「巡礼コメディ旅日記」を読む
2022年9月、数ヶ月前からちょっとずつ読み進めていた「巡礼コメディ旅日記」をとりあえず最後まで一読した。
これはもう何回でも読み返さないとなぁと読み終えた瞬間に思った。
著者はドイツのコメディアン(どうも日本とドイツのそれは性格がかなり異なるらしい)で、かなりの人気者のようだ。
そんな人が、800kmの巡礼の道を、仕事でなくまったく私的に歩こうと決め、実際に歩いたのだから、そこには「何か」があるに決まっている。
ただ、そこは詳らかには書かれていない、と思う。
最初の頃は、一人で歩くことを好み、巡礼者たちとの交流をむしろ避けているくらいの雰囲気である。
巡礼宿に泊まることもせず、ペンションというか、一人になれる空間を確保している。
奇蹟なんてものは信じてもいない、神も信じてはいない、という感じで、そこが私の好感ポイントだった。
それが、旅を進めるうち、巡礼宿に泊まらないのは相変わらずだけれど「誰かとしゃべりたい」「誰かと一緒に歩きたい」という欲求が強くなり、少ない人数と濃いめの交流を持ち始める。
その気になれば、ドイツ語、英語、フランス語、イタリア語、中ではちょっと苦手なスペイン語と多国語を操る著者だし、コメディアンという職業柄、観察眼にも長けている。文章通りの軽妙な語り口もお持ちだろうし、コミュニケーションを阻むものは何もない。
そして「奇蹟」「神」にも出会う。
ゴール前数日は、女性二人とずっとつかず離れずでもやっぱり「一緒」に歩いて行く。
勝手な感想を言えば、最後まで奇蹟とも神とも無縁の日記なら良かったのにと思う。
歩いたら必ず奇蹟が訪れ神に出会うのかといえば、そんなことはないだろうよと思う。しかし、「そんなこと」に出会った人だけが「そんなこと」に出会ったカミーノを語るから、「出会った」記録だけが残っているのだろう。
ところで、著者のハーペイ氏は、ゴール後に新しい靴に買い換えるまで、道中「肉刺」を一度もこさえなかったそうだ。
それこそが奇蹟だよと思う。
そして「肉刺」は「マメ」と訳して欲しかったとこれまた勝手な感想を持った(辞書を引いて「肉刺」の読みと意味を確認してしまった)。
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