2015年8月12日(水曜日)
今日のオプショナルツアーの出発は11時とかなりゆっくりである。
6時半くらいに目が覚めてしまったので、ゆっくりと紅茶をいただき、昨晩に引き続いて荷造りを進める。
雲が多いものの、ビリュチンスキー火山は見えているし、エンジェルスステップも見える。
8時からの朝食では、「最後だし」とミルク粥を食べるかどうかでかなり逡巡し、そもそも私はおかゆがあまり好きではないと思い直してパスした。
一口くらい食べても良かっただろうか。
朝食後も集合まで時間があったし、荷造りもほぼできあがったので、2日目に行ったスーパーマーケットまで歩いて行ってみた。
まだ開店していなかったけれど、歩道にはちょうど駅のキオスクのような売店があり、雑誌やジュースなどが売られている。お店のおばさんがいるとなかなかしげしげとは見られないので、じっくり眺める。
私たちが泊まったアバチャホテルのちょうど目の前には戦車のモニュメントがある。六輪駆動車で出発するたびに見かけてはいたけれど、こんなに近くで見るのは初めてだ。
スーパーマーケットまでは下り坂を徒歩7〜8分である。すでに結構な数の車が駐まっている。
果物はほぼ輸入だとオリガが言っていたとおり、かなりお高い。キウイが3つで390ルーブルもしている。
冷凍のベリー類がたくさん売っていて、何となくロシアっぽい。
何種類ものペリメニが冷凍されて売られていたのも気になる。家庭料理でありつつ、冷凍食品を買ってきて食べる人も多いらしい。
ウォッカの種類の多さには圧倒される。
キッコーマンの醤油が普通に売られているのは何となく嬉しい。
10時を過ぎると2階と3階のフロアにも行けるようになった。覗いてみると、2階はホームセンターというか電器屋のようなところで、3階では子供服とおもちゃを売っていた。
スーパーマーケットや上のフロアをうろうろしていたら時間がなくなってしまい、また、今日のオプショナルツアーにもスーパーマーケットと市場がコースに含まれているので、ここでは職場へのお土産にチョコ菓子を買っただけで退散した。
ホテルに戻り、10時半のバゲージダウンに合わせて1階にキャリーケースを持って行ったら、すでにツアーの方々はお部屋も空けてロビーで寛いでいた。
早い。
このときに、初日に預けてあったパスポートと出国カードが返され、出国のときに必要だというホテルの滞在証明書を渡された。
もう1回お部屋に戻って、あたふたと最後の点検等々をしていたら、添乗員さんから電話で呼び出されてしまった。集合時間まであと10分あるのに! とさらにあたふたと部屋を出る。
今日のオプショナルツアーにはオリガは同行しない(オプショナルツアーに参加しない方のフォローをする)と聞き、「お嬢さんに。」と持参していたキャンディの詰め合わせを差し上げた。オリガに「龍角散って知ってる?」と聞いたら「お薬ですね。」という返事だったので、「これは龍角散の飴だから、お嬢さんは好きじゃないかも。」と言ったら、「そうしたら、私が食べます。」と笑っていた。
本当にお世話になった。
出発前に空港でまた会えると聞き、またね、と手を振る。
4〜5人を除いてほとんどのツアー参加者がこのオプショナルツアーに参加していたと思う。
今日のガイドはユリア(初日に来てくれたユリアとは別人)という若い女性である。添乗員さん曰く「日本で働いていたこともある超優秀な女性。」である。
オプショナルツアーのバスは、まず、郷土史博物館に向かった。
郷土史博物館では、博物館のスタッフが見学ツアーの様に説明をし、その説明をユリアが日本語に通訳してくれる。
写真を撮る場合は、カメラ代150ルーブルを支払う。
20世紀初頭、ペトロパヴロフスク・カムチャツスキーは小さな村で、1200人くらいしか住んでいなかったそうだ。この郷土史博物館がある辺りが、その頃の村の中心だという。
今では、カムチャツカ半島全体に30万人が住んでおり、ペトロパヴロフスク・カムチャツスキーにそのうち20万人が住んでいる。半島にはあと二つの都市があるけれど、全体の2/3がペトロパヴロフスク・カムチャツスキーに住んでいる。
人は限られた場所にしかいないとうことだろう。
川や湖が多く、湖など14万もあり、そのうちの10万は火山の噴火によってできた。たくさんある川のうち、船舶の航行が可能なのはカムチャツカ川だけだ。
動物の剥製のコーナーもあった。
カムチャツカには自然保護区も多く、その中でもカマドルスキー鳥類保護区は18世紀に指定されており、無人の保護区には10万羽以上の鳥(エトピリカ、ウミガラス、ウミツバメ等々)がいる。
保護区にはラッコもいる。大きいものは全長1.5m、体重50kgにもなるというから、イメージよりも大きい。毛皮が高く売れることなどから20世紀に入る頃には絶滅状態となっていて、1924年にラッコの狩りが禁止されている。
その他、もちろん、オットセイやとど、セイウチ、あざらしなども多い。
ウミウシはすでに絶滅し、カムチャツカには顎の骨しか残っていない。
カムチャツカの「鮭」はカムチャツカの「誇り」だと博物館のスタッフは断言する。
鮭は、キングサーモン、シロサケ、ギンサケ、カラフトマス、ベニサケ、サクラマスの6種が生息している。
カムチャツカ半島に入ってくる道はなく、交通面ではほとんど「島」と同じ状態だ。
森が全体の70%を占め、そのほとんどはタケカンバである。
カムチャツカには、200種の植物があり、40種の動物もいて、剥製が結構並んでいた。
例えば、と名前が挙がったのが、山猫、マーモット、ヘラジカ、オコジョ、兎、リス、アナグマ等々である。動物たちの中で一番大きいのがヒグマで、展示されているヒグマの剥製は「小さい方」だ。大きいものは3m近くもあり、大きなヒグマが増えないようにライセンスを取得すれば狩猟が許されている。
カムチャツカには火山が300あり、そのうち30余りは活火山である。
今でもその溶岩を建設材料として使っている。
わらに、噴火後には金銀や宝石ができると言う。本当だろうか?
カムチャツカが雪に覆われていた時代にはマンモスも住んでおり、川で発見されたという牙が展示されていた。
意外と小さいと思った。マンモスは一体どれくらいの大きさだったのだろう。先住民族はマンモスの狩りをしていたというから、それほど大きかった訳ではないのかも知れない。
ユリアが「先住民族」と説明していた人々は、イテルミナ人のことだったらしい。
氷が溶けた7000年前くらいから人が住めるようになり、漁業を主とするイテルミナ人が住み着いた。冬は天井の穴を入口とする家に50人ほどが集まって住み、夏は家族ごとに高床式の家に住んでいたという。
当時は、狩りと家造りと料理が男の仕事、子育てと毛皮つくりと植物採集が女性の仕事だったそうで、何だか合理的な役割分担である。
彼らは全てのものに神が宿っていると考えていて、川にいるのが良い神、火山にいるのが悪い神というのも何となく判るような気がする。
イテルミナ人は烏から産まれたと信じていたそうで、ちょっとハイダ・グアイを思い出した。
現在、イテルミナ人は2000人いて、そのうちイテルミナ語を話す人は400人ほどしかいないという。
18世紀に入るとピョートル大帝がカムチャツカに来てロシアに征服されてしまう。それまで、イテルミナ人は塩を知らなかったという。お魚を食べることで塩分を摂取していたのだと思う。
ベーリングが2回にわたってカムチャツカ探検を行い、2回目のときに探検の基地としたのが現在のペトロパヴロフスク・カムチャツスキーである。
カムチャツカというのは、ベーリングが探検で使った船の名前で、同じ由来の都市がカザフスタンにもある。
もっと色々と説明してもらったけれど、メモしきれなかった。添乗員さんの話では、ユリアは、カムチャツカを訪れる観光客に自然だけでなく博物館なども見てもらいたいと前々から話していたそうで、セッティングにも通訳にも力を入れてくれたのだと思う。
1時間かけて、じっくりと見学できた。
博物館見学の後は、ランチタイムである。
市内のショッピングセンターの最上階にあるレストランに入った。BARAKAという名前のかなり洒落たお店で、東京にあっても違和感がない感じだ。
何度でも書く。ロシア料理は美味しい。
この日のランチは、牛肉とチーズのサラダ、サランカ(ウクライナのお肉メインのスープ)、キングサーモンのソテーとライス、コーヒーまたは紅茶という豪華メニューである。
我々は人数も20人以上と多かったし、豪華メニューだったから、サーブされるのに少し時間がかかった。その分ゆっくりといただくことができて却って良かったと思う。
一緒のテーブルについたユリアは、ツアーの方々からの興味津々な質問攻めに遭っていた。
ランチをいただいたレストランの入ったショッピングセンターから歩いてすぐのところに自由市場があった。
ここで、30分一本勝負で解き放たれる。
ロシア語なんて全く判らないし、市場の方々だって英語をしゃべらないのに、みなさん果敢に散って行く。
私も、とりあえず、いくらは買って帰ろうと、ぐるりと見て回る。
その場でプラスチックの容器に入れて保冷剤も付けてビニルでぐるぐる巻きにしてくれるし、そのままキャリーケースに入れて持ち帰れますとユリアが言う。今日が最終日だし、塩漬けだし、ユリアは何度もそうやって日本に持って行ったと言うし、チャレンジを決めた。
指差して味見させてもらう。思っていたほど塩がきつくない。
値段はメモ帳に書いてもらい、大きな容器に入れようとするので小さいのにしてと身振り手振りで伝えた。何とかなるものである。
直径10cmくらいの入れ物で600ルーブルと言われ、「負けて」とどうにかして言ってみたら、おじさんに「おばさんに言え」とやっぱり身振りで言われたのが可笑しい。ロシアの女性は強いのだ。
おばさんに電卓で交渉し、550ルーブルになった。日本で買うよりは安い、という辺りだろう。
一つ600ルーブルのカニ缶も、二つで1100ルーブルに負けてもらって購入した。
魚介類の市場だけでなく、野菜を売っているコーナーや、お菓子や蜂蜜や蜂の巣などを売っているコーナーもあり、またマトリョーシカを買うためにショッピングセンターのお土産物屋さんに戻ったりして、15時過ぎに自由市場を出発した。
マトリョーシカは高さ15cmくらい、三連のもので900ルーブルくらいだった。高い。カードで買おうかとも思ったけれど、みなさんをお待たせしてまで、という雰囲気だったので諦めた。
市内観光は16時までの予定だから、かなりギリギリのスケジュールだ。
次に、聖三位一体教会に行った。
教会内部の静粛を保つため、バスの中でユリアに説明してもらう。
カムチャツカの聖人が祀られている教会で、2010年に完成したばかりだ。建設費5000万ルーブルのうち、15%は市民からの寄付によるという。
ユリアの家はこの近くで、彼女も仕事がお休みの日にはお嬢さんを連れてミサに来るそうだ。
日曜日は9時から11時まで、平日は7時から9時までと19時から21時までミサが開かれている。ユリアは相当に敬虔な信者らしい。
外観も綺麗だし、内部もかなり綺麗かつ荘厳だった。
入ったところにスーベニアショップのようなところがあり、ロシア正教関連のグッズが並んでいる。聖水(だと思う)や、恐らくは聖書等のお話を絵本にしたもの、しおりなどもあった。
募金箱もあって、このとき手元にあった小銭を全て入れて来た。教会の周りはまだ整備途中という感じだったし、ここで売り子をしていた尼僧の女性がとても感じ良かったからだ。
バスに戻るときにユリアと一緒になったので、 「お嬢さん、お母さんに似てきっと可愛いよね。お父さんは”嫁にやらん!”とか言うんじゃない?」と聞いてみたら、彼女から「お嫁に行かないと幸せになれません。」と直球が返ってきて戦いた。
オリガはロシアでも晩婚化が進んでいると言っていたけれど、それは決して「結婚しない」という趣旨ではないらしい。
15時半頃にレーニン広場に到着した。「フォトストップ5分」というなかなかタイトなスケジュールをこなし、ペトロフスカヤ展望台への坂を上っている途中、バスが突然停まった。
前方の席にいた方の話では、運転手さんがギアチェンジをしようとした際、本当に「スコン」という感じでギアが抜けたらしい。
後続車がいなくて本当に良かった、という感じである。
運転手さんがすぐに修理にかかる。しかし、なかなか直りそうにない。
車内にいても仕方がないのでみな降りてしまい、辺りに咲いているお花の写真を撮ったり、向かい側にあるガソリンスタンドにトイレを借りに行って断られたりしている間に、ユリアが携帯電話を駆使して善後策を図っていたようだ。
10分後には代替バス(写真右の青いバス)が到着した。
この代替バスは、どう見ても「路線バス」だった。「路線バスに乗れてラッキー」などと皆で言いつつ乗り込む。
押していた時間がここで決定的に足りなくなり、元々の計画ではオプショナルツアー終了後にホテルに戻って荷造りをしてから空港に行くことになっていたところ、時間節約のためにホテルに残した荷物は別のバスで空港に運ぶことにして我々はツアー終了後まっすぐ空港に向かうことになった。
それでも予定はこなさなくてはならないようで、バスは展望台に向かった。
16時15分頃に展望台に到着し、再び「フォトストップ5分」というスケジュールをこなした。
ビリュチンスキー火山が今日も綺麗に見えている。
皆してサクサクとバスに戻り、バスはトイレ休憩を兼ねたスーパーマーケット経由で空港に向かった。
ところが、上手く行かないときはそれが続くものである。
ショッピングセンターに到着し、お手洗いを借りようとすると、何故か鍵がかかってお手洗いが使えなくなっていた。
ユリアを探して事情を確認してもらったところ、何と、このショッピングセンター全体で今断水しており、トイレは使えないので閉鎖しているという。
建物の外に仮設トイレがあると言われて行ってみても、それらしいものがない。
結局、最後の最後に市内で青空トイレということになった。可笑し過ぎる。
この「お手洗い探し」に時間を取られ、スーパーマーケット探検ができず、「美味しい」とウワサだったアイスクリームを食べそびれたのが心残りだ。
何とか、バスは17時半過ぎに空港に到着した。
ちょうど、我々が乗って帰るチャーター便で到着したらしいツアーの方々とすれ違う。
建物に入り、まずはそれぞれ買ったものをスーツケースに詰め込む。それだけで空港は大混雑の大混乱だ。
来てくれていたオリガと慌ただしく別れの挨拶をし、用意の出来た人からセキュリティチェックを受け、チェックインする。
出国後、添乗員さんから参加者それぞれにA4サイズの写真が配られた。
ツアーの間に添乗員さん自身が撮った写真をレイアウトし、ツアーメンバーそれぞれの写真や集合写真、お花や動物の写真をまとめて「旅の記録」を作ってくださっていたのだ。
驚いた。
そして、大感動である。
翌日の予定などもカラー印刷したものを配ってくれていて、カラープリンタを持参しているなんて凄いなと思っていたところに、ツアー中にここまでしてもらったのは初めてだ。
いただいた写真を見せ合いっこする。
そうこうしているうちにゲートがオープンし、空港スタッフにせき立てられるようにして飛行機に歩いて向かった。
コリャーク山とアバチャ山が綺麗に見えていて、スタッフに急ぐように言われつつ、つい写真撮影に走ってしまう。
19時10分発予定のヤクーツク航空R39969便は、概ね10分くらい早く動き出した。
私の席は窓際で、離陸してしばらくの間もコリャーク山とアバチャ山の眺めを楽しむことができた。
さらに高度を上げた後、ビリュチンスキー火山の雄姿も見ることができた。
嬉しい。
離陸して1時間くらいたったところで機内食が出た。蕎麦の実を茹でたものやサーモンがあると、ロシアっぽい感じがする。
成田空港に20時過ぎに到着し、流れ解散となる。
私もキャリーケースの空港宅配を手配し、帰途についた。
カムチャツカ旅行記4日目 <-