2015.09.24

能登旅行記の入口を作る

和倉温泉 ここは能登旅行記の入口である。


 母が「能登へ行きたい」「加賀屋に泊まってみたい」と言い、ならばその方向で2泊3日の旅程を組んでみようではないかと奮闘した。
 なかなか公共交通機関を利用しての旅が難しい場所だけれど、1泊目に泊まったホテルのときんぷらの支配人さんのご厚意もあり、充実した旅行になったと思う。


 今回の旅行にかかった費用は一人分75000円だった。ここには交通費、観光バス代、宿代、食事代が含まれているが、お土産代は含まれていない。


 1200年の昔、七尾湾の沖合(すなわち海の中!9一羽の白鷺が傷ついた足を湯で癒していたのを漁師が見つけたのが和倉温泉の始まりだという故事にちなんだブロンズ像が置かれたこの場所では、温泉卵を作ることもできる。


 以下の日程をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。


2015年8月28日(金) 能登旅行記1日目


2015年8月29日(土) 能登旅行記2日目その1


2015年8月29日(土) 能登旅行記2日目その2


2015年8月30日(日) 能登旅行記3日目


 


持ち物リスト(能登編)

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2015.09.23

能登旅行記3日目

2015年8月30日(日曜日)


 今日の出発は早く、5時半に起床した。
 外を見ると、見事なまでの雨である。雨粒が地面に落ちて跳ねているのが見えるくらいの雨だ。
 辨天の湯に行き、昨夜は入れなかった「野天の湯」に浸かる。湯船が岩風呂っぽくなっているから「野天」というネーミングになっているらしい。


 大浴場から戻るときに「祭り小屋」の前を通ったら、ちょうど朝市が開催されていた。
 輪島の朝市の超ミニミニ版をイメージしているようで、海産物や瓶詰め、お饅頭などが売られている。お財布を持ってないと言うと「お部屋番号につけておけます。」と返された。この辺りの連携は見事だ。
 「これから輪島の朝市に行くんだし」と、雰囲気を味わうだけに留めた。


朝食 お部屋に戻って荷物を整理し、着替え終わった6時半頃、仲居さんがお布団を上げに来てくれた。
 そのまま、座卓をお部屋の中央に戻し、テーブルクロスをかけ、7時からでお願いした朝食の用意が始まる。
 この朝食がまた豪華で、こんなにたくさんおかずがあると、ご飯が茶碗一杯ではとても足りない。ご飯をお代わりした。
 笹かれいの一夜干しが美味しい。


 名残惜しいけれど、8時5分に加賀屋を出発する送迎バスに乗るので、ゆっくりしている時間はない。
 7時45分くらいにフロントに降りてチェックアウトする。
 もちろん、フロントのカウンターの下の漆塗りを改めて鑑賞することは忘れない。
 チェックアウトをお願いすると、フロントの方から「お席を予約しておきました。」とこれから乗る観光バスおくのと号の予約票を手渡された。
 朝食の時間を決めるときに「観光バスに乗るので間に合うような時間で。」と話している。なるほどこれが「おもてなし」かと納得した。


 加賀屋から和倉温泉バスターミナルまでは歩いてすぐだけれど、これだけ雨が大降りだとバスで送って貰えるのは有り難い。
 仲居さんがお二人乗り込み、別の何人かが雨の中傘を差しながらお見送りしてくれて、バスターミナルへ向かった。
 窓口で料金を支払い、行程が書かれた紙をもらい、バスまでの10mほどを仲居さんが持っていた大きな傘に入れてもらい(これをするために付いてきてくれたらしい。凄すぎる。)、小さめの観光バスに乗り込んだ。


 ドライバーさんがガイドも兼ねていて、本日の乗客は2名ずつ3組の計6名である。座席指定の紙をもらったけれど、席など選び放題だ。
 いつでもこうという訳ではなく、前日も翌日も20名を超えるお客さんだったそうで、この日はエアポケットのような1日だったらしい。
 2015年春くらいまで「のとフライト号」という名前だった「おくのと号」は、8時25分の定刻通りに出発した。


 バスは、能登島を経由して輪島を目指す。和倉温泉からかかる能登島大橋を渡って能登島に入り、ツインブリッジを渡って能登半島に戻る。
 お天気が良ければそれぞれの橋の上から眺めが楽しめるだろう。この日、窓の外は雨で真っ白だった。
 輪島に到着したとき、ドライバーさんから「ワイパーを使っても叩きつける雨で何も見えない」状態になったと聞いた。そんな雨降りだったことにも気付かず、輪島までの1時間弱を瀑睡した。


車窓 輪島に近づく頃には、雨もだいぶ小降りになっていた。そうなると、緑鮮やかな窓の外の田園風景が気持ちいい。
 バスは、9時半くらいに、輪島塗会館の駐車場に到着した。
 輪島の朝市と輪島塗会館のために取られた時間は1時間だ。ドライバーさんは、輪島塗会館の2階に資料展示室があって観光バスの乗客は無料で見学できるので、集合の10分くらい前には戻って来てくださいと言う。


輪島朝市 観光バスの乗客6人は、カルガモの親子よろしくドライバーさんに朝市の入口まで連れて行ってもらい、「まず一番奥まで行って、帰りにお店を覗きながら戻ると良い。」というアドバイスに従って歩き始めた。
 母は、「朝食に食べた笹かれいを買って帰りたい。」と言う。お魚を売っている露店を中心に覗いて行く。意外とこの笹かれいを売っているお店が少ない。


 そうやって歩いているうちに、ついうっかり、蒸しあわびを売っている露店に迷い込んだ。
 なかなか調子のいいおじさんが店長さんで、「この一切れが300円だよ。」などとおっしゃりながら試食させてくれる。
 丸ごと1個の蒸しあわびと、小さく切られたものが詰まっている蒸しあわびと、食べ比べれば前者の方が美味しいに決まっている。
 東京のデパートで売ったら1万円オーバーだけれど、蒸しあわび丸ごと1個、8500円に負けとくよとおっしゃる。
 それでも母が唸っていると「判った。8000円で持って行きな。」と言い、こちらの返事も待たずに包み始めた。流石、商売上手である。


 笹かれいも、他の一夜干ししたお魚たちとの盛り合わせて1000円で売っているお店が見つかり、「笹かれいだけが欲しい。」と言うと、笹かれい10枚が乗ったお皿を出してくれた。
 「1枚おまけだから。」と言ってもらい、笹かれいの一夜干しを11枚1000円でお買い上げだ。1枚1枚ラップに包んで冷凍すれば保存でき、焼くときは冷凍のまま焼けばいいそうだ。


 目指すお買い物ができたので、雨も降っていることだし、足早に漆塗会館に戻った。
 まずは2階の資料展示室の見学である。
 製作の過程を追ってずらりとお椀が並んでいたり、加賀屋にあった松の絵の漆塗りがに似た感じの図柄がついたお椀があったり、製造過程で必要な道具たちが集められていたり、かなり楽しい。
 これが、沈金の過程や蒔絵の過程の説明となると、質実なイメージから一転して華やかになる。


 輪島塗会館の1階には、輪島市内の漆器店が60店舗以上出店している。
 ドライバーさんも「物もいいし、お値段もいい。」と評していた。確かにその通りですねという感じで、テーブルやタンスなどの大きな家具から、母と私が狙っているお椀、アクセサリまでかなり広いスペースにゆったりと並べられている。
 「買うなら六鹿椀でしょう!」とかなり強力に押したものの、お値段もかなり良くて「お手入れも大変だし。」「手入れが大変だからって使わなかったら勿体ないし。」と言い、母は「やっぱり買わない。」と決断した。


20150906 その代わりと言っては何だけれど、母と私とそれぞれ一つずつ、輪島塗ペンダントを購入した。
 私が購入したのは中門漆器店というお店の、グラデーションのペンダントトップだ。
 白から赤へのグラデーションのものとどちらにしようかかなり迷って、黒い方が漆器っぽい気がしたので、黒から赤へのグラデーションのものを選んだ。


 輪島塗会館からバスで5分も走れば、輪島キリコ会館である。
 2015年3月29日に輪島マリンタウンに移ってリニューアルオープンしたばかりらしい。
 中に入ると、所狭しと「キリコ」が並んでいる。
 スタッフのお姉さんから一通りの説明を受けた後(かなり興味深い話が出ていたのに、全く覚えていない自分が情けない)、自由見学になった。集合は11時だ。
 LEDでライトアップされ、色が変わる。
 この高さのものを担ぐって一体・・・、と思う。傾いたり倒れたりしないんだろうか。


キリコキリコ


キリコキリコ


キリコキリコ


キリコ2キリコ


 これはちゃんとお祭りの中で、生きて動いているところを見たかったなぁと思う。
 確か「能登国」と書かれたものは、一番古いという説明だったか、一番高いという説明だったか、とにかく何かのNo.1だったと思う。


大松明大松明 キリコ会館では、キリコ祭の様子を移したビデオの上映が行われ、また祭で使う大松明も展示されていた。
 この松明は、1階のショップから3階の展望室まで吹き抜けを貫くように設置されている。
 かなり背が高いし、かなり頭が大きい。


 ここで火が燃えていると思うと相当怖い。下でこの松明を支えていたら火の粉がどんどん落ちてきそうである。
 この日は陣太鼓の演奏が中止になったという貼り紙があって、もし演奏が行われていたら、とてもじゃないけど見学時間が30分では足りなかったと思う。
 なかなか充実していた。


白米 バスに乗って10分くらい走ったところに白米千枚田があった。
 雨が小降りになって、少し空が明るくなってきたのが有り難い。
 それにしても1枚1枚の田んぼの何と狭いことだろう。機械化などとても無理そうである。
 白米千枚田の場合は、田んぼの持ち主はほぼ「オーナー制度」のオーナーの方々で、田植えや稲刈り、その他の諸々の農作業はオーナーとボランティアの手によって行われている。
 色々な時期、色々な時間、そしてできれば晴れた日に来て眺めたい風景だと思う。
 20分の見学では、とてもとても時間が足らなかった。


南惣美術館 この辺りの見どころは近接しているようで、白米千枚田から南惣美術館まではバスで10分くらいだった。
 南惣家は、「豪農」とか「庄屋」とか言われる家で、この地域の文化の中心となり、また各地の「文人」との交流があったり、収集を趣味とする主人が存在したりしていたらしい。
 そうして集めた品々を、蔵を改装した美術館に展示し、公開している。
 ドライバーさんは、「早い人は5分くらいで戻って来ちゃうけど、好きな人は時間目一杯見ています。20分取りますから、すぐに戻って来ないように。」と冗談半分、厳かに告げた。


 蔵なので急な階段を上ったりするとギシギシいうのが少し怖い。
 長谷川等伯(伝)の屏風があったり、柿右衛門のお皿があったり、西鄕隆盛や乃木希典の書があったりする。
 誰の絵だったか忘れたけれど、まるで猫のような虎の絵もある。「猫のような虎の絵」って有名なような気がするけれど、誰の作だったろうか。
 どれくらいの時間をかけたかは計らなかったけれど、私が最後に美術館から出たことは確かだ。
 結構、楽しめた。


曽々木海岸揚浜式製塩


 バスは曽々木海岸沿いを走る。窓岩や細い滝の見えるところでは徐行してくれる。
 「まれ」ではなく「鉄腕! DASH!!」で有名になったという、1300年前からの手法を守っている揚浜式製塩の前でバスが停まったので、見学できるのかしらと思ったら、残念ながら「車内からのフォトストップ」だった。
 このバスの窓ガラスは青っぽく着色されていて、写真を撮ると青味がかってしまうので、停まったバスの中から窓を少し開けて写真を撮れるのは嬉しい。
 もっとも、こんな雨の日では、揚浜式製塩は開店休業だろうと思われる。


すだれ式 バスは新海塩産業の前で停まった。
 こちらでは、1997年から始まったという流下式という方法で塩を作っている。
 中に入ると、すだれを伝わらせるように水を滴らせている場所があった。何度もすだれに吹き付けて流すことで風や太陽にさらされた海水の水分が蒸発し、3%だった塩分濃度を10%にまで上げることができるという。
 この方法のいいところは、揚浜式とは違って天候の影響を受けないことだ。


釜 10%濃度になった海水を、今度は大きな釜で火にかける。
 この日はたまたま涼しかったけれど、暑い夏にこの作業は本当に大変だとおっしゃる。薪を次々と釜に投げ入れる作業は重労働だ。それを年配の女性が軽々とこなしている。


 まず2〜3日かけて塩分濃度を20%くらいにしてから一度漉す。
 さらに1〜2日かけて煮詰めると、「塩」と「にがり」が残る。
 液体である「にがり」がなくなるまで炊き続けると、美味しい塩ができるという。
 一通りの見学の後、ショップでお塩を購入する。藻塩や桜塩も気になるけれど、ここはシンプルに「塩」だろう。結晶塩を購入した。


能登丼 12時40分頃、珠洲ビーチホテルに到着した。
 自由昼食と、お隣にある珠洲焼資料館との見学の両方で1時間だ。
 観光バスが和倉温泉を出発するときにメニューが配られ、予め注文しておくことができた。母と私が頼んだ大浜大豆の豆腐丼は、能登丼の一つである。
 能登丼と名乗るためには、奥能登産のコシヒカリを使用する、能登産の箸を使用してその箸はプレゼントする、メイン食材は地元のものである等、いくつかの「条件」がある。
 こちらの丼は、お豆腐と厚揚げに塩味の餡がかかっていて、優しいお味で美味しかった。


 メニューに「コーヒーは二三味珈琲を使用している」と書いてあり、初日のリベンジをすべく追加でコーヒーをお願いした。
 酸味が割と強いコーヒーだったように思う。
 珈琲豆を購入することはできなかったけれど、二三味珈琲を地元で味わうことができて満足である。
 今回は自由昼食だったけれど、10月からは、昼食場所は珠洲ビーチホテルのまま、観光バスのコースに昼食も含まれるように変更され、観光バス料金も一人3500円から5200円に変更になるそうだ。


珠洲焼 食事を終え、珠洲焼資料館に入った。
 珠洲焼は、12世紀後半から15世紀の終わりにかけて、珠洲市及び能登町の辺りで作られていた焼物で、灰黒色が特徴である。
 14世紀には越前から北海道南部の日本海側まで船で運ばれて流通しており、運んでいた船が難破して海底に沈んだ珠洲焼きも多いそうだ。
 珠洲焼に特徴的な櫛目紋が施されている。櫛目紋が壺全体に施されている例は少ないという。
 櫛目を格子状に付けたり、頸のところにはお花模様のような印花紋があしらわれたり、かなり凝った模様の壺である。姿もいいなぁと思う。


 バスは、13時40分に珠洲ビーチホテルを出発した。
 ここから車で15分くらいで禄剛埼灯台に至るそうで、それならば是非観光バスのコースに空中展望台ともども入れてもらいたいところだけれど、残念ながらここからバスは内浦を引き返すことになる。
 15分くらいで見附島に到着した。


見附島 この3日間、青空と青い海に浮かぶ見附島を遠目ながら何度も見てきたけれど、一番近くから眺める今日に限って雨が降っている。
 軍艦の姿にも見えることから軍艦島とも呼ばれている、高さが28mあるという奇岩だ。
 海岸線まで歩いて眺める。
 霧雨が舞っている感じの厄介な雨が降っていて、跳ねて濡れるというよりは、少しずつ着ている服が湿っていくのが判る。
 浜辺には「縁結びの鐘」が設置され、ここから始まる海岸線は「恋路海岸」と呼ばれている。


恋路駅 この日は、参加人数も少なく、雨模様なので、時間に余裕ができたらしい。今回、輪島で降りる方がいなかったので、我々を空港に送った後は和倉温泉に直行できるから、ますます時間の余裕がある。
 時間調整も兼ねて、最後の観光スポットである見附島を出発した観光バスは、恋路駅の前を通ってくださった。
 既に廃線になったのと鉄道能登線の駅である。
 「恋路」などという優雅な駅名から、幸福駅と同じように、この駅までの切符を求める人も多かったそうだ。


 この駅や線路、隣接する宗玄トンネルを宗玄酒造が管理しているという説明があった。
 この「宗玄」トンネルが「隧道蔵」の「隧道」である。
 恋路駅から宗玄トンネルまで、奥のとトロッコ鉄道のとろというトロッコ列車を走らせることもできるそうだ。


 15時前、のと里山空港に到着した。
 我々の乗る飛行機は17時発で、2時間もある。「何をしていればいいですか。」とドライバーさんに聞いたら、一言、「何もないよ。」と返事があった。


「まれ」のセット 「まれ」を見ていないのでよく判らないけれど、空港の2階に再現されていたのは、主人公のまれがバイトしていた居酒屋らしい。
 その居酒屋を眺められるベンチに陣どって荷物を整理し、空港の売店で買いそびれていたお土産を買い、ターミナルビルの外にポストがあることを到着時に確認していたので、友人に絵はがきを書き、羽田空港で夕ごはんを食べようとiPadでお店を探す。
 2時間の待ち時間はそれほど退屈せずに済んだ。


焼きそば ANA NH750便は定刻通りに飛び、18時過ぎに羽田空港に到着した。
 母のリクエストで赤坂離宮(空港第2ビル店)に行くと、5〜6人が待っている。旅行帰りなのか、大きなカバンを持っている人は少ないから空港に遊びに来ているのか、ターミナルビル全体が大混雑だ。
 20分ほど待って入ることができ、二人とも焼きそばを注文する。
 空港バスと電車とどちらを使うか迷い、日曜夜なら電車もそれほど混んではいないだろうし、ミラコロを引きずっていてもそれほど迷惑にはなるまいと電車で帰宅した。


 能登旅行記2日目その2 <-

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2015.09.21

能登旅行記2日目その2

2015年8月29日(土曜日)


 のんびり散策するにはちょっと暑すぎた。
 長谷川等伯が収蔵されているという石川県立七尾美術館も気になりつつ、本日のメインテーマは「加賀屋」である。
 14時過ぎの電車で和倉温泉に向かった。
 七尾駅で本日の宿である加賀屋に電話し、和倉温泉駅までの送迎をお願いしたところ、駅に到着して宿のバスがいなかったらもう1回連絡してくださいと言われる。
 どういうことだろうと何となく釈然としない。


 のと里山里海号に乗車すると、帰りの電車の切符も貰える。我々は穴水から七尾まで乗ったから、七尾から穴水へ向かう電車の切符がサービスされる。
 その「帰りの切符」を使ってマジンガーZのラッピング車両に七尾駅から一駅乗った。七尾駅は、JRとのと里山鉄道の両方の駅を兼ねているので、改札口がちょっと判りにくくてマゴマゴしてしまった。
 和倉温泉駅に到着し、ロータリーに出て見回してみても、それらしいマイクロバスはいない。
 改めて宿に電話したところ、別のお客さんが依頼した送迎のバスが駅に向かっていたらしく、間もなく駅に到着しますという話だった。


 14時半くらいに加賀屋に到着した。
 迎えてくださった方が「すみませんでした。」と開口一番言ったのは、送迎についての電話のやりとりの情報が伝わっていたからだと思う。こういう連携が「おもてなし」なんだろう。ちょっと、もやもやが薄まる。
 チェックインは15時からなので少しお待ちくださいとラウンジに案内され、冷たい麦茶が供された。
 大きな一面のガラス窓からは海が一望だ。


七尾湾


 チェックインまでの時間を利用して散策に出ると、海を見渡せるベンチがあって、木陰は風が気持ちいい。
 しばらくそこで海を眺めた後、近くにあった辻口博啓美術館(ル・ミュゼ・ドゥ・アッシュ)に行った。
 若い女の子だけでなく年配の女性にも人気らしく、カフェには長い順番待ちの行列ができている。そこまでしなくていいよねと母と言い合い、美術館スペースに入ると、こちらはガラガラだった。
 飴細工(だと思ったけれど、多分、もっと複雑な何かである)とライティングとで「ART」している空間だ。それほど広くないお部屋一室のみで勿体ない。


 2階には、カフェの一部と、角偉三郎美術館が入っている。
 どちらの美術館も入館無料である。
 角偉三郎氏は、最初は沈金師として修行・仕事を始めたものの、「使う器」を作ろうと合鹿椀にシフトした方だそうだ。
 漆塗りの椀の製造工程や、関わる人々、作られた「器」たちが展示されている。
 ここで美し過ぎる合鹿椀を見てしまったために、母と私は漆塗りの器を買い損ねたということになると思う。


 そうこうするうちに15時を過ぎ、宿に戻った。
 仲居さん達がずらっとスクエアに並んでいる様子は壮観で、そういう「おもてなし」に慣れていないこちらとしては思わず逃げ出したくなる。
 足早にフロントに向かってチェックインをお願いすると、並んでいた中からお一方(と書きたくなってしまう)が出ていらして、お部屋に案内してくださった。


おもてなしお部屋 我々のお部屋は「能登客殿」の4階だ。
 窓から海が見えるのが嬉しい。
 能登客殿は、加賀屋の建物の中では海に一番近いと聞いていたので尚更である。
 海を眺められるようにテーブルと椅子が置かれ、それとは別に座卓と座椅子が配されている。お部屋の座布団が、噂の「ふかふかの座布団が一人2枚」ではなく、残念なようなほっとするような気がする。


 お抹茶とお菓子をいただいていると、仲居さんが「それぞれにジャストサイズ」の浴衣を持ってきてくださる。この辺りは、ネットで読んだ宿泊体験記の通りだ。
 夕食と朝食の時間を聞かれ、朝食は明日乗る観光バスの「のとフライト号」に間に合うようにとお願いする。


 1階にある大浴場は海に一番近いので明るいうちがいいですよとお勧めしていただく。
 客室に案内のあった「加賀屋の美術品を巡るツアー」が気になり、16時から1時間のコースに参加できますかと聞いたところ、まだ空きがあったようで参加できることになった。
 何だか楽しそうである。
 早々に、集合場所でへ向かう。大きな旅館だし、建て増しを繰り返しているから、なかなか目的の場所に辿り着けない。


 参加者は20人弱くらいだったと思う。
 年配の女性がガイドとなり、若者がアシスタントでついて、館内美術ツアーが始まった。
 参加者には「館内は美術館」というタイトルのかなり立派なリーフレットが配布される。


加賀友禅「四季の花」 加賀屋の建物は、フロアごとにテーマとなる植物が決まっている。
 我々が泊まったフロアは「山吹」で、お部屋の名前にも「山吹」が付く。
 シースルーになっているエレベーターから、それぞれのフロアの植物をテーマに織られた加賀友禅の反物を組み合わせたタペストリをずっと見ることができる。
 「パッと見ただけだと絨毯のように見えるかも知れませんが、反物なんです。」という説明に、確かにそうだわ、としみじみと見上げ、エレベーターからもじっくりと見る。
 梶山伸氏の作品だ。


輪島塗「寿松」輪島塗「寿松」


 輪島塗で作られた屏風なのか壁なのか飾りなのかすでに何だか判らない「もの」があった。
 角野岩次氏の作である。
 とにかく細かい。そして、この「松ぼっくり」がたまにあるところが「味」だという説明を受けたことを覚えている。どうポイントなのかは覚えていないけれど、この「寿松」という作品のポイントはとにかく松ぼっくりである。


九谷焼「刻彫椿」


 次から次へと「大物」が続くともう「欲しい」とか「勿体ない」とかいう普通の感想も続かなくなってくる。
 美術品の数々が普通に飾られていたり、「飾る」というよりも内装の一部であるかのように納まっているのだから恐ろしい。
 さらに恐ろしいのは、もしこういったツアーに参加しなかったら、価値を知るどころか、私がこれらの美術品に目を留めることすらなかっただろうということだ。
 こちらの九谷焼は、三代 浅蔵五十吉作である。
 同じ椿の図柄の壺(花瓶かも)も飾られていた。
 ここまで鮮やかな椿が描かれた花瓶(仮)に一体どんなお花を生けたらいいのか、もはや想像もつかない。


輪島塗「天女の舞」 輪島塗の「天女の舞」という作品は、最初に加賀屋に到着して案内されたラウンジの、ガラス窓の上にぐるりと飾られている。
 かなり高い位置にあるとはいえ目にしていてもおかしくはないのに、チェックインの際に見た記憶が全くない。「猫に小判」「豚に真珠」とはこのことである。
 さらに言うなら、「天女の舞」は、先ほど美術館も訪れた角偉三郎氏の作品であり、この作品を最後に角氏は「器」制作へと向かったというつながりのある作品だ。


九谷焼「花いかだ」 ラウンジの「床」とテーブルにも九谷焼が使われている。
 中谷淳子氏の作品だ。
 ラウンジでお茶かお酒をいただいたとして、その足もとに九谷焼が鎮座しているなどと誰が思うだろう。
 実はチェックインしたフロントのカウンターの下にまで、輪島塗の作品が施されていたのだから参ってしまう。「瑞鳥の図」と題された小西啓介氏の作品で、離れたところから説明してもらってやっと気がつくことができた。
 チェックインの際には必見である。


 また、加賀屋には能舞台まであって、そこは結婚式場として使われることが多いという。
 能舞台で結婚式というのは普通のことなのか。全く訳が判らない。
 近々挙式の予定があるのか、我々見学ツアー参加者向けなのか、能舞台の上に結婚式用のしつらえが施されていた。


彩釉鉢 彩釉鉢と言われたところで、どんなものか想像すらできない。
 人間国宝の三代 徳田八十吉氏の作品である。
 ギャラリー形式で、ガラスケースの中に入っていたと思う。それにしても、人間国宝の作品を普通に飾っておく加賀屋って何なんだという気がする。
 これだけのものを維持するのだから宿代も高くなるわよね、というのが、美術に素養のない母と私の抱いた正直な感想だ。


能登島焼「桃」 最初に見たときは木彫だろうと思った山田剛氏の作品は、木彫りではなく焼き物である。
 能登島焼の作品だという。
 パッと見たところでは木彫りに見えるよと近寄ってしげしげと見れば、確かに質感が違う。


九谷焼 こちらも、人間国宝の吉田美統氏の作品だ。特に名前はついていないらしい。
 「お皿はお皿」「お皿として使ってください」という趣旨で名前がついていないとすれば何だか凄いけれど、普通にお皿として使ってもらおうと思ったら、金箔は施さないよねと思う。
 それにしてもこういった作品たちはどうやって保管されているのだろう。季節によって替えるだろうし、保管には気を使うだろうなぁと思う。
 そして、そういった「美術品」をこうして惜しげなく飾っている。太っ腹である。


西塚栄治作 「魚映」というタイトルのこの作品は西塚栄治氏の作で、でも、それが「何」なのか、私には判らない。
 輪島塗? 象嵌? という感じである。
 泳いでいる魚たちがかなりリアルだ。


 こんな感じで、1時間の美術ツアーが終了した。
 充実した内容に説明、そしてもちろん作品たちに大満足である。参加して良かったと思う。
 最後にツアー参加者特典(?)として、館内にある輪島塗のお店と九谷焼のお店でのお買い物が10%引きになる割引券をいただいた。


 17時を過ぎてもまだ外が明るい。仲居さんのお勧めに従って、夕食前に1階にある「花神の湯」に行った。
 タイルで華やかな絵が描かれた大浴場で、本当にすぐ前というか下が海である。
 露天でないのが残念だ。その代わり、大きくガラス張りになっている。このガラスは外からは覗けないように工夫されているそうだ。
 加賀屋の総客室数は知らないけれど、かなりの宿泊客がいるだろうと思うし、実際に大浴場にスリッパが並んでいるのを見てちょっと引いたけれど、中に入ってしまえばゆったりしていて「大混雑」という感じがしない。
 流石である。


 バスタオルが使い放題、浴用タオルも1枚はお部屋で歯ブラシ等と一緒に用意され、洗濯したものが大浴場に豊富に用意されているのが嬉しい。
 タオルって重要である。
 大浴場の入口で、スリッパに番号札を付けて整理してくださる方がいて、人件費のかけ方が違うぜ、などと思う私はやっぱり無粋かつ場違いなんだろう。


夜景 お風呂からあがると、流石に外は真っ暗になっていた。
 お部屋から窓に明かりの入った旅館と海が見える。
 和倉温泉の旅館は、多く、海際に海を向いて建っている。
 涼みつつ写真を撮っていたら、19時からでお願いしていたお食事の用意が始まった。座卓にまずテーブルクロスがかけられたことに驚く。お部屋食で、まずテーブルクロスが敷かれたなんて記憶にない。


前菜 母は生ビールを、私は冷酒(もちろん「宗玄」を選んだ。「隧道蔵」である。)をお願いし、お食事が始まった。


 食前
 金澤柚子蜂蜜
 「食前酒代わりに」という口上だったので、恐らくノンアルコールだったと思う。


 先附
 夏野菜の金時草ドレッシング餡
 金時草は、加賀野菜のひとつで、血糖値や血圧上昇を抑える効果、免疫を高める働きがあるそうだ。
 お抹茶と一緒にいただいたお菓子も、この金時草を使ったお菓子である。


前菜干し口子


 前菜
 干し口子、黒藻酢、烏賊海女漬け、姫さざえ旨煮、手長海老つや煮、穴子八幡巻き、とうもろこし松風、枝豆白玉
 前菜のお皿の向こうの和紙に包まれていたのが「干し口子」だ。
 くちこは、糸くらいしかないナマコの卵巣を何本も何本も重ねて陰干しして作られる。どれだけ貴重でどれだけ手間暇がかかっているのだろうとクラクラする。
 いかにも「高級珍味」というお味で、日本酒と良く合った。


お造り先吸物 先吸物
 鱧真丈
 鱧を食べたのは初めてかも知れない。


 お造り
 白身魚(2種あったけど忘れた)、まぐろ、イカ、甘海老、雲丹
 市松模様のお皿も可愛いくて、四角く深さのあるお皿にお刺身を盛り合わせるという方法もあるんだなと思う。


治部煮 煮物
 合鴨治部煮
 治部煮は石川県の郷土料理だそうだ。知らなかった。
 鴨肉は、旨味を閉じ込め、またとろみを付けるために小麦粉をまぶしてあるそうだ。鴨ってこんなにコクがあったんだなと思う。
 添えられた山葵が効いている。


台物 台物
 和牛陶板焼き
 これはもう鉄板中の鉄板という感じのお料理である。
 お肉が柔らかくて、とても美味しい。母など「昨日とはだいぶ違う。」などと言う。
 確かに、昨日と今日で随分と趣の違う宿に泊まり、趣の違う夕食をいただいている。
 我ながら、なかなか乙な旅程を組んだなぁと自画自賛する。


冷し鉢 冷し鉢
 中島菜うどん いしる風味
 中島菜は能登野菜の一つである。血圧の上昇抑制効果が見つかっているという。
 「いしる」も能登の特産で、日本三大魚醤油の一つだ。あとの二つは、「しょっつる」と「いかなご」である。
 今回の旅で「いしる」を味わうのは初めてで、出汁でのばしてあるせいか、ほとんど匂いは感じなかった。もっとも、酔っ払って鼻と舌が効かなくなっていた可能性も高い。


 漆塗りのお椀でおうどんをいただきつつ、母が「こういう風に使いたいのよね。でも、うちじゃこの大きさじゃ小さいわね。」と繰り返していた。
 母は、輪島塗りのお椀でお蕎麦やおうどんを食べようという野望を抱いて能登に来ている。


蒸物 蒸物
 ふかひれ茶碗蒸し
 この辺りになると、あまり感興も抱かなくなっている。
 ずっとかなり大きな声でしゃべっていたお隣が静かになって、ちょっとほっとしていた頃かも知れない。我々よりも早く食事を始め、早々に酔っ払っていたものと思われる。


食事 御飯
 石川県産コシヒカリ


 留椀
 小ふぐ味噌汁


 香の物
 盛り合わせ


 昼食を食べたお寿司屋さんでもふぐのお寿司があったから、もしかして能登はふぐの産地なのかも知れない。


デザート デザート
 フルーツのレモン蜜ゼリー掛け
 ここだけ「デザート」で「水菓子」じゃないんだなとちょっと楽しい気分になった。


 1時間半くらいをかけて夕食をいただいた。
 順番にゆっくりと供されると、これだけたくさんのお食事でも結構食べてしまうものだ。
 お酒ももちろんしっかり飲みきっている。


祭り小屋 美術ツアーの集合場所になっていた「祭り小屋」で、20時15分からステージが毎日30分行われ、そちらは無料で見られる。
 もう開始時間は過ぎていたけれど、雰囲気くらいは味わえるかと行ってみた。
 前半の剣舞は終わっていて、後半は格好良く言うと歌謡ショーのようなステージだったらしい。
 ステージ上には太鼓が据えられていたけれど、これは剣舞と一緒に披露されていたらしく、我々は結この太鼓の音を聞くことはなかった。
 ちょっと残念である。


 ステージをちょこっと楽しんだ後は、そのまま「にぎわい処」をぶらぶらした。お土産物屋さんが並ぶ一角が、ちょっとないくらい広がっている。
 加賀屋と銘打った品々が並んでいたり、石川県内の名産品が並んでいたり、漆塗りや九谷焼の専門店もある。至れり尽くせりだ。
 母と二人で輪島塗りのお店に行き、じっくりと見る。
 やっぱり、いい物を見てしまうと、「まぁ、普通かな」という物が見劣りしてしまう。困ったものだ。
 私が気に入った六鹿塗は、本当にいいお値段である。館内ツアーでいただいた10%割引券があっても手が出ない。
 明日は輪島に行くことだし、とりあえず購入を見送った。


 お風呂上がりに飲もうと能登ミルクの瓶入り牛乳を購入し、お部屋に戻る。
 1時間ほどお土産物屋をうろうろしただけでは、お腹はいっぱいのままである。
 さらに食休みし、22時過ぎに辨天の湯に行った。


 加賀屋は、男性用大浴場は一つしかない一方で、女性用の大浴場は二つある。女性のお客さんの方が多いのだろうし、女性の方が長湯だし、長湯せずとも身繕いに時間がかかるからだろう。
 こちらも結構な人が来ていたけれど、「混雑している」という感じはない。
 「野天の湯」は閉まっており、そちらは明日の朝に来ることにして、露天風呂で寛ぐ。
 やっぱり、風に吹かれながら入る温泉は気持ちいい。


 日付が変わる前に就寝した。
 明日は早起きの予定である。


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能登旅行記2日目その1

2015年8月29日(土曜日)


 6時半と6時45分に母と私でそれぞれ目覚ましをかけ、その助けを借りて起き出した。
 雨音がしていることは夢うつつに聞こえていて、外を見ると結構な降りになっていた。
 7時過ぎに大浴場に行くと、昨夜とは違って先客がいらした。それでも3人だから、のんびりしたものだ。露天風呂に屋根がついていたので、早々に露天に出て、朝風呂を楽しむ。


朝食 朝食は8時にお願いしてあった。
 フロント横の、「レストラン」というよりは「食堂」という風情のお部屋でいただく。
 和食の「旅館の朝ごはん」といったメニューだ。どうして旅先で和食の朝ごはんをいただくとご飯をお代わりしたくなるんだろうと思う。「ちょっとだけ。」と言いつつ、今回もおかわりした。
 お部屋に戻って出かける支度をし、9時にチェックアウトする。
 昨夜のビール代の支払いと、あとロビーにあった売店で能登海洋深層水から作ったという「九十九塩」と、支配人さんお勧めの宗玄の純米生酒を購入し、助成金をしっかり活用させていただいた。


 宿の車で穴水駅まで送っていただけるのが有り難い。
 チェックアウト後、すぐに出発である。穴水に近づくにつれ、空に晴れ間が見え、道路が乾いて来るのが嬉しい。
 能登の家々の瓦は、もうほとんど全てと言っていいくらい、黒くつやつや光っている。わが家の辺りでは、すでに「瓦屋根の家」自体がほとんどないので、それだけで「原風景」という感じがする。
 何故黒いのかは諸説あり、中では「雪が溶けやすいように」という説が有力らしい。
 そして、大抵の家の屋根には「雪止め」があるけれど、能登でも特に雪が多い地方では、貯まってから雪が落ちたら危ないので、わざと「雪止め」を付けないというお話だった。


 ホテルのときんぷらで先ほど「九十九塩」を買った話をしたところ、つい最近まで、NHK朝の連続テレビ小説「まれ」にも登場した、揚げ浜式製塩の能登のはま塩も売店に置いてあったという。
 それが、ザ! 鉄腕DASH!!の「世界一うまいラーメン作れるか」で取り上げられて以降、大人気となり、とても生産が追いつかずに仕入れることができなくなってしまっているらしい。
 「連続テレビ小説の影響ではない」というところに時代を感じるなぁとしみじみする。


 食べ物の話つながり、珠洲市つながりで、二三味珈琲の話にもなった。
 「昨日カフェに行ったらお休みだったんです!」と言ったら、「言ってくれたら持ってきたのに。」とおっしゃる。支配人さんも二三味珈琲のファンで、お休み前にお宅に買いだめしてあったという。
 うーん。惜しいことをした。
 他のお店の珈琲はもう飲めない、というくらいお気に入りだとおっしゃる。


 10時くらいに穴水駅に到着した。
 待ち時間が長くなってはと、途中、ゆっくりめに走って時間調節をしてくださっていたようだ。本当に有り難い。
 穴水駅には、遠藤関の記念館があるという。
 能登半島の特に穴水町はお相撲の盛んな地域で、町営の相撲場もある。そんなことは知らなかったよと驚いた。


記念乗車券 駅の窓口で、のと里山里海号の切符を引き取る。
 10時47分発なので、穴水駅のお隣に2015年3月にオープンしたばかりだという穴水町物産館 四季彩々に入って色々と見てまわった。
 ひばの木を使った入浴剤(ひばの木を乾かしてあって、それを入浴剤としてお風呂に入れてください、という感じ)と、絵はがきを購入した。


のと里山鉄道のと里山鉄道


 ホームに出ると、すでにのと里山里海号が入線していた。
 隣には、マジンガーZの電車もいる。マジンガーZの作者である永井豪が輪島の出身で、のと里山鉄道ではラッピング電車を走らせている。
 やけに「オタク」っぽい男性がホームをうろうろしているなと思っていたら、さらに向こうにきらきらした女の子たちが描かれたラッピング電車があった。
 そちらは(後で調べたところによると)、2011年に日本テレビで放映されていた「花咲くいろは」というアニメのキャラクターだった。このアニメに登場した駅のモデルがのと里山鉄道の西岸駅で、能登まるごとタイアップ、みたいなアニメ作品だったらしい。


マジンガーZが運転 ホームをうろうろしていたら、ちょうどマジンガーZが運転席(ではないけど)にいるような写真が撮れた。何だか嬉しい。
 のと里山里海号の前では、地元の子ども達が金色のポンポンを持って、歓迎+送迎の踊りを踊ったり歌を歌ったりしてくれていて、その前を通って電車に乗り込むのが若干気恥ずかしい。
 後で聞いたところによると、お休みの日も両親が働いているお子さんたちの学童保育だったようで、里山里海号でガイドを務めていた方の息子さんもそこにいたらしい。


 この日ののと里山里海号の乗客は、我々二人と、家族連れ(といってもみなさん年配の方だ)の3人と、二組だけだった。
 アテンダントとして乗車している方々の方が多いくらいだ。ちょっと心配になる。
 少し前に発車したマジンガーZの車両は、ツアー客だと思われる方々でほぼ満員だったので、路線としての人気は高そうだけどなぁと思う。
 お隣に座った相客の方は、夏休み限定で全コースで販売しますという辻口博啓プロデュースのスイーツを食していた。美味しそうだ。しかし、母と私のお腹にはとても入りそうになく、カウンターで珈琲だけ買っていただいた。


海と黒い屋根瓦ぼら待ちやぐら 発車してすぐ「手作りでイルミネーションを施しました」というトンネルを通過する。「ようこそ」といった文字が作られていて、ほのぼのとする。
 少し走ると海が見えてくる。散々迷った末に海側の窓に向いた席を予約したので、海がよく見え、景色がよく見え、そして暑い。


 緑の向こうに海が見えたり、黒い屋根瓦の家々の向こうに屋根が見えたり、若干くすんでいつつも、青い空と青い海が嬉しい。
 走り始めてからそれほど時間がたったとは思えないところ、「第一のビューポイントです」と電車が減速した。
 ぼら待ちやぐらである。


 ぼら待ちやぐらは、このやぐらの上で終日、ぼらの群れを見張って網をたぐるという漁法のためのもので、最盛期には穴水町内に40基を超えるやぐらが立てられていたそうだ。
 1996年秋を最後に、この漁法を行う漁師はいなくなり、今ではおばあさんを模した人形がやぐらの上に人がいる。ガイドさん曰く「穴水で一番働きもののおばあさん」である。
 こんなに陸に近いところにあって、ぼらの群れが海岸まで来たということなのか、遠くまで見ることができたということなのか、ちょっと不思議に思う。


能登鹿島駅 次の見どころは、能登鹿島駅である。
 別名「能登さくら駅」とも呼ばれていて、駅の両側に桜の木が植えられている。しかも、かなり太い「年代物」の桜の木だ。
 季節になると桜のトンネルができてそれは綺麗な景色になるらしい。


 能登鹿島駅を過ぎると、海の向こうに能登半島と能登島を結ぶツインブリッジのとが見えてくる。
 能登島と能登半島は2本の橋で結ばれており、2本目の橋がかかるまでは橋の通行は有料だったらしい。それでは能登島で暮らしている人の負担が大きすぎるだろうと、思わずガイドさんの説明にツッコミを入れたくなった。


筏 深浦漁港に達する少し前に、もう一つのビュースポットがあった。
 田んぼがあり、その向こうの海に筏が並んでいるのが見える。
 ちょっと記憶が怪しいけれど、確か牡蠣棚だという説明だったと思う。能登半島で牡蠣の養殖が盛んだなんて知らなかった。ちょっと驚く。
 確かにこれだけ島や半島に囲まれていたら海は穏やかだし、養殖漁業に向いているだろうと思う。


深浦漁港 最後のビュースポットが深浦漁港である。
 曰く「昔ながらの漁港」である。漁に出ているのか、それとも漁師さんがもう少なくなっているのか、船が1艘しか見えないのがちょっと寂しい。
 黒く光る屋根瓦の乗った家が並び、深く切れ込んだ海の青緑色が綺麗だ。
 漁港を俯瞰する景色は、能登鉄道からしか見ることができない。まさに「里山里海」という景色だなぁと思う。


 のと里山里海号は、穴水駅、和倉駅、七尾駅でのみ乗り降りすることができる。そして、この他に1ヶ所だけ停まり、ホームに降りることができる。
 それが能登中島駅である。
 能登中島駅には、日本に2両しか残っていないという郵便車が展示され、中に入ることができる。


郵便車郵便車


 今の郵便物は車や飛行機で輸送されているけれど、その昔は、鉄道がその多くを輸送していたらしい。
 「かつて」といっても、能登中島駅に保存されている「オユ10 2565」という車両は、1957年から1971年の間に72両が製造され、1984年頃まで使われている。
 郵便車は、郵便を運ぶだけではなく、車内で区分作業ができるようになっていたことから、「走る郵便局」と呼ばれたという。
 のと里山里海号の見学スポットになっていて、我々が行ったときには「ふるさと鉄道保存協会」の方が色々と説明もしてくださった。
 年2回の一般公開を逃すと、のと里山里海号に乗らずに見学するのは結構難しいのかも知れない。


 また、郵便車両内には記念スタンプが置かれ、郵便車のすぐ外には昔懐かしい赤い丸形のポストが設置されていた。うっかり写真を撮りそびれたのがショックだ。
 ここで投函すると、記念消印を押してくれる。スタッフの方によると、このポストは本物の郵便局のポストではないので、駅員の方がポストから取り出して郵便局に持ち込むらしい。
 郵便を出せるようにと、のと里山里海号の車内で郵便車の写真がついた官製はがきが販売されている。5枚セットの販売で、バラ売りをしてくれないところが惜しい。


 ハガキを購入したものの、10〜15分の停車時間は目一杯見学してしまい書いているヒマがない。アテンダントさんに降車の際に託すとポストに投函してもらえるのが有り難い。
 記念スタンプを押し、自分宛にも1通出した。
 能登中島駅の駅名看板には、「演劇ロマン駅」とも書いてある。アテンダントさんに聞くと、能登中島駅には、無名塾の拠点ともなっている能登演劇堂があるそうだ。知らなかった。


里山里海号車内里山里海号車内 能登中島駅を過ぎると、海はほとんど見えなくなってしまう。
 車内の内装など工芸品の説明が始まり、こちらも車内を見学する余裕が出てきた。
 車内は、例えばパーテーションが飾り棚も兼ねていて、珠洲焼きや輪島塗りの作品が展示されている他、座席にかけられている布が能登上布(これが結構な高級品である)だったり、パーテーション自体が組子細工になっていたり、各座席にあるテーブルがヒバの木だったりする。
 美術展兼物産展みたいな車内だ。


 お手洗いも同じようにギャラリーみたいになっていた筈だけれど、「流石にトイレの写真を撮るのはどうだろう」と思って撮らなかったら、どんなお手洗いだったか忘れてしまった。少なくとも一見の価値があったことは確かだ。


 和倉温泉駅で降りる人はおらず、乗客全員、アテンダントさんの能登弁のご挨拶を受け、七尾駅で降りた。
 七尾駅到着は12時2分だ。朝ごはんをたくさんいただき、車で穴水駅まで送っていただき、その後は電車に乗っていただけなのに、どうしてちゃんとお腹が空いているのか謎である。
 駅のコインロッカーにミラコロを預け、観光案内所で美味しいお寿司屋さんを聞いたところ、すし王国「能登七尾」というリーフレットが差し出された。
 お腹も空いたことだしと、駅から近いのと前廻転寿司 夢市に行った。


地魚握りセット甘鯛


 セットメニューもオーダーすることができる回転寿司で、「地魚握りセット」を母と二人でオーダーした。
 アカイカ、バイガイ、イワシ、マグロの炙り、もずく、甘海老、鰤、穴子、蟹、鯛というラインアップで、これにお味噌汁が付く。
 とにかくイワシが美味しい。甘くてとろっとしていて、まぐろ顔負けである。
 「まだ食べられるね。」「食べたいね。」と、回転しているお寿司ではなく、板前さんの後ろのホワイトボードを隅から隅まで読んで研究し、追加で、白エビの軍艦巻きと甘鯛をオーダーした。期待通り、美味しい。
 二人で4000円ちょっとで大満足の昼食になった。


高澤ろうそく店一本杉通り そのまま腹ごなしも兼ねて、一本杉通りを歩いた。
 仙対橋から始まる一本杉通りには風情あるお店が並び、語り部がおり、それぞれのお店で体験メニューなども用意されている。
 高澤ろうそく店で、お花の絵柄の手描きろうそくや、無地の和ろうそくなどいくつか購入した。父へのお土産である。
 お店の2階にはろうそく作りが判る展示などもあったようで、気がつかなかったのが残念だ。
 また、一本杉通りには、お醤油の専門店や、お茶を臼でひくことができるお茶屋さん、海産物とガラス工芸のギャラリーが何故か一体化しているお店などもある。


花嫁のれん 商店街の中程に「花嫁のれん館」があった。
 ゴールデンウィークには、それぞれのお店やお宅にある「花嫁のれん」を外から見えるように飾って観光の目玉になっているという。
 説明してもらったところでは、能登地方で、お嫁さんがお輿入れの際にのれんを持参し、嫁ぎ先の仏間の入口にかけ、そののれんをくぐることで今日から私はこの家の人間になりますと決意を見せるという儀式がある(あった)そうだ。
 そういう気持ちを表すために使うものだから、1回使った切り、使われずにずっとしまい込まれる。
 それでも、娘を嫁に出す実家では、「あなたの家に染まる」という意味を込めて軽い絹を使い、華やかな模様が描かれたのれんを作る。
 花嫁のれん館が建設中で、完成すれば、いつでも多くの花嫁のれんを見学することができるようになるという。


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2015.09.14

能登で出した絵はがきが届く

消印記念スタンプ 2015年8月28日から30日まで、能登に行って来た。

 のと里山里海号に乗った際、郵便車も見学し、アテンダントさんに託して絵はがきも出してもらった。
 私達が乗車したのは土曜日で、郵便車を見学した際に「郵便局が開いていないので、ここを出るのは月曜日になります」と説明されたところ、確かに、翌週月曜日8月31日付けの消印が押された絵はがきが、9月2日にわが家に届いている。
 甥っ子たちに母が出した絵はがきは、3日に届いたようだ。

 この消印が嬉しい。
 郵便車内にあったスタンプも押して出した絵はがきに満足である。

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2015.09.13

能登旅行記1日目

2015年8月28日(金曜日)

 羽田空港からのと里山空港に飛ぶ飛行機は1日2便である。のと里山空港に発着する飛行機はその2便しかない。
 8時55分発のそのフライトに乗るため、余裕を見て8時過ぎに空港に到着しようとすると、6時半過ぎには最寄り駅から電車に乗る必要がある。平日でバスのある時間帯で良かった。
 その時間でも、バスも電車も普通に混雑している。ミラコロを自分の横にしっかり置いておけるくらいの混雑ぶりなのが有り難い。

 予定通り8時過ぎに羽田空港に到着した。朝ごはんも食べて来たし、特にお買い物もないので、さっさとセキュリティチェックを抜ける。案の定、搭乗口は一番端で、そこまで歩いて行くのに結構かかった。
 機内は、満席に近い。
 羽田空港からのと里山空港まではちょうど1時間くらいで、余りにも飛行時間が短いため「ドリンクサービスが全員分終わらないかも知れません」といった注意書きがあるのが面白い。
 確かに、シートベルト着用サインが消えて15分くらいで「間もなく着陸態勢に入ります。」というアナウンスが入って、母と二人で顔を見合わせた。

 定刻の9時55分にのと里山空港に到着し、観光案内所でパンフレットなどを頂いてすぐ、ふるさとタクシー乗り場に向かった。
 ふるさとタクシーは予約制、のと里山空港発着限定の乗り合いタクシーだ。
 事前に電話で予約しておくと(席が空いていた場合は当日の乗車も可能)、幹線道路からそれほど外れていなければ行きたい場所まで連れて行ってもらえる。
 方面別に分かれていて、珠洲方面行きは我々二人の他、若い女性一人、若い男女の二人連れ(ただし、どう見ても仕事で来ている感じ)の5人の乗客で出発した。

 母と私は、能登 和 DINING SHO-TATSUというレストランでお昼をいただこうと珠洲市役所まで予約していた。
 どうやら、もう一組も行き先は珠洲市役所のようだ。
 漏れ聞こえてくる話し声についダンボになってしまったところ、どうやら二人はテレビ局のディレクターとリポーターという組み合わせで、キリコ祭を取材するために来たらしい。
 なるほど、そういうことだったのかと、微妙な敬語使いや、二人の服装のギャップに納得した。

空と海 珠洲市に向かう道中、道路の両脇にサルビアが植えられていたり、桜並木があったり、稲刈り後の田んぼがあったり、黒光りする屋根瓦の家が並んでいたり、 見附島が遠くにちらりと見えたり、車窓を楽しんでいたら、あっという間に40分ほどで珠洲市役所に到着した。
 早い。

 昼食の予約は早めの11時半でお願いしたものの、あと50分もある。
 ここ1週間ばかり、3日間とも雨かもと心配していたので、晴れた空が嬉しい。
 時間もたっぷりあるし、まずは海まで歩いて、青い空と青い海を堪能する。
 堪能しつつも、日射しがあまりにも強烈で「日傘を持って来れば良かったかも」「雨傘を日傘代わりにさそうか」などと思う。

足湯 珠洲市役所の道路を挟んだ反対側に飯田わくわく広場があり、そこに珠洲市唯一という足湯がある。
 とにかく日陰に入ろうと、母と二人、足湯を楽しむ。
 先客がお一人、のんびりと足湯を楽しんでいらっしゃった。どうやら地元の方のようだ。
 母と二人、靴を脱いであがり、靴下を脱いでズボンの裾をまくり上げて足湯に浸かる。底が丸石を並べたようになっているらしく、なかなか気持ちがいい。
 日陰に入ると風も通って涼しく、しばらく足湯を楽しんだ。
 お湯が茶色っぽいから鉄分を含んでいるのかと思ったら、ナトリウム-塩化物泉という表示だった。

ショータツ外観 最初、あまりにも普通にそこにあったのと、看板が大きくなかったので通り過ぎてしまった、足湯の建物の道路を挟んだ反対側の建物が、目指すレストラン「ショータツ」だった。
 予約した時間を少し過ぎて入ると、お客は我々二人だけのようだ。
 天井が高く、落ち着いた内装のいい雰囲気のお店である。
 予め「今日のおまかせランチ」をお願いしてある。
 サーブをしてくださる奥様はこちらの生まれ育ちだそうで、母が「瓦が黒いんですね。」と話しかけると、「珍しいらしいですね。私は生まれたときからこちらなので、これが普通だと思っちゃうんですけど。」と笑っていた。

前菜 前菜3種は、もずく酢(もずくは珠洲の特産らしい)、無花果、卵焼きである。
 卵焼きの甘みはお砂糖ではなく、これまた特産らしい米飴で付けられている。
 そう言われて食べると、柔らかい甘さのような気がする。

 次に出されたのが、南瓜と大納言豆のグラタンだった。グラタンと言いつつ、確か、マカロニの類は入っていなかったように思う。
 グラタンに入っているこのお豆もまた能登のお豆である。南瓜もお豆もほくほくしていた。

メインディッシュごはんとお汁

 メインディッシュは、鯛(マトウダイと言われたような気もするけれど、既に記憶が曖昧だ)のハーブソルト焼きだった。
 一口食べて母が「美味しい。」と言ったくらいで、新鮮なお魚をさっと焼いた感じがあっさりとしていて美味しい。やっぱり能登に来たらお魚よね、と思う。
 最後に、能登こしひかりを使った枝豆ごはんと、なめことオクラのお汁、お新香が出された。このご飯茶碗は珠洲焼で、持ち重りのする素朴な手触りの焼き物である。
 最後に、焙じ茶をいただく。

貼り紙 1時間弱かけてランチをいただいた後、二三味珈琲のカフェに向かった。
 珠洲市でランチを食べた理由のもう一つが、こちらのカフェである。映画「さいはてにて」のモデルになった珈琲豆のお店が開いたカフェがあると知り、そこで珈琲を飲んで珈琲豆を買って帰りましょうと計画した。
 ところが!
 カフェの前まで行ったところ、8月24日から9月8日までお休みしますという貼り紙があった。
 脱力である。ショックである。

 しかし、お休みなものは仕方がない。
 すぐ側にある飯田栄町のバス停を13時11分に出るバスに乗り、本日の宿であるホテルのときんぷらに向かった。チェックインが15時以降なので荷物だけ預かってもらい、九十九湾の遊覧船に乗ってこようという計画だ。
 路線バスは、細い道や海沿いの道を走ってなかなか気持ちがいい。
 14時過ぎに「勤労者プラザ前」バス停に到着した。ここからホテルのときんぷらまでは歩いてすぐである。

のときんぷらのお部屋 チェックインし、遊覧船のことを聞いてみると、問い合わせしてご連絡しますと言ってくださる。有り難い。
 夕食を19時からでお願いし、明日の朝食の時間について聞かれたので、バス停(特急バスが止まるバス停はちょっと歩ける距離ではない)までの送迎をお願いしていることを伝え、バス停までの所要時間等をお尋ねしたところ、バス停よりもずっと先の、のと里山鉄道穴水駅まで送ってくださるとおっしゃる。本当に有り難い。
 ホテルのときんぷらでは、チェックインの段階ですでにお部屋にお布団が敷いてある。
 夕食は別の場所でいただくので、チェックインした後は宿の方はお部屋には来ないということだ。これは気楽である。

遊歩道 早めに入らせてもらえたお部屋で待っていると、16時に遊覧船が出るので間に合うようにお送りしますと電話があった。
 1時間近くあるので、九十九湾にお散歩に行く。
 のときんぷらは九十九湾にあるお宿だけれど、残念ながら建物から海は見えない。
 遊歩道を下って行くと、突然母が「あっ!」と叫んだ。何かと思ったら、赤い動くものが見え、「セアカゴケグモかも! そしたら毒があるわよ!」と言う。
 しかし、近づいてよくよく見てみれば、それは、アカテガニだった。後でホテルの方に聞いたところでは、基本的に山に生息している蟹で、8月の満月の夜には卵を産むために海に一斉に向かうそうだ。
 母の叫び声の方にびっくりしてしまった。

九十九湾九十九湾

 遊歩道を10分か15分くらい下ると、海際に出た。
 九十九湾である。
 景色も綺麗だし、何より、海の水の透明度が高い。底の底まで見ることができる。

飛んだ 遊覧船の時間があるので、そう遠くまでは行けないけれど、海際の遊歩道はぜひ歩いてみたい。
 少し行くと釣り筏があって、そこに名前はよく判らない鳥が何だか悠然と歩いていた。鷺だろうか。
 何だか気になってじーっと待っていたところ、行ったり来たり歩いた後、ふわっと飛んで行った。
 立っているところもなかなか優雅だし、羽を広げるとちょっといい感じの鳥である。

ジェラート 帰りは登り坂になるので少し余裕をみて戻った。
 しかし、暑い。
 時間もあるので、ロビーで売られていたマルガージェラートをいただいた。
 「ミルク」と「のとプレミアムミルク」があったらそれは「のとプレミアムミルク」を選ぶのが人情というものだ。ジェラートなので、「プレミアム」と歌いつつさっぱりとしていて美味しかった。

 その後、海中公園 九十九湾観光船上野まで送っていただいた。越坂のバス停が最寄りになるようだ。
 遊覧船乗り場の海もやはり透明度が高い。
 乗り場の近くにはお魚の姿が全く見えないところが不思議である。チケット売場の方も一緒に来てくださって「あら、本当にいないねぇ。おかしいね。」とおっしゃっていた。

遊覧船遊覧船

 送迎してくださった宿の方もご一緒し、最初は3人の貸切で出航した。
 その後、百楽荘というお隣の宿から3人乗船した方がいらして、6人で進む。曇ってきてしまったのが残念だけれど、いい眺め、そして、いい風である。

生け簀生け簀 遊覧船は船長のおじさんが持っているという生け簀に到着した。
 アトラクションである。
 おじさんが用意していた南瓜はこのためだったらしい。その南瓜や、トマトなどを生け簀に投げると、もの凄い勢いで魚たちが寄ってきて争うように食べる。本気で争っている。
 おじさんが「どんどんあげていいよ」と言うので、調子に乗って南瓜などの野菜を投げては寄ってくる魚の写真を撮りまくる。

 魚の種類も教えてもらったけれど、蛸以外は全く覚えていない。
 鰺の生け簀に手を入れると、鰺が寄ってきて突いたり、指を噛んだりしてくるのも面白かった。何というか、尖ったプラスチックみたいな感触で全く痛くない。これで足を入れたらドクターフィッシュかしらと思う。
 この生け簀にいるお魚たちは観賞用で、食べることはないそうだ。ちょっと安心である。

人面岩シダ 生け簀にいたお魚は、野菜の食べ過ぎか丸々としていて、一頃流行った人面魚みたいだった。
 一方、遊覧船のコースには「人面岩」が待っていた。確かにツンと鼻を高くした人の顔のように見える。可笑しい。
 海岸沿いに群生しているシダは、何かでとても珍しい(と船内放送が言っていた)そうだけれど、何がどう珍しいのか、何という名前のシダ植物なのか、どうしても思い出せない。我ながら、そんなことばかりである。

 先ほどの「人面岩」も、「波岩」も、船内放送のテープではなく、船長のおじさんがボソっと指さして教えてくれた。
 何だかそれも可笑しい。
 そして、確かに先ほどの岩は人の顔だし、波岩は大波が襲いかかってきているように見える。

立山連峰コーラル号

 海上からは遠く立山連峰の山並みも辛うじて見ることができた。
 後でお聞きしたところでは、海の向こうに立山連峰が見えるのは、お天気が下り坂のときだそうだ。
 写真だと確認するのが難しいかも知れない。
 コーラル号に乗船し、九十九湾遊覧を45分間たっぷりと堪能した。

露天風呂大浴場 ホテルに戻り、夕食の前にもちろんお風呂である。
 のときんぷらの大浴場では、日本海の小木沖の水深320mから取水した「のと海洋深層水」を利用している。美肌・保湿・温浴効果が高いとなれば、ほとんど温泉のようなものだ。
 当たり前だけれど無色無臭である。味は判らない。
 日の高いうちにのんびりお風呂に入れるなんて最高である。しかも、ずっと貸切状態という贅沢さだった。

 部屋にあったご案内に、のと里山空港を利用して能登町内に泊まった人には、一人2000円の助成金が出され、しかも泊まった宿での手続きが可能と書いてあった。
 夕食前にフロントで確認したところ、通常は宿泊料金と相殺という形で処理しているようだ。私はカード決済で予約していたので、フロントの方々が困った顔をしている。
 それならばと、夕食のときの飲み物やお土産物屋さんでの買い物に使えるか聞いたところ大丈夫というお答えで、4000円分(母との二人分)使おうと決心した。

 19時からでお願いしてあった夕食は、古民家を移築した「もちの木亭」での炉端焼きである。
 色々と用意されている能登の日本酒もメニューを横目で睨みつつ、炉端焼きならビールでしょうと母と二人で生ビールを頼む。
 最初にお刺身が出てきて、後は野菜、魚介、お肉が並べられ「お好きに焼いて食べてください」というシステムだ。
 のときんぷらでは会席料理を選ぶこともできるし、素泊まりも可能で、どうやらこの日に炉端焼きの夕食を選んだのは我々とあとご夫婦一組だけだったようだ。

お肉炉端焼き

 炭火でじっくりと焼いて食べる。
 また網の上に食べたいものを並べ、焼いては食べる。
 その繰り返しで、とてもではないけれどご飯やお味噌汁が入る余地はなく、90分かけて炉端焼きを堪能した。
 美味しい。

 私はビールを飲み過ぎたらしい。
 もう1回、大浴場に行こうと思っていたのにいつの間にか眠ってしまい、ふと目が覚めたらお布団の上で(つまりはお布団をかけることもしないで)、部屋は真っ暗になっていた。
 時計を見たら23時半である。
 辛うじて歯磨きだけして、そのままお布団に潜り込んだ。

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2015.09.10

加算されたマイルを確認する(能登)

 2015年8月28日から出かけた能登旅行では、往復、のと里山空港までANAで飛んだ。

 元々、ANAのサイトで購入した航空券なので、当然のことながら、特に手続き等をすることもなく、ANAのマイレージクラブ羽田ー能登間往復分の310マイルが加算されていることを確認した。

 片道155マイル!
 少ない!

 いつか、「貯めたマイルで旅行してきたの!」と言ってみたいけれど、なかなか道は険しそうである。

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2015.08.30

無事、帰宅する(能登)

 2015年8月28日から2泊3日で、母と能登を二人旅してきた。

 1週間くらい前から雨の天気予報で気を揉んでいたけれど、結果として、3日間のうち雨に降られたのは最終日の今日だけだったから、なかなかの好成績だったと言えると思う。

 私がレンタカーを運転できればいいのだけれど、全く運転に自信がないので、どうしても公共交通機関を利用しての旅になる。
 1日目はふるさとタクシー(のと里山空港からリーズナブルに乗り合いタクシーを利用できる)と路線バス、2日目は宿の送迎とのと里山鉄道、3日目は観光バスを利用して、効率的とは言えないまでもなかなか楽しい旅程を組めて、そして回ってこられたと思う。

 今回の旅行は「加賀屋に泊まる」ことがメインだったので、かなりの贅沢旅行になった。
 往復に飛行機を使ったので尚更である。
 概算で今回の旅行にかかった費用は一人分約75000円だった。ここには交通費、宿代、食事代が含まれているが、お土産代は含まれていない。また、助成金やポイントを利用した分は「もしポイントを利用していなかったら」ということで計算してある。

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能登旅行記3日目(引っ越しました)

*****

 能登旅行記は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

*****

 2015年8月28日(金) 能登旅行記1日目

 2015年8月29日(土) 能登旅行記2日目その1

 2015年8月29日(土) 能登旅行記2日目その2

 2015年8月30日(日) 能登旅行記3日目

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2015.08.29

能登旅行記2日目その2(引っ越しました)

*****

 能登旅行記は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

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 2015年8月28日(金) 能登旅行記1日目

 2015年8月29日(土) 能登旅行記2日目その1

 2015年8月29日(土) 能登旅行記2日目その2

 2015年8月30日(日) 能登旅行記3日目

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