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2019.12.23

鬼怒川温泉旅行記(2019)2日目

2019年12月9日(月曜日)

 特に目覚ましもかけなかったけれど、昨日寝たのが早かったし、6時過ぎに起き出した。
 そのまま、温泉大浴場に行く。露天風呂に入るとやはり空気が冷たくて気持ちがいい。
 またもや1時間くらいかけて温泉を堪能した。
 ところで「寝湯」はどうやったら落ち着いて入れるのか、いつも疑問である。どうやっても髪を濡らさずに寝湯に入ることができないし、寝転んでいると身体がどんどん浮いてくる。

レストランからの川の眺め NHK朝の連続テレビ小説「スカーレット」を見てから朝食をいただきにレストランに行く。
 窓際の席に案内され、ラッキーである。窓から鬼怒川の流れが見える。昨日の龍王峡と同じ水の色だ。
 紅葉はもう終わっていて、でもところどころに「名残り」がある。葉が落ちていなかったら水面は見えていなかったに違いない、ということにしようと思う。

朝食ワッフル

 どう見ても和食メニューの方が豪華だよと思っても、やはり選べるなら洋食を選んでしまう。
 恐らく、我が家の朝食が平日は和食、休日はパン食だからだと思う。
 昨夜の夕食でパンとトマトが美味しかったので、もちろんいただいてくる。やっぱり美味しい。

ホテルの紅葉ホテルの紅葉 ホテルのエントランス前のもみじが、辛うじて赤い葉を残している。「紅葉も見た」ことの証明代わりに写真を撮り、10時前にチェックアウトした。
 東武ワールドスクエア駅まで徒歩5分くらいの道を戻り、10時15分発のスペーシアに乗る。下今市駅で乗り換えて、日光駅に到着したのが10時45分だ。
 意外と遠い。

 母の希望により、本日の予定はまず田母沢御用邸である。
 ここでお腹を空かせて日光でお昼を食べ、早めに帰宅する計画だ。
 田母沢御用邸の正式名称は日光田母沢御用邸記念公園である。
 東武日光駅でコインロッカーに荷物を預け、昨日とは違って身軽になって中禅寺湖方面に行くバスに乗り込んだ。

 田母沢御用邸は、元々は明治時代の銀行家の邸宅であった場所に旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部を移築し、さらに増築して大正天皇の保養所として造築されている。
 大正天皇の即位後、さらに大規模な増改築が行われ、江戸時代、明治時代、大正時代の(それも贅沢な)建築様式が現存している。
 昭和22年に廃止されるまで、大正、昭和、平成の天皇が利用していたそうだ。

 その後、もっとも大規模だった大正10年当時の姿を可能な限り復元し、平成12年に記念公園となり、平成15年に国の重要文化財に指定されている。
 部屋数106って一体・・・、と思う。
 もっとも、そのうち83室は臣下のための部屋である。それもある意味、贅沢な話である。

田母沢御用邸・中庭 入園料を支払ってまず建物を見学する。
 靴を脱いで上がると、結構厚手の内履きが用意されている。
 そして、とにかく寒い。寒いというか冷えている。
 あとでスタッフの方に聞いたところでは、そもそもここは避暑のための場所であって、冬の寒い時期には使われていなかったという。
 さもありなん、である。

 開口部はあくまでも開放的、板敷きの床はとにかく冷え、畳敷きに絨毯が敷いてあってさえしんしんと冷えている。
 外に出て日に当たり「暖かい・・・。」と呟いてしまったくらいの寒さである。
 木造建築らしいといえばらしい。

寄せ木の床とシャンデリアのお部屋 一見して何の変哲もない、地味とは言わないものの派手な装飾のない部屋であっても、そもそも床が「欅の柾目」の「寄せ木張り」で、とにかく(実は)贅沢な設えになっている。
 違いの分かる人にだけ分かれば良い、という雰囲気である。あるいは分かる人には分かるという気持ちだったのかも知れない。
 90年たってもゆがみも出ず浮いているところもない。どれだけの「匠の技」が使われていたのかと思う。
 また、さりげなくぶら下がっているシャンデリアも、当時はなかなか手に入らなかった筈だ。

 田母沢御用邸の建物は、とにかく細工が凝っている。
 そして、それぞれの「豪華さ」に意味がある。
 天皇陛下がいらっしゃるお部屋の内側が最も豪華で、そこから外側に行くに従って質実になって行く。そういう仕掛けが随所に施されている。

謁見所 「謁見所」は、天皇陛下が(誰かに)謁見した場所だ。
 違い棚も床の間もありつつ、畳の上に絨毯を敷きシャンデリアが下がり、和洋折衷しまくっている。
 謁見所の前の廊下で説明板の写真を私が撮っていたら、スタッフの方が色々と説明してくださった。
 畳の上に絨毯を敷いているのだと教えてくださったのも、スタッフの方だ。勝手にめくってみる訳にも行かない。

 絨毯を敷いているのは、ここを天皇陛下が靴で歩くからである。西洋式に室内でも靴を履いて過ごしていたということなのか、謁見という正式な場で靴を脱ぐわけにはいかなかったということなのか、聞きそびれてしまった。
 椅子も置いてはあるものの、謁見の際、天皇陛下が椅子に座ることはない。即位の礼でもずっと立っていらっしゃったでしょう? と言われた。そう言われてみればそうだったような気もする。

 謁見所の床柱は、柾目の木が使われている。
 樹齢の高い太い木であっても、「四面とも柾目」にするためには、1本の材木しか取れないらしい。柱に注目して四面見て回る人もいないだろうと思うのに、そういう所にこそお金を使うのが、職人さんだったり工事を差配した人の心意気、なのかも知れない。
 それにしても、贅沢の桁が違うという感じだ。

錺金物(格が高いもの)錺金物(格が下のもの)

 左側は、謁見所の中にある錺金物(用途はよく分からない。釘隠しだろうか。)、右側は謁見所の外(のさらに外の縁のところだったかも知れない)にある錺金物である。
 もちろん、「全部が金」の方が上等な品物である。

襖の取っ手(格が高い)襖の取っ手(格が下がる)

襖の取っ手(格がさらに下がる) さらにこちらは分かりやすい。
 上左側がお部屋の中の取っ手、右側が同じふすま(障子だったか?)の外側の取っ手、さらに廊下の外になると左側の黒い取っ手となる。
 いずれも菊のご紋が入っていつつ、分かりやすく「差」が付けられている。
 この建物がおもてなしをしているのは、謁見してもらいに来た人ではなく、謁見している天皇陛下である。

傾けられた廊下 そのことがさらに分かりやすく現れているのが、この廊下の造りだ。
 謁見所の天皇陛下が立つ場所からちょうど見えるように廊下側に窓が開いている。
 その先はさらに障子があり、窓があり、開け放てばお庭を見ることができる。
 その眺めを堪能していただくため、廊下を斜めにして、お部屋側(写真の右側)よりも、庭側(写真の左側)の開口部を広くしている。
 遠近法の活用兼「見える景色を少しでも広く」するための工夫だ。

 ついでに書くと、廊下の正面の壁の所にある黒いものは、「ここから貴重な場所ですよ」という印だという。
 竹を模した造形である。
 こういうことは知っているか説明していただかないと「へー。」と思うことすらできない。
 懇切丁寧な解説に感謝である。

杉の戸絵 2階にも上がることができた(3階はこの週末から特別公開される予定だそうで、ちょっと残念である)。
 杉の戸絵は本当にこんな窓際に置いてあって日光を浴びまくっていていいのかと思っていたら、桜の花は胡粉で描かれて、自然のものは日光で褪色することはないという説明だった。

御座所 2階にある全体に白っぽい部屋は御座所である。
 要するに「個人的な執務室」だ。外から来る人や家臣とここで正式に「会う」ことはなく、壁やふすまなどが白くなっていて、装飾的なものが排除されている。
 名画でも毎日見ていれば飽きるということか、個人的な場所くらい好きなようにしたいということか。
 欄間は100部屋以上あるこの御用邸でここにしかないそうだ。絵扇が浮かび、扇には花の絵が描かれている。
 床柱は檜だし、決して「質素」という訳ではない。

浴室 もちろんお風呂もある。
 もっとも、湯船はない。質素倹約のためではなく、そもそも湯船に浸かることがなかったかららしい。
 避暑のための場所だということと関係あるのだろうか。
 奥に見えるコンクリートの容れものがお湯入れで、かけ湯をすると、板の間の真ん中の切れ目が排水溝になっていてそこにお湯が流れる仕組みになっている。

皇后のお部屋のシャンデリア 印象に残ったのがこちらのシャンデリアである。
 他のお部屋では大抵、シャンデリアに使われているガラスは透明か曇りガラスだった。皇后のお部屋に飾られたこのシャンデリアだけは、ガラスが赤く着色されている。
 ガラスの赤は金を王水に溶かして発色させているそうで、可愛らしいデザインながら実は贅を尽くされている。

 お土産物の売り場と休憩所は暖房が入っていた。
 そりゃそうだよと思いつつ、お庭に出る。お天気もいいし、むしろ外の方が暖かい。

田母沢御用邸・お庭のしだれ桜田母沢御用邸・建物の外観

田母沢御用邸・建物の外観20191209_124302

 左の写真の左端に写っているのはしだれ桜である。
 樹齢400年と伝わる、日光市の天然記念物だ。
 桜の時期には、この桜を間近で見ることのできる、2階の皇后御学問所が特別公開される。
 やはり田母沢御用邸は春や夏に来るべき場所のようだ。
 今の上皇陛下が戦時中はここに疎開しており、庭には防空壕への入口跡などもあった。

 1時間半近くかけてゆっくり見学し、バスの時間までだいぶあったので、とりあえず神橋に向かって歩いた。
 帰りは下り坂だから、歩くのも苦にはならない。
 途中、日光翠園を見つけ、こんなところにあったとは! と思う。名前はよく目にしていたものの、実店舗を見たのは初めてだ。
 ここで食べてもいいなぁと思ったら、ちょうどお店を覗いた方が「**待ちだって」と言っているのが聞こえてきて断念する。

神橋 割とすぐ、神橋が見えてきた。
 こちら側から見るのは初めてかも知れない。少なくとも歩いてこちらから見るのは初めてだ。
 大谷川の水の色が綺麗だ。
 御朱印帳は持っていなかったけれど、「ここは神社? 神橋だし。」と思いつつ御朱印をいただく。
 まだ渡ったことがないので、いつかきっと渡ってみようと思う。

 もう13時を回っている。
 母にお昼に何を食べたいかと聞くと「お蕎麦かな。」と言う。
 出発前は「2日目のお昼は日光金谷ホテルで100年カレーもいいわね。」と言っていたので聞いてみると「今はそんなにたくさんは食べられない。」とおっしゃる。
 朝食を食べ過ぎてお昼ごはんのタイミングを失いがちな我々二人である。

 油源を覗いてみたところ、お蕎麦のメニューはないようだった。残念である。
 特に当てもなく駅方向に歩いていたら、和み茶屋に人が並んでいなかった。チャンス! と、母の意向はどこか遠くに放り投げ、「ここで食べましょう!」とさっさとお店に入った。
 以前に来たときは大行列で入れなかった。リベンジである。

 お昼のメニューは「懐石ランチ」と「ゆば懐石ランチ」で、懐石ランチにゆばのお料理を足したものが「ゆば懐石ランチ」である。
 これはもうゆば懐石ランチをお願いするしかない。
 師走の献立はこんな感じだった。

ひきあげゆばとゆばと車麩の清し仕立お惣菜盛り合わせ

 ひきあげゆば
 ゆばと車麩の清し仕立
 芋幹と小松菜のお浸し、蒟蒻のピクルス、出汁巻玉子、牡蠣有馬煮、蕪梅味噌

白菜と厚揚の精進シチュー揚巻ゆば

 白菜と厚揚の精進シチュー
 揚巻ゆば

舞茸佃煮ごはんなど豆乳の杏仁とうふ

 舞茸佃煮ごはん、味噌仕立、平ゆば包揚げ、蓮根挟み揚げ、茄子
 豆乳の杏仁とうふ

 ゆっくり出てきたし、ゆっくり味わっていただいたので、食べ終わったら14時を回っていた。
 15時前のスペーシアに乗って、ラッシュが始まる前に家に帰りたい。
 慌てて、三ッ山羊羹本舗で水ようかんをお土産に購入し、早足で東武日光駅まで戻ってコインロッカーから荷物を取り出し、ぎりぎりスペーシアの特急券を購入して帰路についた。

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