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2014.12.30

中米3ヶ国旅行記の入口を作る

マヤの女性 ここは、マヤ暦が2012年12月21日で一巡することをテーマにマヤ遺跡を中心としたツアーで中米3ヶ国を旅した旅行記への入口である。


 以下の日程をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。


1日目その1 2012年12月15日(土曜日) 成田 −> メキシコシティ(空港)


1日目その2 2012年12月15日(土曜日) メキシコシティ(空港) −> カンペチェ(泊)


2日目その1 2012年12月16日(日曜日) カンペチェ −> カラクムル遺跡


2日目その2 2012年12月16日(日曜日) カラクムル遺跡


2日目その3 2012年12月16日(日曜日) カラクムル遺跡


2日目その4 2012年12月16日(日曜日) カラクムル遺跡 −> チカナ(泊)


3日目その1 2012年12月17日(月曜日) チカナ −> パレンケ遺跡


3日目その2 2012年12月17日(月曜日) パレンケ遺跡


3日目その3 2012年12月17日(月曜日) パレンケ遺跡


3日目その4 2012年12月17日(月曜日) パレンケ(泊)


4日目その1 2012年12月18日(火曜日) パレンケ −> ラ・ベンダ遺跡公園


4日目その2 2012年12月18日(火曜日) ラ・ベンダ遺跡公園


4日目その3 2012年12月18日(火曜日) ビジャエルモサ −> メキシコシティ(空港) −> グアテマラシティ(泊)


5日目その1 2012年12月19日(水曜日) グアテマラシティ −> ホンジュラス入国


5日目その2 2012年12月19日(水曜日) コパン市立博物館・コパン遺跡


5日目その3 2012年12月19日(水曜日) コパン遺跡


5日目その4 2012年12月19日(水曜日) コパン遺跡


5日目その5 2012年12月19日(水曜日) コパン遺跡・コパン石彫博物館


5日目その6 2012年12月19日(水曜日) コパン遺跡(セプルトゥーラス遺跡) −> コパン(泊)


6日目その1 2012年12月20日(木曜日) コパン −> グアテマラ再入国 −> キリグア遺跡


6日目その2 2012年12月20日(木曜日) キリグア遺跡


6日目その3 2012年12月20日(木曜日) キリグア −> フローレス(泊)


7日目その1 2012年12月21日(金曜日) フローレス −> ティカル遺跡(文化遺産保存研究センター)


7日目その2 2012年12月21日(金曜日) ティカル遺跡


7日目その3 2012年12月21日(金曜日) ティカル遺跡


7日目その4 2012年12月21日(金曜日) ティカル遺跡


7日目その5 2012年12月21日(金曜日) ティカル遺跡


7日目その6 2012年12月21日(金曜日) ティカル遺跡(ティカル博物館・ティカル石碑博物館) −> フローレス −> グアテマラシティ(泊)


8〜10日目 2012年12月22日(土曜日)〜24日(月曜日) カミナルフユ遺跡 −> グアテマラシティ −> メキシコシティ(空港) −> 成田


 


その国の旅を終えて 100の質問 (メキシコ編)


その国の旅を終えて 100の質問 (ホンジュラス編)


その国の旅を終えて 100の質問 (グアテマラ編)


 


持ち物リスト(中米3ヶ国編)


2012年12月 「中米3ヶ国 マヤ遺跡」の写真

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2014.12.29

中米3ヶ国旅行記8〜10日目

2012年12月22日(土曜日)


朝食 10日間ツアーの我々は、朝8時にホテルを出発する。19日間ツアーの方々はもう30分か1時間遅めの出発らしい。
 我々はグアテマラシティの観光後はそのまま真っ直ぐ帰国するので、5時半に起きて大ざっぱに荷造りをし、6時半過ぎにレストランに朝食を食べに行った。
 ガイドさんがいらしたので、ご迷惑だろうと思いつつご一緒させてもらい、織物の話などお聞きする。
 これだけしっかり朝ごはんを食べるのも久しぶりという感じがする。このツアーでは、ハムとチーズのサンドイッチのボックスばかり食べていたしなぁと思う。


ショール 集合の8時よりも少し早めにロビーに降りてホテルのお土産物屋さんを覗いた。小さいお店だけれど結構色々と揃っていて、ティカル遺跡のカレンダーと甥っ子へのお土産にTシャツ、あとオリーブグリーンのショールを衝動買いしてしまった。
 割と繊細な感じのショールで、ガイドさんに見せたら「手織りかも知れませんね。」というコメントだったので良しとする。ここまでご一緒してくれたガイドさんは19日間ツアーの方々に同行するのでここでお別れだ。グアテマラの織物のポーチを記念にいただいた。嬉しい。そして、やはりティカル遺跡で買ったものよりもしっかりしている。目利きって重要だ。


カミナルフユ遺跡 19日間ツアーの方がお見送りに来てくださり、名残を惜しんで我々は8時前に出発した。本日のガイドは英語ガイドさんで、添乗員さんが通訳してくれる。
 カミナルフユ遺跡はホテルのすぐそばにある。グアテマラシティにあって、もうほとんどの部分は街として開発されてしまい遺跡は非常に限られた部分しか残っていない。200あったマウンドが30しか残っていないというから、ほとんど10分の1だ。
 この場所に街が作られたのは、ミラ・フローレス湖があって、水の供給が可能だったという理由が大きいという。


 カミナルフユ遺跡は紀元前1000年から栄え、一時衰退したものの400年以降再び栄え、600年くらいまで続いたという。
 カミナルフユとは「死者の丘」という意味で、1930年代にマウンドから人骨が発見されたことからついた名前だ。実際に何という名前だったのか判っていない。
 遺跡内には文字が刻まれてもいるけれど、その文字が解読されていない。だから、マヤ以前からカミナルフユ遺跡の方が発展していたことも判っているのに、その名前すら判らない。
 マヤ遺跡が「石」で作られているのに対し、こちらはアドベという土や粘土から作られているため、保存状態は当然のことながら良くない。
 1990年代前半に、日本のたばこと塩の博物館の調査隊が発掘・保存したそうだ。結構、日本も活躍している。


収蔵物発掘現場 遺跡に入ってまず最初に、2012年2月にJICAの援助によって完成したという博物館を見学した。
 ただし、この博物館に収蔵されているものはほとんどレプリカだ。オリジナルの多くは考古学博物館に収められているという。レプリカが多いからか、写真撮影OKである。
 その他、発掘の様子を地層も含めて表す模型があったり、結構、面白い。
 博物館の中庭には、球技場のマーカーのこれまたコピーが植わっていたりする。


アクロポリスの説明板アクロポリス


 この辺りは、行政機関だったか、あるいは神殿だったのかも知れないという。高温で何かを焼いた跡があるそうだ。
 恐らくはこの壁の上に建物があっただろうということだけれど、特に屋根は全く残っていない。
 この穴というかトンネルが何のためのものなのか、この奥に何があるのかはまだ研究途中・発掘中ということで不明だ。
 一方、この張り出した壁のようなタブレロ・タルー様式(看板の赤い部分)は、明らかにテオティワカンの影響を受けているという。
 そのすぐ隣にマヤの様式(看板のクリーム色の部分)が混在していて、上にどんどん造り足し、被せたことを窺わせる。


ラ・パランガーナラ・パランガーナ


 次に行ったのがラ・パランガーナというところで、これまた用途不明の建物らしい。一応は、トタン屋根に覆われているけれど、古いし、土でできているし、保存がとにかく難しいらしい。
 屋根がかかっている他、遺跡内部には木で通路も組まれ直接踏めないようになっているけれど、屋根だってかなり適当かつ年代物である。遺跡保存の予算はほとんどティカルなども有名な遺跡に配分されてしまい、こちらには来ないという。
 たしかに、トタン屋根の下は、かなり「放ったらかし」という感じだ。


C-2-マウンド


 最後にマウンドから市内を眺めてみましょうとそちらへ歩いて行く途中、何かを燃やした跡が残っているのが見られた。昨日の13バクトゥンの始まりに当たって遺跡内で儀式かイベントが行われていたようだ。
 アグア火山も眺めることができ、その噴火の際にはここまで火山灰が飛んで来たという。
 最終日で疲れが出てきていたこと、今回のツアーはマヤ四大遺跡が目的と思っていたこと、「カミナルフユ遺跡って地味でよく判らない」と思ってしまっていたので、説明を聞くのもメモするのもだいぶおざなりになってしまった。要反省だ。
 カミナルフユ遺跡の見学は30分強だったと思う。


お香の橋 旧市街に向けて移動する途中、いわゆるスラム街を通過した。
 この橋は、お香の橋と呼ばれるという。よくこの辺りで霧が発生することからその名がついたらしい。確かに、霧が発生しそうなすり鉢状の地形になっている。
 グアテマラシティは200年くらいの歴史を持つ街だ。火山の噴火でアンティグアから首都を移したと聞いていたので、もっと新しい都市なのかと思っていた。意外である。
 ガイドさんによると、道がこんなに空いているのは珍しいらしい。


大聖堂外観大聖堂内部 マヤ遺跡ばかり回ってきたので忘れているけれど、グアテマラもキリスト教徒の多い国である。
 市内観光で、中央公園近くにあるサンティアゴ・デ・グアテマラ大聖堂を見学する。
 9時を過ぎたからそろそろ開く筈なのに今日は寒いから遅れているらしい、という説明が可笑しい。寒いときこそ信者を迎え入れようよ、と他人ごとながら思ってしまう。
 街が賑やかなのは翌々日がクリスマスイブで買い出しに出ている人が多いからという説明だ。
 一方、教会は特にクリスマスモードという感じでもない。グアテマラでもっとも崇められているというエスキプーラスの黒いキリスト像のコピーがあった。


パカヤ火山 その後、ガイドさん曰く「びっくりするくらい道が空いていた」ので時間に余裕ができ、展望所に連れて行ってもらった。
 そこからは、左奥にアティトラン湖とそして正面にパカヤ火山を見ることができる。ちょっと風が冷たいけれども気持ちのいい眺めだ。
 パカヤ火山はグアテマラに三つある活火山のうちの一つである。2年前に噴火した際には空港が50日間閉鎖されたという。


 これでツアーの観光予定はすべて終了となり、グアテマラシティ国際空港に向かった。やっぱり道は空いていて、15分くらいで到着する。
 13時15分発アエロメヒコ航空のAM673便でメキシコシティに向かうから3時間も余裕がある。
 昼食として日本食のお弁当が配られ、チェックインする。少し前までアエロメヒコ航空のラウンジがあったけれど今はなくなってしまったそうで、みんな揃って待合コーナーに陣取った。
 添乗員さんが大きな荷物を見ていてくださり、時間も有り余っていることだし、空港内は結構お店が揃っているのでうろうろする。


新聞 本屋さんの店先に置いてあったいくつかの新聞に昨日のティカル遺跡でのセレモニー(我々は見ていない夜の部のもの)の写真が載っていたので、買い求めた。
 合流した先生はどうも誤解していたようだけれど、私はスペイン語など一言も判らないので(正確に言うと、カフェコンレチェがカフェオレで、セルベッサがビールだということだけは知っている)読むことはできないけれど、写真を見るだけでも嬉しい。


 ここまでお土産をほとんど買っていなかったせいか、突然、買い物欲が湧いてくる。
 国立コーヒー協会が販売するコーヒーは、買って帰りたいと思っていたものの一つである。片桐はいり著「グアテマラの弟」という本に、ここの「ウエウエテナンゴ」という銘柄について熱く語られる一節がある。
 ガイドさんは「アンティグア」という銘柄がお勧めだと言っていたけれど、ここは片桐はいりを信じて購入する。


 もの凄く迷って結局購入しなかったのが、大きなお土産物屋さんの壁にかけられていた、アンティークらしい織物である。
 非常に渋い色柄で、かなりかなり惹かれたけれど、かなりいいお値段で、迷った末に諦めた。やっぱり買っちゃえば良かったなぁと今でもたまに思う。


和食弁当 一通りの購買意欲を満たした後、元いたベンチスペースに戻ってお昼ごはんを食べた。
 日本食のお弁当は、意外と美味しい。日本茶かお味噌汁が欲しいなぁと贅沢なことを考える。


 アエロメヒコは時間通りに飛び、15時20分にメキシコシティに到着した。
 アメリカ合衆国と同様、メキシコもトランジットだけなのに入国を強いられる。それなら、わざわざメキシコ経由にするメリットはない気がする。
 しかも、入国審査が大混雑していて、かなり待たされた。同じツアーの方が、後ろに並んでいた女の子にキティちゃんのシールをあげて交流を図れるくらいの時間は十分にあった。
 スーツケースをピックアップして、ボタンを押して赤ランプが点いたら漏れなくオープンチェックが課されるのは行きと同じだ。今回は無事に通過することができた。


 メキシコシティ国際空港で、成田までの便を6時間待つ。この長時間にわたる待ち時間があったからこそ、プライオリティパスを手に入れたのだ。
 往路と同じように全員でラウンジに陣取る。サンドイッチやカナッペなどの軽食と飲み物に不自由しないので、ぐだぐだと飲みながら、食べながら、たまに退屈しのぎにお買い物に行ったりしながら待ち時間を過ごした。
 添乗員さんと先生は、それぞれお仕事をしていらしたようだ。


 6時間の待ち時間を耐え抜き、21時35分、AM58便は定刻通りに離陸した。
 しかし、まだ苦行は待っている。メキシコシティは標高2230mもあるのでエンジンの燃焼効率が悪く、速度が出ないため揚力も得られない。結果、成田空港までのような超長距離便はティファナ経由になる。
 経由地のティファナで給油するため2時間機内待機となり、しかもそのうちのかなりの時間はお手洗いも使えないという状況に置かれた。ティファナでお隣の方が降りたのを幸い、2席分を使って倒れ込むように寝てしまった。


 日付変更線を超えて2日後の12月24日、6時50分に成田空港に到着して解散し、ツアーが終了した。


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中米3ヶ国旅行記7日目その6

2012年12月21日(金曜日)


 すっかり晴れ渡った空の下、昼食をいただいたレストランを出て、木洩れ日を浴びながら気持ち良くティカル博物館に向けて歩く。
 14時半頃に博物館に到着した。徒歩10分くらいだ。
 そこではしゃいでいたせいか、ティカル博物館に着くまで、ツアーメンバーのお一人がいらっしゃらないことに誰も気がつかなかった。到着して人数を数えたところで気がつき、添乗員さんお二人にガイドさん、ティカルの研究者で一緒に歩いてくださっていた方などが一斉に探しに行く。いや、一人くらいは連絡要員を残さないとお互いの意思疎通ができないのではと思ったけれど、そんなことを言うヒマもない。


博物館入口 残された我々は、先生から説明を受けることになった。ここでイヤホンガイドを使っていれば、博物館に我々がいることが伝わるのではないかという思惑もあったようだ。
 ティカル博物館は、ペンシルヴァニア大学が発掘調査をしていたときに、発見した遺物を収蔵するために建てられている。何しろ1964年以来全く修復も行われていないし、何よりそもそもバラック造りなので、見た目もボロっとしている。
 先生もこの状況を見て、ティカル国立公園文化遺産保存研究センターを作らねばと決心したらしい。そしてセンターの隣に博物館を作るという計画があるようだ。


 ティカル博物館(と一応呼ばれている)は、入って左から時計回りに回ると、古いものから順番に見学することができるようになっている。少なくとも、そういうコンセプトが最初にあったことは間違いない。
 写真撮影禁止なのが何となくアンバランスである。


 一番最初に見るのは、紀元前頃の遺物で、乳房状の四本足を持つ器や、ネガティブ紋様が特徴である器などが並んでいる。ネガティブ紋様というのは、要するに、何か細工をすることで「色をつけない」部分を作ることをいうようだ。
 ティカルの器の場合は、例えば焼く前に銅を塗っておくと、その部分には熱が伝わりにくくなるので色が付かず、ストライプ状などの紋様が生み出されているという。


 マヤの一番古い長期暦が刻まれた破片が、遺跡中心部ではなく周辺(アドミニストレーションがあるところ)で発見されている。しかも、「壊された状態で」発見されたらしい。
 マヤの平地で一番古い長期歴が刻まれたものが292年に造られており、そこから、長期歴を刻み王の姿を刻むということが始まったという。
 先生はあっさり説明していたけれど、それってかなりの貴重品なのではあるまいか。


 あと面白いと思ったのは、26代目の王であるハサウ・カアン・カウイル王の墓のレプリカである。
 墓自体はレプリカで、そうすると置かれていた翡翠の飾りなどもレプリカだったんだろう。本物だったら、こんなに無造作に置かないでください! と叫びたくなるような状況だ。


 アクセサリなども展示されていて、翡翠をかなり細かく細工してある。私がアクセサリだと思ったそれは、装飾品というよりは儀式用だったらしい。
 これらが作られた頃は、彫る方の道具も石しかなかった訳で、よくもこんな細工をしたものだと思う。
 411年に即位した「ティカル中興の祖」シフヤフ・チャン・カウィール王が身につけていたという胸飾りなども展示されている。網目模様は身分の高さの象徴だという。コパンで発見されたものよりは小さく模様が粗いのだと、若干、自慢げに語っている先生が可笑しい。


 鏡は、ティカルでは青銅は使われていなかったから、石をひたすら磨いたものらしい。青銅鏡だってびっくりなのに、石を磨いて作ったなんて一体どれだけの時間が費やされたのだろうと思う。
 鹿の骨に細かく彫刻を施したものなども展示されていて、展示物は少ないし、20〜30分もあれば見学は終わってしまうけれど、行って損はないと思う。
 先生の説明を聞きながら装飾品を見て「これが欲しい。」、「こっちの方がいい。」などと言い合っていた我々が言うことではないかも知れないけれど、日本語でとは言わないから、せめて英語で説明があればいいのにと思う。我々は先生の解説を聞きながら見学したから興味深く見られたけれど、そうでないとかなり厳しい感じだ。


ビジターセンターの復元図 全員が揃い、ビジターセンターまで戻って、16時集合で自由見学になった。ビジターセンター内部のお土産物屋さんでお土産を買うも良し、カフェでお茶をしても良し、ティカル石碑博物館を見学しても良し、である。
 ところが、石碑博物館の前に人だかりができていて、中に入れない。あと15分くらいで入れるようになるので、適当に見計らってみんな勝手に見学するようにという話になった。後で聞いたところでは、開催される写真展のテープカットのため入場制限されていたそうだ。


 お土産物屋さんを冷やかす。グアテマラの織物を使ったポーチやテーブルセンター、定番のマグカップや遺跡関連の書籍、ピラミッドの置物、ジャングルの音のCDなどが売られている。
 グアテマラからの郵便は当てになりませんと言われたので見ようと思っていなかったけれど、記念切手をお土産に買った方がいらして、私もそうすれば良かった! と後になって悔やんだ。
 ラム酒の小瓶を買った方もいらしたし、何故か先生まで北のアクロポリスの写真が描かれたマグカップをお買い上げになっていた。
 先生がやけに「お土産を買うこと」を推奨するので、小銭入れになりそうなポーチをお土産にいくつか購入した。


石碑博物館 ティカル石碑博物館は、最初は「グループで1枚のチケットしかないので皆さんまとまって。」と言われたけれど、セレモニーが終わってみれば誰でも出入り自由という状態になっていた。よく判らない。
 そして、みんながオープンを待っていたので大混雑し、停電したらしくて照明が点いておらず暗い。最初のうちは目が慣れるまで待とうとツアーの方とお土産の見せ合いっこなどしていたけれど、添乗員さんに「見事なものがありますから、ゆっくり見てくださいね。」と言われて、なるべく外光が当たっているところから見始めた。
 ステラは、割れていたり、折れていたり、穴が開いたりしているものも多い。
 左側の王から右側の王へ何かを渡している絵が刻まれていたり、その辺りの細かさは見事だ。


 石碑16と祭壇5は、ピラミッドに付属するものの中ではもっとも保存状態がよいと言われている。
 特に祭壇5は、ハサウ・チャン・カイール王がお墓を掘り返している絵が刻まれている様子が見事に彫られ、残っている。「だったらこの人が手に持っているのは頭蓋骨!」と叫んだら、先生に「そうではありません。」と一刀両断で否定された。
 私の目にはどう見ても頭蓋骨だったけれど、先生によると当時の王が持っていた斧(のようなもの)だそうだ。
 頭蓋骨も彫られているけれど、それはこのお墓から掘り出したものではなく、どこかから儀式のために持ってきたものだという。


 クック・モという人名が刻まれた石碑もあり、コパン建国の頃に作られた石碑であることから、コパン初代の王ヤシュ・クック・モ(王になると「ヤシュ」が名前につくらしい)はティカル出身で、この石碑に刻まれているのと同一人物ではないかという説もあるそうだ。
 こういう説明もメモは残したけれど、残念ながら写真撮影禁止だったので、もうどんな石碑だったのかどうか記憶に残っていない。
 ティカル博物館には「ティカルの女」、ティカル石碑博物館には「ティカルの男」と呼ばれる座像があり、折角なら並べて展示してくれればいいのにと思う。


 バスがティカル石碑博物館の前まで迎えに来てくれて、16時過ぎにティカル遺跡を後にした。
 夕食を落ち着いていただけるようにまずは国内線にチェックインしてしまいましょうと、フローレスの空港に向かう。バスの中はもちろん爆睡し、1時間くらいで空港に到着した。
 スーツケースのチェックのため、台に自力で乗せるのが一番大変だったくらいで、空いていたこともあり、チェックインはすぐに終わった。17時半頃に、空港を出発する。


夕景 夕食は空港からすぐのところにあるカソナ・デル・ラゴホテルのレストランでいただいた。
 ホテルはペテンイツァ湖畔にあって、実はこの旅行でペテンイツァ湖をちゃんと見たのはこのときが最初で最後だったと思う。何しろ、昨日は暗くなってから到着したし、今日は暗い内にホテルを出発し、夕食後はグアテマラシティに向けて飛行機で飛んでしまう。
 ここまで二つのツアーが合体していたけれど、我々は明日の午前中にカミナルフユ遺跡を見学した後で帰国、19日間ツアーの方々は明日アンティグアに向かうので、全員で食事をするのはこれが最後だ。


メインディッシュ みなで乾杯し(私はgaloというニワトリマークのグアテマラ定番のビールにした)、グリーンサラダ、クルビーナというお魚のソテー、コーヒーケーキにコーヒーという夕食をいただく。
 「写真を1枚しか撮っていない。」とおっしゃる方がいらして驚愕し、勝手に食事中のお写真を撮らせていただいたり、持参していた先生の著作にサインをいただいたりしながら、1時間半近くかけてゆっくりと夕食をいただいた。
 実は、コパンでの発掘がメインの著作なので、コパンにいる日か、あるいは13バクトゥンの始まりの日であるこの日か、どちらかの日にサインをもらおうと思っていて、考えた末、この日にしようと朝からずっと持ち歩いていたのだ。他にも何人か、同じようにこの日にサインをいただいた方がいらした。


 19時過ぎに空港に戻ってセキュリティチェックを抜け、19時55分予定の離陸が10分早くなったタカ航空のTA7973便でグアテマラシティに向かう。
 タカ航空はスターアライアンスに加盟しているのでANAのマイルが貯まるかと帰国後に事後申請してみたところ、「対象外です」という回答だった。


夜景 コパンから延々1日かけてフローレスまで来たけれど、飛行機ならばグアテマラシティまで1時間もかからない。
 20時40分にグアテマラシティに着陸し、前回も泊まったグランドホテル ティカル フトゥーラに21時15分に入ることができた。前回はカードキーで苦戦したけれど、今回は素直に部屋に入ることができてやれやれだ。
 長い1日が終わった。このツアーの観光も明日の午前中で最後である。


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2014.12.28

次の旅計画(国内編 覚え書き その10)を考える

 2014年も年の瀬となったので、経県値&経県マップを更新するのと同時に次の旅計画・国内編を更新することにした。

 更新後の私の「経県値&経県マップ」は、こちらである。
 経県値&経県マップは昨年から変更なしだった。

 ちなみに、旅したことがあるかどうかが私のテーマなので、サイトの趣旨とは外れるかもしれないけれど「住んだことのある県かどうか」は外し、あくまで「宿泊したか」「観光したか」に絞ってマークしてある。

 「宿泊した県」の詳細は以下のとおりである。
 複数回行ったことのある県は、最新のものを載せてある。

 北海道(2014秋、旭山動物園と寝台特急北斗星)
 宮城県(2014春、三春の滝桜ツアーで作並温泉泊)
 山形県(2012夏、月山・鳥海山ツアーで湯野浜温泉泊)
 福島県(2013春、スパリゾートハワイアンズへ)
 茨城県(高校の合宿で高萩へ)
 栃木県(2014夏、中禅寺金谷ホテル泊)
 群馬県(草津温泉に行った記憶がある)
 千葉県(2014初夏、勝浦でタラソテラピー)
 東京都(2010秋、汐留のホテルでレディースプラン)
 神奈川県(2014秋、湯河原温泉へグループ旅)
 新潟県(大学のゼミ合宿で)
 富山県(2007秋、立山黒部アルペンルート)
 石川県(学生時代、金沢にバスツアーで行った)
 福井県(2010冬、福井駅前に泊まって永平寺の冬の燈籠まつりへ)
 山梨県(2012夏、甲府で山梨県立美術館と葡萄狩りの旅)
 長野県(2013夏、白馬再々訪)
 岐阜県(高山って岐阜県だったのか・・・)
 静岡県(2013夏、舘山寺温泉へグループ旅)
 三重県(2008冬、伊勢神宮へ)
 京都府(2011年末、智積院会館で初宿坊体験)
 大阪府(海遊館目当てで)
 奈良県(2013春、吉野の桜)
 和歌山県(2006GW、熊野古道)
 岡山県(倉敷の大原美術館へ)
 広島県(高校の修学旅行以来)
 熊本県(阿蘇山へ)
 大分県(別府温泉は大分県だった・・・)
 宮崎県(高千穂へ)
 鹿児島県(2011秋、霧島温泉と指宿温泉と桜島)

 次の旅計画候補は以下のとおりである。

・白神山地(世界遺産のブナの森を歩きたい)
・屋久島(世界遺産だし。美味しい水を飲みたい)
・沖縄(できれば、八重山に)
・西伊豆(海に沈む夕陽を見る)
・川原湯温泉(ダムの底に沈む前に)
・四万十川を見る(実は四国に行ったことがない)
・大阪の国立文楽劇場(どうせ文楽を見るのなら専用劇場で)
・イサム・ノグチ庭園美術館(香川県にあるらしく、しかも事前予約制であるらしい)
・高知県立美術館(シャガールのコレクションが1300点!)
・萩・津和野・秋吉洞(高校生の頃新井素子の「あなたにここにいてほしい」を読んで行きたいと思ったことを思い出した)
・青春18きっぷの旅をする
・羽島に行って円空仏を見る(北森鴻の小説の影響である)
・平泉で芭蕉を偲ぶ(そういえば中尊寺に行っていない)
・どんぴしゃりのタイミングで紅葉を見る(京都か奥入瀬か)
・高野山で宿坊に泊まる
・釧路から羅臼まで最長路線バスの旅(流氷リベンジを兼ねて)
・箱根の温泉に宿泊して箱根駅伝応援!
・出雲大社にお参りして出雲駅伝を応援!
・紅葉の時期に比叡山延暦寺の宿坊に泊まる
・蟹三昧!
・四国でお遍路

 また思いついたら(思い出したら)追加しようと思う。

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2014.12.25

640000アクセス達成!

 昨日(2014年12月24日)、クリスマスイブにどなたかが640000アクセス目を踏んでくださった。
 かなりペースが落ち着いて来て、それはそれでちょっと寂しかったりする。
 これまでの経過は以下のとおりである。

 スタート 2004年9月1日
 10000アクセス 2005年7月17日
 50000アクセス 2006年11月22日
100000アクセス 2008年6月15日
150000アクセス 2009年2月21日
200000アクセス 2009年11月30日
250000アクセス 2010年9月16日
300000アクセス 2011年5月26日
350000アクセス 2012年2月8日
400000アクセス 2012年9月3日
450000アクセス 2013年2月19日
500000アクセス 2013年8月14日
550000アクセス 2014年1月14日
600000アクセス 2014年7月7日

610000アクセス 2014年8月10日
620000アクセス 2014年9月9日
630000アクセス 2014年10月22日
640000アクセス 2014年12月24日

 こうして続けていられるのは、遊びに来て、読んでくださる方のおかげです。
 ありがとうございます。
 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

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2014.12.21

中米3ヶ国旅行記7日目その5

2012年12月21日(金曜日)

5号神殿 裏側からぐるっと回り込むような感じで、5号神殿の正面に辿り着いた。
 地味だけれど高さ57m、実はティカル遺跡で2番目に高い建物である。
 正面の階段の左側に梯のような階段が付いているけれど、現在は上ることはできない。
 残念だ。
 裏から上るための補助用の階段を付けるというアイデアが出ているというお話だけれど、計画が具体化しているような気配はかけらもない。

5号神殿の屋根飾り 5号神殿の一番上の建物の入口は金網が張られている。あそこは何かと質問してみたら、もの凄く狭い(ものの本によると75cmくらいというから、畳の幅よりもまだ狭い)小さい部屋があるそうだ。
 そんな狭いところで何をしていたかというと、王が祖先や神と対話をする場所として使っていたという。だから暗くて狭くてもいいというか、暗くて狭い方がいいらしい。
 対話した後、出てきた王は、下で待ち構えている民衆たちに得られた啓示を語ったそうだ。

 屋根飾りは全体の形として山を表しており、神殿の入口は山にある洞窟の入口と同視されている。
 あの入口から部屋に入るということは、山の洞窟に入るのと同じ意味を持ち、洞窟の中で神と話をするという寸法だ。
 屋根飾りには、顔や胡座を組んだ神の像が彫られていた筈だけれど、今ではもうほとんど確認することはできない。

修復中 5号神殿は、ほとんど内部の調査や修復は行われておらず、とりあえず外部というか表面部分だけ修復して公開している状態らしい。
 少し裏に回ると、修復中の様子を見ることができる。
 5号神殿と中央アクロポリスに間には大きな貯水池があって、貯水池に向かって水路が作られている。雨をため込むようになっていて、水路も漆喰で塗られていた筈だという。
 そういえば、NHKの番組で、水を集めて貯水池に流し込んでいるようなCGを見たなぁと思い出した。その中に自分がいると思うと変な感じである。

グループGグループG

 少し歩いて、グループGに到着した。
 グループGは宮殿だったと言われている場所だ。低い建物の連なりは確かに「神殿」というよりは「宮殿」というイメージである。
 内側には壁画が残されているけれど、残念ながら見ることはできない。壁画には生け贄となった人物の絵が描かれているという。心臓が取り出されているところが描かれており、実際にその様子を見て衝撃を受けた人が描いたのではないかということだ。

縦溝の宮殿 それとは別に内側の壁に縦方向の溝が彫られていることから、縦溝の宮殿とも言われている。
 縦溝と言われれば縦溝だけれど、それがどうして建物の名称になるほど注目されるのか、浅学な私には判らないところが残念である。
 この辺りは9世紀前半に造られていて、ティカル遺跡の中ではかなり新しい部類の場所だ。
 ガイドさんによると「普通のツアーだったらここまでは絶対に来ないです。」という話だった。

トンネル 今はトンネルの中には入れないけれど、この中に壁画があると聞いて、無理矢理ISO感度を上げて写真を撮ってみた。
 一応中の様子が判る程度には写るけれど、壁画らしきものの姿はない。
 聞いてみれば、奥に見えている階段を上がって左に折れたその正面にあると言う。それでは、どんなにがんばったって見える訳がない。笑ってしまった。
 階段の両脇にも壁画があるらしい。それを撮るのはちょっと無理というものだ。

 この後、しばらく一本道を歩いて6号神殿に向かった。6号神殿はぽつんと離れたところにある。
 もう12時半も回っているけれど、遺跡見学をすべて回ってからお昼ごはんという予定らしい。まだ先は長い。しかし、意外と疲れていない。マヤ暦最後の日にティカル遺跡にいるという興奮もあるし、現実的に朝のうちが曇っていてしのぎやすかったということもある。
 添乗員さんもガイドさんも「今日は本当に過ごしやすいですよ。」、「虫もいないし。」、「いつもよりずっと涼しいです。」と口を揃える。我々を励まそうという意図もあったかも知れない。

 てくてくと歩きながら万歩計の話になった。しかし、このツアーでは、遺跡をもの凄く歩いている気がしている割に万歩計の歩数は伸びていない。
 この日もこの時点で10000歩くらいだったし、これまでも1日15000歩くらいが最高である。遺跡にいるときは歩いているけれど意外と時間は短いし、それ以外の時間はほぼずっとバスに乗っているからだろう。

 ちなみに、この旅行中の歩数はこんな感じだった。
 かなり適当な万歩計で、しかも、この日(12月21日分)はどこかでリセットボタンを押してしまったようで、ちゃんと測れていなかった。残念。

 2012年12月15日 10923歩 (出発日)
 2012年12月16日 14052歩 (カラクムル遺跡の日)
 2012年12月17日 13947歩 (パレンケ遺跡の日)
 2012年12月18日 14021歩 (ラ・ベンダ遺跡公園の日)
 2012年12月19日 18396歩 (コパン遺跡の日)
 2012年12月20日  7851歩 (キリグア遺跡の日)
 2012年12月21日 ?????歩 (ティカル遺跡の日)

 歩く話から連想したのか、添乗員さんがロライマ・トレッキングは大変だったけど楽しかったというお話をしていた。
 雨には降られる、虫も多い、汗だくになる、テント泊だからシャワーなんてもちろんない、テントの中に干したってぐしょ濡れの衣類が乾く筈もない、それだけ過酷だったけれど、過酷だったからこそ楽しかった、とおっしゃる。
 やっぱり添乗員さんはタフじゃないと務まらないわとしみじみと思う。

6号神殿表6号神殿裏 6号神殿との初お目見えも裏側だった。
 ぐるっと正面に回っても、見えているのは、上に乗っかっている建物部分だけである。
 6号神殿は、中心部から離れていることもあって発見されたのが遅く、1951年だ。当時は、高さ6mくらいのマウンドだったというから、それは見つけにくかったことだろう。
 27代目の王であるイキンによって造られたもので、イキンの墓ではないかと考える人もいるという。

神聖文字 窓というか入口が三つあるのは、特徴的な様式だと教わった気がするけれど「どこに」とか「何に」特徴的なのか聞きそびれてしまった。
 ずんぐりむっくりな形は2号神殿に近いという話は覚えている。どうも説明していただいても繋がっていない。

 6号神殿は、また、屋根飾りの部分に多くに神聖文字が刻まれているため碑銘の神殿とも呼ばれているという。しかし、一体どの部分が文字なのか全く判らなかった。
 家に帰ってから撮った写真を子細に検討した結果、神殿の入口の上、建物と屋根飾りとの境目が少し出っ張っている部分があって、その部分にぐるりと文字が彫られているような気がした。

 これで見学はほぼ終了である。
 入口にあるレストラン「エル・メゾン」に向けて、みな、心持ち早足で歩き始めた。
 駐車場の大混雑の割に遺跡内部は意外と人がいなくてゆっくり見学できた。集団で祈ったり踊ったりしていた人がいた分、周辺部分にはあまり人がいなかったらしい。
 10分くらい歩いて、遺跡入口のレストランに「やっと」という感じで到着した。
 実はまだ13時過ぎだ。何だかもっとずっと長く歩いていたような気分である。

スープバーベキュー

 レストランは大混雑していた。
 本日のランチのメニューは野菜スープ、牛のバーベキュー、そしてデザートのバナナである。ツアーメンバーに牛肉が苦手な方がいらして、元々はチキンの予定だったけれど、あまりにもレストランが混雑していて選択の余地が失われたらしい。
 飲み物はビールとあと炭酸飲料が多い。これだけぐだぐだでビールを飲むのは危険を感じるけれど、甘い飲み物はパスしたい。大人しく、カナダドライのクラブソーダにした。ノンアルコールで3ドルとは、改めて考えるとかなりの「観光地価格」である。

 お隣では先生たちがスペイン語で何やら深刻そうに話していて、研究の話をしているのかと遠巻きにしていたら、ふっと途切れたときにこちらに振られた話が「**さんと++さんは、どちらが年上?」だったので、ずっこけた。
 ツアーメンバーを年齢順に並べようとスペイン語で侃々諤々議論していたらしい。思わず笑ってしまった。
 その後、就業規則だとか、年休の取り方だとか、労働基準法関係の話が続いた理由は謎である。

 屋根はあるけど壁はない野外レストランでバーベキューである。この昼食時がこの旅行中で一番虫に悩まされたような気がする。
 野外レストランらしいことといえばもう一つ、何だか不穏な風が吹いているなぁと思っていると、突然、スコールが降り出した。
 不穏な風がどんな風かと言われると説明が難しい。木々から葉を落とし、落とした葉を巻き上げるような突風である。そうしているうちに、急に土砂降りの雨が降り、雷まで鳴り出した。
 まるで、何かの瑞兆か凶兆かというような雷雨だ。

 この雷雨が止むのを待ちつつ、昼食休憩は1時間くらい取った。
 また日が射し始めた頃、博物館に向かって移動を開始した。

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2014.12.07

中米3ヶ国旅行記7日目その4

2012年12月21日(金曜日)


 ティカル遺跡4号神殿は、下の方はまだ完全に土に埋まっていて、その周りに木の階段が作られており、上るのは楽である。幅が狭く一段一段も高いピラミッドそのものを上るよりもはるかに楽に一番上に到達した。
 頂上からは、この眺めを一望できる。ジャングルからピョコピョコと神殿の上部だけが飛び出しているビジュアルは、スターウォーズでお馴染みだ。
 4号神殿の上に到達したのが11時前くらいで、折良く晴れてきたのも嬉しい。


失われた世界 4号神殿のてっぺんから、失われた世界のピラミッドが見える。
 位置でいうと、3号神殿よりも手前、向かってかなり右側の方だ。
 先生がうっかり「これから上る・・・。」と言いかけたから、割と最近まで上ることができたのかも知れない。そう思うと「もっと早く来ておけば!」という気持ちが湧いてくる。
 しかし、そんな気持ちは風に吹かれているうちに飛んで、眺めを堪能する。


 ガイドさん曰く「ここが一番暑い」というお話で、確かに日光を遮るものが全くなく、日当たり良好である。夏だったらもっとジリジリするのかも知れないけれど、12月のこの日は、ガイドさんや添乗員さんが口々に「今日はしのぎやすい」と言うだけあって、それほど参りそうな暑さではなかった。


4号神殿から この眺めがあれば写真撮影大会が開催されるのは当然である。
 1号から3号神殿を一望できる。5号神殿は、失われた世界の向こうにあり、高さ57mと少し低く、見ることはできない。
 4号神殿は高さ65mで、エル・ミラドール発見前まで、近代以前の建物としてはアメリカ大陸で一番高い建物だったそうだ。
 もっとも、ティカル遺跡のミラミッドが「高い」のは、これまで見てきた遺跡のピラミッドと違って屋根飾りが残っていることが大きな要素らしい。確かに、1号神殿や2号神殿を見ると、あの屋根飾りがなかったら5mや10mはその「高さ」が低くなりそうな感じはする。


 屋根飾りはどの神殿にもあった訳ではなくて、重要な建物にのみ付けられている。
 ティカルでは、屋根飾りがある神殿が六つ確認されている。
 高さがNo.1ということもあって、4号神殿はこれを建てたイキンという王の墓ではないかと推測されているという。しかし、墓の有無を調べられるまでに4号神殿が発掘されるのはいつになるんだろうと思ってしまう。何しろ、4号神殿は最上部以外は未だ小山の中である。


近道 眺めを満喫し、ガイドさんが「そろそろ降りますよ。」と促すのに「降りたくな〜い!」と我が儘を言いつつ、僅か20分の4号神殿登頂が終了した。
 本当にずーっといても全く飽きることのないような場所だった。
 少しばかりジャングル体験っぽい近道を歩いて次に向かうのは、失われた世界である。
 こういう道は迷いやすいので(ガイドさんですら迷うと言う)、観光客が使うことはほとんどないらしい。確かに歩いている人の姿は見かけない。使うのは、遺跡に慣れた先生たちやスタッフくらいのものらしい。
 それにしても、緑の下は涼しい。


 「失われた世界って何が失われたんですか?」と質問したところ、別に何かが失われた訳ではなく、ペンシルバニア大学が最初に調査に来たときに、その辺りの景色がコナン・ドイルの「失われた世界」を彷彿とさせた、というのが名称の由来らしい。
 「失われた世界」の舞台のモデルはギアナ高地だったと思う。ペンシルバニア大学の人々には、当時のティカルがよっぽど隔絶された世界に思えたのだろうか。


49号建造物 木々の間からピラミッドが見え始め、ぐるっと回って到達したのが失われた世界のピラミッドだった。
 4号神殿から見えたピラミッドはこれではなくもう一つ奥にある54号建造物で、こちらは49号建造物だ。上ることもできる。上れるピラミッドには上るのがお約束なので、もちろん上る。
 このピラミッドは,テオティワカンの様式を取り入れられている。


失われた世界49号建造物からマヤアーチ 真ん中の崩れている部分を避けて階段を上る。
 本当に隅っこギリギリまで行くと、4号神殿を見ることができる。屋根飾りの本当に最上部しか見えていないから、あちらからこの49号建造物が見えないのも当然だ。
 また、上部にある建物の中では、綺麗にマヤアーチが残っている様子を見ることができる。白く漆喰が塗られて木の梁が残っているマヤアーチは結構珍しい。


 ガイドさんから「降りますよ。」という声がかかると、「えー!」と声が上がって、写真撮影大会が再び始まるのは毎度のことだ。
 過ごしやすいと言われても、やはり腿上げ運動を繰り返しているから汗びっしょりである。
 急な階段は上るときよりも下るときの方が断然恐い。最初に降ろす足を変えると筋肉痛が分散されるとアドバイスがあった。でも、利き足から降りる方が恐くないような気がする。
 それなのに「上るべきピラミッドはこれで最後です。」と言われてショックを受けているのだから、我ながら可笑しい。
 2号神殿が上れなくなって、修理が間に合わなかったのが本当に残念である。


54号建造物 上れなくなってしまったピラミッドの一つが、先ほど4号神殿から見えた54号建造物である。
 54号建造物からは、太陽の観測が行われていたらしい。東の方向を見て、太陽の昇る位置で季節の変わり目を判断していたそうだ。
 この54号建造物の上から見ると、4号神殿が夕日のシルエットに浮かぶらしい。それはぜひ見たかったなぁと思う。
 ガイドさんと先生の間では、「一番美しいのは1号神殿の上からの景色」と意見が一致していた。1号神殿に上ると、2号、3号、4号神殿を見ることができるという。しかし、もちろん、1号神殿には上れないのだった。


めがね 54号建造物にも、テオティワカンの影響なのか、雨の神であるトラロックの眼鏡が側面に作られていた。
 「失われた世界」はティカルでもっとも古い場所の一つで、その基盤は紀元前の時代から作られて段々と大きくされてきたらしい。王家のものだと思われる墓も発見されていて、副葬品はグアテマラシティの博物館に納められているという。今回の旅では見られない。


 ここからずっと南に向かったところに、試掘した穴がある。
 そこは10mも掘り進めたところにぽっかりと建造物が埋まっているという感じになっていて、普通だったら、そこまで到達する前に諦めているよね、という感じの「気配のない」場所らしい。その試掘された建物は4世紀くらいの建造物だという。
 ティカルは、昔から重要な場所として機能してきているし、だとすると、例えばこの場所も掘られていない地面より下の部分に何が埋まっているか判らない、と言う。
 何というか、果てしない話だなぁと思って先生の話を聞いていた。


54号神殿の裏 ぐるっと回って54号神殿の裏手に出た。
 何だか珍しくいい感じだわと思ったのは、後になってみると、あまり裏っぽくないからだと思う。ティカルの神殿は表と裏がきっぱりと判るものが多く、この54号建造物は割と裏も裏っぽくないのだ。
 54号建造物の裏の方向に神殿が三つ並んでいて、そのどの神殿から日が昇るかで、春分・秋分、夏至、冬至を観測したという。
 しかし、紀元前の頃はそれで良かったけれど、例えば南のアクロポリスができて太陽が見えなくなってしまっており、その後、例えば建物の内部から見て判断できるような覗き穴を開けるなどの精緻な仕掛けを作ったのではないかというのが先生の推測だった。


 失われた世界の中か、そのすぐ横かはよく判らなかったけれど、54号神殿からすぐのところで何か儀式が行われていた。
 ガイドさんに「どうしてここが神聖な場所だって判るんですか?」と尋ねたところ、人だかりで見えなかったけれど、人が集まっていた場所に祭壇があるのだという。
 この場所での儀式は、グランプラザでの儀式よりも、オープンではないというか、より神聖なものだと思うという話だった。


七つの神殿の広場の模型 少し歩くと、七つの神殿の広場の模型があった。トタン屋根が付けられて、保護されているといえば保護されている、という風情である。
 その隣にあるバラック風の建物に発掘されたものが保存してあるそうで、先生曰く「これを見てダメだと思った」ということだった。
 何というか、気持ちはよく判る。保護しようという気持ちはあるけど、あまり訳に立っていない、雨ざらしじゃないだけまし、という感じだ。


 七つの神殿の広場という名前は、七つの建物があるからそう名づけられている。真ん中に少し大きな建造物があって、その両脇に三つずつ建物が並んでいる。
 手前に球技場を三つ並べた場所があり、これから球技場の間を抜けて広場に向かう。
 球技場が一つだけでなく三つも並んでいるというのは初めてのパターンだ。


 この近くに日本の援助で作られた看板があった。それを立てるだけで、同じく調査に入っていたスペインとの間でもの凄い軋轢があったという。
 一緒にやりましょうという話も出たけれど、どうも「一緒にやりましょう」は「お金だけ出してね」というのと同じ意味らしいと何回かやりとりするうちに判って来て、「いや、それはお断りします」という話をしたら、嫌がらせの嵐だったり、スペイン政府と日本政府との間で話が勝手にまとまりそうになったり、紆余曲折あったらしい。


 結果として、現状、スペイン経済が悪くなったこともあってスペインは調査から引き気味となり、中央アクロポリスの調査計画も頓挫しているという話だった。
 何というか、「援助」とか「調査」とか「協力」とかいうもののえげつない裏話である。調査そのものだけでなく、そういう問題も乗り越えないと遺跡の発掘をしかも外国でやることはできない。


七つの神殿の広場 球技場の間を抜けて、七つの神殿の広場に入った。
 一つ一つの建物は大きくないけれど、全体として見ると、今修復されているものの中では大きいらしい。両脇に控える建物は崩れかけてしまってもいる。
 この建物の並びからしても、かなり儀礼的な使われ方をしていただろうという話だ。一部は発掘調査も行われていて、ガイドさんは入ったことがあると言う。


 七つの神殿の広場の隣に南のアクロポリスがある。そこは単なるジャングルというか、小山に見える。
 発掘をするにも、ティカルは幸か不幸か世界自然遺産でもあるので、木の伐採等、発掘に不可欠なことを行うにも許可を取るのが大変らしい。
 しかし、南のアクロポリスはこれまで全く調査の手が入っておらず、また、規模としても大きく、変な言い方だけれど、「絶対に何かが埋まっている」場所らしい。


 南のアクロポリスを通り過ぎれば、そこには5号神殿がある。


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