京都旅行記(2016)の入口を作る
ここは京都旅行記(2016)の入口である。
ちょうど、紅葉が盛りの時期に訪れることができ、人混みにもめげず、目一杯楽しんで来た。
概算で今回の旅行にかかった費用は一人分約46000円だった。
ここには交通費、宿代、食事代、拝観料、おやつ代等が含まれているが、お土産代(御朱印を含む)は含まれていない。
以下の日程をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。
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ちょうど、紅葉が盛りの時期に訪れることができ、人混みにもめげず、目一杯楽しんで来た。
概算で今回の旅行にかかった費用は一人分約46000円だった。
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2016年11月21日(月曜日)
標識東山3-2を確認し、稲荷山を後にする。
鳥居の並ぶ土の道が、車止めのチェーンが渡された場所を過ぎるとアスファルトの道路に変わった。そこで、伏見稲荷大社の境内は終わりのようだ。さらに少し歩くと、雑木林の中の道から、住宅地っぽい感じに変わる。
途中、標識東山3-3があり、そこから荒神ヶ峰に登る道が延びている筈だけれど、見逃してしまった。
この辺りには、個人的なお塚も数多くあるらしい。悉く見逃した。残念である。
下り坂で足もとだけ見ていたからかも知れない。
11時40分、東山4の標識を確認したところで京都一周トレイルを外れ、東福寺に向かった。
東福寺に向かう途中にある月輪南陵に立ち寄ろうと思っていた筈が、「随分と大きな建物があって広い場所に着いたな」と思ったらそこは東福寺で、結局、月輪南陵はどこにあったのか、見落としたのかルートを間違えたのか、辿り着くことができなかった。
ちょっと残念である。
引き返すには登り坂だし、そのまま六波羅門から東福寺境内に入った。
凄い人出である。
旗を持ったバスガイドさんを先頭にしたツアーの方々もたくさんいるし、「熱中症になるからお水を飲んで!」と旦那さんにペットボトルを差し出している年配の女性もいらっしゃる。
確かに、11月とは思えない暖かさだ。
東福寺の紅葉が前日にかなりニュースで放映されていたし、たくさんの人出もむべなるかなという感じである。
東福寺は以前に来たことがあるので、そのまま通天橋・開山堂に向かった。拝観料400円を支払う。すでに行列だ。
拝観受付を通ると、中は庭園である。
紅葉が本当に綺麗だ。
経蔵と紅葉のコントラストも綺麗だ。
晴れてはいないものの、雨も降らず明るい曇り空だ。
しばらくは、庭園に広がる赤と紅と朱と黄色と緑のコントラストを楽しんだ。
2016年の紅葉の時期から、東福寺では、通天橋などの橋の上からの写真撮影を禁止している。
かなり残念である。
来ている方もみなさんそれを知っていて、逆に通天橋と紅葉を一緒に撮ることのできるスポットは大人気だった。順番待ちのようになっている。
また、黄葉した木々の隣で写真を撮れるような場所も大人気で、こちらも順番待ちだ。
通天橋から見下ろすと、紅葉の向こうに臥雲橋が見える。
通天橋も臥雲橋も橋である。
ここは、洗玉澗と呼ばれる渓谷で、その底を流れる川に橋が三つ渡されている。この二つの橋ともう一つ、偃月橋という橋があって、ただ偃月橋は確か公開されていなかったと思う。
臥雲橋の辺りは、「紅葉」というよりも「黄葉」という感じだった。
最後にもう一度、紅葉した葉の間から見える通天橋の写真を撮ってから、開山堂に行った。
渓谷のさらに上の方にあるそこは、いただいたパンフレットによると、1280年に入定した聖一国師をお祀りした場所である。そして、聖一国師は、日本で初めて天皇から国師号を送られた禅僧だという。
洗玉澗に植えられた三ツ葉楓は、この聖一国師が唐から伝えたものだというから、東福寺の紅葉の景色の「大もと」になったいわば恩人だ。
開山堂まで上がって来ると、見事なくらいに紅葉の「こ」の字も見えない。
退蔵院の副住職の方が、京都のお庭は元々は「普遍」「不変」ということがテーマで1年中景色が変わらないことが尊ばれたという趣旨のお話をしていた。開山堂のお庭は正しく「不変」のお庭なんだろう。
人もまばらになって、ずっと「赤」を見続けてきた目には、木々の緑と白砂の白が優しい。
市松模様が描かれていて、方丈の北のお庭と対になっているのかしらと考えた。
開山堂から戻り、通天橋を渡る。思ったよりも混雑していない。「写真撮影はご遠慮ください。」と何人も立ったガードマンの方が声を枯らしていて、それで、写真撮影をする人がほとんどいない(ゼロではない)。
そもそも「立ち止まってゆっくり眺める」雰囲気ではなくなっているのが残念だ。
私も橋の上に長居してはいけない気がしてそそくさと歩いてしまった。勿体ないことをしたなぁと思う。「ゆっくり眺める」ことは禁止されていないのに、マヌケである。
日下門から東福寺を一旦出て、東福寺駅に向かう途中、臥雲橋を渡る。
ここから見上げる通天橋と紅葉も綺麗だけれど、残念ながらこちらの橋の上からの写真撮影も禁止されている。
また、橋の上は左側通行になっていて、東福寺から駅に向かって歩くときは、通天橋とは逆の側を歩かなくてはならない。人の頭越しに見ることになる。
こちらは本当に「道の一部」なので、通天橋よりもさらに「ゆっくり眺める」という感じではなかった。
警備員さんたちが交通整理しているので絶対に迷わないだろう駅に向かう途中、綺麗に紅葉した大きな木を見ることができた。
もしかして、東福寺の塔頭の一つだったんだろうか。よく判らない。
道路に大きく張り出した木が見事に紅葉していて、ここで写真を撮っている人も大勢いた。
東福寺は滅茶滅茶混雑していたけれど行って良かったなぁと思いつつ、東福寺駅に戻った。
参考にした本のコースタイムは2時間15分、私は寄り道したり割愛したり東福寺で紅葉を愛でたりして3時間半だから、まぁまぁの歩きになったのではないかと思う。
13時2分発の電車で京都駅に戻った。
まず帰りの新幹線の指定席を確保する。指定席は、まだ結構空いているようだ。夕方くらいまでの間に満席になっている列車はない。
ゆっくりお昼を食べてお土産を買うことを考え、余裕をみて15時36分発のぞみの指定席を取った。2人席の窓側を確保する。
スバコ・ジェイアール京都伊勢丹3Fにあるはしたてに行くと10人待ちくらいだった。
その手前にある「中村籐吉京都駅店」がさらに凄い行列で、それを見た後だと「10人くらい」という気分になり、そのまま並んだ。12時過ぎくらいに入った方々がそろそろ食べ終わる頃だろうという読みもある。15〜20分くらいで入れたと思う。
「はしたて」は京都和久傳の系列のお店らしい。
初めてだし、ここは店名にもなっている「はしたて丼」かしらと思っていたら、お店のお姉さんが11月のお昼限定メニュー(1782円)をお勧めしてくれたので、そちらをお願いした。
銀だら味噌焼き丼、きのこと九条葱煮麺、胡麻豆腐、お漬物というメニューだ。煮麺って聞いたことはあるけど食べるのは初めてだと思いつつ、ゆっくり美味しくいただいた。
お店を出ると14時10分くらいだった。
あとは伊勢丹でお土産を購入して帰るだけである。
まずは定番で、「日本で一番小さい漬物屋」と呼び込みをしているお漬物屋さんに行った。よく覚えていないけれど、楽味京都という名前のようだ。
それほど京都に来ている訳ではないけれど、来ると毎回ここでお漬物を買う。
千枚漬けと半割ごま大根を購入した。
中村籐吉本店の生茶ぜりいを売っているコーナーがあった。
そのお隣に、カップに入ったわらび餅が並んでいた。わらび餅がカップに入っているのは珍しいと思っていたら、売り子のお姉さんが「昨日は入っていなかったんです。明日も入荷がありません。」「とろっとしてスプーンでやっとすくえるくらいの柔らかさなんです。」「東福寺の近くにお店があるんですが、お店も不定期営業で、近所の方が”お店がやってなかったからこっちに買いに来たわ”っておっしゃるんですよ。」等々と「わらびもち愛」を語ってくれる。
そう言われて、このわらび餅を作っているわらび庵に行ってみたいと思っていたんだわと思い出し、おやつ兼お土産に購入した。
その他にも色々と気になるものがある。
しかし、普段からお買い物をしつけていない私にはこの辺りが限界である。くたくたになってしまった。
コインロッカーからミラコロを取り出して荷物を整理し、15時前にイノダコーヒのポルタ支店に行った。アイスコーヒーをテイクアウトしようと思っていたけれど、テイクアウトできるような雰囲気ではない。新幹線の時間まで30分くらいあったし、新幹線改札口まで近そうだったので、店内に入った。
迷わずアイスコーヒーを注文すると、お砂糖とミルクをどうするか聞かれた。
確かイノダコーヒのコーヒーには最初からミルクと砂糖が入っていると聞いたことがある、アイスコーヒーも同じなんだろうかと思い、「そちらが普通なんですよね?」と妙な質問の仕方をすると、ウエイトレスのお姉さんが「はい、お勧めしております。」とにっこりするので、そちらでお願いした。
甘くて苦い、アイスコーヒーだった。
コーヒー豆はもうたくさん買ったので買うのは諦め、15時36分発ののぞみに乗り込んだ。
ほぼ満席である。
帰りの新幹線でわらび餅をいただこうと思っていたけれど、アイスコーヒーでお腹がいっぱいになってしまい、がんばって歩き過ぎたせいかかなり眠くて、東京駅まで瀑睡した。
京都旅行記2日目その1 <-
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2016年11月21日(月曜日)
充電しつつ目覚ましもセットしたiPadで、6時半に起床した。
昨日、結局書かず仕舞いだった絵はがきを書く。
身支度をして、7時過ぎにホテル法華クラブ京都の1階に入っている小川珈琲の京都駅中央口店に向かった。イノダコーヒと迷い、開店時刻が1時間早いこちらで朝食をいただくことにした。
カウンターで注文してセルフサービスで好きな席に持って行くスタイルのようだ。
たまごモーニング(550円)をお願いする。
私の前に並んでいたヨーロピアンらしいご夫婦の注文に少し時間がかかっている。
その時間を利用して、オーガニックハウスブレンドのコーヒー豆(挽いたもの)2つと、抹茶と黒豆のパウンドケーキをお土産に購入する。レジのお姉さんに「今だけ期間限定で、コーヒー豆二つ分のお値段で三つお買い上げいただくことができます」と言われ、調子にのって三つ目のコーヒーを足してお会計をお願いした。
喫茶店のモーニングメニューをいただくのは生まれて初めてである。
どうってことないと言えばどうってことない。でも、特別感がある。
家ではトーストをこんなに厚切りにはしないなとか、外で食べるゆで卵はどうして特別感があるんだろうなどと考えつつ、ゆっくりいただいた。
京都駅中央口店は、ホテル内にあるのでちょっと狭いし、ホテルに宿泊している方も朝食を食べに来ていて混雑している。でも、壁に向かったカウンター席などもあって、落ち着いていただくことができた。
せっかく近くに泊まっているし、拝観料もいらないし、散歩がてら、東本願寺にお参りした。
とにかくデカイ。
そして、この日は何か檀家さんが集まるような行事があるらしく、まだ8時だというのに、次々と観光バスがやってきて、主に年配の女性で信者らしい方々が降りて行く。交通整理のため、お寺の方が出て来ているから本格的である。
そそくさとお参りし、朝書いた絵はがきをポストに投函してから宿に戻った。
身支度をしたり水筒に焙じ茶を詰めたり荷物整理をしたりして、8時50分頃にチェックアウトした。
ちょうど女将さんと会うことができ、ご挨拶をして宿を後にする。
本日は京都トレイルの東山コース、そのほんの触りを歩く計画である。
帰りに伊勢丹でお土産を買うつもりで、伊勢丹の入口に近いコインロッカーを探し、ミラコロを預ける。ミラコロが入る大きさだとコインロッカー代が500円とちょっと高い。
JR奈良線のホームに行くとすでに電車が入って来ていて、18分発のようだ。呑気に座って待っていたら、あっという間に満員電車のようになった。
東福寺駅で乗り換えて京阪線の伏見稲荷駅に行き、京都トレイル1の標識を確認してスタートしようと思っていたら、東福寺駅で降りる人が余りにも多く、狭いホームから溢れそうになっていたので、計画を変更した。そのまま、お隣のJR奈良線の伏見稲荷駅まで乗って行く。
改めて、紅葉の時期の東福寺の人気を思い知った。
JR奈良線の伏見稲荷駅を降りると、改札を出てすぐ目の前が伏見稲荷の鳥居である。
もの凄い混雑だ。こちらも凄い。特に外国人観光客が多いような気がする。
お参りする前に、改札を出て左に歩き、いなり ふたばに向かった。
今日は多分お昼ごはんが少し遅めになるし、一応「歩く」つもりなので、おやつを買って行こうという心算である。いちご大福も気になりつつ、定番の豆大福と季節限定だという栗大福を一つずつ購入した。二つで320円である。
私の京都一周トレイルのスタート地点は、「いなり ふたば」さんである。
時刻は9時25分だ。
来た道を戻り、伏見稲荷大社にまずはお参りする。
伏見稲荷大社は、全国に30000社あると言われている「お稲荷さん」の総本宮である。うっかり「総本山」と言いたくなるけれど、それではお寺になってしまう。
西日本で一番初詣の参拝客数が多い神社さんだ。
最近は、ミシェランだったかトリップアドバイザーだったかで、外国人観光客に一番人気のある京都の観光スポットに選ばれたということで有名な気がする。
確かに、朱色の鳥居がずっと並んでいる景色はエキゾチックというか、アジアンというか、いかにも日本的なイメージなんだろうと思う。
駅前の大きな鳥居をくぐり少し歩くと楼門がある。
豊臣秀吉が大政所の病平癒を願って造営したものである。
そういえば、今放映している大河ドラマ「真田丸」でも、豊臣秀吉が生きていたころはしょっちゅう「伏見城」という名前が出て来ていたような気がする。
この楼門の前にいるお狐さんは、何故か鍵をくわえている。理由はよく判らないながら、何だか何かの御利益がありそうな気がする。
少し(5〜6人)並んで本殿にお参りした後、本殿の左手にある建物で御朱印をいただく。お二人の方が書いてくださっていても、こちらも行列だ。タイミングもあるようだけれど、やはり5〜6人待ちといったところである。
伏見稲荷大社では三つの御朱印をいただけるそうで、全て制覇しようと思う。
本殿から右の方に回ると、千本鳥居がある。
とにかく、凄い人である。
この場所が無人になることはほとんどないのではないかと思える。そして、二筋ある千本鳥居の道の入口には、「右側通行」の文字が、英語、中国語、韓国語と4カ国語で書かれていた。本当に国際的な観光地である。
人が多いなぁと思いつつ、奥社を目指して進む。なるべくゆっくりゆっくり歩く。私が購入した本には、本日の予定である東福寺までは「超入門」コースと紹介されていたものの、普段全く運動をしない私が2時間ばかり歩こうというのだから、慎重すぎるということはない筈だ。
少し歩いて引き返す人も多いのか、5分も歩かないうちに人はばらけ、少し待てば無人に近い様子も見ることができるようになった。
奥社までは5分程度である。
短いながら、この朱色の鳥居がずらっと並んでいる中を歩いているせいか、浮遊感のようなものがある。
奥社でお参りし、その後、右後方に回ると「おもかる石」がある。
燈籠が2体並んで立っており、そのてっぺんにある「空輪」という丸い石が「おもかる石」だ。燈籠の前に立って願いごとを祈り、その後でこの「おもかる石」を持つ。この石が、自分の予想よりも軽かったら願いごとがかない、重かったら願いごとは叶わないという。
チャレンジしてみたところ、この「おもかる石」は予想よりもはるかに重かった。前に並んでいた女の子たちが「こんなに重かったら誰も願いごとなんてかなわないよ。」と言っているのを聞いた上で予測したのに、その予想よりもさらに重い。
忘れずに奥社奉拝所で御朱印をいただく。こちらは混雑緩和のためか、宮司さんがお一人で何枚も書き溜めていて、一枚を渡してくださる。並んでもいいので、直接ご朱印帳に書いていただけると良かったなぁと思う。
京都一周トレイルの標識東山2-1を確認する。標識東山1は飛ばしてしまったので、初めて見る道しるべである。
この辺りに「根上がりの松」と呼ばれる、「値上がり」に繋がるとして縁起が良いとされている松の木があった筈だけれど、見そびれてしまった。どうも商売繁盛とは縁遠いところにいるようだ。
奥社から、まだずっと続く鳥居の道を歩くこと10分強で、「新池」に到着した。別名「こだまが池」ともいい、ここで手を打ってこだまが返ってきた方向に尋ね人の手がかりがあると言われている。
手を打ってみることを忘れていた。どうも「歩く」「上る」ことに気を取られていたようだ。
新池から歩いて5分ほどで「三つ辻」に着く。左に行くと本殿に戻ってしまうので、ここは右折である。
でも、この三つ辻の左右の道が、どちらも同じ高さに伸びている様に見え、標識を見つけるまでは「これはどっちに行けばいいんだろう?」と首をひねった。
方向音痴のくせに、せっかく購入した「京都トレイルマップ」を出しておかないからこういうことになる。
三つ辻を右折し、400段あるという石段を上る。
この辺りまで来ると、朱色の鳥居がちょっと色あせていたりする。上っているときは見えないけれど、これが逆に上から見ると、奉納した人や会社の名前が墨黒々と書かれている。
四つ辻に行く途中、山の手入れをしている方々がいらした。ちょうど休憩中だったようである。
そういえば、朱色の鳥居の中を歩いているせいかも知れないけれど、このお山には紅葉した木が少ない。あまり赤い色や黄色い色が目に付かない。
鳥居を目立たせようということだろうか。
10時20分頃、スタートして50分くらいで四つ辻に到着した。
お天気が良ければ京都の街を囲む山々が見渡せるところだ。この日は曇って、街中も霞んでいる。雨が落ちず、明るいだけでもヨシとしなければならないだろう。そして、暖かいのも有り難い。
薄手のダウンジャケットを持ってきたものの、歩いているときに着ると暑い。四つ辻でこの景色を眺めつつ、岩に座り込んで豆大福と焙じ茶をおやつにいただいている間だけ着込み、歩いているときは腰に巻いていることが多かった。
意外とすんなり来られたし、豆大福で元気回復もできたので、稲荷山山頂まで歩いてから京都一周トレイルに戻ることにした。
時計回りに御膳谷奉拝所を経由して一の峰を目指すか、反時計回りに三の峰から一の峰を目指すか、どちらにしても四つ辻にぐるっと回って戻ることになる。反時計回りで行くことにした。
10時35分スタートである。
三の峰に向かう途中、もの凄く重そうな何かを運んでいるおじさん達がいらした。おじさん達というか、職人さん達だ。
少し石段を上がっては休み、上がっては休みといった感じで慎重に運んでいる。コモのようなもので長い棒状のものを包み、紐をくくりつけて担いでいる。
何かと思ったら、鳥居の足(で言い方は合っているだろうか)だった。
奉納した方がいらして新たに建てるのか、それとも建て替えるのか、そういえば、ここまでも、地面に塚のように石があるだけで鳥居が立っていない場所もいくつも見かけている。
ゆっくり上がって5分ほどで三の峰に到着した。
三の峰は、白菊大神ともいう。ここに、楼門のお狐さんと対になっているのか、珠をくわえたお狐さんがいらした。
四つ辻から一周する間には、茶屋がいくつもあって、でも開いているところは少なかったと思う。
その途中のどこかだったか、新池の辺りだったかで、母にリクエストされていた父のお酒を「稲荷山」というラベルに惹かれて購入した。
もっとも、帰宅してから見たら、京都のお酒ではなく、灘のお酒だった。気は心である。
四つ辻を出発し、三の峰、二の峰を経由して15分ほどで、一の峰に到着した。
標高233mの山頂である。
そこにも茶屋があって、壁に「山頂」と書かれた貼り紙がしてあり、「当店への再確認おことわり」と書いてあるのが何だか可笑しい。よっぽど「ここが山頂ですか」と尋ねる人が多いのだろう。英語でも書いてある。
お社の前で、白い装束を着て祝詞をあげているかたがいらした。特別の願いがおありだったのかも知れない。
ここまで来てしまえばあとは下るだけである。
結構急な石段を下って行く。トレッキングシューズの威力発揮である。普通に革靴の人もいて、足もとが大変なのじゃないかしらと思う。
着物を着て草履を履き、着物の裾をからげて全力でダッシュして石段を上がっている女の子とも行き会った。彼女はまた一体どうしてそんなことをする羽目になっていたのだろう。かなり大変そうだった。
足もとに気を取られていたせいか、御膳谷奉拝所まで下り道だったのに15分ほどかかった。
この御膳谷奉拝所で三つ目の御朱印をいただく。「山頂を目指そう」と思って歩かないと三つ目の御朱印は手に入らない仕組みらしい。京都一周トレイルには含まれていないから、歩くことにして良かったと思う。
御膳谷奉拝所からさらに5分ほどで、眼力社である。こちらには黒塗りのお狐さんがいらして、苔の緑や紅葉した木々とのコントラストが綺麗だった。
ちょっと見とれてしまう。
45分かかって山頂まで往復し、四つ辻に戻った。
疲れを取り、荷物を軽くするためにも、ここでもう1回おやつタイムで栗大福をいただく。栗あんが入っているのかと思っていたら予想は外れ、中は漉し餡、生地に豆の代わりにさいの目に切った栗が入っていた。
こちらも美味しい。
本格的に座り込むと歩き出すのが大変そうだったので、5分ほどで腰を上げた。
京都旅行記1日目その2 <- -> 京都旅行記2日目その2
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2016年11月20日(日曜日)
妙心寺退蔵院に17時20分集合し、秋のお食事付き特別拝観に参加する。
道に迷ったら困るし、暗くなってから退蔵院を探すのは大変かも知れないと、早めに仁和寺を出て妙心寺に向かったら、退蔵院はもの凄く判りやすいところにあって、17時過ぎには場所を確認できた。
集合時刻までヒマだ。もう辺りは暗いし、妙心寺の拝観も終了している。何となくうろうろしていると、恐らく同じプランの参加者だろうみなさんが同じように手持ちぶさたにしていて、ほっとした。
待ち人が多かったためか、17時15分には開門された。
入口で名前を言って受付してもらい、同時にご朱印帳をお願いする。そのまま上がると、PCとプロジェクタがセットされて椅子が並んだお部屋に案内された。
ご夫婦らしい方々が多い感じがする一方で、お一人の方もちらほらいて、ここでもまた少しほっとした。
時間になると副住職の方がいらして、スライドを使って「退蔵院」について説明してくださった。
退蔵院は妙心寺にある46の塔頭の中で最古の塔頭で、創建は600年以上前だ。
退蔵院の「退」は陰徳を表し、その「徳」を「蔵」のようにたくさん積むという意味になる。
1597年に再建された本堂では、後の宮本武蔵が修行をしたとも伝わる。
退蔵院で一番有名なのは「瓢鮎図」という日本最古の水墨画だ。残念ながら、このときは上野の東京国立博物館で開催されていた臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱記念 特別展「禅―心をかたちに―」 に出張中だった。
「瓢鮎図」は国宝で、禅の公案が描かれている。
下の方に、「小さな瓢箪で大きななまずをどうやって捉えるか」という問題が絵で描かれ、上半分に京都五山の高僧31人の回答が文字で書かれているという。
この回答は、適当というか、本気で考えていないよねー、という内容のものが多かったように記憶している。
この「瓢鮎図」は足利四代将軍が描かせたものである。
副住職の方曰く、禅問答というのは、太陽を指差している姿によく例えられるそうで、お日様が「悟り」を表し、そのお日様を指差すその「指」が禅問答に当たるという。
判らない・・・。
禅問答は、解くことが目的ではないということだけ辛うじて理解した、ような気がする。
「瓢鮎図」というタイトルについて、「鮎」と書いてあってどうして「鯰」ではないのかと言われるそうだ。
しかし、中国では「鯰」という字はなく、なまずのことを「鮎」と書くき、このタイトルで間違いないという。なるほど、公案のお題も元々は中国から入って来たのね、と納得した。
方丈からは、元信の庭と呼ばれるお庭を見ることができる。
絵師として有名な狩野元信が作庭したお庭である。
狩野元信は絵師なので、まず襖絵にお庭を描いてから、本物のお庭を作ったという。いかにも絵師っぽいエピソードだ。
今は、京都のお庭は桜や紅葉の美しさで人を呼んでいるけれど、京都の伝統の哲学においては「季節によって変わらない」「普遍」がテーマで、この元信の庭のように常緑樹で構成することが普通だったという。
10分ほどの説明の後、元信のお庭が見渡せる場所に案内され、床の間に飾られた「瓢鮎図」のレプリカも含め写真撮影はご自由にどうぞ、10分ほど自由時間にしますと案内があった。
その後、方丈から出て、普段はお茶を供しているという大休庵という建物に移動し、お夕食になる。
方丈から大休庵に向かう途中に通る余香苑というお庭は、足立美術館のお庭を造った中根金作氏が作庭したそうで、真ん中にひょうたん池が配されている。なかなか洒落た構成だ。
「食後に時間はたっぷりとあるし、みなさんだけの貸切なので、お食事前に写真撮影に夢中になってはぐれないでください。」と注意があって、移動となった。
お夕食は、精進料理として京都で唯一ミシェランの星を獲得したという阿じろのお料理だ。
お膳が二列、1mくらい離れて向かい合わせに並べられている。横は5人分くらいずつに分かれている。
スタッフの方に「あなたはそちら。」「こちらから詰めてください。」と指示され、言われた場所に座る。お膳は用意されていて、ごはんやお味噌汁は後から運ばれてきた。
お品書きは、こんな感じである。
木皿 人参紅葉 南瓜羹いちょう型 義省豆腐 小巻湯葉 長芋昆布巻 菊かぶら
木皿 白和合(林檎・蒟蒻・菊菜)
煮物 達磨うどん(葱・うす葛餡)
焼物 湯葉しんじょう パプリカ しめじ
練物 胡麻豆腐(三葉・山葵添え)
酢物 柚和合(菠薐草・菊・しめじ)
汁 国清汁(大根・人参・椎茸・揚豆腐・小芋)
御飯 白的(ひじきしぐれ添え)
香物 茎大根 塩昆布 柴漬
退蔵院謹製 紅葉のお干菓子
この他に、水菓子として梨が付いていた。
また別料金でお酒を注文することもできる。
パッと見たところでは「少ないな」と思ったけれど、これがどうして、お腹がいっぱいになった。
何というか、気取ったところのない、素朴な感じのお料理という印象だ。噛みしめて味わえ、という感じがする。
最後の方で出て来たおうどんは、おうどんというよりはお蕎麦といった見た目だ。きな粉を練り込んだうどんを丸めて揚げてあり、ほぐして食べてくださいという案内があった。
お食事の最後に、焼きおにぎり(本当に真っ黒に焦がしてある)とお塩にお湯を注いだ飲み物が「お茶代わり」として供された。本来はお焦げのごはんで作っていたもので、今はおこげもできないので焼きおにぎりで作るという。
18時半くらいまで45分くらかけてお食事を堪能した。
食後はお庭の自由散策である。
お食事がメインの目的の方が多いのか、食べ終わるとすぐお庭のお散歩もそこそこにお帰りになる方が多かった。
大休庵からは、余香苑のひょうたん池を望むことができる。
また、こちらのお庭に水琴窟があって、手水を使わせていただき音を楽しむ。地中に素焼きの壺が埋められており、そこに水が当たることで澄んだ音を響かせてくれる。耳を澄まさないと聞こえないくらいの音であるところがまたいいと思う。
一度、陰陽の庭まで戻る。
こちらは、白砂が敷き詰められた「陽の庭」と、黒砂が敷き詰められた、「陰の庭」が左右に配されている。
陽の庭には八つ、陰の庭には七つ、合計15の岩が置かれている。やっぱり偶数は陽って感じがするよね、と何となくその数を決めた誰かに親近感を持つ。恐らくは、仏教的なというのか、禅的な根拠があると思うけれど、「感じ」は重要だ。
この余香苑には大きなシダレザクラの木があって、春には見事な花を咲かせるそうだ。
せっかくの「独占」である。
そう思って、もう一度ひょうたん池まで戻ってお庭のライトアップをしっかり目に焼き付け、19時頃、妙心寺退蔵院を後にした。
妙心寺からJR花園駅まで歩き、19時16分発の京都行きに乗る。駅のホームで時間があったので母に電話すると、東京も相当に暖かい1日だったと言っていた。
京都駅の伊勢丹で本日のおやつ兼自分のバースデーケーキとしてジュヴァンセルのケーキを購入してから、宿に行き、チェックインした。
お昼に預けておいた荷物とお部屋の鍵はお部屋に入れておいてくださっていた。
簡単にお部屋の説明を受け、チェックアウトの予定時間を聞かれる。もし会えなかったら鍵はフロントのボックスに入れておいてくださいねと言われ、門限はありませんのでご自由にという説明があって終了である。
気軽で良い。
お部屋には既にお布団が敷かれている。
廊下にウォータサーバがあり、コーヒーや紅茶も用意されている。
お部屋には、加湿器や無料のwifi、ミニキッチンにはマグカップやスプーンなども用意され、滞在型の宿で「あったらいいな」と思うものがほぼ取り揃えられている感じである。
ケーキを冷蔵庫に入れ、荷物を整理して少し減らし、20時ころ、東寺のライトアップに出かけた。
東寺まで宿から歩いて行ったら、30分くらいかかってへとへとになってしまった。
帰りは電車に乗ろうと決心する。
ライトアップと金堂と立体曼荼羅の特別拝観で800円だ。広い駐車場があって、交通整理のおじさんがいて、何というか「大々的」という感じがする。
東寺は京都駅からも近いし、新幹線で来ると東寺の五重塔はかなり目立って「京都のシンボル」という感じがする。
入口を入ってすぐの水路越しに見える五重塔はやっぱり端正な姿だ。
お庭に入ると池があり、その池越しに五重塔を望むことができる。
入口でいただいたパンフレットを見ると、こちらのお庭の池も「瓢箪池」というらしい。
この東寺のお庭で見た紅葉(こちらとこちらとこちら)が、この1泊2日の京都旅行で見た中で一番綺麗だったと思う。
うっかり忘れるところだったけれど、東寺の夜間拝観では、ライトアップだけでなく、金堂と講堂の立体曼荼羅を特別拝観することができる。
まずは、金堂に向かう。
五重塔も金堂も、まず建物が国宝である。
そして、金堂にお祀りされているご本尊の、薬師如来座像、日光菩薩と月光菩薩はいずれも重要文化財である。薬師如来の台座には十二神将も配置されている。
薬師如来は何故か半眼になっていて、パッと見のお顔が怖い。
怖いと思うのに、不遜ながら「この薬師如来は私と顔が似てる」と思った。我ながら図々しいにも程がある。
お隣の講堂は重要文化財で、その中に配されている立体曼荼羅の仏像はほぼ国宝である。
立体曼荼羅って何? と私などは思ってしまう。要するに、絵ではなく仏像で「曼荼羅」を描いたということらしい。
よく判らない。
真ん中に大日如来を始めとする五智如来、向かって左に五大明王、向かって右に五大菩薩が配されている。
それらを囲むように帝釈天や多聞天らがいる。
中心にいる大日如来の目がパッチリというかぎょろりというか、大きく眼が開かれている。お顔も薬師如来と比べるとふくよかだ。
そして、この立体曼荼羅が立体だからなのか、やけに陰影が濃い。昼間に拝観してもこの影の濃さを感じるのだろうか。
金堂も講堂も、端っこのベンチ状になっているところに座ってじっくりご覧になっている方が多かった。
残念ながらそこまで向き合う素養も教養も落ち着きもない私は、それぞれ5分ずつくらいの滞在時間だった。勿体ないことである。
出口に向かう途中の売店で御朱印(紙に書いたもの)をいただけるようだったのでお願いした。また、ここに来て龍安寺で手ぬぐいを買い忘れていたことを思い出し、明日の汗拭きタオル代わりに般若心経が一面に書かれた手ぬぐいを購入する。
帰りは東寺駅から一駅近鉄に乗って京都駅まで戻った。やはり全部歩くより楽である。
近鉄もSUICAが使えるのねと思う。もしかして、京都市バスもSUICAで乗れたんだろうか。
今日は青空を見ることはできなかったけれど、夕食後にポツッと来たかなというくらいの雨があっただけで降られずに済んだ。ラッキーである。
そして、ライトアップは雨さえ降らなければ空模様が関係ないところが素晴らしいと思う。
宿のお部屋に戻って、お風呂にお湯を溜めつつ、ミニキッチンでお湯を沸かしてコーヒーを入れ、夕方に買ってきたケーキをいただいた。
美味しい。
数えるほどしか京都に旅行していないけれど、でも、その数少ない京都に来る度に食べている気がする。
23時過ぎにお風呂に入り、iPadの目覚ましをセットする。
歩きすぎて疲れてしまい、荷物の整理や買って来た絵はがきを書くなどやりたいことが色々とありつつ、日付が変わる前に就寝した。
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2016年11月20日(日曜日)
6時過ぎに起床した。
グラノーラとミルクティ、果物で朝食にする。お湯を沸かしたついでに、携帯マグに焙じ茶を入れて持って行こうと急須にお湯を入れたら「ピシっ」という音がしてお湯がぽたぽたと漏れ始めた。
うわ! と慌てて急須の中味を流しにあけ、ひっくり返してみたら底にヒビが入っていた。
「この旅行と、私の**歳1年分の厄落としが済んだ」と思うことにする。
ミラコロを転がして家を出る。いいお天気だ。
昨日だったら大雨の中を出発する羽目になっていた。我ながら悪運が強い。京都に着いてからも青空が拝めれば嬉しいけれど、それは天気予報を見る限りは難しい。夕方から雨の予報である。
8時15分過ぎくらいに東京駅に到着した。
そのまま地下に降り、グランスタで、eashionのスペイン産ベジョータイベリコ豚重弁当を購入した。
行きの新幹線は、JR東海ツアーズの「ぷらっとこだま」を利用した。
ぷらっとこだまにはワンドリンク券が付いている。こだまに車内販売はないので乗車前にJR東海系の売店で飲み物を買う。お弁当を購入した後はさっさと新幹線の改札を通った。
切符ではなく「ツアーチケット」なので、有人改札を通る必要がある。
新幹線ホームにある売店にワンドリンク券が使える旨の掲示があった。イベリコ豚には赤ワインだろうと、ワンドリンク券に170円を足して購入する
こだまは出発の15分前くらいに入線した。
待合室から見ると乗車口がひどく混雑していたので空いてから行こうとのんびりメモなど付けているうちに、出発時間ギリギリになってしまった。どうやら乗車口が混雑していたのはツアーのお客さんが集中していたためらしい。
ここで乗り遅れたらシャレにならない。
8時56分の定刻に発車したこだま641号は、あちこちの駅でひかりやのぞみの通過待ちをしつつ、気分的にはのんびりと進む。
二人並び席の通路側だし、久々に新幹線に乗ると前後の座席間隔が広く、リクライニングもためらわずにできるし、ゆったりできる。
三島ー新富士間で大きく迫って来た富士山を堪能する。
新富士駅と岐阜羽島駅で通過待ちの際ホームに出てみたら、コートがいらないくらい暖かかった。
今日は夕食も早めだし、12時44分に京都に到着するので、11時半前にお弁当を広げ、赤ワインを開けた。
醤油で甘辛く味付けされたイベリコ豚が美味しい。味が濃く、赤ワインとよく合う。
明るいうちからお酒をのんびりちびちび飲むっていいなぁと思いつつ、お弁当も完食、赤ワインのボトルも空けた。
満足である。ちょっと酔っ払ったかも知れない。
名古屋辺りから曇りつつあったお天気が何とか保ったまま、京都に到着した。
烏丸口に向かって歩いている途中、京なびの看板を見つけて立ち寄った。結構な混雑ぶりである。
京都一周トレイルの公式ガイドマップのうち、東山コースを購入する。
「今日、これから龍安寺に行きたいのですが。」と相談したところ、50番の立命館行きのバスで終点まで行き、そこから歩くよう教えてくれた。
本日の宿は京都駅近くだ。できればチェックインをして、ミラコロも預けてしまいたい。
何度か宿に電話したけれど誰も出なかったので、「この際行ってみよう。」と宿に向かった。
本日の宿は、京都駅前 お宿 みつばで、本当に駅から徒歩数分である。近い。
何とか宿の方とお話しすることができた。荷物を預かっていただき、22時前にはチェックインしてくださいというお話があって、観光に出発した。
コートを着ていると暑いくらいの気温だ。
バス乗り場に行くと「龍安寺に行くなら59番のバス!」と案内のおじさんに言われた。よく聞くと立命館から龍安寺までバス停一つ分だと言うし、ちょうど立命館行きのバスも来たし、おじさんが指差したバス停は結構な行列が出来ていたので、そのまま50番の立命館行きのバスに乗る。
日曜の13時過ぎだったこともあり、ほとんど渋滞に巻き込まれずに済んだ。二条城の辺りで多少混雑したくらいで、30分の予定のところ、10分遅れで立命館に到着した。
バスが来た道をそのまま10分ほど下れば龍安寺である。
龍安寺に入ってすぐ、紅葉の木々が迎えてくれた。
もう、いきなり満足である。
参道は鏡容池に沿って設けられており、池の端にある木々が紅葉し、水面に映っている姿も綺麗だ。
横を歩いていた若い男の子たちが「嵐山よりこっちの方が全然綺麗だ。」と言っているのが聞こえてきて、こちらにきて正解だったとちょっと得意な気持ちになる。
確かにトンネルのようになったもみじが赤く染まって綺麗である。見頃だ。
龍安寺と言えば石庭、以上、という印象しか持っていなかったので、方丈に至る参道が意外と長く続いて驚く。
境内はかなり広い。
そもそも鏡容池を境内に抱え込んでいるのだから狭いはずがない。
紅葉も一斉にとは行かず、庫裏に上がる階段、両脇に組まれた龍安寺垣でも有名(らしい)この場所では、まだ緑色の葉がほとんどで、僅かに黄色く色づいた葉が覗いているという感じだった。
方丈にあがると、入ってすぐ左手に石庭の模型があった。
その模型の向こうに紅葉が見えている。実物の「石の配置」全てを見ることができないので、ここで俯瞰して見せてくれているということだろう。
その反対側に売店があり、御朱印をお願いしたところ「15分くらいかかります。」と案内があった。入ったときにお願いして帰り際にいただくのがちょうど良さそうである。
石庭である。
初めて見る。思ったよりも狭い。こちらは「虎の子渡し」だし、正伝寺の「獅子の子渡し」のお庭と同じくらいかと思っていた。
もしかしたら広さは同じくらいかも知れないけれど、比叡のお山という借景がない分、こちらの方が「広くない」ような気がした。
閉じられた、完結した場所という感じである。
広縁というのか、石庭に向かって開かれた場所は、人だかりがしている。ずらっと並んで座ったり立ったりお庭を眺めている人は、多分半分くらいが日本人、4割くらいがアジアからの観光客、残り1割が欧米からの観光客、といったイメージだ。
「15個の石を一度に見ることはできないんだよ。」という声も聞こえてくる。
全ての石を見ることができるポイントもあるという話をぼんやり覚えていてあちこちから見てみる。私にはその「ポイント」を発見することはできなかった。
一番前に座って、自分の位置を低くしてお庭を眺めたり、柱の陰に立ってお庭を眺めたり、左から右から、色々な角度から眺めた。
石と砂だけのお庭で、土塀の屋根(でいいんだろうか)に散ったもみじが鮮やかだ。
このお庭を作った人は判っていないそうで、作った本人も何百年も後にこんなに観光客が集まり、「石が全て見えない」ことがこんなに人の口の端に上るとは思っていなかっただろうと思うとちょっと楽しい。
もしかすると、自分はそんなことは意図していないと怒っていたりするかもと思えば、なお可笑しい。
あまり見ている人はいないものの、石庭の背後にある方丈の襖絵も見事である。中に入って鑑賞することができないのがちょっと残念だ。
そして、広縁からではなく、このお部屋の中からは石庭がどういう風に見えるのか、ぜひ見てみたいと思う。
実は、龍安寺は公開されているところが非常に少ない。建物の内部、お部屋の中を拝見することができるのは、方丈のこのお部屋だけだったと思う。
石庭の向かって右側、その奥にもお庭が続いていた。
苔が一面に生え、そこに赤から黄色へのグラデーションになって葉が散っている。
ここまで計算して植えてあるとしたら何て凄い計算なんだろうと思う。
広縁から降りて地面と同じ高さから見ることもできる。そうすると、余計に、苔の上に散ったもみじの葉が印象的だ。
石灯籠に三日月のようにも見える型が抜かれているのも、何だか不思議な感じである。
そのまま方丈を回り込むと、石庭とちょうど反対側につくばいがある。
真ん中の水が溜まっている四角い部分を「口(くち)」に見立て、それぞれ「吾」「唯」「足」「知」という四文字の旁や冠が彫られている。凝った造りである。
「足るを知る」というのは、お寺っぽいし、茶道っぽい言葉だなぁと思う。
このつくばいは、水戸黄門が寄進したと伝えられているそうだ。諸国漫遊の最中に・・・、という訳ではないだろう。実際に龍安寺に来たことがあったのだろうか。
このつくばいの水で身を清め、紅葉した木々の奥にある茶室に進んだと思われる。
方丈を一周し、お願いしておいた御朱印帳を受け取り、龍安寺限定のお線香と、紅葉の龍安寺の絵はがき(写真ではなく絵が描かれている)を買い求めた。
石庭の手ぬぐいがあると聞いていて、そちらも欲しいと思っていたのにすっかり忘れていたのが今でも心残りだ。
そういえば、「御朱印をいただく前にお参りするのがマナー」だけれど、龍安寺でお参りをしたという記憶がない。全く以てお恥ずかしい限りだ。しかし、そもそも一体どこでお参りするべきだったんだろう???
我ながら、とんでもない拝観者もいたものである。
龍安寺境内にある西源院という湯どうふのお店の横を通り、まだ15時前なのにかなり暗くなったように見える鏡容池の紅葉を眺め、1時間ほどで龍安寺を後にした。
そのまま、きぬかけの路を下って行く。仁和寺まで15分以上も歩いたと思う。どちらも大きなお寺だし、たとえ隣り合っていたとしても入口と入口の間は距離があって当然である。
仁和寺というと、「仁和寺の翁」という言葉が頭に浮かぶ。浮かぶだけで、それが何だったのか全く思い出せない。ネットで調べてみたところ、どうやら徒然草に出てくる「仁和寺の法師」が私の中で勝手に変換されてしまっていたらしい。
仁和寺の二王門は、車道に面して建っている。京都ではこれはかなり珍しいらしい。境内の敷地が足りない訳でもないのに、どうしてこういう配置にしたのだろう。不思議だ。
門を入ってすぐの左手に拝観受付がある。もう15時半を回っていたので、期間限定で公開されるという霊宝館は諦め、御殿の分だけ拝観料をお支払いした。
未だにこの「御殿」が何を指している言葉なのか、よく判らない。「宸殿」がその一部であることは判る。どういう場所のことを「御殿」と言っているのだろう。
受付横すぐのところにある入口から御殿に入る。
建物に至る道沿いに、砂が敷かれ、箒目がついて掃き清められている。
中に入る前、御殿の入口の横で御朱印をいただいた。またしてもお参り前に御朱印をいただくということになってしまった。しかし、仁和寺は本当に広くて、金堂は二王門から真っ直ぐ奥に進んだその一番先だ。お目こぼしいただきたい。
靴を脱いで入り、白書院まで歩く。
今回、京都トレイルを歩こうとトレッキングシューズで来ているので、建物にあがるというのが意外と面倒である。京都観光で脱ぎ履きに時間のかかる靴は避けた方が良いと思いつつ、荷物の軽さを優先して履き物はトレッキングシューズのみだから仕方がない。
混んでいるときには、本当に周りの方に申し訳ないけれど、こちらもご容赦いただきたい。
白書院まで行くと、南庭が広がっていた。
何というか、周りにもみじなども植えられつつも、ひたすら箒目の鮮やかなお庭である。これだけくっきりと縞が浮かび上がっているお庭はあまり見ないような気がする。それくらい、深く鮮やかな箒目だ。
勅使門が一際目立って見えていて、もちろんその勅使門の前の箒目も鮮やかな白砂である。
実際にこの門が開かれて使われるとき、門をくぐった方はどこをどう通ってどこに至るのだろう。門を開くときには、この箒目も模様を変えて誘導するように道を作るんだろうか。
そして、このお庭からは、仁和寺の五重塔をもみじ越しに望むことができる。
白書院から宸殿に向かう途中、紅葉と五重塔と板塀と白砂の箒目という「四者揃い踏み」のような景色が見られた。
恐らくこの板塀で南庭と北庭が区切られていて、右側が南庭で、左側が北庭だ。
宸殿から見た北庭もなかなか趣があった。
いただいたパンフレットには「池を配した晴れやかな北庭」と説明されている。
どちらかというと、白砂を敷き詰めた南庭の方が「晴れやか」で、植栽と緑色の池、奥に五重塔を覗かせたこの北庭は晴れやかというよりは重厚という印象だと思う。
あるいは、青空が背景にあったらまた異なって見えるのかも知れない。
御殿は、白書院、宸殿、黒書院が渡り廊下で繋がれた、方向音痴の私にとってはかなり複雑な造りの建物で、どの襖絵をどの建物で見たのかすら判らない。
その上、絵心もないので、描かれている樹木が桜か梅かも判らない。
ただ、この襖絵を見たときに、お花が白く浮き上がって見えているような気がした。もしかすると、胡粉の蓄光の効果なのかしらと思ったことは覚えている。
他の建物よりも一段高いところに霊明殿がある。
屋根の上に見事な宝珠が飾られているというけれど、残念ながら見た記憶がない。
そもそも、霊明伝の外観を見た記憶がないのだから当然だ。
ご本尊は薬師如来で、秘仏だという。
ここから見た北庭がなかなかの絶景だ。
霊明殿には歴代の仁和寺門跡の位牌がお祀りされているというから、みなさんに見守ってもらっているという意味もあるのかしらと思う。
御殿を巡った後、金堂に向かった。
紅葉で真っ赤に染まった金堂に至る道筋を通り、お参りする。
こう言っては何だけれども、金堂は地味な建物である。御所内裏紫宸殿を移築した建物で、宮殿建築を伝える貴重なものだという。よく言えば大陸的というのか、何だか横に長すぎる気がして落ち着かない。
ご本尊である阿弥陀如来が安置されている御堂に対して不謹慎だけれど、それが正直な感想だった。
この金堂の横にあったもみじが、いっそ毒々しいほどの赤い色をしていた。
ちょっと怖いくらいの赤だと思う。赤というより、真紅だ。
この木の前で記念写真を撮っている人がたくさんいた。私はどちらかというと、この奥にあったグラデーションになった紅葉の方が好みだ。
そうして紅葉の写真を撮っていたら、16時過ぎ、読経の声が聞こえてきた。
曇っていることもあって、ちょっと暗くなりかけたお寺の境内で聞く読経の声はなかなかの迫力である。これで周りに人がいなかったら、ちょっと怖いくらいだと思う。
声のする方に行ってみると、若いお坊さんたちが数人、般若心経を唱えていた。
その様子を見守る年配の僧侶が二人いらして、修行の様子を見守っている。
じっと見ていると、交替で主導権を担うようで、一人一人に注意していると声が大きく通るようになったり、小さくウィスパーに近くなったりしている。そして、全体としては同じ声量を保っているように聞こえる。
修行中の彼らの中には外国人の方もいて、国際的なのだなと思う。
16時半過ぎに、日本語と中国語と韓国語で「間もなく閉門」というアナウンスが入った。
参拝客向けの放送で、こちらもやはり国際的である。
般若心経をもう1ヶ所分聞き、五重塔経由でゆっくり二王門に戻る。
17時前に仁和寺を後にして、妙心寺に向かった。
-> 京都旅行記1日目その2
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PHOTO ALBUMに2016年11月20日から1泊2日で京都に行ったときの写真をアップした。
1日目はお昼過ぎに到着して、龍安寺、仁和寺と歩いて、妙心寺退蔵院で夕食をいただき、宿に一旦チェックインした後、東寺のライトアップを見に行った。
2日目は、伏見稲荷大社にお参りし、そのまま途中まで京都トレイルを歩き、東福寺に寄り道した。
流石に2日間とも2万歩を超えて歩くとヘトヘトで、2日目は京都駅で遅いお昼を食べた後、早めに帰宅した。
紅葉の写真を選び、こちらにアップした。
実際に見た紅葉はもっとずっとずっと綺麗だった!
どうぞ、見てやってください。
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昨日(2016年11月20日)から、1泊2日で京都に行って来た。
明日のことも考えて、自宅に19時半前に到着できるように帰って来た。
その分、京都で張り切って両日とも20000歩を超えて歩きまくってしまい、全身が筋肉痛である。
しかし、充実した旅行になった。満足だ。
概算で今回の旅行にかかった費用は一人分約46000円だった。
ここには交通費、宿代、食事代、拝観料、おやつ代等が含まれているが、お土産代(御朱印を含む)は含まれていない。
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