏側は全く崩れたことがないそうだ。今、我々が見ている石組みはオリジナルということになる。凄い。
3号神殿はティカルでもっとも新しい建造物のうちの一つで、810年に造られている。1号神殿と4号神殿のそれぞれから見た日の出が交差する場所にある。
基壇が60mくらいあり、表側は発掘されていないので、発掘前の様子を知ることができる。ずばり、山である。丘である。急斜面である。
思わず「こちら側が正面ですか?」と間抜けな質問をしてしまった。
ついこの間、雷がこの3号神殿に落ちて、上部は修復中だ。足場が組まれている。
それとは別になのか、そのついでなのか、どさくさ紛れなのか、上部の神殿だけでなく下部の調査もしたいという許可申請がなされていて、ロープが張ってあるからもしかすると許可が出て下部の調査が始まるのかも知れないと言う。
しかし、4号神殿も同じこと(というのは、つまり下部の発掘という意味だと思う)をやって、何億円つぎ込んでも終わらないという泥沼に陥っているらしく、先生の口調は苦々しい。
その4号神殿に向かう。
4号神殿は他の建造物とは離れた場所にある。
途中、割れた祭壇や石碑がいくつか転がっている場所があった。オリジナルは状態が良かったので石造彫刻博物館に収められているという。
王の墓を掘り出している様子が彫られている。
ほとんど丘のような斜面のようなビジュアルで全く感興が湧かないけれど、これが4号神殿正面である。
手前に見えている階段は、4号神殿の基盤の一部だ。
ここが基盤の一部で、てっぺんがあの位置だとすると、4号神殿は一体どれだけ大きいんだと呆れてしまう。手前の階段と向こうに見えているてっぺんとが一つの建物だという感じがまったくしない。
4号神殿の調査・発掘が泥沼に陥っているという先ほどの先生の説明に、なるほどこれじゃあね、と思う。
やっと、4号神殿の上り口に到着した。
何だか凄い人で、順番待ちの行列ができている。ティカル遺跡は今日、グアテマラ人は無料ということで普段からは信じられないくらい混雑しているらしいけれど、それにしてもびっくりだ。
ガイドさんに重い荷物は見ておいてくれるとおっしゃっていただき、カメラと貴重品だけ持って行くことにする。
木の階段が上まで続いているそうだ。要するに、てっぺんの神殿まではほとんど土に埋まっているということだろう。
なかなか入場制限が解除されず、おしゃべりしながら待つ。15分も待つと上から大集団が降りてくるのが見えた。
そして、周りのグアテマラ人がいきなり色めき立ち、特に女性は黄色い歓声を上げる。先生によると、降りて来たのはラテンアメリカで「もの凄く有名な」歌手だったらしい。ガイドさんもファンだそうで、にこにこしている。
先生の方は全く興味がないらしく、「みんなが彼に気を取られている隙に上りましょう!」と声をかけ、4号神殿に上り始めた。
今思えば、「もの凄く有名な」歌手の方の写真の一枚くらい撮っておけば良かったと思う。
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