中米3ヶ国旅行記7日目その6
2012年12月21日(金曜日)
すっかり晴れ渡った空の下、昼食をいただいたレストランを出て、木洩れ日を浴びながら気持ち良くティカル博物館に向けて歩く。
14時半頃に博物館に到着した。徒歩10分くらいだ。
そこではしゃいでいたせいか、ティカル博物館に着くまで、ツアーメンバーのお一人がいらっしゃらないことに誰も気がつかなかった。到着して人数を数えたところで気がつき、添乗員さんお二人にガイドさん、ティカルの研究者で一緒に歩いてくださっていた方などが一斉に探しに行く。いや、一人くらいは連絡要員を残さないとお互いの意思疎通ができないのではと思ったけれど、そんなことを言うヒマもない。
残された我々は、先生から説明を受けることになった。ここでイヤホンガイドを使っていれば、博物館に我々がいることが伝わるのではないかという思惑もあったようだ。
ティカル博物館は、ペンシルヴァニア大学が発掘調査をしていたときに、発見した遺物を収蔵するために建てられている。何しろ1964年以来全く修復も行われていないし、何よりそもそもバラック造りなので、見た目もボロっとしている。
先生もこの状況を見て、ティカル国立公園文化遺産保存研究センターを作らねばと決心したらしい。そしてセンターの隣に博物館を作るという計画があるようだ。
ティカル博物館(と一応呼ばれている)は、入って左から時計回りに回ると、古いものから順番に見学することができるようになっている。少なくとも、そういうコンセプトが最初にあったことは間違いない。
写真撮影禁止なのが何となくアンバランスである。
一番最初に見るのは、紀元前頃の遺物で、乳房状の四本足を持つ器や、ネガティブ紋様が特徴である器などが並んでいる。ネガティブ紋様というのは、要するに、何か細工をすることで「色をつけない」部分を作ることをいうようだ。
ティカルの器の場合は、例えば焼く前に銅を塗っておくと、その部分には熱が伝わりにくくなるので色が付かず、ストライプ状などの紋様が生み出されているという。
マヤの一番古い長期暦が刻まれた破片が、遺跡中心部ではなく周辺(アドミニストレーションがあるところ)で発見されている。しかも、「壊された状態で」発見されたらしい。
マヤの平地で一番古い長期歴が刻まれたものが292年に造られており、そこから、長期歴を刻み王の姿を刻むということが始まったという。
先生はあっさり説明していたけれど、それってかなりの貴重品なのではあるまいか。
あと面白いと思ったのは、26代目の王であるハサウ・カアン・カウイル王の墓のレプリカである。
墓自体はレプリカで、そうすると置かれていた翡翠の飾りなどもレプリカだったんだろう。本物だったら、こんなに無造作に置かないでください! と叫びたくなるような状況だ。
アクセサリなども展示されていて、翡翠をかなり細かく細工してある。私がアクセサリだと思ったそれは、装飾品というよりは儀式用だったらしい。
これらが作られた頃は、彫る方の道具も石しかなかった訳で、よくもこんな細工をしたものだと思う。
411年に即位した「ティカル中興の祖」シフヤフ・チャン・カウィール王が身につけていたという胸飾りなども展示されている。網目模様は身分の高さの象徴だという。コパンで発見されたものよりは小さく模様が粗いのだと、若干、自慢げに語っている先生が可笑しい。
鏡は、ティカルでは青銅は使われていなかったから、石をひたすら磨いたものらしい。青銅鏡だってびっくりなのに、石を磨いて作ったなんて一体どれだけの時間が費やされたのだろうと思う。
鹿の骨に細かく彫刻を施したものなども展示されていて、展示物は少ないし、20〜30分もあれば見学は終わってしまうけれど、行って損はないと思う。
先生の説明を聞きながら装飾品を見て「これが欲しい。」、「こっちの方がいい。」などと言い合っていた我々が言うことではないかも知れないけれど、日本語でとは言わないから、せめて英語で説明があればいいのにと思う。我々は先生の解説を聞きながら見学したから興味深く見られたけれど、そうでないとかなり厳しい感じだ。
全員が揃い、ビジターセンターまで戻って、16時集合で自由見学になった。ビジターセンター内部のお土産物屋さんでお土産を買うも良し、カフェでお茶をしても良し、ティカル石碑博物館を見学しても良し、である。
ところが、石碑博物館の前に人だかりができていて、中に入れない。あと15分くらいで入れるようになるので、適当に見計らってみんな勝手に見学するようにという話になった。後で聞いたところでは、開催される写真展のテープカットのため入場制限されていたそうだ。
お土産物屋さんを冷やかす。グアテマラの織物を使ったポーチやテーブルセンター、定番のマグカップや遺跡関連の書籍、ピラミッドの置物、ジャングルの音のCDなどが売られている。
グアテマラからの郵便は当てになりませんと言われたので見ようと思っていなかったけれど、記念切手をお土産に買った方がいらして、私もそうすれば良かった! と後になって悔やんだ。
ラム酒の小瓶を買った方もいらしたし、何故か先生まで北のアクロポリスの写真が描かれたマグカップをお買い上げになっていた。
先生がやけに「お土産を買うこと」を推奨するので、小銭入れになりそうなポーチをお土産にいくつか購入した。
ティカル石碑博物館は、最初は「グループで1枚のチケットしかないので皆さんまとまって。」と言われたけれど、セレモニーが終わってみれば誰でも出入り自由という状態になっていた。よく判らない。
そして、みんながオープンを待っていたので大混雑し、停電したらしくて照明が点いておらず暗い。最初のうちは目が慣れるまで待とうとツアーの方とお土産の見せ合いっこなどしていたけれど、添乗員さんに「見事なものがありますから、ゆっくり見てくださいね。」と言われて、なるべく外光が当たっているところから見始めた。
ステラは、割れていたり、折れていたり、穴が開いたりしているものも多い。
左側の王から右側の王へ何かを渡している絵が刻まれていたり、その辺りの細かさは見事だ。
石碑16と祭壇5は、ピラミッドに付属するものの中ではもっとも保存状態がよいと言われている。
特に祭壇5は、ハサウ・チャン・カイール王がお墓を掘り返している絵が刻まれている様子が見事に彫られ、残っている。「だったらこの人が手に持っているのは頭蓋骨!」と叫んだら、先生に「そうではありません。」と一刀両断で否定された。
私の目にはどう見ても頭蓋骨だったけれど、先生によると当時の王が持っていた斧(のようなもの)だそうだ。
頭蓋骨も彫られているけれど、それはこのお墓から掘り出したものではなく、どこかから儀式のために持ってきたものだという。
クック・モという人名が刻まれた石碑もあり、コパン建国の頃に作られた石碑であることから、コパン初代の王ヤシュ・クック・モ(王になると「ヤシュ」が名前につくらしい)はティカル出身で、この石碑に刻まれているのと同一人物ではないかという説もあるそうだ。
こういう説明もメモは残したけれど、残念ながら写真撮影禁止だったので、もうどんな石碑だったのかどうか記憶に残っていない。
ティカル博物館には「ティカルの女」、ティカル石碑博物館には「ティカルの男」と呼ばれる座像があり、折角なら並べて展示してくれればいいのにと思う。
バスがティカル石碑博物館の前まで迎えに来てくれて、16時過ぎにティカル遺跡を後にした。
夕食を落ち着いていただけるようにまずは国内線にチェックインしてしまいましょうと、フローレスの空港に向かう。バスの中はもちろん爆睡し、1時間くらいで空港に到着した。
スーツケースのチェックのため、台に自力で乗せるのが一番大変だったくらいで、空いていたこともあり、チェックインはすぐに終わった。17時半頃に、空港を出発する。
夕食は空港からすぐのところにあるカソナ・デル・ラゴホテルのレストランでいただいた。
ホテルはペテンイツァ湖畔にあって、実はこの旅行でペテンイツァ湖をちゃんと見たのはこのときが最初で最後だったと思う。何しろ、昨日は暗くなってから到着したし、今日は暗い内にホテルを出発し、夕食後はグアテマラシティに向けて飛行機で飛んでしまう。
ここまで二つのツアーが合体していたけれど、我々は明日の午前中にカミナルフユ遺跡を見学した後で帰国、19日間ツアーの方々は明日アンティグアに向かうので、全員で食事をするのはこれが最後だ。
みなで乾杯し(私はgaloというニワトリマークのグアテマラ定番のビールにした)、グリーンサラダ、クルビーナというお魚のソテー、コーヒーケーキにコーヒーという夕食をいただく。
「写真を1枚しか撮っていない。」とおっしゃる方がいらして驚愕し、勝手に食事中のお写真を撮らせていただいたり、持参していた先生の著作にサインをいただいたりしながら、1時間半近くかけてゆっくりと夕食をいただいた。
実は、コパンでの発掘がメインの著作なので、コパンにいる日か、あるいは13バクトゥンの始まりの日であるこの日か、どちらかの日にサインをもらおうと思っていて、考えた末、この日にしようと朝からずっと持ち歩いていたのだ。他にも何人か、同じようにこの日にサインをいただいた方がいらした。
19時過ぎに空港に戻ってセキュリティチェックを抜け、19時55分予定の離陸が10分早くなったタカ航空のTA7973便でグアテマラシティに向かう。
タカ航空はスターアライアンスに加盟しているのでANAのマイルが貯まるかと帰国後に事後申請してみたところ、「対象外です」という回答だった。
コパンから延々1日かけてフローレスまで来たけれど、飛行機ならばグアテマラシティまで1時間もかからない。
20時40分にグアテマラシティに着陸し、前回も泊まったグランドホテル ティカル フトゥーラに21時15分に入ることができた。前回はカードキーで苦戦したけれど、今回は素直に部屋に入ることができてやれやれだ。
長い1日が終わった。このツアーの観光も明日の午前中で最後である。
中米3ヶ国旅行記7日目その5 <- -> 中米3ヶ国旅行記8〜10日目
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
「*201212中米3ヶ国の始末」カテゴリの記事
- 中米3ヶ国旅行記8〜10日目(2014.12.29)
- 中米3ヶ国旅行記6日目その1(2014.05.17)
- 中米3ヶ国旅行記4日目その2(2014.02.09)
- 中米3ヶ国旅行記4日目その1(2014.02.08)
- 中米3ヶ国旅行記3日目その3(2014.02.08)
コメント