尾瀬日帰り旅行記その2
2012年5月30日(土曜日)
牛首分岐を12時半くらいに出発し、山の鼻に戻り始めてすぐ、「逆さ燧」ならぬ「逆さ至仏」を見ることができた。
川面に映って綺麗である。
せめてこんな風に逆さ燧も見られるといいなぁと思いながら歩く。
しかし、戻り始めたところで、改めてかなり疲れていることに気がついた。そして、足に結構きている。ふくらはぎと腿の前側が何となく張っているような気がする。日頃の運動不足の成果だ。
母は週3回を目標にスポーツクラブに通っている成果か、別にどこも痛くないと言う。
10分くらいで逆さ燧のビューポイントに戻った。やはり水面が波立っていて、逆さ燧を見ることはできない。
残念である。
その代わりというか、再び、逆さ至仏を見ることができた。水面自体が細切れなので山が映っている様子も細切れだけれど、間違いなく「水面に映った至仏山」である。
帰り道になってやっと、尾瀬では、蛙の鳴き声が聞こえ(姿を見ることはできなかった)、カッコーの鳴く声がし、同時にウグイスの鳴く声も聞こえていたことに気がついた。
鳥たちも、もちろんどこにいるのか判らない。けれど、吹く風に乗ってその鳴き声が聞こえてくる。
何だかとても贅沢な気持ちになる。
母と私はこの時点で結構バテバテである。
山の鼻に戻ったらソフトクリームを食べよう! を合い言葉にがんばって歩く。
牛首分岐からその先の竜宮小屋を目指さなくて本当に良かったと思う。
牛首分岐から東電小屋に向かう木道も見えて、林の際を進んで行けるようで、とても涼しげかつ気持ちよさそうだった。
山の鼻に戻ったのは13時過ぎだった。
尾瀬ヶ原から山の鼻に戻ると、一番手前に山の鼻小屋がある。
その小屋の前に並べてあるベンチに母はへたり込み、ちょうど目の前に座った方が食べていたソフトクリームを指さして「これが食べたい。」とおっしゃる。結構な行列ができていたけれど仕方がない、母にリュックを見てもらっておいて並び、「ソフトクリーム花豆トッピング」を二つ購入した。
あっという間に溶け出すソフトクリームを慌てて美味しくいただく。
ソフトクリームを食べて元気回復したので、植物研究見本園に行った。
植物研究見本園には尾瀬に咲く多くのお花が咲いていると聞いて結構熱心に探したものの、そもそもの素養に欠ける私には水芭蕉とリュウキンカ、あと薄紫のスミレのようなお花にヤマツツジくらいしか見つけられなかった。やっぱり普段から「興味を持つ」って重要である。
13時半ころに見本園を歩き始めてすぐ、なかなか格好いい景色に出会えた。
水面から顔を出している水芭蕉が散らばり、その背景に至仏山がある。
木道が延びてその傍に水芭蕉が咲き、その奥に燧岳が構えている。
「これぞ尾瀬」という風景だ。
この見本園のいいところは、ほとんど人がいないことだ。立ち止まって写真を撮っていても周りの方に迷惑をかけることはない。
バスから降りる寸前、添乗員さんから「尾瀬は東京電力の持ち物です。」という話があった。
元々はダムにするために購入した場所だったらしい。その後、反対運動などがあって、尾瀬はダムに沈めずにそのまま保護されることになって今に至っている。
「木道の整備等も東京電力と環境省などで行っており、木道には整備したのが誰か、いつ整備したのかが判る焼き印が押してあります。」と説明してもらった焼き印の写真をやっとここで撮ることができた。
後で調べたところによると、この木道は、国際森林認証(FSC(R))を取得した尾瀬戸倉山林の木材で作られている。
何という山なのかは知らないながら、しかし、手前に水芭蕉が群生し、水が湛えられ、奥に林、さらにその奥に雪の残る山があって、青空に映えている。
何て幸せな景色なんだろうと思う。
私の目もカメラも釘付けだ。
水芭蕉の群生も綺麗だし、たびたび見かけつつ写真を撮りそびれていたリュウキンカに出会えたのも嬉しい。
バスの中で添乗員さんが「水芭蕉の白い部分はガクで、お花は真ん中の黄色い部分です。」と説明していたのを思い出した。
水芭蕉もリュウキンカも、両方、黄色いお花である。
研究見本園を1周するのに30分かかった。
母と私がこれだけ写真を撮りながらコースタイムよりも早く歩ける筈がないので、我々が回ったのはショートコースだったのかも知れない。
研究見本園に一つだけ注文をつけるとすると、どこがコースなのか、どこからどこまでが研究見本園なのか分かりやすく表示して欲しいということである。どうやら研究見本園の奥は至仏山への登山道になっているらしく、余計に判りにくい。
道順を示すような看板があるとか、木道に矢印があるとか、何かしてあるといいのになぁと思う。
旅行社からもらった地図には、山の鼻から鳩待峠までのコースタイムが90分と書いてあった。
添乗員さんは「かなり余裕をみた時間です。」と言っていたけれど、そこに書いてある鳩待峠から山の鼻までのコースタイムは60分である。それをオーバーした母と私なので、帰り道も90分で上がれるとはちょっと考えにくい。
見本園を一周した後、もう1回ベンチで休憩し、ドライフルーツなども食べて栄養補給し、当初予定通り、14時20分に山の鼻を出発した。
鳩待峠まで2時間の予定である。
母が「ダブルストックだと、痛めた腕に負担がかかる。」と言い、途中からストックを引き取った。だから少し楽できていたと思うけれど、それにしても疲れた。
木道が辛い。木の階段が辛い。上り坂が辛い。
母と二人「辛いね−。」「きついね。」と言い合い、ベンチを見るたびに座り込んで水分と栄養を補給する。
「尾瀬の帰りが必ずこの山道なら、もう来なくていいや。」と言い合ったくらいである。情けないけれど、本当にそう思ったし、口にもしながら歩いた。
そんなに辛かったのに、写真に撮るとそうでもない坂道に写ってしまうのが地味に悔しい。
意外なことに、どんどん後ろから追い抜かされ、ベンチを見るたびに休憩し、ゆっくりゆっくり歩いたにも関わらず(というよりも、ゆっくりとしか歩けなかった)、山の鼻から鳩待峠まで、1時間10分で戻ることができた。
びっくりである。
行きには大混雑していて「尾瀬」の看板と一緒に記念写真を撮れなかったので、今回利用したツアー会社専属スタッフの方に母と一緒に「へとへと」の写真を撮っていただいた。
へとへとだし、大汗である。
よく考えたら、1日のうち一番暑い時間帯に山道(これは、公平に言って大袈裟な言い方である)を登ったのだから当然だ。
その現地スタッフのお兄さんによると、バスで往復するコースだと現地滞在が4時間になり、鳩待峠から山の鼻に下りて研究見本園を1周するのが精一杯という人も多いそうだ。母と私など間違いなくそうなる。
それで「物足りない」という感想になって、我々が参加した新幹線利用のツアーや、尾瀬で1泊するツアーで再訪する方も多いという。
特に今日は関越道で事故があってバスの到着が遅れたので、新幹線で正解でしたよ、とおっしゃる。
ここで「ふふん。」と鼻高々になったのがいけなかったのか、と思うのは4時間半後の話である。
現地スタッフのお兄さんに「こちらが元祖」と教えてもらい、それは食べねばなるまいと、本日2回目の花豆ソフトクリームを食べた。
流石に、今度は二人で一つである。
花豆を練り込んだソフトクリームで、豆の味とどこか香ばしい味がして美味しい。二人で一つと言いつつ、ほとんど私が食べてしまったような気がする。
かなり時間があったのでお土産物屋さんも覗き、尾瀬記念にカラビナと、あと花豆の甘納豆を購入した。
バスのドライバーさんの指示に従い、三々五々集まって来た方々とストレッチをする。腿の前側を伸ばしておくといいそうだ。
16時20分にバスは鳩待峠を出発し、17時30分くらい(だったと思う)原田農園に立ち寄った。
さくらんぼ狩りなどもでき、食事もでき、お土産も購入できるという観光農園だ。我が家はアップルパイ(バスの中で注文すると割引してもらえた)を購入し、りんごジュースを1杯いただいた。ツアーの他の方々は結構色々と購入していたようだ。
野菜が売っていたり、りんごが丸ごと入ったバウムクーヘンがあったり、そのバウムクーヘンの切り落としがあったり、なかなか充実した品揃えだった。
再びバスに乗り込み、19時くらいに越後湯沢駅に到着した。
行きは群馬県内の上毛高原駅で降りたのに、帰りは何故か新潟県の越後湯沢駅まで行くのが不思議である。色々と事情があるらしい。
駅に着いたところで、注文していた人にお弁当が配られ、一度解散となった。
行きのバスの中で予告されていたとおり、駅構内のお店は軒並み閉まっている。バスが到着したときに開いていた店舗も、19時、19時半くらいには閉まってしまう。
他にやることもなく、テーブルとベンチを見つけて夕食のお弁当をいただいた。
越後湯沢駅20時7分発のとき346号に乗り、あとは一路帰るだけだ。
その筈だった。
しかし、20時24分、高崎駅手前のトンネルを走っていたときだ。
突然、新幹線車内の電光掲示板が消え、非常灯を残して照明も消え、新幹線も停車してしまった。
携帯電話の電波も届かない。
数分して地震のために停電したというアナウンスが入った。停電の原因は調査中であり、復旧の見込みは立っていないと言う。
非常灯があるので真っ暗にはならない。しかし、空調が止まってしまって蒸し暑い。
しばらくして送電が回復し、空調の有り難さを実感した。
しかし、かなり大きな地震だったため、線路等々を点検しなければ運転再開できないと言う。
結局、我々が乗った電車の1本前の電車に作業担当の方が乗り、徐行運転しながら線路の状態を確認しつつ走らせますというアナウンスが入ったのはいつ頃だったろう。
元々の予定では大宮に着いている筈の21時過ぎ、まだ新幹線は高崎で停まっていた。
停車する予定ではない(従って停車してもドアは開かない状態で)本庄早稲田駅に到着したのが22時過ぎである。
その後も、ノロノロ運転が続く。
熊谷駅で「この先、大宮ー上野間で新幹線が動けるかどうか判りません。在来線は動いていますが、どれくらいの時間がかかるか判りません。熊谷で降りて在来線に乗り換えたい方は、下車証明を書きます。」と添乗員さんに言われ、迷っているうちに新幹線が動き出し、大宮に到着したのは23時40分くらいだったと思う。
東武線が動いているようだったので、そちらを利用するつもりで下車したら、「ちゃんと」動いていた東武線は時刻表通りに運行していて、「23時半前に終わりました。」と言われてしまった。
これだけダイヤが乱れていれば臨時で走らせるだろうというヨミが外れた。大失敗だ。
大宮に妹の家があるのでそこへ行くという方法もあったし、大宮近辺でホテルに泊まってもいいかと思ったけれど、母が「家に帰りたい。」と言う。
当然のことながら在来線のダイヤも乱れまくりで、次にどの電車が発車するのか全く判らない。
駅の案内放送に耳を澄ませ、結果として、電車2本を乗り継ぎ、その両方で運良く座れてそれほど「大変」と感じることもなく、自宅最寄り駅の隣の駅に翌日の1時半くらいに到着できた。
そこからタクシーに乗り、自宅に帰り着いたのは2時だった。
なかなかハードな尾瀬日帰り旅行だった。
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