京都旅行記(2018)2日目その1
2018年2月12日(月曜日)
暖房を入れ、加湿器も使い、マスクもして寝ていたせいか、2時間ごとに目が覚めた。
でも、その割に疲れた感じは残っていない。
9時に桂離宮の予約を入れてあり、8時過ぎのバスに乗る必要がある。余裕をみて6時に起きた。
朝食は、ル・プチメック 今出川で昨日買ったパン二つと、ドリップパックを持参したコーヒー、近くのコンビニで買ったヨーグルトである。
パンは、クルミパンと、ホワイトチョコと杏のパンだ。お部屋の電子レンジで軽く温めていただいた。シンプルで、ホワイトチョコのパンも甘すぎず美味しい。
朝食をいただいた後、部屋の片付けをし、荷造りをして、7時半にチェックアウトした。チェックインしたときに予告してあったためか、宿の方がすでにフロントにスタンバイしてくださっていた。申し訳ない。
バスの案内所が開いていたので、カウンターで今日の大まかな予定を話し、1日乗車券を買うべきかどうか質問したところ、桂離宮前のバス停は1日乗車券の範囲からわずかに外れていて、追加料金を支払う必要があるという。その後の行程にもよるけれど、その都度支払った方がいいでしょうと教えてもらい、1日乗車券の購入は見送った。
伊勢丹の地下入口に近いコインロッカーにミラコロを預け、8時5分発のバスで桂離宮に向かった。
バスの車内が異様に冷えていて、あまりにも足下が寒かったので、両足に靴下用カイロを貼った。若干みっともないけれど、寒さには代えられない。
バスに乗り合わせた何人かは、やはり、桂離宮に向かっているようだ。
予定通り8時25分に最寄りのバス停に到着し、桂川沿いを入口まで歩く。
8時40分の受付開始を待って、入口の前には何人かの方が日向を選んで佇んでいた。寒い。
木が多いせいか、足下が砂利のせいか、何だか京都駅よりもさらに寒い感じがする。
暖かいところを探してぶらぶらと歩いているうちに門が開いた。門を入る際に受付番号を聞かれる。
少し先に待合所のような建物があり、そこの受付窓口でもう1回、確認が入る。
受付番号と身分証明書を求められ、そんな指示があったことを忘れていたよと慌て、出がけに保険証を財布に入れた自分を心密かに褒めつつ「すみません、写真付きじゃなくて。」と差し出すと、「構いませんよ。」と返された。
パスポートとか運転免許証とか、写真付きの身分証明書を示している人が多かったと思う。
待合所にはお手洗いとコインロッカー、売店があり、桂離宮はほとんど内部の見学はできないためか、ふすまの取っ手などの細工物が展示されていた。
8時50分くらいから桂離宮を紹介するビデオが流された。椅子に座り、予習がてら何となく画面を見る。
とにかく暖かいことが有り難い。
私が桂離宮に行ってみたいと思ったのは、何かでブルーノ・タウトが絶賛したと読んだことと、写真で見た藍色(がかなり色あせた感じの色)と白の大きな市松模様のふすまが何となく格好良かったから、というくらいの理由である。
いただいたパンフレットによると、桂離宮は後陽成天皇の弟の八条宮初代智仁親王が別荘として創建している。17世紀初め、江戸時代初期の頃のことだ。後陽成天皇って誰? と思ったら、徳川秀忠の末娘である和子が嫁いだ後水尾天皇のお父さんだった。
智仁親王という方がかなり趣味の良い方だったらしく、また、その跡を継いだ智忠親王も趣味が良くかつこちらは財力もあったため、この親子二代の間に桂離宮はほぼ現在の姿に近いところまで整えられている。
創建以来、火災などに遭うこともなく、当時の姿をほぼ伝えているという。
1964年には景観保持のために周りの土地も買い上げたというから、かなり大切にされている場所であり、庭園であり、別荘であり、国の財産と言えるだろう。
9時少し前に案内の方(意外なことに若い女性だった)が現れ、「私より前には行かないでください。」といった注意や、「現在、工事中で滝の水が止まっています。」といった断りがあり、一同は出発した。
最後尾を皇宮警察の方が歩くのは、京都御所と同じである。
最初に立ち止まったポイントは、表門だった。手前にある竹の柵より先に行くことはできないし、一番奥に見えている表門は、特別なとき以外は開かれることもない。
正門からまっすぐ砂利道を進んだ先に、御幸門がある。
こちらは我々もくぐらせてもらった。
歩いた順で言うと、内側から来て、御幸門を出て表門を遠目に見た。
正門から入ったとすると、その先にある御幸門を入ったところの道は砂利ではなく、小石が敷き詰められている。小さい石の石畳の道、という感じだ。この道は、水はけを良くするために真ん中を少し高くしてある。
小石を敷き詰めた道から、飛び石の道に入る。
この飛び石から絶対に外れないようにという注意を受けたような気がする。苔や植生を傷つけないためだと思う。
そして、飛び石の奥に見えてくるのが「御腰掛」(パンフレットによっては「外腰掛」とも書いてあった)という建物である。
いわば休憩所だ。
この「腰掛」には座って良いと言われ、もちろん座ってみた。残念ながら特別の感慨はない。
腰掛けに座ると、吹きさらしの東屋が何となく温かく感じられる。
座ったときに見えるのは蘇鉄を植えた山というか築山で、この蘇鉄は薩摩の島津家から献上されたと伝えられている。
南国調が当時の流行りだったというのが何となく可笑しい。
何となくみんなで順番に覗くことになったのが、雪隠である。
建物の向かって左側にある。
ドアを開くことはできず、まさに「覗いた」という感じだ。
それにしてもトイレを覗けるように作っていいんだろうか。桂離宮にトイレを覗くようなお客様は来ないと言われればそれまでとはいえ、ちょっと心配になる。
緑の間の道を歩いて行き、「抜けた」という感じでたどり着いた水辺から「州浜」を見ることができる。
黒っぽい平らな石が敷き詰められ、岬のような感じで池に突き出している。先端に灯台のようなイメージで石灯籠が置かれているのも岬っぽい。
その向こうに見えている橋は、天橋立に見立てたと言われている。
さらに奥に見えているのが「松琴亭」と呼ばれている、桂離宮で一番格式の高い茶室だ。
変な言い方をすると、本当に作ったような景色である。
目の前に見えている池の端をぐるりと回ると、同じ州浜と天橋立を別の角度から見ることができる。
奥に見えていたのは多分、御殿だと思うけれども定かではない。
すっかり遅れてしまった私は、すぐ後ろにいらした皇宮警察の方に「分からないようにしてあるけれども、消防法の関係でここの建物にも全部電気が来ていて、探知機等も整備されているって聞いたのですが本当ですか?」と聞いてみた。
「その通りですよ。」というお返事で、やはり京都御所と同じなんだなと思う。
このお庭に電線があったり、建物に煙探知機が見えたりしたら、それは興ざめだろう。
日が射して随分と暖かそうに見えるけれども、これが寒い。何しろ池には氷が張っている。桂離宮は、きっと夏の離宮だったに違いないと思う。
池の端をぐるりと回り、一本岩の橋を「気をつけて一人ずつ渡ってください。」「危ないですので橋の上で写真を撮らないでください。」という注意を受けて渡ると松琴亭に行くことができる。
橋を渡りきったところに石段が組まれており、池の端に降りられるようになっている。その先に桶や柄杓を置く石が配置されていて、池をそのまま手水場として使えるよう整えられている。
どこまでも細やかな配慮である。
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