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2014.12.29

中米3ヶ国旅行記8〜10日目

2012年12月22日(土曜日)


朝食 10日間ツアーの我々は、朝8時にホテルを出発する。19日間ツアーの方々はもう30分か1時間遅めの出発らしい。
 我々はグアテマラシティの観光後はそのまま真っ直ぐ帰国するので、5時半に起きて大ざっぱに荷造りをし、6時半過ぎにレストランに朝食を食べに行った。
 ガイドさんがいらしたので、ご迷惑だろうと思いつつご一緒させてもらい、織物の話などお聞きする。
 これだけしっかり朝ごはんを食べるのも久しぶりという感じがする。このツアーでは、ハムとチーズのサンドイッチのボックスばかり食べていたしなぁと思う。


ショール 集合の8時よりも少し早めにロビーに降りてホテルのお土産物屋さんを覗いた。小さいお店だけれど結構色々と揃っていて、ティカル遺跡のカレンダーと甥っ子へのお土産にTシャツ、あとオリーブグリーンのショールを衝動買いしてしまった。
 割と繊細な感じのショールで、ガイドさんに見せたら「手織りかも知れませんね。」というコメントだったので良しとする。ここまでご一緒してくれたガイドさんは19日間ツアーの方々に同行するのでここでお別れだ。グアテマラの織物のポーチを記念にいただいた。嬉しい。そして、やはりティカル遺跡で買ったものよりもしっかりしている。目利きって重要だ。


カミナルフユ遺跡 19日間ツアーの方がお見送りに来てくださり、名残を惜しんで我々は8時前に出発した。本日のガイドは英語ガイドさんで、添乗員さんが通訳してくれる。
 カミナルフユ遺跡はホテルのすぐそばにある。グアテマラシティにあって、もうほとんどの部分は街として開発されてしまい遺跡は非常に限られた部分しか残っていない。200あったマウンドが30しか残っていないというから、ほとんど10分の1だ。
 この場所に街が作られたのは、ミラ・フローレス湖があって、水の供給が可能だったという理由が大きいという。


 カミナルフユ遺跡は紀元前1000年から栄え、一時衰退したものの400年以降再び栄え、600年くらいまで続いたという。
 カミナルフユとは「死者の丘」という意味で、1930年代にマウンドから人骨が発見されたことからついた名前だ。実際に何という名前だったのか判っていない。
 遺跡内には文字が刻まれてもいるけれど、その文字が解読されていない。だから、マヤ以前からカミナルフユ遺跡の方が発展していたことも判っているのに、その名前すら判らない。
 マヤ遺跡が「石」で作られているのに対し、こちらはアドベという土や粘土から作られているため、保存状態は当然のことながら良くない。
 1990年代前半に、日本のたばこと塩の博物館の調査隊が発掘・保存したそうだ。結構、日本も活躍している。


収蔵物発掘現場 遺跡に入ってまず最初に、2012年2月にJICAの援助によって完成したという博物館を見学した。
 ただし、この博物館に収蔵されているものはほとんどレプリカだ。オリジナルの多くは考古学博物館に収められているという。レプリカが多いからか、写真撮影OKである。
 その他、発掘の様子を地層も含めて表す模型があったり、結構、面白い。
 博物館の中庭には、球技場のマーカーのこれまたコピーが植わっていたりする。


アクロポリスの説明板アクロポリス


 この辺りは、行政機関だったか、あるいは神殿だったのかも知れないという。高温で何かを焼いた跡があるそうだ。
 恐らくはこの壁の上に建物があっただろうということだけれど、特に屋根は全く残っていない。
 この穴というかトンネルが何のためのものなのか、この奥に何があるのかはまだ研究途中・発掘中ということで不明だ。
 一方、この張り出した壁のようなタブレロ・タルー様式(看板の赤い部分)は、明らかにテオティワカンの影響を受けているという。
 そのすぐ隣にマヤの様式(看板のクリーム色の部分)が混在していて、上にどんどん造り足し、被せたことを窺わせる。


ラ・パランガーナラ・パランガーナ


 次に行ったのがラ・パランガーナというところで、これまた用途不明の建物らしい。一応は、トタン屋根に覆われているけれど、古いし、土でできているし、保存がとにかく難しいらしい。
 屋根がかかっている他、遺跡内部には木で通路も組まれ直接踏めないようになっているけれど、屋根だってかなり適当かつ年代物である。遺跡保存の予算はほとんどティカルなども有名な遺跡に配分されてしまい、こちらには来ないという。
 たしかに、トタン屋根の下は、かなり「放ったらかし」という感じだ。


C-2-マウンド


 最後にマウンドから市内を眺めてみましょうとそちらへ歩いて行く途中、何かを燃やした跡が残っているのが見られた。昨日の13バクトゥンの始まりに当たって遺跡内で儀式かイベントが行われていたようだ。
 アグア火山も眺めることができ、その噴火の際にはここまで火山灰が飛んで来たという。
 最終日で疲れが出てきていたこと、今回のツアーはマヤ四大遺跡が目的と思っていたこと、「カミナルフユ遺跡って地味でよく判らない」と思ってしまっていたので、説明を聞くのもメモするのもだいぶおざなりになってしまった。要反省だ。
 カミナルフユ遺跡の見学は30分強だったと思う。


お香の橋 旧市街に向けて移動する途中、いわゆるスラム街を通過した。
 この橋は、お香の橋と呼ばれるという。よくこの辺りで霧が発生することからその名がついたらしい。確かに、霧が発生しそうなすり鉢状の地形になっている。
 グアテマラシティは200年くらいの歴史を持つ街だ。火山の噴火でアンティグアから首都を移したと聞いていたので、もっと新しい都市なのかと思っていた。意外である。
 ガイドさんによると、道がこんなに空いているのは珍しいらしい。


大聖堂外観大聖堂内部 マヤ遺跡ばかり回ってきたので忘れているけれど、グアテマラもキリスト教徒の多い国である。
 市内観光で、中央公園近くにあるサンティアゴ・デ・グアテマラ大聖堂を見学する。
 9時を過ぎたからそろそろ開く筈なのに今日は寒いから遅れているらしい、という説明が可笑しい。寒いときこそ信者を迎え入れようよ、と他人ごとながら思ってしまう。
 街が賑やかなのは翌々日がクリスマスイブで買い出しに出ている人が多いからという説明だ。
 一方、教会は特にクリスマスモードという感じでもない。グアテマラでもっとも崇められているというエスキプーラスの黒いキリスト像のコピーがあった。


パカヤ火山 その後、ガイドさん曰く「びっくりするくらい道が空いていた」ので時間に余裕ができ、展望所に連れて行ってもらった。
 そこからは、左奥にアティトラン湖とそして正面にパカヤ火山を見ることができる。ちょっと風が冷たいけれども気持ちのいい眺めだ。
 パカヤ火山はグアテマラに三つある活火山のうちの一つである。2年前に噴火した際には空港が50日間閉鎖されたという。


 これでツアーの観光予定はすべて終了となり、グアテマラシティ国際空港に向かった。やっぱり道は空いていて、15分くらいで到着する。
 13時15分発アエロメヒコ航空のAM673便でメキシコシティに向かうから3時間も余裕がある。
 昼食として日本食のお弁当が配られ、チェックインする。少し前までアエロメヒコ航空のラウンジがあったけれど今はなくなってしまったそうで、みんな揃って待合コーナーに陣取った。
 添乗員さんが大きな荷物を見ていてくださり、時間も有り余っていることだし、空港内は結構お店が揃っているのでうろうろする。


新聞 本屋さんの店先に置いてあったいくつかの新聞に昨日のティカル遺跡でのセレモニー(我々は見ていない夜の部のもの)の写真が載っていたので、買い求めた。
 合流した先生はどうも誤解していたようだけれど、私はスペイン語など一言も判らないので(正確に言うと、カフェコンレチェがカフェオレで、セルベッサがビールだということだけは知っている)読むことはできないけれど、写真を見るだけでも嬉しい。


 ここまでお土産をほとんど買っていなかったせいか、突然、買い物欲が湧いてくる。
 国立コーヒー協会が販売するコーヒーは、買って帰りたいと思っていたものの一つである。片桐はいり著「グアテマラの弟」という本に、ここの「ウエウエテナンゴ」という銘柄について熱く語られる一節がある。
 ガイドさんは「アンティグア」という銘柄がお勧めだと言っていたけれど、ここは片桐はいりを信じて購入する。


 もの凄く迷って結局購入しなかったのが、大きなお土産物屋さんの壁にかけられていた、アンティークらしい織物である。
 非常に渋い色柄で、かなりかなり惹かれたけれど、かなりいいお値段で、迷った末に諦めた。やっぱり買っちゃえば良かったなぁと今でもたまに思う。


和食弁当 一通りの購買意欲を満たした後、元いたベンチスペースに戻ってお昼ごはんを食べた。
 日本食のお弁当は、意外と美味しい。日本茶かお味噌汁が欲しいなぁと贅沢なことを考える。


 アエロメヒコは時間通りに飛び、15時20分にメキシコシティに到着した。
 アメリカ合衆国と同様、メキシコもトランジットだけなのに入国を強いられる。それなら、わざわざメキシコ経由にするメリットはない気がする。
 しかも、入国審査が大混雑していて、かなり待たされた。同じツアーの方が、後ろに並んでいた女の子にキティちゃんのシールをあげて交流を図れるくらいの時間は十分にあった。
 スーツケースをピックアップして、ボタンを押して赤ランプが点いたら漏れなくオープンチェックが課されるのは行きと同じだ。今回は無事に通過することができた。


 メキシコシティ国際空港で、成田までの便を6時間待つ。この長時間にわたる待ち時間があったからこそ、プライオリティパスを手に入れたのだ。
 往路と同じように全員でラウンジに陣取る。サンドイッチやカナッペなどの軽食と飲み物に不自由しないので、ぐだぐだと飲みながら、食べながら、たまに退屈しのぎにお買い物に行ったりしながら待ち時間を過ごした。
 添乗員さんと先生は、それぞれお仕事をしていらしたようだ。


 6時間の待ち時間を耐え抜き、21時35分、AM58便は定刻通りに離陸した。
 しかし、まだ苦行は待っている。メキシコシティは標高2230mもあるのでエンジンの燃焼効率が悪く、速度が出ないため揚力も得られない。結果、成田空港までのような超長距離便はティファナ経由になる。
 経由地のティファナで給油するため2時間機内待機となり、しかもそのうちのかなりの時間はお手洗いも使えないという状況に置かれた。ティファナでお隣の方が降りたのを幸い、2席分を使って倒れ込むように寝てしまった。


 日付変更線を超えて2日後の12月24日、6時50分に成田空港に到着して解散し、ツアーが終了した。


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