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2014.12.07

中米3ヶ国旅行記7日目その4

2012年12月21日(金曜日)


 ティカル遺跡4号神殿は、下の方はまだ完全に土に埋まっていて、その周りに木の階段が作られており、上るのは楽である。幅が狭く一段一段も高いピラミッドそのものを上るよりもはるかに楽に一番上に到達した。
 頂上からは、この眺めを一望できる。ジャングルからピョコピョコと神殿の上部だけが飛び出しているビジュアルは、スターウォーズでお馴染みだ。
 4号神殿の上に到達したのが11時前くらいで、折良く晴れてきたのも嬉しい。


失われた世界 4号神殿のてっぺんから、失われた世界のピラミッドが見える。
 位置でいうと、3号神殿よりも手前、向かってかなり右側の方だ。
 先生がうっかり「これから上る・・・。」と言いかけたから、割と最近まで上ることができたのかも知れない。そう思うと「もっと早く来ておけば!」という気持ちが湧いてくる。
 しかし、そんな気持ちは風に吹かれているうちに飛んで、眺めを堪能する。


 ガイドさん曰く「ここが一番暑い」というお話で、確かに日光を遮るものが全くなく、日当たり良好である。夏だったらもっとジリジリするのかも知れないけれど、12月のこの日は、ガイドさんや添乗員さんが口々に「今日はしのぎやすい」と言うだけあって、それほど参りそうな暑さではなかった。


4号神殿から この眺めがあれば写真撮影大会が開催されるのは当然である。
 1号から3号神殿を一望できる。5号神殿は、失われた世界の向こうにあり、高さ57mと少し低く、見ることはできない。
 4号神殿は高さ65mで、エル・ミラドール発見前まで、近代以前の建物としてはアメリカ大陸で一番高い建物だったそうだ。
 もっとも、ティカル遺跡のミラミッドが「高い」のは、これまで見てきた遺跡のピラミッドと違って屋根飾りが残っていることが大きな要素らしい。確かに、1号神殿や2号神殿を見ると、あの屋根飾りがなかったら5mや10mはその「高さ」が低くなりそうな感じはする。


 屋根飾りはどの神殿にもあった訳ではなくて、重要な建物にのみ付けられている。
 ティカルでは、屋根飾りがある神殿が六つ確認されている。
 高さがNo.1ということもあって、4号神殿はこれを建てたイキンという王の墓ではないかと推測されているという。しかし、墓の有無を調べられるまでに4号神殿が発掘されるのはいつになるんだろうと思ってしまう。何しろ、4号神殿は最上部以外は未だ小山の中である。


近道 眺めを満喫し、ガイドさんが「そろそろ降りますよ。」と促すのに「降りたくな〜い!」と我が儘を言いつつ、僅か20分の4号神殿登頂が終了した。
 本当にずーっといても全く飽きることのないような場所だった。
 少しばかりジャングル体験っぽい近道を歩いて次に向かうのは、失われた世界である。
 こういう道は迷いやすいので(ガイドさんですら迷うと言う)、観光客が使うことはほとんどないらしい。確かに歩いている人の姿は見かけない。使うのは、遺跡に慣れた先生たちやスタッフくらいのものらしい。
 それにしても、緑の下は涼しい。


 「失われた世界って何が失われたんですか?」と質問したところ、別に何かが失われた訳ではなく、ペンシルバニア大学が最初に調査に来たときに、その辺りの景色がコナン・ドイルの「失われた世界」を彷彿とさせた、というのが名称の由来らしい。
 「失われた世界」の舞台のモデルはギアナ高地だったと思う。ペンシルバニア大学の人々には、当時のティカルがよっぽど隔絶された世界に思えたのだろうか。


49号建造物 木々の間からピラミッドが見え始め、ぐるっと回って到達したのが失われた世界のピラミッドだった。
 4号神殿から見えたピラミッドはこれではなくもう一つ奥にある54号建造物で、こちらは49号建造物だ。上ることもできる。上れるピラミッドには上るのがお約束なので、もちろん上る。
 このピラミッドは,テオティワカンの様式を取り入れられている。


失われた世界49号建造物からマヤアーチ 真ん中の崩れている部分を避けて階段を上る。
 本当に隅っこギリギリまで行くと、4号神殿を見ることができる。屋根飾りの本当に最上部しか見えていないから、あちらからこの49号建造物が見えないのも当然だ。
 また、上部にある建物の中では、綺麗にマヤアーチが残っている様子を見ることができる。白く漆喰が塗られて木の梁が残っているマヤアーチは結構珍しい。


 ガイドさんから「降りますよ。」という声がかかると、「えー!」と声が上がって、写真撮影大会が再び始まるのは毎度のことだ。
 過ごしやすいと言われても、やはり腿上げ運動を繰り返しているから汗びっしょりである。
 急な階段は上るときよりも下るときの方が断然恐い。最初に降ろす足を変えると筋肉痛が分散されるとアドバイスがあった。でも、利き足から降りる方が恐くないような気がする。
 それなのに「上るべきピラミッドはこれで最後です。」と言われてショックを受けているのだから、我ながら可笑しい。
 2号神殿が上れなくなって、修理が間に合わなかったのが本当に残念である。


54号建造物 上れなくなってしまったピラミッドの一つが、先ほど4号神殿から見えた54号建造物である。
 54号建造物からは、太陽の観測が行われていたらしい。東の方向を見て、太陽の昇る位置で季節の変わり目を判断していたそうだ。
 この54号建造物の上から見ると、4号神殿が夕日のシルエットに浮かぶらしい。それはぜひ見たかったなぁと思う。
 ガイドさんと先生の間では、「一番美しいのは1号神殿の上からの景色」と意見が一致していた。1号神殿に上ると、2号、3号、4号神殿を見ることができるという。しかし、もちろん、1号神殿には上れないのだった。


めがね 54号建造物にも、テオティワカンの影響なのか、雨の神であるトラロックの眼鏡が側面に作られていた。
 「失われた世界」はティカルでもっとも古い場所の一つで、その基盤は紀元前の時代から作られて段々と大きくされてきたらしい。王家のものだと思われる墓も発見されていて、副葬品はグアテマラシティの博物館に納められているという。今回の旅では見られない。


 ここからずっと南に向かったところに、試掘した穴がある。
 そこは10mも掘り進めたところにぽっかりと建造物が埋まっているという感じになっていて、普通だったら、そこまで到達する前に諦めているよね、という感じの「気配のない」場所らしい。その試掘された建物は4世紀くらいの建造物だという。
 ティカルは、昔から重要な場所として機能してきているし、だとすると、例えばこの場所も掘られていない地面より下の部分に何が埋まっているか判らない、と言う。
 何というか、果てしない話だなぁと思って先生の話を聞いていた。


54号神殿の裏 ぐるっと回って54号神殿の裏手に出た。
 何だか珍しくいい感じだわと思ったのは、後になってみると、あまり裏っぽくないからだと思う。ティカルの神殿は表と裏がきっぱりと判るものが多く、この54号建造物は割と裏も裏っぽくないのだ。
 54号建造物の裏の方向に神殿が三つ並んでいて、そのどの神殿から日が昇るかで、春分・秋分、夏至、冬至を観測したという。
 しかし、紀元前の頃はそれで良かったけれど、例えば南のアクロポリスができて太陽が見えなくなってしまっており、その後、例えば建物の内部から見て判断できるような覗き穴を開けるなどの精緻な仕掛けを作ったのではないかというのが先生の推測だった。


 失われた世界の中か、そのすぐ横かはよく判らなかったけれど、54号神殿からすぐのところで何か儀式が行われていた。
 ガイドさんに「どうしてここが神聖な場所だって判るんですか?」と尋ねたところ、人だかりで見えなかったけれど、人が集まっていた場所に祭壇があるのだという。
 この場所での儀式は、グランプラザでの儀式よりも、オープンではないというか、より神聖なものだと思うという話だった。


七つの神殿の広場の模型 少し歩くと、七つの神殿の広場の模型があった。トタン屋根が付けられて、保護されているといえば保護されている、という風情である。
 その隣にあるバラック風の建物に発掘されたものが保存してあるそうで、先生曰く「これを見てダメだと思った」ということだった。
 何というか、気持ちはよく判る。保護しようという気持ちはあるけど、あまり訳に立っていない、雨ざらしじゃないだけまし、という感じだ。


 七つの神殿の広場という名前は、七つの建物があるからそう名づけられている。真ん中に少し大きな建造物があって、その両脇に三つずつ建物が並んでいる。
 手前に球技場を三つ並べた場所があり、これから球技場の間を抜けて広場に向かう。
 球技場が一つだけでなく三つも並んでいるというのは初めてのパターンだ。


 この近くに日本の援助で作られた看板があった。それを立てるだけで、同じく調査に入っていたスペインとの間でもの凄い軋轢があったという。
 一緒にやりましょうという話も出たけれど、どうも「一緒にやりましょう」は「お金だけ出してね」というのと同じ意味らしいと何回かやりとりするうちに判って来て、「いや、それはお断りします」という話をしたら、嫌がらせの嵐だったり、スペイン政府と日本政府との間で話が勝手にまとまりそうになったり、紆余曲折あったらしい。


 結果として、現状、スペイン経済が悪くなったこともあってスペインは調査から引き気味となり、中央アクロポリスの調査計画も頓挫しているという話だった。
 何というか、「援助」とか「調査」とか「協力」とかいうもののえげつない裏話である。調査そのものだけでなく、そういう問題も乗り越えないと遺跡の発掘をしかも外国でやることはできない。


七つの神殿の広場 球技場の間を抜けて、七つの神殿の広場に入った。
 一つ一つの建物は大きくないけれど、全体として見ると、今修復されているものの中では大きいらしい。両脇に控える建物は崩れかけてしまってもいる。
 この建物の並びからしても、かなり儀礼的な使われ方をしていただろうという話だ。一部は発掘調査も行われていて、ガイドさんは入ったことがあると言う。


 七つの神殿の広場の隣に南のアクロポリスがある。そこは単なるジャングルというか、小山に見える。
 発掘をするにも、ティカルは幸か不幸か世界自然遺産でもあるので、木の伐採等、発掘に不可欠なことを行うにも許可を取るのが大変らしい。
 しかし、南のアクロポリスはこれまで全く調査の手が入っておらず、また、規模としても大きく、変な言い方だけれど、「絶対に何かが埋まっている」場所らしい。


 南のアクロポリスを通り過ぎれば、そこには5号神殿がある。


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