大府平温泉旅行記2日目その2
2020年11月8日(日曜日)
送迎のワゴンはホテリ・アアルトを11時45分に出発し、猪苗代駅まで、車窓からの黄葉を楽しんだ。
少しずつ雲が広がってきているのが心配である。
25分くらいでホテルの送迎ワゴンが猪苗代駅前に到着した。
友人に書いた絵はがきを駅前のポストに投函し、12時29分発の電車を待ちつつ駅のベンチでメモを書く。
同じワゴン車で来た方々はみなさん郡山方面のホームで電車を待っており、会津若松方面のホームにいるのは私だけだ。
猪苗代駅に入ってきた電車がいっぱいであららと思ったら、乗客の多くは阪急トラピックスのツアーの方々で、みなさん猪苗代駅で降りられていた。
なので車内はガラガラである。
猪苗代駅から会津若松駅までは各駅停車で30分くらいだった。
猪苗代駅に着いてまずみどりの窓口に行き、七日町から西若松、会津田島経由北千住行きの切符を買えるかどうか聞いてみた。
七日町駅は無人駅なので、どう考えても4社にまたがる切符は買えそうにない。
しかし、みどりの窓口でもこういう切符は買えないそうだ。車内で精算してくださいという説明だった。
次に観光案内所に行き、会津若松城への行き方を尋ねたところ、まちなか周遊バスが便利だという。13時15分発のあかべぇ号に乗ってしまうと40分くらいかかってしまうので、あと5分待って13時20分発のはいから号に乗ってくださいと案内も親切だ。
会津若松城から七日町駅まで徒歩でどれくらいかかるかと聞いたところ、街歩き用の地図もいただけた。大体20分くらいらしい。
もう13時を過ぎてはいるけれどお腹は全くすいていない。お昼ごはんはなし、おやつをどこかで食べようと決め、「はいから号」と名前の付いた普通の路線バスに乗り、20分くらいで鶴ヶ城入口に到着した。
そういえば、バスが発車してすぐくらいだったか、汽笛の音が聞こえてきた。SLばんえつ物語号が到着したところだったのかも知れない。
SL磐越号で新津まで行き、新潟を回って帰ってくるという旅程も楽しかったかもと思ったりした。
バス亭「鶴ヶ城入口」から鶴ヶ城(バス亭の名前や、いただいた地図の表記に従って名称の記載を変える)まで歩いてすぐだった。
まちなか周遊バスには「鶴ヶ城」という名前のついたバス亭がいくつかあってどこで降りるか若干迷ったけれど、王道で「入口」のバス亭で正しかったようだ。
お城まで歩く途中、「枡形」といって石垣が組まれ、門があり、敵が攻め込んできたときに三方から攻撃を仕掛けられるよう工夫した、城の防御の仕組みを見ることができた。
鶴ヶ城は、日本のお城の天守閣としては唯一現存している、赤瓦で屋根が葺かれたお城である。
前身の黒川城を葦名直盛が築き、蒲生氏郷が1590年に城主となり、93年に七層の天守閣を完成させて名前を鶴ヶ城に改めたそうだ。
鶴ヶ城は、建立の歴史よりも、戊辰戦争で朝敵とされた会津藩が新政府軍と戦い、1ヵ月に及ぶ籠城線の後に明け渡されたという「最期の歴史」の方が知名度が高いと思う。
もっとも、戊辰戦争のときに鶴ヶ城が落ちたと思っていたら、実際は鶴ヶ城自体は戊辰戦争を持ちこたえており、明治になってから廃城とされている。今の鶴ヶ城は、昭和40年に再建されたそうだ。
知らないことばかりである。
現在の鶴ヶ城の内部は歴史資料館となっていて、また天守にも登れるようになっている。
しかしあまり時間もなかったし、何より鶴ヶ城に来たのは見頃だという紅葉が第一の目的だったので、城内の見学はパスして鶴ヶ城公園を楽しむことにした。
公園内には、県の重要文化財にも指定されているという茶室「麟閣」が復元されている。
お抹茶付きの入場券と買い求め、庭園に入った。
お茶室に上がることはできないけれど、開け放たれた障子から中を覗くことができる。
床の間に「日々是好日」の掛け軸が下がっているのを見つけて、何となく嬉しくなる。
そして、お庭の紅葉も見事である。
麟閣は、いわゆる「文化人」でもあった蒲生氏郷が、千利休の死後に、その子どもである少庵をかくまい、匿われている間に少庵が氏郷のために造ったと伝えられている。
ここで少庵が助けられず、氏郷や家康が秀吉に千家復興を願い出ることがなかったら、今に続く茶道の表・裏・武者小路の千家はなかった、かも知れない。
何だか歴史の裏を見ているような気持ちになる。
お庭に置かれたベンチでお抹茶と、皮に米粉と山芋が使われているというじょうよまんじゅうをいただき、もう1回、お庭の紅葉を眺めてから麟閣を後にした。
上手く写真には撮れなかったけれど、このお庭からは鶴ヶ城の天守を望むことができる。なかなか贅沢な眺めだ。
最後に鶴ヶ城と紅葉の組み合わせをもう一度堪能し、七日町駅に向けて歩き始めた。
七日町駅までは、来るときに乗ったはいから号が走ってきた道を概ね逆に歩いて行く心づもりである。
途中、雨がぱらついてきて、どうしようかしらと思ったけれど、すぐ止んで傘を差すまでもなかったのが有難い。
時間があったら日本酒の酒蔵で試飲をしたり、野口英世が15歳から19歳までをこの街で過ごしたことを記念して整備された「野口英世青春通り」を巡ったりも楽しそうだった。
青春通りには、野口英世が手の手術を受けた医院を改装した會津壹番館という喫茶店もある。もうちょっとお腹に余裕があったら一休みするところである。
七日町通りまで早めに戻ったのは、会津漆器の丼を購入するためである。
白木屋漆器店の店内にある資料館(室)を見学させていただいたりしつつ、「ラーメンやうどんをよそう丼」を探す。
福西惣兵衛商店で「この中間の大きさの器があったらぴったり!」という感じの大小の器を見つけ、お店の方にお聞きしたら「そちらは人気の品で売り切れてしまっています」というお答えである。それは残念! と粘っていたら、「これはあともう1回塗りを重ねる予定のものです」とおっしゃって奥から作成途中の器を出してきてくださった。
これだ! と思う。
店頭にある同じシリーズの器と比べると、つやがあって光っている。もう1回塗ると、ずっとマットな感じになる。
また、当然のことながら塗りの回数を重ねた方が丈夫である。
光った感じの器も良かったけれど、比べると、もう1回、漆塗りを重ねたものの方がやはり良い。
「送料がかかってしまうけれど送ることもできます」と言っていただき、もう1回塗って仕上げたものを二つ送ってもらうことにした。
ここで、もう一つ迷ったのが、色である。
二つ購入するつもりである。器は同じデザインで赤と黒とある。赤二つにするか、黒二つにするか、赤と黒一つずつにするか。
漆塗りとしての性質は赤と黒で違いはないそうだ。
こちらも散々迷い、お店の方に「どっちがいいと思います?」と無茶振りし、赤二つを購入し、地域共通クーポンも全額ここで使用した。
漆塗りの器の扱いを聞いたところ「肌を扱うように扱ってください」という回答だった。
ミッションを達成し満足して七日町駅に向かう。
途中、ほしばん絵ろうそく店に立ち寄り、手描きのろうそくを購入する。お店のご主人のお話では、「ほぼ日本ではここだけ」という、昔ながらの工程でろうそくを作っているそうだ。
元々は会津藩お抱えだったという。
400年前から続く伝統柄だと教えていただいた、黒と赤と黄で描かれた菊のものと、牡丹のものと、一番小さいサイズで2本を購入した。
こちらでは芯などもすべて手作りでろうそくを造っているそうだ。もっとも、芯の元になる植物は北限が茨城県辺りで、会津若松周辺では育てることはできないという。
ろうそくの大きさに合わせ芯の太さも調節してあるので、液だれも起きず、最後まで表面に描かれた絵を楽しむことができる。
はぜろうで造っているためろうそくは時間が経つと粉を吹いたようになるので、できれば落ち着くまで2年くらいは飾っておいて、粉を吹いたら布で優しく拭ってください、というお話だった。
また、会津長門屋という和菓子のお店に立ち寄り、バラで購入できるお菓子をいくつかお土産に買い求める。
伊勢志摩サミットで各国首脳へのお土産の一つだったという香木実というお菓子がとてもとても気になったのだけれど、木箱に17個入りのもののみで、これはちょっと多いよなと思って見送った。
16時過ぎに七日町駅に到着した。
七日町駅にはカフェ兼会津17市町村のアンテナショップである「駅カフェ」がある。
こちらで休憩を兼ねてお昼兼おやつを食べようかと思っていたら、何故かこの期に及んでもお腹が空いていない。また、駅弁のようなごはんになるものは販売されていないようで、ここで購入して電車で食べるというのも難しそうである。
雨も降り出したので街に戻ってお弁当屋さんを探すのも面倒で、会津田島駅で購入できるかも知れないし、北千住駅に着くのが21時前だから、北千住で食べるという方法もあると腹をくくった。お茶も持っているし、まぁ何とかなるだろう。
16時49分発の会津鉄道が走らせているリレー号に乗り込んだ。
リレー号という名前が付いていて、会津若松駅から西若松駅まではJR、西若松駅から会津田島駅までは会津鉄道と、二つの会社にまたがって運行されている。
けど、一両編成の普通の車両だった。
このリレー号の車内で会津田島駅から会津高原尾瀬口駅までの会津鉄道、会津高原尾瀬口駅から新藤原駅までの野岩鉄道、新藤原駅から北千住までの東武線を含め、四つの会社にまたがる切符を購入できた。
会津田島駅から乗車するリバティの特急券を持っていますかと聞かれたから、恐らく、特急券の購入も可能だと思う。ただし、現金のみの取扱だった。
何だか遅いなぁとは思っていた。
養鱒公園の手前くらいだったか、車掌さんから「雨と落葉で車輪が空転してスピードが出ず遅れています」というアナウンスがあった。
嘘でしょと思って窓の外を見ると、車輪が空転しているからなのか風で落葉を巻き上げている。
気がついてみれば、スタックしたときの車輪のような音がしている。あるいは、坂道発進に失敗し続けている感じがある。
歩く方が早いんじゃないかくらいのスピードだ。
車掌さんは運転席と車両後方を行ったり来たりしつつ、どこかに電話で連絡を取ったり、窓から身を乗り出すようにして車輪の様子を見たり、アナウンスをしたり忙しい。
「15分遅れです」と言われ、リバティに乗れるかしら、乗れなかったら家に帰れるかしらと若干不安になる。しかし、車内に10人以上20人未満くらいの人がいて、多くはリバティに乗り換えるのだろうに誰も慌てていない。「乗り継げますか」と聞く人もいない。落ち着いたものである。
結局、リレー号は15分遅れのまま会津田島駅に到着した。
しかし、折り返しのリバティ号もやはり車輪が空転して遅れているそうで、我々は一旦改札を出て駅の待合室で待つよう指示される。
改札の外に売店やまびこがあって、売り場を覗いたら三つくらいお弁当があり、いずれも半額になっていた。
おにぎり弁当(290円が半額の150円!)を購入し、店頭の電子レンジで温めさせていただいた。
確実に購入するには、こちらでは名物の松茸弁当なども販売されているし、電話で取り置きをお願いするのがいいようだ(実際、そういう風にされている方がいらっしゃった)。
特急リバティは、10分遅れくらいで到着し折り返したと思う。
駅員さんに言われるままに改札を戻り、乗り込んだので、あまりよく覚えていない。
流石にお腹が空いていて、動き出すなり、おにぎり弁当をぱくつく。梅と鮭のおにぎりだ。
リバティの車内はガラガラである。
リバティはかなりがんばって遅れを取り戻したようで、ほぼ定時に北千住駅に到着した。
無事、帰宅した。
2日目の歩数 20665歩
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