京都旅行記(2018)2日目その2
2018年2月12日(月曜日)
桂離宮の松琴亭で、我々は二の間を先に覗かせていただくことになる。
売店で購入したポケットガイドの写真だと、ふすまの青が大分色あせていたり、畳の色が濃くなっていたり、違い棚の奥の壁が青くなっていたりする。
少しずつ修繕したり新しくしたりしているのかも知れないと思いつつ、違う色で修繕するってどうなんだろうとも思う。
違い棚の下の「窓」は意図的な「窓」だ。壁が剥がれて下地が見えてしまっているのかと思わせておいて、そういう訳ではない。
庭先をぐるりと回って、一の間も覗くことができる。
一の間のふすまの市松模様こそ、「ザ・桂離宮」というイメージだ。
これまた、ポケットガイドの写真だと、ふすまの手前右側の床の間の壁が市松模様になっていたり、市松模様の青が色あせていたりする。
右手前の棚の下にあるのは、竈というか暖炉で、寒さを防ぐのと同時にお料理の保温にも使われたのではないかとされている。そうすると、煙はどこに逃げたんだろうと思う。この棚は大分燻されたのではなかろうか。
松琴亭の前の四角く作られた池は舟着き場である。という説明を受けたような気がする。
舟に乗って茶事に向かうというのは究極に風流なことだったのかも知れない。
何しろ「松琴亭」の名前も、斎宮を務めた内親王の「琴の音に峰の松風通ふらし いづれの緒より調べそめけむ」という歌によるという。
どこまでも風流な離宮だけれど、私などからすると、まず「この歌はどういう意味なのだろう」というところから始める必要がある。
風流は解してくれる人がいてこそだ。
松琴亭の一の間の側を、椿の垣根のさらに外から見る。
池越しに見ていたときとはかなり印象が異なる。見る向きによって随分と趣が違うように見える建物だなぁと思う。
垣根があるから庭も見えないし、こちら側は「裏手」ということになるのかも知れない。私など、自分で撮った写真を見て、「これって笑意軒だっけ?」といただいたパンフレットの略図を見ながらしばし考え込んだくらいである。
松琴亭を後にして木と土でできた橋を渡り、高い場所に上って行く。
松琴亭を見下ろせる感じだから、狭いながらも結構な高さの「山」である。
その山を登ったてっぺんにあるのが「賞花亭」という建物である。「賞花亭」は、桂離宮で一番高い場所にある建物だ。
ポケットガイドの写真を見ると暖簾がかかっているけれど、現在はかけられていない。最初に寄った待合所にのれんが展示してあるので帰りにご覧くださいという案内があった。
この賞花亭にかけられていた暖簾は、春は「吉野屋」で、秋は「龍田屋」と染められていたという。桜と紅葉の名所の名前を取ったということは、桜の時期、紅葉の時期のここからの眺めはとても美しいのかも知れない。
高い場所にあるし、これだけ風通しがいい造りだし、北向きに建てられているし、正しく避暑のための建物と言えると思う。
冬の今の時期に訪れると、少しばかり寒々しい。
賞花亭から降りると、園林堂という持仏堂がある。
「園林堂」の扁額は、後水尾天皇の宸筆である。
吉原御免状という小説を読んでから、何となく勝手に後水尾天皇に親しみを感じている。
他はほとんどが茅葺き屋根の建物なのに、園林堂だけ瓦屋根になっている。曲線を描いたちょっと変わった形の屋根だ。何となく宝珠を連想させる。
園林堂の前に立っている灯籠は「再輝」という銘まで持っている。確かに、やけにめだっているし、やけに存在感がある。
この笑意軒も、茶室である。
松琴亭と同じようにその前が舟着き場になっていて、舟着き場と行き来するための石段が二筋も用意されている。
舟着き場の照明用に灯籠まで置かれているから、変な言い方をすると、本気で舟で茶室に行ったりしていたのだと思う。
桂離宮の建物の引き手はかなり凝った意匠のものが多いというお話だったけれど、実際に目にすることができるところは少ない。
笑意軒はその数少ない建物のうちの一つだ。
笑意軒では、「矢」の形をした引き手や、櫂(だったと思う)の形をした引き手などを見ることができる。
茶室と矢という武器とはそぐわないような気もするけれど、きっとそれぞれに由来だったり典拠だったりがあるのだと思う。
笑意軒の中は、一の間、中の間などに分かれている。ふすまで仕切られていても、天井は繋がっている。
ふすまの上を開け、天井を続けて見せることで「広さ」を演出している。
演出しなくても十分に広いよ、部屋を繋げてしまうという発想はやはり夏向きだよねと思う。
左奥に少しだけ見えている障子の下の部分を「腰壁張付け」というらしい。市松模様のビロード(には見えない)を斜めに金箔が切り裂いていて、斬新な意匠で有名らしい。少なくとも、ポケットガイドにはそう書いてあった。
桂離宮の中心は、「御殿」とも「書院」とも呼ばれる建物である。
向かって右の、池に面した建物が古書院、続けて中書院、楽器の間、新御殿と、カギ型に連なっている。
初代の智仁親王の代に古書院が、その皇子の智忠親王の代に中書院と新御殿が完成している。(ポケットガイドには、何故か楽器の間についての記載がない。)
昭和51年から平成3年までをかけて、解体大修理が行われている。
桂離宮で私が知っていたのは「市松模様のふすま」と「月見台」である。
「月見台」は、古書院にある。
しかし、残念なことに、御殿の中を見学することはできないし、他の建物のように外から拝見することもできない。
もちろん、月見台に上がることもできない。
御殿の中の様子はポケットガイドに写真付きで一部紹介されていて、それだけでも購入した甲斐があったなと思う。
「月波楼」も茶室である。一体、いくつ茶室を作れば気が済むんだと思う。
この建物の天井は舟底を模している。
また、飾られているのは絵馬で、もはや目を凝らさないと判別は難しいながら舟の絵が描かれている。
「唐船に和漢乗合之図」などとされている。
月波楼では、やけにふすまの模様が可愛いなぁと思ったことを覚えている。
建物は東向きに建てられていて、名前のとおり、月見のための茶室である。
そして、月波楼からは、お月様だけでなく、松琴亭を望むこともできる。なかなか贅沢な眺めだ。
「歌月」という扁額の文字が可愛らしい感じでこれまたふすまに合っている。もっとも、霊元上皇(霊は本当は旧字の霊である)の宸筆だというから、別にふすまに合わせて丸文字にした訳ではないだろう。霊元上皇って誰? と思ったら、後水尾天皇の皇子らしい。
最後に立ち寄った建物が「御輿寄」である。
書院の玄関に当たる建物だ。
ここでは「六ツの沓脱」を見てきてください、と言われたことしか覚えていない。どうしてこの石がそんなにも有名なのかよく分からない。六人分の沓を並べられると伝えられていると聞いても、「うん。それで?」と言いたくなってしまう。我ながら本当に風流を解さない人間である。
これだけ大きな白川石は珍しいということなんだろうか。
よく分からないまま、ほぼ1時間の見学コースが終了した。
待合所の建物に戻ると、10時予約の方達がすでに集まっていた。紹介ビデオを流されている。
次の案内係は男性のようだ。何人で担当しているのかしらと思う。
待合スペースの壁は展示用のショーケースになっていて、御殿など実際に見ることのできなかったふすまの引き手や、賞花亭にかけられていたという暖簾などを見ることができる。
売店にもう一度寄り、「ここでしか売っていません」という言葉につられ、花生けの形の引き手を描いたストラップを母へのお土産に購入した。
桂駅までの道がよく分からなかったので、守衛さんに「こっちですよね?」と尋ねると、「地図は持っていないんですか?」と反対に質問された。
地図というか、iPadは持っている。それでも道に迷うのが方向音痴というものだ。特に歩き始めが「道」ではないというのは危険である。
さて何と答えようかと考えていたら、実際のところ聞かれることも多いのか、手描きの地図が印刷された紙をくださった。外国の方も多いらしく、イラストで目印が描かれていてとても分かりやすい。
略図のとおり歩いたら、迷うことなく駅まで行くことができた。
嵐山行きの電車は、桂駅が始発である。
苔寺の予約は13時でまだまだ早いけれども、とにかく松尾駅に行ってしまうことにした。
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