奥入瀬旅行記3日目その2
2019年8月31日(土曜日)
ロープウエー乗り場の辺りから見下ろすと、手前の緑は鮮やかなものの、奥の山は霞んでいる。確か、山麓駅の看板では「視界50m」の表示が出ていたと思う。
反対方向を見ると八戸市街が見え、視界が良ければその向こうに海も見えるらしい。今は残念ながら霞んでいる。
お天気はいいのになぁと思う。
10時40分に山麓駅に到着したら、そこには「運休」の看板が立っていた。
それほど強い風とも思わなかったけれど、風速25m以上になっていたらしい。
ロープウエーが若干揺れたのはそのためだったのか! と思う。
次の便に乗ろうとしていたら、山頂駅に置き去りになっていたんだろうか。間に合って良かったと思う。
添乗員さんも「みなさん素晴らしいですね!」とほっと一息ついていた。
バスは黒石市の中町こみせ通りに向かう。黒石観光協会のホームページによると、中町こみせ通りは、日本の道百選に選ばれ、重要伝統的建造物群保存地区にも選定されているそうだ。
ここでお昼ごはんを食べ、散策タイムも設けられている。
お昼ごはんは、こみせ通りの中ほどにある和風レストラン御幸でいただいた。
7時半くらいに朝食を食べ、ロープウエーに乗り、30分くらい歩き、あとはバスに乗っていただけのお腹はほとんど減っていない。
まだ11時半である。
流石に全部をいただくことはできず、何とも申し訳なかった。
食後、こみせ通りを散策した。
とはいっても、それほど長い「通り」ではない。屋根のある部分だけなら、端から端まで10分もかからずに歩けると思う。
杉玉は茶色かったから、新酒の時期はとっくに過ぎたか、もしかしたら次の新酒の時期が近づいて来たくらいのタイミングだったのかも知れない。
アーケードの中は板塀っぽいものがが建てられていて、そこにレトロな感じのポスターなどが貼られている。
一角にあった鳴海醸造店にお邪魔すると、そこは「菊乃井」の醸造元だった。
と書いてみたものの、実は「菊乃井」という日本酒を私は知らないと思う。こちらに来ると知っていたら、昨日、父へのお土産の日本酒を買わないでおいたのになぁと思う。
創業が1806年で、母屋は1700年代に建てられたと推測されているらしい。
お庭も立派で、こちらは明治20年頃の作庭だという。
お店のお母さんが畳のお部屋にあげてくださり、縁側からのお庭の眺めを楽しませてくださった。
その和室の手前には昔の帳場も残されていて、ここでドラマの撮影ができちゃいそうだと思う。
旧松ノ湯は、明治44年に営業を始めた銭湯で、しかし建物自体はそれより以前のものだという。
普通の民家として建てて、銭湯に改装したということだろうか。よく分からない。
今は「松ノ湯交流館」として浴槽や洗い場部分を残してそこで宣伝映像を流したり、ちょっとしたお土産物屋があったり、観光案内をしてくれたりする場所になっている。
また、この松ノ湯では、松の木がひさし屋根から突き出している。
この松は樹齢300年と推定されているそうだから、松の木が先にあり、そこに建物を建て、銭湯として使うようになり、この松の木があることから「松ノ湯」と名付けられた、ということだろう。
この黒松に触るといいことがあると言われている。もちろんしっかりと木の幹に手のひらを押しつけるようにして触って来た。
何か温かい感じの木肌だった。
12時半にこみせ通りを出発し、15分くらいで津軽工芸伝承館に到着した。
ここが最後の「観光スポット」で、伝承館の中にある「津軽三味線じょんがら劇場」では、我々のために津軽三味線を演奏してくださった。
「動画はご遠慮ください」「写真撮影は可能です」と案内がある。しかし、もの凄く近いところで演奏される三味線の音もじょんがら節の歌も迫力で、カメラを構える隙もなかった。
土蔵のような建物で、音響も相当良かったと思う。
10分くらいのステージの後は13時30分まで自由時間である。
藁を編む様子が展示されていたり、ねぷたのミニチュアが展示されていたり、裂織りや津軽塗りの工房があったりする。
足湯もある。靴を脱いで靴下を脱いで、足湯を使って、タオルで拭いて、というのが面倒くさいのでパスする。
昨日の立ち寄り湯もそうだけれど、足湯にも「事前の心構え」的なものが必要だ。
全ての観光をこなした後、バスは一路、盛岡駅を目指す。
途中、岩手山SAでトイレ休憩があった。SAから、岩手山がよく見える。
バスガイドさんが、「今回の旅では、盛岡駅発着だけれど、岩手県の観光地にどこにも寄っていない。また岩手県にも来てください。」と盛んに売り込んでいた。
東北四大祭は、「青森のねぶた」「仙台の七夕」「秋田の竿灯」に加えて「岩手のさんさ」だとガイドさんは言っていた。今WIKIを見たところでは、「岩手のさんさ」よりも「山形の花笠」を加える方が一般的らしい。
四大祭の選出はともかくとして、ガイドさんが、さんさ祭りにちなんだ民謡を歌ってくださった。美声である。
バスガイドさんは歌(それも民謡)が上手くないと務まらないのだわと思う。
この日はちょうど大曲の花火の日で、ガイドさんは、この辺りの観光バスや車は全部大曲方面に向かったからこの道が空いているのかしらと言っていた。
大曲の花火も行ってみたいけれど、バスを停める駐車場から花火大会の会場まで30分〜1時間歩くと聞いてくらっとした。
花火大会の会場周辺はかなり夜遅くまで交通規制が敷かれるため、会場近くまでバスで行くと、終了後になかなか帰って来られなくなってしまうらしい。
そんな訳で、順調にバスが走ったおかげで駅での時間がたっぷりあることになり、バスガイドさんから色々な「お土産案内」があった。
まずは何はともあれかもめの玉子らしい。
そして、「私が一番好き」な麺類として、白龍(ぱいろん)の盛岡じゃじゃ麺が熱烈に紹介された。彼女が語るととても美味しそうに聞こえて困る。
盛岡駅には16時前に到着した。17時50分の新幹線乗車まで2時間近くある。
再集合は17時半と指定された。まずはコインロッカーに荷物を預け、お土産物屋さんを見て回る。
意外と「休憩できそうな喫茶店」を探すのに手間取り、最終的にタリーズでアイスコーヒーをいただいた。後から「小岩井農場のアンテナショップ的な感じのお店が駅構内にあったんだから、そこでソフトクリームを食べれば良かった!」と思った。これこそ「後の祭り」というものである。
「新幹線車内で夕食を食べるにはちょっと時間が早いよね。」「お腹もそんなに空いていないね。」と母と意見が一致し、車中で食べるおやつに小さいカップに入ったレアチーズケーキを購入する。
みなさん時間を持て余していたようで、17時半よりも少し早めに全員が揃い、新幹線のホームに上がってもまだ17時半になっていなかったと思う。
18時半前くらいに夕焼けを眺めつつチーズケーキをいただき、あとはひたすら爆睡して上野駅まで帰った。
我々は上野で途中下車である。
大宮で降りた人は結構いたけれど、上野で降りたのは我々だけだったかも知れない。
上野駅構内の洋食や 三代目 たいめいけんで、「お腹が空いていない。」とか何とか言いながら、母はハヤシライスを、私はオムライスをぺろりと平らげ、帰宅した。
お天気にというか、悪運に恵まれた、なかなか充実した旅行だった。
次に行くときは、透明な綺麗な水の奥入瀬渓流沿いをとことん歩きたいと思う。
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