京都旅行記(2017)1日目
2017年4月8日(土曜日)
思えば、職場が変わると判っていた4月の第2週の週末に旅行計画を立てるのは無謀だった。
しかし、母に「京都で桜を見たことがない」と言われ、たまたま4月の週末に何の予定もなかったら、これは計画を立てるしかない。
ぷらっとこだまのグリーン車がえらくお得だという昨年秋の経験を踏まえ、今回は早めに手配した。
ぷらっとこだまで利用できる新幹線は限られている。
京都に一番早く到着できる新幹線は、東京発7時56分である。東京駅で駅弁を買って車内で早めのお昼を食べる計画だから、駅弁を選ぶ時間も考えなくてはならない。
5時に起床して荷造りし、小雨が降る中、ミラコロを転がしてバスで駅に向かった。
7時過ぎに東京駅に到着する。寒い。時間もあるし、ユニクロでフリースでも買おうかと思ったら、ユニクロのオープンは8時だった。間に合わない。
駅弁屋 祭でお弁当を購入し、ぷらっとこだまに付いてくるチケットでペットボトルのお茶を購入し、新幹線に乗り込んだ。
グリーン車の車内はもの凄く豪華だった。びっくりである。
床は絨毯敷きだし、広々としている。感動してパシャパシャと写真を撮った。
外は雨模様だ。
「晴れ間が見えた!」「道が濡れている!」「傘を差している人がいる!」等々、道中の天候の変化に二人で一喜一憂する。多分、名古屋辺りの天気が一番良かったと思う。
朝が早かったし、9時半くらいからお腹がぺこぺこになっていた。
しかし、いくら何でも9時半にお昼ごはんでは早すぎる。そう思ってガマンしていたけれど、通路を挟んだお隣の席の方が駅弁を開いたのを見て、我々も早々に駅弁を食べることにした。
仙台牛 炭火焼肉弁当である。
味付けがちょっとしょっぱいかしらと思いつつ、美味しくいただいて、ごはんまですべて完食した。
新幹線は11時34分に京都駅に到着した。
まずは「寒い!」を連発して、伊勢丹に何か羽織るものを探しに行く。しかし、これが意外とない。フォーマルな感じの服はたくさんあるけれど、もっとてきとーな感じ(かつ値段もお安い感じ)の服でいい。
あちこち探し回った末、水を弾くというコットンのパーカを購入した。
これから保津川下りをするし、雨も降りそうだし、ちょうど良いだろう。
その後、JR京都駅キャリーサービスで、本日の宿である花園会館にミラコロを運んでもらえるようお願いした。確か、1個750円だったと思う。
12時27分発のJR嵯峨野線に乗り込み、亀岡駅に向かった。本日最初の予定は、保津川下りである。
嵯峨野線の車両はみるみるうちに一杯になり、嵯峨嵐山駅でたくさん降りて行った。
トロッコ列車でトロッコ亀岡駅まで行き、帰りに川下りをしようと当初は計画したものの、トロッコ列車の切符はあっという間に売り切れたらしく取れなかったのだ。
13時少し過ぎに保津川下りの乗船場に到着した。随分と閑散としている。
チケット売場の人に聞くと、谷(川沿い)は寒いので、桜にはちょっと早いらしい。
そして、川下りをした後でよーく判ったけれど、川下りのメインは「新緑と紅葉」であって、桜は船頭さんたちが少しずつ川岸に植えつつあるという段階だった。
しかも、増水すると土が削られて持って行かれてしまうので、川岸に植えた桜はなかなか根付かないらしい。
船頭さんが3人乗り込み、救命胴衣を着けて一番前の席に陣どった。眺めが良くて嬉しい。
13時半出港である。
後ろにいる船頭さんが舵を取り、目の前に座っている船頭さんが櫓を漕ぎ、前に陣どって棹さす船頭さんがいる。「棹さす」のが一番最初に覚えるお仕事だそうだ。今回の3人の船頭さんは交替でそれぞれのお仕事を担っていた。
説明をしてくれたのは、櫓を漕いでいる船頭さんである。
保津川とは、川の名前というよりは、「川下りをする区間」の名前らしい。
何のこっちゃである。
この川の名前は「桂川」で、さらに下流に行くと淀川に合流する。
元々、桂川は上流から京都大阪の街に材木等を運ぶ水運の川だったそうだ。この川下りも、その流れを汲むものだという。
川下りの区間は16kmで、水量があるときは50分くらいで嵐山に行ける。水量が少ないと、途中で船頭さんが舟を引っ張ったりする場所も出てくるので2時間以上かかる。
今日は、昨日の雨で水量が増しているので、1時間半ちょっとで行けると言う。一番前に陣どった我々は、足もとでビニルを踏み、それを膝掛けのように前に掛けておくように指示された。途中、水しぶきが上がるところが結構あるらしい。
川霧が立ちこめて幻想的な風景になる。
水深が浅く、岩の間を舟が滑り落ちるように行くところもあり、そんなところでは水しぶきが上がる。
ある程度深いところで、船頭さんが思いっきり竿を川底に向かって投げ入れると、何故か竿が途中でぽーんと反発するように戻って来た。不思議だ。一体どういう仕組みになっているのだろう。
水深は、覗き込めば川底が見えるくらいの50cmあるかないかというところもあれば、10m以上というところもあるらしい。
基本的な舵取りは後ろで行っているとはいえ、本当に舟の幅ギリギリのところを通るときには、前に乗っている船頭さんが棹で岩を突いて方向転換の手助けをする。
その「棹で突く場所」が決まっており、毎日毎日突かれた岩のその部分は随分とへっこみが出来てしまっている。
川岸に咲いている花や、飛んでいる鳥などなど、たくさん説明してもらったのにすっかり忘れてしまっているところが我ながら情けない。
途中、トロッコ電車と併走したのはちょっと楽しかった。
本当に川岸ぎりぎりを走るらしい。
トロッコは舟のことなどあっという間に抜いて走り去って行った。
いつか、トロッコ電車にも乗ってみたい。紅葉の時期がもちろん綺麗だろうけれど、果たして切符を取れるかどうか、かなり難しそうだ。
川岸に山桜が見えるようになると、そろそろ終点の嵐山である。
もはや漕ぐ必要はなくなったのか、船頭さんが櫓を漕がしてくれた。
プロは簡単そうに難なくやっていたのに、自分でやろうとするともの凄く難しい。そもそも、櫓が水を捉えていない。漕いでいる手に手応えがない。
何だか漕いでいる気がしないなぁと思っているうちに終点が近づいた。
1時間半強の船旅だった。
川下り乗船場のおじさんに教わったとおり、渡月橋を渡って公園のようなところに向かった。
ソメイヨシノが満開である。
それにしても、もの凄い人だ。流石に渡月橋が落ちちゃうかもとは思わないけれど、それにしても歩道はぎゅうぎゅう詰めである。
あまりの人の多さにびっくりして、夕食を食べようと思っていたお豆腐のお店に予約の電話を入れた。
天龍寺に向かって歩き始める頃、本格的に雨が降り出した。舟に乗っているときからポツポツ来ていた。舟を下りてからで良かったと思う。
もう1回、渡月橋を渡っているときに、船頭さんたちが歩いているところを見かけた。舟はトラックに積んで乗船場に戻る。どうやっても舟の長さはトラックの荷台からはみ出してしまうので、特別の許可を取っているそうだ。
船頭さんたちはそのトラックに便乗するのではなく、電車で戻ると言っていた。その方が早いそうだ。総勢130人の船頭さんがいてもピークシーズンにはそれでも船頭さんが足りないくらいなので、できるだけ早く戻る必要があるという。
船頭さんたちを見送り、天龍寺に向かった。
どこからが天龍寺かよく判らないまま「多分、この辺から」というところに雲龍図を特別公開しているという看板が立っていた。母も私もこういう「特別」の文字に弱い。早速、法堂に向かう。
法堂に入ると、和尚さんが雲龍図の説明を始めていた。
面白い和尚さんである。
木造建築であるお寺で一番恐ろしいのは火事であり、だから水の神様である龍の絵が描かれていることが多いこと、昔はお寺は戦陣を張るところでもあったため敷地が広いこと、臨済宗の「本山」と呼ばれるお寺のうち七つが京都に集まっていること、他の六つの本山のお寺にも五本爪の龍は描かれていないこと、この龍の絵は板を貼り合わせて漆と白土を重ねた上に描かれていること、描いたのは日本画家加山又造画伯であることなどなどが名調子で語られる。
そして、和尚さんに「全員こっちに来て。」と言われて1ヶ所に集まり、そこからぐるっと円を描いて回ってみると、この雲龍図がいわゆる「八方睨みの龍」であることが判る。
ぐるっと回っている間、常に龍と目が合ったままである。
さらに、目が合ったままなだけではなく、こちらが歩くにつれて、龍の顔の向き(顎の向き)が変わる。おかしい。何故だ。
秘密は、描かれた目の位置にあるそうだ。そう説明されてもどうしてこんなことになるのかさっぱり判らなかった。
出口で聞いたところでは、和尚さんの案内はいつも行われている訳ではなく、このときは、たまたまガイドさんの団体か何かに頼まれて特別に「お手本」として案内をしてくださっていたらしい。
随分ラッキーなことだった。
天龍寺のお庭も拝観した。大方丈とのセット券が販売されていて迷ったけれど、この時点でもう16時である。両方見ている時間はないだろうと庭園を優先した。
天龍寺と言えば嵐山を借景にした曹源池の景色というイメージだ。
この日は、さらに本格的な雨になって背後の山は雲なのか霧なのか白く煙って隠されてしまっていた。
それもまた風流である。
そして、庭園は、桜や連翹など満開だった。
母は、桜でお腹がいっぱいになったそうだ。
庭園をゆっくり散策してお花を満喫し、もう閉じ始めていた北門から出していただいた。
天龍寺庭園の北門を出れば、すぐそこが竹林である。
中学校の修学旅行で嵯峨野めぐりをした筈だ。その頃に「竹林の道」はもうあっただろうか。
雨だし、だいぶ陽も傾いているので、竹林の道はかなり鬱蒼と暗く見える。一人だったらちょっと怖くて歩けないなという風情だ。
実際には、一人どころか、随分とたくさんの人が歩いているし、人力車もちらほら走っている。
まだまだ観光の時間といった感じだ。
竹林の道を野々宮神社方面に歩いた。
湯どうふ 竹村がすぐ見えてほっとする。17時半とまだ早い時間だし、お客さんはちらほらという感じだ。
やっぱり胡麻どうふが食べたいよねと、母と二人で松コース(湯どうふ・八寸・ひろうす・胡麻どうふ・野菜天ぷら・お吸い物・御飯・漬物)をお願いする。
こちらのお店では、嵯峨豆腐 森嘉のお豆腐をいただくことができる。
和室の卓袱台のようなテーブルに座布団という設えだ。
調理場とちょっと離れているようで、呼んでもお店の人になかなか気がついてもらえないところが惜しい。
八寸は山芋を摺って揚げたもの、菜花のお浸し、生麩の3品だったと思う。
胡麻豆腐も濃い味で美味しい。
ちょっと不思議だったのが湯豆腐で、湯豆腐にするのに、氷水を張った鉢に入れられて供された。
冷や奴として食べても美味しいらしい。
気分は湯豆腐だったので、母も私もぐらぐらと沸いている土鍋にお豆腐を入れ、意外と濃い味だった出汁醤油や薬味色々を載せながらいただいた。
柔らかい味のお豆腐だった、と思う。
美味しかった。
ちょうど良く日も暮れ、この後は嵐電に乗って桜のトンネルのライトアップを楽しもうと思っていた。
ところが、嵐電の嵐山駅に行くと様子がおかしい。ホーム方面にはロープが張られ、ホームは真っ暗、駅員さんたちが何人も立って案内をしている。
聞けば、嵐電は全線が停電で止まっており、復旧の見込みは立っていないという。
これは大人しく宿に行って明日に備えて早寝しなさいというお告げだろうと解釈し、駅員さんに「妙心寺に行きたいんです。」と相談したら、JRで花園駅まで行くよう案内された。
JR嵯峨嵐山駅まで行く途中、宿でおやつにいただこうと、稲でわらび餅ぷりんを購入する。
本日の宿である妙心寺の花園会館にチェックインしたのは19時15分過ぎくらいだった。
明日の朝食を7時でお願いし、大浴場の場所や「お布団は自分で敷いてください」といった案内を受ける。
お部屋に入ってテレビをつけるとブラタモリの「京都・清水寺」の回が放送されていた。
お茶を淹れ、用意されていたお菓子をいただきつつ、清水寺を夢中になって見る。
ブラタモリを見終わってから大浴場に行き、お風呂上がりにわらび餅ぷりんをいただき、22時前に就寝した。
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