能登旅行記3日目
2015年8月30日(日曜日)
今日の出発は早く、5時半に起床した。
外を見ると、見事なまでの雨である。雨粒が地面に落ちて跳ねているのが見えるくらいの雨だ。
辨天の湯に行き、昨夜は入れなかった「野天の湯」に浸かる。湯船が岩風呂っぽくなっているから「野天」というネーミングになっているらしい。
大浴場から戻るときに「祭り小屋」の前を通ったら、ちょうど朝市が開催されていた。
輪島の朝市の超ミニミニ版をイメージしているようで、海産物や瓶詰め、お饅頭などが売られている。お財布を持ってないと言うと「お部屋番号につけておけます。」と返された。この辺りの連携は見事だ。
「これから輪島の朝市に行くんだし」と、雰囲気を味わうだけに留めた。
お部屋に戻って荷物を整理し、着替え終わった6時半頃、仲居さんがお布団を上げに来てくれた。
そのまま、座卓をお部屋の中央に戻し、テーブルクロスをかけ、7時からでお願いした朝食の用意が始まる。
この朝食がまた豪華で、こんなにたくさんおかずがあると、ご飯が茶碗一杯ではとても足りない。ご飯をお代わりした。
笹かれいの一夜干しが美味しい。
名残惜しいけれど、8時5分に加賀屋を出発する送迎バスに乗るので、ゆっくりしている時間はない。
7時45分くらいにフロントに降りてチェックアウトする。
もちろん、フロントのカウンターの下の漆塗りを改めて鑑賞することは忘れない。
チェックアウトをお願いすると、フロントの方から「お席を予約しておきました。」とこれから乗る観光バスおくのと号の予約票を手渡された。
朝食の時間を決めるときに「観光バスに乗るので間に合うような時間で。」と話している。なるほどこれが「おもてなし」かと納得した。
加賀屋から和倉温泉バスターミナルまでは歩いてすぐだけれど、これだけ雨が大降りだとバスで送って貰えるのは有り難い。
仲居さんがお二人乗り込み、別の何人かが雨の中傘を差しながらお見送りしてくれて、バスターミナルへ向かった。
窓口で料金を支払い、行程が書かれた紙をもらい、バスまでの10mほどを仲居さんが持っていた大きな傘に入れてもらい(これをするために付いてきてくれたらしい。凄すぎる。)、小さめの観光バスに乗り込んだ。
ドライバーさんがガイドも兼ねていて、本日の乗客は2名ずつ3組の計6名である。座席指定の紙をもらったけれど、席など選び放題だ。
いつでもこうという訳ではなく、前日も翌日も20名を超えるお客さんだったそうで、この日はエアポケットのような1日だったらしい。
2015年春くらいまで「のとフライト号」という名前だった「おくのと号」は、8時25分の定刻通りに出発した。
バスは、能登島を経由して輪島を目指す。和倉温泉からかかる能登島大橋を渡って能登島に入り、ツインブリッジを渡って能登半島に戻る。
お天気が良ければそれぞれの橋の上から眺めが楽しめるだろう。この日、窓の外は雨で真っ白だった。
輪島に到着したとき、ドライバーさんから「ワイパーを使っても叩きつける雨で何も見えない」状態になったと聞いた。そんな雨降りだったことにも気付かず、輪島までの1時間弱を瀑睡した。
輪島に近づく頃には、雨もだいぶ小降りになっていた。そうなると、緑鮮やかな窓の外の田園風景が気持ちいい。
バスは、9時半くらいに、輪島塗会館の駐車場に到着した。
輪島の朝市と輪島塗会館のために取られた時間は1時間だ。ドライバーさんは、輪島塗会館の2階に資料展示室があって観光バスの乗客は無料で見学できるので、集合の10分くらい前には戻って来てくださいと言う。
観光バスの乗客6人は、カルガモの親子よろしくドライバーさんに朝市の入口まで連れて行ってもらい、「まず一番奥まで行って、帰りにお店を覗きながら戻ると良い。」というアドバイスに従って歩き始めた。
母は、「朝食に食べた笹かれいを買って帰りたい。」と言う。お魚を売っている露店を中心に覗いて行く。意外とこの笹かれいを売っているお店が少ない。
そうやって歩いているうちに、ついうっかり、蒸しあわびを売っている露店に迷い込んだ。
なかなか調子のいいおじさんが店長さんで、「この一切れが300円だよ。」などとおっしゃりながら試食させてくれる。
丸ごと1個の蒸しあわびと、小さく切られたものが詰まっている蒸しあわびと、食べ比べれば前者の方が美味しいに決まっている。
東京のデパートで売ったら1万円オーバーだけれど、蒸しあわび丸ごと1個、8500円に負けとくよとおっしゃる。
それでも母が唸っていると「判った。8000円で持って行きな。」と言い、こちらの返事も待たずに包み始めた。流石、商売上手である。
笹かれいも、他の一夜干ししたお魚たちとの盛り合わせて1000円で売っているお店が見つかり、「笹かれいだけが欲しい。」と言うと、笹かれい10枚が乗ったお皿を出してくれた。
「1枚おまけだから。」と言ってもらい、笹かれいの一夜干しを11枚1000円でお買い上げだ。1枚1枚ラップに包んで冷凍すれば保存でき、焼くときは冷凍のまま焼けばいいそうだ。
目指すお買い物ができたので、雨も降っていることだし、足早に漆塗会館に戻った。
まずは2階の資料展示室の見学である。
製作の過程を追ってずらりとお椀が並んでいたり、加賀屋にあった松の絵の漆塗りがに似た感じの図柄がついたお椀があったり、製造過程で必要な道具たちが集められていたり、かなり楽しい。
これが、沈金の過程や蒔絵の過程の説明となると、質実なイメージから一転して華やかになる。
輪島塗会館の1階には、輪島市内の漆器店が60店舗以上出店している。
ドライバーさんも「物もいいし、お値段もいい。」と評していた。確かにその通りですねという感じで、テーブルやタンスなどの大きな家具から、母と私が狙っているお椀、アクセサリまでかなり広いスペースにゆったりと並べられている。
「買うなら六鹿椀でしょう!」とかなり強力に押したものの、お値段もかなり良くて「お手入れも大変だし。」「手入れが大変だからって使わなかったら勿体ないし。」と言い、母は「やっぱり買わない。」と決断した。
その代わりと言っては何だけれど、母と私とそれぞれ一つずつ、輪島塗ペンダントを購入した。
私が購入したのは中門漆器店というお店の、グラデーションのペンダントトップだ。
白から赤へのグラデーションのものとどちらにしようかかなり迷って、黒い方が漆器っぽい気がしたので、黒から赤へのグラデーションのものを選んだ。
輪島塗会館からバスで5分も走れば、輪島キリコ会館である。
2015年3月29日に輪島マリンタウンに移ってリニューアルオープンしたばかりらしい。
中に入ると、所狭しと「キリコ」が並んでいる。
スタッフのお姉さんから一通りの説明を受けた後(かなり興味深い話が出ていたのに、全く覚えていない自分が情けない)、自由見学になった。集合は11時だ。
LEDでライトアップされ、色が変わる。
この高さのものを担ぐって一体・・・、と思う。傾いたり倒れたりしないんだろうか。
これはちゃんとお祭りの中で、生きて動いているところを見たかったなぁと思う。
確か「能登国」と書かれたものは、一番古いという説明だったか、一番高いという説明だったか、とにかく何かのNo.1だったと思う。
キリコ会館では、キリコ祭の様子を移したビデオの上映が行われ、また祭で使う大松明も展示されていた。
この松明は、1階のショップから3階の展望室まで吹き抜けを貫くように設置されている。
かなり背が高いし、かなり頭が大きい。
ここで火が燃えていると思うと相当怖い。下でこの松明を支えていたら火の粉がどんどん落ちてきそうである。
この日は陣太鼓の演奏が中止になったという貼り紙があって、もし演奏が行われていたら、とてもじゃないけど見学時間が30分では足りなかったと思う。
なかなか充実していた。
バスに乗って10分くらい走ったところに白米千枚田があった。
雨が小降りになって、少し空が明るくなってきたのが有り難い。
それにしても1枚1枚の田んぼの何と狭いことだろう。機械化などとても無理そうである。
白米千枚田の場合は、田んぼの持ち主はほぼ「オーナー制度」のオーナーの方々で、田植えや稲刈り、その他の諸々の農作業はオーナーとボランティアの手によって行われている。
色々な時期、色々な時間、そしてできれば晴れた日に来て眺めたい風景だと思う。
20分の見学では、とてもとても時間が足らなかった。
この辺りの見どころは近接しているようで、白米千枚田から南惣美術館まではバスで10分くらいだった。
南惣家は、「豪農」とか「庄屋」とか言われる家で、この地域の文化の中心となり、また各地の「文人」との交流があったり、収集を趣味とする主人が存在したりしていたらしい。
そうして集めた品々を、蔵を改装した美術館に展示し、公開している。
ドライバーさんは、「早い人は5分くらいで戻って来ちゃうけど、好きな人は時間目一杯見ています。20分取りますから、すぐに戻って来ないように。」と冗談半分、厳かに告げた。
蔵なので急な階段を上ったりするとギシギシいうのが少し怖い。
長谷川等伯(伝)の屏風があったり、柿右衛門のお皿があったり、西鄕隆盛や乃木希典の書があったりする。
誰の絵だったか忘れたけれど、まるで猫のような虎の絵もある。「猫のような虎の絵」って有名なような気がするけれど、誰の作だったろうか。
どれくらいの時間をかけたかは計らなかったけれど、私が最後に美術館から出たことは確かだ。
結構、楽しめた。
バスは曽々木海岸沿いを走る。窓岩や細い滝の見えるところでは徐行してくれる。
「まれ」ではなく「鉄腕! DASH!!」で有名になったという、1300年前からの手法を守っている揚浜式製塩の前でバスが停まったので、見学できるのかしらと思ったら、残念ながら「車内からのフォトストップ」だった。
このバスの窓ガラスは青っぽく着色されていて、写真を撮ると青味がかってしまうので、停まったバスの中から窓を少し開けて写真を撮れるのは嬉しい。
もっとも、こんな雨の日では、揚浜式製塩は開店休業だろうと思われる。
バスは新海塩産業の前で停まった。
こちらでは、1997年から始まったという流下式という方法で塩を作っている。
中に入ると、すだれを伝わらせるように水を滴らせている場所があった。何度もすだれに吹き付けて流すことで風や太陽にさらされた海水の水分が蒸発し、3%だった塩分濃度を10%にまで上げることができるという。
この方法のいいところは、揚浜式とは違って天候の影響を受けないことだ。
10%濃度になった海水を、今度は大きな釜で火にかける。
この日はたまたま涼しかったけれど、暑い夏にこの作業は本当に大変だとおっしゃる。薪を次々と釜に投げ入れる作業は重労働だ。それを年配の女性が軽々とこなしている。
まず2〜3日かけて塩分濃度を20%くらいにしてから一度漉す。
さらに1〜2日かけて煮詰めると、「塩」と「にがり」が残る。
液体である「にがり」がなくなるまで炊き続けると、美味しい塩ができるという。
一通りの見学の後、ショップでお塩を購入する。藻塩や桜塩も気になるけれど、ここはシンプルに「塩」だろう。結晶塩を購入した。
12時40分頃、珠洲ビーチホテルに到着した。
自由昼食と、お隣にある珠洲焼資料館との見学の両方で1時間だ。
観光バスが和倉温泉を出発するときにメニューが配られ、予め注文しておくことができた。母と私が頼んだ大浜大豆の豆腐丼は、能登丼の一つである。
能登丼と名乗るためには、奥能登産のコシヒカリを使用する、能登産の箸を使用してその箸はプレゼントする、メイン食材は地元のものである等、いくつかの「条件」がある。
こちらの丼は、お豆腐と厚揚げに塩味の餡がかかっていて、優しいお味で美味しかった。
メニューに「コーヒーは二三味珈琲を使用している」と書いてあり、初日のリベンジをすべく追加でコーヒーをお願いした。
酸味が割と強いコーヒーだったように思う。
珈琲豆を購入することはできなかったけれど、二三味珈琲を地元で味わうことができて満足である。
今回は自由昼食だったけれど、10月からは、昼食場所は珠洲ビーチホテルのまま、観光バスのコースに昼食も含まれるように変更され、観光バス料金も一人3500円から5200円に変更になるそうだ。
食事を終え、珠洲焼資料館に入った。
珠洲焼は、12世紀後半から15世紀の終わりにかけて、珠洲市及び能登町の辺りで作られていた焼物で、灰黒色が特徴である。
14世紀には越前から北海道南部の日本海側まで船で運ばれて流通しており、運んでいた船が難破して海底に沈んだ珠洲焼きも多いそうだ。
珠洲焼に特徴的な櫛目紋が施されている。櫛目紋が壺全体に施されている例は少ないという。
櫛目を格子状に付けたり、頸のところにはお花模様のような印花紋があしらわれたり、かなり凝った模様の壺である。姿もいいなぁと思う。
バスは、13時40分に珠洲ビーチホテルを出発した。
ここから車で15分くらいで禄剛埼灯台に至るそうで、それならば是非観光バスのコースに空中展望台ともども入れてもらいたいところだけれど、残念ながらここからバスは内浦を引き返すことになる。
15分くらいで見附島に到着した。
この3日間、青空と青い海に浮かぶ見附島を遠目ながら何度も見てきたけれど、一番近くから眺める今日に限って雨が降っている。
軍艦の姿にも見えることから軍艦島とも呼ばれている、高さが28mあるという奇岩だ。
海岸線まで歩いて眺める。
霧雨が舞っている感じの厄介な雨が降っていて、跳ねて濡れるというよりは、少しずつ着ている服が湿っていくのが判る。
浜辺には「縁結びの鐘」が設置され、ここから始まる海岸線は「恋路海岸」と呼ばれている。
この日は、参加人数も少なく、雨模様なので、時間に余裕ができたらしい。今回、輪島で降りる方がいなかったので、我々を空港に送った後は和倉温泉に直行できるから、ますます時間の余裕がある。
時間調整も兼ねて、最後の観光スポットである見附島を出発した観光バスは、恋路駅の前を通ってくださった。
既に廃線になったのと鉄道能登線の駅である。
「恋路」などという優雅な駅名から、幸福駅と同じように、この駅までの切符を求める人も多かったそうだ。
この駅や線路、隣接する宗玄トンネルを宗玄酒造が管理しているという説明があった。
この「宗玄」トンネルが「隧道蔵」の「隧道」である。
恋路駅から宗玄トンネルまで、奥のとトロッコ鉄道のとろというトロッコ列車を走らせることもできるそうだ。
15時前、のと里山空港に到着した。
我々の乗る飛行機は17時発で、2時間もある。「何をしていればいいですか。」とドライバーさんに聞いたら、一言、「何もないよ。」と返事があった。
「まれ」を見ていないのでよく判らないけれど、空港の2階に再現されていたのは、主人公のまれがバイトしていた居酒屋らしい。
その居酒屋を眺められるベンチに陣どって荷物を整理し、空港の売店で買いそびれていたお土産を買い、ターミナルビルの外にポストがあることを到着時に確認していたので、友人に絵はがきを書き、羽田空港で夕ごはんを食べようとiPadでお店を探す。
2時間の待ち時間はそれほど退屈せずに済んだ。
ANA NH750便は定刻通りに飛び、18時過ぎに羽田空港に到着した。
母のリクエストで赤坂離宮(空港第2ビル店)に行くと、5〜6人が待っている。旅行帰りなのか、大きなカバンを持っている人は少ないから空港に遊びに来ているのか、ターミナルビル全体が大混雑だ。
20分ほど待って入ることができ、二人とも焼きそばを注文する。
空港バスと電車とどちらを使うか迷い、日曜夜なら電車もそれほど混んではいないだろうし、ミラコロを引きずっていてもそれほど迷惑にはなるまいと電車で帰宅した。
能登旅行記2日目その2 <-
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