奥日光旅行記(2014)の入口を作る
ここは、母と2014年に出かけた奥日光旅行記への入口である。
この1泊2日の旅行にかかった費用は、一人分約29500円だった。ここには、交通費、ホテル代、食事代、入館料等が含まれているが、お土産代は含まれていない。
以下の日程をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。
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ここは、母と2014年に出かけた奥日光旅行記への入口である。
この1泊2日の旅行にかかった費用は、一人分約29500円だった。ここには、交通費、ホテル代、食事代、入館料等が含まれているが、お土産代は含まれていない。
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2014年7月28日(月曜日)
昨夜、目覚ましは一応7時にかけたとき、多分、もっと早くに起きるよねと言い合った。
確かに5時半に目が覚めたもののそのまままた寝入ってしまい、ちゃんと起きたのは6時45分だ。
旅先にしてはよく寝たなぁという感じだ。
ぱぱぱっと支度をして、7時過ぎに温泉に向かった。気持ちいい。このときの朝風呂が、3回行った中で一番混雑していた。それでも5〜6人だから快適である。
母が「花子とアン」を見たいと言い、「きっとそういう人が多いよ。」と言いながら、見終わった8時15分に朝食に行った。
昨日と同じレストランである。
チェックインのときに、20時までにリクエストしてかつプラス500円で和食に変更できますと教えてもらったけれど、母も私も旅先では洋食派なので、もちろんそのままである。
見回してみると、結構和食をいただいている方が多かった。お隣のテーブルから聞こえて来たお話だと、洋食をいただいている方もいるので、納豆は匂いが強すぎるのでお出ししていません、ということだった。なるほどと思う。
朝食は、ビュッフェではなくすべてサーブしてもらえる。
ジュースは、オレンジ・アップル・パイナップル・トマト・牛乳から選べる。何だか変わったものが飲みたくなって、珍しくパイナップルを選んだ。
母が「ジュースなら大丈夫なの?」と不思議そうな顔をしている。私は生のパイナップルは口の中が痛くなるので苦手だ。
その母は、牛乳を選んでいる。
卵料理も、スクランブルエッグ・目玉焼き・ゆで卵・オムレツから選ぶことができ、母はスクランブルエッグ、私はオムレツである。
卵料理の付け合せは、母はチョリソー、私はベーコンにする。
これにトーストとバター、ジャム(イチゴジャムとマーマレード)が出され、コーヒーまたは紅茶を選べる。
ロールパンとトーストが出され、トーストは食べ放題(おかわり自由)である。
さすがにこんなにしっかり朝から卵料理を食べることはないので、ロールパンとトースト半分でお腹がいっぱいになった。
レストランから部屋に戻る途中、ホテルのギフトショップに立ち寄った。
先ほど食べたマーマレードがあまりにも美味しかったので買い求める。母は、ご近所の方からいただきものをたくさんしているからとお土産にクッキーを購入していた。
ホテルの「お土産物屋さん」としてはかなり狭いのに、でも、必要十分な品揃えだと思う。
今日は、路線バスで東武日光駅までいったん戻ってミラコロをコインロッカーに入れ、それから滝尾神社に行こうかと思っていた。しかし、考えてみるとせっかく中禅寺湖畔に泊まったのに湖を見ていない。
お天気もいいし、部屋に置いてあった紙に竜頭の滝まで徒歩20〜25分と書いてあったので、チェックアウト後、竜頭の滝まで湖畔を歩くことにした。
その後、竜頭の滝からバスでホテルに戻り、ホテルの送迎バスで駅まで送ってもらおうという計画である。
9時半頃にチェックアウトした。
荷物を預かってもらい、念のため11時10分の送迎バスを利用することを告げ、竜頭の滝までの道筋を教えてもらう。ずっと中禅寺湖畔沿いに歩けると思っていたら、湖畔から奥に結構入ることになるようだ。
チェックアウトのとき、ルームチャージが30%引きになるチケットをいただいた。金谷ホテルクラスであっても、やはりリピーターを確保することは、営業戦略上、重要なんだなぁと思う。
歩き始めてすぐ、目の前にある中禅寺湖畔ボートハウスに、吸い寄せられた。気持ちのいい建物だ。
テラスにあるベンチに座って中禅寺湖の眺めを満喫し、建物内部の展示物も見学する。
歩き始めると、涼しい。思わずストールを首に巻き、もう1枚ストールを取り出して肩にかける。涼しいというよりも寒いくらいだ。
最初のうちは、水面近くを歩けたことと、木々が茂って日光が遮られていた歩道を歩いていたからということもあると思う。
逆に、湖畔を離れて車道脇の歩道を歩き始めてからは暑かった。
直射日光が当たると暑い。
10時19分竜頭の滝バス停発のバスでホテルに戻りたいので、結構、時間はタイトである。最初にボートハウスに寄ったのが失敗だった。でも、水もきれいだし、緑もきれいだし、空も晴れ渡っていたし、気持ち良かったからいいのである。
余裕があれば、滝上まで上ってそこからバスに乗るというプランもあったけれど、時間的にそれはちょっと無理そうだ。
その代り、竜頭の滝の滝つぼをゆっくり眺め、流れ落ちた滝がさらに中禅寺湖に向かって流れ出す眺めを堪能した。
バスでホテルに戻り、もう1回、ボートハウスで寛ぐ。
バス停からホテルの建物入口までの坂をひいひい言いながら登る。私だけが筋肉痛になり、母は全く無事だったのが釈然としない。
荷物を出してもらい、もうすでに待っていたバスに乗り込む。
バスは走り出してからエアコンを入れていた。どうしてなんだろうと思って聞いてみると、ドアを開けたままエアコンを入れると涼しさに惹かれて虫が車内に入ってしまうので、極力、つけないようにしているそうだ。
中禅寺湖畔はこんなに涼しいのに、それでもさらに涼しい場所を虫は好むのかと思うと可笑しい。
ホテルのマイクロバスは日光金谷ホテルに寄り、12時に東武日光駅に到着した。
上りのときは全く平気だったのに、下りはちょっと車に酔ったような気がする。
ミラコロをコインロッカーに預け、駅の観光案内所に行って「美味しい和食のお昼を食べられるお店を教えてください。」とお願いしたら、おそばのお店と湯葉のお店を2〜3軒ずつ教えてもらえた。
地図にお店の場所を書き入れてもらい、駅舎を出るとちょうどバスがそこで待っていたので、慌てて飛び乗った。
神橋でバスを降りる。こういう贅沢なバスの使い方ができるのも、フリーパスがあるからこそである。
バスに酔った私はお昼ごはんを食べるまでにちょっと休憩が欲しくて、母に「先に日光山に行ってきましょう。」と提案した。
日光東照宮を表参道からお参りするのは初めてかも知れない。結構、急な坂道である。
東照宮が修復中なのは知っていたけれど、輪王寺の三仏堂まで修復しているとは知らなかった。
三仏堂がすっぽり覆われ、その前面に三仏堂のイラストが描かれている。ベタだ。
しかし、母と私が輪王寺にやってきたのは拝観のためではなく、お線香を買うためである。
そのまま奥に回り込み、護摩堂の売店でお線香を購入した。ここまで来るのだったら、ご朱印帳を持ってくれば良かったなぁと思う。
せっかく坂を上ったのにお線香を買っただけで退散するというのもなんだか悔しくて、ヤマユリが咲いていると看板があった逍遥園に立ち寄った。
入場料300円で、お隣の宝物殿も見学することができる。
先に宝物殿に入った。
何が展示されていたか実はあまり印象に残っていない。歴代徳川家の将軍の肖像画が飾られていたことは覚えている。家光が一番ハンサムに描かれていたと思う。
また、「日光山の工芸品」と銘打って漆製品などが展示されていた。質実剛健という感じではなかったように思う。
逍遥園は小堀遠州作のお庭である。
池泉回遊式で、池を一周する遊歩道が設けられており、あちこちで山百合が咲いていた。
男体山等の周りを囲む山々を借景として取り込んでいるらしい。そんな工夫について気付くことも頭に浮かぶこともないまま、山百合と池、フカフカしている苔に気を取られながらお庭を一周する。
今は売られていない二社一寺共通拝観券では入場できないため、今まで入ったことがなかった。お散歩できて満足である。
私の車酔いも醒め、お腹も空いてきたので、駅の観光案内所で紹介してもらった油源にお昼を食べに行った。
こちらは、湯波のお店である。
二人とも「湯波づくし膳」(1450円)を頼んだ。
生湯波の刺身、揚巻ゆばの煮付けはもちろん、ゆばと野菜のふんわり豆腐餡かけや寄せ湯波の山椒味噌添えも付いている。
これが美味しくて、母は、生湯波に揚巻ゆばの煮付け、山椒味噌に柚子味噌までお土産に購入していた。
お昼を食べ終わったら、もう14時を回っていた。
ラッシュアワーの電車にミラコロを転がし大荷物を持って乗るのは気が引ける。ラッシュアワー前に自宅に着けるよう、ゆるゆると帰ることにする。
日光に来たら必ず寄る、三ツ山羊羹本舗に行く。神橋の近くに何軒かある羊羹のお店のうち、三ツ山羊羹本舗が母のお気に入りである。
水羊羹と、塩羊羹(お盆のときにお茶菓子にするのだと言っている)を買い込み、荷物がさらにずしりと重くなった。
あまりの荷物の重さに音を上げて、一番近いバス停から日光駅行のバスに乗った。
乗ってしまえばあっという間に東武日光駅に到着である。
母は、駅近くにある明治の館のカフェにチーズケーキを買いに行き、私は、フリーパスで10%引きになる駅前のお店で職場へのお土産を購入する。
日光のお土産と言ったら、日光甚五郎煎餅に決まりである。安くて軽くて美味しくて配りやすい。言うことなしだ。
また、駅の売店で今日の夕食用に日光鱒寿しを購入した。ますます荷物が重くなる。
コインロッカーからミラコロを取り出し、重いものを詰め直し、軽いものは私のボストンバックに移し替える。
母に荷物を見ていてもらい、券売機で下今市からの特急券を2枚購入する。
駅のベンチはいっぱいで座れない。改札から覗いてみたら下今市行の普通電車がすでにホームに入っていたので、14時45分くらいに改札を抜けて、電車に乗り込んだ。
発車直前にはかなり混雑していたので、早めに行って正解だ。
下今市駅で、ホームの反対側に入っていたスペーシアに乗り換え、「チーズケーキはホールでしか販売していなかった。」と残念そうに告げた母が買ってきた明治の館のプリンを食べ、夕方、無事に帰宅した。
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2014年7月27日(日曜日)
14時20分、「優雅なホテルライフ」の予定はどこかへ吹っ飛び、戦場ヶ原を歩き始めた。
車道からほんの少し土の道が続き、10分も歩かないうちに木道が始まった。迷いようもない。
案内図を見たところ、泉門池までの往復が1時間、泉門池から戦場ヶ原経由赤沼までが1時間、泉門池から湯滝までが1時間半弱という感じで、赤沼を目指して歩き始める。
バスからも見えていたとおり、この時期の戦場ヶ原はホサキシモツケが大量に咲いていて、ピンクのお花畑になっている。
綺麗だ。そして、可愛いピンク色である。
また、アザミの花がこんなに色鮮やかに咲いているところを見られたのは今回が初めてのような気がする。
ワタスゲやクリンソウは終わっているものの、このピンクのお花畑は一見の価値がある。
「時々水がたまる湿原」という説明板があった。
戦場ヶ原がどんどん「湿原ではなくなって」草原化しているという話をどこかで聞いた記憶がある。それと関係あるのだろうか。
奥に見えている山は男体山で、明智平の展望台では雲に覆われて見えなかった男体山が、ここではスッキリと全容を見せている。気持ちがいい。
木々のないところを歩いていると、日射しが流石に暑い。再び傘を取り出し、日傘代わりに差した。
男体山の噴火によって川がせき止められて湖ができ、その後、男体山の噴出物によって湖が埋められてそこに泥炭などが積み重なってできたのが、戦場ヶ原の湿原だ。
説明板に「男体山は戦場ヶ原の産みの親」と書かれているのを読んで、なるほどねと思う。
どうして夏休みに入ったこの時期に小学生の団体とぶつかるんだろう? 林間学校って夏休み中にやったっけ? 等々と思いつつ、小学生の団体とすれ違う。
半分面白がって大きな声で挨拶してくれる。
戦場ヶ原に入ってから約30分後、珍しくコースタイムどおりに泉門池に到着した。
標識などもも見つけられず、場所としても時間としても周りの様子からも多分ここが泉門池だろうと見当を付ける。
何とも気持ちのいい場所で、母はベンチに座って休憩していた。
ほぼ平坦な木道が結構足に来る。
お花が綺麗と言っては立ち止まり、男体山が綺麗に見えると言っては立ち止まり、歩いたり止まったりで一生懸命歩いている訳ではないのに不思議である。
特に16時近くなって、赤沼まで0.5kmという標識を見てから後の500mが本当に辛かった。我ながら情けない体力&筋力である。
ホサキシモツケが群生している場所で、三脚を立てて大きなレンズをつけたカメラをセットしている方々がいらした。お聞きしてみたら、花の蜜を吸いに来るノビタキを狙っているそうだ。
そうしてへたっているときに見た、戦場ヶ原の名前の由来を書いた看板には思わず笑ってしまった。
曰く「むかしむかし、中禅寺湖をめぐって男体山の神と上州赤城山の神が、へびとむかでをひきつれて戦ったという伝説から、戦場ヶ原という名がつけられました。」そうだ。
へびとむかでである。
何だか、もの凄く牧歌的な戦だったような気がする。
そんな看板に心和みつつがんばって歩き、16時5分過ぎに無事に赤沼に到着した。
お手洗いを済ませ、ちょうどよく19分に来た日光駅行きのバスに乗り込む。このグッドタイミングがへたった我々にはとても有り難い。
中禅寺金谷ホテル前のバス停でバスを降り、この坂がきつい! と思いながら「フロントへの近道」と書かれた坂を上る。
露天風呂につながっている渡り廊下横の扉からホテルの中に入り、廊下を突っ切ってフロントに到着した。
16時半くらいである。
夕食は17時50分からか19時半過ぎかどちらかですという説明で、ゆっくり温泉に浸かってからにしようと19時半過ぎでお願いする。
預けた荷物はすでにお部屋に運ばれていた。2階のデラックスツインである。手前にソファセットがあって、なかなか座り心地がいい。
お部屋にはベランダがついていて、外に出ることができる。
涼しい。
こんなに涼しいならと、予めつけておいてくださった冷房は切り、ベランダのドアを開けて網戸にした。
この並んでいる柱を見て、うちの母は「全部一本柱よ。凄い。」と感嘆の声を上げていた。
私はこの柱を見て、何故か伊勢神宮の式年遷宮を思い浮かべた。我ながら妙な連想である。
2階の中央に宿泊客が自由に使えるラウンジがあって、コーヒーや紅茶も用意されていた。
お部屋にもお茶セットがあったけれど、折角だからラウンジに行ってみる。
アイスコーヒーじゃなくてホットコーヒーが欲しくなる気温、というのが嬉しい。
日光駅からの送迎の際、そ最近は最高気温が27度くらいになるから、一雨来て涼しくなるといいと送迎バスの運転手さんが言い、「最高気温27度なんて涼しいですね!」と返して苦笑されたことを思い出した。
窓が開けてあって、扇風機が回っていて、それで快適なんて天国のようだ。目の前には緑の木々が見え、その奥でキラキラ光っているのは中禅寺湖の水面である。
贅沢だ。
優雅なホテルライフをがんばって寛ぎ、そろそろ空いた頃だろうと17時半過ぎに温泉に向かった。
温泉には浴衣とスリッパで行っても良いのが有り難い。
案の定、温泉は空いていて、誰もいない。
グリーンが濃い、綺麗な色の温泉である。露天風呂の方が、少しだけ色が濃いような気がする。
貸切状態の露天風呂につかりながら、足をマッサージする。足の裏とふくらはぎにキテいるような気がする。ちゃんとマッサージしておかないと明日はきっと筋肉痛だろう。念入りにさすっておく。
温泉用のバスタオルと浴用タオルが一人に2枚ずつ用意されていたのも嬉しい。さらに、お部屋についているバス用にもタオルが用意され、至れり尽くせりである。
温泉を1時間以上も楽しみ、お部屋に戻って休憩した。
山に囲まれているのに日が長いなぁと思っていたら、19時前、夕焼け雲が見えた。明日もお天気は良さそうである。
お部屋に置いてあった紙に今日明日の天気予報が書かれていて、今日の最高気温は25度、日の入りは18時52分と書かれていた。
明日の天気予報は「晴れ、昼過ぎからくもり、所により雨」で、最高気温が20度。びっくりである。
19時半前にフロントからお電話をいただき、ダイニングルーム「みずなら」に行った。
早めの夕食をいただいた方が多いのか、ちらほらテーブルが埋まっているといったところだ。
メニューは2種類から選べるようになっていて、虹鱒のソテー 中禅寺金谷風をメインにしたコースと、本日のディナーコースである。
中禅寺金谷ホテルに来たら鱒でしょう! と思っていたら、母が「ディナーコースの方がいい。」と力説し、二人ともディナーコースをお願いした。
鱒をメインにしたコースは、鱒のメインディッシュと前菜が2種類用意され、ディナーコースとお皿の数は同じだ。
母は生ビール、私は赤ワインをいただいて、いよいよディナーの始まりである。
本日のオードブルは、ポークのムース、だったような気がする。説明してもらったのにすぐに忘れてしまった。柔らかい優しい味である。
スープはコンソメとポタージュから選ぶことができて、私が選んだコンソメにはタピオカが入っていた。かなりしっかりした味のコンソメスープにタピオカの優しい食感が楽しい。
母が選んだポタージュはアスパラガスで、濃厚な味がしているのにサラリしているという不思議なポタージュだった。母は「カロリーが・・・。」と言う。ポタージュとコンソメではどちらのカロリーが高いのだろう。
オードブルをいただいている頃はまだちょっとだけ明るさが残っていた。お魚が供された20時頃には流石にすっかり真っ暗になっている。
お魚は、太刀魚のチーズ焼き プロヴァンス風 かりかりじゃがいも添えである。
すり下ろしたチーズを衣に混ぜた感じで、ほのかに香っている。
お魚用のナイフで下に敷かれた青梗菜を切るのは難しく、母と二人して四苦八苦した。
お肉料理は2種類から選ぶことができた。
母は、栃木霧降高原牛フィレ肉のポワレ ソースボルドレーズ、私は、蝦夷鹿のロース肉のポワレ マスタード風味のソースである。
スープのときと同じく、一口ずつ交換する。
お昼に食べたステーキと比べてはいけないのだろうけれど、こちらの方が当然のことながらさらに柔らかく、そして「牛!」という味がする。
逆に鹿は、もっと臭みというか癖があるのかと思ったら、そんなことは全くない。マスタード風味のソースのお味でいただいているくらいの感じだ。
美味しい。
デザートはバニラアイスクリームとフルーツ、桃のムースである。
母も私もコーヒーをいただく。
1時間半かけてゆっくり頂いたディナーに大満足だった。
ホテルのショップは17時に閉まっているので、そちらは明日の朝覗くことにして、大人しくお部屋に戻った。
母は大抵、このまま寝てしまうけれど、私はもう1回温泉に入るのが定番である
ゆっくり食休みしてから22時頃に行った温泉はまたもや貸切状態だった。手足をゆっくりと伸ばす。
露天風呂につかって空を見上げたら、普段は絶対に見られない数の星が光っていて驚く。
ぼーっと空を見上げていたら、流れ星を見られた。嬉しい。
1時間弱、貸切状態の温泉を満喫し、23時過ぎに就寝した。
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2014年7月27日(日曜日)
1週間前には晴れの天気予報が出ていたのに、前日に旅行1日目である27日の午後は雨の予報に変わっていた。
そして、2〜3日前に見たテレビ番組の影響で、母が突然「日光では滝巡りをしたい。」と言い出した。
とりあえず、私が考えていた旅程はこれで全て考え直しである。
どうしようかと思いつつ、東武鉄道のスペーシアに乗り、下今市駅から普通電車に乗り換えて、9時50分、東武日光駅に到着した。
改札を出たところに、本日の宿である中禅寺金谷ホテルの送迎バスのお迎えの方が立っていた。
東武日光駅を10時に出発し、日光金谷ホテルに停まり中禅寺金谷ホテルまで送ってもらえる。ダメ元で「荷物だけ運んでもらえますか?」と聞いてみたところ、大丈夫というお返事であった。有り難い。
事前に調べたところでは、日光地区の一部のホテル・旅館では、駅で荷物を預け500円で宿泊先に届けてくれるサービスがあるけれど、残念ながら中禅寺湖畔や湯元の宿は含まれていない。
送迎のマイクロバスには欧米の方と思われるご夫婦がすでに乗っていた。我々母子とこの便の利用者は二組だけのようである。
日光金谷ホテルの看板は日光に来るたびに見ているものの、敷地内に入ったのは初めてだ。確かにこの建物の写真はよく見るなぁと思い、バスの中から写真を撮った。
ご夫婦は日光金谷ホテルで下車されたので、運転手さんのお勧めによりありがたく前方の席に移らせてもらう。
貸し切り状態のマイクロバスで、運転手さんのガイドつきドライブは快適である。
板垣退助の像(戊辰戦争の際に、日光山に立てこもった幕府軍を説得して山から下りさせ、日光山が戦場になることを防いだという功績がある)に始まり、日光山の表参道、金谷ホテル発祥の地(日光金谷ホテルの現在地ではない)、田母沢御用邸(今は御用邸としては使われておらず、お庭と建物が公開されている)、いろは坂(上りの方がカーブが多く、ゆるやかに上っている)等々の案内をしていただく。
いろは坂は、上り専用と下り専用の両方のいろは坂のカーブの数がいろは48文字と同じ数あるから「いろは坂」というという説明だった。だったら、第2いろは坂ができるまでは、「いろは坂」という名前ではなかったのだろうか。
10時半過ぎに明智平に到着した。
明智平からは極々まれに雲海を見ることができる、中禅寺湖と華厳の滝を見るには今の時期はあまり向いていない(かすみがかってしまう)、見るならやっぱり冬がいいでしょう、こちら側はかなり雲が広がってきているけれど、中禅寺湖側がどうなっているかは行ってみてのお楽しみだねと言われた。
明智平というこの場所の命名は天海僧正によるものと言われており、運転手さんも「天海僧正は実は明智光秀であり、だから自分の名前をこの場所に付けたのだ。」と話していた。「天海僧正=明智光秀」説は市民権を得ているらしい。驚いた。
まるごと日光 東武フリーパスを持っているとこのロープウエーの料金が1割引になる。
このフリーパスは、発駅からフリー区間(下今市と日光の間)までの往復の乗車賃、日光地区の東武バスが乗り放題、4日間有効で、私たちの場合は北千住発着にしたので一人4520円というお得なフリーパスである。
もっとも、駅から明智平まで送っていただけたので、果たして元が取れるほどバスに乗るかどうかはかなり怪しい。
明智平の標高は1274mで、流石に涼しい。
ここからさらに3分ほど、若干、揺れやきしむ音が気になるロープウエーに乗り、標高1373mまで上がると、もっと涼しくなった。明智平の気温は28度、展望台は24度だ。
母と「箱根より日光の方が涼しいよね。」と自分たちの選択の正しさを確認しあう。
緑が濃いのは嬉しいけれど、やはり遠くの山々は霞んでしまっている。筑波山も見えるらしいけれど、今日はとても無理だろう。
残念ながら、山を越えた向こう側の中禅寺湖畔にも雲が立ちこめていた。
天気予報はどうやら正しかったらしい。
ホテルの送迎バスの運転手さんも「上から眺めるのだったら、夏じゃない。」とやんわりと言っていたし、いい眺めを見たい場合には秋口や冬が正解のようだ。
しかし、それはそれとしていい眺めである。
上半分が雲に隠れてしまっていても、この大きさで男体山が迫ってくるとかなりの迫力である。
華厳の滝の方を見ると、展望台の屋上に人が並んでいるのが判る。
母が「11時45分発のバスでいい。」と言い、バスの時間ギリギリまで粘っていたら、中禅寺湖畔の街、華厳の滝、白雲の滝に順番に陽の光が射すところを見ることができた。
流石にこの光の量では虹を見られるところまでは行かない。
明智平を満喫し、路線バスで光徳牧場を目指した。午後は雨になりそうなので、光徳牧場でお昼を食べてからゆっくりホテルに入り、「ホテルライフ」を満喫しようという計画である。
前回か前々回に日光に来たとき、大笹牧場でお昼に食べたジンギスカンがとても美味しかった。「あの美味しさよ、再び!」と目論み、光徳牧場の「コートク コラール」というレストランでランチの予定である。
バスが戦場ヶ原の三本松にさしかかったあたりで雨が降り出した。
降り出すとあっと言う間で、結構、叩きつけるような雨になっている。傘を持たずに出てきたのか、道を歩いている人の中には見る間にびしょ濡れになってしまった人もいる。
光徳温泉のバス停は、日光アストリアホテルの玄関先にある。
バス停からホテルの中に濡れずに行けるくらいだ。
母は雨の中を出歩くのが面倒になったのか「ここのレストランでもいいわ。」と言うけれど、私の頭と胃袋はバーベキューを期待してしまっている。
雨の降りも少し弱くなったので傘を差し、光徳牧場に向かった。歩いて5分くらいだ。
コートク コラールは開いていたけれど、今日に限って「バーベキューは営業していません」という張り紙が出ている。
ショックだ。
しかし、レストランは営業していたので、気を取り直し、牧場ランチ(1900円)をいただいた。サラダ、ビーフステーキ、ライスのセットである。
見た目も何だかポークみたいだし、ナイフで切るときも大変だったし、正直に言って期待していなかったけれど、これが美味しくてびっくりした。あんなにナイフで切りにくかったのに、どうしてこんなに柔らかいんでしょうという感じだ。
レストランとは別棟にやけにシンプルかつ素っ気ない売店があり、アイスクリームと牛乳が売られている。
昼食を食べている間に雨もあがり、まったく暑い訳ではないけれど寒くもないという感じだったので、「お腹いっぱいだね。」「でも食べたいね。」と母と意見が一致し、アイスクリームを食べた。
バニラより牛乳の風味が強く、あっという間に溶け出してしまったから凝固剤のようなものも使っていないのだろう。
牧場ならではという感じのシンプルなミルクアイスで美味しい。
空も晴れて日も差してきたし、雨が降り続くようならアストリアホテルで立ち寄り湯もいいかなと思ったけれど、降っていないなら歩きたい。
光徳入口のバス停を目指して歩き始めた。
途中、ホルスタインと思われる牛が飼われているところを見物する。先ほどの雨に緑が光っていて、いかにも牧歌的な風景である。
草の丈が短くて、食べにくそうにしているところがちょっと気の毒だ。
この牧場から光徳沼に抜けるハイキングコースに気付かず、車道の脇に用意された歩道を歩き始めた。
やはり下調べは必要である。
10分も歩かないうちに光徳沼のバス停に到着した。
「光徳沼」というバス停があるからには光徳沼があるに違いない。そう思って探すと、笹の間に細い道というよりも、単なる笹の割れ目のような道筋がついていた。
先ほどの雨に濡れた笹に靴とズボンの裾を濡らしつつ強引に歩いて行くと、ちょっと広場のようになったところに出た。
「光徳沼」の看板もあるのに、沼がない。
水が綺麗な川が流れているだけだ。
ここは川で、光徳沼の入口で、もっと奥に沼本体があるに違いないと木で造られた橋を渡って歩き始めたところ、反対側から歩いてくるご夫婦がいらした。
物怖じという言葉と無縁の私は、「すみません、光徳沼はどこですか?」と聞いてみた。すると「あなた、どこへ行きたいの?」というお返事だ。「戦場ヶ原まで歩きます。」と答えると、「じゃあ、どこから来たの?」という再度のお尋ねである。
噛み合わない会話に首を傾げたら、何のことはない、私がさっき「川だ」と思ったところが「光徳沼」であるらしい。
いつもはもっと水量があって、「沼」の姿をしているらしい。
納得したところでご夫婦にお礼を言い、再び、遊歩道を歩き始めた。
母に「どうして雨も降っていないし、日射しも木で遮られているのに傘を差してるの?」と聞いたら、「乾かしているの。」という返事だった。
すれ違う人も追いかけてくる人もいないから迷惑にはならなさそうだし、確かに濡れたままの傘をリュックにしまいたくない。私もマネをして傘を差して歩く。
傍から見たら、かなり変な母娘だったろう。
テレビでやっていた「10個の滝を巡る」という話を一応まだ覚えていたので、川に段差が作られていると「これも滝かなぁ。」などと言いながら歩く。
ほぼ平坦の歩きやすい道である。
緑の中を歩いているからか、川沿いを歩いているからか、雨上がりだからか、ちょっと涼しい。半袖Tシャツではちょっと肌寒く、ウィンドブレーカを羽織った。
遊歩道の最後近くになって、山形に行ったときに見たあがりこ大王のような木を見つけ、母と「こんなところにもあったよ!」と笑い合う。
光徳入口のバス停まで、大体30分の道のりだった。
ここからバスに乗ってホテルに向かっても良かったけれど、いいお天気である。
そして、目の前には戦場ヶ原に入る遊歩道入口がある。
「せっかくだから歩こうか。」と、そのまま戦場ヶ原を歩き始めた。
優雅なホテルライフへの道は、なかなか遠い。
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2014年7月27日(日)から1泊2日で、母と奥日光に行って来た。
まるごと日光 東武フリーパスを購入し、ホテルを手配した、完全な個人旅行である。いつものことながら、こうした場合、私は母の専属添乗員となる。
27日の雨の予報に「優雅なリゾートホテルライフ」を計画したものの、根が貧乏性な母と私は、ちょっと天気が回復すると「せっかくだから歩こうか」となり、結局、2日間とも結構ヘトヘトになるまで歩いてしまった。
この1泊2日の旅行にかかった費用は、一人分約29500円だった。ここには、交通費、ホテル代、食事代、入館料等が含まれているが、お土産代は含まれていない。
また、初日の万歩計は17809歩、2日目は10834歩で、疲れたなぁという割に歩数が伸びておらず、釈然としない。
涼しい(下手をすると寒いくらい)清々しい空気の中を歩いて、リフレッシュできた、と思う。
母と、次はいつ来ようかなどと帰る前から話していたくらいである。
やっぱり日光はいい、と思う。
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奥日光旅行記(2014)は引っ越しました。
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