2016年3月12日(土曜日)
朝は6時に起きた。まだ外は暗くて、空模様はよく判らない。随分と西に来ているのだなぁと思う。
テレビをつけてだらだらと明るくなるのを待つ。何度見てもテレビの天気予報は「曇り」だし、6時半過ぎに明るくなってきたので外を見ても、やはり雲が広がっていて雲の切れ間というものがない。
少し早めにレストランに行ったら、入口に10人くらいの行列ができていた。
ちょうど後ろに並ばれた方とお話ししたら、ご夫婦で個人旅行されており、昨日は仲間川でカヤック(カヌーだったかも)を楽しまれたという。やはり沖縄を楽しむにはレンタカーなのかしらと思う。
朝食では黒糖フレンチトーストのできたてが供されていて、もちろんいただいた。パッションフルーツのジュースもとても美味しかった。私にしては控えめな盛りのつもりである。
朝食後、少し時間があったのでホテルの中庭や、すぐ目の前にある砂浜に降りてお散歩した。
このホテルの目の前の砂浜は「月ヶ浜」とも「トゥドゥマリ浜」とも呼ばれていて、後者は「神がとどまる浜」という意味だ。
大きな荷物はホテルで預けて石垣島フェリーターミナルまで運んでもらうことができる。今日の観光で使わないものをキャリーケースに詰めて荷造りし、8時半の集合時間までにロビーに降りた。
集合時刻には余裕をもって降りた筈が、母が「シーサーが買いたい!」と言い出し、ホテルのお土産物屋さんのシーサー売場から離れようとしない。「そろそろ時間だよ!」と散々急かし、母が選んだのが、こちらのシーサーである。
バスがホテルを出発してすぐ、正確な名称を忘れてしまったけれど「梅」の字の付く焼き物の工房が見えた。西表島来島記念に、そちらのシーサーを購入しても良かったかも知れない。
バス車内では、運転手さんがガイドも務め、色々とお話してくださった。
西表島には小学校が6校、中学校が4校ある。島内に高校はないので、高校進学時には沖縄本島に行くか、あるいはさらに遠く九州まで行って下宿する。そのまま島に帰ってこない若者も多い。
今走っている道路は通称「海中道路」と言われて、海の中を突っ切っている。この道路ができるまで、西表島の東部と西部は陸路で結ばれておらず、舟で行き来していた。
海中道路からは、ピナイサーラの滝やサンガラの滝を遠くに見ることもできる。ここ数日、西表島は雨がちで、滝の水量がいつもよりも多かったらしい。
そして、もちろん、一番多かったのがイリオモテヤマネコのお話である。
もっとも、イリオモテヤマネコは夜行性で、我々が昼間に見ることはまずできない。西表島の道路にはところどころ「イリオモテヤマネコが出没した」という看板が立てられている。
車の運転に気をつけましょうという趣旨で置かれている看板であるのに、逆に観光客が「この看板のあるところでイリオモテヤマネコが見られるかも知れない」と看板の辺りをひたすら往復する例などもあって、功罪ある存在になっている。
警察が発表する交通事故数の看板にも、「イリオモテヤマネコの死亡事故」件数が書かれている。
運転手さん曰く「西表島で人間が交通事故に遭ってもニュースにならないが、イリオモテヤマネコが交通事故に遭うと全国ニュースになる」ということだ。
確かに、と思う。
西表島のゼブラゾーンは、異音を発生させてイリオモテヤマネコを驚かせ、それで交通事故から守ろうという発想で作られている。
昨年のイリオモテヤマネコの交通死亡事故は3件、今年はまだ3月なのに既に1件の事故が起きている。
9時すぎに美原に到着した。ここから水牛車で由布島に渡る。
バスを降りると雨が止んでいた。傘を差さずに済むのは有り難い。
ツアーメンバーは二手に分かれ、水牛車に乗り込んだ。我々が乗り込んだ水牛車を引っ張るのは9才のゆうと君だ。
彼らは浜では絶対に排便等々をしないようにしつけられていて、海中で立ち止まったときはその手の御用を足している可能性が高い。でも、草しか食べないので排泄物は臭くないらしい。
我々が到着した時刻は満潮に近く、かなり水深がある。ゆうと君も大変そうな感じに見えたけれど、10人くらいの人間が乗った車など彼らの力の前には全く問題なしだという。
我々が乗った水牛車を担当してくださったのは少し年配の男性で、海を半ばまで渡ったところで三線を取り出し、安里屋ユンタを歌ってくださった。担当の方々の中でも、三線を弾きながら歌う方も歌わない方もいるし、歌う歌も色々と違うらしい。そう聞いて何だか得した気分になった。
由布島は、かつては竹富島等から移り住んだ人々で栄えていたところ、昭和44年の台風で大きな被害を受け、ほとんどの島民が西表島に移り住んでいる。しかし、西表正治夫妻が島に残り、水牛を頼りにお花を植えたり椰子を植えたりして、由布島を植物園に作り上げたという。
何だか凄いお話である。
由布島には、お花が植えられ、散歩コースが作られ、蝶が飛ぶビニルハウスがある。
添乗員さんによると、西表島にはなかなか大人数が一度に食事できる場所がなく、由布島のレストランで昼食というツアーも多いそうだ。
到着してまずレイを首にかけてもらい、そのまま園内に入ったところで順番に「本日のモデル」である水牛と記念写真を撮った後、20分ほどの自由時間となった。
「自由時間」に、ぜひ蝶々園には行ってくださいと案内される。蝶々園には「オオゴマダラ」という日本最大級の蝶がいる。
蝶々園はビニルハウスのようになっていて、お花が咲き、蝶々が無数に飛んでいる。鱗粉系が駄目な人は行かない方がよさそうだ。
ここでびっくりしたのは、蝶の大きさだけではない。
この蝶はさなぎのとき、金色をしているのだ。
そう聞いて「眉唾だよ」と思っていたら、本当に金色のさなぎが枝からぶら下がっていて驚いた。正真正銘の金色である。
オオゴマダラという無彩色の蝶と金色のさなぎを満喫していたら島の奥まで行っている時間がなくなってしまい、近くにあったマングローブの遊歩道を歩き、水牛車の待合所に戻った。
これまた「余裕で戻って来られたわ」と思っていたら、由布島に上陸してすぐ記念撮影した写真が欲しいと母が言う。
え? 欲しいの? と思いつつも、母のご所望とあらば購入するしかない。せっかくなので加工できるようにCDに焼いてもらったら、これが思いの外時間がかかり、帰りの水牛車に間に合わないのではないかとヒヤヒヤした。
お店の方も「ツアーの方ですよね?」と焦っている。我々が焦ったところで、PCの処理スピードが速くなる訳もなく、ギリギリで間に合ってほっとした。
帰りの水牛車を引っ張ってくれたのは、こじろう君で、おじさん曰く「一番のハンサムで一番人気」だそうだ。
そうと聞いたら、記念写真撮影にも力が入る。西表島に戻ってきてから結構必死で写真を撮ったけれど、なかなかイケメンらしく撮ることができなくて、こじろう君には申し訳なかった。
由布島への往復の水牛車は、引いてくれる水牛たちの気分次第のところがあって、立ち止まって動かなくなり片道30分もかかることもあれば、今回のように水深にもめげずに15分弱で渡らせてくれるときもあるそうだ。
添乗員さんが、バスに戻ってから「今日は水牛くん達もがんばってくれて。」とほっとしたように話していたのが可笑しかった。
車窓から牛が飼われている草原が見える。
西表島にいる黒毛和牛は仔牛のうちに全国に送られ、それぞれの産地で育てられて「ブランド牛」として売られる。毎月、12日と13日に石垣島で仔牛の競りがあるという。
今日も何頭か何十頭かは判らないけれど、西表島から競りに掛けられる仔牛がいるのだろう。
次の仲間川マングローブクルーズの乗り場まではバスで30分ほどだ。
運転手さんに「何でもない信号機ですよ。」と言われつつ「日本最南端の信号機」を謹んで写真撮影する。
運転手さん曰く「車が3台連なったら渋滞」という西表島に信号機があるのは、島外に出たときに困らないよう子ども達を教育するためだという。日本最南端の島である波照間島に信号機がないので、この西表島大原にある信号機が「日本最南端」だ。
ふと、日本最北端の信号機はどこにあるのだろうと思う。
11時過ぎに、仲間川マングローブクルーズの乗り場に到着した。
ツアー全員で、イリオモテヤマネコの帽子を被った船長さんが操縦する船で出発である。
船の両脇に風よけ寒さよけにビニルのカーテンが下げられている。満場一致でそれをくるくると巻いて上げ、景色を楽しむことになった。
船長さんの説明によると、「マングローブ」という木はなく、「河口汽水域の塩性湿地に成立する森林のこと(Wikiより)」をマングローブというそうだ。
マングローブの林を構成する木は日本には7種あり、メヒルギ、オヒルギ、ヤエヤマヒルギ、ハマザクロ、ヒルギダマシ、ヒルギモドキ、ニッパヤシである。西表島にはその全てが生育している。
川の両岸にそのマングローブを見ながら舟は進む。
随分とすれ違う船が多いと思っていたら、この日の西表島には観光客が1000人も来ていたそうだ。西表島の人口が2300人くらいというから、いきなり島の総人口が1.5倍である。
しかも、潮の関係で午前中しか船を出すことができないため、観光客が集中している。
しかし、ラッキーなことに、我々がクルーズの目的地であるサキシマスオウノキに続く桟橋に着いたときには、他の船はいなかった。
サキシマスオウノキを独占である。
このサキシマスオウノキは日本最古と言われていて、樹齢は推定350年とも400年ともいう。板状の根っこが特徴で、このサキシマスオウノキの場合は最大で高さ3mはある。
こんな木がクルーズの先に待っているとは知らなかった。かなり驚き、かなり堪能した。
帰りの船中で船長さんが手のひらに余るようなしじみを回してくださった。
仲間川で採れるという。
ただし、お味の方はかなりかなり今ひとつらしい。船長さんが話のタネに食べてみたところ、「とにかくもの凄く臭い。」貝だったらしい。
「川と海の境目はどこでしょう」というクイズもあって、さて、別に線が引いてある訳でもないしと思っていたら、答えはある意味もの凄く簡単で、「橋がかかっている場所が川と海の境目」という話だった。
河口に橋がない場合はどうなるんだろうとか、今になってみると色々と疑問の残るクイズの答えだ。そのときは、仲間川にはいかにも「海と川の境目」といった場所に橋がかかっていて、特に疑問にも思わなかった。
クルーズ終了後は、大原港から小浜島に渡り、昼食をいただく。
ホテルの方によると、島の西部というか北部にある上原港は風の影響を受けやすく、10月から4月の間はほぼ2/3は欠航してしまうという。
だからなのか、今回泊まったリゾナーレ西表島は上原港からの方が断然近いのに、西表島への出入りは大原港からだった。
八重山旅行記1日目 <- -> 八重山旅行記2日目その2