2018.03.25

京都旅行記(2018)の入口を作る

 ここは、2018年2月、1泊2日で一人旅した京都旅行記の入口である。


西芳寺


 以下の日程をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。


1日目その1 2018年2月11日(日曜日)


1日目その2 2018年2月11日(日曜日)


2日目その1 2018年2月12日(月曜日)


2日目その2 2018年2月12日(月曜日)


2日目その3 2018年2月12日(月曜日)


 


持ち物リスト(京都旅行2018編)

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2018.03.18

京都旅行記(2018)2日目その3

2018年2月12日(月曜日)


松尾大社 10時半過ぎに松尾駅に到着した。
 すぐ目の前に松尾大社があり、まずはお参りする。
 いただいたリーフレットによると、松尾大社は、京都で一番古い神社である。5世紀頃にこの地方に秦氏がやってきて開拓し、治水し、そして、8世紀には現在地に社殿を造営したという。
 今は「ひなびた」という言葉が似合う場所だけれど、当時は相当の権勢を誇っていた神社さんのようだ。


 本殿でお参りする。
 お母さんと小さいお子さん二人、なんていう組み合わせの方もお参りしていたから、観光地というよりは、地元の方の信仰を集めているのだろうなと思う。
 山を背負っているのも、いかにも「昔からここにある神社」という感じだ。


お酒の資料館 境内に「亀の井」と呼ばれる霊泉があって、延命長寿、よみがえりの水として有名である。
 さらに、酒造家はこの霊泉のお水をお酒の元水として用いており、醸造の祖神としても全国から信奉されている。
 境内には「お酒の資料館」もあって、お酒を造る過程などが展示されていた。


 少し早いけれど、今日は朝も早かったのでお腹が空いた。
 11時過ぎ、ランチをいただこうと、嵐電から見えていたグラン プリエというイタリアンのお店に入った。
 スープ、パスタorピザorパニーニ、飲み物、デザートがセットになったBセットをお願いする。
 この日のスープはミネストローネ、パスタは何種類かあるうちからエビとホタテのクリームパスタをお願いする。フォカッチャが付いてきて、デザートはチーズケーキとコーヒーを選んだ。


パスタ スープでまず暖まることができたのが有り難い。
 パスタも熱々で、ゆで加減もちょうど良く、美味しい。ソースも美味しくて、フォカッチャで余すことなくいただく。
 みるみるうちに席が埋まってきて、人気のお店なのだなぁと思う。チーズケーキのデザートとコーヒーまでゆっくりさせていただいた。


曲水の庭 西芳寺はここから歩いて20分くらいのようだ。
 少し早かったので、拝観料をお支払いし、松尾大社のお庭「松風苑」を拝見したら、このお庭が何だか凄かった。
 三つあるお庭はすべて重森三玲の作で、最初にあるのがやたらと人工的な「曲水の庭」である。
 このお庭を目にしたときの最初の感想は、申し訳ないことながら「何だ、この異様なお庭は」だった。とにかく見た瞬間「異様」という言葉が浮かんだ。
 ここまで異様に作らなくてもいいんじゃないかと思ったくらいだ。


 曲水の庭の奥にある建物の中でお茶とお菓子をいただいていると、西芳寺の予約時間に遅れてしまいそうだ。ランチを食べたばかりでお腹がいっぱいだったし、残念ながらパスした。
 ランチの前にこちらを先に拝観し、お茶とお菓子でお腹をなだめるという手もあったなぁと思う。ちょっと心残りだ。


 次に現れる「上古の庭」という名のお庭も、これまた何とも異様だった。
 私などが見ると、斜面に岩がにょきにょきと生えているように配置してあるだけに見える。
 そして、その岩の周りというか斜面全体に笹が植えられている。
 思わず「このお庭は何のために?」などと思ってしまう。


蓬莱の庭 「枯れることのない」と言われる滝をぐるりと回って最後に見るのが蓬莱の庭である。
 池が鶴と亀の形になっているという説明がリーフレットにあって色々な角度から見てみたものの、どこが亀でどこが鶴なのかはよく分からなかった。
 さらに、池の周りを歩きながら眺めると仙境に遊ぶ心持ちになるとも書いてある。もちろん、私がその境地に達することはなかった。
 先の二つほどではないにせよ、やっぱり異様なお庭だという感想が浮かぶ。


鈴虫寺 いずれにしてもインパクトのあるお庭を三つ拝見した後、西芳寺に向かった。
 住宅街の要所要所に道案内があり、方向音痴の私でも迷うことはない。
 途中、鈴虫寺の看板があって、せっかくだからと覗きに行ったら、階段の下までずらっと待ち行列ができていた。「願いがかなうお寺」としてネットで話題になっていたし、一定の人数が集まったところでまずはお説法を聞くという感じらしいから、この行列もむべなるかなと思う。


 12時50分くらいに西芳寺の正門前に到着し、すぐに受付していただいた。
 昨日の日付のはがきを見せても誰も何も言わなかったから、連絡が行き届いているのか、誰も日付など気にしていないのか、どちらだろうと思う。
 本堂の入口で冥加料(3000円以上という指定だ)をお支払いし、中に入る。
 畳敷きのお部屋には、お膳のような小さい机があり、その脇に硯と小筆が用意されている。
 机の上に般若心経が書かれた紙などが置かれていたと思う。


 「お一人ですか?」と質問されてうなずくと、残り3〜4席になっていた最前列を勧められた。「ストーブが近くて暖かいですし。」と言っていただいた。人数との関係は未だに謎である。
 13時になると、住職の方達が入って来られ、般若心経を3回、座禅和讃を1回唱えるのでご一緒にという説明がある。
 般若心経はもとより座禅和讃にも独特の調子があって、慣れていない私には書かれたものを目で追うのがやっとだ。


 写経をさせていただける時期もあったようだけれど、少なくともこの日は写経はなく、最後に木の札(正しい名前があったと思うけれど思い出せない)の表に願い事、裏に自分の名前を筆で書いて納めてくださいと説明があり、あとは自由にお庭を見てください、と案内された。
 パッと浮かんだ願い事を下手すぎる筆文字で書き、お納めし、御朱印帳をお預けする。御朱印をいただきたい場合は、ここでお願いして帰りに受け取ることになる。


 西芳寺のお庭は、上段と下段に分かれた鎌倉時代のお庭である。
 下段には心という地の形をした池が作られ、池泉式のお庭になっている。
 「苔寺」という別名のとおり、ここには苔が約120種ほどもある。


 まずは、下段の庭から巡る。


下段の庭下段の庭


苔苔


下段の庭下段の庭


下段の庭下段の庭


下段の庭下段の庭


下段の庭下段の庭


 潜り戸を抜けて、上段のお庭も拝見する。
 上段のお庭にある枯山水は、日本最古と聞いたような記憶がある。


上段の庭上段の庭


枯山水枯山水


苔苔


上段の庭上段の庭


帰り道 14時15分くらいまでかけてお庭を一周し、本堂で御朱印をいただく。
 西芳寺の御朱印は見開き2ページで達磨の絵が描いてあると聞いて期待していたら、この日はごく普通の御朱印だった。ちょっと残念である。
 最寄りのバス停14時27分発のバスに乗り、渋滞に巻き込まれることもなく、1時間弱で京都駅に戻ることができた。


 まずみどりの窓口に行って帰りの新幹線の指定席を押さえようとしたら、一番早くて17時18分発だった。目論見よりも少し遅いけれど仕方がない。
 阿闍梨餅の列に並んで購入したり、やまなか雅陶で清水焼のごはん茶碗を探して購入したり、いつものお漬物を自宅用に購入したりしていたら、あっという間に時間がたってゆく。


ビール 昨日購入した黒七味ナッツと一緒に帰りの車中でいただこうと京都麦酒 ゴールドエールを購入し、帰りの準備は万端である。
 ミラコロをコインロッカーから取り出し、荷物を整理して詰め替え、帰路についた。


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2018.03.13

京都旅行記(2018)2日目その2

2018年2月12日(月曜日)

松琴亭二の間 桂離宮の松琴亭で、我々は二の間を先に覗かせていただくことになる。
 売店で購入したポケットガイドの写真だと、ふすまの青が大分色あせていたり、畳の色が濃くなっていたり、違い棚の奥の壁が青くなっていたりする。
 少しずつ修繕したり新しくしたりしているのかも知れないと思いつつ、違う色で修繕するってどうなんだろうとも思う。
 違い棚の下の「窓」は意図的な「窓」だ。壁が剥がれて下地が見えてしまっているのかと思わせておいて、そういう訳ではない。

松琴亭一の間 庭先をぐるりと回って、一の間も覗くことができる。
 一の間のふすまの市松模様こそ、「ザ・桂離宮」というイメージだ。
 これまた、ポケットガイドの写真だと、ふすまの手前右側の床の間の壁が市松模様になっていたり、市松模様の青が色あせていたりする。
 右手前の棚の下にあるのは、竈というか暖炉で、寒さを防ぐのと同時にお料理の保温にも使われたのではないかとされている。そうすると、煙はどこに逃げたんだろうと思う。この棚は大分燻されたのではなかろうか。

舟着き場 松琴亭の前の四角く作られた池は舟着き場である。という説明を受けたような気がする。
 舟に乗って茶事に向かうというのは究極に風流なことだったのかも知れない。
 何しろ「松琴亭」の名前も、斎宮を務めた内親王の「琴の音に峰の松風通ふらし いづれの緒より調べそめけむ」という歌によるという。
 どこまでも風流な離宮だけれど、私などからすると、まず「この歌はどういう意味なのだろう」というところから始める必要がある。
 風流は解してくれる人がいてこそだ。

松琴亭 松琴亭の一の間の側を、椿の垣根のさらに外から見る。
 池越しに見ていたときとはかなり印象が異なる。見る向きによって随分と趣が違うように見える建物だなぁと思う。
 垣根があるから庭も見えないし、こちら側は「裏手」ということになるのかも知れない。私など、自分で撮った写真を見て、「これって笑意軒だっけ?」といただいたパンフレットの略図を見ながらしばし考え込んだくらいである。

松琴亭 松琴亭を後にして木と土でできた橋を渡り、高い場所に上って行く。
 松琴亭を見下ろせる感じだから、狭いながらも結構な高さの「山」である。
 その山を登ったてっぺんにあるのが「賞花亭」という建物である。「賞花亭」は、桂離宮で一番高い場所にある建物だ。
 ポケットガイドの写真を見ると暖簾がかかっているけれど、現在はかけられていない。最初に寄った待合所にのれんが展示してあるので帰りにご覧くださいという案内があった。

賞花亭賞花亭 この賞花亭にかけられていた暖簾は、春は「吉野屋」で、秋は「龍田屋」と染められていたという。桜と紅葉の名所の名前を取ったということは、桜の時期、紅葉の時期のここからの眺めはとても美しいのかも知れない。
 高い場所にあるし、これだけ風通しがいい造りだし、北向きに建てられているし、正しく避暑のための建物と言えると思う。
 冬の今の時期に訪れると、少しばかり寒々しい。

園林堂園林堂 賞花亭から降りると、園林堂という持仏堂がある。
 「園林堂」の扁額は、後水尾天皇の宸筆である。
 吉原御免状という小説を読んでから、何となく勝手に後水尾天皇に親しみを感じている。

 他はほとんどが茅葺き屋根の建物なのに、園林堂だけ瓦屋根になっている。曲線を描いたちょっと変わった形の屋根だ。何となく宝珠を連想させる。
 園林堂の前に立っている灯籠は「再輝」という銘まで持っている。確かに、やけにめだっているし、やけに存在感がある。

笑意軒 この笑意軒も、茶室である。
 松琴亭と同じようにその前が舟着き場になっていて、舟着き場と行き来するための石段が二筋も用意されている。
 舟着き場の照明用に灯籠まで置かれているから、変な言い方をすると、本気で舟で茶室に行ったりしていたのだと思う。

引き手 桂離宮の建物の引き手はかなり凝った意匠のものが多いというお話だったけれど、実際に目にすることができるところは少ない。
 笑意軒はその数少ない建物のうちの一つだ。
 笑意軒では、「矢」の形をした引き手や、櫂(だったと思う)の形をした引き手などを見ることができる。
 茶室と矢という武器とはそぐわないような気もするけれど、きっとそれぞれに由来だったり典拠だったりがあるのだと思う。

笑意軒 笑意軒の中は、一の間、中の間などに分かれている。ふすまで仕切られていても、天井は繋がっている。
 ふすまの上を開け、天井を続けて見せることで「広さ」を演出している。
 演出しなくても十分に広いよ、部屋を繋げてしまうという発想はやはり夏向きだよねと思う。
 左奥に少しだけ見えている障子の下の部分を「腰壁張付け」というらしい。市松模様のビロード(には見えない)を斜めに金箔が切り裂いていて、斬新な意匠で有名らしい。少なくとも、ポケットガイドにはそう書いてあった。

御殿月見台

 桂離宮の中心は、「御殿」とも「書院」とも呼ばれる建物である。
 向かって右の、池に面した建物が古書院、続けて中書院、楽器の間、新御殿と、カギ型に連なっている。
 初代の智仁親王の代に古書院が、その皇子の智忠親王の代に中書院と新御殿が完成している。(ポケットガイドには、何故か楽器の間についての記載がない。)
 昭和51年から平成3年までをかけて、解体大修理が行われている。

 桂離宮で私が知っていたのは「市松模様のふすま」と「月見台」である。
 「月見台」は、古書院にある。
 しかし、残念なことに、御殿の中を見学することはできないし、他の建物のように外から拝見することもできない。
 もちろん、月見台に上がることもできない。
 御殿の中の様子はポケットガイドに写真付きで一部紹介されていて、それだけでも購入した甲斐があったなと思う。

月波楼 「月波楼」も茶室である。一体、いくつ茶室を作れば気が済むんだと思う。
 この建物の天井は舟底を模している。
 また、飾られているのは絵馬で、もはや目を凝らさないと判別は難しいながら舟の絵が描かれている。
 「唐船に和漢乗合之図」などとされている。

月波楼月波楼 月波楼では、やけにふすまの模様が可愛いなぁと思ったことを覚えている。
 建物は東向きに建てられていて、名前のとおり、月見のための茶室である。
 そして、月波楼からは、お月様だけでなく、松琴亭を望むこともできる。なかなか贅沢な眺めだ。
 「歌月」という扁額の文字が可愛らしい感じでこれまたふすまに合っている。もっとも、霊元上皇(霊は本当は旧字の霊である)の宸筆だというから、別にふすまに合わせて丸文字にした訳ではないだろう。霊元上皇って誰? と思ったら、後水尾天皇の皇子らしい。

六ツの沓脱 最後に立ち寄った建物が「御輿寄」である。
 書院の玄関に当たる建物だ。
 ここでは「六ツの沓脱」を見てきてください、と言われたことしか覚えていない。どうしてこの石がそんなにも有名なのかよく分からない。六人分の沓を並べられると伝えられていると聞いても、「うん。それで?」と言いたくなってしまう。我ながら本当に風流を解さない人間である。
 これだけ大きな白川石は珍しいということなんだろうか。
 よく分からないまま、ほぼ1時間の見学コースが終了した。

 待合所の建物に戻ると、10時予約の方達がすでに集まっていた。紹介ビデオを流されている。
 次の案内係は男性のようだ。何人で担当しているのかしらと思う。
 待合スペースの壁は展示用のショーケースになっていて、御殿など実際に見ることのできなかったふすまの引き手や、賞花亭にかけられていたという暖簾などを見ることができる。
 売店にもう一度寄り、「ここでしか売っていません」という言葉につられ、花生けの形の引き手を描いたストラップを母へのお土産に購入した。

 桂駅までの道がよく分からなかったので、守衛さんに「こっちですよね?」と尋ねると、「地図は持っていないんですか?」と反対に質問された。
 地図というか、iPadは持っている。それでも道に迷うのが方向音痴というものだ。特に歩き始めが「道」ではないというのは危険である。
 さて何と答えようかと考えていたら、実際のところ聞かれることも多いのか、手描きの地図が印刷された紙をくださった。外国の方も多いらしく、イラストで目印が描かれていてとても分かりやすい。
 略図のとおり歩いたら、迷うことなく駅まで行くことができた。

嵐電 嵐山行きの電車は、桂駅が始発である。
 苔寺の予約は13時でまだまだ早いけれども、とにかく松尾駅に行ってしまうことにした。

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2018.03.11

京都旅行記(2018)2日目その1

2018年2月12日(月曜日)

 暖房を入れ、加湿器も使い、マスクもして寝ていたせいか、2時間ごとに目が覚めた。
 でも、その割に疲れた感じは残っていない。
 9時に桂離宮の予約を入れてあり、8時過ぎのバスに乗る必要がある。余裕をみて6時に起きた。

朝食 朝食は、ル・プチメック 今出川で昨日買ったパン二つと、ドリップパックを持参したコーヒー、近くのコンビニで買ったヨーグルトである。
 パンは、クルミパンと、ホワイトチョコと杏のパンだ。お部屋の電子レンジで軽く温めていただいた。シンプルで、ホワイトチョコのパンも甘すぎず美味しい。
 朝食をいただいた後、部屋の片付けをし、荷造りをして、7時半にチェックアウトした。チェックインしたときに予告してあったためか、宿の方がすでにフロントにスタンバイしてくださっていた。申し訳ない。

 バスの案内所が開いていたので、カウンターで今日の大まかな予定を話し、1日乗車券を買うべきかどうか質問したところ、桂離宮前のバス停は1日乗車券の範囲からわずかに外れていて、追加料金を支払う必要があるという。その後の行程にもよるけれど、その都度支払った方がいいでしょうと教えてもらい、1日乗車券の購入は見送った。
 伊勢丹の地下入口に近いコインロッカーにミラコロを預け、8時5分発のバスで桂離宮に向かった。

桂川 バスの車内が異様に冷えていて、あまりにも足下が寒かったので、両足に靴下用カイロを貼った。若干みっともないけれど、寒さには代えられない。
 バスに乗り合わせた何人かは、やはり、桂離宮に向かっているようだ。
 予定通り8時25分に最寄りのバス停に到着し、桂川沿いを入口まで歩く。
 8時40分の受付開始を待って、入口の前には何人かの方が日向を選んで佇んでいた。寒い。
 木が多いせいか、足下が砂利のせいか、何だか京都駅よりもさらに寒い感じがする。

 暖かいところを探してぶらぶらと歩いているうちに門が開いた。門を入る際に受付番号を聞かれる。
 少し先に待合所のような建物があり、そこの受付窓口でもう1回、確認が入る。
 受付番号と身分証明書を求められ、そんな指示があったことを忘れていたよと慌て、出がけに保険証を財布に入れた自分を心密かに褒めつつ「すみません、写真付きじゃなくて。」と差し出すと、「構いませんよ。」と返された。
 パスポートとか運転免許証とか、写真付きの身分証明書を示している人が多かったと思う。

 待合所にはお手洗いとコインロッカー、売店があり、桂離宮はほとんど内部の見学はできないためか、ふすまの取っ手などの細工物が展示されていた。
 8時50分くらいから桂離宮を紹介するビデオが流された。椅子に座り、予習がてら何となく画面を見る。
 とにかく暖かいことが有り難い。

 私が桂離宮に行ってみたいと思ったのは、何かでブルーノ・タウトが絶賛したと読んだことと、写真で見た藍色(がかなり色あせた感じの色)と白の大きな市松模様のふすまが何となく格好良かったから、というくらいの理由である。
 いただいたパンフレットによると、桂離宮は後陽成天皇の弟の八条宮初代智仁親王が別荘として創建している。17世紀初め、江戸時代初期の頃のことだ。後陽成天皇って誰? と思ったら、徳川秀忠の末娘である和子が嫁いだ後水尾天皇のお父さんだった。

 智仁親王という方がかなり趣味の良い方だったらしく、また、その跡を継いだ智忠親王も趣味が良くかつこちらは財力もあったため、この親子二代の間に桂離宮はほぼ現在の姿に近いところまで整えられている。
 創建以来、火災などに遭うこともなく、当時の姿をほぼ伝えているという。
 1964年には景観保持のために周りの土地も買い上げたというから、かなり大切にされている場所であり、庭園であり、別荘であり、国の財産と言えるだろう。

表門 9時少し前に案内の方(意外なことに若い女性だった)が現れ、「私より前には行かないでください。」といった注意や、「現在、工事中で滝の水が止まっています。」といった断りがあり、一同は出発した。
 最後尾を皇宮警察の方が歩くのは、京都御所と同じである。
 最初に立ち止まったポイントは、表門だった。手前にある竹の柵より先に行くことはできないし、一番奥に見えている表門は、特別なとき以外は開かれることもない。

御幸門御幸道 正門からまっすぐ砂利道を進んだ先に、御幸門がある。
 こちらは我々もくぐらせてもらった。
 歩いた順で言うと、内側から来て、御幸門を出て表門を遠目に見た。
 正門から入ったとすると、その先にある御幸門を入ったところの道は砂利ではなく、小石が敷き詰められている。小さい石の石畳の道、という感じだ。この道は、水はけを良くするために真ん中を少し高くしてある。

御腰掛飛び石の道 小石を敷き詰めた道から、飛び石の道に入る。
 この飛び石から絶対に外れないようにという注意を受けたような気がする。苔や植生を傷つけないためだと思う。
 そして、飛び石の奥に見えてくるのが「御腰掛」(パンフレットによっては「外腰掛」とも書いてあった)という建物である。
 いわば休憩所だ。
 この「腰掛」には座って良いと言われ、もちろん座ってみた。残念ながら特別の感慨はない。

御腰掛御腰掛からの景色

 腰掛けに座ると、吹きさらしの東屋が何となく温かく感じられる。
 座ったときに見えるのは蘇鉄を植えた山というか築山で、この蘇鉄は薩摩の島津家から献上されたと伝えられている。
 南国調が当時の流行りだったというのが何となく可笑しい。

雪隠 何となくみんなで順番に覗くことになったのが、雪隠である。
 建物の向かって左側にある。
 ドアを開くことはできず、まさに「覗いた」という感じだ。
 それにしてもトイレを覗けるように作っていいんだろうか。桂離宮にトイレを覗くようなお客様は来ないと言われればそれまでとはいえ、ちょっと心配になる。

州浜 緑の間の道を歩いて行き、「抜けた」という感じでたどり着いた水辺から「州浜」を見ることができる。
 黒っぽい平らな石が敷き詰められ、岬のような感じで池に突き出している。先端に灯台のようなイメージで石灯籠が置かれているのも岬っぽい。
 その向こうに見えている橋は、天橋立に見立てたと言われている。
 さらに奥に見えているのが「松琴亭」と呼ばれている、桂離宮で一番格式の高い茶室だ。
 変な言い方をすると、本当に作ったような景色である。

州浜 目の前に見えている池の端をぐるりと回ると、同じ州浜と天橋立を別の角度から見ることができる。
 奥に見えていたのは多分、御殿だと思うけれども定かではない。
 すっかり遅れてしまった私は、すぐ後ろにいらした皇宮警察の方に「分からないようにしてあるけれども、消防法の関係でここの建物にも全部電気が来ていて、探知機等も整備されているって聞いたのですが本当ですか?」と聞いてみた。
 「その通りですよ。」というお返事で、やはり京都御所と同じなんだなと思う。
 このお庭に電線があったり、建物に煙探知機が見えたりしたら、それは興ざめだろう。

20180212_091528 日が射して随分と暖かそうに見えるけれども、これが寒い。何しろ池には氷が張っている。桂離宮は、きっと夏の離宮だったに違いないと思う。
 池の端をぐるりと回り、一本岩の橋を「気をつけて一人ずつ渡ってください。」「危ないですので橋の上で写真を撮らないでください。」という注意を受けて渡ると松琴亭に行くことができる。
 橋を渡りきったところに石段が組まれており、池の端に降りられるようになっている。その先に桶や柄杓を置く石が配置されていて、池をそのまま手水場として使えるよう整えられている。
 どこまでも細やかな配慮である。

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2018.03.01

京都旅行記(2018)1日目その2

2018年2月11日(日曜日)


 13時から西陣織会館でマフラー織り体験の予約を入れてあった。
 過密スケジュールだ。
 北野天満宮前から堀川今出川までバスで10〜15分くらいかかっただろうか。渋滞していないのが有り難い。
 車窓から、明日の朝食を買おうと目を付けていた「プチメック」というパン屋さんの位置も確認する。


 13時ギリギリに西陣織会館に到着し、受付をしてもらうことができた。
 私の前に若い女の子が二人並んでいて、今日の生徒は彼女たちと私の3人のようだ。受付で料金を支払うとすぐに先生が迎えに来てくれた。
 そのまま、体験をする教室に連れて行ってもらう。


 織機が7台用意されていて、それぞれ違う色合いの縦糸がセットされている。
 横糸も20色くらいだろうか、用意されている。
 織り上がったマフラーに触らせてもらうと、意外と固いことに驚いた。その固い糸を使うことで、シルク100%のマフラーながら、洗うことができるという。
 また、詰んで織るところと、隙間を空けて織るところと、交互に織るのは、デザインのためというよりは、「固すぎないようにするため」だと教えてもらった。


 若い女の子に譲ろうよと心の中で思いつつ、でも、一目惚れした、ピンク系の糸がかかった織機を選んだ。
 そして、横糸で迷う。
 基本的には「横糸の色」のマフラーになるという。
 白と、薄いグレーと、黒と、3つ置いてグレーかなぁと思っていたら、先生が「黒がいいと思うわ。」「ステンドグラスみたいになるわよ。」とおっしゃる。微妙に迷いつつ、ここは先生の推しに乗っかることにした。


体験中 右足を踏む、杼を右から左に通す、足を緩めて縦糸を平行にする、杼に巻かれた糸を押さえていた手を離す、綜絖で横糸を押さえる、左足を踏む、杼を左から右に通す、足を緩めて縦糸を平行にする、杼に巻かれた糸を押さえていた手を離す、綜絖で横糸を押さえる、この繰り返しだ。
 リズムに乗るまでが難しい。


 隙間を空けて織るところは、「1mm角くらい開けると綺麗よ。」「後になればなるほど広くなってくる人が多いから気をつけて。」とあらかじめ注意された。なるほどと思う。
 詰めて織るところと空けて織るところの境は、広めに空けるとくっきり見えると教えてもらう。
 意外と難しかったのが詰めて織るところでだった。綜絖を操作する力加減で詰まり方が変わるようで、どうしても一定にならない。7往復ずつしているのに太さが一定しない。
 唸っていると、先生に「職人さんだって同じ力加減を体で覚えるのに10年かかるんだから。」「手織りの味と思えばいいのよ。」と声をかけられた。


マフラー 女の子たちは手際が良かったらしく、2時間くらいで織り上がっていた。早い。
 その段階で、私は全長180cmのうち150cm弱しか織れていなかったと思う。
 どうしてこんなに差があるのかしらと呻いたら、「糸の太さも違いますしね。」と先生が慰めてくれた。当然、糸が太い方が早く織れる。
 まぁ、でも、正解は「私の手が遅い」に尽きるだろうと思う。


 結局、織り上がったのは16時ジャストだった。
 お嬢さんたちはとっくに織り上がり、アイロンをかけ、端の始末もしてもうお帰りになっている。
 先生たちに「仕上げをやっておきますから、着物ショーを見てきたら?」と言ってもらい、お言葉に甘えて3階のステージに行った。


着物ショー着物ショー 着物ショーはなかなか華やかだった。
 「帯は西陣」とどこかに書いてあったと思う。「西陣織の着物」はないんだろうか。
 着物ショーでは、「友禅の着物に西陣の帯」や「紬の着物に西陣の帯」という組み合わせが多かったような気がする。
 15分くらいのショーで、7〜8通りの着こなしを見ることができた。
 やっぱり着物は華やかだし、変な言い方になるけれどお金の掛け甲斐のあるところだなぁと思った。


 教室に戻ると、先生達の手でマフラーを仕上げていただいていた。有り難い。
 おしゃれ用の洗剤で押し洗いし、高温スチームでアイロンがけもOKだという。
 通常、絹糸は「セリシン」という糸の表面の成分を落として真ん中の「フィブロイン」という成分のみにして使う。その「フィブロイン」は水に弱くお洗濯ができない代わりに、柔らかい光沢のある糸になる。
 しかし、マフラーでお洗濯ができないのは実用的ではないので、今回の体験で使う糸にはセリシンをほとんど残し、洗濯できるようにしているというお話だった。


 教室用なのか、ここでは蚕も飼っていて見せてもらった。
 小学生の頃に宿題で蚕を飼って、確か1回繭になって、孵化するところまでは持って行けた記憶だ。
 蚕は寒さに弱いらしく、段ボールに入れ、ビニルの覆いをかけ、小さいホットカーペットの上に載せられていた。正しくお蚕様だ。


 今回教えてくださった先生は「つづれ織り」が専門だとおっしゃり、織っている途中の布を見せていただいた。
 つづれ織りは、縦糸は一色、下絵を置いて、横糸の置き方だけで模様を浮かび上がらせて行く織り方だ。
 準備が簡単な分、織り手の作業は細かくなり、先生の爪も綜絖の代わりに細かく押さえるべくギザギザに切ってあった。
 下絵と織り手の技術で織る、一点物などの制作に向く織り方だそうだ。
 「イラチの方が向いている。」と先生はおっしゃっていて、もの凄く興味はあるし楽しかったけれど仕事にするのは無理だ、と改めて当たり前のことを思った。


ル・プチメック 今出川 西陣織会館から歩いて10分もかからないくらいのところにル・プチメック 今出川はあった。
 確か閉店が18時くらいで、もう17時近いからサンドイッチなどはほとんど売れてしまっている。
 惜しい。
 散々迷った末に、パンを二つ購入した。
 びっくりするほどお値段が高い、という訳でもないところが嬉しい。もっとたくさん買って帰れば良かったかしらと今頃になって思う。


 京都駅までの戻り方を検索すると、バスではなく今出川駅まで歩いて地下鉄に乗るルートが示された。
 その通りのルートで京都駅に戻り、ミラコロをコインロッカーから取り出して、駅から徒歩数分のところにあるお宿 みつばにチェックインした。
 簡単に荷物整理だけして、再び出かける。まだ17時半だ。
 こちらの宿は一度チェックインしてしまえば、あとは出入り自由なところも有り難い。


京都タワー 京都タワーの1階にある「京都タワーサンド」に寄ってお土産を探す。
 京都しゃぼんやで入浴剤を購入したり、COCOLO KYOTOでおつまみにしようと黒七味ナッツを購入したりした。
 今回の京都旅行では自分用のごはん茶碗を買って帰ろうと思っていて、そちらも探したけれど、焼き物のお店は入っていないようだ。残念である。


 伊勢丹で、予約してあった紫野和久傳のお弁当を購入する。
 美味しい懐石のお弁当には美味しい日本酒でしょうと、お酒売り場を探す。地酒のコーナーを覗くと、小さい瓶でも300mlだ。ちょっと多いなぁと探し、180mlの瓶を見つけた。
 この分量ならそんなにお高くならないし、いいお酒を奮発しようと大吟醸を選ぶ。


 スイーツの売り場は、そもそもバレンタインでチョコレートに席巻されている上、時間も時間で売り切れているものも多い。
 これまたあちこちうろうろと探し、わらび庵のわらび餅を購入した。
 コンビニに寄って明日の朝食用のヨーグルトを購入したら準備万端である。大荷物を抱えてお宿に戻った。


お部屋 宿のお部屋はワンルームマンション風で、冷蔵庫も電子レンジもIHクッキングヒーターも付いている。
 この設備に加え、そして京都駅から歩いてすぐという便利な立地を活かし、夕ごはんは伊勢丹の地下で美味しいお弁当を買ってこよう、朝ごはんはプチメックでパンを買ってお部屋で食べようという計画になった。
 買ってきたお酒を冷凍庫に入れ、わらび餅を冷蔵庫に入れ、お風呂の用意をしたり、テレビを見たり、お風呂に入ったりして「このまま寝ちゃっても大丈夫」という態勢を作り上げてから夕食をいただいた。


松の翠二段弁当 お酒は、「180ml」と「大吟醸」と「京都のお酒」というポイントで選んだら、伏見の山本本家というところのお酒だった。
 うんと冷やしたお酒はとろっとしていて美味しい。
 お弁当も文句なく美味しい。まずはお菜の数々と日本酒をいただく。鯛のお造りもその下に隠されているちらし寿司も日本酒にぴったりだ。
 流石に一人で一合飲むと酔っ払ってきて、その後は日本茶を淹れ、ゆっくり1時間以上かけて美味しくいただいた。大満足である。


 テレビを見たり、わらび餅をいただいたり、うだうだしていたけれど、明日も早い。
 23時過ぎに就寝した。


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2018.02.27

京都旅行記(2018)1日目その1

2018年2月11日(日曜日)

 5時に起きたら、雨が止んでいた。
 雨の中、ミラコロを転がすのは大変なので、雨が降っていたらタクシーを呼ぼうと思っていた。これはラッキーである。しかも暖かい朝だ。
 もっとも、おかげで出がけにショールを巻くのを忘れてしまった。

 始発のバスに乗り、予定よりも1本早い電車に乗れて、東京駅にも早めに到着することができた。
 自動販売機でお茶を買い、発車10分前には座席に落ち着いた。今のところお隣は空席だ。
 7時半発のぞみ11号は定刻通りに静かに発車した。
 それにしても、新幹線は山手線並みにたくさん走っているなぁと思う。それでもそこそこの乗車率なのだから凄い。

富士山 8時15分ころ、窓から富士山が見えた。
 山頂付近には雲がかかっているものの、青空がバックなのが嬉しい。
 これなら富士駅辺りで、でーんと大きな富士山が見られるかしらと期待していたら、山を一つ超えたことになるのかお天気が全く変わっていて、富士山は裾野まで完全に雲に隠れてしまっていた。残念である。
 残念ついでに、小腹が空いた気がして、持参していたお菓子を食べてお腹をなだめた。

 9時48分に新幹線は京都駅に到着した。
 天気は曇りだ。
 いったん改札を出て、ミラコロをコインロッカーに入れる。
 最近のコインロッカーはSUICAで支払い、かつキーにすることもできるらしい。国内旅行の際に日頃から小銭を貯めている小銭入れを持参する習慣も、そろそろ必要なくなるのかも知れない。
 身軽になったところで在来線に移動して、10時10分発の山陰本線に乗った。入線前にホームに行くことができてギリギリ座れたのが有難い。発車前にはラッシュ時のような混雑になっていた。外国人観光客の姿も多い。

 花園駅で降りて、まず、西芳寺に電話した。
 拝観希望の往復はがきを1日間違えて出してしまい、電話して日程変更をお願いした方の話をネットで読んでお願いするだけしてみようと思っていた。
 今日から明日への変更なんて突然すぎるかもと思いつつ、日程変更が可能かどうかお聞きする。
 名前と人数だけ聞かれ、今日の予約のところを明日に変更してもらうことができた。有り難い。
 拝観者が少ない冬だからこそだったのかも知れない。

 そのまま妙心寺まで歩き、今回の京都旅行の目的の一つである東海庵に行った。
 東海庵にあるお庭のことは、北村薫の冬のオペラという小説を読んで知り、機会があればぜひ行ってみたいと思っていた。
 檀家さんが多く通常は非公開、「京の冬の旅」でも5年ぶりの特別公開になると知り、これは行かなくてはと思ったのが、今回の京都旅行を計画した理由の一つである。

 拝観料をお支払いし、庫裏にあげていただく。
 「京の冬の旅」のスタンプカードもいただいたものの、今回の旅行でスタンプを三つ集めるのは難しそうだ。集めると、クリアファイルなどなどがもらえるらしい。
 東海庵での白眉はやはり三つのお庭で、それぞれにガイドさんがついて説明してくれた。

妙心寺の三門や法堂 妙心寺は46の塔頭で構成されており、東海庵はその一つである。
 全国に妙心寺派のお寺は3500余あり、その半数が東海派だという。東海庵は、勢力も大きいし、寺格も高い塔頭だ。
 方丈のお庭から、妙心寺の三門や法堂、経蔵を望むことができるのも、寺格が高く、「いい場所」にあるからこそである。

 また、全国に150ほどある本山のうち、京都には七つの「総本山」と呼ばれるお寺がある。七つのお寺には、それぞれに「イニシャル」が付けられている。
 妙心寺は「算盤面」と呼ばれていて、それは「計算高い」という意味ではなく、お金の出入りをきっちりと管理し始めたことを評した名付けらしい。

 東海庵は1408年、利貞尼という方が開祖であり、悟渓宗頓禅師が開山であるお寺である。
 そう説明されても、「開祖」が何で「開山」が何をしたことになるのか、全く分かっておらず、ピンと来ないところが悲しい。

南のお庭 方丈の前のお庭が、その塔頭で一番大切なお庭、中心のお庭になる。
 東海庵の場合は、もちろん、この「白露地の庭」である。
 この写真でいうと、左奥に棗型の手水鉢があるだけで、他には何もない。
 石も木もない。
 ただ、白砂があり、まっすぐの線が引かれているだけだ。
 何もなさ過ぎて広さが実感できない。大体100坪くらいあるらしい。

 何もないのに、広縁に座ってぼーっとしていると、いくらでもぼーっとしていることができる、不思議な場所だ。
 雪が降った日には、このお庭に雪が積もった景色を撮ろうと開門前からたくさんのカメラマンがやってきたとガイドさんが笑っていた。それは撮りたくなるだろうなぁと思う。
 「早く開けてくれ。」とせき立てられたときには、「雪は溶けない。」と説得し、10時まで待ってもらったそうだ。

書院 流石に悟渓宗頓禅師の木像があるという方丈は撮影禁止だけれど、他の書院などなどは「どうぞ撮影してください。」と太っ腹だった。
 赤い砂壁は、寺格が高い証である。
 狩野派の誰かの筆だと聞いた気がするけれど、何故かボールペンが書けなくなってメモを取れず、忘れてしまった。
 全体に黒ずんで見えるのは銀箔が貼ってあったからであるというお話と、1月の間は床の間はお正月仕様で華やかに飾られ、今は少しだけ春めいたお花になっているというお話を聞いたことを覚えている。

東海一連の庭

 こちらが、東海一連の庭と称されるお庭である。
 白露地のお庭から来ると、やけにごちゃっとした印象を受けるこのお庭が、東海一連の庭と称されるお庭である。
 このお庭の中心は、向かって右手にある松の木がある辺りになる。最初、中心といえば真ん中でしょうと思って真ん中辺りを探してしまい、どこに松の木があるのかさっぱり分からなかった。
 松の木が生えているそれぞれの「築山」が、神仙が住むという三つの島を表している。

一文字手水鉢橋柱手水鉢 松の木の辺りにある岩の一つが「鶴岩」で、一つが「亀岩」と説明があった。
 どう見ても鶴らしくない岩で(亀はかろうじて亀っぽいと言われれば亀っぽい)、私にはこの庭は複雑すぎて馴染めなかった。
 お庭の風情よりも、左右の端にあった手水鉢がそれぞれ変わったインパクトのある姿をしていて、そちらの方が印象に残っている。
 右にあるのが「一文字手水鉢」、左にあるのが「橋柱手水鉢」という。なるほどなネーミングである。

坪庭 三つ目のお庭は坪庭だ。白露地のお庭の1/10くらいの広さしかないらしい。
 しかし、このお庭が表しているのは「宇宙」だ。
 ガイドさんによると、円を描いているような箒目をよーく見ているうちに左回りの動きが見えてくるそうだ。そして、七つ置かれた石にぶつかり波紋を広げている様子が見えてくると言う。
 そう言われてじーっと見たけれど、私には動いているようには見えなかった。残念である。

 こちらの方向から見ると、石が七つ並んでいることが分かる。しかし、手前から2番目の石は、向こうから見ると大きな石の陰になって見えなくなるという。
 何だか龍安寺みたいな話だなぁと思う。
 それでも、この位置から見るのがベストとガイドさんが言う。晴れていれば、青空をバックに奥に見える庫裏のお城のような屋根の辺りから煮炊きの煙がたなびくところが見えるそうだ。

 もう一度、白露地のお庭の広縁に戻って座り込む。
 お天気は決して良くないし、底冷えしている筈なのに、広縁の木が暖かく、ぽかぽか陽気のように感じられる。
 着ていたダウンコートを脱いでしまう。
 しばらくそうやってぼーっとしていて、ふと時計を見ると11時半を過ぎていた。
 まだまだ名残惜しいけれど、そろそろ行かなくてはお昼ごはんを食べられなくなってしまう。

東海庵 入り口で御朱印をいただき、青空が見えてきたなぁと思いながら東海庵の正門になるのか、やけに立派な入り口を横目に見つつ、嵐電の妙心寺駅を目指した。

 妙心寺駅は、妙心寺の北門を出て左に行けばすぐである。相変わらず方向音痴の私は焦りも手伝って右に歩いてしまい、11時36分発の電車に乗るつもりが、駅に着いたのは45分だったし、そもそも36分発という電車がなかった。
 次の電車まで10分近くある。
 駅前にスーパーがあったので、そこでボールペンを購入し、駅のベンチに座って旅ノートを書いた。

 嵐山電鉄の電車は可愛い。えんじ色をしている。
 ずっと乗っていたいくらいなのに、終点の北野白梅町(「きたのしらうめまち」だと思っていたら「きたのはくばいちょう」だった)まではすぐである。
 嵐電もSUICAで乗れるんだなぁと思いつつ駅から出ると、ぽつぽつと雨が降っていた。さっきまでの風花という感じの舞い方とは異なり、もう一つ、雨っぽい。
 傘を出すのが面倒で、そのまま北野天満宮に向かってコートのフードをかぶって歩く。

たわらや お昼ごはんはとようけ茶屋もいいなぁと思っていたら、とんでもない。
 北野天満宮の梅苑が開いたばかりということもあってか、すでに歩道に20〜30人くらいの行列ができている。これでは、並んでいたらとてもではないけれど次の予定に間に合わない。
 さてどうしようと歩いていたら、たわらやの看板が目に入った。お店の外に並んでいる人はいないようだ。

 お店に入ってみると、私が3組目か4組目といったところだ。
 おうどんならそんなに長居をする人もいないだろうとリストに名前を書いて待つことしばし、10分くらいで席に案内された。有り難い。
 お隣のテーブルでは何故かお蕎麦やおにぎりを頼んでいる。
 ここはやっぱり名物の一本うどんでしょう! と名物セットを選ぶ。相棒のハーフサイズの丼は好きなものを選べ、京都っぽいものをと衣笠丼をお願いした。

名物セット 一本うどんは、太さ1cmくらいのおうどんが2本、丼に入っている。すりおろしショウガが付いていて、それを入れる。意外と濃い味のお出汁だ。
 重い、ずっしりとしたおうどんである。
 衣笠丼は、油揚げを(多分)炒めて、かまぼことお葱と合わせて卵でとじてある。
 かなりつゆだくの丼だ。
 意外とボリュームがあるなぁ、動物性タンパク質兼彩りでかまぼこ(ピンクのかまぼこである)が入っているのかしらと思いながら、美味しくいただいた。

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2018.02.12

無事、帰宅する(京都2018)

 昨日(2018年2月11日)から、1泊2日で京都に行って来た。
 久々の一人旅だった。

 1日目は、妙心寺東海庵でお庭を拝見し、午後は西陣でマフラー織り体験をした。
 2日目は、9時から桂離宮、松尾大社で時間調整し、13時から西芳寺を訪れた。
 のんびりした旅程を組んだつもりが、意外と忙しかった。
 
 概算で今回の旅行にかかった費用は約53500円だった。
 ここには交通費、宿代、食事代、拝観料(御朱印含む)、おやつ代等が含まれているけれど、自分用も含めてお土産代は含まれていない。

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