出雲旅行記2日目その2
2019年6月2日(日曜日)
神職の方にご案内いただき、10時15分、八足門の中に足を踏み入れた。
まず、回廊のところに集まり、神職の方にお祓いをしていただく。
「はらいたまい」「きよいたまえ」という祝詞を繰り返した、ような記憶だ。
その後で、楼門でのお参りとなる。
お参りの前に、出雲大社では「二礼四拍手一礼」であることの説明があった。
といっても、他の神社の多くが「二礼二拍手一礼」であるのに対し、何故出雲大社では「二礼四拍手一礼」が作法とされているのか、神職の方にも伝わっていないという。
元々はそれぞれの神社がそれぞれの作法でのお参りをしていたところ、明治時代に「二礼二拍手一礼」に統一されている。
その統一の際に、出雲大社では昔からのしきたりを継続したということらしい。
それだけの格式と権力があったということなんだなと思う。
心して楼門でお参りをする。もちろん「二礼四拍手一礼」である。
このとき楼門でお参りさせていただいたのは我々のグループだけだ。人数でいうと10人ちょっとである。ゆったりした気持ちになって、ゆっくりとお参りした。それだけでちょっと嬉しい。
全員のお参りが済むと、神職の方が色々と「出雲大社」について説明してくださった。
例えば、出雲大社では年間にたくさんのお祭が行われており、ちょうどこの前日の6月1日には「涼殿祭(りょうでんさい)」が行われている。
涼殿祭に当たっては、神職の方は前の晩から出雲大社に泊まり込み、昔ながらの方法で熾した清らかな火で調理したごはんをいただき、身を清める。
いつもは本殿の扉は閉められていて、大国主命にごはんを差し上げるだけだけれど、特別な日は扉を開けて中に入り、ごはんを差し上げる。
本殿の正面は真ん中に柱があるため、階は真ん中ではなく向かって右に少しずらしたところにある。その15段、高さ4mの階を上がったところに扉がある。
本殿の内側は白木の簡素な造りだけれど、天井には280年前に描かれた八雲の絵が色鮮やかに残っている。
できれば拝見したいところだけれど、次の機会には私は生きていないような気がする。
平成20年から行われていた大遷宮の際に、40日間だけ本殿を公開していて、30万人が訪れている。
伊勢神宮の「遷宮」が「新しく作り直す」のに対し、出雲大社の「遷宮」は「修理」をする。
本殿の屋根の葺き替えを行う際、神様のいらっしゃるところの上に人が上がる訳には行かず、平成20年4月20日にまず神様に拝殿にお移りいただいている。そうして、神様がいらっしゃらない間だけ、本殿の特別公開が行われた。
本殿の屋根は、檜皮葺である。
檜皮は、1回檜の木の皮を剥ぎ、次の皮が生えてきた10年後にその皮を使う。気の遠くなるような話である。
さらに気の遠くなることには、この皮は生えてきたばかりだから当然に薄い。その薄い皮を少しずつずらしてひたすら重ねてあり、最も厚いところでは1m近くにもなるという。
現在では、檜の山を手入れする人も減っているし、檜皮葺をできる職人さんも減っている。
神職の方が檜を植えたけれど、その檜の皮が使えるようになるのは80年後で、次の60年後の遷宮には間に合わない。それくらい気の長い話である。
檜の皮に油分があるうちは水をはじいてくれるけれど、油分が抜けて行くと水が染みこみ、苔が生えてきてしまう。
本殿の屋根の葺き替えが終わったのは平成24年で、すでに屋根の先の方(雨にさらされる方)には苔が生えて、緑色になっているところがある。
屋根の上の千木は、木材に銅板を巻き、漆を塗ってある。
今は漆の黒色をしていても、時間が経つにつれて緑青が浮いて来て、緑色になってくるという。黒い千木を見ることが出来るのは今のうちだけだ。
剣菱や金色の紋の部分も同様に、時間が経つと緑青が浮いてくるらしい。
出雲大社の由来も語ってくださった。
ガイド本的なものを読んで、私のイメージは「国を譲るように天照大神から言われた大国主命は、渋々国を譲り、その交換条件として大きな社を作ってもらった」という感じだった。
このときのお話では、大国主命が天照大神に自ら国をお譲りしたところ、「新たな目に見えない世界」を治めるようにと命じられた、というニュアンスだった。
何だか可笑しいような納得できるような、という感じだ。
大国主命は、「おおくにぬしのみこと」の他にもたくさんのお名前を持っている。
お名前がたくさんあるということは、神徳もたくさんお持ちということになる。
「治めるように」と言われた「目に見えない世界」は、例えば「縁」の世界であったり「死後」の世界であったりする。そこから縁結びの神様と言われているけれど、この「ご縁」は何も男女のことに限らず、人が生きて行く上でのあらゆる人との関係のことをいう。壮大だ。
大国主命が国を譲った代わりに、天照大神の次男が大国主命を祀ることになり、以後83代にわたってその約束を守り続けている。
一方で、「天孫降臨」で下界に降りた天照大神の孫である邇邇芸命から三代は高千穂で暮らし、その後、東に進んで橿原神宮において神武天皇が即位し、その後126代にわたって続いている。
その両家の裔に当たる千家国麿氏と高円宮典子様とのご結婚はご縁の深いことだ(という感じだったような)と語っていらしたのが不思議かつ面白かった。
八足門から出たところで、平成の大遷宮で下ろした檜皮葺の一部を、同じく檜皮葺から漉いた和紙で包んだお守りをお土産にいただいた。その和紙には「御本殿大屋根檜皮古材」と書かれている。
こちらをいただいたところでツアーは解散となった。
なかなか贅沢な時間だったと思う。
八足門内ではもちろん写真撮影禁止、メモを取っている余裕もなかったので、まず聞いたお話を覚えているうちにとがーっとメモを書いた。
八足門のすぐ前にお守り所がある。
伊勢神宮にお参りしたときに購入した御朱印帳があと少しになっていたので、出雲大社にお参りするときには出雲大社の御朱印帳を購入し、御朱印をいただこうと思っていた。
ちょうど待っている人も少なかったので列に並ぶ。
出雲大社の御朱印帳は白地にご本殿が水色で描かれたものと、紺地に金で八雲が描かれたものとがある。
少し迷い、たまには変わったことをしようと白地のものを購入し、御朱印をいただいた。
併せて、母と自分へのお土産に、美保岐玉ストラップを購入する。出雲大社宮司の方が代替わりをするときに皇室の弥栄を祈って奉製してきた赤と白と緑の瑪瑙の玉をそう呼ぶようだ。
ちょっと気に入っている。
この後は、ガイドさんのお勧めに従って、瑞垣を一周することにした。
八足門に向かって右側から周り始める。
瑞垣の向こうに本殿の屋根を大きく見ることができるのが嬉しい。
また、案内の看板には大きくQRコードが印刷されていて、英語、中国語、韓国語での説明を読むことができるようになっていて驚いた。
後ろ姿ではあるものの、一番御本殿を大きく、遮られずに拝見することができるのは、ちょうど文庫のある瑞垣の角からではないかと思う。
階の屋根もこちらからなら見ることができる。
曇り空ながら逆光なので、随分暗く写ってしまっているのが惜しい。
ガイドさんが「ぜひお参りしてください」と言っていたのが、「素鵞社」である。ちょうど御本殿の真後ろにあり、大国主命の父に当たる素戔嗚尊をお祭りしているお社だ。
光の加減か、新しく清々しく明るい感じのお社で、お参りしている人も多かった。
素鵞社では、予め稲佐の浜の砂を用意し、このお社の縁の下にお供えして代わりに縁の下から砂を持ち帰る、というお参りのしきたりがある。持ち帰った砂はお守りにしたり、庭に撒いて清めたりするといいらしい。
残念ながらそこまでは用意できなかったけれど、色々なしきたりや作法、約束事があるなぁと思う。
瑞垣の西側に回ってくると、「御神殿正面拝礼所」がある。
本殿の大国主命は、何故か正面ではなく、この西側を向いていらっしゃる。
そこで、大国主命と相対してお参りできるように「正面礼拝所」が用意されている。
改めて、こちらでもお参りした。
瑞垣の西側には、出雲大社宮司のご先祖様ともいえる、天穂日命の氏社などもある。
天照大神も次男だからお社があって当たり前とも思えるし、宮司のご先祖様を自ら神としてお祀りし、参拝者間にもお参りを促すってどうなんだろうとも思う。
少なくとも奥ゆかしさは感じられない。
瑞垣の一番手前の両側に「十九社」がある。
屋根付きの長いベンチのように見える場所だ。
東西にあるこのお社には、神在月に全国から集まってきた神様がお泊まりになるという。
神様の寝所にしては狭い。ちなみに、このお社は横には長いものの、奥行きはほとんどない。縦には寝転がれないだろうなというくらいだ。
ただ、いずれにしても出雲大社のお社はみな質素かつ質実剛健というイメージである。
瑞垣を一周して西側に回って来た。そのまま右に折れて神楽殿にお参りした。
こちらの白眉は何といっても、この「日本最大級」だというしめ縄である。5.2tもある。
どうやって作ったのか、どうやって持ち上げたのか、本当に謎だ。
神楽殿では、お神楽の奉納はもちろん、結婚式なども執り行われる。
また、神楽殿の向かって左にある御朱印受付所で、先ほどいただいたのとは別の御朱印をいただくことができる。
そういえば、出雲大社で御朱印をいただいたとき、どちらでも初穂料の指定がなく「お気持ちで。」と言われて面食らった。正直に「あのう、おいくらくらいで・・・。」と尋ねたところ「300円という方が多いですね。」と教えていただき、「変なお尋ねをしてすみません。」と謝ってしまった。
そういえば飛ばしてしまっていた拝殿にお参りしようと、神楽殿から戻る。
本来は、本殿にお参りする前に、拝殿をお参りするのが作法のようだ。「失礼しました」とご挨拶する。
拝殿のしめ縄も十分に大きいけれど、先ほどの神楽殿のしめ縄に比べると重さで1/4よりも小さい。
ちょうど拝殿の前に先ほど見かけた子供相撲大会の優勝者たちが並んでいた。お相撲の大会は同時に神様への捧げ物であった、ということだと思う。
12時過ぎに宝物殿に入った。
宝物殿にも、出雲歴史博物館にあったのと同じような、古代本殿の心御柱が展示されている。平成12年に発見されたのはこの二つなんだろうか。
宝物殿ではこの心御柱を上から見られるようになっていて、その年輪のすごさに驚いた。
また、先ほどストラップを購入した美保岐玉について、84代の神職の方が神宝として納めたものが展示されていた。
赤と緑と白のめのうは、いずれも出雲産だ。当たり前だけれど、ストラップよりもずっと大きい。どれだけ秘蔵していためのうなんだろうと思う。
代替わりのたびに探すのは大変だし見つからなかったら大問題だから、きっと、どこかに「次のために」「先のために」原石を秘蔵しているのではないかなどと考える。
また、八足門内ツアーのときに紹介のあった、本殿の天井の八雲の絵が、1/3サイズに複製されて展示されていたのが嬉しい。
御神座がある場所と御柱がある場所を外して雲の絵が描いてある。
これは確かに本物を見たかったなぁと思う。
宝物殿を出ると12時半を回っていた。荷物をピックアップため、ホテルに戻る。
来るときには素通りしてしまった、大国主命の一番有名なエピソードであろう因幡の白ウサギの場面を再現した像を見たり、大国主命が「幸魂奇魂」の玉をいただいて「ムスビの神」となった場面を再現した像を見たり、つい寄り道をしてしまう。
いにしえの宿 佳雲まで戻って荷物をピックアップし、八足門内ツアーのアンケートをフロントに提出して記念の品をいただいた。記念品は「五円玉」である。らしいと言えば、らしい。
喧嘩はしないでくださいねと思いつつ、お正月に初詣でいただいてきたお参りと一緒に、鞄に入れた。
1日4本しかない、ホテルの前に停まるバスがちょうど来て、出雲大社連絡所まで行った。
出雲大社連絡所にはコインロッカーがあり、荷物を預けてしまう。JR出雲駅行きのバスの始発でもあるから、帰りはここからバスに乗ればいいだろう。
コインロッカーに荷物を預けて身軽になり、バスでJRの旧大社駅に向かう。
13時もだいぶ回っており、お腹も空いている。
旧大社駅見学に行く前に、バス停のすぐ近くにある手打ちそば本家 大梶でお昼をいただいた。
先客が二組くらいいらしたと思う。もちろん、三色割子蕎麦を注文する。
こちらの「三色」は、卵黄ととろろと大根おろしである。
そばつゆを掛けていただく。それぞれの割子は直径12cmくらいで、一つ一つがするするとお腹に収まって行く。
重なって出されるから、一番上のお蕎麦を食べ終わったらそのつゆをそのまま下のお蕎麦にかけて・・・、と食べていくのが正しいお作法のようだ。
確か、食べ方の説明書きが置いてあったと思う。
あっという間に美味しくいただいた。
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