中米3ヶ国旅行記7日目その5
2012年12月21日(金曜日)
裏側からぐるっと回り込むような感じで、5号神殿の正面に辿り着いた。
地味だけれど高さ57m、実はティカル遺跡で2番目に高い建物である。
正面の階段の左側に梯のような階段が付いているけれど、現在は上ることはできない。
残念だ。
裏から上るための補助用の階段を付けるというアイデアが出ているというお話だけれど、計画が具体化しているような気配はかけらもない。
5号神殿の一番上の建物の入口は金網が張られている。あそこは何かと質問してみたら、もの凄く狭い(ものの本によると75cmくらいというから、畳の幅よりもまだ狭い)小さい部屋があるそうだ。
そんな狭いところで何をしていたかというと、王が祖先や神と対話をする場所として使っていたという。だから暗くて狭くてもいいというか、暗くて狭い方がいいらしい。
対話した後、出てきた王は、下で待ち構えている民衆たちに得られた啓示を語ったそうだ。
屋根飾りは全体の形として山を表しており、神殿の入口は山にある洞窟の入口と同視されている。
あの入口から部屋に入るということは、山の洞窟に入るのと同じ意味を持ち、洞窟の中で神と話をするという寸法だ。
屋根飾りには、顔や胡座を組んだ神の像が彫られていた筈だけれど、今ではもうほとんど確認することはできない。
5号神殿は、ほとんど内部の調査や修復は行われておらず、とりあえず外部というか表面部分だけ修復して公開している状態らしい。
少し裏に回ると、修復中の様子を見ることができる。
5号神殿と中央アクロポリスに間には大きな貯水池があって、貯水池に向かって水路が作られている。雨をため込むようになっていて、水路も漆喰で塗られていた筈だという。
そういえば、NHKの番組で、水を集めて貯水池に流し込んでいるようなCGを見たなぁと思い出した。その中に自分がいると思うと変な感じである。
少し歩いて、グループGに到着した。
グループGは宮殿だったと言われている場所だ。低い建物の連なりは確かに「神殿」というよりは「宮殿」というイメージである。
内側には壁画が残されているけれど、残念ながら見ることはできない。壁画には生け贄となった人物の絵が描かれているという。心臓が取り出されているところが描かれており、実際にその様子を見て衝撃を受けた人が描いたのではないかということだ。
それとは別に内側の壁に縦方向の溝が彫られていることから、縦溝の宮殿とも言われている。
縦溝と言われれば縦溝だけれど、それがどうして建物の名称になるほど注目されるのか、浅学な私には判らないところが残念である。
この辺りは9世紀前半に造られていて、ティカル遺跡の中ではかなり新しい部類の場所だ。
ガイドさんによると「普通のツアーだったらここまでは絶対に来ないです。」という話だった。
今はトンネルの中には入れないけれど、この中に壁画があると聞いて、無理矢理ISO感度を上げて写真を撮ってみた。
一応中の様子が判る程度には写るけれど、壁画らしきものの姿はない。
聞いてみれば、奥に見えている階段を上がって左に折れたその正面にあると言う。それでは、どんなにがんばったって見える訳がない。笑ってしまった。
階段の両脇にも壁画があるらしい。それを撮るのはちょっと無理というものだ。
この後、しばらく一本道を歩いて6号神殿に向かった。6号神殿はぽつんと離れたところにある。
もう12時半も回っているけれど、遺跡見学をすべて回ってからお昼ごはんという予定らしい。まだ先は長い。しかし、意外と疲れていない。マヤ暦最後の日にティカル遺跡にいるという興奮もあるし、現実的に朝のうちが曇っていてしのぎやすかったということもある。
添乗員さんもガイドさんも「今日は本当に過ごしやすいですよ。」、「虫もいないし。」、「いつもよりずっと涼しいです。」と口を揃える。我々を励まそうという意図もあったかも知れない。
てくてくと歩きながら万歩計の話になった。しかし、このツアーでは、遺跡をもの凄く歩いている気がしている割に万歩計の歩数は伸びていない。
この日もこの時点で10000歩くらいだったし、これまでも1日15000歩くらいが最高である。遺跡にいるときは歩いているけれど意外と時間は短いし、それ以外の時間はほぼずっとバスに乗っているからだろう。
ちなみに、この旅行中の歩数はこんな感じだった。
かなり適当な万歩計で、しかも、この日(12月21日分)はどこかでリセットボタンを押してしまったようで、ちゃんと測れていなかった。残念。
2012年12月15日 10923歩 (出発日)
2012年12月16日 14052歩 (カラクムル遺跡の日)
2012年12月17日 13947歩 (パレンケ遺跡の日)
2012年12月18日 14021歩 (ラ・ベンダ遺跡公園の日)
2012年12月19日 18396歩 (コパン遺跡の日)
2012年12月20日 7851歩 (キリグア遺跡の日)
2012年12月21日 ?????歩 (ティカル遺跡の日)
歩く話から連想したのか、添乗員さんがロライマ・トレッキングは大変だったけど楽しかったというお話をしていた。
雨には降られる、虫も多い、汗だくになる、テント泊だからシャワーなんてもちろんない、テントの中に干したってぐしょ濡れの衣類が乾く筈もない、それだけ過酷だったけれど、過酷だったからこそ楽しかった、とおっしゃる。
やっぱり添乗員さんはタフじゃないと務まらないわとしみじみと思う。
6号神殿との初お目見えも裏側だった。
ぐるっと正面に回っても、見えているのは、上に乗っかっている建物部分だけである。
6号神殿は、中心部から離れていることもあって発見されたのが遅く、1951年だ。当時は、高さ6mくらいのマウンドだったというから、それは見つけにくかったことだろう。
27代目の王であるイキンによって造られたもので、イキンの墓ではないかと考える人もいるという。
窓というか入口が三つあるのは、特徴的な様式だと教わった気がするけれど「どこに」とか「何に」特徴的なのか聞きそびれてしまった。
ずんぐりむっくりな形は2号神殿に近いという話は覚えている。どうも説明していただいても繋がっていない。
6号神殿は、また、屋根飾りの部分に多くに神聖文字が刻まれているため碑銘の神殿とも呼ばれているという。しかし、一体どの部分が文字なのか全く判らなかった。
家に帰ってから撮った写真を子細に検討した結果、神殿の入口の上、建物と屋根飾りとの境目が少し出っ張っている部分があって、その部分にぐるりと文字が彫られているような気がした。
これで見学はほぼ終了である。
入口にあるレストラン「エル・メゾン」に向けて、みな、心持ち早足で歩き始めた。
駐車場の大混雑の割に遺跡内部は意外と人がいなくてゆっくり見学できた。集団で祈ったり踊ったりしていた人がいた分、周辺部分にはあまり人がいなかったらしい。
10分くらい歩いて、遺跡入口のレストランに「やっと」という感じで到着した。
実はまだ13時過ぎだ。何だかもっとずっと長く歩いていたような気分である。
レストランは大混雑していた。
本日のランチのメニューは野菜スープ、牛のバーベキュー、そしてデザートのバナナである。ツアーメンバーに牛肉が苦手な方がいらして、元々はチキンの予定だったけれど、あまりにもレストランが混雑していて選択の余地が失われたらしい。
飲み物はビールとあと炭酸飲料が多い。これだけぐだぐだでビールを飲むのは危険を感じるけれど、甘い飲み物はパスしたい。大人しく、カナダドライのクラブソーダにした。ノンアルコールで3ドルとは、改めて考えるとかなりの「観光地価格」である。
お隣では先生たちがスペイン語で何やら深刻そうに話していて、研究の話をしているのかと遠巻きにしていたら、ふっと途切れたときにこちらに振られた話が「**さんと++さんは、どちらが年上?」だったので、ずっこけた。
ツアーメンバーを年齢順に並べようとスペイン語で侃々諤々議論していたらしい。思わず笑ってしまった。
その後、就業規則だとか、年休の取り方だとか、労働基準法関係の話が続いた理由は謎である。
屋根はあるけど壁はない野外レストランでバーベキューである。この昼食時がこの旅行中で一番虫に悩まされたような気がする。
野外レストランらしいことといえばもう一つ、何だか不穏な風が吹いているなぁと思っていると、突然、スコールが降り出した。
不穏な風がどんな風かと言われると説明が難しい。木々から葉を落とし、落とした葉を巻き上げるような突風である。そうしているうちに、急に土砂降りの雨が降り、雷まで鳴り出した。
まるで、何かの瑞兆か凶兆かというような雷雨だ。
この雷雨が止むのを待ちつつ、昼食休憩は1時間くらい取った。
また日が射し始めた頃、博物館に向かって移動を開始した。
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